20160617

何か変ですよ 42: 今、不思議な事が・・・

  
< 1. 寄付で豪華な返礼品 >

今、米国の大統領選挙で起きていることは、日本と無関係だろうか?
突如降って湧いたようなトランプ氏の過激な発言。
実は、これと日本の「ふるさと納税」が結びつくとしたら?
かいつまんで説明します。



< 2. トランプ氏とふるさと納税? >


米国で起きていること
共和党のトランプ氏は排他的で、民主党のサンダース氏は社会主義志向で、双方とも主流から外れている。
しかし共通していることがある。
双方が両極端な主張を唱え、彼らを支持しているのは低所得層や若者層です。
既存の政党やホワイトハウスに絶望し爆発寸前に見えます。注釈1.

これはリフレ策を多く取り入れているヨーロッパ諸国も同様で、右傾化が目立っています。
この原因を難民問題とするのは早計で、これに遡る若年層の高失業率が長期にありました。
ここ半世紀にわたる欧米の経済政策と貧富の差の拡大がありました。
この不満に付け込むように過激で単純な解決案が発せられ、大衆は共鳴し始めている。

社会の鬱積しつつある不満を放置すると、何かを切っ掛けに突然爆発し、取り返しのつかないことになります。
歴史は繰り返します。注釈2


欧米の背景にあるもの


< 3. 米国の経済状況 >

グラフA: 米国の経済は日本に比べて素晴らしい成長を遂げています。
これは一重に米国のFRBやホワイトハウスのお陰です。

グラフB:  グラフAの赤枠の時期、リーマンショックから景気回復までの期間の所得階層毎の実質所得の変化を示しています。
これは、バブルが弾けた後、上位20%の所得は回復するが、残り80%は益々貧しくなっていることを示しています。

グラフC: 1970年代以降(黄枠)、上位所得層10%の所得の伸び、シェア50%に今にも届きそうで、格差拡大は確実なのです。
この格差拡大の傾向は欧州も日本も同様ですが、まだ米国ほどには悪化していない。
この日米欧の格差について、私の別の連載で説明しています。注釈3



< 4. 踊る「ふるさと納税」 >


日本の状況はどうか 
不思議な事例として「ふるさと納税」を取り上げます。
これは納税と言うより寄付なので、個人の自由であり、故郷を思う気持ちを大事にしたい。
しかし、そこには現代を象徴する奇妙なからくりが潜んでいます。
功罪は色々あるでしょうが、ここでは3点について考察します。


先ず、経済効果を見ます
寄付受け取り側の自治体の多くは財政規模が小さく、税収不足に苦しんでいるはずで、寄付金はすぐに有効利用されるはずです。注釈4.
さらに返礼品(特産品)を地元業者に発注するのですから、地元経済の浮上に繋がる。

一方、「ふるさと納税者」が暮らす自治体の住民税と所得税はほぼ同額減額(控除)されます。
例えば、年間給与600万円の独身の場合、年間上限額77000円の「ふるさと納税」を行って、2000円の自己負担だけで残り全額75000円が税金控除されます。
こうして全国から返礼品目当てに別の地方に税金(寄付)が動くだけなのです。
そうは言っても全員が控除するわけではないので、全体で税収は若干増えるでしょう。(現在10%ぐらいか?)注釈5.
もちろん善意の人もいますので、ここでは大勢について語ります。

ここまでの説明では、経済効果はプラスマイナスゼロで、全体として増収分だけがメリットと言うことになります。



< 5. ふるさと納税の仕組み >

何が問題なのか
「ふるさと納税」の返礼品の相場が寄付の4割だとすれば、前述の例で77000円を寄付して30800円分の肉や魚、焼酎を受け取り、寄付をした人はそれらの購入費用を節約することになる。
この例では、2千円の手数料で15倍相当の商品が貰えるのです。
それも高額所得者になればなるほどその倍率(寄付限度額)がアップします。
この費用は国と自治体が負担、つまり国民の税金なのです。
現住所に納税している人にはこの特権がありません。





< 6. ふるさと納税の問題点 「ふるさと納税制度の検証」より >

表4より、2013年の「ふるさと納税」は総額142億円、一人平均107000円で、その控除額は住民税43%、所得税34%の計77%でした。
赤線が示すように年を追うごとに、ほとんど控除されるようになっています。

表3の赤枠が示すように、所得階層別の寄付金額シェアは、2000万円~1億円の所得階層が35.2%を占め、彼らの所得税控除は最大の40%になっています。
また黄帯の所得層が、寄付金総額のちょうど中位になっています。
つまりこの制度は高額所得者に有利になっており、節税の一手段として便利です。

言い方を替えれば、高額所得者向けの還付金のようなもので、贅沢品の無駄遣いに税金が使われていることになる。


さらに本質的な問題がある
それは個人が税制を恣意的に差配していることです。
本来、税制の大きな役割に再分配制度があります。注釈6.
しかし現状は節税や返礼品欲しさに、特定の焼酎や高級牛肉の購入に税金が使われ、本来必要としている公共サービスや社会福祉などに使う分が減ることになります。



< 7. 何が起きているのか >

寄付してもらう自治体は5割の返礼を行っても損をしませんし、寄付する方は節税や節約が出来るので、ブームが加熱して当然です。
グラフDが示すように、「ふるさと納税」は、2013年142億円、2014年341億円、2015年1653億円と幾何級数的に増加しています。
日本は全国的に税収不足なのに、こんな愚かなことが起きているのです。

つまり、個人と自治体は我欲につられ、この基本的な社会システムをなし崩しにしているのです。
それを政府は便宜を図り、加勢しているのです。
なぜこのような事が起きるのでしょうか?


欧米と共通するもの
この「ふるさと納税」は、2008年に耳目を集め、軽い気持ちで始められた。
その後もエコノミストや政府はこの問題に触れない。
そして大方の国民は好感を持って傍観している。

皆が傍観している間に、高所得者層の節税や節約が進み、経済格差は徐々に広がって行くことになる。
さらに弱者をカバーする再分配制度も崩して行きますので、追い討ちをかけることになります。

グラフEが示すように、国民は日本政府の経済優先を信奉し盲従することにより、欧米と同じ道を急追しているのです。

「ふるさと納税」は些細な例ですが、気づかずに悪化を促進させている意味で特徴的な事例です。
これは違法でないタックスヘイブンや、所得税でなく消費税で増税したい政策と同じなのです。

今、国民の良識が問われているのです。


注釈
注釈1
クリントンが良いと言っているわけではありません。
ここ数十年、共和党と民主党への支持離れが徐々に進んでいました。
つまり、既存政党への失望は進んでいたのですが、今回、一気に噴出した。

注釈2
当然、ヨーロッパでリフレ策を採用していない国や、社会主義的な国、
難民を多く受け入れている国があり、状況は様々です。
しかし、どこかで難民問題に火がつくと燎原の火のように不満の捌け口として広がりました。
この状況は、19世紀半ばにヨーロッパで帝国主義が始まった時、1920年代にヒトラーが台頭した時と少し似ています。

注釈3
欧米の経済格差については「ピケティの資本論 12,14,29」で、
日本については「ピケティの資本論 25」で扱っています。

注釈4
税収不足の自治体ほど、寄付金は市民に直結する事業に直ぐ使用され、公共サービス向上と返礼品の売り上げ増で大いにメリットがあるはずです。
しかし、寄付が一過性のブームで終わる可能性がある為、自治体は計画的な事業計画が出来ない。
また返礼品競争の過熱は財政的なメリットを小さくしている。

注釈5
通常、寄付の税金控除は確定申告しなければなりません。
しかし、2015年4月からは「ふるさと納税」の控除手続きの簡易化と控除額アップを行いました。
色々、政府は通常の寄付に比べ優遇税制を行っています。

注釈6
再分配制度の目的には弱者救済や格差是正もありますが、景気浮揚の効果もあります。
例えば、還付金を高額所得者と低所得者のどちらに与える方が景気浮揚に繋がると思いますか。
低所得者ほど、その金を貯蓄出来ず消費に回さざるを得ないので、実体経済が循環し始めます。
一方、高額所得者は貯蓄か金融商品への投機の可能性が高い。
つまり、再分配制度を崩すことは、景気後退に繋がる可能性もあるのです。




20160614

地中海とカナリヤ諸島クルーズ 19: テネリフェ島 1




< 1. テイデ山 >

今日から、数回に分けてスペイン領カナリヤ諸島にあるテネリフェ島を紹介します。
この日の観光は、自然の神秘さや雄大さ、異様さに驚かされた1日でした。
2016年3月8日に訪れました。

テネリフェ島について
この島は標高3718mの火山テイデが大西洋から突き出した形をしており、島の最大長さは約80kmあります。

私が旅行前に興味を持っていたのは、この大西洋上の島々がイベリア半島の航海者達に遠洋航海を慣れさせ、大航海時代が始まるとアメリカ大陸への中継地となったことでした。
しかし来てみると、この島は人口90万を擁する瀟洒な建物が並ぶ大リゾート地でした。

しかし、驚きはそれだけではなかった。





< 2. テネリフェ島の地図 >
上の地図: 三つの赤丸は寄港地を示しています。
黄線は航路で、我々はカサブランカからテネリフェ島に行き、次いでマデイラ島に寄り、地中海に戻ります。

真ん中の写真: 我々の船は赤矢印のサンタクルス港に着岸し、そこからバスに乗り黄線の峰伝いに進んだ。
青い矢印が途中、休憩したレストランです。
今日の写真は、この間のものです。
テイデ山の火口部とサンタクルスの町の紹介は後になります。





< 3. 漆黒の向こうに、島の灯りが >

夜明け前から、待ちきれずデッキに出て島影を追いました。
遙か遠くに、町の灯りで皿を伏せたような島影が浮かび上がっていました。
島に近づくにつれて、島は厚い雲で覆われているのがわかりました。
全景が見られないのは無念であったが、微かに見える海に落ち込む裾野はその長大さを想像させるには充分だった。




< 4. テネリフェ島に上陸 >

夜明け後、下船し観光バスに乗り、一路、テイデ山に向かう。
途中、飛行場のあるかつての主都、ラ・ラグーナを抜けて進む。
厚い雲に覆われた森林を進む内に、私は意気消沈気味になっていた。




< 5. 厚い雲を抜けると >

かなり標高を上り森の様子が変わる頃、厚い雲は途切れ始め、やがて大きく視界が広がった。
我々は、何時しか雪で覆われた山肌に囲まれていた。
そしてギラギラ輝く太陽が降り注いでいた。




< 6. 雲海の上 >

雲海はテネリフェ島から遙か遠くまで広がっていた。




< 7. テイデ山の山頂を望む >

途中、バスを下車して、しばし撮影タイム。

この場所で撮影した18秒の映像です。







< 8. レストランにて >

道路の分岐点にレストラン、Restaurante El Portilloがあり、ここで休憩を取りました。
着いた時は晴れていたのですが、またガスがかかり始めました。
ここには観光客だけでなく、登山を楽しむ人がここから出発していました。
テイデ山の頂上が大きく見えて来ました。
次回は、この道を進んだ所にある山頂の南側に広がる火口を紹介します。





< 9. テイデ山に別れを告げて >

この2枚の写真は、火口を観光後、午後、帰路についたバスから撮影したものです。
正に、神が与えたもうた景色。
この時期、大西洋上で雪山を見るとは思っていなかった。





< 10. 雲海に向かって下山 >

素晴らしい景色ともお別れです。


次回は火口を紹介します。











20160612

何か変ですよ 41: 今、何が重要なのか?





 


    


今、日本政府は経済を好転させる努力をしています。
今の政策を加速させるべきだと言うエコノミストもいます。
今日は、この事を考察します。

私の経験から
私は30年以上、株にはじまり不動産や金、ファンドに投資して来ました。
そして色々失敗し、勉強した末に悟っていることがあります。
それは、エコノミストの画期的な理論や予測が、いとも簡単に外れることです。
また長いスパンで見ると先進国の経済には大きな底流があるように思えます。

現状はどうなっているのか
安部政権の誕生は2012年の12月でした。
そこで2012年度から2016年6月までの経済データーを見ます。




< 2. 代表的な日本経済の指数の推移、「世界経済のネタ帳」より >
青枠は2012年から2016年の期間を示す。

グラフA: ドル円為替レートは約80円から最高124円をつけ、現在106円になった。
グラフB: 日経平均株価は約9000円から最高20600円をつけ、現在16700円に下落。
グラフC: インフレ率は約0%から最高2.8%をつけ、今年の予測―0.2%に低下。
グラフD: 実質GDP成長率は1.7%で始まり、その後低下し、今年の予測0.5%。
グラフCDの予測値は2016年4月のIMFの値。

安部政権になってから、株高と円安は一度進んだが、現在、足踏みか反転傾向にも見える。
実質GDP成長率とインフレ率は、なかなか期待通りに行かないようです。

失業率は4.3%から徐々に低下し現在3.3%になっている。
これは前回説明した高齢者(団塊世代)の大量退職が続く為で、今後も続くことにより日本経済の足を引っ張ることになる。(グラフFで説明します)


現状をどう見るのか
株価上昇は起こせても、円安とインフレの定着、さらに経済成長させることは困難なようです。
以前にも書きましたが、2012年の日本の株高と円安への反転は、ヨーロッパの金融危機が去ったことが引き金になっている。

以前、私は構造改革が出来ず、相変わらず公共投資に頼るだけなら、リフレ策の方がまだましだと言いました。
リフレ策にはマイナス面もあるが、もしうまくいけば、デフレを脱却し景気回復と莫大な累積赤字の拡大を防ぐ可能性があった。

現状を見ると、今の経済政策を失敗とまで断定出来ないが、このまま過度な金融緩和を続けると重大な副作用を招く可能性がある。


何が問題なのか
一番、重要なことは将来の経済悪化を招くかもしれないことです。

一つのケースは、実体経済が良くならないで、だぶついた資金が金融資産(株などの投機資金)に集中し、やがてバブルが弾けることです。
他にも、災いをもたらすケースは幾通りもありますが。





< 3. 日本の一般会計税収の推移、「アダム・スミス2世の経済解説」より >
ピンク枠は2012~2014年の期間。
黒線は日経平均、赤線は名目GDP(インフレ率込み)、青棒は税収を示す。

グラフEから、現在、税収が増えてプライマリーバランス(基礎的財政収支)が良くなっていることがわかります。
このまま続ければ、税収が増え続け、構造改革や増税をしなくてもやがて赤字は無くなると政府は言います。

実は、これは幾度も繰り返して来た夢想です。
このグラフの2007年(リーマンショックの前年)も税収が増えていますが、その後は極端に減っています。
つまり、株価上昇(黒線)によって株価総額が数百兆円増加し税収が増えても、バブルが弾けると激減するのです。
結局、実体経済(赤線)は良くなるどころか、悪くなりました。

ここで本質的なことは、日本経済に潜在的な成長力があるのか、またその成長力の根源は何かを知ることです。
もし成長力が無いのに、金融だけで刺激すると既に指摘した問題が発生します。



日本に潜在的な成長力はあるのか





< 4. 日本の人口と生産性の推移、「総務省」と「文部科学省」より >

人口構造と人口が一定であれば、生産性(労働、資本、技術)が上昇することにより経済は成長します。
しかしグラフFが示すように、1995年から生産年齢人口割合(一番上の折れ線)が減少の一途です。
つまり今後、数十年間、生産年齢人口(青棒)が減ることにより、生産性が一定でも経済は減速を強いられます。
このことはグラフGの生産性寄与度の合計よりも、GDP成長率(青線)が下がっていることでも確認できます。
(グラフ内の全要素生産性寄与度は、様々な経済指標から他の二つの寄与度を計算した残余で、この生産性による分析は不明瞭な所があります。)

それでは、なぜ生産性が長期に衰退傾向にあるのでしょうか?
実は、別の人口要因が生産性を低下させている可能性があるのです。





< 5.平均寿命増加率とGDP成長率の関係、グラフIは厚生省のデーター使用 >

グラフHによれば、平均寿命は1950年から急激に伸び始め、2010年以降、その伸びは急速に鈍化している。

グラフIは、グラフHの平均寿命から増加率を計算しグラフにしたものです。
これによると、平均寿命の増加が戦後の1960~70年代の経済成長を呼び込み、その後の日本経済の長期低迷も説明しているように見える。
青枠は、敗戦後からベビーブームの高校生が就職し始めるまでの期間で、彼らが生産に関与していない時期です。

平均寿命が急速に延びる時、生活環境の好転と健康増進が起きており、人々は将来に希望を抱き、労働意欲に燃え、老後に備えて貯蓄します。
この高い貯蓄率が投資に向けられ、経済成長の好循環が起きると考えられます。
この相関は一部の経済学者によって確認されているが、まだ解明途上のように思います。
私は、文明史や人口学、社会学、心理学の視点から言って、もっともうまく説明していると思います。

もしこれが真実なら、今後、日本経済は容易に成長しないことになる。


結論
折に触れてブログに書いているが、現在の欧米の経済政策では、益々景気不景気の波が高くなり、国内と国家間の貧富の差が拡大し続け、破綻の可能性があると私は懸念しています。

真実に目を背け、行き過ぎた夢想に期待することは危険です。
真実に目を向け、対策を立てるなら、必ず道は開けるはずです。










20160611

Bring peace to the Middle East! 18: Seeing the Middle East and Arab world in films 11: Israeli-Palestinian conflict 1





< 1. Jerusalem >
< 1. エルサレム >

I introduce the main point of Israeli-Palestinian conflict some times from today.  
This is a religious war and ethnic cleansing that have continued for more than half a century.
And, the hatred and the fight penetrated into the Middle East, and their peace fades away more and more.

今日からイスラエルとパレスチナの紛争の要点を紹介します。
この争いは半世紀あまり続く宗教戦争であり民族浄化です。
そして、憎しみと戦いは中東に蔓延し、平和は益々遠のいている。



< 2.  Israeli-Palestinian conflict >
< 2.イスラエルとパレスチナの紛争 >
Upper photo:  a suicide bombing in Israel.
Lower photo:  Israeli attacked on the Gaza Strip.

上の写真: イスラエルでの自爆テロ。
下の写真: イスラエル軍によるガザ攻撃。

The beginning of this conflict
The conflict began between Jew who came over and Palestinian who was living in there from before.
In the early 20th century, a Judaist, Muslim and Christian had coexisted in the area of present Israel.
However, Jew of Europe started movement for rebuilding their nation on Palestine from the end of the 19th century. (Zionism)

After the First World War, the U.K. that had governed Palestine supported the movement first, and the League of Nations accepted the establishment of their nation, too. (Balfour Declaration in 1919, and British Mandate of Palestine during 1920-1948)
While the Holocaust attracted sympathy after the Second World War, the U.K. continued to limit immigration to Palestine to control the collision incidents that happened frequently by a Jewish rapid increase.
However, this intensified anti-British struggle by Jewish radicals, the U.K. gave up the mandatory administration by a large-scale blast incident, and entrusted the United Nations with the issue. (King David hotel bombing in 1946)
Then, the United Nations acknowledged that an Arab and a Jew divide this ground and are independent. (United Nations Partition Plan for Palestine in 1947)
The Jew received this and performed the establishment of Israel in 1948, but the Arab refused it.

During this time, the conflict became more intense, the Middle East war between Israel and the Arabic countries broke out at last in 1948, and occurred four times in total by 1973.
After that, the terrorism by Palestinian side, and the military offensive and rule expansion by Israel continue. (Lebanese Civil War, Gaza War, construction of separation barrier, and territory expansion)
Many Palestinians became refugees in the shadow of the conflict, and a Jew in the Middle Eastern was persecuted adversely.

The films that I already introduced, “ Lawrence of Arabia” “Schindler’s List” “ the other son” vividly talks about these process.


紛争の発端
争いの発端は、以前から住んでいたパレスチナ人と、後からやって来たユダヤ人にあります。
20世紀始めには、イスラム教徒、キリスト教徒とユダヤ教徒が今のイスラエルの地で共存していました。

しかし、19世紀末からヨーロッパで、ユダヤ人が自分の国をパレスチナに再建しょうとする運動を起こします。(シオニズム)
それを第一次世界大戦後、パレスチナを統治していた英国が最初に支持し、国際連盟も建国を認めます。(1919年のバルフォア宣言、19201948年のイギリス委任統治領パレスチナ)
第二次世界大戦後、ホロコーストが同情を集める一方、英国はユダヤ人急増で頻発する衝突事件を抑制する為に、パレスチナへの移民制限を継続していた。
しかしこれがユダヤ人過激派による反英闘争を激化させ、大規模爆破事件を切っ掛けに英国は委任統治を諦め、英国は国連にその後を委ねることにした。(1946年のキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件)
そして国連はこの地をアラブ人とユダヤ人が分割して独立することを認めた(1947年のパレスチナ分割決議案)
これをユダヤ人は受け入れ、1948年にイスラエルを建国するが、アラブ人は拒否した。

この間、紛争は激しくなる一方で、ついに1948年、イスラエルとアラブ諸国との中東戦争が勃発し、1973年までに計4回の中東戦争が起こった。
その後も、パレスチナ側のテロとイスラエルによる軍事攻勢と支配拡大が続く。(レバノン内戦、ガザ侵攻、分離壁建設、領土拡大)
その影で多くのパレスチナ人が難民となり、逆に中東のユダヤ人は迫害された。

既に紹介した映画「アラビアのロレンス」「シンドラーのリスト」「もうひとりの息子」はこれらの経緯を如実に語っています。


What are Jew and Palestinian at odds with each other?
What is Jew?

Most people of Israel are Jew who came from all over Europe, Africa, the Middle East, and the world.
Now, by the law of Israel, Jew is defined by being born from Jewish mother or becoming a believer in Judaism.
There is a freedom of religion in Israel, so 5,200,000 Judaists, 1,100,000 Muslim, and 140,000 Christian coexist.

それでは、対立するパレスチナ人とユダヤ人とは何か?

ユダヤ人とは何者か?
映画「もうひとりの息子」を見て、両者の違いに疑問を持たれた方もおられるかもしれません。

イスラエル国民の多くはヨーロッパやアフリカ、中東、世界中から来たユダヤ人です。
現在、イスラエルの法律ではユダヤ人はユダヤ人の母親から生まれたか、ユダヤ教に入信
しているかです。
イスラエルには信仰の自由があり、ユダヤ教徒520万人、ムスリム110万人、キリスト教徒14万人が共存しています。




< 3.  well-known Jewish American >
< 3.皆さんが良く知っているユダヤ系の米国人 >

From the top, scientist Einstein, diplomat Kissinger, economist Bernanke, investors George Soros, and actress Natalie Portman.

They emigrated to the United States or are descendant of the emigrant, and the most of them came from Europe.
Jew is a group attaching great importance to Judaism beyond language, and race.
And they have influence in the world as well as the United States and have a strong sense of unity.

上から科学者アインシュタイン、外交官キッシンジャー、経済学者バーナンキ、投資家ジョージ・ソロス、女優ナタリー・ポートマン。

彼らは米国に移住したか移民の子孫で、多くはヨーロッパから来た人です。
つまり、ユダヤ人は民族や人種、言語を越えたユダヤ教を重視する集団なのです。
そして、彼らは米国のみならず世界に影響力を有し、強固な一体感を持っているのです。

Who is Palestinian?
Until the beginning of the 20th century, they are Arab that has always lived in Palestine.
The origin is old, and is considered from that Jews were converted to Islam and became an Arab.
In other words, Jew should be nearer racially than the Israeli that came later.

一方、パレスチナ人とは何者か?
20世紀初めまで、パレスチナに以前から住んでいたアラブ人のことです。
古くはユダヤ人などがイスラムに改宗しアラブ化したのが起源です。
つまり、人種的には後から来たイスラエル人よりはユダヤ人に近いはずです。
そうは言っても、この地は三大陸の結節点なので、多くの民族や人種が入り混じっているのですが。



< 4.  well-known Middle Eastern Arabic person >
< 4.著名な中東アラブ系の人 >

From the top, current President of Syria Al-Assad, Nissan's CEO Carlos Ghosn, late President of Egypt Nasser, scholar Edward Saeed, and actor Omar Sharif.

上から現シリア大統領アサド、日産CEOカルロス・ゴーン、故エジプト大統領ナセル、学者エドワード・サイード、俳優オマル・シャリーフ。

What was the cause of the fight of both?
Jew had survived the history of the persecution for 2000 years, and therefore they strongly united together, and demanded a ground of living in peace.
During the Great War, Europe ruled Palestine and permitted the Jewish settlement as an atonement of the persecution.
However, people to immigrate en masse were only strangers to people that have lived from old times in there and been suddenly ruled.
Thus, the collision incidents advanced to war at last.

This continued next time.


両者の争いの原因は何だったのか。
結局、2千年の迫害の歴史を生き抜いたユダヤ人が、それゆえに強く団結し、安住の地を求めた。
そして、大戦の間隙を縫って、ヨーロッパがパレスチナを支配し、迫害の罪滅ぼしとユダヤ人の入植を許した。
しかし、従来から住む支配された人々にとって、大挙して入植する人々はよそ者に過ぎなかった。
かくして、小競り合いは遂に戦争へと進んだ。

次回に続きます。








20160608

Visiting from Tajima shore to Tango Peninsula 5: went along Tajima shore


但馬海岸から丹後半島を巡って 5: 但馬海岸を行く




    

Today, I introduce the scenery from Yumura Onsen to the estuary of Maruyama River.
We saw fisherman villages and beaches while we drove through mountain villages and drove along Tajima shore. 

今日は、湯村温泉から円山川の河口までの景色を紹介します。
山村を抜け、但馬海岸の海岸線をドライブし、漁村と浜を眺めました。



< 2. sightseeing map >
< 2. 観光地図 >

Two red markings show Yumura Onsen and Hamasaka Port that I already introduced.
A-F in the map is mainly spots that I took a picture.

赤い印は既に紹介した湯村温泉と浜坂港です。
AからFが写真で紹介する景色です。





< 3.  a shrine by a mountain village, A of the map >
< 3. 金屋と熊野神社、地図番号A >

On the way to Hamasaka port from Yumura Onsen, there was original scenery of Japan.
The shrine was in the deep forest by a small village.

湯村温泉から浜坂港までの途中に、日本の山村に残る原風景がありました。
小さな村のすぐ横の深い森に神社が建っていました。




< 4.  Amarube, B of map >
< 4. あまるべ、地図番号B >

Formerly, the railroad bridging of the right hand was famous for beautiful iron bridge, but it was reshaped since a train fall accident of 30 years ago.

以前、右手の鉄道架橋は美しい鉄橋で有名でしたが、30年前の列車転落事故により造り直されました。


< 5.  Kasumi, C of map >
< 5. 香住、地図番号C >

This port town was crowded with crabbing in winter, but was empty at this time.
We had lunch in tribute to crab here.
The sky began to cloud over suddenly.

この港は、冬に蟹漁で賑わいますが、この時期は閑散としていました。
ここで蟹にちなんだ昼食を頂きました。
急に空が曇って来ました。



< 6.  spots near to Kasumi port >
< 6. 香住港の近く >

Two lower photos, D of map:  a bathing beach.
下2枚の写真、地図番号D: 佐津海水浴場。



< 7.  neighborhoods of Takeno beach >
< 7. 竹野浜付近 >
Lower photo, E of map:  Takeno bathing beach.
下の写真、地図番号E: 竹野浜海水浴場。

In the summer about 30 years ago, I came here for sea bathing with my family well.
And I came to Kannabe Kogen of this mountainside for skiing in winter.
I brought back pleasant memories.

30年ほど前の夏、家族を連れて海水浴によく来ました。
冬はここの山手にある神鍋高原にもスキーに来ました。
楽しい思い出で蘇ります。



< 8.  neighborhoods of the estuary of Maruyama River
< 8. 円山川の河口付近を望む >

Upper photo, F of map:  the shoreline of Tango Peninsula extends in the back.

Now this sea is calm, but this Sea of Japan becomes stormy in winter.
Thereby, this shoreline becomes rugged, and this sea near to the deep mountains brings rich food.
However, the fisherman must fish at the risk of life.

This continues next time.


上の写真、地図番号F: この奥に丹後半島の海岸線が延びています。
下の写真: この険しい崖の松の木に隼が生息している。
今回の旅行で、幾度か崖に照準を合わせたカメラマン達の姿を見た。

今は穏やかな海だが、この日本海は冬に大しけになる。
それで海岸線は荒々しくなり、深い山が迫るこの海は豊かな幸をもたらすことになる。
しかし漁師は命がけで漁をしなければならない。

次回に続きます。