20151228

桂林を訪れました 12: 龍脊棚田 2



 


< 1. 昼食を取った食堂 >

今日は、棚田を抜けてヤオ族の村まで行きます。



< 2. 駐車場から村に向かって >
駐車場から村まで約1kmの平坦な道を歩きます。

上の写真: 行き先は道の上側の村です。
中央の写真: 頂上を望む。
下の写真: 下を見ている。
稲穂はまだ黄金色になっていませんでした。
また稲穂の背が日本種より低いように思いました。





< 3. 道の途中 >
上の写真: 来た道を振り返っている。
道のかなたに建物が見えるのは駐車場です。

下の写真: 駐車場近くの道端で土産品を売っている。



< 4. 村が見えて来ました >
一番手前の建物で昼食をとりました。



< 5. 途中の景観2 >
上の写真: 急峻な下りの道。
これでは農耕作業はきついでしょうね。
中央の写真: 小川。
特に灌漑用の水路がなく、この小川で代用しているのでしょう。



< 6. 昼食 >
食堂は非常に綺麗な作りで見晴らしも良かった。
非常に観光化が進んでいる。
出されたのは素朴な料理でしたが、私達の舌には合っていた。
特に珍しいものはなかった。

私が、「鳥の骨を棄てる器を下さい」と言うと、「下の犬にやって下さい」と言われた。
ここでは昔から家畜とこのように共生している。




< 7. ヤオ族の民族衣装。Wikipediaより >

瑶(ヤオ)族について
彼らは中国長江以南、ここ広西チワン族自治区や雲南等から東南アジアのベトナム,ラオス,タイなどの山岳地帯にかけて広く分布している。
この村のよう分散しながら、中国だけで約214万人(1990)が暮らしている。
言語的にはミヤオ(苗)族に近い。
彼らは本来無文字であるが,中国文化と古くから接触していたために漢字が受容された。
元・明時代に、漢民族の進出により南下した。
中国王朝の統治政策としばしば対立し,特に明代中期以降大規模な反乱が各地で発生した。
彼ら独特の神話に、古代中国の王女と犬の間に生まれた12姓のヤオ族を始祖とする伝承があり、これが史記に取り入れられ後に日本に伝わって南総里見八犬伝に取り入れられたとされている。
ヤオ族は山間部において焼畑耕作に従事して陸稲やトウモロコシなどを作って移動していたが,現在は梯田耕作や水田耕作,あるいは林業などを行い定住的な村落社会を形成している集団もある。
宗教は基本的にはアニミズムであるが,道教の影響が顕著にみられる。


次回に続きます。








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