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20160926

南信州を訪ねて 7:  馬の背からの眺望



< 1. 駒ヶ岳を望む >


今日は、阿智村の馬の背からの眺めを紹介します。
今日で、この連載を終えます。

馬の背について
ここは阿智村の南端にある治部坂高原近くにあります。
昼神温泉から車で153号線を行き、治部坂高原から曲がりくねった山道を登ります。
途中の尾根に標高1457mの馬の背があります。

ここを知ったのは、宿泊したホテルのロビーで、ここから撮影した綺麗な写真を見たからです。




< 2. 馬の背に到着 >

蛇峠山を目指して登って行くと、途中で道路がゲートで塞がっています。
それ以上は測候所で侵入禁止です。
その手前が空き地になっていて、駐車出来ました。
そこに馬の背があります。

上の写真: ここを少し下ると駐車場です。南側です。
中央の写真: ここは真ん中で、西側、名古屋方面を見ています。
下の写真: ここを進むと駒ヶ岳を望めます。北側です。




 

< 3.馬の背からの眺め 1 >

上の写真: 西側を望む。
下の写真: 北西を望む。山頂は横岳でしょうか。

まだ暑かったが少し秋の気配を感じた。



 

< 4. 馬の背からの眺め 2 >

ほぼ北側を望む。
一番高い山は南駒ケ岳です。




 

< 5. 馬の背からの眺め 3 >

下の写真: 薄い紫色に霞む山並みが幾重にも重なっている。


 

< 6. 山を下る途中で >

遠方の山は南駒ケ岳です。
眼下の谷間を通る153号線をまた戻る。

この日は曇ってはいたが、時折、晴れ間が見えて、青空と白い雲、緑の山と木々の対比が美しかった。


あとがき
いつも中央自動車道を走りながら、この南信州を一度訪れてみたいと思っていました。
今回、ほんの一部を訪問しただけですが、その自然と歴史を垣間見て、人々の息づかいを感じることが出来ました。
旅は本当にいいものです。


次回から、モスクワ、サンクトぺテルブルグ、エストニア、ラトビア、リトアニア、ワルシャワの旅を紹介します。


20160920

南信州を訪ねて 6:  昼神温泉と周辺









< 1. 昼神温泉 >


今日は、昼神温泉と朝市、阿智神社の奥宮を紹介します。
のどかな温泉郷と、静寂な神域に浸って来ました。





< 2. 昼神温泉周辺の地図 >
地図の上側は西方向です。

二つの白い矢印は、「ヘブンスそのはら」のロープウェイの上下の駅を指している。
上駅で星空を堪能しました。
赤い矢印は、阿智神社の奥宮を示しています。
青い矢印は、私達が宿泊した「湯本ホテル阿智川」です。
黄色の線は朝市の場所です。
昼神温泉は青い矢印から始まり、黄色の線の辺りが中心部になります。
中央を流れているのが阿智川です。




< 3. 昼神温泉と宿泊したホテル >

上の写真: 橋の上から阿智川上流を望む。
両側に温泉宿がある。

中央の写真: 宿泊した「湯本ホテル阿智川」。

下の写真: このホテルの露天風呂と洞窟風呂。
ホテルの写真を借用。


昼神温泉について
ここは昭和48年、偶然に発見された比較的新しい温泉郷です。
ここは規模が小さいのですが、古い温泉街にあるようなけばけばしさがなく、自然に囲まれた落ち着いた温泉郷です。
温泉宿は20軒ほどですが、全体にゆったりとした感じがします。







< 4. 昼神温泉の朝市 >

写真撮影時はまだ早く、準備中で人出が無かったが、やがてたくさんの宿泊客が来ました。
結構、品揃えが豊富で、私達は野菜と果物をたくさん買いました。







< 5. 阿智神社の奥宮に向かう >

上の写真: 阿智川の上流に向かう。
下の写真: こんもりとした小さな丘の麓に奥宮の鳥居がありました。




< 6. 社殿 >

鳥居をくぐり、参道を少し登ると丘の頂上に来ました。
高い杉の木が神域を包み込み、早朝でもあり周囲は薄暗い。
その奥の平地に、社殿と舞台が見えました。





< 7. 磐座 >

この丘の高みに磐座があり、社殿から道が続いています。
磐座(いわくら)とは、神が降臨する岩で、社殿が常設される以前の古代信仰の場所です。
岩の長軸は東を向いている。





< 8. 阿智神社の奥宮の位置 >

地図の上側が西方向です。
赤の矢印が社殿、黄色の矢印が磐座の位置を示す。
この丘は二つの支流が合流して阿智川になる場所にある。
如何にも、周囲から隔絶した神域を思わせる雰囲気がある。





< 9. 一方の支流 >



< 10. 合流地点の川 >

朝の冷気の中、神域の森といい、清流といい、すべてがすがすがしい気持ちにさせます。

次回に続きます。






20160915

南信州を訪ねて 5:  満天の星空






< 1. 暗くなるのを待つ >


今日は、「ヘブンスそのはら」での星空観察を紹介します。



「ヘブンスそのはら」について
ここは阿智村にある標高1400mの富士見台高原です。
冬はゲレンデになります。
ここの星空は環境省認定の日本一だそうで、現在人気急上昇中です。
夜になってからロープウェイに乗って頂上に行きます。



< 2. 駐車場 >

ここからロープウェイに乗って、頂上に向かいます。
2016年8月21日、18:30頃です。





< 3.ゴンドラから >

乗る前の行列待ちもあって、ゴンドラは夕闇に包まれました。
ロープウェイは長さ2500mもあるので、かなり長い間乗っていました。



< 4.ロープウェイの上駅 >

上に着いた時は、かなり暗くなっていた。



< 5.ショーが始まる前 >

今日は、星空を見ながら星座の説明「星のお兄さんショー」があります。
このショーは19:45~20:25で、この間すべてのライトが消されます。
私達は草原に座って見上げます。
まだ星はほとんど見えません。

下界では雲が多かったのですが、頂上はいつの間に晴れていました。
実は、ここで満天が見える確率は10%ぐらいだそうで、超ラッキーでした。




< 6. バアーン! 満天の星 >

すべてのライトが消えると頭上に満天の星が現れました。
写真の左側に天の川がはっきりと見えています。
感動! 感動!

光跡は航空機のものです。

天の川を普通に見ていた幼い頃に、タイムトラベルしたような気分です。




< 7.北斗七星 >

北斗七星(ひしゃく)が写真の右側に見えます。



< 8.最も良い写真  >

写真6と同じ、南西方向を撮影しました。

素晴らしい光景に満足したのですが、帰りはロープウェイ待ちの長蛇の列に閉口しました。
この日曜日の遅い時間に、数千人の観客が頂上にいたのです。
きっと多くの人は周辺に宿泊されたのでしょう。
素晴らしい町興しだと感心しながら帰路につきました。

次回に続きます。




20160911

南信州を訪ねて 4: 満蒙開拓平和記念館






< 1.満蒙開拓平和記念館  >


今日は、満蒙開拓平和記念館を紹介します。
念願かなって、満州移民の実情を知ることが出来たことは幸いでした。



満蒙開拓平和記念館について

満州移民の実態がわかりやすく展示されています。
また全国で、この種の展示はここだけですので、非常に貴重です。
私達が訪問した時は、多くの人が来ておられました。

しかしこの場所はわかりにくいので注意してください。


  




< 2.阿智村と満州 >
上の地図: 赤丸が阿智村、赤枠がかっての満州、満蒙開拓団の地です。

下の図: 県別の開拓移民数。
全国の開拓移民数27万人に対し、長野県は断トツに多かった。
長野県は満蒙開拓青少年義勇軍10万人でも、最大の送り手だった。






< 3.満蒙開拓民の現実 >
この3枚の写真は満州の記録写真です。
館内は撮影が出来ませんので、HPから転載しました。

上の写真: 記念館の入場券。
中央の写真: 16~19歳の青少年からなる満蒙開拓青少年義勇軍。
下の写真: 記念館内の展示。




< 4. 満蒙開拓平和祈念館  >

館内は大きくないが、要点を絞ってわかりやすく展示している。
また、学芸員が質問に丁寧に答えてくれ、多くの疑問が解消した。

展示内容
*満州移民の歴史
*満州での開拓団の映像
*入植地図や満州の生活。
*敗戦と逃避行。
*引揚げと再出発。
*引揚げ者のコメントと証言ビデオ。
*中国残留孤児と帰国支援事業。
など





< 5. 満蒙開拓のポスター >

参考に、当時の満蒙開拓民募集のポスター。





< 6. 満蒙開拓民の所在地 >

参考に、当時の開拓民の所在地。



満蒙開拓平和記念館に思う
満蒙開拓は満州事変と共に始まり、農民は国の移民奨励を疑わず希望を抱き海を渡った。
しかし、現実の暮らしは劣悪で、その本当の狙いは軍主導による人間の盾でした。
農民はそれを奥地への配置と敗戦時の置き去りで身をもって知ることになった。
そして長野県の未帰還者は49%に上りました。
その後の引揚げも遅々として進まず、さらに引揚げ者の多くは故郷に帰れず、全国各地の未耕作地に割り当てられた。

さらに二つの事実も忘れてはならないでしょう。
それは当時の長野県の自治体と教育者が積極的に移民に関与したこと、満州の中国人がさらに過酷な目にあったことです。
ここで不思議に思うのは、長野県は社会運動が盛んな土地柄でしたが、治安維持法などで反戦派が潰されると、対立する好戦派が攻勢に出た感があることです。

ここが開館したのは最近の2013年で、民間施設では日本ではここだけです。
なぜなのか?
それはこの地が長野県でも最大の移民者を出し、悲哀を味わったこともあります。
しかしそれだけではありません。
現在、「戦争する国」の悲劇を伝える語り部、引揚げ者の高齢化が進んでいます。
この地の人々は危機感を持って平和と中国友好に向けて行動したのです。

次回に続きます。





20160908

南信州を訪ねて 3: 阿智村



 

< 1. 馬の背から北側を見た >
中央の高い峰は標高2841mの南駒ヶ岳で、手前一帯が阿智村の範囲です。
馬の背は下の地図の番号5です。


今日は、長野県南部にある阿智村を紹介します。
私達は、ここで様々な感動に巡り合えました。


 

< 2. 阿智村 >
両地図共、上が北側です。

上の地図: 阿智村と訪問地を示します。
阿智村の境界は茶色の折れ線です。
赤い点や丸が訪問地です。
黄色い線は中央自動車道で、左端は恵那山トンネルになります。

番号1: 満蒙開拓平和記念館。
番号2: 宿泊地の昼神温泉。朝市も楽しみました。
番号3: 阿智神社奥宮。古代のロマンを感じました。
番号4: 高原「ヘブンスそのはら」で星空を堪能した。
番号5: 治部坂高原近くの「馬の背」から眺望を楽しんだ。

下の地図: 黄色の枠が阿智村。
中央遠方の雪を頂いた峰々は、最高峰の奥穂高岳3190mを含む北アルプスです。
その手前右側は、最高峰の駒ヶ岳を含む中央アルプスです。
その右側に伊那盆地が広がっています。


阿智村について
阿智村は長野県の南、伊那盆地の南の端に位置し、山深い谷間にあります。
ここはちょうど中央自動車道の高架下のような所で目立ちません。

ここを訪問した主な目的は、園原高原から「日本一の星空」を見ることでした。
そして昼神温泉を中心に観光し、この山深い所ならではの自然、作物、歴史を感じることが出来ました。



 

< 3. 阿智村の中心部 >
国道153号線から阿智村役場の方を見下ろす。

上の写真: 東側を望む。ここを行くと塩尻です。
中央の写真: 眼下の盆地に阿智村役場と満蒙開拓平和記念館がある。
下の写真: 西側を望む。この山間を行くと昼神温泉、左に折れると山越えで名古屋に至ります。



 

< 4. ある農家 >

治部坂高原に行く途中、私達は観光農園を探して、この農家を訪問しました。
残念ながら観光農園はもう止めていました。

このような山深い畑で多くの野菜を育てておられました。
中央の写真には、トウモロコシ畑があり、この地方の名産です。
この高地の寒暖の差が甘味のあるトウモロコシを造るのだそうです。
帰りに、たくさんのキュウリを貰いました。

この山深い村だからこそ、担う歴史の重みがあり、また必死に村起こしに挑んでいる。
そんな人々の心意気を感じる旅でもありました。


次回に続きます。






20160905

Visited a southern part of the Shinshu region 2: Komagane highland

南信州を訪ねて 2: 駒ヶ根高原





<  1. A dry riverbed >
< 1. 河原 >


Today, I introduce Komagane highland.
We played with our grandchildren in this dry riverbed.


今日は、駒ヶ根高原を紹介します。
ここには孫達と河原で遊ぶ為に来ました。



Komagane highland
There is this highland in front of where a river flowing from Mt. Komagatake in Kiso Mountains ( the central Alps) joins Tenryu River.
This highland is 800m above sea level at the maximum in Ina Basin.
Here is a ropeway for climbing on the mountain, ski areas and hotels, and it becomes a huge resort area.



駒ヶ根高原
この高原は、中央アルプスの駒ヶ岳から流れる川が天竜川に合流する手前にあります。
この高原は伊那盆地で最大で、標高800mあります。
ここには登山用のロープウェイやスキー場、ホテルがあり、一大リゾート地です。





<  2.  Arrived at the destination  >
< 2.到着 >


It was fine weather, and the sunlight was strong.

快晴で、日差しは強かった。






<  3.  Walking the suspension bridge  >

< 3. 吊り橋を歩く >





<   4.  Views from the suspension bridge  >
< 4. 吊り橋からの眺め >


Upper photo:  upstream direction.
Lower photo:  downstream direction.
We can see Ina Basin in the back, and beyond it, see Southern Alps.


上の写真: 上流側。
下の写真: 下流側。
遠くに伊那盆地、その向こうに南アルプス、白根三山が連なる。




<  5.  going down to the dry riverbed  >
< 5. 河原に降りる >


Many families enjoyed playing in the water.

多くの家族連れが水遊びを楽しんでいた。






<  6.  On the dry riverbed  >
< 6. 河原 >

The water of the river was not so cold  because probably it was shallow.
Our grandchildren touched with nature and were joyful.
We were having happiest moment.


This continues the next time.



川の水は、浅いせいかそれほど冷たくなかった。
孫たちは、自然と戯れ喜々としていた。
至福の時が流れて行きました。


次回に続きます。






20160903

Visited a southern part of the Shinshu region 1: Narai-juke, a post town


南信州を訪ねて 1: 奈良井宿






< 1. Narai-juke >
< 1.奈良井宿 >


From now on, I introduce a Southern part of Nagano prefecture that we traveled in summer.
Today, I introduce the Narai-juke that is a one of old post towns.


これから、夏に旅行した長野県南部を紹介します。
今日は古い宿場町の奈良井宿を紹介します。


Abut this trip
We went round each place by our car.
The period is from August 19 to 22, 2016.
I can’t introduce the sightseeing of the 20th due to a drizzle.
But it was fine weather every day except for the day.


今回の旅行
車で各地を巡りました。
期間は2016年8月19日から22日までです。
20日の観光は霧雨で紹介出来ませんが、他は快晴に恵まれました。




<  2.   visited places   >
< 2.今回の訪問地 >

Upper side of the photo is the north side.


No. 1:  Narai-juke.
We walked around the old post town.


No. 2:  Komagane highland.
We played with our grandchildren in the riverbank.


No. 3:  Achi village
We visited the Peace Memorial Hall for Volunteer Pioneer of Manchuria and Mongolia, and the inner shrine of Achi-jinja Shrine.
We stayed at Hirugami Onsen, a hot spring resort and went to the morning market.


No. 4:  “Heavens Sonohara” , a plateau.
We had gazed at the star-sprinkled sky while sitting on the plateau at the night.


No. 5:  Jibusaka Kougen, a plateau.
We enjoyed a view from the peak called a horseback.



上側が北です。


番号1: 奈良井宿。
宿場町を散策した。


番号2: 駒ヶ根高原。
河原で孫と遊びました。


番号3: 阿智村。
満蒙開拓平和祈念館、阿智神社奥宮を訪問した。
昼神温泉に宿泊し、朝市に行きました。


番号4: ヘブンスそのはら。
夜の高原で満点の星空を観察しました。


番号5: 治部坂高原。
峰(馬の背)から眺望を楽しみました。






< 3.  Maps of Narai-juke  >
< 3.奈良井宿の地図 >


Upper photo:  the five land traffic routes in the Edo period.
Nakasen-do Road is indicated in a brown line connecting between two red points, and connected Edo and Kyoto.


Central photo:  upper side of the photo is the north side.
A elongated town is Narai-juke, and if you go to the right-hand road, you can arrive at Edo.


Lower photo:  the expansion of Narai-juke.
We parked our car in a parking area B and crossed a big bridge.
we started to take a walk from the east end S, and turned back at the west end E.



上の写真: 江戸時代の五街道。
中山道は茶色線で、赤丸の京都と江戸を結んだ。


中央の写真: 写真上が北。
中央の街並みが奈良井宿で、右に行けば江戸に至る。


下の写真: 奈良井宿の拡大。
駐車場Bに車を止めて、大きな橋を渡った。
東端のSから散策を始め、西端のEで折り返した。


Narai-juke
Narai-juke was one of the post towns on the Nakasen-do Road, and was flourished by travelers who prepared crossing the “Torii Pass” which was hardest pass on the Kiso.
In addition, Narai-juke is at the highest altitudes in the Nakasen-do Road, and the town having approximately 1km long is the longest post town in Japan.
Narai-juke was established as a relay station in 1601, and there were 8 various accommodations for samurai and average people.  
Narai-juke was famous for the wood industry such as lacquerware and hair comb, and these were popular as a souvenir of travelers.


Nakasen-do Road connected between Edo and Kyoto, and passed through mountain area unlike Tokai-do Road passing along sea shore.
In despite of flat road, Tokai-do Road had defects such as getting stuck at swollen rivers, and strict controls.
Thus, 67 post towns and Narai-juke on Nakasen-do Road prospered in the Edo period.


奈良井宿
ここは中山道の宿場町で、木曾の難所、鳥居峠を南に控え、多くの旅人が泊まった。
また中山道の中で最も標高が高く、約1kmの街並みは日本最長の宿場町です。
1601年に宿駅に指定され,江戸時代後期には本陣1軒・脇本陣2軒・旅籠5軒があった。
江戸時代から曲げ物、櫛、漆器などの木工業が盛んで、旅の土産物として人気があった。


中山道は京都と江戸を結び、海岸沿いの東海道に比べ山間部を通った。
平坦な東海道であったが、増水した川での足止め、厳しい取り締まりなどの欠点があった。
こうして中山道の67箇所の宿場、そして奈良井宿は江戸時代に栄えた。





<  4.  parking area B  >
< 4.駐車場Bにて >


Upper photo:  Kiso-Ohashi bridge.
this is a largest class in wooden bridges which don't have a supporting beam.


Central photo:  I saw the east side from the top of the bridge.
Going this direction, the road goes through Shiojiri and reaches Edo.


Lower photo:  I saw the west side from the top of the bridge.
There is Torii Pass in this side and the road reaches Kyoto.



上の写真: 木曽の大橋。
橋脚を持たない木製の橋としては大きい。


中央の写真: 橋の上から東側を望む。
塩尻を抜け江戸に至る。


下の写真: 橋の上から西側を望む。
こちら側に鳥居峠があり、京都に至る。





<  5.  finally enters the post town >
< 5.いよいよ宿場に入る >


Upper photo:  the east end S.
Lower photo:  the street.
There is a water fountain at the near left side.
These were 6 water fountains for travelers passing through Narai-juke.



上の写真: 東端の地点S. 
下の写真: 街並み。
左側の手前に水場がある。
ここには6か所の水場があり、当時の旅人の喉を潤した。





<  6.   appearance of the street, 1  >
< 6. 街並み 1 >




<  7.   appearance of the street, 2  >
< 7. 街並み 2 >





<  8.  inside view of 3 houses >
< 8. 建物の中を覗く >


Upper photo:  a shop of folk art object.
Central photo:  a shop of lacquerware.
Lower photo:  a Japanese inn.
There are some inns, ryokan and minshuku opening now.


上の写真: 民芸品の店。
中央の写真: 漆器の店。
下の写真: 旅館。
現在も営業している旅館や民宿があります。




<  9.  I reach the west end soon  >
< 9. そろそろ端に来ました >

Upper photo:  a temple.
Central photo:  a Shinto shrine was seen at the back of the street.
Here is the west end E.


Lower photo:   Kosatsu site(street bulletin board).
This is the site that Shogunate and feudal lords wrote a law and rules to the board and put up it here.



上の写真: 浄龍寺。
中央の写真: 通りの向こうに神社が見えて来た。
ここが西の端、地点Eです。


下の写真: 高札場。
ここは幕府や領主が法律や掟を板に書いて掲げた場所です。





<  10.  at the west end of the post town  >
< 10. 宿場の西端 >


Upper photo:  I see the Shinto shrine from the street.
Lower photo:  I see the street from the Shinto shrine.
There is a water fountain and Kosatsu site at the near left side.


This continues the next time.



上の写真: 通りから鎮神社(しずめ)を見る。


下の写真: 鎮神社から通りを見る。
左側の手前に高札場と水場が見える。



次回に続きます。