20170330

平成イソップ物語 13: 熊と狐



*1




ある所に、秋になると鮭がたくさん遡上してくる川がありました。
そこでは熊と狐と多くの動物が仲良く暮らしていました。
しかし鮭の量が減り始めていました。



*2


熊以外の動物達が鮭の漁について話し合っています。

「皆、熊だけに鮭の漁を任しておいて良いのだろうか?」
「しかし、我々は熊が採ってくれた残り物を貰って暮らしている。」
「我々が鮭を漁することは難しいし、第一、熊が我々の漁を許さないだろう。」
「しかし、このままでは鮭が減っていくのは確実だ。」



*3


狐と他の動物達は熊の所に話しに行きました。
すると熊は皆を威嚇しながら言いました。

「お前たちは、これから鮭が遡上してくる川に近づいてはならない。」

皆は仕方なく引き下がりました。




*4



やがて月日は流れました。

熊の数が増え、また密漁する動物も増えて鮭の数はどんどん減っていました。

皆は危機感を持ち、対策を話し合いました。

「やはり、我々がこの川を守るべく鮭の漁を規制すべきだ。」
「皆を集めて、熊の所へ行こう!」





*5


この時、狐のリーダーが言いました。

「今、熊を怒らすのはまずい。ここはやはり熊に従うべきです。」

この狐は熊とこっそり話をしました。

「どうか我々狐にだけは鮭の残り物を確保して下さい。」

それを聞いた狐達はリーダーに大変感謝しました。

一方、足並みの乱れた他の動物達は規制を諦めざるを得ませんでした。


そして、また月日が流れました。

とうとうこの川に鮭が遡上しなくなり、熊も狐も、他の動物も死に絶えてしまった。



追記
これは核兵器禁止条約と核拡散防止条約における日米の姿勢を揶揄したものではありません。



20170329

海外旅行のすすめ 2: 初めてのヨーロッパ 1






< 1.当時の飛行機 >


私は33年前に初めてヨーロッパを訪れました。
この時、私はヨーロッパの街並みに感動し、異文化と接することに興奮しました。
当時の感動と興奮を紹介します。



 

< 2. 旅行の地図 >

上の図: この時、私達はルフトハンザ機に乗って伊丹空港から成田、そしてアンカレッジ経由でフランクフルト空港に辿り着き、やっとヨーロッパに入った。
しかし、すぐさまコペンハーゲンまで飛び、ここでヨーロッパの1泊目となりました。

下の図: ヨ-ロッパ内の移動経路。
1=フランクフルト。 2=コペンハーゲン。 3=ストックホルム。 4=ガブル。 5=ニュールンベルグ。 
この番号順に移動し、番号2から1までの順で宿泊した。
黒線は空路、茶色は鉄道、橙色はバスです。


旅行の概要
これはヨーロッパの優良企業を視察する研修旅行でした。
参加者は多くが中小企業の人で約40名になりました。
期間は、1984年11月18日から8日間でした。
訪問したのはドイツ、デンマーク、スウェーデンの計6社でした。

観光する暇もなく、飛行機とバスで移動を繰り返しました。
しかし、得たものは非常に多かった。
実際に工場を見学し、さらに現地の人と話を出来たことが良かった。
ホテルでの体験やバス移動時の車窓の風景は強く印象に残りました。

一番は、当時、疑問に思っていた日本と西欧の違いについて、私なりの答えが得られたことでした。
そして海外旅行が私の最大の楽しみになったことです。

残念ながら、この旅行の写真が残っていませんので、イメージとして借用した写真を使いますのでご了承ください。



 
< 3.ストックホルムからガブルへ >


旅の思い出
この旅で最も印象深い景色はストックホルムからガブルに行く途中のバスからの景色でした。
ストックホルムを北上して3時間ほど走って港町ガブルに着いた時は、既に真っ暗でした。

ガブルに近づくに連れて一面の収穫後のジャガイモ畑から、遠くに非常に背の高い杉の森が現れ始め、やがて一面が雪に覆われる景色へと変わっていきました。
陽が暮れた森の所々に、1軒の尖がり屋根がちらほら見えるようになりました。
暗い森を背景に、雪を被った家の窓から暖かい光がこぼれ、白い雪が少し赤みを帯びていました。

正に、幼い頃に夢見たサンタクロースの世界がそこにはありました。



ホテルでの経験
最初に泊まったのがデンマークの首都コペンハーゲンの中心部のホテルでした。
当時のホテルはシェラトン-コペンハーゲン・ホテルでしたが、今回調べてみると、外観は当時のままですが、スキャンディック・ホテルに変わっていました。

到着が遅かったので、食事して寝るだけになりました。
それでも私にとっては、ヨーロッパ最初のホテルでした。
一番、印象に残ったのはフロント係りの女性の美しさでした。
未だに、私はヨーロッパ各地の人種(ゲルマン、スラブなど)の見分けが定かではないのですが、これは北欧女性の美しさと思いました。



 
< 4. 北欧のホテル >

上左の写真: コペンハーゲンのスキャンディック・ホテル。
上右の写真: 当時のガブルのグランド・セントラル・ホテル。
私達が泊まったこのホテルは2005年に焼失し、現在はスキャンディックCHのホテルに変わっています。

下の写真: グランド・セントラル・ホテルの当時のレストランらしい。


私はこの旅行で幾つかのカルチャーショックを受けたのですが、このグランド・セントラル・ホテルの経験はインパクトのあるものでした。

このホテルは駅前に建つ非常に立派な建物で、大理石がふんだんに使われており、驚いたものです。
三人で写真のような地下のレストランに行き夕食を食べた時のことです。
このレストランは半地下で、上部の小さな窓から月明りが微かに差し込んでいました。
実に趣がありました。

最初の経験を紹介します。

一つ料理を注文したら、出てくるのに30分はかかりました。
2回目も3回目も、同じように時間がかかり、私はいらいらしていました。
私は食事に普通15分以上はかけていませんでしたので。

しかし周りを見ると、現地の様々なカップルが談笑しながら、時間をかけて楽しんでいました。
テーブルの仲間と話し合い、これは料理を作るのが遅いのではなく、歓談の間合いを考えての給仕だという結論に達しました。
この時、大いに私は自分のせっかちに反省したものでした。
日本に帰ってからも半年ぐらいは、食事をゆっくり食べるようにしたものですが、すぐ元に戻ってしまいました。
去年のクルーズの食事でも、始めは1時間半ぐらいかけていたのですが、途中から、時間がもったいなくなり、ブッフェに通うにようになった。

この夕食の後、さらに恥ずかしい経験をしました。
私達同行メンバーはほとんど男性でしたが、夕食後、大挙してこの地下のダンスホールに乗り込もうとしたのです。
ダンスホールでは沢山の西欧人が社交ダンスを踊っていました。

一人では行けないのですが、皆で酒の勢いで突入しました。
ところがボーイが私達を制止し、入れてくれないのです。
誰かが「ここは男女のカップルでないと入場出来ないぞ!」と言い、皆、急に酔いが醒めて引き下がりました。

今、思い起こすと、ロシアからバルト三国の旅行で出くわした集団の中国人観光客
の振る舞いに閉口したもですが、昔の私達もよく似たものだったのかもしれません。

こうして3泊目の夜は更けて行きました。


次回に続きます。








20170326

何か変ですよ! 55: 何が欠けているのか





*1


今、籠池氏の発言(森友学園への格安国有地払下げ問題)で野党は色めき立っている。
一方、与党は毅然と構え、国民は蚊帳の外に置かれている。
ここには何かが欠けている。


はじめに
結論から言えば、これは些細な問題に過ぎず、このようなことに議会が精力と時間を掛けるべきではない。

確かに、これは本質的で深刻化している政治状況の一発露ではあるが、これ事態を追及しても、違法性を確認することは難しいだろう。
ここは与野党共に無駄な努力をせず、早急に事を治めるべきです。
国民はゴシップ記事のようなつまらない事件に振り回されるべきではない。

むしろ、国民はこの事件から見えて来たある政治状況に気づき、またマスコミや野党はもっと将来を見据えて行動すべきです。


この事件のポイント
真相解明は半ばで、この先も確たる証拠は出てこないでしょう。
だが、あえて私はこの事件のポイントを要約しておきます。

A: 保守的な一教育者が政治家をうまく利用しながら事業を拡大して来た。

B: 保守的な内閣が誕生し、強力な体制を構築した。

C: 身に降りかかる事件が発覚すると首相は強気の抗弁をした。

D: 批判的なマスコミと野党がこれを追及し、主役を吊るしあげた。

E: 主役は開き直り、今までの経緯を全面的に開示した。

F: 関与している政府や議員、官僚から都合の悪い資料は一切出て来ない。
そして泥沼試合となった。




*2


簡単に考察します
この経緯を見てみると、取り立てていうほどの犯罪的で重大な問題はないように思える。

A
この手の政界絡みの便宜供与は従来から、特に長期政権の与党にはつきもので、贈収賄などの犯罪で摘発されるのは氷山の一角に過ぎない。

B
今回のような事件が起こる状況は当然進んでいる。

最近の文科省の天下りの常態化からも察せられるように、官僚や議員の振る舞いはは益々官邸の姿勢で決まります。
つまり官僚が忖度し便宜を図るようなことは今後益々常態化するでしょう。
日本の政治はジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)で成り立っているのであり、それが集中化するだけです。

C
現首相の強弁、常識的には虚言と思われる発言が、歴代首相の中では目立つはずです。
「強行採決はしたことが無い」「憲法改正の発議は私と無縁」とか。

D
嘆かわしいのですが、誰かれなしに叩き、運よく行けば現内閣を倒せると目論んでいる。
これで内閣が倒れて、誰が替わって政権を担当するのか?
今の野党に、より良い経済政策や外交政策があるようには思えない。

おそらく多くの国民は、将来、日本が軍事大国化しようが、分裂気味のトランプに追従しようが、直ぐ先で景気が良くなり、米国が日本を守ってくれることの方を望んでいる。
これが正しい判断かは別だが、少なくとも野党はこの望みを叶える方策を提示できない。

E
証人喚問での主役の言動を見ると、保守人としての誇りを失わず、堂々と権力の理不尽さに立ち向かう姿が印象的でした。
私は彼の思想ややり方に賛同出来ませんが、トカゲの尻尾切りにされている状況に同情したくなる。
バレなければ、強力な保守政権だからこそ、ぬくぬくと甘い汁を吸えたはずなのに。

F
これは正に、日本の政治文化で最も重大な欠点の一つです。

財務省が許認可を行った経緯の議事録を破棄したと堂々と発言していることです。
このような事例は、最近のスーダンの陸自日誌破棄事件や古くは福島原発事故の記録公開などのように、国民やマスコミには政府や官僚の行動をチェックする方法が断たれていることを示す。
また秘密保護法などで、さらに都合の悪い政府側の資料が出て来なくなっている。



何が最重要な問題なのか?
大きく二つあります。

一つは、マスコミと野党の追及姿勢です。
今回の追及は益なしで、むしろ弊害の方が大きい。
国民の多くは現内閣を信頼しており、その信頼を突き崩すことに躍起になるあまり、度を越して追及すればするほど、逆効果になる可能性がある。

日本がかつて治安維持法を採択した経緯の中に、当時のマスコミや野党が政府のあら捜しで国民を煽り過ぎて、逆に暴徒化を鎮圧する口実を政府に与えてしまったことがあった。
ここまでは行かないだろうが、行き過ぎは世論を激しく左右に分裂させてしまい、米国のようにポピュリズムで極右のトランプ政権誕生に繋がった。
この傾向は欧米で顕著になっており、さらに危険な状況を生むことになる。


今一つは、政府や官僚の情報公開です。
日本には、都合の悪い議事録を遺さない、また内部告発を行わない組織文化があります。
法律はこれらを改善しようとしているのですが、進んでいない。

さらに悪いことに、ここ数年、日本は米国に追従して、情報を益々秘匿する方向に向かっています。

これらはやがて、日本の政治を取返しのつかない方向に追い込むことになるでしょう。

どうか、皆さん細かいことに目を奪われずに、大局を見て頂きたい。





20170324

Bring peace to the Middle East! 73: Why was it exhausted ? 11: When did the world stand at a crossroad? 2



中東に平和を! 73: なぜ疲弊したのか 11: 何が岐路になったのか? 2



< 1. Soweto of South Africa >
< 1. 南アフリカのソウェト >

Last time, we saw that the degree of colonization will determine whether a country is being exhausted.
This time we look at some clear examples where certain history has determined the difference of exhausted country. 


前回、国が疲弊しているかしていないかは植民地化の程度でほぼ決まることを見ました。
今回は、歴史が国の疲弊の差を決定付けた明確な例を幾つか見ます。






< 2. Compare adjacent countries >
< 2. 隣接する国を比較します >


Introduction
Many people believe that Japan was not invaded by other countries and have acquired peace and prosperity because Japanese peoples are superior.

So, if two countries belong to same ethnic groups and same religions, do they get the same results?
What is going to happen to once one country that was split in two ?

For example, comparing North Korea and Korea, Bolivia and Chile, East Germany and West Germany, and Botswana and South Africa, then the described premise will be suspicious.



はじめに
日本民族が各段に優れているからこそ、他国から侵略されず、平和と繁栄を手に入れたと信じる人は多い。

それでは民族や宗教が同じであれば、同じ結果を得られたのでしょうか。
かつては一つであったが分割された2カ国はどうなったのでしょうか。

例えば、北朝鮮と韓国、ボリビアとチリ、東ドイツと西ドイツ、ボツワナと南アフリカなどを比べれば、先ほどの前提は怪しくなります。


What made the difference?

何が違いを生んだのか?






< 3.  Light and dark change of the Korean Peninsula  >
< 3.朝鮮半島の明暗 >

The left-hand satellite picture:  Korean Peninsula in night.
You can see the economic difference between North Korea and Korea (lower side) at a glance.

Chart on the upper right:  GDP per capita.
Chart on the lower right:  Stage of corrupt government. The darker the red color is, the worse the stage of it becomes.

The Korean Peninsula was divided after World War Ⅱ, and North Korea was occupied by the Soviet Union.
On the other hand, South Korea was under the US occupation.
As a result, the current gap of GDP per capita between the both countries becomes 22 times.


左の衛星写真: 夜の朝鮮半島。北朝鮮と韓国(下側)の経済の差が一目でわかります。
右上の図: 一人当たりのGDP。
右下の図: 政治の腐敗度。濃い赤色ほど悪い。

朝鮮半島は大戦後に分割され、北朝鮮はソ連占領下に置かれた。
一方、南側の韓国は米国占領下に置かれた。
この結果、現在の両国の一人当たりのGDPの差は22倍になった。






< 4. Fate of divided Germany  >
< 4. 分割ドイツの運命 >

Divided Germany after World War Ⅱ had the same fate as Korean Peninsula.
The gap of GDP per capita between the eastern Germany occupied by Soviet Union and the West Germany occupied by Western countries had become about tripled at the time of integration in 1990. Annotation 1.
In the shadow of this German integration, the nation had to endure a lot of hardship to compensate for the difference in economic power, but they were able to get over it.

Before being divided into two parts, these adjoining countries had been one country each, and the ethnic groups, religion, culture were same.
For 70 or 40 years, in the counter country, the economic development was hindered and the degree of corruption of politics became worse.

This is known as a failure by the communist regime.


これと同様の結果を招いたのが大戦後のドイツ分割でした。
ソ連占領下の東ドイツと西側占領下の西ドイツの一人当たりのGDPの差は、1990年の統合時には約3倍に開いていた。注釈1.
このドイツ統合の陰で、国は経済力の差を埋め合わせる為に多大な苦労を強いられたが、乗り越えることが出来た。

分割前、これら隣接する国は一つであって、民族や宗教、文化は同じだった。
それが70と40年の間に、一方の国は経済発展が阻害され、政治の腐敗度が高進したのです。

これは共産主義体制による失敗として知られています。







< 5. Sadness at the southern edge of Africa >
< 5. アフリカ南端の悲しみ >

Upper photos: The capital city of South Africa on the left, and the capital city of Botswana on the right.

Chart on the lower left:   GDP per capita.
Chart on the lower right:   Stage of corrupt government.

Botswana borders on South Africa at the southern age of Africa.
The South Africa is well known for apartheid (racial discrimination), but Botswana is only known as the kingdom of wild animals such as Okavango Delta.
Both countries are different ethnic group and language, but Christians account for half of each population.

The gap of GDP per capita between the Botswana that indigenous people are majority and the South Africa once dominated by white people is 1.2 times currently.
Surprisingly, the Botswana has higher economic power and the political corruption is lower.
This difference is due to the country was received harsh control in the colonial period.

Fortunately, in the Botswana, a diamond mine exceeding one-third of GDP was discovered in the year following the independence.
On the contrary, despite having been the same British colony, the South Africa, received a ferocious apartheid due to the existence of big diamond mine.



上の写真: 左が南アフリカの首都で、右はボツワナの首都です。
下左の図: 一人当たりのGDP。
下右の図: 政治の腐敗度。

ボツワナはアフリカ南端の南アフリカと国境を接している。
南アフリカはアパルトヘイト(人種差別)で良く知られているが、ボツワナはオカバンゴ湿地帯などの野生動物の王国として知られているぐらいでしょう。
両国は民族や言語も異なるが、それぞれキリスト教徒が半数を占める。

先住民が多数を占めるボツワナとかつて白人が支配した南アフリカとの一人当たりのGDPの差は現在1.2倍ある。
驚くことにボツワナの方が経済力が上で、政治の腐敗度も低いのです。
この違いは、植民地時代に過酷な支配を受けたかの違いによる。

幸いなことにボツワナではGDPの1/3を超えるダイヤモンド鉱山が独立の翌年に発見されたのです。
逆に、南アフリカは同じ英国の植民地でありながらダイヤモンド鉱山の存在によって苛烈なアパルトヘイトを受けることになった。






< 6.   Things that happened to descendants of Inca  >
< 6. インカの末裔に訪れたもの >

Upper photos:  Children in Bolivia on the left, and Children in Chile on the right.
Chart on the lower left:   GDP per capita.
Chart on the lower right:   Stage of corrupt government.

上の写真: 左がボリビアの子供達、右がチリの子供達。
下左の図: 一人当たりのGDP。
下右の図: 政治の腐敗度。

The same thing happened to the South America.
The Bolivia is in the mountains, and bordering Chile on the coast.
Currently, the economic power per capita of Bolivia is only one-third of the Chile. Annotation 2.

Both countries belonged to the Inca Empire, next became a Spanish colony since the 16th century, and were fulfilling independence in the early 19th century.
In both countries, Christians became the majority.

It seems like the same situation, but what made the difference?
The hint is in the ethnic composition.
The percentage of indigenous peoples is 55% in the Bolivia but less than 5% in the Chile.
In other words, the Chile is a white country containing mixed-blood.
This difference began with Potosi mine in the Bolivia having produced large amounts of gold and silver from the 16th century.
By Spaniards, the indigenous peoples of the Bolivia were overworked in this mine and the Chile began to play a role as a food production base by migrants from Western Europe.

The harsh domination left this serious aftereffect there, too.


This continues to the next time.


これと同じことが南アメリカでもあります。
ボリビアは山間部にあり、海岸部のチリと国境を接しています。
現在、ボリビアの一人当たりの経済力はチリの1/3.6倍に過ぎない。注釈2.

両国は共にインカ帝国に属していたが、16世紀からスペインの植民地になり、19世紀初めには独立を果たしていた。
共にキリスト教徒が大半を占めている。

同じ境遇のように思えるが、何が違いを生んだのだろうか。
そのヒントは民族構成にある。
先住民の割合はボリビアでは55%だが、チリでは5%以下に過ぎない。
つまりチリは95%が混血を含む白人系の国なのです。
この違いは、16世紀よりボリビアのポトシ鉱山が大量の金銀を産出していたことに始まる。
スペイン人によってボリビアの先住民はこの鉱山で酷使され、チリは西欧からの移住者によって食料生産基地の役割を果たすようになったのです。

ここでも過酷な支配を受けたことが後遺症となっている。


次回に続きます。



注釈1.
アンガス・マディソン著、「世界経済の成長史 1820~1992年」、p181より。

注釈2.
世界銀行による国内総生産額 (一人当り購買力平価)では世界でチリ51位(2013年)、ボリビア120位(2013年)です。

20170319

何か変ですよ! 54: 捨てることが出来るか





*1


誰しも既存のものに固執していると、発展のチャンスを失うことがある。
しかし、なかなか馴れ親しんでいるものをキッパリと捨て去ることは難しい。
今の社会について、少し考えてみましょう。


はじめに
手描きで行っていたデザインを、これからパソコンで描きなさいと言われれば、特に年配者には苦痛だろう。
慣れたやり方を捨てるのは辛いものです。

一念発起して海外に飛躍を求めるなら、人は友や故郷と別れなければならない。
サラリーマンは定年退職すると、それまでの収入や地位を捨てなければならない。
買った物を捨てることが出来ない人は、やがて家中が不用品で一杯になってしまうだろう。

捨てることは、結構辛い意思決定を伴います。

しかし今日、皆さんと考えたい問題は、社会や人類の未来についてです。

私達は多くの新しい技術や社会システム、思想を得て進歩して来ました。
一方で、私達は同時に多くのものを捨てて来ました。

我々が特別に意識せずとも、古いものが自然と廃れていくこともありますが、逆になかなか捨てることが困難な場合もあります。

知って頂きたい事は、かつて人類が捨てることを英断し、新しい局面を切り開いて来た事実です。
これなくして今の人類社会はなかったのです。




*2


人類は何を捨てて来たのか?
最も古いものとしては、四足歩行ではないでしょうか。
二足歩行で手が使えるようになった化石人類は、早く走れて安定性のある四足歩行を捨てることになりました。

歴史時代になって、人類は科学的な思考を取り入れたことにより多くの事を捨てて来ました。
それまで人々は病気や不幸の多くは、遥か昔の因果や実体のない穢れなどによると考えていました。
医学や技術の進歩と共に、これらは迷信と見なされ廃れて行きました。
新しい宗教を生み出したイエスや釈迦、孔子でさえ、一歩進んだ科学的理解を持っていました。

これらは長い年月をかけて発展し人類に多大な影響を与えました。

身近なもので、陳腐になってしまったものにはどのようなものがあるでしょか?
レコード盤、そろばん、戦艦大和などは明快な例でしょう。
いずれもこれら道具や武器は性能が劣ってしまったので使われなくなりました。
これらの転換を止めることは難しい。

逆に転換が困難なものもあります。
フロンガス、洗浄用の有機溶剤、自動車の排ガスなどです。

フロンガスはオゾン層を破壊することがわかり、現在、世界が協力して使用制限を行っています。
毒性の強い有機溶剤や排ガスも規制されるようになりました。
これらの規制は、社会の安全性の点からは必要なものでしたが、経済コストとの兼ね合いで、産業界から強い反対がありました。

逆の事例もあります。
日本が石炭から石油に転換を図る時、落命の危険がありながらも失業を恐れた労働者側は転換に反対しました。
一方、産業界側は石油の方がコスト的に優位だったこともあり、大きな労働争議となったが、結局、転換が図られました。
これで良かったのですが。


今の社会の礎となっているもので、大きな発想の転換が必要だったものには何があったでしょうか?

土地所有、特許状、株式会社、金本位制などは大きな転機となりました。

古くは、部族社会において土地は概ね共有であり私有ではありませんでした。

かって特許状の主なものは、王が恣意的に商人などに独占権を与えていたのですが、やがて、画期的な発明に対して国が発明家に独占権を与えるようになりました。

以前、事業者は負債を全額返済すべきでしたが、株式会社になると出資金(資本)の範囲だけの返済責務を負うだけになりました。

現在の経済と産業の発展は、この三つの要素が機能してこそだと言えます。

かつて金本位制は国家経済の安定に不可欠だと考えられていました。
貨幣が金に兌換出来ることで信用が得られ、また国も金保有量に応じた歳出しか出来ず、野放図を抑えることになりました。
現在は、これを放棄することにより経済成長(金融)を比較的自由にコントロール出来るようになりました。

我々は個人から国家、世界まで多くの事と決別して来たのです。


何が問題なのか?
人類と社会はより良くなるために、かつての栄光や習慣的なもの、また危険で害を及ぼす物など使用を止めるようになりました。

規模の大きい転換はけっして容易ではなく、あらゆる既得権益層(産業側や労働側など)の抵抗がありました。
また人々の意識転換が必要なものもありました。

今、私が問題だと思うのは二つです。

一つは原子力産業です。
福島の原発事故被害の甚大さ、東芝の原子力事業の膨大な負債を見れば、これからも国が原子力産業を推し進めてくべきものとは思えません。
これは単純に既得権益層の擁護と惰性から続けているだけに過ぎない。

人類が幾度も乗り越えて来た捨てることの英断を、今こそ行うべきです。


いま一つは、トランプ現象と関わる問題です。
米国が主導して来た野放図なグロ―バル化によって、米国の中間層以下の労働者は仕事を無くして来ました。

グローバル化は世界にとって必然であり、国全体として経済的メリットを享受することは明らかです。
しかし、各国の競争力のない産業はやがて衰退する運命にあることも明白です。
この部分が、あたかも自己責任として放置されて来た結果、不満が爆発した。

ここに二つの問題があります。
一つは、グローバル化の恩恵が偏在しており、逆にそのしわ寄せが労働者にのしかかり続けていたのです。
つまり所得格差で拡大であり、米国は特に大きくなっています
これは政府サイドの問題です。

もう一つは、労働者側の問題です。
誰しも仕事していれば理解出来るはずです。
皆さんは作業方法の変化や、製品と業種の栄枯盛衰を身に染みて感じているはずです。
すべて国任せで、仕事や企業の衰退を補うことは出来ません。

やはり、自ら変化や衰退に備えて、自己の革新を日頃から行わなければなりません。
今や米国は、かっての英国病のように、国力の衰退だけでなく、精神的にも衰退しているようです。


何が大事なのか?
国政でも、個人でも、既成や惰性と決別し、前に向かっていく心意気をもたなくてはいけない。

それが出来ない社会は衰退するしかいないのです。






20170314

海外旅行のすすめ 1: はじめに



< 1.ホーチミンにて >


私は約30年で海外30ヵ国以上を訪れました。
そして様々な感動を得て、多くの事を学びました。
これから皆さんに海外旅行の素晴らしさをお伝えしたいと思います。


はじめに
これからお話することは海外の絶景や観光地の事より、主に私がそこで何を感じ、何を知ったかについてです。

私は周囲の多くの人が海外旅行に興味を持っていないことに驚かされます。
これはこれで良いのですが、それらの人の多くは海外事情に無頓着で、特に欧米先進国の良さに疎い。
海外を知らないと、どうしても井の中の蛙に陥りがちです。

もっとも今の私は好奇心が疼くから海外旅行に行っているようなものですが。

日頃、思索し、本を読み、調査結果をブログに書くようになると、海外旅行で知った生きた知識は本当にありがたい。
また私はある商品開発で海外の見聞がヒットに繋がりました。


私が海外旅行に関心を持ち始めたのは、私の父がプラント設置のためによく長期海外出張したからでした。
その後、私が勤めた会社で、海外へ視察や慰安旅行に度々行くことになりました。
サラ―リマン時代は、暇が無くて海外旅行には行けなかったのですが、早々と定年してからは、毎年、夫婦で海外旅行を楽しんでいます。

これから、私の様々な海外旅行の体験を元に、皆さんに旅行の素晴らしさ、喜び、得たものを紹介したいと思います。



私が訪れた海外
私の訪問先の概略を紹介します。


 
 
< 2AB. 私が訪れた海外 >

赤枠と赤線は、私が旅行や視察で訪れた地域です。
日本に近い所から紹介します。
夫婦で行っていない場合のみ特記します。
ツアーとは旅行会社の企画旅行のことです。
既にブログで紹介している旅行記は「タイトル」を付記します。
ブログサイトによっては上記旅行記を削除している場合があります。


1. 韓国
計3回旅行し、内1回は慰安旅行で3日間のソウル観光で、残り2回は4日間の周遊ツアーで行きました。

1回目のツアーでは夢中になっていた韓国歴史ドラマ「ソドンヨ」「チャングム」と景観が重なり大いに盛り上がりました。
連載「韓国旅行」は2回目のツアーです。


2. 中国
計7回訪問し、内3回は慰安旅行で北京、上海、香港・広州をそれぞれ3日間で観光しました。
工作機見本市の視察の為に、上海に行きました。

厦門(アモイ)を訪ね、中国の友人の案内で4日間の心温まるディープな旅行を楽しみました。
「驚きの要塞住居」。

5日間の西安・洛陽を巡るツアーに私一人が参加しました。
「秦の始皇帝の兵馬俑」。
桂林5日間のツアーで行きました。
連載「桂林を訪れました」。

80年代、大都市広州を深夜一人で街歩きをして、中国の発展を確信することが出来ました。
中国を旅行していて歴史遺産の保存状況が悪いので興覚めすることも多いのですが、それでも日本に深く影響を与えた様々な事跡を見ることは感動的です。
また30年の間、幾度も訪問し、その経済や技術の発展の凄さを見ることは愉しみです。
  

3. 台湾
計2回旅行し、内1回は台北3日間の慰安旅行で、これが私の初めての海外旅行でした。
後に5日間の台湾一周ツアーで行きました。
「台湾旅行1: 太魯閣(タロコ)峡谷」。

1回目当時、台湾は白色テロの末期だったのですが、夜中、一人での街歩きで印象は大きく異なりました。
2回目では、中国本土に比べて短いその歴史と日本の植民地時代の名残に気付かされる旅になりました。


4. ベトナムとタイ
1回だけですが、初めてのタイプの海外旅行をしました。
連載「ベトナム旅行」。
姪の結婚式参加に合わせて、ホーチミンとバンコックを中心に9日間の自由旅行を計画し、ホーチミンではベトナムの友人と久しぶりの再開を果たしました。

現地の友人に案内してもらう旅はこれで2回目になりましたが、その国の文化や生活、社会状況を知るには最高の贅沢でした。


5. トルコとエジプト
トルコ一周とカイロを巡る13日間のツアーで行きました。
連載「トルコ旅行」、「トロイ」、「サッカラのピラミッド」。
夫婦で最初のアジア外の旅行でした。

この旅で、トルコの地方の生活を見てイスラム圏に対する偏見が消え、逆にかつての覇者エジプトの経済低迷に関心を持つようになりました。


6. パリ、スイス(2都市)、ドイツ(3都市)、コペンハーゲン、ストックホルム
これは私の最初の視察旅行で、ヨーロッパを代表する工場の視察と観光も加えた1週間以上の旅行でした。

私はこの旅行で、西欧の労働や生活スタイル、街並み、社会制度の素晴らしさを身をもって知ることになりました。


7. ドイツのハーノーバーメッセ(国際見本市)見学
これは2回目の視察旅行で、パリ観光以外はハンブルグに連泊し、3日間列車で見本市会場に通いました。

私は、この見本市の巨大さに驚き、また機械や機械工具の優れたデザインに感銘を受け、後に製品開発にその発送を生かすことが出来ました。


8. ドイツ、オーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキア
12日間ほどで、ドイツ・中欧・東欧を巡るツアーで行きました。
「ハルシュタット」、連載「チェスキー・クルムロフ」。

この旅を一言でいうと、中世の街にタイムスリップし、ロマンチックに酔いしれた一時でした。


9. スペインとポルトガル
スペインの東北部を除いて主要な観光地を訪れる13日間のツーで行きました。
連載「スペインとポルトガルを巡る旅」。

イスラムとキリスト教文化の対立と融合の歴史、大航海時代の胎動、広大な荒野と少し古びた街並みを味わった旅になりました。


10. ドバイ、クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ
バルカン半島のアドリア海に接する国を巡る9日間のツアーで行きました。
連載「クロアチア・スロベニアを巡って」。

天気に恵まれたせいもあるのですが、アドリア海と共に生きる暮らしと中世海洋都市国家の面影が鮮明に今でも思いだされます。
さらに内陸部の複雑な民族混合の歴史が招いた内戦を深く理解することにもなりました。


11. 地中海とカナリヤ諸島を巡るクルーズ
15日間で、イタリア(3都市)、スペイン(2都市と島)、モロッコ(1都市)、ポルトガル(島のみ)を観光付きクルーズツアーで行きました。
連載「地中海とカナリヤ諸島クルーズ」。
初めてのクルーズでした。

大西洋に浮かべ島々への早朝の着岸、カサブランカとバルセロナの街歩きが楽しい思い出になりました。

12. ロシア、バルト三国、ワルシャワ
9日間のツアーで行きました。
連載「ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅」。

大陸北方の自然の厳しさと黄葉の美しさを見ることが出来ました。
また、この地の歴史と社会状況に興味を持って旅立ったのですが、現地での観察と人々との対話が、大いに私の理解を深めることになりました。



今後、私が行きたい海外
まだまだ行きたい所はあるのですが、旅行資金がそろそろ底をつきそうなので、希望だけを記します。


 

 

< 3AB. 今後、私が行きたい海外 >

青枠は今年と来年中に行きたい優先度の高い国です。

1. フランス一周
南仏、ストラスブール、パリ、モンサンミッシェルなどを2週間ほどで巡りたい。

2. バリ島滞在
海岸リゾートと山間部のウブドにそれぞれ滞在し、じっくり自然と文化に浸りたい。

3. 米国一周
世界のリーダー米国の首都と東海岸、西海岸、南部、中西部の代表的な5都市を2週間ぐらいで見て回りたい。
そこで社会と文化、人々に触れ合いたい。


ピンク枠は出来れば半数は行きたい海外。
東側から順番に紹介します。

4. 南米ペルー
インダス文明の遺跡とイグアスの滝を訪れたい。

5. メキシコ
現代のメキシコ社会、マヤ文明の遺跡とカリブ海を見たい。

6. インド
現代のインド社会を見て、仏教とヒンドゥー教の遺跡を巡りたい。

7. イラン
悪の枢軸と呼ばれながらも内戦の無い強固なイスラム社会、さらに昔ながらのたたずまいを残すイスラム都市とペルシャの遺跡を巡りたい。

8. イスラエル
中東問題の震源地、ユダヤ教とキリスト教の誕生の地、人類農耕の揺籃の地を巡りたい。

9. ギリシャとクレタ島
難民問題で揺れるギリシャを見て、古代ギリシャ文明、エーゲ海文明とビザンチン文化の遺跡、エーゲ海を巡りたい。

10. バルカン半島とブルガリア、ルーマニア
民族大移動の通り道、東西南北の文化が衝突し混淆する地域を訪れたい。
前回はセルビアやマケドニアを旅していない。

11. 南アフリカ
アフリカの南端、動物の王国、アパルトヘイトの国を見たい。

12. ベネルックス三国
オランダ、ベルギーを巡りたい。

13. 英国周遊
西欧史を理解するには英国は省けない。

14. 再び中国
まだ敦煌(シルクロード)、開封、大連(旧満州)、雲南、成都を訪れていないが、
大連と雲南は出来れば行きたい。


補足
利用したツアー会社は、ジャンボツアーズ3回、JTB1回、残りはすべてトラピックスです。
好みの旅行がありクラブツーリズムを予約することはあったのですが、結局はキャンセルしています。
自由旅行ではファイブスタークラブを1回使いました。


次回に続きます。