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20160630

何か変ですよ! 45: 様々な脅威 1


*1

前回、日本は自ら交通事故や銃犯罪を減らし安全を手に入れていることを見ました。
しかし、私たちの世界にはまだまだ脅威が溢れています。
身近なものに天災、原発事故、戦争があり、将来的には資源や食料の枯渇、難民、地球温暖化などが懸念されます。
少し問題点を整理しましょう。


前回に続いて
米国は銃規制が実施出来ずに袋小路に陥っているように見える
島国の日本から見ればこの野放しは理解し難い。
一方で、英米ある州や都市だけで自ら銃規制を実施しているところもある。
厄介なのは、「自衛用の攻撃出来る武器」に矛盾がある。
特に殺傷性が高い武器ほど、例えばナイフよりもマシンガほど被害を増大させることは明らかです。




 
*2


見えて来たもの
ここまで話が進めば、歴史を例に挙げなくても軍備が紛争や戦争を増大させることを理解出来ると思います。
もっとも現実に戦争を回避し侵略防止するには軍備が必要で、その保有方法が重要なのですが。注釈1.

同様に、軍備と軍事同盟を正当化する為に、自衛権や集団的自衛権を持ち出すのも、短絡的と言えます。
自衛権集団的自衛権(軍事同盟について憲法学者に論争がありますが、軍事専門家(戦略研究者)にとっても軍事同盟の評価は難しく意見が別れています。
つまり、これらは戦争を防止する打ち出の小槌ではないのです。

これらは歴史的に当然の事として受け入れられて来たが、2回の大戦を通じて世界はその恐ろしさを自覚しました。
しかし、残念ながら超大国の拒絶にあい国連憲章にその文言を入れることが出来なかった。
そして、また同じ道を突き進んでいる、まるで銃の氾濫と同じように。

核ミサイル攻撃や戦争ともなれば被害甚大です
数万人で済めばよいが、数百万人、いや地球に人類が住めなくなるかもしれません。
くれぐれも注意して事を進めなければなりません。
一度道を踏み外せば、戻れないことを肝に銘じて下さい。



 
*3

原発事故について
今、日本は原発の利用で迷走しています。

一番のネックは原発事故をどう見るかです。
推進する政府や関連団体を信用する人々は事故を無視するだろうし、そうでない人は危険だと思うでしょう。

学者の試算では一基の事故で最悪の場合で数十万人が死に、その地域は永遠に汚染されたままになります。
しかし、現実にそのような大災害は起きていない。
チェルノブイリ原発事故による死者数は、各種団体が数十人から数万人以上と発表しています。
どちらにしても交通事故や殺人による累計死者数と比べると特に大きいわけではない。
経済を優先するなら、既存の原発を捨てるのは惜しいだろう

一つ、事故に対する信頼性を判断するヒントがあります。
原発事故では、被害者は一般国民で、加害者は原発事業体と別れています。
さらに高度な科学技術と巨大産業によって成り立つ事も見逃せません。
このようなケースでは、多くは情報の隠蔽や捏造が起こり問題点国民に届かなくなります。
残念ながら、それを是正する文化は日本は未成熟です。注釈



 
*4

原発が普及するにつれ世界中で想定外の原発事故が起きている。
初期にあれほど楽観的だった米国や日本の関係者や学者は、事故が起こるたびに、安全基準を引き上げ続けて来ました。
これは今までの文明の利器とは異なります。
その違いは、設備の巨大さと放射能事故の異常さに由来します。
初期の安全性は各部品の寿命(確率)でしたが、最近の日本では耐震性で評価されています。
しかし最も恐ろしいのはヒューマンエラーで、他の利器に比べ一瞬のミスが大災害を招きます。注釈3.

今後もヒューマンエラーや地震、さらにはテロによる原発事故が心配です
絶対起きないと言う方が科学的ではない。
そうは言っても、どのぐらいの規模で、何年後に起きるかはわからない
百年前に大噴火を起こした火山島に住む人もいれば、4百年前に津波で村が壊滅しても人はその土地を離れず住むことになるものです。
なかなか、先の心配をすることは難しい。

こう考えればいかがでしょうか
例えば、原発を小型化して各市町村に実施の判断を任せるのです。
仮定として、事故が起きれば最悪1000人の死者出て、永久に村には住めないとする
発生確率は、向こう30年間に10%(でたらめ)。
当然、この場合、補助金や奨励制度が一切無い条件です。

きっと、国民は妥当な判断をすることでしょう。

次回に続きます。


注釈1
連載「私たちの戦争」「人類の歩みと憲法」で少し詳しく説明しています。

注釈
日本は集団への帰属意識が高く、組織内での内部告発が低調です。
また、国境無き記者団が発表しているように日本における報道の公正さの水準は低く、さらに低下傾向にあります
また、報道圧迫の発言が政府高官や議員から出ても、国民の反応低いことにも現れています。
このような状況では、企業や政府に都合の悪い情報は出なくなります。

注釈3.
連載「原発問題の深層」で少し詳しく説明しています。




20160612

何か変ですよ 41: 今、何が重要なのか?





 


    


今、日本政府は経済を好転させる努力をしています。
今の政策を加速させるべきだと言うエコノミストもいます。
今日は、この事を考察します。

私の経験から
私は30年以上、株にはじまり不動産や金、ファンドに投資して来ました。
そして色々失敗し、勉強した末に悟っていることがあります。
それは、エコノミストの画期的な理論や予測が、いとも簡単に外れることです。
また長いスパンで見ると先進国の経済には大きな底流があるように思えます。

現状はどうなっているのか
安部政権の誕生は2012年の12月でした。
そこで2012年度から2016年6月までの経済データーを見ます。




< 2. 代表的な日本経済の指数の推移、「世界経済のネタ帳」より >
青枠は2012年から2016年の期間を示す。

グラフA: ドル円為替レートは約80円から最高124円をつけ、現在106円になった。
グラフB: 日経平均株価は約9000円から最高20600円をつけ、現在16700円に下落。
グラフC: インフレ率は約0%から最高2.8%をつけ、今年の予測―0.2%に低下。
グラフD: 実質GDP成長率は1.7%で始まり、その後低下し、今年の予測0.5%。
グラフCDの予測値は2016年4月のIMFの値。

安部政権になってから、株高と円安は一度進んだが、現在、足踏みか反転傾向にも見える。
実質GDP成長率とインフレ率は、なかなか期待通りに行かないようです。

失業率は4.3%から徐々に低下し現在3.3%になっている。
これは前回説明した高齢者(団塊世代)の大量退職が続く為で、今後も続くことにより日本経済の足を引っ張ることになる。(グラフFで説明します)


現状をどう見るのか
株価上昇は起こせても、円安とインフレの定着、さらに経済成長させることは困難なようです。
以前にも書きましたが、2012年の日本の株高と円安への反転は、ヨーロッパの金融危機が去ったことが引き金になっている。

以前、私は構造改革が出来ず、相変わらず公共投資に頼るだけなら、リフレ策の方がまだましだと言いました。
リフレ策にはマイナス面もあるが、もしうまくいけば、デフレを脱却し景気回復と莫大な累積赤字の拡大を防ぐ可能性があった。

現状を見ると、今の経済政策を失敗とまで断定出来ないが、このまま過度な金融緩和を続けると重大な副作用を招く可能性がある。


何が問題なのか
一番、重要なことは将来の経済悪化を招くかもしれないことです。

一つのケースは、実体経済が良くならないで、だぶついた資金が金融資産(株などの投機資金)に集中し、やがてバブルが弾けることです。
他にも、災いをもたらすケースは幾通りもありますが。





< 3. 日本の一般会計税収の推移、「アダム・スミス2世の経済解説」より >
ピンク枠は2012~2014年の期間。
黒線は日経平均、赤線は名目GDP(インフレ率込み)、青棒は税収を示す。

グラフEから、現在、税収が増えてプライマリーバランス(基礎的財政収支)が良くなっていることがわかります。
このまま続ければ、税収が増え続け、構造改革や増税をしなくてもやがて赤字は無くなると政府は言います。

実は、これは幾度も繰り返して来た夢想です。
このグラフの2007年(リーマンショックの前年)も税収が増えていますが、その後は極端に減っています。
つまり、株価上昇(黒線)によって株価総額が数百兆円増加し税収が増えても、バブルが弾けると激減するのです。
結局、実体経済(赤線)は良くなるどころか、悪くなりました。

ここで本質的なことは、日本経済に潜在的な成長力があるのか、またその成長力の根源は何かを知ることです。
もし成長力が無いのに、金融だけで刺激すると既に指摘した問題が発生します。



日本に潜在的な成長力はあるのか





< 4. 日本の人口と生産性の推移、「総務省」と「文部科学省」より >

人口構造と人口が一定であれば、生産性(労働、資本、技術)が上昇することにより経済は成長します。
しかしグラフFが示すように、1995年から生産年齢人口割合(一番上の折れ線)が減少の一途です。
つまり今後、数十年間、生産年齢人口(青棒)が減ることにより、生産性が一定でも経済は減速を強いられます。
このことはグラフGの生産性寄与度の合計よりも、GDP成長率(青線)が下がっていることでも確認できます。
(グラフ内の全要素生産性寄与度は、様々な経済指標から他の二つの寄与度を計算した残余で、この生産性による分析は不明瞭な所があります。)

それでは、なぜ生産性が長期に衰退傾向にあるのでしょうか?
実は、別の人口要因が生産性を低下させている可能性があるのです。





< 5.平均寿命増加率とGDP成長率の関係、グラフIは厚生省のデーター使用 >

グラフHによれば、平均寿命は1950年から急激に伸び始め、2010年以降、その伸びは急速に鈍化している。

グラフIは、グラフHの平均寿命から増加率を計算しグラフにしたものです。
これによると、平均寿命の増加が戦後の1960~70年代の経済成長を呼び込み、その後の日本経済の長期低迷も説明しているように見える。
青枠は、敗戦後からベビーブームの高校生が就職し始めるまでの期間で、彼らが生産に関与していない時期です。

平均寿命が急速に延びる時、生活環境の好転と健康増進が起きており、人々は将来に希望を抱き、労働意欲に燃え、老後に備えて貯蓄します。
この高い貯蓄率が投資に向けられ、経済成長の好循環が起きると考えられます。
この相関は一部の経済学者によって確認されているが、まだ解明途上のように思います。
私は、文明史や人口学、社会学、心理学の視点から言って、もっともうまく説明していると思います。

もしこれが真実なら、今後、日本経済は容易に成長しないことになる。


結論
折に触れてブログに書いているが、現在の欧米の経済政策では、益々景気不景気の波が高くなり、国内と国家間の貧富の差が拡大し続け、破綻の可能性があると私は懸念しています。

真実に目を背け、行き過ぎた夢想に期待することは危険です。
真実に目を向け、対策を立てるなら、必ず道は開けるはずです。










20151126

I visited colored leaves of Nara prefecture 2


奈良の紅葉を訪ねて 2



< 1.  A main hall in the right side and A main gate in the left >
< 1. 右が本堂、左が楼門 >

I introduce Chogakuji temple of Nara prefecture.
I went to see colored leaves, but our sightseeing time was over by an explanation by a picture of hell almost.
However, this was very good.

今日は奈良県天理市の長岳寺を紹介します。
紅葉を見に行ったのですが、ほとんど大地獄絵の絵解き説法で観光時間が終わりました。
これが非常に良かった。



< 2. the main gate >
< 2. 楼門 >

This is the oldest main gate with bell house that a bell once was set up the upper part of, and was built in the last of the 12th century of the Heian era.

日本最古の鐘楼門で、上層に鐘を吊った遺構があり、平安時代末期頃(12世紀頃)の建築です。




< 3. a view of prayer hall from the main hall >
< 3. 本堂前から拝堂側を見る >



< 4.  a view of a pond from the main hall >
< 4. 本堂の縁側から放生池を望む >



< 5.  a view of the main hall from the pond >
< 5. 放生池から本堂を望む >



< 6.  Amida Triad statue in the main hall >
< 6. 本堂にある本尊の阿弥陀三尊像 >

Zocho-ten that was one of the Four Guardian Kings is seen to the left, and there is Tamon-ten that was one of the same in the right side.

向かって左に増長天が見え、その右には写っていないが多聞天がある。

About Chogakuji temple
This temple was built in 824, and there were as many as 48 sub-temples and about 300 Buddhist monks at the peak.
Amida Triad statue was made in the last of the Heian era (about the 12th century),
And Zocho-ten and Tamon-ten was older than it.
Now, this temple became little, but seasonal flowers in the vast precincts seem to be famous.

I was surprised that I can look near the 5 statues being National Important Cultural Property.

長岳寺について
ここは真言宗の寺で、創建は824年と古く、盛時には48の建物、僧侶300名ほどを要したそうです。
阿弥陀三尊像は平安末期(12世紀頃)、増長天・多聞天は平安中期と更に古い。
今は寂れた寺だが、境内12000坪の花が有名だそうです。

私が驚いたのは、国指定重要文化財の5体の仏像を間近でじっくり味わえることでした。



< 7.  the left is the Amida statue, and the right is Tamon-ten >
< 7. 左が阿弥陀如来像、右が多聞天像 >

When I sat near front of Tamon-ten and I heard the explanation by a chief priest about a picture of hell along with seeing it, I was overcome by deep emotion.
The exposition of the picture of hell is limited at this time of year.
Once, Many believers would feel an intimate connection with a crime and the Pure Land by seeing a similar picture of hell, and they would be assured of Buddha’s help with seeing gentle Amida Buddha and rageful Tamon-ten.

多聞天の直ぐ前に座り、壁に掛かった地獄絵を見ながら住職の絵解き説法を聞いていると
感慨深いものがあった。
大地獄絵の御開帳はこの時期に限定されています。
かつて、多くの信徒が地獄絵で罪と浄土を身近に感じ、憤怒の多聞天と柔和な如来に接して救いを確信したことだろう。



< 8.  large picture of hell >
< 8. 大地獄絵 >

The main story of this picture: After cremation, dead persons go through Hades in numerical order, and it judged whether they are sent to hell or the Buddhist paradise at the last.

地獄絵のストーリー: 死者は火葬された後、番号順に冥界を進み、最後に地獄か極楽行きかが決まる。

About large picture of hell 
This was drawn in the early of the Edo era (the 16-17th century), the mean size of 9 hanging pictures is about 90 cm in width, and about 250 cm in length.
The story of this picture originates in Buddhist scripture "Ojoyoshu" of the 10th century, and furthermore its origin is from the Pure Land Faith birthed in India in about the first century.

この大地獄絵について
これは江戸時代初期(16~17世紀)の作で、一つ掛け軸の巾約90cm、縦約250cmで9幅の連作です。
地獄絵のストーリーは10世紀の源信の仏書「往生要集」が元になり、さらにその起源は1世紀頃に生まれたインドの浄土信仰(大乗仏教の経典「阿弥陀経」など)に遡る。



< 9.  the main points of the large picture of hell >
< 9. 大地獄絵の要点 >
Upper picture:  In upper part of No. 5, Emma Daio judges merits and demerits of a dead parson.
Central picture:  In central part of No.6, person having had crime gets dropped into the blaze hell.
Lower picture:  In central part of No.9, Buddha comes to pick up good person to the Buddhists' paradise.

“ Keep on doing good deeds” of Buddhism and “devote to own parents” of Confucian still are living teachings in our mind.


上図: 掛け軸5番の上部。閻魔大王が、死者の功罪を審判している。
中央図: 掛け軸6番の中央部。 罪ある者は火焔地獄などに堕とされる。
下図: 掛け軸9番の中央部。 善行ある者は如来が極楽浄土へと迎えに来てくれる。

今も日本人の心に、仏教の「善行を積む」と儒教の「孝徳を尽くす」の教えが息づいている。



< 10.  A sacred book and Buddhist invocation
< 10. 経典と念仏 >

Very roughly speaking, the Japanese Buddhism was divided into popular religion of believers chanting the Nenbutsu (Buddhist invocation) and Zen Buddhism of samurai attaching importance to discipline own mind.
I think the Nenbutsu became very popular among the common people under favor of the picture of hell and "Ojoyoshu".   
The Pure Land Faith preached the Nenbutsu as means to go to the Buddhists' paradise.
On the other hand, sacred books of Buddhism had been written in Chinese character, and many people were not able to read.
Thus, the explanation by a picture of hell became very popular across the whole country by street performers and priests in the Edo era.

Afterword
Accidentally, I was surrounded by Buddhist statues of the Heian Period and could hear the explanation of a picture of hell.
I could contact a Japanese culture descending from ancient times.


日本の仏教は大雑把に言って、念仏を唱える民衆の宗教と、精神修養を重視する武士の禅宗に別れました。
南無阿弥陀仏など、仏の名前を唱える念仏が広まったのは、「往生要集」と「地獄絵」のおかげとも言えます。
浄土信仰は、極楽浄土に行く手段として念仏を説いていた。
一方、仏教の経典は中国の漢字で書かれており、多くの民衆は読むことが出来なかった。
こうして地獄絵の絵解き説法は江戸時代には大道芸人や僧侶によって全国に普及するようになっていた。


あとがき
私は偶然にも、平安時代の仏像に囲まれて地獄絵の絵解き説法を聞くことが出来ました。
いにしえからの日本の文化に触れる思いがしました。








20140922

A separation from the carp




carp



< 1. left is the red carp, center is big white carp, right is red and black-dappled small carp, photo from October,2011 >

Today, I would like to talk about slightly lonely story that I obtained a good lesson by.
It began from keeping some goldfishes and some carps together.


今日は、少し寂しくて、教訓を得た鯉の話をします。
それは金魚と鯉を一緒に飼うことから始まりました。


big goldfish,three young carps,
< 2.  left is big goldfish, right are three young carps, photo from October,2011 >

The beginning of it
My wife has brought some young goldfishes.
After several years from when I began to keep it with an aquarium, only red goldfish survived and grew big.
The red goldfish has pursued other goldfishes and is evil and has vitality.

Around Five years ago, because she got three young carps, I decided to keep it with two aquariums separately.
Before long, the largest white carp grew until over 20 cm, had the glittering silver beauty, and became larger than the red goldfish.


ことの始まり
妻が金魚の稚魚を数匹持って帰って来ました。
水槽で飼い始めて数年経つと、赤い金魚だけが一匹生き残り、大きくなりました。
赤い金魚は他の金魚を追いかける性悪で生命力のある金魚でした。

5年ほど前、鯉の稚魚を三匹貰いましたので、二つの水槽で別々に飼うことにしました。
やがて一番大きい白い鯉は20cmを越えるまで成長し、銀色に照り輝く美しさがあり、赤い金魚よりも大きくなっていました。

Then, I bought an aquarium of 60cm and put into it the three carps and the red goldfish together daringly.
Before long, the red goldfish came to occasionally pursue the white carp.
One day, the white carp had been floating.
Since then, red and black-dappled small carp came to be pursued by the red goldfish and died.

Therefore I released the red goldfish to the big pond one year ago.


そこで60cmの水槽を買い、思い切って三匹の鯉と赤い金魚を一緒に入れました。
やがて赤い金魚が白い鯉をときおり追いかけるようになりました。
私は、それを見つけると水槽に長い箸を入れ、赤い金魚を追い払うことまでしました。
しかし、ある日、白い鯉は浮いていました。
その後、一番小さな赤黒の鯉が赤い金魚に追われるようになり、やがて死にました。

そこで、1年前、赤い金魚を大きな池に放ちました。


red carp
< 3.  The red carp surviving till the last, photo from September, 2014 >

The red carp survived in solitude grew up to near 30cm, and then the aquarium became small.
A few days ago, I released the red carp to the pond in my walking course.
I am looking in the pond for meeting the carp every day, but I cannot meet.
However, the carp seems to be living healthily.

残った赤い鯉は一匹ですくすくと成長し30cm近くになり、水槽が手狭になりました。
数日前、この鯉を私の散歩道にある池に放ちました。
毎日、姿を見たくて池を覗きますが、会うことはかないません。
しかし、どうやら元気に暮らしているようです。

What the red carp taught me
When the red goldfish clung to these carps, the white carp was the most sensitive and escaped.
On the other hand, the second biggest red carp hardly moved, even if the red goldfish clung to it.
In light of the situation of two dead carps, I found that the super-sensitive response by fearing and hating would ruin itself.
I disliked the red goldfish and had feeling of the pity to the white carp, but I got over it.

In this way, many goldfishes and carps went away from my side.


鯉が教えてくれたこと
赤い金魚が鯉達にまとわりつくと、白い鯉が一番、過敏に逃げていました。
一方で、二番目に大きな赤い鯉は、金魚が寄って来ても、ほとんど動きませんでした。
二匹の死んだ鯉を見ていると、怖がったり嫌がったりして過敏な反応することは身を滅ぼすことになると気づかされました。
私は赤い金魚が嫌いで、白い鯉に憐憫の情を抱いていましたが、吹っ切れるものがありました。

こうして多くの金魚と鯉が私の側から去っていくことになりました。






20130702

History of sickness and medical art 3:  Start of the cure 2

 

Following last article, I search for the oldest cure.

Method to exclude the epidermal parasites alone.

An elephant and a buffalo, etc. exclude the epidermal parasites by covered of sand, and rolling.

The chimpanzee changes a place on a tree every day and makes new nest.
If the chimpanzee sleeps in the same place, he spread out new sprig on the nest.
This is to control the growth of the crab louse that causes the skin disease.
The human race evolved in the direction that loses hair in taking measure for crab louse about 1,200,000 years ago.


前回に続いて、最古の治療を探ります。

表皮の寄生虫を自分で除く方法

象やバッファローなどは砂を被ったり、転がったりして寄生虫を除去しています。

チンパンジーは木の上に毎日場所を変えて巣を作るのですが、同じ場所に寝る場合は新しい小枝を敷き直します。
これは皮膚病を招くケジラミの発生を抑制する為と考えられます。
人類は、約120万年前、このシラミ対策で毛を無くす方向に進化した。



<  A nest of chimpanzee >

The oldest type among the care of health to others.

In that context, isn't a symbiosis of cleaning fishes in a tropical coral reef the oldest type?
A little cleaning fish enter a large fish's mouth, and can get bait while the fish was protected.
Interestingly, the both of them became familiarity mutually and have obtained profits mutually.


他者への養生で最も古いタイプ

熱帯の珊瑚礁で、掃除魚の共生が最も古いタイプではないでしょうか。
小柄な掃除魚が大魚の口の中に入り、身を守ってもらいながら餌にありつけるのです。
大魚は口内を清掃してもらい、移動したくなれば口を少し閉じ、掃除魚は口から出ていきます。
おもしろいことに、互いに馴染みになり相互に利益を得ているのです。



<  A symbiosis of cleaning fishes >

Does the animal understand other pains?

The university in Canada and the United States confirmed the mouse reacted to other pains by the experiment.
When a mouse that was putted in a glass vessel is given the pain by a medicine or an electroshock, other mouse that has seen the pain becomes sensitive and shows a similar pain reaction (expansion of the body etc.).
When a mouse noticed that the cause of giving the pain is in his operation, treading on a pedal was conditioned in advance by an experiment, the mouse comes to stop the operation.
If the mouse that receives a pain is unfamiliar one, in the case of a male, the sensitivity becomes low unlike a female.





動物は他者の痛みがわかるのだろうか?

カナダやアメリカの大学でマウスが他者の痛みに反応することを実験で確認した。
ガラス容器に入れられたマウスが薬や電気ショックにより痛みを与えられると、それを見たマウスも痛みに敏感になり、また同様の痛み反応(体の伸張など)を示す。
痛みを与える原因が自分の動作(実験で条件付けらえたペダル踏みなど)にある場合は、相手の痛みの反応を見て止めるようになる。
雄の場合、雌と違って、その痛みを受ける者が、知らない者であればその感受性は鈍る。
いつも愛情深いのは女性のようです。



Summary
l       It is universal in varying degrees that the animal gives the prevention and cure of sickness by oneself.
l       The chimpanzee is adequately selecting and practicing a cure that they get out the parasitic insect of intestines. It is a kind of food culture.
l       Caring for the others and recuperating oneself deepened with development of intelligence. Development of reciprocal altruistic behavior.
l       Development of ability to sympathize with other pains. A mirror neuron that produces sympathy exists in brain.

Conclusion
By cerebral evolution, the animal performed better exactly the sick prevention and the cure.
And the caring for others has been developed by the development of sympathy.
Though the behavior in the first stage had been ruled by the inheritance, after that, the acquired thing became important.


まとめ
l       動物が自ら病の予防や治療を行うことは、程度の差はあれ普遍的。
l       チンパンジーは、腸内の病源を除く治療を的確に選択実行している。食文化の一種。
l       他者を介護し養生することは知能の発達と共に深まった。互恵的利他行動。
l       他者の痛みに共感する能力の発達。共感を生むミラーニューロンが脳に存在。

結論
脳の進化により、動物は病の予防と治療をより的確に行い、感情や共感の発展により他者の介護を発展させた。初期は遺伝に支配されていたが、後に後天的なものが重要になっていった。