20200710

中国の外縁を一周して 44: 新幹線で昆明へ 2






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今回は、新幹線の麗江-昆明間の後半の景色を紹介します。
なかなか見ることのできない中国奥地の景観が広がります。




 
< 2. 新幹線のルート、上が北 >

今回は、鹤庆駅から昆明駅までの車窓風景です。
これは今回乗車のほとんど全区間ですが、鹤庆駅から上関駅までの後半はトンネルが多かった。

数年前、新幹線が出来る前は寝台車だけがこの区間を運行していたので、昼の景色を眺めることは出来なかった。
バスはあるらしいが。

今回の旅行の目玉の一つが、東南アジアやインドに接する雲南(麗江・昆明)の訪問でした。
ここには多くの少数民族が暮らし、また古今に亘りアジア文化が行き交った結節点でもありました。
また中国の中原から見れば辺鄙な山岳地帯であった為、中華文明や中華帝国の影響があまり及ばなかった。
もっとも1世紀、諸葛孔明は雲南を平定し、13世紀、モンゴルのクビライも大理と昆明を征服していたが、あまりも遠方の為か、いずれも現地の王に統治させた。

実は、昆明を2日かけて観光することになったのは香港のデモのお陰なのです。
当初予定では、昆明南から桂林、広州経由で香港まで一気に新幹線で走り抜けるつもりでした。
ビザ無しの観光が15日以内なので、香港1泊を加えて中国の外縁を周るには、昆明南に夕刻到着し、翌朝早くには新幹線に乗車しなければならなかった。
私は30年ほど前、観光で香港と広州を訪れていたので、様変わりした様子を見たいと思っていた。

結果的に、昆明をゆっくり堪能することが出来ました。


 
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写真は撮影順に並んでいます。
ここらはまだ標高2200mほどはあるでしょうか。

 
 
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非常に緑豊かで、畑作も盛んなようです。
蘭州に至る車窓でもトウモロコシ畑が多く見られた。


 
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< 6. 洱海が見えた >

多くのトンネルを抜けた後、やっと大理古城に面する大きな湖、洱海が見えた。
湖の大きさは南北約42km、平均幅は約7kmでしょうか。
大理は白亜の三つの細長い仏塔で有名です。

上: 山の斜面、南面に多くの墓石が見られた。
これまで新幹線で中国を1700km通過して来たが、大規模な墓地を見るのは初めてでした。
北京―鄭州―開封の大平原、開封―洛陽―西安―蘭州の黄河沿いの平原から渓谷では、車窓から見えたのは数基からなる墓石が数個所だけでした。

ここは中原に比べ、墓石の形が違い、集団の大規模な墓地がある。
明らかに文化の違いを感じる。
遠目では分からないが、最も日本の墓石に似ているような気がした。
形は扁平な羊羹を立てようなもので、半数は上部が半円状になっていた。
そして全てが同じ向きに並んでいた。
これは白族(ペー)の墓地かもしれない。

中央と下: 雲が対岸を覆い、よく見えない。







 
< 7.洱海の終端 >

新幹線は洱海の東岸を走るのですが、大理古城は西岸にある。
東岸にも発展中の町がありました。

中央: おそらく島の見える方向の対岸に大理古城があるはずです。

下: この辺りが洱海の南端で、対岸の高層ビル群は大理の新市街、中心部でしょう。

ここからは線路が分岐し、私達の新幹線は昆明に向かいます。


 
< 8. 大理 >

ここはまだ湖の南端、大理ですが、一帯は盛んに建設、開発が進行中です。


 
< 9.風景が変わって来た >

古いタイプの民家は無くなり、住居が密集するようになって来た。
相変わらず渓谷を走り抜けるが、起伏のある丘にも住居がある。
距離的に半分ぐらい来たでしょうか。

下: 新たな墓石が見えた。
一つ一つの墓石が大きく、門型に見える。
ここの様式はまた異なる。


 
< 10. 南华站 >


 
< 11. 楚雄站 >

後、百数十kmで昆明に到着です。


 
< 12. 昆明に到着 >

ここも蘭州と一緒で、最果ての町と思っていたのですが、大都会でした。


次回に続きます。





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