20140212

社会と情報 20: 他者への無知

ハノイ紅河の夕陽

< ハノイ紅河の夕陽、Wikipedia より >

米国は圧倒的な軍事力で攻撃することが、早期に解決する手段と信じていた。
一方、米国からみれば北ベトナムは徹底抗戦を続ける無謀な敵でした。
この食い違いの真相は30年後の会談で判明することになった。
それは両指導者が、互いを知らず、憶測と誤解を重ねての結果だった。
このことを見ていきます。


参考文献
「我々はなぜ戦争をしたのか」東大作著、2000年刊。
この本は、1997年、ベトナム戦争の元指導者達が、一同に介して会談した記録の要約です。
この会談はマクナマラ元米国防長官が要請し、北ベトナムと米国の元要人が出席した。
彼らは真摯に戦争の過程を検証し、「機会をなぜ逃したのか?」の答えを探し求めた。


95年、ボー・グエン・ザップ将軍とマクナマラ元国防長官

< 95年、ボー・グエン・ザップ将軍とマクナマラ元国防長官 >

マクナマラの快挙
私が読んだ日本の近代戦争を扱った多くの本は、二度と戦争を起こさない目的には役に立ちませんでした。
右派左派の学者や評論家の書いた本には、戦争を主導した人々の判断や意識に不明瞭さがあります。
たとえ詳細であっても、公的記録の不足(焼却)、さらに発言や記録は一方の立場からだけの論証で正確さに欠けました。

それに比べ、マクナマラの行動は人類初の快挙と言えると思います。
彼は三代の大統領の下で、ベトナム戦争を推進した国防のトップであった。
その彼は、米国が間違いを犯してことを認めた上で、対戦相手の元北ベトナム側と、当時を振り返り、討議を通じて検証しようとした。

この会談の実現には多くの壁があった。
当時、戦った兵士やその遺族、将軍にとって、自国の非を前提に話し合うことは、屈辱に他ならない。
日本では、個の正義よりも社会のメンツ(国益)を優先するので、このようなことは到底困難だろう。



< 著書 >

もう一人の勇者
それは、この会談内容を日本で公開する為に奔走した一人の報道マンです。
彼は、この本の著者であり、このドキュメンタリー番組を製作したNHKのディレクターです。
彼はマクナマラの回顧録から、米とベトナムの対談の可能性を知る。
そして米国のマクナマラに接触し、議事録の公開と番組製作の許可をもらおうと奔走する。
当然、公開については多くの了解(米国とベトナム)が必要で、忍耐と時間を費やした。
最後には快諾され、各出席者へのインタビューも可能になった。
今までのNHKには、このように歴史的事件にとことん食らいつき、事実を深く掘り下げる気迫のあるディレクターがいる。
今後もこの気風が残ってくれると良いのだが。


65年、南ベトナムを訪れたマクナマラ

< 65年、南ベトナムを訪れたマクナマラ >

マクナマラの発言
「ベトナム戦争のベトナム側指導者と直接向かい合って対話をしたい。ベトナム戦争がどうして起きてしまったのか。それぞれの局面で互いにどんな情勢判断と命令を下して戦争に突入したのか、そして戦争を回避するためにはどうすればよかったのかを本気で議論し、後世に残したい」
彼はこのように言って会談の開催を友人に持ちかけ、プロジェクトは始まった。


ベトコン兵士

< ベトコン兵士 >

重要なこと
彼らの歴史に向き合う姿勢、メンツにこだわらず事実を重視する姿勢、他者への無知を潔しとしない姿勢に、米国の良心と偉大さを見る。

次回、幾つかの具体例を通して他者への無知が招く悲劇を見ます。














20140211

社会と情報 19: 国民にとって真実とは

 ホーチミン(旧名サイゴン)

< 1.現在のホーチミン(旧名サイゴン) >

今まで、ベトナム戦争を通して真実が如何に国民に伝わらないかを見て来ました。
一方で、必ずしも国民がすべての真実を欲しているわけではないのです。
今回、この問題を見ます。

何が真実なのか?
戦場の記者にとって真実とは何か?
一枚の華々しい戦闘シーンの写真、それとも残虐シーンでしょうか?
それとも戦略の適否か、兵士や人々の苦境でしょうか?
テレビや日刊紙の記者は日々追われるように、眼前に広がる光景を切り取るだけだった。
また記者にとって、戦争は最大の事件であり、その記事や写真は商品でもあった。
本国の編集者にとって、それは視聴率や購読量を増やすネタに過ぎないのかもしれない。

もし真実があるとしたら
戦争の正否や非人道性を判断し、その意味でどの記事が最適だと決めることは難しい。
南ベトナムの民衆の立場に立てば、記事は虐殺行為を訴えるのが最適かもしれない。
一方、米国民にとっては、犠牲を払って共産勢力を食い止めているのだから、記事は自国の被害と勝利こそが重要です。

1973年、和平による米兵の帰還

< 2.1973年、和平による米兵の帰還 >

伝わる真実とは
政府と戦場に都合の悪い情報は遮断され、都合の良い虚偽の情報が国民に与えられる。
記者と編集者の偏見や悪意のない選択が情報の偏りを生む。
しかし、さらに大きな障害が最後に待ち構えていた。
それは国民のムード、知りたい知りたくないことの揺らぎです。
これは日本も含めて、世界に共通する現象と言える。


ソンミ村事件

< 3.ソンミ村事件 >

ある虐殺事件を通して
一つの虐殺事件が世論を反戦へと押したが、ことはそう簡単ではなかった。
68年、ベトナムのソンミ村で、米兵の無差別射撃により無抵抗の村民(男女、乳幼児、妊婦)約500人が虐殺された。

その1年後、状況の改善を求めて、一人の兵士がその事件を多数の議員に手紙で告発した。
それを受けて一人の下院議員が軍事法廷を開始させたが、陸軍はもみ消そうとしていた。
元国防総省詰めのフリー記者が、これを嗅ぎつけ調査し、各新聞社に発表を働きかけた。
しかし、どこも本気で取り上げず、やがて半年が経とうとしていた。
その頃、ヨーロッパではこれが主要記事になり、米国の一地方紙が大量虐殺場面の写真を掲載した。
その後一気に米国を「良心の呵責」へと追い込んだ。
その後、急に多くの虐殺事件が報道されるようになった。

一方、この年、公約通りに米軍撤退が開始されていた。
政府は、爆撃による戦争拡大を秘密にし、終結に向かっていると国民を信じさせた。
すると、やがて国民は虐殺事件に関心を示さなくなっていった。


ベトナム戦争における米軍死者の推移

< 4.ベトナム戦争における米軍死者の推移 >

この現象の背景にあるもの
先ず、戦場では残虐行為は日常茶飯事であり、記者にとってニュースではなかった。
ソンミ事件以前にも、残虐な事件がわずかに報道されてはいたが、注目されなかった。
また報道の編集部は、国益に反し、国民の忌避が予想されたので、最初に残虐な写真を扱うには抵抗があった。
ところが68年から69年にかけて急激に死傷者が増え、30万人以上に達し、国民に厭戦気運が高まっていた。
そこで一気に火がついた。

しかし、国民が終戦は時間の問題だけと考え、関心を持たなくなると、編集部は、それを見越し戦場の報道を急速に減らしていった。
その結果、虐殺への関心は色褪せていった。
虐殺写真で一世風靡した写真家はその名声ゆえに、戦後、何処にも就職出来なかった。

それはあたかも、最大に膨らんだ風船を大きく破裂させる針の一刺しも、その前後では威力がないようなものです。

次回は、戦争当事国が互いに情報を持たないことで起こる失敗を見ます。












20140209

History of sickness and medical art 20:  Table of contents and abstract of the articles 1~19

 

I wrote the article of 19 episodes, and about 1/3 was over until now.
I make a table of contents and the abstract of the past article a list.

これまで19話の記事を書き、約1/3が終わりました。
これまでの記事の目次と要約を一覧にします。


A table of contents and abstract  /  目次と要約


 



Neanderthal man has supported a disabled person for a long time.
Chimpanzees cured a diarrhea by itself and performed the care of health or healing each other.

ネアンデルタール人は障害者を長期に養って来た。
チンパンジーは下痢などの治療を自分で行い、仲間の養生や癒しを行っていた。




The animal is performing various kinds of pediculicidal measures.
It may be said that the most primitive curing of others is the behavior of the cleaner fish of the coral reef.
Can the mouse feel the pain of others?

動物は種々のシラミ対策を行っていた。
最も原始的な他者への養生は、珊瑚礁の掃除魚かもしれない。
マウスは他者の痛みを感じることが出来るのか。




The recognition for the disease of indigenous people resembles that of ancient civilization.
The appearance was varied in accordance with the peoples, but the magician and medicinal herb were important in everything. 

先住民の病気に対する認識は、古代文明のそれと似ている。
その様子は民族によって異なるが、すべてにおいて呪術師と薬草は重要であった。




I look at the role and the treatment of magicians (shaman) of the world.

世界中の呪術師(シャーマン)の役割と治療を見ます。



  
I look at how a pastoral tribe in Kenya deals with the disease.
They have some recognition that is slightly different from others.

ケニヤの牧畜民の病気への対処を見ます。
彼らは他と少し異なる認識を持っている。




The sickness and medical treatment of the nonliterate society are summarized.
There was an intersection of early religion and science.

無文字社会の病気と治療について、まとめます。
そこには原初的な宗教と科学の交わりがあります。




I look at the oldest medical art that was performed in ancient civilization.
It exists surprisingly from time immemorial.

古代文明が行っていた最古の医術を見ます。
それは驚くほど古くから存在します。




I look at what kind of medical art have spread in the oldest civilization.

最古の文明ではどのような医術が普及していたのかを見ます。




  
The flamen and the doctor performed medical treatment and the medicines and a prayer were important means.
Even so, the medical art advanced markedly, and the medical system was made, too.

治療は神官と医者が行い、薬剤と祈祷が重要な手段だった。
それでも格段に医術は進み、医療システムも出来ていた。



  
Egypt left a lot of oldest medical books.

エジプトは最も古い医学書を数多く残していた。




They had the many names of the disease and the prescription thanks to the record of an abundant papyrus.

彼らは豊富なパピルスの記録のおかげで、数多くの病名と処方を持っていた。



  
They used some versatile theory for the understanding of the sickness, and considered that a specific internal organ is important.
In Egypt, some skilled physicians have left the name to the history.

彼らは病気に理解に汎用的な理論を用い、特定の内臓を重視した。
エジプトでは名医が歴史に名を残している。




I seek an origin of the religious precepts of a circumcision and the pork evasion, and the mandragora of medicinal herb.

薬草のマンドラゴラ、戒律になっている割礼と豚肉忌避の起源を追います.




I survey the Israeli history and look at the characteristic.
The Bible is the only one of source of medical information.

ここではイスラエルの歴史を概観し、その特徴を見ておきます。
聖書が唯一の医術の情報源です.




I look at the situation of the doctor, and the trust for medical treatment.

医者の立場、医術への信頼がどのようなものだったかを見ます。




About medical treatment and medicines, I look concretely.

医術と薬剤について、少し具体的に見ます。





The medical treatment was not important in the Bible, but the miracle of Jesus played a big role.
This was a great transformation in respect of the recognition to sickness, and about the religion too.

治療は聖書で重視されていないが、イエスの奇蹟が大きな役割を果たす。
これは宗教的にも、病気への認識の点でも大転換だった。



In this land, I see the disease was recognized very much religiously.
Thank you and please let me know if you have any questions.

この地では非常に病気が宗教的に認識されていたことを見ます。
今後もよろしくお願いします。




20140208

Travel to South Korean 9: In Soul

 A gate of Changdeokgung ”昌徳宮” 

 1.A gate of Changdeokgung ”昌徳宮 
I introduce sightseeing spots and the town of Seoul.

Changdeokgung
It was fine on that day, and the green of pine and the vermilion of the royal palace stand out against the blue sky.
This is the royal palace that was founded as a detached palace of the Joseon Dynasty in 1405.
However, it was used also as a primary palace and various buildings and gardens remain well in the large site.
In the back, there is a beautiful garden with colored leaves, and a photographing of the TV drama “Dae Jang Geum” was done.
This time we didn't look in it.



ソウルの観光地と町歩きを紹介します。

昌徳宮
この日は天気が良く、空の青と松の緑、宮殿の朱が映えていました。
これは李氏朝鮮王朝の離宮として1405年に創建された宮殿です。
しかし正宮としても使用され、種々の建築物、庭園が広い敷地内によく残っている。
奥には紅葉で美しい庭園があり、テレビドラマ「チャングム」の撮影でも使用されていました。
今回は立ち寄りませんでした。


Main hall ”仁政殿” where formal events were performed in

 2.Main hall ”仁政殿” where formal events were performed in 


a throne in the main hall ”仁政殿” 

 3.a throne in the main hall仁政殿 


Buildings in the royal palace

 4.Buildings in the royal palace 
Upper: the place of the life of the King.
Lower: the place where the princess who married from the Japanese imperial family lived in, and maids also.

上:熙政堂、王の生活の場。
下:楽善斎、女官や日本の天皇家から嫁いだ妃が暮らした場。


Myeong-dong
This is a shopping earea of the youth in comparison with Namdaemun and Dongdaemun.

明洞(ミョンドン)
ここは南大門や東大門市場と比べると、圧倒的に若者の向きの繁華街です。


Myeong-dong

Myeong-dong 

 5.6.Myeong-dong 


Insa-dong
Many of Antique stores, traditional-handicrafts shops, and souvenir shops were in line along the one street.
When I enter aside, it is dotted with old streets or small galleries.

仁寺洞(インサドン)
この一本の通りには古美術店、伝統工芸品店、土産物店が並ぶ。
脇に入ると、古い街並みや小さなギャラリーなどが点在する。


Insa-dong

Insa-dong
< 7.8.Insa-dong >

Cityscape

Jongno District
It is a central part of Seoul.


都市の景観
鍾路区(チョンノク)
ソウルの中心部になります。


Jongno District

 9.Jongno District 


Noryangjin
There is Noryangjin Fisheries Wholesale Market here.
I photographed two lower photos from Noryangjin Station.
This subway runs through underground with a center of Seoul, but becomes the elevated railway when it has crossed the Han River.

鷺梁津(ノリャンジン)
ここには鷺梁津水産市場がある。
下の2枚の写真は鷺梁津駅から撮影した。
この地下鉄はソウル中心部では地下を走っているが、漢江を渡ると高架になる。


a south side from the station 

 10.a south side from the station  


a north side from the station, and a direction of a center of Seoul

< 11.a north side from the station, and a direction of a center of Seoul >
Although traveling to Soul is the 3rd time now, I want to walk around this town more in various ways.
Including Soul, I want to know cultural heritages, museums of the whole land of Korea, and the life of people.
After all I want to taste delicious Korean food more.

On the next time, I write what I felt during this trip.


ソウルを観光するのは、これで3回目ですが、まだまだ色々町歩きをしたい。
もっとソウルを含め、韓国全土の文化遺産や博物館、庶民の暮らしを知りたい。
やはり一番は旨い韓国料理をもっと味わいたい。

次回は、旅行中に感じた事を書きます。