< 1.ベトナムの王宮 >
国の指導者達が如何に互いを誤解しながら戦端を開いたかを見ます。
前回に続いて、ベトナムとアメリカとの会談を参考にします。
戦争はどうして始まったのか
ベトナム戦争の始まりは、普通、60年のケネデイによる軍事顧問団派遣と考えられています。
しかし多くの戦争がそうであったように、開戦へと次第に高まる状況があったのです。
最も重要なのは国の指導者の意識で、それが誤解によるものであれば悲劇です。
< 2.蒙古がベトナムに襲来 >
幾多の誤解
開戦に向かわせた誤解を会談から拾います。
マクナマラ元国防長官
「我々は、ベトナムと中国の堅い同盟関係を信じて疑わなかった。だからベトナム戦争の終了後、わずか数年の間に中越紛争が勃発して、・・、私は心底びっくりしたんだ」
解説
当時、米政府はベトナムと中国が一枚岩だとし、ベトナムは中国の共産化の橋頭堡であると考えていた。
このことが米国のベトナムに対する、反共勢力への援助開始、南北分断、統一選挙反対、傀儡政権支援へと向かわせた。
不思議なことに、米紙府内に、誰一人としてベトナムが独立を目指して中国と2千年もの間、戦い続けて来たこと指摘する者はいなかった。
元米国務省ベトナム専門官
「私は第二次世界大戦中、中国に行きましたが、・・、自分が中国の何が理解できないのかさえ、わからなかったのです。・・中国にいたというだけで、・・アジアの専門家ですよ!
今ベトナムの出席者から、45年にホー・チ・ミン主席からアメリカに独立を支持してくれるように働きかけた時のことが持ち出されました。・・」
解説
当初、北ベトナムは、米国を反植民地主義の旗手と考え期待もしていた。
そしてホー主席がトールマン大統領宛に先ほどの親書を出した。
しかし米国は、それに対処することなく、ベトナムは失望することになった。
そこで彼はベトナムに理解を求めたのです。
当時、米政府のアジアへの関心は中国と日本だけでした。
その中国すら理解出来ず、ベトナム語も解らない人々が情報分析官であり、当然、ベトナムからの親書の重要性を理解出来るものは居なかったのです。
< 3.ホー・チ・ミン主席とボー・グエン・ザップ将軍 >
米のベトナム戦史学者
「アメリカは確かにアジアについて無知だったかもしれません。しかし無知の責任の一端はベトナム側にもあるのではないですか。あなた方はアメリカの政策責任者に対して、ベトナムが何を目指しているかということや、平和的解決を望んでいることなどを、全く説明しなかったのではないですか」
解説
米側は、ベトナムは当初から民族独立を目指していたことを会談で確認していた。
当時、なぜベトナムはこの説明努力をしなかったのだろうか。
元北ベトナム外務省対米政策局員
「我々は、アメリカと戦争を始める前に、10年間もジャングルの中でフランスとの独立戦争を続けていたのです。我々は、世界の情勢についてほとんど知るすべはありませんでした。・・・、アメリカというこの新しい敵についてはほとんど何もしらなかったのです。・・、私にはそんなことが可能だったとは到底思えません」
< 4.同時多発テロ事件 >
まとめ
この誤解は、ほんの一部で、最初の引き金になったものです。
後に、誤解と報復、力による脅し、血を厭わない徹底抗戦へと進んだのです。
実にたわいない話で、当時の指導者達の誤解とミスに呆れてしまいます。
当然、当時は戦意鼓舞のために、政府はこのような疑いに触れず、国民には敵と敵意を断言していた。
この4年後の2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件の報復に、米国はまた戦へと深入りしていきました。
今回で、ベトナム戦争関連は終わります。
No comments:
Post a Comment
どうぞご意見をお書き下さい。Please write an opinion.