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20160826

地中海クルーズとカナリヤ諸島クルーズ 29: ローマ3、終わり





< 1.コンスタンティヌスの凱旋門、4世紀  >


今日は,この旅行記の最後になります。
ローマを紹介して、この旅行を簡単に振り返ります。



 

< 2.サンタンジェロ城、2世紀 >





 

< 3.テヴェレ川沿い >
上の写真: テヴェレ川の向かいにアヴェンティーノの丘が見える。
ここはローマの発祥の地となった七丘の一つで、5世紀に遡る教会がある。

中央の写真: このテヴェレ川の右岸がアヴェンティーノの丘。
下の写真: 「真実の口」の彫刻があるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会。



 

< 4. パラティーノの丘 >
上の写真: 手前の広場は紀元前の戦車競技場跡、チルコ・マッシモ。
その後ろはパラティーノの丘で、最も歴史が古く、ローマ建国神話に繋がる紀元前8世紀に遡る。
この丘の奥に古代ローマの遺跡で有名なフォロ・ロマーノがある。

下2枚の写真: 上記の拡大。



 

< 5.コロッセオ >


あまりにも有名な円形競技場コロッセオです。
左にコンスタンティヌスの凱旋門がある。




 

< 6. コロッセオとフォロ・ロマーノ >

コロッセオの向こうにフォロ・ロマーノが見える。



 

< 7. チビタベッキアに向けて 1 >

いよいよ帰国の途に着きます。
チビタベッキア港からジェノバに戻り、ミラノから空路で帰国です。


 

< 8.チビタベッキアに向けて 2 >

この日は折しも曇天で、旅行の終わりがよりわびしくなりました。


ローマに思う
イタリアは私にとって古代ローマから中世に至るヨーロッパ史を知るには重要な所と考えていました。
しかし、今回ミラノ、ジェノバ、ローマを観光して、その思いは萎えてしまいました。
特に、ローマの中心部の街並みを見るにつけ、すべてが古いままのたたずまいであることに不安を感じた。

これでは観光地としては良いが、発展への妨げになるのではないかと思えた。


私は人類の未来を知る為に、以前は先史から古代史を理解することが大事だと考えたが、今は直接的に中世以降の世界の紛争や戦争に関心があります。
その意味で、私にはローマが遠い存在になってしまったようです。





 
*9

この旅行を終えて

この15日間の旅行、内12日間のクルーズは、私達夫婦にとって貴重な経験でした。
出発前、初めてのことで色々不安はあったが添乗員のおかげで無事、かつ充分な満足感を持って終えることが出来た。

数々の思いでが蘇ります。
イタリア3都市、スペイン2都市、モロッコ1都市、大西洋の2島を観光した。
冬の地中海と大西洋を経験し、大航海時代の始まりを告げる2島を見た。
この島では、大自然を感じることが出来た。
アフリカのイスラム圏であるカサブランカを体験した。
二度目のスペインで、ガウデイとピカソに触れることが出来た。
クルーズ船内の生活をエンジョイし、クルーズならでは街歩きを楽しんだ。
様々な遺跡、景色、洋上の朝日夕日を写真に撮った。
そして、海外の人々と船内や町歩きで触れ合うことが出来た。

すべて貴重で楽しい思い出になりました。






 
*10


長らくこの旅行記にお付き合い頂きありがとうございました。

10月には、ロシア、バルト三国、ポーランドを巡る旅に行きますので、報告することを楽しみしています。

20160823

地中海クルーズとカナリヤ諸島クルーズ 28: ローマ 2







< 1. トレビの泉 >


今日はローマの2回目で、トレビの泉とバチカンを紹介します。





< 2. 多くの彫刻 >

一番上左の写真: トリトーネの噴水。ベルニーニ作、17世紀。
一番上右の写真: 十字路の建物の角にあった彫刻。
下から2枚の写真: テーヴェレ河にかかるポンテ ・ ヴィットーリオ ・ エマヌエーレ 2世橋、1886年。





< 3. 様々な建物 >
一番上の写真: ヴェネツィア広場のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂、1911年。
上から2番目の写真: テーヴェレ河に建つサン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・フィオレンティーニ教会。16世紀。
一番下の左: トラヤヌス市場の傍にある戦士の塔。初期建築は12世紀。




< 4. トレビの泉 >

古代ローマ時代の泉を改造して1762年完成。
中央に水を司るポセイドーンが立ち、左に豊饒の女神デーメーテール、右に健康の女神ヒュギエイアが配置されている。

多くの人だかりで、好位置で写真を撮るのは困難でした。





 

< 5. バチカン市国 >
上2枚の写真: カトリックの総本山サンピエトロ大聖堂。
下の写真: サンピエトロ大聖堂からサンピエトロ広場を見る。





 

< 6. いよいよ入場 >
上の写真: サンピエトロ広場のオベリスク。
下の写真: サンピエトロ大聖堂の正面から入場。





 

< 7. サンピエトロ大聖堂内1 >




< 8. 大聖堂内の美術品 >
上の写真: ミケランジェロのピエタ。1499年、高さ174cm、大理石。
下の写真: ラファエロの「キリストの変容」。1520年。



< 9. 大聖堂内部2 >



< 10. 大聖堂内部3 >

2本のビデオ映像、大聖堂内20秒、広場17秒です。



サン・ピエトロ大聖堂  
使徒ペテロの墓所上に建てられたギリシア十字プランを基本とし中央に壮大なドーム(直径42m)を架した盛期ルネサンス建築。

旧聖堂はローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって324年に創建された。
1452年教皇ニコラウス5世が改修に着手し,その没後工事は中断したが,教皇ユリウス2世が16世紀初めに工事を再開した。
その後、私達が良く知る芸術家が関わった。
ラファエロ1515年―1520ミケランジェロ1547年―1564年(大ドームを設計)、等と監督を務め,イタリア・ルネサンス最大の建築事業となり、1626年に完成した。

聖堂の前のサン・ピエトロ広場を囲む半円形の円柱回廊は1657年―1667年にベルニーニが建造。


ただただ巨大さ、壮麗さ、著名な作家による美術品の多さ、それと観光客の多さに圧倒されました。



次回に続きます。



20160810

地中海クルーズとカナリヤ諸島クルーズ 26: マラガ 2




 

< 1.ピカソの像 >


今日は、マラガの後半、ピカソに関連するものを主に紹介します。




 


< 2. カテドラルからメルセー広場に向かう >

上の写真: カテドラルの北側。
中央の写真: 賑やかな通り。
下の写真: 通りのベランダ。




 

< 3. サンティアゴ教会 >
上の写真: 教会の正面。
マラガがキリスト教徒に奪還された3年後の1490年に建設された。
ピカソが洗礼を受けた教会らしい。
入場しなかった。

下の写真: 教会の尖塔。
尖塔の側面の模様にはイスラム文化(ムデハル様式)の影響が色濃く残っている。





 

< 4. メルセー広場とピカソの生家 >
上の写真: 通りからメルセー広場が見えた。
中央の写真: メルセー広場。
この広場の奥の方にピカソの像(No.1の写真)と生家がある。
ピカソはこの広場で10才まで遊んだ。

下の写真: 正面の建物の左側1階に、生家への入り口がある。
入場しなかった。



 


< 5. ピカソ美術館 >

美術館のホームページ。

上の写真: 16世紀の宮殿を改造した美術館。
塔の左側に入り口がある。
ピカソの親族からの寄贈された200点ほどの作品が収められている。

下の写真: 美術館内。





< 6. ピカソの美術館作品 1 >
ピカソの作品を古い方から並べました。

No.1: OLGA KHOKHLOVA IN A MANTILLA、1917年作。
No.2: MATHER AND CHILD、1921年作。
No.3: WOMAN WITH RAISED ARMS、1936年作。

ピカソについて
ピカソは1881年にマラガで生まれ、11歳にはここを出てスペイン内の二か所の美術学校で学んだ。
21歳で、パリに居を構え制作に専念し、その後もフランスで活動し、1973年に死去した。


彼はキュビスム(No.3、4のような作品)の創始者の一人ですが、彼の作風はめまぐるしく変化した。
その変化の陰に、数多くの女性がいた。
ピカソはその出会いから多くのインスピレーションを受けたが、悲劇的な結末をむかえた女性もいた。
美術館の解説で、多くの妻や子供のエピソードが絵に込められているのが面白かった。




 


< 7. ピカソの美術館作品 2 >

No.4: JACQUELINE SEATED、1954年作。
No.5: BATHER PLAYING、1958年作。 
No.6: BATHER、1971年作。



 


< 8.アルカサバ >

上の写真: パセオ・デル・パルケ通りから見た。
中央の写真: 西側から見た。
下の写真: 埠頭から見た。

この城塞は古代ローマの要塞跡に、11世紀中期にイスラム教徒によって建設された。
残念ながら入場していないが、写真で見る限りグラナダのアルハンブラ宮殿と似た造りです。

やはり、この地にはイスラム文化が色濃く残っていたに違いないと思った。




 


< 9. 市役所の前で >

街歩きを終えて戻っている時、マラガ市役所の前で、報道陣に囲まれた一団がいた。
彼らは、テロ犠牲者の家族だそうです。

治安が良いこの地でテロがあったことに驚いた。



 


< 10. マラガとお別れ >

これでマラガの紹介は終わります。

次回に続きます。



20160803

地中海クルーズとカナリヤ諸島クルーズ 25: マラガ 1



 < 1.カテドラルの尖塔 >

今日から、スペインの太陽の海岸(コスタ・デル・ソル)に位置するマラガを紹介します。



 

< 2.マラガの地図 >
地図の上が北です。
上の地図: 赤い点がマラガです。
下の地図: 黄色い線が徒歩観光したルート。
Sから徒歩観光を始め、No.2、3、4を巡り、またSに戻った。



 


< 3. 早朝のマラガ港 >

日の出前に、船は着岸していた。
ここは人口57万人をようするスペイン第6位の都市で、大きな港がある。





 


< 4. マラガの海岸通り >

下の写真: マラガ市役所。
海岸に沿って伸びるパセオ・デル・パルケ通り。




 


< 5. パセオ・デル・パルケ通りからアラメダ・プリンシパル通りへ >
海岸に沿って伸びるパセオ・デル・パルケ通りの歩道にはヤシの木が茂り、朝から日差しが眩しかった。

上の写真: マラガ大学。
下の写真: ここを進むとアラメダ・プリンシパル通りに入るが、ここで右に曲がり、マルケス・デ・ラリオス通りに入る。




 


< 6. マルケス・デ・ラリオス通り 1 >

ここは大きなショッピング街です。



 

< 7. マルケス・デ・ラリオス通り 2 >

ここは市民や観光客で賑わう通りでした。






< 8. 面白いもの >

この人形はマルケス・デ・ラリオス通りからカテドラルに向かう道の上部にあった。



 


< 9.カテドラル 1 >



 


< 10. カテドラル 2 >

16世紀に建設が始まったが、資金不足のため右の塔が未完成のまま18世紀中頃に工事が終了した。


マラガに想うこと
マラガはピカソ生誕の地で、ガウディ生誕の地と同様に地中海に面している。
鮮やかな色使いと時代を革新する大胆な芸風を生む共通の何かが、スペインのこの地域にはあるのだろうか。
マラガは東にグラナダ、北にコルドバに近く、キリスト教徒がイスラム教徒をイベリア半島から追い出すわずか5年まで、イスラムの地でした。

今はイスラム文化を遺すものが見当たらないが、貿易で栄えるこの港町は、7百年間のイスラム文化とキリスト教文化が融合し、刺激しあったのだろう。


次回に続きます。