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20200725

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 2: 川辺の街と村





< 1.うだつ >

今回は、この地方の街並みと山村を概観します。
街道や川湊沿いに発展したかつての街並み、
険しい渓谷や急峻な山で営み続ける山村、
そこにある生活と歴史を追います。


 
< 2. 訪問地の地図、上が北 >

詳しいは説明は前回の記事を参考にして下さい。


 
< 3. 脇町うだつの町並み >

地図のAにある街並み。
ここにはかつて吉野川の川湊があり、さらに二つの街道が交差していた。
また脇城の城下町として、藍染めの藍の集散地として発展した。
この街並みは軒から突き出した「うだつ」で有名です。


 
< 4. 貞光の旧家 >

地図のBの街中にある。
かっての庄屋の家屋を見学しました。

上: 塀越しの外観。
下: 台所と兼用の玄関。


 
< 5. 貞町うだつの町並み >

地図のBにある街並み。
ここは二層うだつの町並みで知られています。
ここの街並みは、脇町や池田町の古い町並みと異なり、吉野川と直角に延びていました。
ここは川湊に恵まれなかったが、剣山に至る貞光川が吉野川に注いでいる。
この通りは貞光の町と剣山の山村の暮らしを繋いでいた。


 
< 6. 渓谷沿いの家 >

地図のBCCDの景観。
険しい河谷に張り付くように建つ家々。

上: 貞光川
下: 祖谷川


 
< 7. 急峻な斜面の山村 >

地図のCDの景観。
祖谷川沿いの斜面には山村がかなり高い所まで広がっている。
人々は、今も暮らしている。
ここの暮らしには、幾つもの不思議がある。
なぜこのような不便な所に済まなければならなかったのか?
かつて生計は何に頼っていたのか?
平家の落人伝説との関りは?


 
< 8. 急峻な斜面にある家 >

平家の落人伝説を追って走っている間に、見かけた家々。


 
< 9.阿波池田うだつの町並み >

地図のFにある街並み。
ここは吉野川沿いの旧街道に発展した街並みです。
かつてたばこ等の集散地として発展した。



前回の旅では、日本の漁業を担う漁村と漁港を見て来ました。
そこは私達にとってはかけがえのない食の源です。
しかし、高齢化、漁家高の減少が相まって今や風前の灯火でした。
さらに東海大地震の津波が襲うことも確実です。

一部の人々は町の再生に尽力しているが、私の見た所、衰退を免れないだろう。
「持続可能な社会」「自然と穏やかに暮らす」「リモートワーク」などが定着しない限り、社会と政治が変わらなければ、未来は暗いものになるだろう。

今回は、川と山に育まれた街並みと村を見て行きます。
そこには、また違った気付きがあることでしょう。



次回に続きます。

20200721

中国の外縁を一周して 46: 昆明を訪ねて 2






*1

今回は、バスの車窓から見た昆明市内を紹介します。
公共のバスで昆明駅から雲南民俗村まで行きました。
まさに大都会でした。  


 
< 2. 昆明の衛星写真、上が北 >

青線がバスのルートで、「起」から乗って「終」で下車です。
各バス停に停車しながら45分ほどかけて到着しました。
衛星写真の下にびわ湖の3倍もある滇池が見えます。

下: 上を拡大
ホテルを8時20分頃出て、昆明駅の北側まで歩き、バスに乗った。
そしてバスは中心部を抜けて、やがて郊外にある滇池沿いに造られた雲南民俗村の前で私は降車した。


 
< 3. ホテル最上階の展望レストランから 1 >

朝食のレストランから昆明市内の360度眺望が楽しめた。

上: 西側
下: 北側


 
< 4. ホテル最上階の展望レストランから 2 >

上: 東側
下: 南側
写真中央、大通りの突当りに昆明駅の左半分が見える。


 
< 5. 朝食レストラン >

上: 朝食のレストラン

下: 大通りに出たら、朝食の屋台があった。


 
< 6. ホテルの前 >

上: 北側
下: 南側、昆明駅が見える


 
< 7. 昆明駅に近づいた >

前日、この駅で新幹線を降りた。

上: 北側
大通りの左手にホテルが見える。

下: 昆明駅


 
< 8. 昆明駅の前 >

上: 多くの人が立っている大通り沿いに、いくつかのバス停が並んでいる。
ここは昆明駅から道路一つ離れている。


 
< 9. バスは出発した >

バスは2階建てで、私は2階の最前列に陣取り、思う存分に町の眺めを楽しんだ。
朝の通勤ラッシュで、ここではまだ車に混じってバイクも多かった。


 
*10


 
*11


 
*12

郊外に来たようです。
バスに乗ってから35分ぐらい経った。


 
*13

下: 高級住宅街のようですが道路脇に、多くのレンタル自転車が見えます。


 
< 14. 雲南民俗村の前に到着 >

下: 乗って来たバスです。


次回に続きます。


20200718

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 1: はじめに






*1

これから、徳島県の山河を巡る二泊三日の旅を紹介します。
旅したのは2020年6月7日~9日で、概ね快晴でした。
今回は、山と川が生み出した景色、街並み、歴史を探ります。
大きく三つあり、吉野川中流域のかつての街並み、剣山登山、平家落人伝説の祖谷渓です。


 
< 2. 訪問地、上が北 >

上: 四国全体と旅行地
赤枠が今回の訪問地で、オレンジ枠が前回紹介した海部郡です。

下: 今回の訪問地
青線が今回紹介する主なドライブコースです。
Aから始め、途中二泊し、Fで終わります。

A: 脇町うだつの町並み
B: 貞光二層うだつの町並み
F: 阿波池田うだつの町並み
この三つは、かつて豪商が軒を連ねた町並みです。
川と山を繋ぐ街道が、かつて繁栄をもたらしました。

C: 西日本で二番目に高い剣山
登山道と山頂を紹介します。
登山道近くに一泊目のホテルをとった。

D: 祖谷のかずら橋
ここに二泊目の宿をとった。

CからDの間には様々な観光スポットがあります。
奥祖谷二重かずら橋、落合集落、東祖谷歴史民俗資料館が主です。
しかし平家落人や安徳天皇の伝説に纏わる屋敷、神社、杉の大木が山深い急斜面にひっそりと佇んでいます。

E: 平家屋敷民俗資料館

EからFの間は、大歩危小歩危の渓流で有名です。






 
< 3. 脇町うだつの町並み >

上: 脇町うだつの町並み
下: 吉野川


 
< 4. 貞光の旧庄屋家 >

上: 貞光の旧庄屋家
下: 貞光川の上流


 
< 5. 剣山の山頂近く >

上: 宿泊地から見た夕焼け
下: 剣山の登山リフトからの眺め


 
< 6. 剣山山頂からの眺め >

上: 剣山山頂からの眺め
下: 登山リフト下駅近くから、祖谷渓谷を見下ろす


 
< 7. 奥祖谷二重かずら橋 >

上: 奥祖谷二重かずら橋の一つ
下: 落合集落


 
< 8. 祖谷渓  >

中流の橋の上から上流を望む。


 
< 9. 祖谷のかずら橋 >

上: 祖谷のかずら橋
下: 祖谷のかずら橋の川原に降りて、上流を望む



 
< 10. 喜多家の武家屋敷 >

上:  喜多家の武家屋敷 
下: 落人伝説が眠る地に向かう急斜な細い道


 
< 11. 栗枝渡八幡神社 >

ここにもいつかの安徳天皇伝説がある。



 
< 12. 東祖谷歴史民俗資料館 >

上: 落合集落を横から眺める
下: 東祖谷歴史民俗資料館


 
< 13. 平家屋敷民俗資料館 >

上: 外観
下: 内部


 
< 14. 阿波池田たばこ資料館 >

上: 道の駅大歩危からの眺め
下: 阿波池田たばこ資料館


次回に続きます。


20200713

徳島の海岸と漁村を巡って 10: 日和佐城と遊歩道






*1


今回は、既に訪問した日和佐の町を見下ろす日和佐城を目指しました。
今回で、徳島海部郡の漁村と海岸の旅は終わります。
訪問したのは2020年4月23日と24日、快晴に恵まれました。


 

< 2.大砂海水浴場 >

鞆浦から北に一つ大きな岬を越えると、大きな浜が見えました。
ここは海水浴場です。

上: 砂浜の全景。
下: 砂浜の東端。
遠方に見えるのが越えて来た岬です。




 
< 3. 大砂海水浴場の東側に続く海岸 >

下: 沖の島は手羽島です。
これからこの島に渡るために、牟岐港に向かいます。

 

< 4.牟岐町 >

牟岐川の河口に牟岐漁港があります。
河口の右岸に、手羽島との連絡船乗り場があります。
乗り場に行くと、残念ながら渡れないことがわかりました。
一日の船便も少ないのですが、コロナ対策の為に、よそ者は年寄りの多い手羽島への渡航は出来ないとのことでした。
私も年寄りだが、行こうとした自分の愚かさに恥じ入りました。

上: 牟岐川の左岸。


 
< 5. 牟岐駅 >

日和佐までは一度海岸を離れて山間を走ります。

上: 牟岐駅


 
< 6. 日和佐城 >

上: 手前の奥潟川が奥の北河内谷川に合流し、日和佐漁港に至る。
これを見下ろすように右手の山頂に日和佐城が見える。

下: 山頂に来てみると大規模な改修工事中でした。

日和佐城は、かつて山頂にはあったようですが、この写真の物は再現されたものではない。
本当の城の築城時期は、既に紹介した海部城とほぼ重なるようです。
室町時代末期、この地域(宍喰、鞆浦、日和佐)は阿波の三好勢と土佐の長曾我部が衝突する最前線でした。
この緊張した状況が築城に向かわせたのでしょう。
後に長曾我部がこの地を攻略するが、戦国時代を経て阿波は蜂須賀家、土佐は山内家に支配された。


 

< 7. 海岸沿いの遊歩道 >

上: 日和佐城の横を通る遊歩道
全長12kmもあります。

下: 私は番号1から2までの途中を往復しました。
以下の写真は撮影順に並んでいます。

 

*8


 
< 9. 日和佐の町を見下ろす >

上: 中央に北河内谷川、左に厄除けで有名な薬王寺の朱色の塔が見える。

下: 手前に北河内谷川が左から右に流れている。
眼下の町が日和佐の中心部です。


 
< 10. 大浜海岸 >

上: ウミガメが来ることで知らている大浜海岸。

下: 大きな洞穴は恵比須洞です。



 
 < 11. 遊歩道から大海原を望む >


これで今回の旅行記を終わります。

次回から、吉野川沿いのかつての商家の町並み、剣山登山、祖谷渓のかずら橋と平家落人の里を紹介します。


20200710

中国の外縁を一周して 44: 新幹線で昆明へ 2






*1

今回は、新幹線の麗江-昆明間の後半の景色を紹介します。
なかなか見ることのできない中国奥地の景観が広がります。




 
< 2. 新幹線のルート、上が北 >

今回は、鹤庆駅から昆明駅までの車窓風景です。
これは今回乗車のほとんど全区間ですが、鹤庆駅から上関駅までの後半はトンネルが多かった。

数年前、新幹線が出来る前は寝台車だけがこの区間を運行していたので、昼の景色を眺めることは出来なかった。
バスはあるらしいが。

今回の旅行の目玉の一つが、東南アジアやインドに接する雲南(麗江・昆明)の訪問でした。
ここには多くの少数民族が暮らし、また古今に亘りアジア文化が行き交った結節点でもありました。
また中国の中原から見れば辺鄙な山岳地帯であった為、中華文明や中華帝国の影響があまり及ばなかった。
もっとも1世紀、諸葛孔明は雲南を平定し、13世紀、モンゴルのクビライも大理と昆明を征服していたが、あまりも遠方の為か、いずれも現地の王に統治させた。

実は、昆明を2日かけて観光することになったのは香港のデモのお陰なのです。
当初予定では、昆明南から桂林、広州経由で香港まで一気に新幹線で走り抜けるつもりでした。
ビザ無しの観光が15日以内なので、香港1泊を加えて中国の外縁を周るには、昆明南に夕刻到着し、翌朝早くには新幹線に乗車しなければならなかった。
私は30年ほど前、観光で香港と広州を訪れていたので、様変わりした様子を見たいと思っていた。

結果的に、昆明をゆっくり堪能することが出来ました。


 
*3

写真は撮影順に並んでいます。
ここらはまだ標高2200mほどはあるでしょうか。

 
 
*4

非常に緑豊かで、畑作も盛んなようです。
蘭州に至る車窓でもトウモロコシ畑が多く見られた。


 
*5


 
< 6. 洱海が見えた >

多くのトンネルを抜けた後、やっと大理古城に面する大きな湖、洱海が見えた。
湖の大きさは南北約42km、平均幅は約7kmでしょうか。
大理は白亜の三つの細長い仏塔で有名です。

上: 山の斜面、南面に多くの墓石が見られた。
これまで新幹線で中国を1700km通過して来たが、大規模な墓地を見るのは初めてでした。
北京―鄭州―開封の大平原、開封―洛陽―西安―蘭州の黄河沿いの平原から渓谷では、車窓から見えたのは数基からなる墓石が数個所だけでした。

ここは中原に比べ、墓石の形が違い、集団の大規模な墓地がある。
明らかに文化の違いを感じる。
遠目では分からないが、最も日本の墓石に似ているような気がした。
形は扁平な羊羹を立てようなもので、半数は上部が半円状になっていた。
そして全てが同じ向きに並んでいた。
これは白族(ペー)の墓地かもしれない。

中央と下: 雲が対岸を覆い、よく見えない。







 
< 7.洱海の終端 >

新幹線は洱海の東岸を走るのですが、大理古城は西岸にある。
東岸にも発展中の町がありました。

中央: おそらく島の見える方向の対岸に大理古城があるはずです。

下: この辺りが洱海の南端で、対岸の高層ビル群は大理の新市街、中心部でしょう。

ここからは線路が分岐し、私達の新幹線は昆明に向かいます。


 
< 8. 大理 >

ここはまだ湖の南端、大理ですが、一帯は盛んに建設、開発が進行中です。


 
< 9.風景が変わって来た >

古いタイプの民家は無くなり、住居が密集するようになって来た。
相変わらず渓谷を走り抜けるが、起伏のある丘にも住居がある。
距離的に半分ぐらい来たでしょうか。

下: 新たな墓石が見えた。
一つ一つの墓石が大きく、門型に見える。
ここの様式はまた異なる。


 
< 10. 南华站 >


 
< 11. 楚雄站 >

後、百数十kmで昆明に到着です。


 
< 12. 昆明に到着 >

ここも蘭州と一緒で、最果ての町と思っていたのですが、大都会でした。


次回に続きます。