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20210102

没落を食い止める! 1: はじめに 1: 悲惨な・・・

  


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私は不思議でならない!

没落させても平然としている人々。

片や、衰退の真実に目を背ける人々。

今や、この両者が日本を覆い尽くすようになってしまった。

 

この現状から脱したい!

この思いで、連載を始めました。

 

 

* 目に余る悲惨な現状!

 

今、奇怪な現象が中国地方西部で頻発、集中している。

 

これはチャイナで無く、日本の話しです。

国会で118回も虚偽発言した元首相、元農林水産大臣に贈賄した企業、買収を行った元法務大臣夫婦の事件などです。

これらは不思議な事に、山口県と広島県の国会議員か企業に偏っている。

この地は明治の元勲や戦後の首相、岸、池田、佐藤などを生み出した所です。

 

私には、その偉大な歴史ではなく、今まさに日本が陥っている状況を象徴しているように思える。

大半の日本人は、これらの事件を単なる政治家や企業の腐れ縁に過ぎないと思っている。

確かに、幾度も繰り返されている光景だが、益々政治は腐敗し、その悪弊が社会に浸透し、民主主義が崩壊しつつあることを物語っている。

象徴と感じるのは、正に著名な政治家を生んだ地ほど病んでいるからです。

 

例えば強姦の逮捕状が出され揉み消された山口元記者、長年認められなかった獣医学部新設で便宜供与が疑われる加計理事長(岡山県)らはいずれも、元首相に近い人物です。

 

これは社会がパトロネージュ(政治家と後援者の癒着)によって腐敗し衰退するという世界史に通じる現象です。

栄華を極めた王朝もやがて権力者の恣意的な政治によって経済社会は非効率になり悪化し、回復不能に陥りました。

やがて各地で反乱が起き、これ幸いと外敵が一気に崩壊させることもありました。

中国の宋、朝鮮半島の高麗、フランスのルイ王朝などが好例でしょう。

 

ここで視点を海外に移します。

 

私が旅行中、コペンハーゲンで10年ほど暮らしていた日本女性に会った時の事です。

彼女が北欧に来て最も鮮烈な印象を受けたのは、政治腐敗(汚職)がまったく存在しないことでした。

彼女は、依然として頻発する日本政治の汚職に呆れていた。

 

例えば、国の腐敗を示す腐敗認識指数で、デンマークは世界180か国中最良の一番、しかも継続している。

一方、日本は2011年に最高の11位をつけたが、なぜかその後凋落を始め、現在18位です。

2012年末の第二次安倍政権誕生と関連が有るかは不明ですが・・・。

 

少なくとも日本がいつまでも先進国とか、「Japan as Number One」(1984年刊行の日本礼賛本)とか思わないで下さい。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

20200829

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 5: 吉野川から貞光へ 

  













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これから剣山に向かってドライブします。

途中、吉野川の潜水橋と二層うだつの町並みで知られる貞光を訪れます。

今回は、脇町潜水橋と貞光にある旧庄屋屋敷を紹介します。

 

 

< 2. 訪問地マップ、上が北 >

 

上: 全体図

青の四角印:うだつの町並みの脇町

黒矢印: 脇町潜水橋

赤の四角印: 二層うだつの町並み貞光

地図中央下部の赤字: 剣山

 

下: 拡大図

青の四角印:うだつの町並みの脇町

黒矢印: 脇町潜水橋

赤の四角印: 二層うだつの町並み貞光

赤い矢印: 剣山に向かう道路

 

 

 

< 3.脇町潜水橋 >

 

上: 南側から潜水橋を望む

私が立っているのは大きな中洲の舞中島です。

この橋の幅は車1台分しかありません。

昭和の初めまで、ここは渡しで行き来したそうです。

 

下: 対岸の右手がうだつの町並みがある脇町

 

 

 

 

< 4. 下流側を望む >

 

川幅は広く、底は浅い。

30年ほど前、子供を連れて、この上流の貞光辺りから下流の穴吹辺りまでの吉野川で泳ぎました。

当時、水は透き通り、美しい自然の中で遊ぶことが出来ました。

 

 

 

< 5. 上流側 >

 

 

 

< 6. 貞光に到着 >

 

私は昼食を、直ぐ近くの「道の駅 貞光ゆうゆう館」でとりました。

コロナ騒動の時でしたが、レストランは開いていました。

眺めも良く、居心地の良いレストランでした。

 

街並みを見るのに駐車場が見当たらなかったので、つるぎ町役場に停めました。

 

上: 松尾神社が見える。

役場の駐車場から出て、松尾神社の前で交差点を左に折れると、二層うだつの町並みが見えるはずです。

 

下: 古い商店街は続くが、うだつは見えない。

 

 

 

< 7. やがてうだつが見えて来た >

 

確かに、こちらはうだつが二層になっている。

しかし脇町に比べると、何か雰囲気が違うと言うか、伝統家屋の町並みと言うより寂れた街並みにしか見えない。

 

何が違うのか?

多くの古い家屋がここ半世紀の間に現代の商店に改修されているようだが、既に古くなっている。

この通りは統一された伝統的家屋の保存が出来ていないのか?

 

さらに見て行くとある違いに気が付いた。

通りが広く、通りの向きが吉野川に直行している。

つまり貞光川に並行し、山に向かっている通りと言える。

また家屋の二階の高さが高く、二階は住居として供され普通の窓が見られる。

一方、脇町では二階の天井が低く、漆喰壁に虫籠窓があるのがほとんどでした。

 

この違いは、この通りの出来た由来と時期が、脇町と異なる事が大きい。

 

一宇から剣山に通じる一宇街道(旧街道)がここ貞光から始まった。

ここは山の産物と平野の産物の交易で発展し、その街道沿いに商家が並んだ。

一方脇町は、城下町と撫養街道が交わった近くの川湊に沿って商家が並んだ。

貞光と脇町は、ほぼ同時期(江戸時代、蜂須賀家)から発展したが、貞光の町並みづくりが少し遅れたことにより、貞光の商家は防火目的よりは豪華さを競って二層のうだつにしたようです。

 

 

 

 

 

 

< 8. 通りを右に折れて入る >

 

下:  旧永井家庄屋屋敷が見えた。

江戸中期に建築された庄屋屋敷です。

左手に無料の駐車場(7台ぐらい)があった。

 

 

 

< 9. 門の前に来た >

 

上: 駐車場から写真を撮っている。

 

 

 

 

< 10. 門を入る >

 

上: 入ると、右手に立派な庭園がある。

 

下: 少し進むと正面に玄関らしいものが見えたが、入口は左らしい。

平屋の屋根は茅葺だ。

 

 

 

 

< 11. 倉庫らしき物が見える >

 

上: 左に曲がると、中庭を隔て二階建ての倉庫らしきものが見えた。

 

下: 右手直ぐに平屋建物への入口があった。

そこを入ると、大きな土間のある台所だった。

私が、この土間に入ると、直ぐに女性が出て来て、どうぞ見てく下さいと促された。

ここの入場料は無料でした。

観光客をまったく見なかったが、管理人が居ながら無料とは、少し悪い気がした。

 

写真はこれから座敷に上がる入口を示している。

 

 

 

 

< 12. 座敷に上がる >

 

上: 先ほど紹介した玄関らしき所に、花が生けられていた。

 

下: 立派な庭が見える。

 

 

 

< 13. 立派な構え >

 

槍が掛けられている。

名字帯刀が許されていた。

建物の説明は音声案内で流された。

 

 

 

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< 15.一番奥から振り返った >

 

下: 天井の写真

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

20200813

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 4: 脇町うだつの街並み 後半

  


*1

 

前回に続いて、脇町巡りの後半を紹介します。

伝統的建築物が並ぶ南町以外も歩きました。

 

 

 

< 2.街並みの全体図、上が北 >

 

上: 脇町と道の駅 藍ランドうだつ

赤枠が下の「うだつの町並み」の地図の範囲です。

赤の風船印は脇城跡、青の風船印は「道の駅 藍ランドうだつ」を示す。

直ぐ下に吉野川が見えます。

 

脇町は吉野川中流の左岸、徳島県美馬市にあります。

 

下: うだつの町並み

伝統的な街並みの東西の距離は400mです。

古い建築では江戸時代から明治・大正時代のものまであります。

青枠は道の駅の駐車場です。

ピンク線が今回紹介する街並みの散策ルートで、Sから始まり、ABCDEFと進みました。

 

下側の紺色線は江戸時代の吉野川の石積みの護岸です。

ここに当時、吉野川の川湊があった。

 

 

 

< 3. 南北に延びる通りへ >

 

うだつの町並み(南町)の西端から北に歩く。

 

上: 南を向くと吉野川の堤が路の奥に見える。

見えている四辻を左側に折れると、うだつの町並み(南町)です。

 

下: 同じ路で北を望む。

奥左の小山に脇城跡があるはずですが、城下町がどこまで延びていたかは分からない。

山門が見えるのは安楽寺ですが、この辺りにはお寺が三ヵ所も並んでいる。

 

 

 

< 4. 撫養街道(川北街道) >

 

これが昔の撫養街道です。

撫養街道を東に進む。

 

 

 

< 5.大谷川の橋から >

 

地図のA辺りです。

 

上: 下流を望む

大谷川は吉野川に注ぐ。

 

下: 上流を望む。

 

ここから下流に向かう。

 

 

 

< 6. 脇町劇場(オデオン座) >

 

上: 対岸から東側の脇町劇場を望む

 

下: 劇場内部(借用した写真)

この劇場は昭和9年に芝居小屋として建てられ、戦後は映画館となった。

西田敏行主演「虹をつかむ男」の舞台となった。

 

 

 

< 7. 中町を行く >

 

川沿いの道から右に折れ、中町を歩く。

 

上: 中町を歩く

 

下: 元美馬市立図書館

中町を歩くと左に漆喰の壁の建物があり、門をくぐると、奥に図書館があった。

左の方に進むと、倉庫があり、そこに屋台とうだつの模型があった。

 

 

 

< 8. 屋台とうだつの模型 >

 

左上: 祭礼で使われるだんじりのようです。

 

右上: うだつの模型

けっこう大きくて、手間の掛かる造りになっている。

 

下: 白い二階建ての建物がうだつの模型がある倉庫

ここで南町に戻った。

 

その右横が呉服屋「大一」で江戸時代末期の建物です。

二階の窓は「虫籠窓」で、防火と盗難防止の為に漆喰で造られています。

よく保存されているので、江戸時代の雰囲気が味わえる。

 

 

* うだつの街並みについて

 

前回、1585年に稲田種元が蜂須賀家の家老として、この脇城に来て、城下町の整備と商業の発展に力を入れたことを紹介しました。

また街道と川湊が接する地の利に加えて、蜂須賀家が藍を奨励したことにより、脇町は藍商の中心地となった。

 

そして町は発展していたのですが、江戸後期に2回、大火に遭いました。

稲田家は、防火対策として「袖壁うだつ」を奨励しました。

その後、明治時代には装飾としての役割を担うようになった。

 

この伝統的家屋には、他にも様々な特徴的な工夫が見られます。

屋根の上から下って、「鳥ぶすま」「鬼瓦」「むくり屋根」「虫籠窓」「暖簾掛け」「出格子」「持ち送り」などがあります。

歩いていると大きな表札が道路脇に立っており、上記の説明がされています。

 

昔の暮らしの知恵に触れることが出来ます。

 

 

 

< 9.通りの端を望む >

 

上: 東側を望む

奥に大谷川の橋が見える。

 

下: 端まで行って西側を望む。

地図のC辺り。

 

 

 

< 10.呉服屋「のざき」1 >

 

下: 呉服屋としては一番古い

江戸時代末期の建築。

 

 

 

< 11.呉服屋「のざき」2 >

 

上: 呉服屋「のざき」

 

下: 左の倉庫の手前にトイレがあります

 

 

 

< 12. 共同井戸 >

 

上: 井戸にはつるべ式の滑車が見える

 

下: 左奥に明治末期建築の薬種商家

 

 

 

< 13.戻って来た >

 

上: 南町の通りで西側を望む。

これで一周したことになる。

地図のD辺り。

 

下: 昔の船着場の護岸の上

この周辺に観光交流センターが揃っている。

道の駅の駐車場、その向こうに吉野川の堤が見える。

 

 

 

< 14.船着場公園に降りる階段 >

 

上: 船着場の風情がある。

この門は吉田家の裏門だったようです。

この門の左に石碑が見える。

 

下: 石碑

この石碑の赤線は、吉田家に裏門に記されていた洪水時の水位を示している。

これは国交省が明治17年に測量を始めて以降、最高水位だそうです。

 

徳島の海岸・河岸を旅行して、思い知らされたのは、何処も災害から逃れられないことでした。

 

 

 

< 15.吉野川 >

 

上: 下流を望む

 

下: 堤から脇町を望む

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

20200804

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 3: 脇町うだつの街並み 前半

 






< 1. うだつ、矢印 >

 

これから吉野川沿いに発展した「うだつの町並み」を紹介します。

「うだつがあがらない」の「うだつ」です。

今回は脇町南町巡りの前半です。

 

 

 

< 2. 街並みの全体図、上が北 >

 

上: 脇町と道の駅 藍ランドうだつ

赤枠が下の「うだつの町並み」の地図の範囲です。

赤の風船印は脇城跡、青の風船印は「道の駅 藍ランドうだつ」を示す。

直ぐ下に吉野川が見えます。

脇町は吉野川中流の左岸、徳島県美馬市にあります。

 

下: うだつの町並み

紺色が伝統的建物で多くは商家です。

伝統的な街並みの東西の距離は400mです。

古い建築では江戸時代から明治・大正時代のものまであります。

 

青枠は道の駅の駐車場で、赤線が今回紹介する街並みの散策ルートです。

ピンク線は次回紹介するところです。

 

下側の紺色線は江戸時代の吉野川の石積みの護岸です。

ここに当時、吉野川の川湊があった。

 

 

 

< 3. 道の駅 藍ランドうだつ >

 

上: 駐車場内から道の駅、町の方を見る

 

下: 少し進んで振り返る

駐車場の先に吉野川の堤防が見える。

 

 

 

< 4. かつての吉野川の護岸 >

 

写真は共に西側を望む。

かつての護岸は現在、堤防沿いの国道と伝統的な街並みの間を流れる小川の片面になっているようだ。

それでもかつての石積みの様子を伺うことが出来る。

通りの南側の商家は表通りから敷地内で裏側の川湊に繋がっていた。

再現されている白塗りの蔵が見える。

 

 

 

< 5.観光交流センター >

 

駐車場から坂道を少し昇ると観光交流センターに出た。

ここにインフォメーションセンターや工房、茶房などがある。

 

 

 

< 6.南町の通りに出た >

 

ここがメインのうだつの町並みです。

ここを訪れたのは6月7日で、コロナ禍が少し収まった時期です。

歩き始めたは10時半頃でしたが、日曜日なのに人出は少なく、店によっては閉まっている所もあった。

 

上: 東側を望む

 

下: 西側を望む

ここから通りの端まで真直ぐ230mです。

 

 

 

< 7. 格子と蔀戸 >

 

下: 看板に蔀戸(しとみど)の説明があった。

上下の二枚の戸の内、上の戸は内側に跳ね上げて吊り下げ、下の戸は上に引き抜いて外して別置きにしたのだろう。

こうして昼には、内側にある格子戸で通気を行った。

夜と雨の時は元に戻して雨戸とした。

おそらく民家ではここまでの建具を造らなかっただろう。

 

 

 

< 8. 吉田家 >

 

ここは脇町一の豪商、染料藍の商家の吉田屋です。

1792年創業で、1835年と1865年の増築された(江戸中期から後期)。

当時、使用人50人を雇い、部屋数25室と三つの蔵を備えた屋敷で、表から裏の船着場までの奥行きは70mはあるだろう。

ここは入場が有料ですが店の間までは入れて、土産物を販売しています。

 

上: 表、「店の間」への入り口が見える

 

下: 裏、船着場側から見た

右に二つの蔵が見え、左にも藍蔵がある。

 

 

Add caption

 

< 9. 吉田屋の玄関、店の間に入った >

 

 

 

< 10. 吉田屋 2 >

 

表通りから吉田屋を見る。

 

下: 白壁に沿って右に行くと藍蔵(土産屋)がある

 

 

 

< 11. 森家と将棋名人の家 >

 

上: 森家

ここは18世紀半ばから味噌・醤油卸を営んでいた。

明治13年に建て替えられ郵便局として、大正には医院として使われた。

 

 

下: 将棋名人の家

ここは旅籠だった。

ここで生まれた子が泊り客の将棋を見て育ち、後に江戸に出て、明治23年、四国では唯一の将棋名人となった。

 

 

 

< 12. 通りの西の端 >

 

上: ばったり床几

通りの方に倒して足を出すと縁台になる。

 

下: 通りの西の端

 

ここに来るまでに幾つもの伝統家屋があり、最も古い建物では1707年、徳川綱吉の時代のものもあります。

かつての店舗も様々で、紹介した以外に飴屋、繭問屋、船頭屋、瀬戸物屋、呉服屋、家具屋、反物屋、お茶道具屋があります。

 

次回は、反対方向から通りを紹介します。

 

 

* なぜここに立派な商家通りが出来たのか? 

 

「うだつ」は本来、ここだけのもではなく歴史も古いはずだが、またなぜここに大量に残り、有名なのか?

 

幾つかの面白い経緯が重なったようです。

 

 

 

 


 

< 13. 脇町の位置、上が北 >

上: 赤矢印の脇町は東西に池田から鳴門までの撫養街道が吉野川に沿って通っていた。

また渓流に沿って山を越えると瀬戸内海に出る曽江谷越えもあった。

四国の各地域から陸路で関西に向かうには、吉野川沿いの街道が便利であったろう。

 

更に、吉野川も流通の要で、上は池田から辻、半田、貞光、脇町、岩津、川島、第十に川湊があった。

下流からの荷は、米や麦などの穀物をはじめ、肥料、味噌、醤油、塩、海産物、手工芸品、雑貨、生活用品・・・・・。

上流からは藍玉 、薪、木炭、たばこ、木材、繭、和紙などの特産物を乗せて舟が下ってきました。

輸送に使われた舟は、帆を張った、浅瀬でも航行出来るように喫水を浅くした平田舟でした。

 

これで脇町が二つの街道と川湊が交差する絶好の地であることが分かった。

 

 

下: 阿波九城

実はもう一つ重要な事がありました。

それは脇城の存在でした。

 

今は、城址しかない山城ですが、天下布武を成し遂げるまで行きかけた三好長慶が1533年にここに城を造ったのが始まりでした。

戦国時代末期、この阿波の地は三好家の本拠地で、土佐の長曾我部と激しく争っており、築城が進んでいた。

この状況は前の連載「徳島の海岸と漁村を巡って」の海部城(鞆城)も同様でした。

 

やがて秀吉が西国を平定した安土桃山時代末期になると、蜂須賀家が阿波を拝領することになり、廃城が再建され阿波九城が設けられた。

この一つが脇城だった。

 

この時、秀吉から拝命を受けた蜂須賀小六は子に阿波を任せ、まだ治まっていない領地であればこそ、要の脇城に家臣団筆頭の稲田植元を城代に置いた。

 

この稲田植元が、城下町の復興を命じた。

また、この町へ来て商業を営む者には、生国を問わず税や諸役も免除した。

こうしてこの町は一大発展を遂げた。

 

 

 

 

< 14.NHK大河ドラマ >

 

脇町に関わる人物のイメージを掴みやすいようにドラマの登場人物を紹介します。

 

上: 「麒麟が来る」の人物相関図

これは京都での覇権争いの様子を示す。

下剋上にあって、足利将軍家を蔑ろにする細川管領家、さらにそれを凌ぐ三好長慶がドラマで悪役に描かれている。

事実は、新しいことに取り組み急速に独自で軍事力を備えた三好長慶でした。

早死にするので、天下布武は叶わなかったが。

 

下: 蜂須賀小六と秀吉のシーン

蜂須賀小六は阿波を拝領する前は、西国四国攻めの過程で龍野城を拝領した。

この時、稲田植元にエピソードがある。

秀吉が戦の功により、小六に龍野、植元に別の領地を与えようとしたが、植元はこれを断った。

植元は以前、小六と義兄弟の契りを結んでいたので、小六の下で仕えたいと望んだ。

これが受け入れられ、後に家老職としての地位を得、脇城拝領に繋がった。

 

 

 

 

 

< 15. さらに不思議な縁 >

 

上: 龍野城

以前、龍野城の櫻を紹介しましたが、安土桃山時代に蜂須賀小六が城主だとは知らなかった。

当時は、平城では無く山城だったのだろう。

 

中央: 淡路島の洲本城

江戸時代、植元の稲田家が淡路島を領有し、洲本に城を造った。

しかし、明治になると稲田騒動が起きて、運命の歯車は逆転する。

 

下: 映画「北の零年」

これは稲田騒動後、士族としての配置という名目で、稲田家が北海道静内と色丹島に移住開拓を命じられ、荒野の広がる北の大地で悪戦苦闘する姿が描かれている。

 

この稲田騒動は、一言で言うと版籍奉還で稲田家の扱いが徳島藩より劣っていたことが始まりでした。

徳島藩は佐幕派であったが、稲田家は尊王派で明治維新では討幕運動で貢献していたが、版籍奉還で徳島藩と同じ士族扱いでなく低かった。

こうして両家で争いが生じ、政府はこれを収めるために、稲田家を士族扱いで荒地の北海道に送った。

 

私は今年になってから近場の旅行をするようになったが、色々な場所が、歴史的繋がっていることを知り驚いている。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

20200725

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 2: 川辺の街と村





< 1.うだつ >

今回は、この地方の街並みと山村を概観します。
街道や川湊沿いに発展したかつての街並み、
険しい渓谷や急峻な山で営み続ける山村、
そこにある生活と歴史を追います。


 
< 2. 訪問地の地図、上が北 >

詳しいは説明は前回の記事を参考にして下さい。


 
< 3. 脇町うだつの町並み >

地図のAにある街並み。
ここにはかつて吉野川の川湊があり、さらに二つの街道が交差していた。
また脇城の城下町として、藍染めの藍の集散地として発展した。
この街並みは軒から突き出した「うだつ」で有名です。


 
< 4. 貞光の旧家 >

地図のBの街中にある。
かっての庄屋の家屋を見学しました。

上: 塀越しの外観。
下: 台所と兼用の玄関。


 
< 5. 貞町うだつの町並み >

地図のBにある街並み。
ここは二層うだつの町並みで知られています。
ここの街並みは、脇町や池田町の古い町並みと異なり、吉野川と直角に延びていました。
ここは川湊に恵まれなかったが、剣山に至る貞光川が吉野川に注いでいる。
この通りは貞光の町と剣山の山村の暮らしを繋いでいた。


 
< 6. 渓谷沿いの家 >

地図のBCCDの景観。
険しい河谷に張り付くように建つ家々。

上: 貞光川
下: 祖谷川


 
< 7. 急峻な斜面の山村 >

地図のCDの景観。
祖谷川沿いの斜面には山村がかなり高い所まで広がっている。
人々は、今も暮らしている。
ここの暮らしには、幾つもの不思議がある。
なぜこのような不便な所に済まなければならなかったのか?
かつて生計は何に頼っていたのか?
平家の落人伝説との関りは?


 
< 8. 急峻な斜面にある家 >

平家の落人伝説を追って走っている間に、見かけた家々。


 
< 9.阿波池田うだつの町並み >

地図のFにある街並み。
ここは吉野川沿いの旧街道に発展した街並みです。
かつてたばこ等の集散地として発展した。



前回の旅では、日本の漁業を担う漁村と漁港を見て来ました。
そこは私達にとってはかけがえのない食の源です。
しかし、高齢化、漁家高の減少が相まって今や風前の灯火でした。
さらに東海大地震の津波が襲うことも確実です。

一部の人々は町の再生に尽力しているが、私の見た所、衰退を免れないだろう。
「持続可能な社会」「自然と穏やかに暮らす」「リモートワーク」などが定着しない限り、社会と政治が変わらなければ、未来は暗いものになるだろう。

今回は、川と山に育まれた街並みと村を見て行きます。
そこには、また違った気付きがあることでしょう。



次回に続きます。