20160915

南信州を訪ねて 5:  満天の星空






< 1. 暗くなるのを待つ >


今日は、「ヘブンスそのはら」での星空観察を紹介します。



「ヘブンスそのはら」について
ここは阿智村にある標高1400mの富士見台高原です。
冬はゲレンデになります。
ここの星空は環境省認定の日本一だそうで、現在人気急上昇中です。
夜になってからロープウェイに乗って頂上に行きます。



< 2. 駐車場 >

ここからロープウェイに乗って、頂上に向かいます。
2016年8月21日、18:30頃です。





< 3.ゴンドラから >

乗る前の行列待ちもあって、ゴンドラは夕闇に包まれました。
ロープウェイは長さ2500mもあるので、かなり長い間乗っていました。



< 4.ロープウェイの上駅 >

上に着いた時は、かなり暗くなっていた。



< 5.ショーが始まる前 >

今日は、星空を見ながら星座の説明「星のお兄さんショー」があります。
このショーは19:45~20:25で、この間すべてのライトが消されます。
私達は草原に座って見上げます。
まだ星はほとんど見えません。

下界では雲が多かったのですが、頂上はいつの間に晴れていました。
実は、ここで満天が見える確率は10%ぐらいだそうで、超ラッキーでした。




< 6. バアーン! 満天の星 >

すべてのライトが消えると頭上に満天の星が現れました。
写真の左側に天の川がはっきりと見えています。
感動! 感動!

光跡は航空機のものです。

天の川を普通に見ていた幼い頃に、タイムトラベルしたような気分です。




< 7.北斗七星 >

北斗七星(ひしゃく)が写真の右側に見えます。



< 8.最も良い写真  >

写真6と同じ、南西方向を撮影しました。

素晴らしい光景に満足したのですが、帰りはロープウェイ待ちの長蛇の列に閉口しました。
この日曜日の遅い時間に、数千人の観客が頂上にいたのです。
きっと多くの人は周辺に宿泊されたのでしょう。
素晴らしい町興しだと感心しながら帰路につきました。

次回に続きます。




20160914

Bring peace to the Middle East! 33: chain of retaliation 3 : in Syria and Lebanon

中東に平和を! 33: 報復の連鎖 3 : シリアとレバノンで





*1


This time, I keep track of the chains of retaliations that happened in Syria and Lebanon.

今回は、シリアとレバノンで起こった報復の連鎖を追います。





<  2.  Countries during the conflict,  by Uppsala Conflict Data Program >
< 2.紛争中の国、 >

The green areas show countries during the conflict.
The line graph is a change of the number of conflicts. ( annotation 1)

緑色は紛争中の国を示す。
折れ線グラフは3種類の紛争件数の推移。(注釈1)




<  3.  The death toll from conflicts, By Uppsala Conflict Data Program >
< 3.紛争による死者数 >

The size of circles is proportionate to total death tolls since 1989.
The line graph is a change of annual death tolls of conflicts.

丸の大きさが、1989年以降の累計死者数の多さを表している。
折れ線グラフは紛争3種類による死者数の推移。

Preface
Conflicts are now taking place in the world everywhere.
Therefore, one third of the world’s population lives in the disputed area, annual number of war deaths is 50,000-100,000, and forcibly displaced people worldwide amounts to 60 million people.

It is difficult to find only complete assailant in many cases of conflict.
In conflicts, a small collision escalates into military struggles while a quarrel continues.



はじめに
現在、世界の至る所で紛争が起きている。
その結果、世界人口の1/3は紛争地域に住み、毎年の戦死者は5~10万人、住まいを追われた人は6000万人に上ります。

多くの紛争で完全な加害者だけを見つけることは困難です。
多くの紛争は、いがみ合いが続く中で、小さな衝突から武力闘争に拡大している。


In Syria
Current Syria is in a state of the civil war that "the Arab Spring" triggered in 2011, but hatred and discord had filled already.
President Assad (father of the current President) became irritated with a confrontation posture of "the Moslem Brotherhood" after 1970, performed many containment, and arrested one of the leader in 1976.
In 1979, when he died, the Islamic extremist attacked the Syrian military academy for a retaliation and killed 83 cadets. (Alawites, annotation 1).
In 1980, Syrian military forces raided a village and murdered more than 200 villagers.
In another district, they arrested 8,000 or more, and the commander shouted, "I keep killing 1,000 people per day until the Moslem Brotherhood disappears."

The same year, the Moslem Brotherhood planned an assassination of Assad, but it failed.
The Syrian military forces shot to kill approximately 1,000 people of the Moslem Brotherhood in a cell as retaliation for it.
This time, high government official in favor of
Assad was assassinated .
In 1982, the Syrian military forces killed 10,000-40,000 citizens in a main city of the Moslem Brotherhood. (Hama massacre)
The Moslem Brotherhood exploded a bomb in the capital against this holocaust, sacrificed 200 people, and started on terrorism that attacks citizen.

The Syrian government killed leaders of Muslim, citizen and labor union.
In 1982, the younger brother of President Assad who commanded many erasure boasted that he had been killing approximately 40,000 people.

The main point
While each massacre was repeated, it expanded, but this is a typical pattern of the world disputes.
To prevent a catastrophe, this initial stage of conflict is very important.


シリアで
現在のシリアは「アラブの春」が引き金になった2011年以降の内戦状態ですが、その前に憎悪と不和が沸騰していました。

アサド大統領(現大統領の父)は1970年以降、「ムスリム同胞団」の対決姿勢に業を煮やし、数々の封じ込めを行っていたが、1976年、指導者の一人を捕らえた。
彼が死亡すると、1979年、イスラム過激派は報復としてシリア軍士官学校を襲い、士官候補生83人(アラウィー派、注釈2)を殺害した。
1980年、シリア軍は村を急襲し、200人以上の村民を殺した。
また別の地区では8000人以上を逮捕し、司令官は「同胞団がいなくなるまで、一日1000人を殺す」と叫んだ。

同年、同胞団はアサドの暗殺を謀るが失敗する。
シリア軍は、この報復として監房内で同胞団の囚人約1000名を射殺した。
今度は、アサドに近い政府高官が暗殺された。
1982年、シリア軍は同胞団の拠点都市で1~4万人の市民を殺害した(ハマー虐殺)。
同胞団は、この大虐殺に対抗して首都で爆弾を炸裂させ200人を犠牲にし、市民へのテロ攻撃を始めた。

シリア政府は、ムスリムの指導者、市民や労働組合の指導者を殺した。
1982年、数々の抹殺の指揮を執って来たアサド大統領の弟は約4万人を葬ったと豪語した。

要点
双方の殺戮は繰り返すうちに拡大していったが、これは世界の紛争の典型的なパターンです。
大惨事を防ぐには紛争の初期段階が重要です。




*4


In Lebanon
In Lebanon, three groups of Islam and four groups of Christianity had coexisted till that time.

However, when Palestinian and PLO (annotation 1) flowed into Lebanon from Jordan because Israeli military forces had driven them away, a violence case happened by sectarian struggle in 1970.

In 1976, Syrian military forces invaded Lebanon by a request of Lebanese government, and repressed PLO of Sunnites to protect Shiites.
In 1978, the Syrian military forces in Lebanon cannoned and violated an agreement with Israel, which was triggered by the provocation of a school of Christianity (Maronite Church).
Israel was hostile toward it, and Israeli military forces invaded Lebanon, but the collision of these two countries was avoided by the good offices of the United States.

In 1982, a radicals attempted to assassinate an Israeli ambassador to Great Britain. (annotation 2)
Taking this opportunity, Israeli military forces again invaded Lebanon as retaliation for PLO.
This was a plan Israel had warmed up for a long time.
Thus, only for ten weeks, Lebanon was destroyed thoroughly, and 20,000 people of Lebanese and Palestinian were murdered.
The war was stopped by the good offices of the United States, and PLO left from Lebanon.

After that time, a radical young man in favor of Syria assassinated a Lebanese President in favor of Israel with bomb.
And, militiamen of the Maronite Church slaughtered nearly 3000 people of Palestinian refugees camping in Lebanon under the supervision of Israeli military forces. (Sabra and Shatila massacre in 1982)

The main point
Finally, Lebanese Civil War became mired in involving neighboring countries due to the war between Israel and Palestine.


レバノンで
レバノンでは、キリスト教4派とイスラム教3派が共存していた。
しかし、1970年、イスラエル軍にヨルダンを追われたパレスチナ人とPLO(注釈4)がレバノンに流入したことにより、宗派対立による暴力事件が起きた。

1976年、レバノン政府の要請によりシリア軍がレバノンに侵攻し、シーア派を守る為にスンナ派のPLOを制圧した。
1978年、レバノンのシリア軍はキリスト教一派(マロン派)の挑発に乗り、イスラエルとの協定に違反する砲撃を加えた。
これに反発してイスラエル軍はレバノンに侵攻したが、米国の仲介で両国の衝突は避けられた。

1982年、過激派がイスラエル駐英大使の暗殺未遂事件を起こした。(注釈2)
これを機に、イスラエル軍はPLOへの報復を口実にレバノンに再び侵攻した。
これはイスラエルにとって以前から温めて来た作戦だった。
こうして10週間で、徹底的にレバノンは破壊され2万人近いレバノン人とパレスチナ人が殺された。
米国の仲介により戦闘は停止され、PLOはレバノンを去った。

その後、イスラエル寄りのレバノン大統領はシリア寄りの過激派青年に爆殺された。
またマロン派の民兵がイスラエル軍監視の下でレバノンのパレスチナ難民キャンプで3000人近くを虐殺した(1982年、サブラー・シャティーラ事件)。

要点
結局、イスラエルとパレスチナとの戦争が周辺国を巻き込んで、レバノンを内戦に引き込んだ。


Summary
A conflict only begins from a trifling collision accident, but after all it expands a war by mere revenge and breaking.
In the background of many cases of conflict of the Middle East, various sectarian conflicts and interstate confrontations cause serious harm to it. 

This continues the next time.


まとめ
最初は、些細な衝突事件から始まるが、後は単なる復讐による潰し合いになる。
中東での衝突の背景に、宗派間と国家間の対立が大きく災いしている。


次回に続きます。

注釈1
紛争は「国家暴力=state-based violence」「非国家暴力=non-state violence」「一方的な暴力=one-sided violence」に分けられている。

注釈2
アサド大統領はシーア派の一派で、少数派のアラウィー派に属している。

注釈3
PLO=パレスチナ解放機構。
パレスチナ人とPLOはイスラム教スンナ派です。

注釈4
この犯行グループのリーダーはかってPLOに属していたがアラファト議長に除名されると、PLO要人の暗殺を行い、イラクやリビアの手先としてテロを行っていた。





20160911

南信州を訪ねて 4: 満蒙開拓平和記念館






< 1.満蒙開拓平和記念館  >


今日は、満蒙開拓平和記念館を紹介します。
念願かなって、満州移民の実情を知ることが出来たことは幸いでした。



満蒙開拓平和記念館について

満州移民の実態がわかりやすく展示されています。
また全国で、この種の展示はここだけですので、非常に貴重です。
私達が訪問した時は、多くの人が来ておられました。

しかしこの場所はわかりにくいので注意してください。


  




< 2.阿智村と満州 >
上の地図: 赤丸が阿智村、赤枠がかっての満州、満蒙開拓団の地です。

下の図: 県別の開拓移民数。
全国の開拓移民数27万人に対し、長野県は断トツに多かった。
長野県は満蒙開拓青少年義勇軍10万人でも、最大の送り手だった。






< 3.満蒙開拓民の現実 >
この3枚の写真は満州の記録写真です。
館内は撮影が出来ませんので、HPから転載しました。

上の写真: 記念館の入場券。
中央の写真: 16~19歳の青少年からなる満蒙開拓青少年義勇軍。
下の写真: 記念館内の展示。




< 4. 満蒙開拓平和祈念館  >

館内は大きくないが、要点を絞ってわかりやすく展示している。
また、学芸員が質問に丁寧に答えてくれ、多くの疑問が解消した。

展示内容
*満州移民の歴史
*満州での開拓団の映像
*入植地図や満州の生活。
*敗戦と逃避行。
*引揚げと再出発。
*引揚げ者のコメントと証言ビデオ。
*中国残留孤児と帰国支援事業。
など





< 5. 満蒙開拓のポスター >

参考に、当時の満蒙開拓民募集のポスター。





< 6. 満蒙開拓民の所在地 >

参考に、当時の開拓民の所在地。



満蒙開拓平和記念館に思う
満蒙開拓は満州事変と共に始まり、農民は国の移民奨励を疑わず希望を抱き海を渡った。
しかし、現実の暮らしは劣悪で、その本当の狙いは軍主導による人間の盾でした。
農民はそれを奥地への配置と敗戦時の置き去りで身をもって知ることになった。
そして長野県の未帰還者は49%に上りました。
その後の引揚げも遅々として進まず、さらに引揚げ者の多くは故郷に帰れず、全国各地の未耕作地に割り当てられた。

さらに二つの事実も忘れてはならないでしょう。
それは当時の長野県の自治体と教育者が積極的に移民に関与したこと、満州の中国人がさらに過酷な目にあったことです。
ここで不思議に思うのは、長野県は社会運動が盛んな土地柄でしたが、治安維持法などで反戦派が潰されると、対立する好戦派が攻勢に出た感があることです。

ここが開館したのは最近の2013年で、民間施設では日本ではここだけです。
なぜなのか?
それはこの地が長野県でも最大の移民者を出し、悲哀を味わったこともあります。
しかしそれだけではありません。
現在、「戦争する国」の悲劇を伝える語り部、引揚げ者の高齢化が進んでいます。
この地の人々は危機感を持って平和と中国友好に向けて行動したのです。

次回に続きます。





20160910

Bring peace to the Middle East! 32: chain of retaliation 2 : What is bad?

中東に平和を! 32: 報復の連鎖 2: 何が悪いのか?



*1

Here, we get back to a basic theme.
Why is a soldier and terrorist to kill citizens bad ? 
There is no longer any doubt about it, but it has an important meaning.

ここで基本的な問題に立ち返ります。
なぜ兵士やテロリストが一般市民を殺しすことは悪いのでしょうか?
これに疑いの余地はないのだが、非常に重要な意味があります。





<  2.  Srebrenica massacre. Annotation 1. >
< 2. スレブレニツァの虐殺。注釈1.>

Terrorism is a crime!
The World Trade Center bombing in September 11, 2001 gave a serious shock to the whole world.
As a result, the U.S. President immediately declared, "this is war!", and began the war on terrorism with enthusiastic support of the people.
This case well shows that massacring citizens produces bigger hatred.

Well then, in the Yugoslav wars, what kind of a reaction did the world show to the slaughter of Bosnian citizen performed by military?  ( annotation 1)
In 2016, the International Criminal Tribunal for the former Yugoslavia pronounced a judgment of 40-year imprisonment to the ex-President who commanded the slaughter.
In fact, this person was a hero for Serbian citizens, and the extradition did not advance for 13 years.

By the way, it is fairly recent that all the world other than the countries concerned came to
judge war crimes after the war in this way.



テロは犯罪だ!
2001年9月11日の世界貿易センタービルの破壊は全世界に衝撃を与えました。
これを受けて、米国大統領は即刻、「これは戦争だ!」と宣言し、国民の熱狂的な支持を得て対テロ戦争を始めました。
この事件は、一般市民の殺戮が大きな憎悪を生むことをよく示しています。


それではユーゴ内戦時、軍によるボスニア民間人の虐殺はどうだったのでしょうか。注釈1.
2016年、国連戦争犯罪法廷は、虐殺を指揮した元大統領に禁錮40年を言い渡した。
実は、この人物はセルビア人にとっては英雄で、13年間も引き渡しは進まなかった。

ところで、このように戦争犯罪を戦争後に当事国以外が裁くようになったのは最近のことなのです。


What is important?
War is the largest disaster that the human race brought, but, on the other hand, the human race has brought about various policies that prevent conflict and war in a long time.

One of the policies is the application of the war crimes including “ crimes against peace” “crimes against humanity” after the World War II.
This progress occurred only half a century ago while the history of war for 5,000 years,

More important is the human race continues bringing about preventive measures strenuously.


何が重要なのか?
戦争は人類が生み出した大きな災厄ですが、一方で、人類は長い年月をかけて戦争や紛争を防止する方策を生み出して来た。
その一つが第2次世界大戦以降、「平和に対する罪」「人道に対する罪」を含めた戦争犯罪の適用です。

いまだに自国のこれら戦争犯罪を認めたくない人々がいるのも事実ですが、5000年に及ぶ戦争の歴史にあって、この進歩は高々半世紀前のことなのです。

重要なことは、人類が営々と防止策を生みだし続けていることです。





*3

What is a meaning of judging it by war crimes (law)?
In fact, most of law has been created to prevent conflict.

In prehistoric times, a taboo and custom were created for prevention of conflict, and ritualized fighting grew, a council of elders was created for to avoid expansion of struggles  as a reconciliatory role.
Those rules bore fruit in "Code of Hammurabi" or "the Ten Commandments" before long.

At this point in time, these had to depend on authority of God.

In more recent years, human society came to aim at having consistency in the system of law  by a concept of "justice".


戦争犯罪(法)で裁くことの意味
実は、多くの法は紛争を防ぐ為に整備されて来たのです。

先史時代、紛争防止の為にタブーや慣習が生まれ、拡大を避ける為に闘争の儀礼化、調停役としての長老会などを生み出しました。注釈2.
やがてそれら取り決めが「ハムラビ法典」や「旧約の十戒」などに結実しました。
この時点で、これらは神の権威に頼らなければなりませんでした。
また世界宗教の開祖(イエス、釈迦、ムハンマド)の教えが、紛争を抑える役目を果たしました。

やがて、時代が下ると「正義」の概念によって、社会は一貫性のある法体系を目指すようになった。





*4


What is justice?
In fact, this is a difficult problem, but there is one thing it is sure.
It is that the human race can decide "justice" by ourselves now.

I assume, " Justice is a judgmental standard that a society judges whether a human act is right or bad" .
Seeing it from a viewpoint of conflict, I can say, “ a bad act is an act to cause a conflict, and to spread it”.

One of the bad acts to cause a conflict and to spread it is to increase people's hostility and hatred to extreme.

At last we can see what is bad.

“You must not bomb a hospital ship.
You must not abuse a captive.
You must not use cluster bomb or poisonous gas.”

These produce the massacre of noncombatants and citizen, the people feel strong hatred for it, and will accept the retaliation of the further massacre.
By punishing such war crimes, our world becomes preventing the harshness of war and the civil war.




正義とは何か?
実は、これが難題なのですが、ひとつ言えることは現在、人類は「正義」を自ら決めることが出来るようになったことです。

とりあえず「正義とは、人間の行為を正しいか正しくないかを判断する基準」とします。
これを紛争の観点から見るなら、「正しくない行為とは、紛争を招き、拡大する行為」でしょうか。
「紛争を招き、拡大させる行為」の一つは、人々に極度の敵愾心や憎悪を募らせることでしょう。

これでやっと、何が悪いのが見えて来ました。

「病院船を爆撃してはならない。
捕虜を虐待してはならない。
クラスター爆弾、毒ガスを使用してはならない。」

これらは非戦闘員や一般市民の殺戮を生み、これに対して人々は強烈な憎悪を抱き、更なる殺戮の報復を容認するようになる。
端的に言えば、このような戦争犯罪を罰することで、戦争や内戦の苛烈化を防ぐ意味があるのです。



At the end
What is the terrorism that the Middle Eastern extremists perform in the world?

This only drives people around the world to hate for the Middle East, Arab and Islam, and rather the extremist’s hope only more goes away.
Already, the world as well as the Middle East is filled with hostility, and it bring a vicious circle that puts the Middle East in a difficult spot moreover.
Their terrorism is unlike past terrorism in one country as for making enemies of the world, and the result is greatly different.

I wish that the extremists, neighboring people, and particularly Islamic leaders think about a series of the human wisdom .

This continues the next time.



最後に
それでは中東の過激派が世界で起こしているテロはどうなのでしょうか?

これによって世界中の人々が中東アラブとイスラムへの憎悪を高めるだけで、過激派の望むものは遠ざかるだけです。
すでに中東だけでなく世界は敵愾心で満ち溢れ、それがまた中東を一層窮地に陥れる悪循環を生んでいる。
過去のような一国内のテロとは異なり、欧米と世界の人々を敵にするのでは結果は大きく異なります。

過激派、周辺の人々、特にイスラム教の指導者はこの一連の人類の知恵に思いを巡らしていただきたい。



次回に続きます。



注釈1
1995年、ボスニア・ヘルツェゴビナ内のスルプスカ共和国のカラジッチ元大統領がスレブレニツァでボスニア系民間人8000人の虐殺を指揮した。
セルビアのミロシェヴィッチ元大統領も同様の戦争犯罪で裁判中、病死した。

注釈2
その端的な例が北米先住民にあります。
部族内で殺人が起きると、部族が穢されたとして部族全員で厄払いの儀式を行った。
そして犯人は追放されるが、数年して犯人は自身の請願により復帰した。
ここでは、両親族間で生じる復讐心を儀式と追放で抑制している。
人類は、意識するしないに関わらず、紛争防止の巧みな策を設けて来た。


20160908

南信州を訪ねて 3: 阿智村



 

< 1. 馬の背から北側を見た >
中央の高い峰は標高2841mの南駒ヶ岳で、手前一帯が阿智村の範囲です。
馬の背は下の地図の番号5です。


今日は、長野県南部にある阿智村を紹介します。
私達は、ここで様々な感動に巡り合えました。


 

< 2. 阿智村 >
両地図共、上が北側です。

上の地図: 阿智村と訪問地を示します。
阿智村の境界は茶色の折れ線です。
赤い点や丸が訪問地です。
黄色い線は中央自動車道で、左端は恵那山トンネルになります。

番号1: 満蒙開拓平和記念館。
番号2: 宿泊地の昼神温泉。朝市も楽しみました。
番号3: 阿智神社奥宮。古代のロマンを感じました。
番号4: 高原「ヘブンスそのはら」で星空を堪能した。
番号5: 治部坂高原近くの「馬の背」から眺望を楽しんだ。

下の地図: 黄色の枠が阿智村。
中央遠方の雪を頂いた峰々は、最高峰の奥穂高岳3190mを含む北アルプスです。
その手前右側は、最高峰の駒ヶ岳を含む中央アルプスです。
その右側に伊那盆地が広がっています。


阿智村について
阿智村は長野県の南、伊那盆地の南の端に位置し、山深い谷間にあります。
ここはちょうど中央自動車道の高架下のような所で目立ちません。

ここを訪問した主な目的は、園原高原から「日本一の星空」を見ることでした。
そして昼神温泉を中心に観光し、この山深い所ならではの自然、作物、歴史を感じることが出来ました。



 

< 3. 阿智村の中心部 >
国道153号線から阿智村役場の方を見下ろす。

上の写真: 東側を望む。ここを行くと塩尻です。
中央の写真: 眼下の盆地に阿智村役場と満蒙開拓平和記念館がある。
下の写真: 西側を望む。この山間を行くと昼神温泉、左に折れると山越えで名古屋に至ります。



 

< 4. ある農家 >

治部坂高原に行く途中、私達は観光農園を探して、この農家を訪問しました。
残念ながら観光農園はもう止めていました。

このような山深い畑で多くの野菜を育てておられました。
中央の写真には、トウモロコシ畑があり、この地方の名産です。
この高地の寒暖の差が甘味のあるトウモロコシを造るのだそうです。
帰りに、たくさんのキュウリを貰いました。

この山深い村だからこそ、担う歴史の重みがあり、また必死に村起こしに挑んでいる。
そんな人々の心意気を感じる旅でもありました。


次回に続きます。






20160906

Bring peace to the Middle East! 31: chain of retaliation 1 : in the end



中東に平和を! 31: 報復の連鎖 1: その果てに




*1

We looked at some assassinations, terrorism and the background till now.
From now on, we examine a chain of retaliation taking place in the Middle East, such as massacre repeated.
This time, I explain the final stage that a society arrives at when assassinations and terrorism rage, through the history. 

今まで、暗殺とテロ、そしてその背景を見て来ました。
これからは、殺戮が繰り返される中東、その社会で起きている報復の連鎖について考察します。
今回は、暗殺やテロが吹き荒れる社会の行き着く先を歴史から読み解きます。


What there is in the end of assassinations and terrorism?
Looking around the world, the assassinations and terrorism were a desperate resistance of weak group, or an initial state of revolution.
Even the American constitution predicates a citizen fights with a weapon.
( annotation 1)

The situation starts with assassinating a influential person or a leader of an opposition group, but will invite a chain of genocide and the retaliation adversely.
Thus, massacre and violence spread, and more terrible tragedy will attack the society.

I explain the examples.


暗殺とテロの果てに
世界を見渡すと、暗殺やテロは弱者集団の必死の抵抗であったり、革命の初期状態だったことがある。
米国の憲法ですら、武器を持って市民が戦うことを含意している。(注釈1)

事態は、暴虐な権力者や反対派の指導者を暗殺することなどで始まるが、逆に大量虐殺や報復の連鎖を招くことになる。
こうして殺戮や暴力が蔓延し、さらに恐ろしい悲劇が襲うことになる。

その例を読み解きます。




*2

In the case of Japan
Rightly, the situation were same as 1920s and 1930s in Japan. (annotation 2)

In those days, the extensive people's movement had happened, so the government ruled by local military groups by central figures of the Meiji Restoration was finished, and party politics began to move for the first time.

However, the unripe government was attacked by the growing disparity caused by a military-first policy, several depressions, and an aftermath of the Communist Party revolution.
The domestic situation became turbulent, the protest movement became harsh, and the government began to oppress it by the military and police.
At last, the assassination of a leading figure continued by young officers or right wing and the society was unified.
Thus, Japan became a complete military affairs autocracy again.

In the background, there was an important change that the Japanese society became affirmative for war and violence, while the Japanese military had steadily advanced an invasion in the continent for preparing for a potential threat from imperialism Great Powers, Europe and America, or Russia.


日本の場合
1920と1930年代がまさにその状況でした。(注釈2)

当時、広範な国民運動が起こり、明治維新の立役者らによる地方軍閥主導の政治を脱し、初めて政党政治が動き出した。
しかし、それまでの軍事優先による格差拡大と数度の恐慌、共産革命の余波が未熟な政府を襲った。
国内は騒然とし抗議行動が苛烈化し、政府は軍と警察による弾圧を始めた。
ついに、右翼や軍の青年将校による要人暗殺が続き、社会は一本化された。
こうして、日本は再度、完全な軍事独裁国家となった。

この背景に、帝国主義列強の欧米とロシアの脅威に備えた軍の大陸侵攻が着々と進み、国内は戦争と暴力に肯定的になっていたことがある。





*3

In the case of Germany
The situation were same as 1920s and 1930s at the birth of Nazi government. (annotation 3)

The society and the economy got into the worst situation by suffering the aftereffects of the World War I.
The people lost sight of the future of own country, and various policy opinions (including socialism and communism) were in conflict.
At first, they were aimed at a socialist state, but the military authorities having taken a place in the World War I came to rule the politics before long.

The unemployment rate became 30%, so the young men who lost a job formed radicals group and repeated fighting in city and each place.
Nearly 100 people died only for one month in Prussia, and the injured person surpassed 1,000 people.
Under such circumstances, an violence revolution attempt that Hitler participated in in Munich occurred.
They attacked the capital of Prussia by weapon of the military authorities and aimed at to usurp political power.
The people felt hopeful about the proposal of Hitler, the revival of empire,  the nationalism (anti-emigrant and anti-Semitism), and the totalitarianism (fascism).

After this, the Nazi that Hitler led was received enthusiastically by people, and a dictatorial regime was born.


ドイツの場合
ナチス政権誕生期の1920と1930年代も同様でした。

第一次世界大戦の尾を引き、社会と経済は最悪へと突き進んだ。
国民は国の行く末を見失い、様々な路線(社会主義、共産主義など)が対立していた。
始めこそ社会主義国家を目指していたが、やがて大戦時の軍部が政治を支配するようになっていた。

失業率は30%になり、失業した青年らは過激派集団を形成し都市や各地で抗争を繰り返した。
プロイセン州だけで1ヶ月100名近くが死に、負傷者は1000人を越えた。
こうした中、ミュンヘンでヒトラーが関わる暴力革命未遂事件が発生した。
彼らは軍部の武器によりプロイセンの首都を襲い政権奪取を狙っていた。
国民はヒトラーが唱える帝国復活や民族主義(移民・ユダヤ人排斥)、全体主義(ファシズム)に希望を見た。

この後、ヒトラー率いるナチス党が熱狂的に受け入れられ、独裁政権が誕生した。





*4

What was taking place there?
These two examples have a certain thing in common.
Firstly these societies deepened confusion and stagnation, and the demonstration for reform and dissatisfaction escalated into violence cases.
As a result, the people wanted to quiet the confusion and clung to a stronger power to step forward powerfully.
And two fascism shook the world.
But it doesn’t always occur on the end of the confusion of the assassination and terrorism.
(annotation 3)

An important thing is to create more powerful military power finally, even if the violence was a small blow at first.
One of these may be Islamic nation (ISIL).

Unfortunately the power having the powerful armaments often becomes tyrannous, and it becomes the thing unlike the hope of the people.
I can say the reason is "It takes a thief to catch a thief."


何が起きていたのか
この二つの例に共通していることがある。
始めに、社会は混乱と低迷を深め、改革を求めるデモや不満による暴力沙汰が起きた。
その結果、国民はその混乱を鎮め、力強く踏み出すためにより強力な権力にすがった。
そして二つのファシズムが世界を震撼させることになった。
但し暗殺とテロの先に、いつもこれが起きるわけではありません。(注釈4)

大事なことは、これら暴力は始め小さな一撃であっても、やがて拡大し混乱すると、最後にはより強大な力を生むことになるのです。
その一つがイスラム国(ISIL)かもしれません。

残念な事に、その力は往々にして強大な軍事力を有し暴虐となり、国民の希望とは異なるものになるのです。
その理由は、「毒をもって毒を制する」と言えます。





*5

Thing we must not overlook
In either case, a violence produces many violence, and people will be trained to accept abnormal circumstance before long.

In the Middle East, the family is subjected to violence and killed, the town is destroyed, people suffer a difficult life even to live, and such a state continues for half a century.
Will the children grow up in a normal way?
The dilapidation of people's mind is imperative.
Where does the future of this society go toward?

This continues the next time.



見逃してはならないこと
いずれの場合も暴力が暴力を生み、やがて人々は正常では居られなくなることです。
暴力を受け虐殺される家族、破壊された町、生きることすら困難な生活、このような状態が半世紀も続く中で、子供がまともに育つでしょうか。
精神の荒廃は必然です。
この社会の行く末は・・・・・。


次回に続きます。



注釈1
18世紀後半に制定された合衆国憲法修正第2条。
「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるので、
人民が武器を保有し、携帯する権利は、これを侵してはならない」

注釈2
私のブログ「社会と情報:戦った報道 1~26」に詳しい。

注釈3
私のブログ「戦争の誤謬 : ヒトラー総統の誕生 1、2」「図解 ヒトラー総統の誕生」「ナチスの亡霊」に詳しい。

注釈4
日本とドイツは、社会の混乱時に独裁者を求める傾向が世界で最も強い。
これはエマニエル・トッドが指摘するように、両国が直系家族の文化だからです。
この文化は、遺産分配や兄弟関係の有り様から、「権威と不平等」を受け入れます。
したがって、中国、ロシア、中東またはフランス、米国では異なった反応が起こるでしょう。


20160905

Visited a southern part of the Shinshu region 2: Komagane highland

南信州を訪ねて 2: 駒ヶ根高原





<  1. A dry riverbed >
< 1. 河原 >


Today, I introduce Komagane highland.
We played with our grandchildren in this dry riverbed.


今日は、駒ヶ根高原を紹介します。
ここには孫達と河原で遊ぶ為に来ました。



Komagane highland
There is this highland in front of where a river flowing from Mt. Komagatake in Kiso Mountains ( the central Alps) joins Tenryu River.
This highland is 800m above sea level at the maximum in Ina Basin.
Here is a ropeway for climbing on the mountain, ski areas and hotels, and it becomes a huge resort area.



駒ヶ根高原
この高原は、中央アルプスの駒ヶ岳から流れる川が天竜川に合流する手前にあります。
この高原は伊那盆地で最大で、標高800mあります。
ここには登山用のロープウェイやスキー場、ホテルがあり、一大リゾート地です。





<  2.  Arrived at the destination  >
< 2.到着 >


It was fine weather, and the sunlight was strong.

快晴で、日差しは強かった。






<  3.  Walking the suspension bridge  >

< 3. 吊り橋を歩く >





<   4.  Views from the suspension bridge  >
< 4. 吊り橋からの眺め >


Upper photo:  upstream direction.
Lower photo:  downstream direction.
We can see Ina Basin in the back, and beyond it, see Southern Alps.


上の写真: 上流側。
下の写真: 下流側。
遠くに伊那盆地、その向こうに南アルプス、白根三山が連なる。




<  5.  going down to the dry riverbed  >
< 5. 河原に降りる >


Many families enjoyed playing in the water.

多くの家族連れが水遊びを楽しんでいた。






<  6.  On the dry riverbed  >
< 6. 河原 >

The water of the river was not so cold  because probably it was shallow.
Our grandchildren touched with nature and were joyful.
We were having happiest moment.


This continues the next time.



川の水は、浅いせいかそれほど冷たくなかった。
孫たちは、自然と戯れ喜々としていた。
至福の時が流れて行きました。


次回に続きます。






20160904

Bring peace to the Middle East! 30: about terrorism 10 : fight of believer

中東に平和を! 30: テロについて 10: 信者の戦い






<  1.  Japanese-Russo War  >
< 1.日露戦争 >

We can understand "God and heaven" that a suicide bomber of the Middle East wrote, by knowing how believers confronted own massacre.

信者が殺戮とどう向きあったかを知ると、中東の自爆テロ犯が語る「神と天国」が見えて来ます。






<  2.  Siege of Drogheda >
< 2.ドロヘダ攻城戦 >


Certain Christian
“I believe firmly that this is a righteous judgement of God on these barbarous wretches, who had imbrued their hands with so much innocent blood.”

This is a sentence of the report at when British Cromwell (1599-1658) suppressed rebel armies in Ireland. (Siege of Drogheda in 1649)
At this time, the citizens and monks in the city were almost slaughtered as well as  combatants.
He justifies own act as Protestant provided justice to Catholic.

The example of such a justification is also seen in the Crusades.
This increased participants in the Crusade, and on the other hand, it caused plunder and massacre to increase.



あるキリスト教徒

「これは、無実な人々の血でその手を染めた野蛮な恥知らずどもへの、神の正しき裁きであると私は確信する。」

これは英国のクロムウェル(1599-1658)がアイルランドで反乱軍を鎮圧した時の報告書の一文です。(ドロヘダ攻城戦、1649年)
この時、戦闘員だけでなく、ある都市の市民や修道士などがほぼ全員虐殺された。
彼はプロテスタントがカトリックに裁き(復讐)を与えたとして、自らの行為を正当化している。

このような正当化の事例は十字軍遠征にも見られる。
参加した者には免責が与えられ、戦闘で死んだ者は殉教者になるとされた。
これは十字軍への参加者を増大させた一方、略奪や殺戮を横行させる結果となった。





<  3.  armed priest >
< 3. 僧兵 >


Certain Buddhists
At previous night of all-out attack of the Russo-Japanese War (1904), a Japanese army Buddhist priest told to believers.
“This war doesn’t contradict Sessho-kai (a Buddhist precept of the prohibition of killing living things.), and rather this is a battle for peace."
And soldiers of the believer charged ahead with saying "Namuamidabutsu (Buddha in paradise)" all together.

In the Russo-Japanese War, this denomination (Jodo Shinshu sect of Buddhism) thought a national feeling of unity is necessary, and encouraged the believers to accepts military service.
Since a long time ago, the believers of the denomination performed against samurai groups  fierce fights with weapon of farming implements on several occasions, and they kept self-government.


ある仏教徒

日露戦争の旅順総攻撃の前夜(1904年)、日本の従軍僧が信者らに「この戦争は仏教の殺生戒に矛盾せず、平和の為の戦いである」と語った。
そして、信者の兵士らは一斉に「南無阿弥陀仏」と唱えて突撃していった。

日露戦争において、この宗派(浄土真宗)は挙国一致であるべきとして、兵役に積極的に応じている。
古くからこの教団信徒は農具を武器に武士団と壮絶な戦いを行い、自治を守り通したこともある。(福井県の吉崎御坊など)





< 4. the yellow turban rebellion >
< 4.黄巾の乱 >


Originally, the Buddhism had a prohibition of indiscriminately killing living things and a non-war.
But Japanese large temples had employed armed priests since a long time ago.
The Buddhist fought in Korean Peninsula, China, and Southeast Asia.
In Goguryeo (kingdom of Korea), armed priests in the Korean Peninsula had fought against a great number of invaders of China and nomads with a weapon for defending own country.
In China, a certain school of Taoism caused the yellow turban rebellion, and the Three Kingdoms period began(184 - ).
Next a certain school of Buddhism caused a rebellion, and it led the birth of the Ming (1368 - ).
In China, a large group of farmers that were led by religious organizations caused many revolutions many times.



本来、仏教は殺生を禁じ非戦のはずですが、古くから日本の大寺院は武装した僧兵を養っていた。
朝鮮半島や中国、東南アジアでも仏教徒は戦った。
高句麗時代、朝鮮半島の僧兵は中国や騎馬民族の侵略に対し武器を持って戦い、国を守った。
中国では、道教の一派(太平道)が反乱(黄巾の乱)を起こし三国時代(184年~)が始まり、また仏教の一派(白蓮教)が反乱(紅巾の乱)を起こし明(1368年~)の誕生に至る。
この白蓮教は清の時代にも反乱を起こしている。





< 5. Crusade >
< 5. 十字軍 >

Fight of believer
Looking around the world, it may be said that there was not the religion that did not ever fight.
The enemy was a pagan (sect), devil, unbeliever, in addition an invader and plunderer.
Many widely accepted religion universally has Love and mercy in the doctrine, and infrequently includes the abstinence from taking life.

Why do these believers perform fierce fights in violation of the fundamental creed?
At many fact pattern, religious organizations greatly had influenced it.
It may be said there was a result that the sense of unity and infallibility of the religion was raised by the organizations.

It isn't a problem usually, but when our society begins to become confused and corrupt, it will bring a bad habit.



信者の戦い
世界を見まわして、かつて戦わなかった宗教はなかったと言えます。
その敵は異教徒(分派)、悪魔、不信仰者に始まり、侵略者、略奪者であった。
広く受け入れられている宗教の教義には愛と慈悲が普遍であり、稀に不殺生も含まれます。

なぜ信者は根本教義に反して壮絶な戦いを行うのでしょうか?
その多くは教団の力が大きく影響しており、宗教がもたらす一体感と無謬性が高度に高められた結果と言えます。

通常、問題にならないが、社会が混乱し疲弊しだすと悪弊が生じることになる。



Is there a thing you can understand? 
The Palestinian suicide bomber wrote about "God and heaven" in his farewell note.
Because he can go to heaven, did he practice the terror?

As those facts of the world show, first there were necessity for the fight, and the people  alleviated a conflict of own death and murder with resorting to God and Buddha.

In world history, many religious organizations have permitted fighting, but Jesus and Buddha will grieve at this.
Probably, I think that Mohammed points out the mistake if he see the present confusion of the Middle East, too.

It isn't limited to Islam that suicide bombers talk about "God and heaven".
It is only one of the light and shade that religion brings.

This continues the next time.



通じるものはあるのか
パレスチナの自爆テロ犯は遺書で「神と天国」を語っていました。
彼らは天国に行けるから自爆を行ったのでしょうか?

世界の例からわかるように、先ず戦う必要に迫られ、次いで死や殺人への葛藤を神や仏が和らげることになるのです。

歴史上、多くの宗教教団は戦いに免罪符を与えることがありますが、イエスや釈迦はこれを嘆いたことでしょう。
おそらくマホメッドも、今の中東の混乱を見れば間違いを指摘したことでしょう。

自爆テロ犯が「神と天国」を語るのは、イスラムに限ったことではないのです。
宗教がもたらす明暗の一つに過ぎないのです。


次回に続きます。


20160903

Visited a southern part of the Shinshu region 1: Narai-juke, a post town


南信州を訪ねて 1: 奈良井宿






< 1. Narai-juke >
< 1.奈良井宿 >


From now on, I introduce a Southern part of Nagano prefecture that we traveled in summer.
Today, I introduce the Narai-juke that is a one of old post towns.


これから、夏に旅行した長野県南部を紹介します。
今日は古い宿場町の奈良井宿を紹介します。


Abut this trip
We went round each place by our car.
The period is from August 19 to 22, 2016.
I can’t introduce the sightseeing of the 20th due to a drizzle.
But it was fine weather every day except for the day.


今回の旅行
車で各地を巡りました。
期間は2016年8月19日から22日までです。
20日の観光は霧雨で紹介出来ませんが、他は快晴に恵まれました。




<  2.   visited places   >
< 2.今回の訪問地 >

Upper side of the photo is the north side.


No. 1:  Narai-juke.
We walked around the old post town.


No. 2:  Komagane highland.
We played with our grandchildren in the riverbank.


No. 3:  Achi village
We visited the Peace Memorial Hall for Volunteer Pioneer of Manchuria and Mongolia, and the inner shrine of Achi-jinja Shrine.
We stayed at Hirugami Onsen, a hot spring resort and went to the morning market.


No. 4:  “Heavens Sonohara” , a plateau.
We had gazed at the star-sprinkled sky while sitting on the plateau at the night.


No. 5:  Jibusaka Kougen, a plateau.
We enjoyed a view from the peak called a horseback.



上側が北です。


番号1: 奈良井宿。
宿場町を散策した。


番号2: 駒ヶ根高原。
河原で孫と遊びました。


番号3: 阿智村。
満蒙開拓平和祈念館、阿智神社奥宮を訪問した。
昼神温泉に宿泊し、朝市に行きました。


番号4: ヘブンスそのはら。
夜の高原で満点の星空を観察しました。


番号5: 治部坂高原。
峰(馬の背)から眺望を楽しみました。






< 3.  Maps of Narai-juke  >
< 3.奈良井宿の地図 >


Upper photo:  the five land traffic routes in the Edo period.
Nakasen-do Road is indicated in a brown line connecting between two red points, and connected Edo and Kyoto.


Central photo:  upper side of the photo is the north side.
A elongated town is Narai-juke, and if you go to the right-hand road, you can arrive at Edo.


Lower photo:  the expansion of Narai-juke.
We parked our car in a parking area B and crossed a big bridge.
we started to take a walk from the east end S, and turned back at the west end E.



上の写真: 江戸時代の五街道。
中山道は茶色線で、赤丸の京都と江戸を結んだ。


中央の写真: 写真上が北。
中央の街並みが奈良井宿で、右に行けば江戸に至る。


下の写真: 奈良井宿の拡大。
駐車場Bに車を止めて、大きな橋を渡った。
東端のSから散策を始め、西端のEで折り返した。


Narai-juke
Narai-juke was one of the post towns on the Nakasen-do Road, and was flourished by travelers who prepared crossing the “Torii Pass” which was hardest pass on the Kiso.
In addition, Narai-juke is at the highest altitudes in the Nakasen-do Road, and the town having approximately 1km long is the longest post town in Japan.
Narai-juke was established as a relay station in 1601, and there were 8 various accommodations for samurai and average people.  
Narai-juke was famous for the wood industry such as lacquerware and hair comb, and these were popular as a souvenir of travelers.


Nakasen-do Road connected between Edo and Kyoto, and passed through mountain area unlike Tokai-do Road passing along sea shore.
In despite of flat road, Tokai-do Road had defects such as getting stuck at swollen rivers, and strict controls.
Thus, 67 post towns and Narai-juke on Nakasen-do Road prospered in the Edo period.


奈良井宿
ここは中山道の宿場町で、木曾の難所、鳥居峠を南に控え、多くの旅人が泊まった。
また中山道の中で最も標高が高く、約1kmの街並みは日本最長の宿場町です。
1601年に宿駅に指定され,江戸時代後期には本陣1軒・脇本陣2軒・旅籠5軒があった。
江戸時代から曲げ物、櫛、漆器などの木工業が盛んで、旅の土産物として人気があった。


中山道は京都と江戸を結び、海岸沿いの東海道に比べ山間部を通った。
平坦な東海道であったが、増水した川での足止め、厳しい取り締まりなどの欠点があった。
こうして中山道の67箇所の宿場、そして奈良井宿は江戸時代に栄えた。





<  4.  parking area B  >
< 4.駐車場Bにて >


Upper photo:  Kiso-Ohashi bridge.
this is a largest class in wooden bridges which don't have a supporting beam.


Central photo:  I saw the east side from the top of the bridge.
Going this direction, the road goes through Shiojiri and reaches Edo.


Lower photo:  I saw the west side from the top of the bridge.
There is Torii Pass in this side and the road reaches Kyoto.



上の写真: 木曽の大橋。
橋脚を持たない木製の橋としては大きい。


中央の写真: 橋の上から東側を望む。
塩尻を抜け江戸に至る。


下の写真: 橋の上から西側を望む。
こちら側に鳥居峠があり、京都に至る。





<  5.  finally enters the post town >
< 5.いよいよ宿場に入る >


Upper photo:  the east end S.
Lower photo:  the street.
There is a water fountain at the near left side.
These were 6 water fountains for travelers passing through Narai-juke.



上の写真: 東端の地点S. 
下の写真: 街並み。
左側の手前に水場がある。
ここには6か所の水場があり、当時の旅人の喉を潤した。





<  6.   appearance of the street, 1  >
< 6. 街並み 1 >




<  7.   appearance of the street, 2  >
< 7. 街並み 2 >





<  8.  inside view of 3 houses >
< 8. 建物の中を覗く >


Upper photo:  a shop of folk art object.
Central photo:  a shop of lacquerware.
Lower photo:  a Japanese inn.
There are some inns, ryokan and minshuku opening now.


上の写真: 民芸品の店。
中央の写真: 漆器の店。
下の写真: 旅館。
現在も営業している旅館や民宿があります。




<  9.  I reach the west end soon  >
< 9. そろそろ端に来ました >

Upper photo:  a temple.
Central photo:  a Shinto shrine was seen at the back of the street.
Here is the west end E.


Lower photo:   Kosatsu site(street bulletin board).
This is the site that Shogunate and feudal lords wrote a law and rules to the board and put up it here.



上の写真: 浄龍寺。
中央の写真: 通りの向こうに神社が見えて来た。
ここが西の端、地点Eです。


下の写真: 高札場。
ここは幕府や領主が法律や掟を板に書いて掲げた場所です。





<  10.  at the west end of the post town  >
< 10. 宿場の西端 >


Upper photo:  I see the Shinto shrine from the street.
Lower photo:  I see the street from the Shinto shrine.
There is a water fountain and Kosatsu site at the near left side.


This continues the next time.



上の写真: 通りから鎮神社(しずめ)を見る。


下の写真: 鎮神社から通りを見る。
左側の手前に高札場と水場が見える。



次回に続きます。