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前回に続いて、脇町巡りの後半を紹介します。
伝統的建築物が並ぶ南町以外も歩きました。
< 2.街並みの全体図、上が北 >
上: 脇町と道の駅 藍ランドうだつ
赤枠が下の「うだつの町並み」の地図の範囲です。
赤の風船印は脇城跡、青の風船印は「道の駅 藍ランドうだつ」を示す。
直ぐ下に吉野川が見えます。
脇町は吉野川中流の左岸、徳島県美馬市にあります。
下: うだつの町並み
伝統的な街並みの東西の距離は400mです。
古い建築では江戸時代から明治・大正時代のものまであります。
青枠は道の駅の駐車場です。
ピンク線が今回紹介する街並みの散策ルートで、Sから始まり、ABCDEFと進みました。
下側の紺色線は江戸時代の吉野川の石積みの護岸です。
ここに当時、吉野川の川湊があった。
< 3. 南北に延びる通りへ >
うだつの町並み(南町)の西端から北に歩く。
上: 南を向くと吉野川の堤が路の奥に見える。
見えている四辻を左側に折れると、うだつの町並み(南町)です。
下: 同じ路で北を望む。
奥左の小山に脇城跡があるはずですが、城下町がどこまで延びていたかは分からない。
山門が見えるのは安楽寺ですが、この辺りにはお寺が三ヵ所も並んでいる。
< 4. 撫養街道(川北街道) >
これが昔の撫養街道です。
撫養街道を東に進む。
< 5.大谷川の橋から >
地図のA辺りです。
上: 下流を望む
大谷川は吉野川に注ぐ。
下: 上流を望む。
ここから下流に向かう。
< 6. 脇町劇場(オデオン座) >
上: 対岸から東側の脇町劇場を望む
下: 劇場内部(借用した写真)
この劇場は昭和9年に芝居小屋として建てられ、戦後は映画館となった。
西田敏行主演「虹をつかむ男」の舞台となった。
< 7. 中町を行く >
川沿いの道から右に折れ、中町を歩く。
上: 中町を歩く
下: 元美馬市立図書館
中町を歩くと左に漆喰の壁の建物があり、門をくぐると、奥に図書館があった。
左の方に進むと、倉庫があり、そこに屋台とうだつの模型があった。
< 8. 屋台とうだつの模型 >
左上: 祭礼で使われるだんじりのようです。
右上: うだつの模型
けっこう大きくて、手間の掛かる造りになっている。
下: 白い二階建ての建物がうだつの模型がある倉庫
ここで南町に戻った。
その右横が呉服屋「大一」で江戸時代末期の建物です。
二階の窓は「虫籠窓」で、防火と盗難防止の為に漆喰で造られています。
よく保存されているので、江戸時代の雰囲気が味わえる。
* うだつの街並みについて
前回、1585年に稲田種元が蜂須賀家の家老として、この脇城に来て、城下町の整備と商業の発展に力を入れたことを紹介しました。
また街道と川湊が接する地の利に加えて、蜂須賀家が藍を奨励したことにより、脇町は藍商の中心地となった。
そして町は発展していたのですが、江戸後期に2回、大火に遭いました。
稲田家は、防火対策として「袖壁うだつ」を奨励しました。
その後、明治時代には装飾としての役割を担うようになった。
この伝統的家屋には、他にも様々な特徴的な工夫が見られます。
屋根の上から下って、「鳥ぶすま」「鬼瓦」「むくり屋根」「虫籠窓」「暖簾掛け」「出格子」「持ち送り」などがあります。
歩いていると大きな表札が道路脇に立っており、上記の説明がされています。
昔の暮らしの知恵に触れることが出来ます。
< 9.通りの端を望む >
上: 東側を望む
奥に大谷川の橋が見える。
下: 端まで行って西側を望む。
地図のC辺り。
< 10.呉服屋「のざき」1 >
下: 呉服屋としては一番古い
江戸時代末期の建築。
< 11.呉服屋「のざき」2 >
上: 呉服屋「のざき」
下: 左の倉庫の手前にトイレがあります
< 12. 共同井戸 >
上: 井戸にはつるべ式の滑車が見える
下: 左奥に明治末期建築の薬種商家
< 13.戻って来た >
上: 南町の通りで西側を望む。
これで一周したことになる。
地図のD辺り。
下: 昔の船着場の護岸の上
この周辺に観光交流センターが揃っている。
道の駅の駐車場、その向こうに吉野川の堤が見える。
< 14.船着場公園に降りる階段 >
上: 船着場の風情がある。
この門は吉田家の裏門だったようです。
この門の左に石碑が見える。
下: 石碑
この石碑の赤線は、吉田家に裏門に記されていた洪水時の水位を示している。
これは国交省が明治17年に測量を始めて以降、最高水位だそうです。
徳島の海岸・河岸を旅行して、思い知らされたのは、何処も災害から逃れられないことでした。
< 15.吉野川 >
上: 下流を望む
下: 堤から脇町を望む
次回に続きます。
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