< 1. 大本営発表 >
今回も参謀の堀栄三氏の著述を見ます。
日本軍の敗因がそこには記されており、根の深い問題が露わになります。
< 2. ミッドウェー海戦 >
「大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇」(堀栄三著、文集文庫、1996年刊)より
米軍が見た日本軍5つの敗因(タイトル)
「米軍は昭和21年4月(敗戦の翌年)、『日本陸海軍の情報部について』と言う調査書を米政府に提出している。
『日本の陸海軍情報は不十分であったことが露呈したが、その理由の主なものは
1. 軍部の指導者は、ドイツが勝つと断定し、連合国の生産力、士気、弱点に関する見積を不当に過小評価してしまった。(注、国力判断の誤り)
2. 不運な戦況、特に航空偵察の失敗は、最も確度の高い大量の情報を逃がす結果となった。(注、制空権の喪失)
3. 陸海軍間の円滑な連絡が欠けて、せっかく情報を入手しても、それを役立てることが出来なかった。(注、組織の不統一)
4. 情報関係のポストに人材を得なかった。このことは、情報に含まれている重大な背後事情を見抜く力の不足となって現れ、情報任務が日本軍では第二次的任務に過ぎない結果となって現れた。(注、作戦第一、情報軽視)
5. 日本軍の精神主義が情報活動を阻害する作用をした。軍の立案者たちは、いずれも神がかかり的な日本不滅論繰り返し声明し、戦争を効果的に行うために最も必要な諸準備をないがしろにして、ただ攻撃あるのみを過大に協調した。その結果彼らは敵に関する情報に盲目になってしまった。(注、精神主義の誇張)
・・・以上の5項目は、戦後40年経った現在でも、まだ大きな教訓的示唆を与えている。」P329
説明
残念ながら米軍の指摘は、あまりにも日本の弱点を見抜いていました。
この連載で取り上げた指摘や人物の行動にピッタリとあてはまりました。
著述の中で、彼は多大な損失を生み続けた日本軍の古い体質を随所で批判しています。
彼の批判は適確ではあるが容赦ないものではなく、その歴史的経緯に理解を示しています。
だが彼は所属していた陸軍部参謀本部、特にエリートの作戦課に強く失望していた。
一方で、彼自身の思い上がりやミスも吐露しています。
彼のように自分や所属組織への反省を適確に行い、改革を進めた人がどれだけいたでしょうか?
結局、指摘や批判を拒否し、反省しない人々が組織の体勢を占め、国の命運を左右してしまた。
< 3. 焦土と化した大阪 >
米軍が見た日本軍5つの敗因につづく
「作戦班には、陸大軍刀組以外は入れなかった。作戦課長の経験無しで陸軍大将になった者は、よほどの例外といって差し支えなかった。
・・堀の在任中、作戦課と作戦室で同席して、個々の作戦について敵情判断を述べ、作戦に関して所要の議論を戦わしたことはただの1回もなかった。
・・堀が山下方面軍でルソン上陸の敵情判断をしていた頃、「米軍のルソン侵攻は3月以降である」(1月6日に発生)と打電してきたり、・・電報が没になる(前回指摘)・・。
・・結論として、情報部を別格の軍刀参謀組で固めていたら、戦争も起こらなかったかもしれない。」P332
説明
彼は落ちこぼれと言っているが陸大卒業時5番だった。
しかし彼は希望の作戦課には配属されず、低く見られていた情報課に入った。
当時、陸大の最重要科目は作戦演習で、過去の実戦例について自分の意見を述べ、教官がそれを評価していた。
彼は言う、優秀な生徒(陸大軍刀組)は教官の望む答えを言えることであり、創造性とは無縁だと。
彼が陸大で学んでいた時、情報の科目はおざなりで、現役将校の自慢話であったと記している。
< 4. ヒトラー >
まとめ
太平洋とアジアの全陸軍の作戦を統括し命令を出す作戦課は、信じ難いが敵情はもちろん国際状況にも無頓着であった
それは陸軍大学と軍部の驕りとマンネリが生んだとも言えるが、歴史的経緯、さらには日本の精神風土が大きく災いした(事故調の黒川委員長指摘と同じ)。
しかしこれは当時の軍隊だけに起きたのではない。
現在も頻発する組織とエリート官僚の腐敗と軌を一にしている。
例えば、検察庁や原子力安全・保安院の事件は氷山の一角に過ぎないだろう。
この腐敗は資本主義や共産主義を問わず、国家から教団まですべての組織に起こっている。
ただ軍隊の驕りやマンネリ、腐敗から生じる暴走は、一国で数百万から世界で1億近い人々の犠牲を強いた。
正に、歴史を学び反省点を得る理由は、これらを繰り返さない為でもあります。
次回は、他国から見た日本の戦争を確認していきます。