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20200820

中国の外縁を一周して 49: 雲南民俗村を楽しむ 3

  







*1

 

 

今回で、雲南民俗村の紹介は最後になります。

最後に、巨大な湖、滇池に面した海埂公园を紹介します。

 

 

 

< 2.散策ルート、上が北 >

 

上: 雲南民俗村と海埂公园

3回にわたって紹介した散策ルートを赤、茶、黒、橙色の線で示します。

右上から始め、中央の下で終わります。

 

下: 今回の雲南民俗村の散策ルート

前回に続いてSから始め、Rで昼食をとり、出口Eで場外に出ます。

 

 

 

< 3. 今回紹介する少数民族の衣装 >

 

Hui= 回族(カイ族)、man=满族(マン族)、bai=白族(ペイ族)

Naxi=纳西族(ナシ族)、meng=蒙古族

 

これらの衣装は、何処までが正式な伝統衣装かは不明です。

今、中国の若い人は民族衣装をコスプレとして楽しみ、ネットで様々にアレンジされたものが多く販売されている。

 

man=满族(マン族)の冠は、清朝の皇女の大きなカツラを連想させる。

 

bai=白族(ペイ族)の冠には白い羽飾りが付いている。

これは未婚女性のもので、民族名の由来だそうです。

 

Naxi=纳西族(ナシ族)の装束では、タスキがどうやら特徴のようです。

 

meng=蒙古族は人口が多く、部族が異なると衣装もかなり異なる。

 

 

 

 

< 4.回族のモスク(清真寺) >

 

蘭州で、立派なモスクを見ました。

 

 

* 回族について

 

中国最大のムスリム(イスラム教徒)民族集団で、言語・形質等は漢民族と同じです。

中国全土に広く散らばって住んでおり、人口は約1000万人で、中国に住むムスリム人口のおよそ半数を占める。

 

回族の起源は、対外交易が盛んであった唐から元の時代に、中央アジアやインド洋を経由して渡ってきたアラブ系・ペルシア系の外来ムスリムと、彼らと通婚し改宗した在来の中国人(主に漢族)にあると言われている。

 

同じイスラム教徒でも、問題になっているウイグル族との違いは何か?

 

彼らは、遊牧民のテュルク系遊牧民族(トルコ系)でウイグル語を話す。

彼らは新疆ウイグル自治区やカザフスタン・ウズベキスタン・キルギスなど中央アジアに暮らし、人口約1千万人です。

彼らの宗派はイスラム教スンナ派です。

 

一方、回族の宗派もスンナ派だが古いタイプのHanafi派です。

恐らくは、イスラム教では宗派が異なると交流が進まないので、言語・形質も異なる回族ではウイグル族の影響を受けないのだろう。

 

成都や蘭州で回族を多く見ました。

 

 

 

< 5. 満族の家 1 >

 

* 満族(満洲族)について

 

ツングース系民族で、古くは女真族と呼ばれ、狩猟と簡単な遊牧・農耕も行っていた。

17世紀に清朝を興した。

現在、中国全土に1000万人、雲南に1万人程いるが、これは清の時代に来た人々です。

漢人との交流が長いので、漢民族に同化してしまっているようだ。

どこまで生活や住まいに、満州民族の伝統を残しているかは分からない。

 

面白い現象がある。

ここ十年ほどで満族の人口が3.5倍に増加している。

これは中国が少数民族を優遇しているので、優遇措置を受ける為だそうです。

 

* 中国の少数民族の優遇政策について

 

漢民族に適用されていた「一人っ子政策」は少数民族には適用されていなかった(現在、中国全体で廃止)。

少数民族の学生は進学で優遇され、例えば学費減免や奨学金、入学試験の加点などがある。

少数民族の家庭に支給される一人っ子手当てが漢民族家庭の2倍であったり、職場内で昇進しやすいこともあるようです。

 

実は、このような少数者の立場向上を図る優遇政策は他でも見られる。

例えば、共産党以外の政党が認められているが、共産党以外の党に属している者には官吏採用の優先枠がある。

米国やインドのアファーマティブ・アクションに似た事が行われている。

 

私達、日本人は、マスコミから中国の悪い面だけを印象付けれているが、実は内部では、様々な融和策や弱者対策が広く行われている。

 

日本はこれに比べてどうでしょうか?

国連からも非難されていたアイヌの旧土人保護法が廃止されたのは、やっと1997年でした。

 

 

 

< 6. 満族の家 2 >

 

 

 

 

< 7. 満族の家 3 >

 

 

 

< 8. 昼食のレストラン 1 >

 

ここは民族餐厅(民族村北路店)で、最も大きくて、ほぼ中央にあります。

ビュフェ形式の食事があり、写真奥の方でやっています。

私は単品料理を注文しました。

品数は多く無く、料理は手軽なものが多いようでした。

 

上: 店内

 

下: 写真に見えるレジで注文します。

 

 

 

< 9. レストラン 2 >

 

上: 厨房です。

 

下: 注文した料理。

特段に美味しいわけではないが、日頃食べない味を楽しめた。

 

 

 

< 10. 白族の村 >

 

上: 大理のシンボルと言われる崇聖寺の三塔のレプリカ。

そこそこの大きさがあります。

これで大理に行かずとも見ることが出来た。

 

下: 白族の村

立派な造りの家が並ぶ。

さすが一時、今の雲南の領域に大理国を建国しただけはある。

残念ながら13世紀に元(モンゴル帝国)に滅ぼされた。

 

* 白族について

 

雲南省大理を中心に住むチベット系民族。

約人口190万人の内、約120万人はシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派のペー語を話し、残りは主に中国語を使用している。

かつては大理国を作っていたが、漢族との交流の歴史も長く、漢語をペー語に取り入れている。

牧畜の歴史が長く、乳製品を作っており、中国語で乳扇と呼ばれているチーズが知られている。

漢族の雲南料理同様に、トウガラシで辛く味付けした料理が多い。

米を主食にしたり、ワサビを食用にするなど、日本人と共通する文化も見られる。

 

以前、福建省で客家料理を食べた時、日本の醤油味に似ており、美味しく食べたことがある。

 

 

 

< 11. 纳西族の家  >

 

麗江で宿泊したホテルがこのような造りだったので驚きはなかった。

しかし他の少数民族の家屋に比べると立派な事に気が付いた。

これも茶葉古道の要衝として栄えたからだろう。

 

 

 

< 12.麻栏式民居 >

 

この建物は中国南部(雲南など)に多い様式で、木や竹で造られた2階建です。

2階に人が住み、1階は動物小屋になる。

桂林の山岳民族にも似た家屋があった。

恐らくは湿気を避けるための工夫でしょう。

 

纳西族については「中国の外縁を一周して 33: 东巴文化博物馆から麗江古陳まで」などで紹介しています。

 

 

* 蒙古族について

 

四川省・雲南省のモンゴル族は、元朝以降に移住した人々です。

遊牧民から稲作を中心にした農業に転換した一方で、習俗などはモンゴル族のものを残している。

蒙古族の人口は約600万あり、モンゴル国の人口が約300万人なので、中国国内の方が多い。

 

 

* 中国旅行の少数民族について感じたこと

 

今回の「中国の外縁を一周して」の旅で、知りたかったことの一つが、中国の少数民族の今の暮らしと歴史でした。

 

中国政府は、チベットとウイグル族の扱いで、世界から人権蹂躙を非難されている。

また今回、私が旅行しようとしたら、突如として香港が騒乱状態となり、迂回しなけらばならなくなった。

中国は、香港や台湾に対しても高圧的な態度をとり続けている。

 

これらは、いつか暴発する可能性があり、内乱から経済混乱へと至り、日本などに多大な影響を与えるかもしれない。

この事が気になり、少数民族問題が起きそうな「中国の外縁近辺」を旅先に選んだ。

そして新疆ウイグル自治区に近く回族が多い蘭州、多くの少数民族が暮らす麗江と昆明を旅した(歴史的・文化的な興味もあり)。

 

今、私が感じている事は、中国は想像以上に弱者(少数民族など)に配慮し優遇政策を行い、融和を図っていることです。

そして、困難な少数民族の生活向上と意識向上を上手くやり遂げているようでした。

世界の多くの国では、少数民族の扱いに苦労している。

 

翠湖公園で見た、様々な少数民族衣装を身にまとい楽しく踊っている人々の表情を見て、私の懸念は雲散霧消した。

むしろ満足な暮らしぶりと言えるでしょう。

 

中国では少数民族だけでなく共産党以外の党人、高齢者への優遇政策が進んでいる。

 

あらゆる都市で出会った高齢者(50から60歳で退職)は男女の区別なくたくさん旅行しており、公園では日長、孫や友人と寛ぎ、趣味を楽しんでいた。

彼らは年金や退職金でのんびりと暮らしている(その額は企業規模や都市戸籍と農民戸籍で差はあるだろうが)。

 

この様子は北欧三ヵ国を歩いて感じた、勤労世代からリタイア後の余裕ある暮らしを彷彿とさせた。

60歳過ぎてもあくせくと働かなければならない日本と比べれば優雅でした。

また多くの中国の観光施設や公共施設の入場料が60歳から70歳で、半額から無料となっている。

 

米国の黒人や移民への扱いは、今の大統領になってから一層酷くはなっているが、長年の人種差別や融和政策の欠如が亀裂と混迷を深めている。

日本も、益々弱者に対して苛烈になっている。

 

中国は懸命に問題解決に取り組んでおり、北欧が成し遂げた移民や少数民族との融和を成し遂げる時が来るかもしれない。

中国は後進的な経済から急激な経済発展を成し遂げつつあるので、舵取りは難しいだろう。

北欧も、今の素晴らしい経済力と社会・政治力は、ほぼ大戦後に成し遂げた。

中国は強権をもって改革を断行出来るが、良い場合もあり、悪い場合もある。

 

日本人は、隣国の言語を理解出来ず、隣国に友人や知人もいないので、甚だ情報が偏りがちで、ステレオタイプの見方に陥りやすい。

 

 

今回、外縁を見て回ったことにより、中国の民族移動の歴史を理解する切っ掛けになった。

雲南省と四川省は、民族的にもチベットと深い関係があることがわかった。

やはり現地を訪れて初めて実感できるものがあり、成果に満足している。

 

 

 

< 13. 蒙古族の村 >

 

上: モンゴルの家、ゲル。

かなり痛んでおり、中に入ることは出来なかった。

 

下: 雲南民俗村を出て、湖岸に出た。

そこは海埂公园で、右手にこれから行く巨大な崖が見える。

あの崖に岩窟の寺がある。

 

 

 

< 14.海埂公园 >

 

 

次回に続きます。

 

 

20200809

中国の外縁を一周して 48: 雲南民俗村を楽しむ 2

  


*1

 

 

今回も、主に雲南省で暮らす少数民族を紹介します。

少数民族の祝祭の踊り、ショーも紹介します。

 

 

 

< 2.散策ルート、上が北 >

 

Sから始めて、赤線に沿って見学し、Eまで行き、Eの茶色の広場で20分のショーを見ました。

この間の所要時間は約1時間でした。

通った少数民族の村は、傈僳族(リス族)、普米族(プミ族)、独龙族(トールン族)、苗族(ミャオ族)、拉祜族(ラフ族)、基諾族(ジーヌオ族)の順です。

家屋を見たのは独龙族(トールン族)、基諾族(ジーヌオ族)だけです。

 

 

 

< 3. 少数民族が暮らす地域。上が北 >

 

茶色枠が雲南省、赤丸は麗江と昆明で、黄色線が新幹線です。

Li=傈僳族(リス族)、Pu=普米族(プミ族)、Du=独龙族(トールン族)は麗江の西側に集中しています。

Mi=苗族(ミャオ族)は雲南省東南部に広く分布しているが、むしろ他の省や中国外にも多く住んでいます。

La=拉祜族(ラフ族)、Ji=は基諾族(ジーヌオ族)は南部で、プーアル茶の産地よりもさらに南です。

 

 

 

< 4. 六つの民族の服 >

 

略語は地図の表記と同じです。

これらは祝祭儀礼の時に見つける装束でしょう。

当然、老若男女の装束があるのですが、写真は若い女性の姿を選んでいます。

普米族(プミ族)の服は麗江のナシ族の服と似ています。

苗族(ミャオ族)は人口が多く、各地に分散しているので、部族によって祝祭の装束が異なるようなので2種類掲載しました。

 

東南アジアや中国辺境の地で出会う人々の顔を見ていると、時折、日本の役者や芸能人の顔に似ていることに驚かされる。

 

 

 

< 5. 広い通りと大きな池 >

 

 

 

< 6. 傈僳族(リス族)の村 >

 

*傈僳族(リス族)について

 

リス族は中国、ミャンマー、タイ、インドの国境にまたがって分布し、移動しながら焼畑農業を生業とする山地民でした。

総人口は120万人だが、中国では60万人ほどです。

言語はチベット・ビルマ語派に属し、文字を持っていたが、一部でしか使用されていなかった。

唐の時代は四川省南部から麗江に暮らしていたが、ナシ族の支配を逃れて西方に移動した。

宗教は、霊魂不滅と多神教、トーテム崇拝が特徴で、祭祀は村のシャーマンが主宰した。

 

 

 

 

< 7. 刀杆广场 >

 

上: 刀杆广场

 

下: どの民族の住居は不明(失念)

傈僳族と普米族の可能性もあるが、独龙族のものだろう。

 

* 普米族(プミ族)について

 

プミ族は人口3万人ほどで、ほとんど雲南の限られた地域で、農業を主にし、牧畜業を副業として暮らしていた。

言語はシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派に属し、独自の文字を持たない。

社会経済の発展は様々で、宗教は祖先崇拝とアニミズムが主で、一部でチベット族との交流によりラマ教が信仰されている。

 

 

 

< 8. 独龙族(トールン族)の樹上家 >

 

* 独龙族(トールン族)について

 

トールン族は人口7000人ほどと少なく、雲南の限られた地域で、農業を主に、採集や漁労も兼ねた。

言語はシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派に属し、独自の文字を持たない。

かつては木を刻み結縄して、事柄を記録し、便りとした。

社会経済の発展は遅れていて貧しく、原始共同体の名残りがあり、氏族間の結婚を禁止していた。

かつて顔に刺青を入れる風習があった。

宗教は精霊信仰(アニミズム)です。

シューマンは祭祀儀礼を執り行うだけでなく、病を治癒する為、引き起こしている様々な鬼を調べた。

 

 

 

 

< 9. 独龙族(トールン族)2 >

 

外壁は丸太を組んでいるが、内壁は編んだ樹皮で覆われている。

二階の窓から覗くと、家屋の屋根が板で葺かれていることがわかる。

 

 

 

 

< 10. 苗族(ミャオ族) >

 

上: 苗族の村の入り口

ここには入らなかった。

 

下: 後に訪れる西山風景区の山並みが見える

 

* 苗族(ミャオ族)について

 

ミャオ族は総人口1100万人で、中国国内890万人の内、貴州省に多い。

また東南アジアにも分布し、ラオスから移住し米国(Hmongと称す)に17万人が暮らす。

言語はシナ・チベット語族ミャオ・ヤオ(瑶)語派に属し、三種類の方言があり、互いに通じない。

山間盆地や斜面に暮らす山地民で、焼畑で陸稲や畑作物を作って移動を繰り返してきた人々と、棚田を作って水稲稲作を行う定着した人々がいる。

多くの地区では封建地主制経済段階にあった。

自民族だけで集居するほか、漢民族や他民族と雑居して来た。

宗教は、主に自然崇拝、鬼神崇拝と祖先崇拝で、シャーマンが宗教儀礼を執行した。

 

ミャオ族の歴史は古く、紀元前5千年紀に始まる長江中流域の新石器時代の大渓文化の人骨の多くがミャオ・ヤオ語族に関連されるとしている。

歴史的に確かなのは宋代以降、漢民族の南下に伴って、長江流域から山岳内陸部に移動したと考えられる。

 

 

 

 

< 11. 拉祜族(ラフ族) >

 

上: 拉祜族(ラフ族)の村への入り口

 

下: 入口を入った広場

 

 

< 12. 拉祜族(ラフ族)2 >

 

上: 入口を入った広場

 

下: 家屋

 

* 拉祜族(ラフ族)について

 

ラフ族の総人口は100万人で、多くは雲南省45万人、他は中国と東南アジアに暮らす山岳民族です。

言語はシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派に属す。

主に焼畑農業を生活を続けて来ており、封建地主制経済の発展段階に入っていた。

宗教は、原始的な自然崇拝と祖先崇拝です。

 

 

 

 

< 13. 拉祜族(ラフ族)の広場でのショー1 >

 

上: 開幕の挨拶

すべての説明は中国語です。

 

 

< 14. 拉祜族(ラフ族)の広場でのショー2 >

 

上: 新婚に扮した男女が素早く動く竹の棒をかわしながら軽快なステップを行う。

以前、テレビで見たことがある踊りでした。

多くは男女の集団の踊りで、幾つかの踊りや祝祭儀礼のシーンが組み込まれているようです。

ショーは拉祜族のものとは限らないような気がします。

後に、観客から一組の男女が選ばれ、同じように踊らされ、爆笑を誘った。

演者達は表情豊かに一生懸命に踊っていた。

 

言葉が分からなくても楽しいひと時でした。

 

 

* このショーのビデオ映像

12秒と17秒の踊りの映像です。

 


 

 

< 15. 基諾族(ジーヌオ族)の大きな家 1 >

 

上: この部屋は長男のものだろう。

入口の上にある木彫りの面が面白い。

他の家族は雑魚寝になるのだろう。

 

下: 大きな広間の真ん中に囲炉裏がある。

囲炉裏は生活の中心のようだ。

 

* 基諾族(ジーヌオ族)について

 

ジーヌオ族の総人口は2万人と少なく、雲南省の山間部にだけ住む。

言語はシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派に属し、文字はない。

かつて、竹や木を刻んだり、トウモロコシの粒を数えて事柄や数を記録した。

かつては粗末な農具しか持たない焼畑農耕を行い農村共同体を営んでいた。

宗教は、原始宗教の段階に留まっていた。

各村には二種類の異なる役割を担ったシャーマンがいた。

 

 

 

< 16. 基諾族(ジーヌオ族)の大きな家 2 >

 

上: 額の写真は竹製の打楽器だが、下の壁に見える竹製の物は口琴のようだ。

 

下: 水を貯める木桶のようだ。

 

 

 

< 17. 基諾族(ジーヌオ族)の大きな家 3 >

 

上: これが部屋を見た家の外観です。

 

下: 庭にトーテムポールが並んでいる。

 

 

* 補足説明

 

民俗村では少数民族の原始的な暮らしを見ているが、現在の暮らしとは異なる。

展示されている暮らしや家屋、家具や道具などは中国の解放政策以前の姿だと思われる。

中国は1950年代から、少数民族の近代化を進め、各民族の自治区を設け、かつ中国政府と一体になる政策を進めて来た。

私の各民族の説明も、開放以前の古い状況だと思ってください。

 

日本にも先住のアイヌ民族がいるが、小国ベトナムでも30を超える少数民族がおり、アジア各国は多くの少数民族を抱えている。

少数民族の文化には興味深いものがあるが、政治的には困難が付き纏う。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

20200730

中国の外縁を一周して 47: 雲南民俗村を楽しむ 1







*1

 

これから数回に分けて、雲南民俗村を紹介します。

ここには雲南に暮らす25の少数民族の家屋、暮らし、衣装、祭事などが再現されています。

民族学や異文化に興味がある人には垂涎ものでしょう。

 

 

 

< 2. 先ずは門をくぐって >

 

売店が並ぶ通りを抜けて、チケット売り場に向かいます。

 

 

 

< 3.チケット売り場 >

 

上: チケット売り場

写真は各民族衣装を着た女性達がお出迎えしてくれた。

 

下: チケット確認の入場門

 

入場料は大人90元ですが、70歳以上だったので45元でした。

中国は、他国に比べ高齢者の割引が大きく、優遇している。

 

 

* 雲南民俗村について *

 

少数民族の博物館としては中国最大規模です。

この直ぐ隣に一般的な雲南民族博物館がありますが、妻も楽しめるだろと思い、この雲南民俗村を選びました。

 

特に良かった点

A 敷地内ではこの日、9:30から16:10の間に、23もの各民族の20分間の演舞が行われていました。

すべて無料で、他に有料のショーもいくつかあります。

入場時に演舞時間表をくれます。

 

B 敷地内には民族衣装を来た多くのスタッフがおり、案内や暮らしの再現を行っている。但し中国語。

 

C 建物や衣装、民具、祭事場と家屋周辺の自然環境の再現が丁寧に行われているように思える。

 

 

残念な点

D 案内や説明に日本語表記がほとんどなく、見るだけで終わった。

 

E 敷地が広大すぎて、見学と昼食に3時間半かけても半数ほどの村を素通りしただけでした。

また演舞も初めから終わりまで見たのは20分間の1本だけでした。

演舞の場所を探し、最前列に座って待つだけでも時間が掛かる。

もっとも時季外れなのか、観客は多く無かった。

演舞の時間が、重なっている場合もある。

 

全体としては、私にとって素晴らしいテーマパークでした。

 

 

 

< 4. 中国の少数民族 >

 

中国には56の少数民族が暮らし、その合計人口は8%を占める。

漢民族が大陸の中心部を占め、多くの少数民族は外縁部に暮らす。

最大なのはチワン族1700万人だが、紛争があるウイグル族は990万人、チベット族は540万人で、これに匹敵する規模の少数民族は他にも幾つかある。

 

今回、旅行して気付いたのは回族、1060万人を各地、特に開封、蘭州、麗江で見たことでした。

彼らはイスラム教徒なので、てっきりシルクロード沿いの西側、西安以西にだけ集中していると思っていたのですが。

回族の料理は、各地で不可欠となっていた。

 

元々、私は世界の文化人類学や民族学に興味がありました。

それは文化や宗教、社会の発展、そして他との交流の過程を理解するヒントが得られるからでした。

 

今回の中国旅行で最も知りたい内の一つが少数民族でした。

主に二つの理由がありました。

 

1. 中国政府が少数民族をどのように扱い、少数民族自身が意気揚々と暮らしているか?

 

中国政府は、ウイグル族やチベット族への強権的な対応で、世界から非難されている。

この政策が失敗すると、これらを含めた少数民族の不満が暴発し、中国の内乱要因になるかもしれない。

このことはやがて日本にも影響することになるだろう。

 

2. 中国南西部の山岳地帯、雲南地方の少数民族は文化的歴史的に見て興味深い。

 

紀元前一千年紀から漢民族が勢力を広げ、少数民族はその圧力に押されて辺境の地に散らばっていた、多くは南下し山岳地を転々とした。

福建省の客家、タイのタイ人、桂林のヤオ族、金沙遺址(成都)の蜀人は千年から二千年の時を経て移動した。

雲南省の各少数民族にも同様に歴史があるだろう。

雲南の地は西にチベットからインド、南に東南アジアへと交流し続けた歴史がある。

この地の少数民族の衣装や装飾品は素晴らしく、文字や神話も面白い。

 

 

これから速足で見学していきます。

 

 

 

< 5. 今回紹介する少数民族、上が北 >

 

上: 雲南民俗村の全景

敷地は東西1.2km、南北800mある。

赤枠が今回紹介する三つの民族展示場。

 

下: 上記の赤枠を拡大

今回紹介する三つの民族展示場。

赤線が主な見学ルート。

右の改札ゲートから入って、左下で終わりです。

 

 

 

< 6. 三つの少数民族 >

 

上: 黄色枠が三つの少数民族が暮らしている地域。

雲南省の西部、徳宏タイ族チンポー族自治州相当する。

盆地の標高は1000mまでだが、2000mほどの山脈に囲まれている。

彼らは亜熱帯の山間地で農業を営んでいた。

 

赤点は左から麗江、大理、昆明で、白線は新幹線のルートです。

 

 

下: 民族衣装

左は阿昌族(アチャン族)

中央は景颇族(チンポウ族)

右は德昂族(デアン族)

 

 

 

< 7. 阿昌族 >

 

阿昌族について

人口は3万人で、中国政府が公認する56の民族の中で39番目に多い。

言語はシナ・チベット語系チベット・ビルマ語派ビルマ語系に属する。

自民族の文字は無く、漢字などを使用。

かつては漢民族の地主による封建的な領主経済でした。

農業が主でしたが、手工業も発達していた。

辺境を守る駐屯兵から学んで作られるようになった阿昌刀が有名。

 

下: 民家

一階は土間で家事を行うところのようです。

 

 

 

< 8. 阿昌刀 >

 

上: 阿昌刀のようです。

 

下: 織物の実演。

 

 

 

< 9. 宗教的な部屋でしょうか >

 

宗教は主に小乗仏教のようです。

 

下: 台所でしょうか。

 

 

 

< 10. 景颇族 >

 

景颇族について

チベット・ビルマ語属で水田耕作、焼畑耕作を主とし、ミャンマー、雲南省、インドのアッサムに分布する。

総人口100万人と多いが、分散して暮らしているので言語も複数に別れ、生活水準や経済段階も様々。

雲南省には15万人が暮らす。

宗教は原始的でシャーマンが重用されていた。

 

上: 説明板

上から三行目に日本語表記があります。

 

中央: 広場に大きな柱が立っていた。

景颇族が毎年正月の15日から始める巨大な歌の祭典、目瑙纵歌节(ムゥナウゾング)があります。

この柱群はこの祭りの会場に立つ柱のようです。

数万人が打ち鳴らす長い太鼓に合わせて唄うようです。

 

下: 目瑙纵歌节の様子。

他のサイトから拝借。

 

 

 

 

< 11. 景颇族の長老の家 >

 

上: 池の端の祭祀場か

 

下: 長老の家。

立派でしっかりした大きな木造建築です。

どうやら首長が村を治めたのかもしれない。

 

 

 

 

 

< 12. 長老の家に入る >

 

上: 二階に上がる階段の壁にある不思議な飾り。

どうやら女性の乳房を模したものらしい。

私は卑猥に感じてしまったので、きっと何かの道具に違いないと、考えを巡らしたが、わからなかった。

 

後で調べると、これは階段の昇降に手摺りとして使われ、母親の偉大さに想いを馳せなさいということらしい。

 

中央と下: 家屋のすぐ横にある祭祀場

霊魂・精霊など崇めるアニミズムのようだ。

 

 

 

< 13. 2階の様子 >

 

仕切られた部屋は一部屋だけ設けられていたが、他は巨大なロングハウス(共用空間)で、おそらく家長が一部屋を使って寝るが、他は仕切りなしで寝るのだろう。

囲炉裏が二階にある。

 

 

 

 

< 14. 德昂族 >

 

上: 行先案内

 

德昂族について

雲南省とミャンマーに分布し、中国側の人口は2万人です。

言語は南アジア語系モン・クメール語族に属する。

自民族の文字は無い。

解放前までは長らく傣族(タイ族=タイ人と同じ語族)やチンポー族(景颇族)の統治と搾取を受け、社会経済は未発達でした。

宗教はタイ族の影響を受けて小乗仏教。

 

 

 

 

< 15. 德昂族の家屋 >

 

中央の写真に長い太鼓が見える。

これが景颇族の祭りで使われる楽器と同じなのだろう。

 

 

 

 

< 16. 寺院らしい >

 

おそらく德昂族のお寺と祭祀場なのだろう。

 

下: どことなくタイの寺院、チャオプラヤ川沿いにある「暁の寺」の小型版に見える。

 

 

次回に続きます。