< ハノイ紅河の夕陽、Wikipedia より >
米国は圧倒的な軍事力で攻撃することが、早期に解決する手段と信じていた。
一方、米国からみれば北ベトナムは徹底抗戦を続ける無謀な敵でした。
この食い違いの真相は30年後の会談で判明することになった。
それは両指導者が、互いを知らず、憶測と誤解を重ねての結果だった。
このことを見ていきます。
参考文献
「我々はなぜ戦争をしたのか」東大作著、2000年刊。
この本は、1997年、ベトナム戦争の元指導者達が、一同に介して会談した記録の要約です。
この会談はマクナマラ元米国防長官が要請し、北ベトナムと米国の元要人が出席した。
彼らは真摯に戦争の過程を検証し、「機会をなぜ逃したのか?」の答えを探し求めた。
< 95年、ボー・グエン・ザップ将軍とマクナマラ元国防長官 >
マクナマラの快挙
私が読んだ日本の近代戦争を扱った多くの本は、二度と戦争を起こさない目的には役に立ちませんでした。
右派左派の学者や評論家の書いた本には、戦争を主導した人々の判断や意識に不明瞭さがあります。
たとえ詳細であっても、公的記録の不足(焼却)、さらに発言や記録は一方の立場からだけの論証で正確さに欠けました。
それに比べ、マクナマラの行動は人類初の快挙と言えると思います。
彼は三代の大統領の下で、ベトナム戦争を推進した国防のトップであった。
その彼は、米国が間違いを犯してことを認めた上で、対戦相手の元北ベトナム側と、当時を振り返り、討議を通じて検証しようとした。
この会談の実現には多くの壁があった。
当時、戦った兵士やその遺族、将軍にとって、自国の非を前提に話し合うことは、屈辱に他ならない。
日本では、個の正義よりも社会のメンツ(国益)を優先するので、このようなことは到底困難だろう。
< 著書 >
もう一人の勇者
それは、この会談内容を日本で公開する為に奔走した一人の報道マンです。
彼は、この本の著者であり、このドキュメンタリー番組を製作したNHKのディレクターです。
彼はマクナマラの回顧録から、米とベトナムの対談の可能性を知る。
そして米国のマクナマラに接触し、議事録の公開と番組製作の許可をもらおうと奔走する。
当然、公開については多くの了解(米国とベトナム)が必要で、忍耐と時間を費やした。
最後には快諾され、各出席者へのインタビューも可能になった。
今までのNHKには、このように歴史的事件にとことん食らいつき、事実を深く掘り下げる気迫のあるディレクターがいる。
今後もこの気風が残ってくれると良いのだが。
< 65年、南ベトナムを訪れたマクナマラ >
マクナマラの発言
「ベトナム戦争のベトナム側指導者と直接向かい合って対話をしたい。ベトナム戦争がどうして起きてしまったのか。それぞれの局面で互いにどんな情勢判断と命令を下して戦争に突入したのか、そして戦争を回避するためにはどうすればよかったのかを本気で議論し、後世に残したい」
彼はこのように言って会談の開催を友人に持ちかけ、プロジェクトは始まった。
< ベトコン兵士 >
重要なこと
彼らの歴史に向き合う姿勢、メンツにこだわらず事実を重視する姿勢、他者への無知を潔しとしない姿勢に、米国の良心と偉大さを見る。
次回、幾つかの具体例を通して他者への無知が招く悲劇を見ます。
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