Showing posts with label Series: I visited Guilin. Show all posts
Showing posts with label Series: I visited Guilin. Show all posts

20160127

桂林を訪れました 15: 最後に






< 1. 少数民族雑伎ショー >

今日で、この旅行記を終えます。
書き残したことや雑感を記します。



< 2. これまでの記事の巻頭写真 1 >

この桂林旅行は2015年9月初旬に3泊4日で訪れたものです。
予想通りに天候に恵まれ、漓江下りと龍背棚田の景色を堪能しました。
また大墟古鎮やヤオ族の村の見学は短い時間ではあったが楽しめました。




< 3. これまでの記事の巻頭写真 2 >

少し残念なことは、ヤオ族の風習や宗教などに触れる時間がなかったことです。
それでも得るものはありました。
しかし、思わぬ拾いものが別でありました。
それは下の写真です。



< 4. 花山岩画 >

これは中国が2015年に世界遺産登録を申請したものです。
私達が穿山岩の鍾乳洞を見学していると偶然、この展示ポスターを見つけました。
これはこの広西省にあって、約2千年前にチワン族の祖先によって岩に描かれた絵でした。
この人物像のデザインは他の大陸では1万年前に遡ることがあります。
中国にはこの手の古い岩絵が少ないので、何だか嬉しくなりました。




< 5. 桂林 1 >

中国の奥地にあって、開発が遅れていると思っていたのですが、そうではなかった。
田園地帯に行っても建設中の家屋や、郊外にも高層マンションが林立していました。
郊外に産業団地があるのですが、研究所や公害を出さない事業体が誘致されていた。
町中を走っている車やバイクはほとんど電動車だそうです、公害防止の為に。
都市部を少し離れるとそこら中、砂埃をあげて道路工事やビルの建設中でした。



< 6. 桂林 2 >

私達夫婦は毎朝晩、町中を歩き回りましたが、危険や不安を感じることはなかった。
二軒の本屋の店員も、夜、道に迷って宝石店の店員に道を尋ねても、皆丁寧に対応してくれた。
残念ながら言葉は通じなかったが。

少数民族の雑伎ショーには私の期待していた少数民族の風習や暮らしを紹介するものはなかった。
それでも巻頭写真にあるような男女の掛け合いの歌は、山岳民族に最近まで続いていた「歌垣」を思わせるものがあった。
この歌による求婚方式は、日本では奈良時代で消えてしまった。

ここでは観光業に力を入れることにより、少数民族は肩身の狭い思いをすることなく暮らしているように思えた。
ただ観光化が進みすぎて、保存すべきものが失われているのが残念です。


最後に
私は中国の訪問が7回目ですが、20年ほど前に比べて中国は力強く発展を続け、人々の振る舞いも変わってきているように思う。
経済格差、古いものと現代的なもの、汚いものと洗練されたもの、ごった煮の状況は変わらないが。

やっと念願の奥地の桂林を訪問し、満足して去ることが出来ました。
皆さん、お読み頂きありがとうございました。














20160121

桂林を訪れました 14: 龍脊棚田 4

 
    

今日で、この村の紹介を終わります。
非常に短い時間だったが、心地良い訪問だった。



< 2. さらに上の村を目指して >
中央の写真: 軒先に掛かっている黄色いものはトウモロコシのようです。

赤い旗が見える一番高い村を目指して上ろうとしたが、私達には限界だった。
足は震え、心臓は躍っていた。
ここで折り返すことになったが、下りの道のなんと急なこと。
村人が日々、ここを行き来していることに驚かされる。




< 3. 途中で出会った自然 >


< 4. 村を振り返る >

上の写真: 私達は右に見えるの集落の下から半分を越えたに過ぎない。
この下にも集落があり、実に上下に延びる密集した大きな村でした。
日本の急斜面の山村はおそらく広く分散しているはずです。
ここにも中国が氏族や部族の繋がりを大事にしている様子が出ているようです。

下の写真: 帰る頃には、晴れ間が少し見えて来ました。



< 5. 中国ドラマ「傾城の雪」 >

上の写真: 皇宮で行われた刺繍の大会。
下の写真: 雲南の婚礼衣装。

私達は旅行に行く前、中国歴史ドラマ「傾城の雪」にはまっていました。
このドラマは明時代の刺繍の名家が舞台で、蘇州の皇宮と雲南の村の文化を描いていた。




< 6. ヤオ族の婚礼 http://sakuraproject.org/mien.html >

今回の旅行では民族衣装を見ることは出来なかったが、中国南部の少数民族の衣装には共通点があるように思える。
上記の写真と中国ドラマの婚礼衣装には、銀の装飾品、豪華な刺繍、黒と赤が基調になっており、服の作りも似ている。
以前、台湾を旅行した時に見た少数民族の衣装とも似ている。

私達日本の国生み神話(淡路島誕生)や里見八犬伝のルーツもこの中国南部の少数民族にある。
1万年を遡る稲作誕生、やがて漢民族の優勢によって南下した人々、その文化が台湾や日本に伝来した。
この遥かなる繋がりを感じることが出来た旅でした。


次回に続きます。














20160115

桂林を訪れました 13: 龍脊棚田 3




*1

今日は、ヤオ族の村を歩きます。




< 2. 村を行く >

私たちは民家を抜けて、もっと上にある村を目指して歩き始めた。
ここに掲載している写真は12:24から12:39に撮影したものです。



< 3. 村の門 >

多くの民家が集合しているが、上下で村が幾つかに分かれている。
これは、これから登っていく村の門で、風水にかなっているそうです。
この門は清時代の1883年に、繁栄と魔除を願って村人300人が運んで来て造ったものです。
扉の左の武将の胸に陰陽を表す太極図が彫られている。
私は、念願の道教との関連物をやっと見つけることが出来た。



<4.橋の風情 >

村人の写真は、ガイドさんが相手に了解をとってから撮影しています。
昼の休憩で、村人が談笑しているのでしょうか。
近くのトン族は橋を共有の建物として壮麗に作るが、ここでも屋根付の憩いの場として使っていた。



< 5. 人々 >

この写真以外にも見かけたのですが、昼でも多くの女性は共同で働いていた。
頭のタオルはヤオ族の習俗のようです。
ここでも高齢化が進んでいる。



< 6. 暮らし >

石の門扉のあった村の最上部に来ました。
上の写真: 村の中央を流れる川の上流に共同の洗い場が見えます。
その川の下流では数羽の鶏が、村人の流した残飯などをついばんでいる。

下の写真: 洗い場です。
ちょうど二人の女性が洗濯をしている。
右の屋根は杵つき小屋です。



< 7. 村の利器 >
上の写真: 洗い場。
右側に竜の形をした流水口が見える。

左下の写真: 杵つき小屋。
杵の後ろの容器に流水が溜まると杵が跳ね上がり上下運動を繰り返す。
昔はここで穀物を粉砕していたが、今は使っていない。
右下の写真: 民家の床下の水車。


次回は、ヤオ族の村の最後の紹介です。




20151228

桂林を訪れました 12: 龍脊棚田 2



 


< 1. 昼食を取った食堂 >

今日は、棚田を抜けてヤオ族の村まで行きます。



< 2. 駐車場から村に向かって >
駐車場から村まで約1kmの平坦な道を歩きます。

上の写真: 行き先は道の上側の村です。
中央の写真: 頂上を望む。
下の写真: 下を見ている。
稲穂はまだ黄金色になっていませんでした。
また稲穂の背が日本種より低いように思いました。





< 3. 道の途中 >
上の写真: 来た道を振り返っている。
道のかなたに建物が見えるのは駐車場です。

下の写真: 駐車場近くの道端で土産品を売っている。



< 4. 村が見えて来ました >
一番手前の建物で昼食をとりました。



< 5. 途中の景観2 >
上の写真: 急峻な下りの道。
これでは農耕作業はきついでしょうね。
中央の写真: 小川。
特に灌漑用の水路がなく、この小川で代用しているのでしょう。



< 6. 昼食 >
食堂は非常に綺麗な作りで見晴らしも良かった。
非常に観光化が進んでいる。
出されたのは素朴な料理でしたが、私達の舌には合っていた。
特に珍しいものはなかった。

私が、「鳥の骨を棄てる器を下さい」と言うと、「下の犬にやって下さい」と言われた。
ここでは昔から家畜とこのように共生している。




< 7. ヤオ族の民族衣装。Wikipediaより >

瑶(ヤオ)族について
彼らは中国長江以南、ここ広西チワン族自治区や雲南等から東南アジアのベトナム,ラオス,タイなどの山岳地帯にかけて広く分布している。
この村のよう分散しながら、中国だけで約214万人(1990)が暮らしている。
言語的にはミヤオ(苗)族に近い。
彼らは本来無文字であるが,中国文化と古くから接触していたために漢字が受容された。
元・明時代に、漢民族の進出により南下した。
中国王朝の統治政策としばしば対立し,特に明代中期以降大規模な反乱が各地で発生した。
彼ら独特の神話に、古代中国の王女と犬の間に生まれた12姓のヤオ族を始祖とする伝承があり、これが史記に取り入れられ後に日本に伝わって南総里見八犬伝に取り入れられたとされている。
ヤオ族は山間部において焼畑耕作に従事して陸稲やトウモロコシなどを作って移動していたが,現在は梯田耕作や水田耕作,あるいは林業などを行い定住的な村落社会を形成している集団もある。
宗教は基本的にはアニミズムであるが,道教の影響が顕著にみられる。


次回に続きます。








20151222

桂林を訪れました 11: 龍脊棚田 1



< 1. 龍脊棚田 >

これから、桂林の山岳部にある少数民族の村を紹介します。
ここには美しい棚田と少数民族の暮らしがあります。
今日は、桂林から村までの道筋を紹介します。

日程の概要
訪問したのは2015年9月18日で、平野部は薄曇りでしたが、山は雲で覆われ一時霧雨が降りました。
それでも十分に自然と村を堪能することが出来ました。
ホテルを8:00に出発し、バスを降り散策を始めたのは11:20から、村で昼食を取り、バスで帰路に着いたのは13:45でした。



< 2. 龍背の地図 >
両写真共に上側は北側です。
上の地図: 桂林中心部から目的の村(龍脊古壮寨棚田)までの道筋。
赤丸が桂林、黄丸が村、黄矢印が道筋です。
桂林から龍脊の旅客中心(写真5)まで約80kmです。
白枠が下の地図の範囲。

下の地図: 赤丸が龍脊の旅客中心、青丸が龍脊古壮寨の駐車場、黄楕円が目的の村です。
村は山の急斜面にあり、標高670から920mの間で上下に伸びている。
その山頂は標高1200から1400mあり、旅客中心は標高300mの谷底にある。


龍脊について
この桂林が属する広西チワン族自治区は、名前の示す通りチワン族をはじめ十数以上の民族が漢族と共に暮らしています。
これら少数民族はかつて南下して来て山岳部に暮らすようになった。
現在は各地に定住し、また平野部に暮らす人々も増えています。
龍脊はその山岳部の定住地の一つで、私たちが訪問するのはヤオ族の村の一つです。
この龍脊にはトン族などの異なる民族が周辺に多くの村で暮らしています。

ヤオ族は元来、焼畑と狩猟を行っていた民族で、他の山岳民族もそうですがかつては国境を越えて移動していました。
現在は、定住政策により稲作農耕を行っており、それが美しい棚田の景観を生んでいます。

私は中国南方の少数民族の村を訪れるのが楽しみでした。
かつて福建省の山岳部にある客家土楼を訪れて、強い絆で結ばれ、昔ながらの素朴な暮らしをしている人々に感銘を受けました。

たった数時間の訪問でしたが、彼らの暮らしぶりを紹介したいと思います。




< 3.桂林から山岳部に入る手前まで、バスから撮影 >



< 4. 徐々に山岳部に入って来ました、バスから撮影 >



< 5. 龍脊の旅客中心 >

ここで一旦バスを降りて、このセンターで入場手続きをします。
そして各自目的の村まで専用のバスに乗り換えて行きます。



< 6. 専用のバスで急峻な山を登って行きます >
下から二番目の写真: 中央の棚に果物の実が沢山生っていました。
一番下の写真: 龍脊古壮寨棚田の駐車場です。
ここから村まで約1km徒歩で棚田を抜けて行きます。



< 7.棚田 >
上の写真: 右手に目的の村が見えます。
左から伸びる人波は村を目指す人々です。

中央の写真: 村の全景です。


次回に続きます。




20151216

桂林を訪れました 10: 陽朔と月亮山





< 1. 西街 >

今日は、漓江下りの下船地、陽朔と近くの観光地を紹介します。



< 2. 下船地の陽朔 >

遊覧船を下りて石造りの「陽朔」の門を目指す。
ここを抜けると、直ぐ西町のショッピング街が始まる。



< 3. ショッピング街の西街 >
たくさんの人で賑わっていた。
多くは中国系ですが、洋人街と言われるだけあって欧米人も見かけた。
ここは直線の1本道で、距離は500mぐらいです。


< 4. 西街の店 >
この通りの雰囲気は少し変わっています。
ここには中国の仰々しいか古風な店でもなく、だからと言ってモダンでもなく、種々雑多な小さな店が並んでいます。
果物店や土産物店、民芸品店、飲食店が並んでいます。
私は見るだけでも楽しく、妻は果物を買いました。



< 5. マンゴジュースの店 >
通りの店に入り、冷たいマンゴジュースを飲みました。
暑い日だったので、美味しかった。
壁一杯に願い事を書いたメモが貼ってあるようでした。





< 6. 高田郷と月亮山 >
上の写真: 多くの人が筏で遊覧の楽しんでいる高田郷。
ここはバスで通り抜けるだけでした。

下の写真: ぽっかり半月形の穴が空いた月亮山。

次回に続きます。






20151109

I visited Guilin 9: Historical town Daxuguzhen


桂林を訪れました 9: 大墟古鎮



< 1. The historical townscape >
< 1.大墟古鎮 >
The arched stone bond in the middle is a firewall.
途中にあるアーチ型の石積みは防火壁です。

Today, I introduce a historical town of Chinese style.
This town is about 20 km downstream of the central Guilin city and ever prospered in trade.
We visited in 9:20 - 10:20 on Thursday, September 17.
Finally, I introduce an interesting episode.

今日は、中国らしい古い街並みを紹介します。
ここは、桂林中心部より漓江を20km下った所にあり、かつて交易で栄えた町です。
9月17日(木曜日)の9:20~10:20に訪れました。
最後に、面白いエピソードを紹介します。



< 2. Map >
< 2. 地図 >
Upper map:  A yellow arrow is Daxuguzhen, and a red arrow indicates upstream side.
Central map:  An enlarged map. A red circle is our starting and ending point for sightseeing.
A yellow line is our tour route, and we shuttled on this route of about 400 m.
Lower fig.: A part of an illustrated handscroll that was made from the 10th to 12th century shows the prosperity of a capital city.
Probably, the Daxuguzhen had ever been prosperous with being full of ships, horses and merchants in this way.


上図:黄色矢印が大墟古鎮で、赤色矢印が上流を示し桂林中心部に至る。
青色矢印が漓江下りの開始点竹江です。
中央図: 大墟古鎮の拡大図。赤丸が観光出発・終了位置。
黄色線が徒歩ルートで、約400mの通りを往復した。
下図:「清明上河図」の一部。中国北宋(10~12世紀)の都開封の賑わいを描いた絵巻物。
おそらく大墟古鎮もかつてはこのように船と馬と商人で賑わっていたのだろう。



< 3. A prosperous street >
< 3. 通りの賑わい >

Actually, there only were Chinese tourists sparsely.
実は、中国系の観光客がまばらにいる程度でした。



< 4. Temple >
< 4.寺院 >
The Taoism temple had two pillars of dragon carved wonderfully.
An interesting thing is the second-floor porch on the right side.
Person hung a colander from here and exchanged the money and products between the ground in those days.

龍の彫り物が目を惹く道教の寺院です
扉は閉まっていたようです。
面白いのは右側のせり出した2階のベランダです。
当時、ここからざるを吊るして地上と商品とお金のやり取りをしていた。



< 5. Historical scenery
< 5. 他の遺構 >
Upper photo:  The arched bridge made of stones is since the 14th – 17th century.
Central photo:  A liquor shop. I smelled of the liquor when I looked in the inside.
Lower photo:  The house seems to be connected with a cultured person.

Many houses seem to be empty house or only old person living in it.

上写真: 明時代(14~17世紀)に石で作られたアーチ型の万寿橋です。
中央の写真: 酒屋。中を覗くと酒の匂いがしました。
下の写真: 文人と関係がありそうです。

多くの家は空き屋か、年寄りだけが住んでいるようです。



< 6.  Aspects of the backside of the street on the mountain side
< 6. 通り(写真1)の山側裏手の様子 >

Upper photo: Buildings of the 2nd - 4th floor are the backsides of the houses facing the street.
The frontage of each house is narrow, and several rooms of an earthen floor connect in the back.
Central photo:  Harvest by sun drying.

上の写真: 2階から4階の建物が、通りに面した家々の裏側です。
それぞれの家は間口が狭く、土間の部屋が何室も奥に続く。
中央の写真: 収穫物の天日干し。



< 7.  The backside of the street is Lijiang river >
< 7. 通りの裏は漓江 >
Upper photo:  A passage leads to the river from the street.
Central photo:  A view of downstream side.
Lower photo:  A view of upper stream side.

Many ships once had served shipping cargoes here.

上の写真: 通りから漓江に出る通路。
中央の写真: 下流を望む。右手対岸の山は島で、地元料理で有名だそうです。
下の写真: 上流を望む。渡しの船が行き来している。

かつてはここで多くの船が荷物の積み出しを行っていたのだろう。


About Daxuguzhen
This place already was a distributing center since the 3rd century B.C.
A waterway linked Pearl River and the Chang Jiang to the north and south, and an East-West land route crosses it here.
About 1100 years ago, this place became one of the 4th major markets of the Guangxi district.
In China, as the phrase “south ship and north horse” indicates, ship and horse met at this place.

Now, It is deserted, the state of preservation is not good, but there is good point that is not like a sightseeing spot.

大墟古鎮について
ここは紀元前3世紀から既に流通の拠点でした。
水路が南北に珠江と長江を結び、東西の陸路が交わるところでした。
約1100年前、北宋の頃から賑わい始め、明や清の時代には広西地区の四大市場の一つになっていました。
中国では古くから「南船北馬」と言われ、ここは船と馬が交わる町だった。

今は、寂れ保存状態が良くないが、観光地らしくない良さもある。

  


< 8.  A mansion 1 >
< 8. 屋敷 1 >
Episode
We looked in one house at the end.
In spite of a narrow frontage, the inside overflowed with many Chinese tourists in big merchant's house.
We entered inside, and were surprised by looking many rooms and courtyards and excellent decoration.
As entering furthermore, the mansion became expanse like a maze.

At that time, a young man called to us in fluent Japanese.
We were going to leave hastily, but he detained us.

エピソード
私達夫婦が、最後にある家を覗きました。
狭い間口にも関わらず、中は大きな商家で多くの中国人観光客で溢れていた。
中に入り部屋や中庭の数の多さ、立派な装飾に驚かされました。
どんどん中に入ると、迷路のように屋敷は広がり、私達だけになりました。

その時、若い男性が流暢な日本語で声を掛けて来ました。
私は急いで去ろうとしましたが、彼に引き留められました。



< 9.  A mansion 2 >
< 9. 屋敷 2 >

He started talking about he loves Japan and studied in the Japanese university.
His ancestor from Myanmar built this mansion.
Finally we were led to the back room to see family treasures.
However, we retired on the way because our waiting time would come.

The trip is really interesting.

This continues next time.


彼は日本が好きで、日本の大学に留学したことがあると喋り始めました。
そして、この屋敷はミャンマー出身の祖先が築いたものだそうです。
最後に、家宝を見せてあげようと奥に案内されました。
しかし、集合の時間が来たので、途中で退席しました。

実に、旅は面白い。

次回に続きます。