20160826

地中海クルーズとカナリヤ諸島クルーズ 29: ローマ3、終わり





< 1.コンスタンティヌスの凱旋門、4世紀  >


今日は,この旅行記の最後になります。
ローマを紹介して、この旅行を簡単に振り返ります。



 

< 2.サンタンジェロ城、2世紀 >





 

< 3.テヴェレ川沿い >
上の写真: テヴェレ川の向かいにアヴェンティーノの丘が見える。
ここはローマの発祥の地となった七丘の一つで、5世紀に遡る教会がある。

中央の写真: このテヴェレ川の右岸がアヴェンティーノの丘。
下の写真: 「真実の口」の彫刻があるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会。



 

< 4. パラティーノの丘 >
上の写真: 手前の広場は紀元前の戦車競技場跡、チルコ・マッシモ。
その後ろはパラティーノの丘で、最も歴史が古く、ローマ建国神話に繋がる紀元前8世紀に遡る。
この丘の奥に古代ローマの遺跡で有名なフォロ・ロマーノがある。

下2枚の写真: 上記の拡大。



 

< 5.コロッセオ >


あまりにも有名な円形競技場コロッセオです。
左にコンスタンティヌスの凱旋門がある。




 

< 6. コロッセオとフォロ・ロマーノ >

コロッセオの向こうにフォロ・ロマーノが見える。



 

< 7. チビタベッキアに向けて 1 >

いよいよ帰国の途に着きます。
チビタベッキア港からジェノバに戻り、ミラノから空路で帰国です。


 

< 8.チビタベッキアに向けて 2 >

この日は折しも曇天で、旅行の終わりがよりわびしくなりました。


ローマに思う
イタリアは私にとって古代ローマから中世に至るヨーロッパ史を知るには重要な所と考えていました。
しかし、今回ミラノ、ジェノバ、ローマを観光して、その思いは萎えてしまいました。
特に、ローマの中心部の街並みを見るにつけ、すべてが古いままのたたずまいであることに不安を感じた。

これでは観光地としては良いが、発展への妨げになるのではないかと思えた。


私は人類の未来を知る為に、以前は先史から古代史を理解することが大事だと考えたが、今は直接的に中世以降の世界の紛争や戦争に関心があります。
その意味で、私にはローマが遠い存在になってしまったようです。





 
*9

この旅行を終えて

この15日間の旅行、内12日間のクルーズは、私達夫婦にとって貴重な経験でした。
出発前、初めてのことで色々不安はあったが添乗員のおかげで無事、かつ充分な満足感を持って終えることが出来た。

数々の思いでが蘇ります。
イタリア3都市、スペイン2都市、モロッコ1都市、大西洋の2島を観光した。
冬の地中海と大西洋を経験し、大航海時代の始まりを告げる2島を見た。
この島では、大自然を感じることが出来た。
アフリカのイスラム圏であるカサブランカを体験した。
二度目のスペインで、ガウデイとピカソに触れることが出来た。
クルーズ船内の生活をエンジョイし、クルーズならでは街歩きを楽しんだ。
様々な遺跡、景色、洋上の朝日夕日を写真に撮った。
そして、海外の人々と船内や町歩きで触れ合うことが出来た。

すべて貴重で楽しい思い出になりました。






 
*10


長らくこの旅行記にお付き合い頂きありがとうございました。

10月には、ロシア、バルト三国、ポーランドを巡る旅に行きますので、報告することを楽しみしています。

20160825

Bring peace to the Middle East! 28: about terrorism 8 : terrorists and a conscientious objector


中東、戦争と平和 28: テロについて 8: テロ犯と兵役拒否者





<  1.  a suicide bombing in Israel >
< 1.イスラエルでの自爆テロ >

We get to the heart of 3 youths feeling desperate in Palestine and Israel.

今日は、パレスチナとイスラエルの3人の若者の必死の思いに迫ります。


Farewell note of a suicide bomber
A youth performed a suicide bombing in a route bus of Jerusalem and had written this note three days ago.

"
.......
I feel blessed in becoming a member of Hamas being a tolerant organization. (annotation 1)
......
First I am murdered in a bomb, and I feel blessed to be able to murder our enemy at the same time.
This is not because I want to murder but because I wish Palestinian live a life in common with other race.
.......
My father and mother, and all the relatives, I was not forced to go ahead this way.
.......
I pray to God for leading my family to heaven through me on the day of judgment.
.......
Please don't feel sorrow at my departure, and don't cry.
If God chooses it, we may meet soon in heaven. "
 (annotation 2)

He learned Islam in a graduate school and additionally aimed at lawyer.
However, he expected the Liberation of Palestine, and murdered 20 private citizens by this incident.

Why did he perform this cruel suicide bombing?


ある自爆犯の遺書
この遺書はエルサレムの路線バスで自爆テロを行った若者がその3日前に書いたものです。

「・・・・
ハマス(注釈1)という寛大な組織の一員にして下さり、・・・幸せに思います。
・・・・
まず私が爆弾に殺され、同時に敵を殺せることを幸せに思います。
私は殺人がしたいからではなく、パレスチナ人が他の民族と同じように生きることを望んでいるからです。
・・・
お母さま、お父さま、親戚のみなさん、私はこの道を進むことを強制されたわけではありません。
・・・
最後の審判の日、神が私を通じて家族を天国に導くことを、神に祈ります。
・・・
私の旅立ちを、悲しみ、泣かないで下さい。
神が望まれるならば、私達は近いうちに天国で会えるでしょう。」
(注釈2)

彼は大学院でイスラムを学び、さらに法律家を目指していた。
しかし、彼はパレスチナ解放を望み、この事件で民間人20人を殺した。

なぜ彼は残酷な自爆テロを行ったのだろうか?





<  2. Lebanese refugee camp in where battle continues. in July 2007 >
< 2. 戦闘が続くレバノンの難民キャンプ、2007年7月 >

Family of a terrorist
A Japanese photojournalist was making a book of photographs of a Palestinian girl.
He visited her family after four years.
Her house in a camp was destroyed by bombardment, and this family lived at a relative's house in Beirut.


Her mother protested against right wing militiamen who had ruled the camp, so she was hit with a gun, and underwent major surgery.
Her father received a cannonball of Israeli military and was operated on.
Her eldest brother had worked in a factory in the camp but he was arrested by Israeli military.
He was tortured and ousted, then he went to Africa, and has suffered heavy disease.
Her second brother died during a battle in the camp.
The husband of her eldest sister was hit by bomb fragments of Israeli military, and he has suffered total paralysis.
Her uncle received a bullet of radicals to eyes, but narrowly escaped death.
Her younger brother was killed in bombardment. “
 (annotation 3)

There was not her older sister (18 years old) here.
A small group of guerrillas that she led entered Israel, and she was caught by Israel after a battle.
She received torture in a prison, but seems to still live.

Many people may think so.
"I can understand her sorrow and hatred, but why does she fight?
Because, there is surely the retaliation of Israel that is much more severe and indiscriminate."
Maybe these youths merely be hell-bent on revenge?

These two terrorists of Palestine would maybe think as mentioned below.
" At a crisis of destroying our country, we don't care our own life."

あるテロ犯の家族
日本のフォトジャーナリストがパレスチナの少女の写真集を作っていた。
彼は4年ぶりに彼女の家族を訪れた。
この家族は、キャンプの住まいを砲撃で破壊され、ベイルートの親戚の家に居候していた。

「母親はキャンプを支配した右派民兵に抗議して、銃で殴られ大手術をした。
父親はイスラエル軍の砲弾を受け手術した。
長男はキャンプの工場で働いていたが、イスラエル軍に逮捕され、拷問され、追放されてアフリカに渡り重い病気になった。
次男はキャンプでの交戦中に死亡した。
長女の夫は、イスラエル軍の爆弾の破片が当たり全身不随になった。
叔父は過激派の銃弾を目に受けたが、命を取り留めた。
弟は爆撃で死んだ。」
(注釈3)

そこに彼女の姉(18歳)の姿はなかった。
この姉が率いるゲリラの小グループがイスラエルに進軍し、交戦の末、彼女は捕まった。
彼女は収容所で拷問を受けたが、まだ生存しているらしい。
この収容所は、国際赤十字もアムネスティも立ち入ることが出来ない。

多くの人は思うだろう。
「彼女の悲しみと憎しみは理解出来るが、なぜ戦うのか?
イスラエルのはるかに過酷で無差別な報復が返って来るのに。」
この若者達は単に復讐の鬼と化したのだろうか?

このパレスチナの二人のテロ犯の胸中にあるのは「亡国の危機にあっては、自分の命を厭わない」ではないだろうか?







<  3.  Israeli high school students refused to do military service in 2014 >
< 3.イスラエルの高校生が兵役拒否で投獄、2014年 >

a statement of a conscientious objector

“......
Our Israeli nation has extended a pure Jewish residential area by force since the founding of the country.
But I cannot understand how a security of the area becomes supported strongly.
I cannot understand how it is useful for our society to do attack being more cruel and large-scale than Palestinian terrorism, for suppressing the resistance of Palestine.
.....
The majority of Israeli people want to change such a situation.
.......
The Israeli military men and capitalists perform every thing to maintain their authority.
.........
Our true enemies are these people.
Jew and Arab should confront them together.”
(annotation 4)

This is a statement that third-year high school students in Israel sent to the prime minister when they refused to do military service.
This youth seems to have understood a sentiment of the above-mentioned terrorist.


ある兵役拒否者の声明文

「・・・・
イスラエル国家が建国以来、力づくで造ることに固執している純粋なユダヤ人居住地域が、どのように我々の安全を強化するのか私は理解出来ません。
パレスチナのテロによる抵抗を抑圧するために、テロよりもさらに残酷で大規模な攻撃がどのようにして私の社会のためになるのか、私は理解出来ない。
・・・・
大多数のイスラエル国民が、このような事態を変えたいと望んでいます。
・・・
イスラエル軍人と資本家は権力を維持するためにあらゆることを行います。
・・・・
これらの人々が真の敵であり、・・・。彼らにこそ、アラブ人とユダヤ人は共に立ち向かうべきです。
・・・」
(注釈4)

これはイスラエルの高校3年生達が兵役拒否運動を行い、首相宛に出した声明文です。
この若者には前述のテロ犯の思いが通じているようです。






<  4.  A boy throws a stone at an Israeli tank  >
< 4.イスラエルの戦車に投石する少年 >

Afterword
From the times of the Ottoman Empire to the beginning of the 20th century, Christian, Jew, and Muslim had coexisted peacefully in same town Jerusalem of Palestine.
But this area was transformed into a horrific battlefield due to a large influx of Jewish settlers.

During the initial stage, the Palestinian side did not almost act terrorism to aim at unrelated private citizens and foreigners.
In addition, it was said that the suicide bombing acts counter to Islam, but it gradually came to be allowable for jihad driving out the invader.

After all, as war escalates, growing inequality of military power differentiated how to fight between both groups.


This continues the next time.


あとがき
オスマン帝国の時代から20世紀の始めまで、パレスチナではキリスト教徒、ユダヤ教徒、ムスリマは同じ町エルサレムで平和に共存していた。
それが修羅場と化したのは、ユダヤ人の大量入植後のことです。

初期には、パレスチナ側は無関係な民間人や外国人を狙うテロをほぼ行わなかった。
また自爆テロはイスラム教に反するとされていたが、徐々に侵略者を追い出す聖戦の為なら可とされるようになった。

結局、戦争がエスカレートするにつれ、軍事力の差が両集団の戦いの違いになった。

次回に続きます。



注釈1
「ハマス」(HAMAS)は,1987年12月,パレスチナ・ガザ地区で発生したインティファーダを契機に反イスラエル運動がパレスチナ全域に拡大した際,同地区の「ムスリム同胞団」の最高指導者シャイク・アフマド・ヤシン(2004年にイスラエルによる掃討で死亡)が,武装闘争によるイスラム国家樹立を目的として設立したスンニ派武装組織。

注釈2
引用要約、「正直な気持ちを話そう」p141より。

注釈3
引用要約、「パレスチナ」p96より。

注釈4
引用要約、「正直な気持ちを話そう」p95より。


20160823

地中海クルーズとカナリヤ諸島クルーズ 28: ローマ 2







< 1. トレビの泉 >


今日はローマの2回目で、トレビの泉とバチカンを紹介します。





< 2. 多くの彫刻 >

一番上左の写真: トリトーネの噴水。ベルニーニ作、17世紀。
一番上右の写真: 十字路の建物の角にあった彫刻。
下から2枚の写真: テーヴェレ河にかかるポンテ ・ ヴィットーリオ ・ エマヌエーレ 2世橋、1886年。





< 3. 様々な建物 >
一番上の写真: ヴェネツィア広場のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂、1911年。
上から2番目の写真: テーヴェレ河に建つサン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・フィオレンティーニ教会。16世紀。
一番下の左: トラヤヌス市場の傍にある戦士の塔。初期建築は12世紀。




< 4. トレビの泉 >

古代ローマ時代の泉を改造して1762年完成。
中央に水を司るポセイドーンが立ち、左に豊饒の女神デーメーテール、右に健康の女神ヒュギエイアが配置されている。

多くの人だかりで、好位置で写真を撮るのは困難でした。





 

< 5. バチカン市国 >
上2枚の写真: カトリックの総本山サンピエトロ大聖堂。
下の写真: サンピエトロ大聖堂からサンピエトロ広場を見る。





 

< 6. いよいよ入場 >
上の写真: サンピエトロ広場のオベリスク。
下の写真: サンピエトロ大聖堂の正面から入場。





 

< 7. サンピエトロ大聖堂内1 >




< 8. 大聖堂内の美術品 >
上の写真: ミケランジェロのピエタ。1499年、高さ174cm、大理石。
下の写真: ラファエロの「キリストの変容」。1520年。



< 9. 大聖堂内部2 >



< 10. 大聖堂内部3 >

2本のビデオ映像、大聖堂内20秒、広場17秒です。



サン・ピエトロ大聖堂  
使徒ペテロの墓所上に建てられたギリシア十字プランを基本とし中央に壮大なドーム(直径42m)を架した盛期ルネサンス建築。

旧聖堂はローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって324年に創建された。
1452年教皇ニコラウス5世が改修に着手し,その没後工事は中断したが,教皇ユリウス2世が16世紀初めに工事を再開した。
その後、私達が良く知る芸術家が関わった。
ラファエロ1515年―1520ミケランジェロ1547年―1564年(大ドームを設計)、等と監督を務め,イタリア・ルネサンス最大の建築事業となり、1626年に完成した。

聖堂の前のサン・ピエトロ広場を囲む半円形の円柱回廊は1657年―1667年にベルニーニが建造。


ただただ巨大さ、壮麗さ、著名な作家による美術品の多さ、それと観光客の多さに圧倒されました。



次回に続きます。



20160818

Bring peace to the Middle East! 27: about terrorism 7 : Love and hate of Mossad


中東に平和を! 27: テロについて 7: モサドの恩讐




<  1.  The bombing incident of a Hotel  >
< 1. ホテル爆破事件 >

Why does the Israeli Mossad perform severe terrorism?
We can understand the weight of history and the sadness of the Middle East from the background.

イスラエルのモサドはなぜ苛烈なテロを行うのでしょうか?
その背景から、歴史の重みと中東の悲しみが伝わって来ます。



Two hawkish persons
The severe terrorism by Israel has two backgrounds, and it is divided between before and after the founding of Israel in 1948.

For example, a career of Dagan ( the director of Mossad)  that I introduced the last time shows it.

He was born in Ukraine in 1945, but his families were almost killed by genocide of Jews ( pogrom and Holocaust) that swept across Soviet Union and Eastern Europe in those days.
He came over to Israel at last in 1950.

However, Middle East war that had already begun, so this area became a place of the battle with Palestine.
He as a soldier achieved distinction on anti-terrorism operation in Gaza Strip and Lebanon, and he as a guerrilla soldier was feared as "an emperor in the world of darkness".

In this way, he was indispensable for Israel.



二人のタカ派
イスラエルの苛烈なテロには二つの背景があり、それは1948年のイスラエル建国以前と、それ以降に分かれます。

例えば、前回紹介したモサド長官ダガンの経歴にそれは現れています。

彼は、1945年にウクライナで生まれたが、彼の一族は当時、ソ連と東欧で吹き荒れていたユダヤ人虐殺でほとんど殺害された(ポグロムとホロコースト)。
彼はやっとの思いで1950年、イスラエルにやって来た。

しかし、既に始まっていた中東戦争により、そこはパレスチナとの攻防の地になっていた。
彼は軍人として、ガザ地区やレバノンにおいて対テロ作戦で功績を挙げ、ゲリラ戦士として「闇世界の帝王」として恐れられるようになった。

こうして彼はイスラエルに不可欠な人物になった。




< 2.  Former prime minister of Israel Begin >
< 2. ベギン元首相 >

The Begin of a hawkish person (holding office 1977-1983) has a similar shadow.

He was born in Belarus ( at that time, a Poland territory) in 1913, but the family was murdered by Nazi.
He participated in Israeli terror organization Irgun in 1942 and became a leader afterwards.

This organization bombed a military headquarters (Jerusalem) of the U.K. that got the evidence of military struggle of Jewish Agency (annotation 1), and caused a catastrophe (annotation 2)  in which 91 people were killed .
Because of this, the U.K. came to be cautious about the mediation for Palestine and left this area.

In 1977, he rallied small opposition parties and formed Likud Party, became the first prime minister of the right wing, and adopted a hard-line policy (territory expansion and respecting of Judaism) that formed subsequent Israel.
It shifted away from the reconciliation and coexistence with Palestine that  Labor Party of previous ruling party advocated.

After the Fourth Middle East war, in 1979, he concluded a peace treaty with Egypt by a mediation of the U.S., and won Nobel Peace Prize

He showed his real ability as hawkish position afterwards.
In 1981, the Israeli air force bombed Iraqi nuclear sites suddenly, and he made a statement, "I never permit weapons of mass destruction development".
The United Nations Security Council criticized it with one accord, but the Israeli people strongly supported it.

In the next year, the Israeli military invaded and attacked in Lebanon, and Lebanese Civil War intensified.
The Palestinian refugee slaughter (annotation 3) occurred by Lebanese militia that the Israeli military supported, and several thousand people were slaughtered in two days.
In the next year, he was criticized by people on the invasion and slaughter, and resigned.


タカ派のベギン元首相(在任1977-1983)にも同様の影があります。

彼は1913年にベラルーシ(当時ポーランド領)に生まれたが、家族はナチスに殺された。
1942年にイスラエルのテロ組織イルグンに参加し、その後リーダーとなった。

この組織はユダヤ機関(注釈1)の武力闘争の証拠を握ったイギリス軍司令部(エルサレム)を爆破し、死者91名の大惨事(注釈2)を引き起こした。
これにより、イギリスはパレスチナとの仲介に及び腰になり、この地から去ることになった。

1977年、彼は少数野党を糾合しリクード党を結成し、右派で初めての首相となり、その後のイスラエルの強硬路線(領土拡大、ユダヤ教尊重)を敷いた。
それまでの与党労働党が唱えるパレスチナとの融和・共存からの方向転換であった。

第4次中東戦争後の1979年、彼は米国の仲介でエジプトと平和条約を締結し、ノーベル平和賞を受賞した。

その後、彼はタカ派の本領を発揮して行く。
1981年、イスラエル空軍は突然イラクの核施設を爆撃し、彼は「大量破壊兵器開発を許さない」との声明を出した。
国連安保理はこれを満場一致で非難したが、イスラエル国民はこれを大いに支持した。

次の年、イスラエル軍がレバノンに侵攻し、レバノン内戦は激化した。
この時、イスラル軍が加担したレバノン民兵によるパレスチナ難民虐殺(注釈3)が起き、2日間で数千人が虐殺された。
翌年、彼はこの侵攻と虐殺で国民の批判さらされ辞任した。





< 3.  Palestinian refugee slaughter (annotation 3) >
< 3. パレスチナ難民虐殺事件(注釈3)>


What happened in the Middle East?
In early phase of the founding of Israel, the people supported an reconciliation with Palestine (the Labor Party), but became supporting the hawkish position (the Likud Party) before long.
It was associated with a tragedy which happened in the Middle East.

As an example, I introduce a rescue operation of the Mossad.
In a night of 1971, an Israeli naval missile boat went on sea of Syria through the Mediterranean Sea raged by bad weather, and anchored off a shore.
Three Mossad agents transferred from the missile boat to a rubber boat, then swam till the beach, changed clothes, and left for Damascus.

They put some Jewish young women and boys in a light truck attaching a canvas top, and left for same beach taking advantage of darkness of the night.
When they arrived it, sent a signal by a flashlight, then a rubber boat came to pick them up, and everybody was able to flee into Israel safely.

The rescue operation of a Jew from Syria was performed approximately 20 times in 3 years from 1970, and approximately 120 people became the Israeli person.

If the agents were caught locally, a torture and ghastly death waited for them.
It was performed in the strict confidence because it might endanger the family that stayed in Syria if their escape was known. 



中東で何が起きたのか
イスラル建国の初期、国民はパレスチナとの融和派(労働党)を支持していたが、やがてタカ派(リクード党)を支持するようになっていった。
それは中東で進行していた悲劇と関わっていました。

一例として、モサドによる救出作戦を紹介します。
1971年、イスラエル海軍のミサイル艇が悪天候で荒れ狂う夜の地中海をシリアの海岸に向かい、沖で停泊した。
そして、三人のモサド工作員が、船からゴムボートに乗り移り、次いで泳ぎ、浜辺で服を着替えてダマスカスに向かった。

そこで幌をかけた小型トラックに幾人かのユダヤ人の若い女性と少年を乗せ、夜陰に乗じて海岸と向かった。
そこに着くと、懐中電灯で合図を送り、ゴムボートが迎えに来て、皆イスラエルに無事逃れることが出来た。

このシリアからユダヤ人を救出する作戦は1970年から3年あまりの間に約20回行われ、120名ほどがイスラエルの人となった。

工作員は、現地で捕まれば拷問と凄惨な死が待ち受けていた。
また逃亡したことが知れると、シリアに残った家族に被害が及ぶので極秘裏に行われた。




< 4.  Former prime minister Meir ordered the rescue operation >
< 4. この救出作戦を命じたメイア首相 >



<  5.  Jewish refuge from the Arab countries >
< 5.アラブ諸国からのユダヤ難民 >


What made Israel more extreme?
From the old days, Jew took a role in foreign trade etc. in the Arab world, and had lived a life peacefully.
However, after the founding of Israel, the persecution against a Jew was strengthened in the neighboring Arabic countries, and the Jews who ran away to Israel appeared one after another.

These people (Mizrahim) were treated in a low rank in comparison with people ( Ashkenazim) that emigrated from Europe, and had gotten disgusted with the Israeli government.
The Begin, prime minister of Israel, severely criticized the ruling party on a mistake of the Middle East war, gained the Mizrahim to his side, and could take the political power.

Thus, Hatred and discrimination produce further hatred and discrimination, and the chasm between the both is deepened more and more.

This continues the next time.



何がイスラエルをより過激にしたのか
昔から、ユダヤ人はアラブで対外貿易を担うなどして平和に暮らしていた。
しかしイスラエル建国以降、周辺のアラブ諸国ではユダヤ人への迫害が強まり、イスラエルに逃げ出すユダヤ人が続出した。

この人々(ミズラヒム)は、ヨーロッパから移住して来た人々(アシュケナジムなど)に比べ下位に扱われており、イスラエル政府に反発を感じていた。
ベギン元首相は、与党の中東戦争の失策を痛烈に批判し、このミズラヒムを味方に着け、政権を奪うことが出来た。


こうして憎しみと差別が更なる憎しみと差別を生み、亀裂は深くなるばかりです。


次回に続きます。



注釈1 : 1929年に創設されたエルサレムに本部をもつユダヤ人の国際的機関。パレスチナにユダヤ人の本拠を設けるというシオニストの計画の対外機関として,資金集め,パレスチナへのユダヤ移民の監督,イギリスとの交渉にあたり,国際連盟ではユダヤ人の利害を代弁した。

注釈2 : 1946年、キング・デイヴィッド・ホテル爆破事件。

注釈3 : サブラー・シャティーラ事件。



20160815

淡路島の山上からの夜景




*1

淡路島の山上からの夜景を紹介します。
撮影は2016年8月12日、夜9時頃です。



< 2.神戸方面を望む >
一番明るいのは須磨方面で、その右側遠方が神戸方面です。
この日は流星群を見るために山上に行きました。
二つの流星を見ることが出来ました。

空は晴れていたのですが、この時期、淡路島全体がすっぽりと水蒸気に包まれており、月の光がそれに乱反射し、天空がほんのり乳白色になっているように感じました。
星はくっきりとは見えませんが、味わい深い夜景が広がっていました。
残念なことに、私の写真ではその雰囲気をお伝え出来ませんでした。


  

< 3.眼下に大阪湾を望む >



< 4.月を見上げる >

この南の方向に淡路島の山の稜線が伸びているのですが、遠くの山影は写っていませんでした。



< 5.明石海峡大橋が見える >

この町の明かりは明石海峡の対岸にある明石の街並みです。


いつか鮮明な夜景を紹介したいと思っています。

20160814

Bring peace to the Middle East! 26: about terrorism 6 : maneuver secretly in Mossad


中東に平和を! 26: テロについて 6: モサドの暗躍




< 1. Dagan was former Director of the Mossad >
< 1. モサド長官ダガン >

I introduce Israeli Mossad that is famous of the best intelligence service or a terror group of the government.
What does the maneuver secretly to exceed the cloak-and-dagger film bring us?
We look at the subversive activities against the nuclear development of Iran as an example.

最高の諜報機関または政府のテロ集団として名高いイスラエルのモサドを紹介します。
そのスパイ映画を凌ぐ鮮やかさは、何をもたらすのか。
イランの核開発の妨害工作を例に見ます。





< 2.  Iranian president Ahmadinejad and centrifuges >
< 2.アハマディネジャド大統領と遠心分離機 >


Preface
Iran joined the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons of 1970 from the beginning, and aimed at nuclear power generation construction under the cooperation of the U.S.
However, when Iran Islamic Revolution happened in 1976, Europe and America broke cooperating on the atomic plan, and Iran independently continued the nuclear development.
The United Nations with a focus on Europe and America asked Iran to stop it as nuclear weapon development, and performed sanctions.
Above all, Israel decidedly acted to prevent the nuclear development of Iran, and the U.S. tuned to it, too.
In 2015, an agreement was reached between the U.S. and Iran by leadership of the U.S. , and Iran maintained the ability for nuclear development, but reduced nuclear sites.

There is not a conclusive evidence of the nuclear weapon development of Iran, and Iran denies.

On the other hand, Israel has said uncertainly the possession of nuclear weapons strategically, but the world considers it is a nuclear nation and holds more than 100 warheads.
Only Israel does not join the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons in the Middle East and does not accept an inspection of IAEA.
Israel is considered to be a nuclear nation since 1969 by cooperation of France.


はじめに
イランは、1970年の核拡散防止条約に発足当初から加盟し、米国の協力の下、原発建設を目指していた。
しかし、1976年にイラン・イスラム革命が起きると、欧米は原子力の協力を反故にし、イランは核開発を独自に継続した。
欧米を中心に国連等はこれを核兵器開発として中止を求め制裁を行った。
中でも、イスラエルはイランの核開発を断固阻止する行動に出て、米国もこれに同調した。
2015年、米国主導でイランとの合意が成り、イランは核開発能力を維持するが核施設を縮小した。

イランの核兵器開発の確証は無く、イランは否定している。

一方、イスラエルは核兵器保有を戦略上あやふやにしているが、世界は核保有国とみなし百発以上を保持するとしている。
中東ではイスラエルだけが核拡散防止条約に加盟せず、IAEAの査察を受け入れていない。
イスラエルの核兵器保有はフランスの協力で1969年からと見られている。





<  3.  fear of Iran’s nuclear development, by Ventura Country Star in 2006 >
< 3.イラン核開発の恐怖、 by Ventura Country Star in 2006 >


Mossad produced successful results to prevent the nuclear development of Iran
In 2002, Dagan took up the post of Director of Mossad by being implored.
Israeli Prime Minister Sharon called him " the man hides a dagger in mouth".
In 2010 before his retirement, the Egyptian newspaper reported in this way.
”If there is not Dagan, Iran's nuclear plan would be completed several years ago. There is not person that does not know Dagan in the Iranian national leadership.”

When a man was going to enter his house of south Tehran in 2011, he was shot dead.
He was a physics professor, and seemed to be a head of development of electronic switch of nuclear warhead.
In 2010, two cars that two couples of nuclear scientists and wives separately rode on were running in Tehran, and these cars exploded at the same time.
The head of scientific section in charge of the nuclear plan in Iran died instantly, other three persons got injured, and another scientist became the Vice President after return.
In the same year, a large explosion took place as soon as a professor in Faculty of Engineering opened car door for attendance, and he died.
In 2007, Iranian government announced that a professor of electromagnetism died in an accident at home, but actually he was killed with radioactive poison.
It is said that the two persons were concerned with a nuclear plan together.
This kind of assassination was also carried out in the early 1980s.

The beginning of the subversive activities that Dagan led was February, 2005.
A domestic nuclear site was attacked by missile strike of unidentified plane and exploded.
Furthermore, a facilities of another nuclear power plant and a secret research institute were blown up.
In 2006, a large explosion took place in a underground facility in which many Iranian scientists, engineers and directors of the nuclear plan gathered for test operation of centrifuges.

In 2010, Dagan produced the last great result.
The half of all centrifuges for the uranium enrichment in Iran became unusable.
It was because that the computers of the centrifuges became uncontrollable due to a computer virus invading.

During this time, various subversive activities were carried out.
They captured a uranium ore carrier, sold the centrifuges that break down in using, displaced many people of Iran's nuclear development by disclosure, corruption, disappearance, exile, or assassination, and caused a crash of nuclear sites, then blasted it.
American CIA and British MI6 supported the Mossad being the practice corps, and the Iran's antigovernment force joined, too.
Naturally, the top of the U.S. and British would agree it.



イランの核開発阻止に成果を挙げたモサド
2002年、モサド長官にダガンが懇請されて就任した。
イスラエルのシャロン首相曰く、彼は「口の中に短剣を隠し持つ男」であった。
彼の退任の前年の2010年、エジプトの新聞は報じた。
「ダガンがいなければ、イランの核開発計画は、数年前に完成していただろう。イランの国家指導部でダガンを知らぬものはいない。」

2011年、南テヘランで自宅に入ろうとした男が射殺された。
彼は物理学教授で、核弾頭の電子スイッチの開発責任者だったとされる。
2010年のある日、2組の核科学者と妻が乗る車が別々にテヘランを走行していたが、同時刻に爆発した。
そのイラン核計画の科学部門責任者は即死し、残り3人は負傷し、内一人の科学者は復帰後に副大統領になった。
同年、工学部教授が出勤の為、車のドアを開けた途端、大爆発が起きて死んだ。
2007年、イラン政府は自宅で電磁気学の教授が事故死したと報道したが、放射性毒物での毒殺だった。
この二人は共に、核計画に関わったとされる。
この手の暗殺は1980年代前半にも行われた。

この一連のダガン主導の妨害工作の始まりは2005年2月であった。
国内の核施設が国籍不明機のミサイル攻撃を受けて爆発し、また別の原子力発電所の関連施設と秘密研究所が爆破された。
2006年、イランの科学者、技術者、核計画の部長らが遠心分離機の試験運転のために集合していた地下施設で、大爆発が起きた。

2010年、ダガンは最後の大成果を挙げた。
イラン国内のウラン濃縮用の遠心分離機の半数が使用不要になった。
これはコンピューターウイルスが遠心分離機のコンピューターに侵入し、制御不能になった為だった。

この間にも様々な妨害工作が行われていた。
ウラン鉱石運搬船の拿捕、故障する遠心分離機の売りつけ、暴露・買収・失踪・亡命・暗殺などによるイラン核開発者の排除、核施設の爆発や故障などです。
実行部隊のモサドを米国のCIAと英国のMI6が支援し、イラン反政府勢力も関わった。
当然、米英のトップは了解してのことでしょう。





< 4.  Insanity is opposed to each other >
< 4. 対立する狂気 >


What do the assassination and subversive activities mean?
Do you praise it as the outstanding job that prevented the possession of the nuclear weapon?
Or, do you consider it as a terrorism by a fanaticism nation or an attack without the declaration of war?

Israel continues to use any relentless non-humanitarian means for own national interest.
The assassination and subversive activities to be carried out backstage have surely scattered hatred and tinderbox in the Middle East, and they hide a true cause to a person outside of the Middle East.
Thus, Palestine and the Arab that became weakened and lacked a leader are driven in at the deep end more and more, and become getting ignored by the world.

In October, 2005, Iranian president Ahmadinejad said "Israel must erase from our map".
Then, Europe and America and Israel thought it as a collateral evidence of the nuclear weapon development of Iran, but I think it was due to a big anger against the maneuver secretly of the Mossad.
Furthermore, there is a rumor that  I S I L (Islamic State of Iraq and the Levant)is a tool of Mossad.
I accept the rumor with consideration for who its opponent is and the presence of founder.

This continues to the next time.



この暗殺と妨害工作は何を意味するのか
あなたは、これを核兵器の保有を阻止したお手柄と称賛しますか。
それとも狂信国家によるテロ、さらには宣戦布告なしの先制攻撃とみなしますか。

イスラエルは国益を守る為には容赦無い非人道的手段を厭わない。
この秘密裡に行われる暗殺と破壊工作は、確実に中東に憎悪と紛争の火種を撒き散らし、さらに中東の部外者に真の原因を見えなくしている。
そして弱体化し指導者を欠くパレスチナ、アラブは益々、窮地に追い込まれ、世界から疎まれて行く。

2005年10月、アハマディネジャド大統領は「イスラエルは地図の上から消し去らねばならない」と発言し、欧米とイスラエルは、これをイランの核兵器開発の傍証としたが、私にはモサドの破壊工作への怒りに思えるのだが。
さらに、イスラム国(ISIL)はモサドの手先だとの噂もあるが、支援者と敵対者から察して納得できる。

次回に続きます。


注釈1
モサドのイランへの妨害工作は、マイケル・バー=ゾウハー「モサド・ファイル」による。