20190930

北欧3ヵ国を訪ねて 87: 北欧の旅を終えて 8 : 北欧の人々の声 1



 
*1


これから数回に分けて
北欧に暮らす人々の声を紹介します。


 
< 2. 王立図書館にて >


コペンハーゲンにて

コペンハ-ゲンの王立図書館で二組の日本母子に出会いました。
彼女らは、日本生まれのお母さんと小学生の男子一人づつです。
彼女らは毎週一度、ここで子供に日本語を教えている。

一組の母子は数年前、転勤でご主人、子供と一緒にコペンハーゲンに来た。
全員日本生まれです。
彼女は子供に軽い障害があって、学校の対応に不満を持ち、異国の地で苦労していた。
彼女とはあまり話が出来なかった。

もう一組の母子は、日本生まれの女性がデンマーク人と日本で職場結婚し、11年前にこちらに移り、男の子(ハーフ)を産んだ。
私は主に彼女と話した。


私が用意したアンケートに記入してもらいました。
アンケートの内容と彼女の答えです。

1. あなたの国で最も素晴らしいものは何だと思いますか?
  
答え: 福祉政策、子供の環境。

2. 現在、あなたの国や生活で不安や不満はありますか?

答え: 移民政策。

3. 何があなたの国を良くしていると思いますか?
   
答え: 教育、自然。

4. 日本について知っていること、または感じていることはありますか?
  
答え:なし。

5. 大半の日本人は北欧について無知で、暗いイメージを持っています。
何にか一声お願いします。

答え: 家庭を一番に考える。子供を育てるのにとても良い環境が揃った国。


彼女は、デンマークの暮らし、社会、政治を高く評価し、現地のニュースで耳にする日本の異常さに失望していた。
幾つか紹介します。

日本では国会議員の腐敗は当たり前だが、こちらではまったく考えられない。
日本で酷い強姦事件(早稲田大学)が起こっているが、こちらでは考えられない、情けない。

日本の女性はこちらの男性に人気があるが、主人の友人で結婚に失望している人が多い。
それは彼女らがまったく政治に関心が無く、会話が出来ないことです。

私が話した彼女は知的で、あらゆる事について話し合え、意見をはっきり言う。
国際結婚も、さもありなんと納得した。


 
*3


驚いたのは、彼女の子供が、既にデンマーク語、日本語、英語が話せて、小学生の終わりまでにはドイツ語を学び始めるとのことでした。
英語は必須、ドイツ語は選択科目で、学校教育の一環です。

彼女らを見ていると、異国で暮らすことは一筋縄では行かないと感じた。
一方の女性は満喫しているが、他方は苦労している。
如何に素晴らしい国であっても移住するとなれば文化や言語の壁は大きい。

様々な事に気付かせてくれた素晴らしい一時でした。


次回に続きます。




20190929

北欧3ヵ国を訪ねて 86: 北欧の旅を終えて 7 : 北欧の国民性 2









< *1 かつての日本人の海外移住 >

ヴァイキングが教えてくれたこと


日本のある著名人は、心優しい日本民族が虐殺などするはずが無いから、隣国からの非難は嘘だと言う。
そして多くの国民も溜飲を下げる。

私はヴァイキングの子孫の国、北欧を訪れたが、彼らが凶悪だと感じたことはなく、むしろ非常に親切です。

一方で、900年前のヴァイキングによる虐殺や略奪は真実です。
彼らはヴァイキングの冒険家と交易者の側面を誇りにしているが、その一方、かつての悪行も認めている。
前回見たように国民性はなかなか変わらないので、上述の説は辻褄が合わない。

この稚拙な説を採り上げるのは気が引けるのですが、残念ながら多くの人が真に受けている。

これも戦史や心理学、人類学を少し学べば、人は容易に状況に支配され異常行動をとること、またその程度は国民性によって左右されることが理解出来るはずです。

日本の国民性には著しい特徴があり、良くも悪くも大きく作用して来た歴史がある(ドイツと似ている)。

良い例としては、明治維新や戦後復興などを国民が一丸となって行ったことです。
悪い例としては、日清日露戦役から太平洋戦争に至る道でした。
心配な点はヒトラーのような独裁者が居なくても、一丸となって闇雲に突き進んでしまうことです。
現在も、省みることなく惰性のまま進んでいる。


 
*2

なぜ日本は閉鎖的なのか

北欧と日本は同じように海で囲まれ大陸の端にある細長い国土に住みながら、なぜかくも異なってしまったのか。

一つは語族です。
デンマークは同じゲルマン民族であるドイツと陸続きで、北欧三ヵ国は同じゲルマン語族です。(フィンランドは異なる)
後に新旧教徒の違いはあるが同じキリスト教を受容し、大陸との繋がりは深い。

一方、日本は隣国と言語を異にし、宗教も異なる。

もう一つは生業です。
日本は稲作農耕民のお陰で食料が豊富で、また南北に伸びる列島の産物が自給を可能にし、巨大都市を出現させた。

日本にも、かつて遠洋航海の交易民、倭寇がいた。
彼らはヴァイキングに3世紀ほど遅れ数世紀間活躍した。
しかし彼らは海流・海風に恵まれた北西九州の島嶼部を拠点にしたに過ぎない。
海賊は日本各地に多数存在したが、その活動は近海に限られていた。
幸か不幸か、日本では危険な遠洋航海で生計を立てる必要がなかった。

これらの違いが大きい。


 
*3

 
*4


閉鎖性が招く衰退

現在、海外志向を持つ日本の若者が減っている。
1ヵ月程度の語学留学は増えているが、長期海外留学は減っている。
一方、日本の政府や経済界は巨大なインフラ輸出(原発など)を次世代の産業に育成しようとしている。
おそらく多くの国民は、この政策に夢を抱くかもしれない。
残念ながら、この二つの現象は表裏一体であり日本をさらに衰退へと向かわせる。

日本が活況であるなら、若者が日本に残ることも良いだろうが、現在急速に衰退している。
所得低下が災いしているので同情するが、かつて大正時代に前後して100万人以上が日本から海外移住したこともあった。

またインフラ輸出は聞こえが良いが、産業の空洞化を加速させ、後に日本国民が発展途上国のカントリーリスクを長期に背負うことになる(原発事故の補償など)。
(実はこのパターンは西欧が帝国主義に邁進した結果、国民が税負担と命を投げ出すことになったのと同じです)

二つに共通していることは日本が惰性に流れ、世界から目を背けていることから起こっている。
やはり海外との差、特に衰退を自覚することが出来ないのが問題です。
またインフラ輸出の問題は、日本が諸外国の実情と世界史に関心がないことから気づかない。

明らかに我々は閉鎖的な民族であって、余程意識して海外に目を向けていないと、同じ轍を踏むことになる。
我々には、この自覚が必要です。

このことをヴァイキングが教えてくれた。


次回に続きます。



20190928




*1


なぜ北欧は成功したのか


彼らの国民性が幸いしている

経済的側面から見ると、旺盛な海外志向が大きい。
これは多言語教育や、規模を問わず海外進出を図る企業や個人の姿勢に見られる。

社会的側面から言うと、高い政治と社会意識が大きい。
これはほぼ全員のボランティア参加や高い投票率に見られる。

この淵源はどこにあるのだろうか?
これはヴァイキング時代に遡るだろう。

ヴァイキングの大遠征(北米への航海など)は先駆を成すもので、危険極まりないものでした。
当初は、作物が採れない冬期の交易の為で、スカンジナヴィア半島内を行き来するものでした。
やがて航海術の向上、西欧の発展による交易のメリット、西欧からの侵略への対抗策として、逆に遠洋航海による交易と侵攻に向かったのだろう。
そして彼らが非キリスト教だったことが暴力行為への抵抗を弱めた。

もう一つの側面は共同体の有り様でした。
ヴァイキングが作った国、アイスランドは直接民主主義でした。
遠征時のヴァイキングのリーダーも仲間によって選ばれた。
このことは出港地の村落共同体でも同じでした。


 
*2


ヴァイキング精神は今も生きているのか?

逆に、国民性は何百年も経てば特徴を無くしてしまうのでしょうか?
実は、国民性を育む文化、特に生業と家族形態が存続していれば、国民性は生き続けます。

ヴァイキング精神はゲルマン文化と氷河後退地の地形と気候が育んだと言える。
言語や法意識(村の掟)は、農耕と牧畜を生業としたゲルマン文化を受け継いだ。
一方、寒冷気候と痩せた土壌、平らな大地を縦横に貫く遠浅の湖や河川、また荒海から深く入った良港のフィヨルドは、北欧の生業と交通手段を規定した。
それは水際の小さな村落で漁労、農業、牧畜を細々と兼業していくことでした。
そして喫水の浅いボートで遠くまで交易することで不足の資材を補った。

このことにより、アジアのような大規模な農耕地と大都市の出現が遅れ、
かつての地中海の海洋都市国家のように、植民都市開拓や交易に重きをおくようになった。
このことが、後に誕生した王や貴族への権力への集中が遅れた理由でしょう。


この背景になっている状況は、それほど変わらなかったと思う。
ノルウェーなどはむしろ海上運輸や海洋資源を生かし続けている。

おそらくは国民性を育む最も重要な家族制度にも変化はなかっただろう。


 
*3

ストックホルムとオスロの巨大な墓苑を見たが、多くはシンプルな墓石で装飾にあまり差が無く、大きさにも差がなかった。
そして区画ごとに整然と並んだ墓石群、森林に囲まれた様子を見て、今なお、かつての国民性は健在だと感じた。
(新しい一部の墓石には大きなものや華美なものもあったが)

人は墓に最も保守的な側面、自然や社会への意識を遺すものです。


次回に続きます。


20190927

北欧3ヵ国を訪ねて 84: 北欧の旅を終えて 5


  


*1


北欧の歴史的意義とは?


 
< 2.2019年の世界幸福度ランニング、北欧青矢印 >
赤矢印の日本は低下し続けている(2015年は46位だった)。


不思議な北欧

北欧三ヵ国の人口は530~990万人と少ない、当然経済大国ではない。
寒冷地の為、農作物は期待出来ない(自給出来るようになったが)。
ノルウェーを除いて豊かな資源国とは言えない。
しかし日本のGDPに占める貿易額(輸出と輸入の計)の比率が30%に比べてスウェーデンは60%もある。
これが経済の強みの一つです。


北欧三ヵ国は福祉国家を目指している。
簡単に言えば、国が人権(健康・安全・生活)を手厚く保障している。
日本の通念では、国民の権利保護の行き過ぎが経済の自由を奪い、経済失速を招くはずです(米国に沿った主張)。
北欧は試行錯誤しながら隣国同士が切磋琢磨しながら国民の権利保護と経済成長を両立させ来た。

この試みは20世紀半ばに始まったに過ぎない。
なぜ彼らは画期的な挑戦を始め、成功させているのだろうか?
社会主義と目指す所は同じようだが、独裁と官僚主導を排し、経済効率も手に入れている。


北欧はバルト三国ほどではないが、侵略の苦渋をなめて来た。
両地域には似た宿命がある。
大国(ドイツやソ連)に侵攻され、また互いに争うこともあった。
助け合うこともあるが強固な同盟を結ぶわけでもない。

弱小国だけに、独立は武力ではなく世界の信任に頼らざるを得なかった。
現在、北欧三ヵ国は西欧(EUやNATO)との絆を強め、1世紀前の中立政策から距離を置いているようだ。

北欧三ヵ国は過去の軋轢を乗り越え、同じゲルマン民族として、よく似た政体(立憲君主制、福祉国家)を保持している。




 
< 3.小さな国土ながら世界に打って出た国々、赤の星印 >

小さいが一味違う北欧

小国が世界をリードしたことはあっただろうか?
ユダヤ王国、古代アテネ、古代ローマ、リトアニア、ポルトガル、オランダ、イギリス、日本などはどうだろうか?
これらの国は初期こそ国土は小さいが、やがて周辺から世界に君臨したことがあった。
但し、武力を背景にしていたが。

かつて日本は西欧の覇者イギリス、フランス、ドイツに政治・産業・軍事を学んだ。

しかし、これからの時代、最大の軍事力や経済力ではなく、国民が最高の幸福と所得を共に得ている北欧から学ぶべきではないだろうか。

米国は同じ資本主義である北欧に比べ国民の幸福と平和において遥かに及ばない。
(米国の平均所得は高いが、90%の国民は低い)

北欧はこれまで世界を席巻した文明国とは一線を画している。
この国々は今が旬かもしれない。
遠く小さいからと侮ることは避けたいものです。


次回に続きます。


20190926

北欧3ヵ国を訪ねて 83: 北欧の旅を終えて 4





*1

日本にとって北欧とは?


 
< 2. 両国にとって天国とは? >


北欧は遠い

北欧は寒くて荒海に閉ざされ、人口は少なく、作物は乏しく、小国ばかり。
まして大阪からストックホルムまで直線距離で8000km、航空機で12時間と遠い。
(エアチャイナの北京経由であれば時間はかかるが往復7万円台で可能)

北欧では収入の半分以上が税や保険料として徴収される、いくら教育・医療・福祉が無料だとしても、日本の現状から想像するに生活なんぞ出来ないぞ!
ましてそんな巨大政府の下では官僚や役人が横暴で、また平等が押し付けれ生活の隅々まで制約され息苦しいはずだ!

確かに日本の中央集権化しマンネリ化した政治状況で暮らす国民にとっては、議員や官吏の腐敗、汚職、非効率は当然に思えるかもしれない。

しかし、まったく違うのです。
日本の政治家は年3000万円貰っても賄賂を要求し汚職をするが、北欧の議員は手弁当であり、汚職がニュースになることは無いそうです。
共産圏のように一党独裁ではなく多党制です。
当然、日本のように世襲議員が50%越える党などないし、女性議員は5割近いのです。

日本にどっぷり浸かっていると、どうしても日本の悪弊から抜け出せない。
思考が停滞してしまう。



< 3. 日本と北欧の政治家の違い >


少し海外を知るだけで
北欧の政治や経済システムがわからなくても、自らの足で北欧を1週間ほど巡ると、日本との差異に気付くはずです。
それも大きな違いに!

郊外の都市であれ首都であれ、午後4時半を過ぎる頃には、市民は仕事から解放されて至る所で寛いでいる(6月初旬)。
夫婦や子供らと、そして恋人や友人と、街の中の公園や海岸・湖畔・河畔やレストランで過ごしている。

逆に、日本の飲み屋街や赤ちょうちん、くだを巻く男性の集団を見ることはなかった(35年前はそうだった、今回、夜遅く出歩いていない)。

また男性が乳母車を押している姿を如何に多く見たことか。
北欧では男女同権が浸透し、家事や育児の分担が進み、制度的にも支援が行き届いている(女性の8割以上は勤めている)。


さらに
このような少ない労働時間でも北欧の一人当たりの国民所得は日本の2倍弱あるのです。
(女性の高い就労率と賃金差の無いことも大きいのだろう)
しかも主要な出費は無料です。
(私には円安も加わり物価は高かった)
浮き沈みはあるが、概ね日本よりも高い経済成長率が続いている。

不思議に思いませんか?


次回に続きます。



20190925

北欧3ヵ国を訪ねて 82: 北欧の旅を終えて 3







*1


かつて日本は異国から数多くを学んで来た。
今もその時です。


これまでの日本

日本列島は古来より大陸の影響を受け、多くの技術、文化、制度、思想を受容して来た。
江戸時代までは中華文明、明治維新以降は西欧文明、敗戦後は米国と、柔軟に対応して来た。

しかし気になることがある。
それは受容が中央政府からのトップダウンになりがちだと言うことです。
残念ながら日本列島は海と異言語によって周辺国から閉ざされている。
どうしても政府の都合で、受容すべきものが選択され、入手出来る情報も偏ってしまう。

このことは現在のようなIT社会でもあまり変わらない。
やはり日本語使用が世界で1ヵ国だけであり、さらに海外に無関心な日本の国民性が大きい。
その上、マスコミやインターネットで政府追従によるネガティブ・キャンペーンやフェイクの発信が続くと防ぐ手立てがない。


 
*2

それでも
例えば、日本の現状が成熟か凋落かを知るにはどうすれば良いのでしょうか?

国内に立ち止まり、昔を振返っても分からない。
残念なことに、国が隆盛期を過ぎて衰退している時、往々にして内に籠り易くなる(かつての英国の保守化と帝国主義化)。


やはり思い切って、日本を外から俯瞰するしかない。

二つの方法がある。
一つは、国際機関が発表する経済や社会指標の推移を見ることです。
一目瞭然ですが、発表機関の偏りを見抜く必要があります。

例えば米国の体制寄りの機関であれば米国や日本に高評価を与えます。
国際的または西欧の機関の多くは、北欧などを高評価し日本を低評価しているが、西欧や自国への評価も低いことがあるのです。
つまり公平に扱っているようです。

今一つは、特色ある国を知ることです。
例えば、高福祉国家の北欧、発展を続ける共産主義中国、資本主義先進国だが分裂著しい米国などです。
知る方法としては、やはり訪問するのが手っ取り早い。

あたりまえだが、やはり海外を訪れる以外に道はない。
「人の振り見て我が振り直せ」でしょうか。


 
*3


とは言っても
やはり上記の手段を取れる人は少ない。

そうであっても、国民が海外事情に疎いことで大きな失敗を招いた歴史があったことを忘れないで欲しい(太平洋戦争への道)。
日頃から、心地よい情報を疑い、時には自ら真贋を確認するようにして下さい。

私は北欧の旅行記を通じて真の姿を伝え、微力だがネガティブ・キャンペーンに抵抗したい。


次回に続きます。


20190924

北欧3ヵ国を訪ねて 81: 北欧の旅を終えて 2







*1


なぜ北欧に暗いイメージを持つ人が多いのか?
以前から気になっていた。


 
*2


偏見の正体

これは日本に蔓延るプロバガンダと乏しい国際感覚に起因している。

北欧に関して人々は、せいぜいフィヨルド観光か、稀にアイスランドの直接民主主義ぐらいを知っているぐらい。

北欧のイメージはかなりステレオタイプです。
それは福祉国家による重税で、息苦しく活力が無いイメージです。
実体とかけ離れたイメージがなぜ蔓延しているか?

ある時、この謎が解けた。
暗いイメージを持つ人の中に、意外にもスウェーデンの高い税率や自殺率などを知っている人がいたのです。
(自殺率の高さは社会の息苦しさもあるが、文化や尊厳死との兼ね合いもあり一律には論じられない)

日本の改革派(野党)は時折、北欧を理想国家に挙げることがある。
一方、保守派(自民党・経済界)は米国主導の自由放任経済に突き進んでいる。
これを受けて日本の御用マスコミは、自由放任経済の対極にある巨大政府に繋がる福祉国家へのネガティブ・キャンペーンを続けている。
(だから無関心なはずの北欧について負の側面だけ詳しい)


 
< 3. 米国でニュデイール政策が貶められるのも同じ理由から >


こうして国民は北欧を敬遠し、素晴らしさに触れることはない。
これでは日本が衰退を極め、取り残されていることに気が付けない。
まさに体制の思う壺です。


それにしても、なぜ日本人は大失敗を招くプロバガンダに安易に陥ってしまうのだろうか?

日本国民は80年ほど前、政府・軍部に洗脳され、極悪ヒトラーを信頼し、強大な米国を過小評価し敵視し、さらには隣国を蔑視した。
そして敗戦によって間違いは明らかになった。

しかし反省することはなかった。
最近、特にこの数年、米国追従は極まり、隣国への過小評価や敵意を煽られても疑うことがない。

やはり国民は海外に閉鎖的な為、簡単に流されてしまうのか。
そうとするなら大陸の反対にある国の真の姿など知ることは不可能だ。

日本の閉鎖性やガラパゴス化は政府、それとも国民性によるものなのか?


これに関して、私が北欧を巡って得た答えは絶望的なものでした。

確かに日本の政府や経済界、教育に問題は多いが、国民性の違いが大きい。

北欧の人々は昔から海外志向で、今も幼い頃から多言語を学び、家族から海外勇躍は当然とみなされている。

このことが高付加価値、そして経済成長を生み、高福祉の高負担を可能にしている一因です。


次回に続きます。





20190923

北欧3ヵ国を訪ねて 80: 北欧の旅を終えて 1





< 1. 1984年訪問時のスウェーデン郊外1 >


私が北欧を訪れたいと思ったのは、日本の進むべき道を知りたかったからです。
そして北欧への羨望と日本への哀惜の念はさらに深まった。
それでも日本への愛着が衰えることはないが。
これから北欧と日本への想いを語ります。


 
< 2. 2018年の北欧旅行のルート >


はじめに
私が北欧に初めて関心を持ったのは40年ほど前でした。
当時、日本は高度経済成長のピークを過ぎ、その余韻を残してはいたが、先が見えなかった。(今の方がより見えなくなっているが)
一方、北欧は高度福祉国家として名声を博していた。

当時、日本でスウェーデンに関してよく知られていたのはダンスミュージックのABBAとフリーセックスぐらいでした。
一方、数社のスウェーデン・メーカーは日本で今より活躍していた。


 
< 3.1984年11月訪問時のスウェーデン郊外2 >

1984年にスウェーデンとデンマークを視察し、現地の企業経営、福祉政策、人々のライフスタイルに深い感銘を受けた。
この1週間ほどの訪問で、私は日本と北欧二ヵ国の差異をつぶさに見聞した。

大きなカルチャーショックを受けたが、一言で言えば「家族と日々おおらかに楽しむ北欧」と「がむしゃらに走り続ける日本」の違いでした。
当時、北欧の暮らしに憧れたが、まだ日本の未来に希望を抱いていた。





 

< 4.1984年訪問時のコペンハーゲン >


それから35年経った現在、両者間には更なるギャップが生じていた。

日本の経済や社会の水準は概ね世界の30位前後まで低下し、一部の指標では100位前後も増えた。
一方、北欧4ヵ国は概ねほとんどの指標で5位以内を占め、希に10位内もあるが。

私は日本の現状を憂う中で、「北欧は手本になりうるのか」また「日本に欠けているものは何か。経済、政治、社会、国民性のどこに問題があるのか」の答えが無性に知りたくなった。
そして自ら北欧を訪れるしかないと決意した。

しかも観光ではなく、北欧三ヵ国の社会の実情と文化歴史を直に体得する必要がある。
この為に、一人で公共交通機関を使い、自分の足と口で、人々に接しながら北欧の首都と地方都市を巡ることでした。


次回に続きます。


20190914

北欧3ヵ国を訪ねて 79: コペンハーゲン 5 : 国立美術館を最後に別れを告げて






*1

今回で、北欧観光の紹介を終えます。
始めにコペンハーゲン大学植物園と国立美術館、次いでホテルの部屋とコペンハーゲン空港を紹介します。

 
< 2. 散策ルート、上が来た>

ローゼンボー城Sを出て、赤線に沿って植物園を歩き、一周を終えたらピンク線に沿って国立博物館に行きました。
植物園と美術館を訪問したのは、2018年6月9日(土)15:00から16:30まででした。

その後、Nørreport駅から電車に乗り、中央駅まで行き、ホテルに戻りました。

翌日は、午前中、ホテル周辺を観光してから午後の飛行機で帰国するはずでした。
しかし、疲れと帰国便の搭乗手続きに不安があり、観光を省き空港には9時頃には到着していました。


 
< 3.植物園内1 >

敷地は非常に大きく、植物園と言うよりは自然な公園が市民の憩いの場になっている。

 
*4


 
*5

温室でしょうか。
中には入っていません。


 
< 6.国立美術館の建物 >

上: 正面。
中央が入り口。

下: 前庭の噴水。


 
< 7. 風景画 >

上: Johan Christian Clausen Dahlの絵
彼は19世紀のノルウェーの画家で、コペンハーゲンで絵画を学び、デンマーク王の支援を受けた。
後に『ノルウェー風景画の父』と称されるようになった。

下: L.A. Ringの絵
象徴主義と社会的現実主義の両方を開拓した20世紀のデンマーク画家。


 
< 8. 人物画と現代美術 >

左上: Ejnar Nielsenの絵
20世紀のデンマーク画家で、象徴主義絵画の中心的人物でした。

右上: L.A. Ringの絵
先ほどの風景画も書いているが、人物画が多い。


この美術館は非常に大きく、西欧の美術品も所蔵していますが、私は北欧の美術と現代美術だけを見ました。
現代美術の展示も沢山ありました。

今回の北欧旅行で、各国の王宮内の絵画を見ることは出来ましたが国立美術館に訪れたのはノルウェーとデンマークだけでした、。

スウェーデンの美術館を見ていないので、はっきりは言えないのですが、北欧三ヵ国の絵画には大きな発展や特色が無いように思えた。
文化はドイツやオランダの影響を大きく受けているが、模倣を越えて、異彩を放ち有名になったようなものはないようです、ノルウェーのムンクを除いて。

このことはスペインを旅行した時にも感じたのですが、地理的に辺境、大陸の端になる国々は、中央の西欧から隔絶されている感がある。
ヨーロッパ美術史にしても、中央の西欧が中心で、他の地域は割愛される傾向が強い。
スカンディナヴィア半島やイベリア半島は距離的にそんなに離れていないにも関わらず。
中世美術のゴヤやエル・グレコの絵画に特色はあるが、何か主流から外れている感がある。

現在の北欧は、経済と暮らしの豊かさで世界のトップにあるが、美術ではそうでは無かった。
北欧の文化が成熟していないとは思えない。
かつての美術の発展は、国の経済力、特にパトロンとなる王侯貴族らの経済力が影響したのかもしれない。
さらに西欧の中心的な王家との血縁や宗派の繋がりが重要だったのかも知れない。



 
< 9. 現代美術 >

上: 展示室を見て回っていると、突如として白い病室に行き当たりました。
良く見ると、病人は蝋人形でした。

下: 左右二つの映像に分かれて、同時進行し、語りかけてくる声が聞こえて来るのですが、意味は不明でした。


 
< 10.Nørreport駅 >


 
< 11. ホテル、CABINN City >

上: 中庭

下: 私の部屋。
この部屋は二人まで宿泊できるタイプで、当然、一人で使用しました。
使用にまったく問題はなかった。
学生の集団や労働者、若い旅行客が多かった。

ここは中央駅に近く、中央駅内にスーパーやコンビニがあり便利です。
朝食は安さ相応でした。



 
< 12. コペンハーゲン空港 >

上: コペンハーゲン空港駅。
ホームのすぐ隣が空港ロビーです。
この駅には中央駅から直通で来れます。

下: ロビーは大きくない。


 
< 13. チケットカウンター >

上: 右手中央から右手に数多くの発券機が並んでいる。
下: 右手奥がチケットカウンターです。


私は帰国の飛行機でトラブルに遭うことになりました。
これから北欧旅行される方は参考にして下さい。

トラブルの概要
この日、私はエアチャイナ運行のコペンハーゲン空港発、ストックホルム空港乗り継ぎ、さらに北京国際空港乗り継ぎ、関西空港着の飛行機に乗ります。
トラブルはストックホルム空港で北京行きの飛行機に乗せて貰えない状況になったことでした。

トラブルの発端
コペンハーゲン空港では航空チケットは全員が発券機で行うようになっていた。
それをチケットカウンターに持って行き、受託荷物を託す必要があった。
(自分で受託荷物を処理することも出来るようですが)
私は発券機の操作が上手く出来なかったので、一か所だけあるサービスカウンター(チケットカウンターの反対側)に並び、お願いしてEチケットを見せて発券してもらった。
しかし、発券されたチケットを見ると二つのフライトが一枚に印刷されていただけでした。
(私の予想では、帰りのフライト三便が三枚に印刷されるはずでした)

そこで係員に疑問を投げ掛けたのですが、問題無いと言う。
さらにチケットカウンターの係員も、そのチケットで処理してくれたので安心した。

そしてストックホルム空港で北京行きの飛行機に乗り込もうとしたら、搭乗ゲートでストップになった。

搭乗出来ない状況から
私を止めたのはスカンジナヴィア航空の白人男性係官でした。
私が航空チケットを見せると彼は「乗るな」と言い、私を脇に寄せて、「英語を話せるか」と聞き、私は「ノー」と声た。
すると彼は軽蔑するような素振りをし、私をそこに立たせ、終始無視した。

他の乗客がほとんど乗り終えた頃、エアチャイナの中国人男性の搭乗ゲート責任者が私に「どうしたのか」と聞いて来た。
私は「あの白人からストップと言われている」と答えた。
彼はどうやら私を搭乗させたいようでした。

私は女性の係員に私の機内の席はまだ空いているのかと聞いた。
空いているとの返事だったので、意を決して、急いで搭乗口に向かった。
もう誰にも止められなかった。

こうして無事、北京空港に着いた。
空港内の乗り継ぎ通路の途中で、税関の係官に関空行きの発券が出来る場所を聞いたら、近くにあると教えてくれた。
指示された方向に行くと臨時の発券カウンターがあり、中国人係員が日本語と英語で対応してくれた。

かくして無事に関空に辿り着くことが出来た。


感じた事
三ヵ国の中でスウェーデンが外人、ひょっとしたら東アジア人か中国人に対して悪感情を持っているなと感じた。

三ヵ国とも、何処に行っても市民は親切なのですが、スウェーデンでの公共機関や商業施設などでは冷たい応対に遭うことがあった。

三ヵ国の中で、スウェーデンは経済的に低迷しており、移民が多く、格差も拡大している。
また中国人観光客も多く、トラブルが頻発しているように思う。
これらのことが私への対応になったのかもしれない。

それにしても旅先での中国人、空港での係員の温かい対応には助かった。
いつのまにかエアチャイナに親しみを感じていた。


次回から、北欧旅行全体について語って行きます。