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20180312

平成イソップ物語 18: 猫とネズミ







*1


昔々、ある川の傍に野ネズミがたくさん暮らしていました。
この川がしばしばが氾濫するので、皆困っていました。
そこに一匹の猫がやって来ました。



 
*2


猫    「 皆さん、困っているなら私が助けましょうか 」

ネズミ達 「 どうするのですか 」

猫    「 私が堤を作ってあげましょう 」

ネズミ達 「 お願いします 」

猫    「 それでは皆さん、土と石を集めて下さい 」
     「 必ず皆さんは私の指示に従って下さい。違反は許しません 」
     


一月ほど経つと、かなりダムが出来てきました。



白ネズミ 「 猫さん、隅の小さな穴から少し水が漏れています 」

猫    「 秘密にして下さい。皆完成に向けて頑張っているのでね 」



 
*3


さらに一月が過ぎました。

ネズミ達 「 猫さんのおかげで素晴らしい堤が出来ました。ありがとう。 」

猫    「 喜んで頂ければ本望です 」

白ネズミ 「 猫さん、隣山で聞いたのですが、あなたが作った堤が決壊し、多くのネズミが死んだそうですね 」


猫    「 それは想定外の洪水と彼らのずさんな工事のせいでした。 」

白ネズミ 「 隣山のネズミが、工事中に問題を指摘していたそうですね 」


その夜、猫はこっそりと逃げ出しました。


ネズミ達は皆で相談し決断しました。

「 皆、雨が降る前にこの地を捨てて他に移り住もう 」


やがて雨が降ると堤は決壊しましたが、ネズミ達は助かりました。









20180309

デマ、偏見、盲点 30: 暮らしのカラクリ 4: 煽られた競争


*1


今日は、少し複雑な話になりますが、「競争」に纏わる話をします。
「競争」は賃金、規制緩和、経済力を理解するには避けて通れない概念です。
実は、私達の「競争」の概念は間違った方向に誘導されていた。


* はじめに

「競争」に纏わる文言を挙げます。

A: この世は逆肉強食だから弱者を甘やかすな!

B: 規制緩和は市場に自由競争をもたらし、価格低下とサービス向上をもたらす!

C: 賃上げは企業の国際競争力があって可能だ!


この三つは、社会に厳しい競争があることを強くイメージさせます。
この論理の罠に気付くことは難しい。
これは経済上の勝者(超富裕層)が、競争と勝者こそが善であると信じ込ませて来た結果です。

これとよく似た状況がかってありました。
Aの論理が、19世紀の帝国主義が苛烈な折、白人が有色人種を搾取しても良い口実に使われた。
当時、白人は自然淘汰(逆肉強食)の中で選ばれた人種であるとする思想が一大ブームを巻き起こしていた。
Aはこれと同じ陳腐なデマの再来なのですが、今また蔓延している。
これが間違っていることは、人類史、法制史を振り返れば一目瞭然なのですが、ここでは割愛します。


結論から言えば、私達が暮らす地球は市場での競争が前提で、競争を否定することは現実的でありません。

しかし、まちがった「競争」の概念が社会を劣化させ、社会改革を妨げています。
何が間違っているか見て行きます。




 
*2


* 自由競争の幻想

結論から言えば、現実に完全な自由競争が行われている市場はない。
この結果、自由競争が価格の低下やサービス向上をもたらすことはない。

現実には、一部の強者に非常に有利な市場が出来がっていたり、または何らかの制約が働き、完全な自由競争などないのです。
この制約には社会保障(人権擁護、環境保護など)の為に行政が規制や自主規制があります。
どちらにしても完全な自由競争市場は幻想に過ぎない。

既に競争優位にあるか、さらに市場の独占を画策する側からすれば「自由競争の善」を社会に浸透させることが不可欠です。

強者(市場占有)が生まれる理由は様々ですが、資本力、情報力、政治力などが大きい。
政治力の例としては、公共の為と称して特定の学園や企業だけに参入を許すことなどです(後進国で酷いが先進国、日本などでも起きている)。

資本力の大きい方が小さい方を圧倒することは常識と言えます。
企業の統廃合が繰り替えされ、やがて巨大企業が市場を占有することになる。
こうなれば価格は上昇し、サービスが低下するのが通例です(マイクロソフト)。

また各国は国際競争に対処するとして独占禁止に逆行する大銀行の合弁を押し進めている。
この巨大銀行は金融危機時、国が倒産から保護してくれるので、益々バブルの温床になり易い(ゴールドマンサックス)。

情報力や知的財産権(特許)なども同様に大が小を圧倒することになる。

この独占が進むイメージは、水面にビー玉を乗せた皿を浮かべると、少しの波でビー玉が一度片方に寄ってしまうと、皿が傾き一気に沈没するのと似ています。



 
< 3. 生産性は上昇しているが賃金は低下、厚生省より >

坊主丸儲け状態(住職を批判しているのではなく、**が濡れ手で粟)


* 言い訳の国際競争力

産業や企業の国際競争力は必要です。
賃金はその一要素に過ぎないが、日本ではこれだけが政財界によって強弁されている。
ここでは全体像を掴み、私達に何が真に必要かを考えます。

残念ながら、日本の国際競争力は低下の一途です。
これは、ここ20年ほどのあらゆる経済指標(GDP、賃金、貿易額など)の低下に現れている。
この本質を如実に示しているのが賃下げ(労働者酷使)と円安でしか国際競争力を回復する手立てがないとする政財界の姿勢です。
このような過去への回帰、保守化傾向はかつての英国衰退の二の舞です。

問題は真の国際競争力を高める努力を放棄していることです。


 
< 4. 日本の国際競争力の低下、総務省より >


* 日本の国際競争力の現状

世界の開放経済において、自国の競争力のある製品が海外市場で売り上げを伸ばし、自国に外貨をもたらし、一方で海外の優れた製品をその外貨で購入することが出来る。
この場面で国際競争力が不可決で、日々、企業は世界と国内で競争を続けなければならない。

それでは企業は何を競争すべきなのでしょうか?
これはコストダウンだけではなく、様々な要素があります。

先ず、コスト低減について見ます。
日本では労働者の賃金低下が餌食になっています。

しかし常識的には生産性向上です。
これは時間当たりや一人当たりの生産額を増やすことで、一般には最新鋭の生産設備導入や革新的な生産方法の導入が不可決です。

現在、日本の企業は国内の設備投資を長期的に減少させていますので、この手のアップは期待出来ません。
不思議なことに、日本の首相は外遊で世界に50兆円を越える大盤振る舞いを行い、国民も国際貢献を喜んでいます(真の狙いは海外投資拡大)。
一方、日本の民間設備投資はつい最近まで年60兆円台でした。
このあり余った50兆円を国内に投資すれば、どれだけ競争力向上に寄与し、経済が復活したことでしょうか?

つまり、政財界は企業の競争力向上の自助努力を放棄し、労働者の賃金低下に頼っているのです。
このことは別の深刻な生産低下を招いています。

皆さん、周辺の職場を見て下さい。
民間企業には非正規が溢れ、公的な機関には民営化と称してアルバイトやボランティアが溢れています。
これが職場に何をもたらしたでしょうか。

かつて日本には米国由来の産業心理学が言う、作業者の参加意欲を高めることで生産性が上昇するとみなされた時代があった。
今は、隠れブラックこそが・・・、時代は変わった。

この状況でも懸命に働く人はいるでしょうが全体的に見れば、給与格差が甚だしく、地位が不安定な状況で、意欲を持って働けと言うのは無理がある。
つまり政財界の政策は、間違いなく生産性低下に大きく寄与しているのです。
既に説明しているように、賃金上昇は可能なのですから、逆行を止めるべきです。
(この連載「暮らしのカラクリ 1と2」で説明済み)

日本の貿易にも、この逆行が現われています。
それは貿易(商品の輸出)が減少し、海外投資(資金流出)の増大、そして海外からの投資収益とパテント料収入の増大です。
このことを経済の成熟とみなすエコノミストもいるのですが、歴史的に見れば衰退の兆候です。


奇妙な事に政治家や右翼は国益重視と言うわりに、資産家や企業の国益無視には寛大なのです。
言い方が悪いのですが、海外に工場を作り海外証券に投資し国内投資を怠るから、またパテント料を得るために特許を海外譲渡するから、国内の競争力が弱体化する側面があります。

画期的な新製品が世界でヒットすれば、これも国際競争力のアップとなりますが、この手の商品はもはや日本では誕生しなくなった(ウォークマンとスマホ)。

実に、日本の政財界は国際競争力について周回遅れの認識なのです。



* 日本が進む道は・・・

残念ながら、私の見込みでは日本は徐々に国際競争力を低下させるか、今回の政権のように起死回生と称して経済と財政を破局へと追い込んでしまうでしょう。

しかし、救いがないわけではない。
ここでは、北欧の事例を挙げます。

私は、30年ほど前、デンマークとスゥエーデンの企業を視察して感銘を受けました。

企業について
* 数百名の企業規模で高度技術を売りにした単一商品を世界展開していた。
* 生産は下請けに頼らず自社生産、生産作業は労働者の心身に負荷を与えず意欲を重視していた。

ライフスタイルについて
* 残業はせず、休日を充分とり、人生や趣味を謳歌している。
* 日本の男性だけに見られる赤ちょうちんの楽しみはなく、余暇は家族で楽しむ。

この状況は今も変わらないようです。
(私は6月に確認に行くつもりです)


北欧には国際競争力を高める政策があります。

国と企業、国民も科学技術と教育を重視し、競争力を重視する。
北欧の経営者に技術者が多い。

企業と労働者が敵対的ではなく、協力して競争力向上と賃金上昇、社会保障を確保している。
また国民が政府を信頼しているので、個人番号制は定着している。

職種別賃金が定着しているので、これを支払えない企業は撤退していく。

労働者が産業や企業の再編に適応出来るように、失業時の補償と転職の為の教育制度が確立している。
当然、キャリアを生かして転職であれば、同一賃金が得られる。

これらが大きな要素です。
明らかに日本にはないシステムです。

残念ながら、このシステムを日本に導入することは簡単ではないと思います。
それはあまりにも文化と政治風土が違い過ぎるからです。

しかし、とりあえず目標はあるわけですから、不可能ではない。


終わります。





20180307

デマ、偏見、盲点 29: 暮らしのカラクリ 3: カラクリを支える日本文化


*1


今まで日本の劣化、経済、軍事、政治について語って来ました。
読まれた方は、これらの劣化に共通する文化があることに気付かれたはずです。
今日は、中でも極め付きの「自己責任」と「忖度」について考えます。




はじめに

今、流行りの「忖度」は体制批判、腐敗の象徴を示す言葉として急浮上しました(安倍政権になって)。
一方、「自己責任」はかつて個人の身勝手を攻撃する言葉として喝采を浴びました(小泉政権時のイラク人質事件で)。

不思議なことに、体制側の人々は「忖度」に対して、国民の中には「自己責任」に対して、嫌悪感やこじつけを感じている。

この二つの言葉自体は古くから使われており、日本の文化に深く根を下ろしたものです。
逆に言えば、一方だけを無しには出来ない。

言葉のおさらいをしておきます。

忖度: デジタル大辞泉より
他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること。
例として「作家の意図を忖度する」「得意先の意向を忖度して取り計らう」など

自己責任: デジタル大辞泉より
自分の行動の責任は自分にあること。自己の過失についてのみ責任を負うこと。
例として「投資は自己責任で行うのが原則だ」など

皆さんは、この二つの言葉を素直に受け取り、むしろ日本の美徳だと感じるはずです。
1982年、大ベストセラーとなった鈴木健二著「気くばりのすすめ」はよく「忖度」の一面を現しており、多くの方が共感されたはずです。

それでは人々はなぜ嫌悪感を示すのでしょうか。
また何が日本社会の劣化を招いているのでしょうか。



 
*2


* 「忖度」の不思議

「忖度」自体はあらゆる日本社会(村、企業、国会、官庁)で日常的に行われています。

人々は忖度しないことも可能ですが、多くは組織、特に上司から疎まれ、最悪落ちこぼれか身勝手の烙印を押されることになるでしょう。
逆に言えば、出世する人にとって「忖度」は必携なのです。

それでは今回、首相周辺に対して「忖度」を指摘すると、彼らはなぜ躍起になって否定したのでしょうか?
それは首相周辺が首相の望む方向に不正な判断(行政手続き)によって行政を私物化(不当な便宜供与)していたことを否定する為でした。

日本の行政では、既に「忖度」による便宜供与が蔓延しています(最近の急速な悪化は目立つが)。
しかしこれを取り締まる術(例えば北欧発祥のオブズマン制度や米国で発達した内部告発制度など)が未発達な為、摘発や抑制が困難なのです。
そこで、証拠を残さず適正に処理をしたと言明さえすれば事なきを得るので、後は動機としての「忖度」を否定さえすれば済むと考えたのです。
馬鹿にした論理なのですが、これが日本ではまかり通るのです。

「忖度」が蔓延る理由があります。
トップが事細かく指示しなくても、部下たちがトップの意向を汲み取り、仕事をこなして行き、組織が一丸となって進んで行くメリットがあります。
またこんなメリットもあります。
上司が部下に危ない仕事を忖度させて行わさせ、それがトラブルになった時、当然、上司は責任を部下に押し付けることが出来る(上司は楽で安全)。
これは企業や官庁ではよくあることで自殺者が出ることもある(ドラマのネタ)。

これが欧米に理解出来ない理由は文化の違いもあるが、「忖度」にはデメリットがあるからです。
本来、仕事は上司の指示かマニュアルに基づくものです(自主性を重視するものもある)。
「忖度」が問題なのは部下に迅速で的確な仕事を期待出来ないからです(日本では欠点にならない)。



 

*3

* 「自己責任」の不思議

「自己責任」は世界に通じる概念ですが、実は日本特有のニュアンスがあります。

極端に言うと、「神が私に責任を問う」と「皆が私に責任を問う」、これがキリスト教圏と日本での「自己責任」の違いなのです。

日本では、誰も見ていなければ(バレなければ)、本人は責任をあまり感じないのですが、集団内でトラブルが発生すると、その責任を個人に負わせる傾向が強いのです。
この日本特有の心理は微妙なのですが、多くの人は上記の指摘に思い当たることがあるはずです。

本来、「自己責任」は法に触れない限り、自分で責任を取ればよく、他から強制されものではない。
しかし、多くは「この問題は、企業や政府に一切の責任はなく、あなた個人が責任を負うべきである」と組織や社会から追及されることになるのです。
この追及は、必ずしも組織のトップや上司とは限らず、周辺の仲間からも行われることになる。

日本ではこのようにして社会から過大な追及や抑圧がかかるのです。
これが自殺を増やしている背景にもなっているはずです。



 
*4

* 「自己責任」と「忖度」の根にあるもの

皆さんは、既に気づかれたかもしれませんが、この二つは日本の村社会の文化に根付いたものなのです。(村社会の定義について、注釈1)。

社会心理学ではこれを「帰属意識が高い」と言い、アジア人は欧米人よりも強いことが分かっています(おそらく稲作文化起源)。
この村社会の文化は強い組織を生むのですが、逆に現代社会の発展を妨げるのです。
目立つ問題点としては独裁指向、個人軽視(人権無視)、排他的、現状維持、ダブルスタンダードなどでしょう。
まったく今の政権を言い表しているようです。


「忖度」には、子分がトップの強い支配を受け入れ、従うことで安泰を図る目的があります。
このようなことが起きる社会、多くの後進国や発展途上国では政治経済が未成熟なままです。

日本では、この傾向が未だに残っており、外側に脅威を感じ、社会に失望感が広まると強権的な人物がトップに担がれ、村社会的状況が一気に大きく頭を持ち上げることになる。
日本はアジアの中でも最古層の家族形態(長子相続)が遺存しているので、より強く反応するのです。

「忖度」の弊害を放置すると社会は劣化を深めますので、先ずは不正な便宜供与を取り締まる法整備が不可欠です。


「自己責任」は、個人よりも組織を優先する中で、組織の意向に沿わない者を村八分にするようなものです。
また社会や組織で問題が発生した時、個人が責任を取ることにより組織の安泰を計ろうします。
これはやくざ社会や武士社会によくあるパターンで、この滅私奉公が刑務所帰りや残した家族の安泰に繋がると言うわけです(大企業では今もある)。
これは国政や企業のトップに取っては非常に都合の良い文化なのです。

しかし、これらが個人の権利意識や社会意識を低くしてしまっているのです。
その現われの一つが、「賃金が安いのは本人の問題」「賃金を上げると経済は失速する」「消費増税と企業減税は必要」などの発言に、国民は自らの責任と受け止め、安易に納得し協力してしまうのです。

「自己責任」の弊害に即効性のある対策はありません。
これは国民の気付きしか無いように思われます。
これには教育が重要ですが、今の政府は逆行しているので絶望的です。

どうか皆さんに、日本の文化の悪い側面が今の政治や社会の劣化を助けていることに気付いて欲しい。


終わります。



注釈1

村社会の特徴: Wikipediaから抜粋

部族長による支配、ボスと子分の上下関係が厳然と存在する。

以下のような問題点があり、外部とのトラブルの原因となっている。

*少数派や多様性の存在自体を認めない。
*世間一般のルールやマナーは守らず、他者にも強要。
*寄らば大樹の陰。横並び。
*排他主義に基く仲間意識が存在する。
*自分逹が理解できない『他所者』の存在を許さない。
*同郷者に対しては「自分達と同じで当たり前」という意識を抱いており、自我の存在を認めない。
*白か黒か、善か悪かといった二極論を好み、中立や曖昧な考えを嫌う。これが「異端者は自分たちを見下している/敵意を抱いている/自分より劣る存在である」といった思い込みを生み、一度こじれた場合の収拾がつかなくなってしまうことが多い。
*弱いと規定したものに対しては、陰湿且つ徹底的に圧迫を加える。構成員は陰口を好む。
*プライベートやプライバシーといった概念が無い。
*事なかれ主義が多い。
*噂話に対しては、真実かどうかを追求するより、噂を既成事実にしようとする。











20180304

デマ、偏見、盲点 28: 暮らしのカラクリ 2: 賃上げは国を滅ぼす・・





*1


今日は、労働者の賃金を上げると、国の経済力が落ちてしまうと言う妄言を検討します。


* はじめに

日本の皆さんは生真面目ですから、政府や偉い御用学者らに「賃金を上げると、企業の競争力が低下し、国はやがて衰退する」と言われ続けていると、賃上げに後ろめたさを感じるようになってしまった(笑い)。

これが真実かどうか、検討してみましょう。

A: 国民の賃金低下は経済に好影響を与える。

B: 賃金上昇は企業の競争力を低下させる。

この二つがポイントです。





* 賃金低下は経済に好影響を与える

賃金を低下させると企業は出費を減らせ、投資を増やし、競争力が増して輸出が増え、国の経済は上昇するとされている。

実は、この間違いを長々と証明する必要がないのです。
なぜなら日本は1990年代から賃金低下に伴って、経済は低下の一途なのですから。
そうは言っても、間違いのポイントは重要なので解き明かします。


 

< 2. 日本のGDPの内訳 >

国内総生産(GDP)と言う指標があります。
これは国内で1年間にどれだけの付加価値(生産額)が生まれたかと言うものです。
日本の場合はこの内、個人消費額の割合が60%ほどありますが、一方で輸出額は11%ぐらいに過ぎません。

もし国民の賃金を20%低下させたら本当に経済は上向くのでしょうか?

それでは簡単にメカニズムを追います。
賃金が下がると、国民は消費を減らし、単純にGDPは12%(=GDPx60%x20%)低下します。
労働者は貯金を下ろすか、借金をして生活レベルを守ろうとするので、実際にはここまで下がらない(注釈1)。
しかし現在、日増しに貯蓄率は減り、貯蓄の無い若い層が増え、エンゲル係数も上昇している。


一方、企業は製造コストの50%を占める人件費が減るので、10%(=GDPx50%x20%)の利益アップか商品価格の値下げが可能です。

問題はこれでGDPが幾ら上昇するかですが、実はほとんど期待出来ないのです。

例えば価格を下げ無い場合、同じ売り上げ額で企業の利益はおそらく3倍になるでしょう(製造業の平均利益率4%)。
もし全額、設備投資に回せば生産性もGDPも上昇するのですが、既に企業は国内への投資を増やさなくなっています。
つまり企業の剰余金が増え、その資金は海外や証券投資に向かうだけでGDPは増えません。


 
< 3. 円安と輸出額の関係 >


もし商品を値下げし売り上げ額を増やせばGDPが増加するのですが、この影響は大きくはない。

例えば図3の赤枠を見てください。
2012年から2015年で円安は33%(1ドル80円から120円)進んだが、この間の輸出のGDPに占める増加は約3%に過ぎなかった(注釈2)。

つまり、賃金低下は輸出を増やす効果よりも、GDPを減らす効果の方が圧倒的に大きいのです。
また賃金低下はデフレを加速させる。


* 賃金上昇は企業の競争力を低下させる。

結論から言えば、条件付きですが賃金上昇は国際競争力を低下させない。

実例があります、デンマークやスウェーデンは貿易依存度が60%あっても賃金は世界最高水準なのです(日本は25%)。
当然、両国の経常収支は黒字です(つまり競争力があり輸出が多い)。


確かに、個々の企業は販売価格を下げることで競争力が高まるので賃下げの誘惑にかられやすい。
しかし民主的な国であれば賃金低下で競争力を高めようとはしません。
なぜなら聡明な国民は反対し、政府は従うからです。

ここで重要なポイントは、国の経済力に応じて為替が自動調整されることです(変動相場制)。
歴史的に産業が発展した国(輸出が多い)の為替は高くなります。
この理由は、貿易で黒字(経常黒字)になることで自国通貨が高くなるからです。

一方、国が通貨安を画策する場合(為替介入)がありますが、これは貿易相手国が皆望んでいることであり、まず抜け駆けを許してくれません。
通貨が通常より大きく安くなるとすれば、それは身勝手な超大国のごり押しか、裏取引(密約による協調介入)、または投機筋の思惑でしょう(実需の為替取引額の10倍以上が思惑?で売買されている)。

つまり、賃金を下げ競争力を得て、輸出増になっても貿易黒字になれば円高になって競争力はまた低下するのです。
一時、これで企業家は楽して利益を得るのですが、結局、悪循環になるだけです。
この間、苦労するのは国民、労働者だけなのです。


* まとめ

結局、単純に考えても賃上げの方が経済や大多数の国民には正しい道なのです。
前回見たかつての「夜明け社会」がそうでした。
今は狂っているのです。

しかし多くの方はまだ納得しないでしょう。
現状で、賃上げして経済は持つのかと疑念を持たれるはずです。

実は、ここでも北欧に成功事例があるのです。
高水準の賃金でもやって行ける理由があるのです。
ポイントはやはり競争力です。
それは賃金カットではなく、競争力のある企業や産業、技術、人材を育てることしかないのです(いずれ紹介します)。
この仕組みは、一朝一夕に出来るものではありません。


おそらく日本の現状では、北欧のように国民と産業界が協調し政治と経済を動かす風土を作るには1世紀かかるかもしれません。

しかし、これしか道はないでしょう。
少なくとも米国の来た道(夕暮れ社会)を進むのは賢明ではない。


次回に続きます。


注釈1


 
< . 家計貯蓄率の減少 >

貯蓄額を可処分所得で割った比率はついにマイナスになった、つまり各家庭は貯蓄を引き出して生活をし出した。



注釈2
この説明では、33%の円安は33%の商品価格の低下とみなしています。
ドルで買う顧客にとっては33%の値引きになったが、数%としか売り上げは増えなかったと言いたいのです(企業利益は格段に増加)。
確かに為替変動(価格変動)に伴って輸出額は変化しますが、グラフの2002年~2007年の変化からわかるように海外の景気動向の方が影響は大きいのです。

実は、円安は輸出を増やすメリットだけではない。



 
< . 円安倒産 >

目立たないのですが、輸入業者は急激な円安で倒産の嵐に晒されたのです。
当然、輸入に依存している消費財も値上がりし、家計を苦しめることになります。

もう一つ忘れてはならないことは、為替変動は予測が困難で頻繁に振れることです。
つまり企業家も庶民も、円安や円高に甘い期待は出来ないのです。