< 1. テレビドラマ >
今回から、今次大戦の作戦立案を担った参謀達の意識を追います。
陸軍参謀の瀬島龍三氏の著作から始めます。
そこからは兵士数百万の命を扱う官吏の有能さが浮かび上がって来ます。
< 2.東京裁判で証人となった瀬島 >
瀬島龍三について
彼は秀才の誉れ高く、陸軍幼年学校、士官学校、陸軍大学を主席卒業と13歳から27歳(1938年)まで、当時最高の出世であった軍人の道をひたすら進んだ。
直ちに彼は陸軍参謀になり、40年には本部作戦課に配属され、敗戦直前まで大本営で作戦を立案した。
敗戦時、満州在任であった為、ソ連軍によりシベリアに11年間抑留された。
帰国後、伊藤忠に入社し、会長まで上りつめ、後に政財界でも活躍する。
山崎豊子の小説「不毛地帯」の主人公壱岐は瀬島がモデルだが、あくまでフィクションです。
< 3. 瀬島の回想録 >
戦後の私の考察(タイトル)
「『支那事変処理重点方針』という従来の国策に『南方問題処理』が加わり、『二元的国策』になった最大の要因は、欧州戦局に対する判断の甘さ、すなわち、ドイツの国力・戦力を過大評価し、英国と米国の戦争遂行力を過小評価したこにあったと思われる。・・・
近衛公は『国民組織による新政治体制』を訴え、・・近衛公の狙いは、国民組織の力によって軍部、特に陸軍を抑えることにあったと言われている。しかるに、組閣から五日後、早々とこのような重大決定をしてしまったことは、今も、私にはよく理解できない。」p87
開戦決定と作戦遂行(タイトル)
昭和16年八月頃の情勢と「帝国国策遂行要領」の決定
「8月16日、・・海軍側から今後の国策遂行方針について提案があった。その骨子は・・『十月中旬に至っても対外外交が妥結しない場合には実力発動措置をとる』であった。・・我々(陸軍参謀)もこれを聞いて驚いた。・・、
これらの経緯を踏まえて、9月6日、御前会議が開催された。そこで決定されたのが『帝国国策遂行要領』である。・・・
この決定はまさに、『和戦両用』の決意であった。御前会議の前日の9月5日、近衛首相拝謁の際、陛下は戦争準備が主で外交が従ととれる議案に対し強いご不満を表明された。・・」p105、106
書籍 以下の説明に下記略号を使います。
書1:「瀬島龍三回想録 幾山河」瀬島著、産経新聞ニュースサービス、1995年刊
書2:「大東亜戦争の実相」瀬島著、PHP文庫、2000年刊、1972年講演分
書3:「瀬島龍三 参謀の昭和史」保坂正康著、文集文庫、1991年刊、1987年初出]
< 4. 瀬島のハーバード大学での講演記録 >
有能な参謀とは
私が彼の書1を20年ほど前に読んだ時、無味乾燥さに失望し、今回、書2を読んで更にその意を強くした。
彼の著作には、開戦に至る大本営の記録が詳述されているが、ほとんど心情の吐露が無い、当初、彼の冷徹さ故と理解していたが。
述懐する批判や反省の矛先に、彼自身と周辺(参謀から陸軍)はありません。
彼は完璧なのか、自分自身の激情や判断ミス、悔悟について一切触れません。
行間から漂ってくるのは「しかたがなかった」「他者(米国)が悪い」ばかり。
彼は、陸軍上層部や参謀本部に重用され、当時多くの作戦立案を自ら書いています。
二十数名の陸軍参謀本部第Ⅰ部作戦課にあって彼は序列5番以内で、最重要な作戦班の補佐でした。
6月のドイツのソ連侵攻時、陸軍参謀らは歓喜し、気宇壮大になっていたが、それを上の文では他人事のように書いている。
また下の文では8月、海軍が俄然、参戦意欲を高めて驚いたと、これまた始めて聞き、他人事のように書いている。
書1ではなぜか抜けているが、書2p204では41年6月に「対英米戦争・・ごとき画期的国策案」と彼が絶賛する路線は既に敷かれていた。
ソ連の連敗に勢いづいた陸軍に対して海軍は慎重だったが、8月に石油を絶たれたので、6月の予定路線に従って進めざるを得なかった。
彼の記述は、すべて巧みにしくまれている。
参謀達の意識を物語る事件
「・・米国大統領から陛下あて親電が送られたということを知った。・・瀬島少佐から・・『既に戦闘が開始され・・』・・を聞いた。・・かえって混乱の因となると思って、右親電をおさえる措置をとった。」書3のp110
これは真珠湾攻撃の前日、大本営通信課の戸村少佐が、瀬島のアドバイスで、電報を握り潰した記述で、重大な背信行為です。
瀬島は他にも都合の悪い電信を握り潰すことをしている。書3
「部内、来栖の飛行機墜落を祈るものあり、いわく、第二課長(瀬島の上司)、第6課長等。当班もまたその気持ちは同様なり」書3のp107
11月に渡米し日米交渉を必死で進める来栖特派大使への参謀本部の気持ちが、内部文書に残っている。
このようなことを間違っても彼は語ることはない。
結論
瀬島も含め、参謀達の意識は、戦争続行・拡大である。
特に作戦好きだった瀬島にとって、自分の筆で数十万の兵員を自在に動かせる喜びは何事にも代え難いものがあったろう。
彼らの多くは、国民に対して背信行為だとか、判断ミスとか、兵士に申し訳なかったという感情は無縁だろう。
彼らにとって、与えられ目標に勝利する作戦・用兵を提示することこそが有能の証しであった。
例え兵士の消耗率が10~50%あろうが・・・・
次回は、別の生き方をした陸軍参謀を紹介します。
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