20201118

中国の外縁を一周して 56: 中国と北欧、そして日本 1

  




*1

 

 

これから数回に分けて、テーマ毎に中国と北欧を見比べます。

今回は、余生と余暇の過ごし方を紹介します。

そこには日本では考えられない光景がありました。

 

 

 

 

< 2. 北欧と中国と日本 >

 

上: 黄色枠が北欧三ヵ国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)。

赤枠が中国、ピンクの矢印が日本です。

フィンランドも北欧ですが、旅をしていないので省きます。

上記三ヵ国はスカンジナビア三国と呼ばれ、同じ民族、ヴァイキング、国の成り立ちで共通することが多い。

フィンランドは民族が異なる。

 

下: 今回紹介する北欧三ヵ国の撮影地

ABはスウェーデン、Cはノルウェー、DEFはデンマークです。

 

今回紹介しているのは2018年5月31日~6月10日の旅行時のものです。

また1984年11月中旬にも、デンマークとスウェーデンの首都観光と近郊の会社視察に行ったことがありました。

この時は厚い雲と雪の季節だったので、まったく印象が異なります。

 

 

 

< 3. 中国の撮影地 >

 

Gは廈門、Hは開封、Iは麗江、Jは昆明です。

 

今回紹介しているのは2019年10月16日~29日の旅行分です。

これ以前、30年間ほどの間に幾度も中国を訪れています。

 

 

 

< 4. 北欧と中国の楽しみ方 >

 

上: A スウェーデンの首都ストックホルム近くのメーラレン湖にて

2018年6月3日、日曜日、午前10時頃撮影。

 

クルーズボートでストックホルムから20分ほど行くと、市民が岸で日光浴していた。

この辺りは住宅地で、個人宅やマンションが丘の上に並んでいた。

メーラレン湖を行くと、多くの家族や恋人、友人達が岸辺や湖で日光浴やボート、ヨットを楽しんでいた。

 

下: J 昆明の翠湖公园にて

2019年10月17日、木曜日、午後4時台、公園を散策。

 

大きな公園は市民で溢れ、老若男女問わず家族や一人で、また様々なグループらがのんびり行き来していた。

 

目立ったのは、広場で大きな集団の輪を幾重にも作り、民謡に合わせて踊っていたことです。

幾つもの少数民族に別れて集団を作り、民族衣装を着ていない人も参加していた。

そこ一帯には、温かみと一体感による高揚感が満ちていた。

ただ踊りに参加している人はほとんど高齢者(50歳以上?)でした。

若い女性も稀に見たが。

 

 

この二枚の写真には北欧と中国の特徴がよく現れている。

 

季節のせいで水辺のシーンが目立つのですが、写っている人々の年齢層が違います。

共通するのは、平日の日中でも多く人が公園や水辺で過ごしていることです。

これは日本と大きく異なる点です。

おそらくほとんどの日本人は平日、日中は仕事、その後は残業、さらに休日も出勤していることでしょう。

 

 

 

< 5. カールスタッドとオスロにて >

 

これから北欧を見て行きます。

 

上2枚: B スウェーデンのカールスタッドにて

ここはノルウェーのオスロに向かう国際列車の中間点で、地方都市も見たいので途中下車しました。

2018年6月4日、月曜日、午後4時半から5時半頃まで町を散策した。

 

上: 駅前から伸びる大通りにて

まだ4時過ぎなのに、テラス席で様々な年齢層の市民が寛いでいるのが目に入り、奇異に思った。

会社勤めはどうしたのか?

しかし、歩を進めるうちに、若い人から高齢者まで、続々と通りに溢れ、見る見るうちに広場の芝生やレストランのテラス席は人で一杯になっていた。

  

中央: 5時を過ぎていましたが、若い女性のグループが川辺のテラスで水着姿で日光浴を初めた。

 

ここに来る途中の列車の車窓から、郊外の森林に囲まれた湖岸で日光浴をしている人々を見た。

 

この6月初めは、厚い雲に覆われた長い冬からやっと解き放たれ、太陽の光を存分に浴びることが出来る夏の始まりだった。

観光季節の始まりでもある。

 

 

下: C ノルウェーの首都オスロにて

2018年6月5日、火曜日、午後1時、遊覧ボート上からハーバタウンを撮影。

左にクルーズ船が見え、右1kmにオスロ市庁舎がある。

 

平日の昼、首都中心部で水着姿で日光浴を楽しんでいる。

オスロ市庁舎の辺りは観光地なので観光客は多いだろうが、この人々は市民だろう。

私はここでも驚いたが、コペンハーゲンに行って更に驚くことになった。

 

 

 

< 6. デンマークにて >

 

上: D 首都コーペンハーゲンに近い古都ロスキルにて

2018年6月7日、木曜日、午後1時半頃、大聖堂近くの広場で撮影。

 

高齢者がほとんどで、夫婦や数人のグループが多く、レストランのテラス席で陽を浴びながら、談笑して寛いでいた。

おそらく周辺の市民だろう。

 

下: E 首都コーペンハーゲンの運河にて

2018年6月7日、木曜日、午後4時半頃、運河を行くクルーズボートから撮影。

 

首都の運河の至る所で、日光浴、ボート、カーヌーに興じ、海に近い方では中高生達が泳いでいた。

若い恋人や友人同士、そして家族で楽しむ姿が印象的でした。

それも平日の午後4時を過ぎたばかりなのですから。

 

 

 

 

< 7. コペンハーゲンとヘルシンゲルにて >

 

上: 首都コーペンハーゲンの運河にて

上記と同じ。

 

下: F クロンボー城のある港湾都市ヘルシンゲルにて

2018年6月8日、金曜日、午後4時半頃、街中にて。

 

この町はクロンボー城と、対岸スウェーデンを結ぶフェリーで人は行き来するのですが、通りは賑やかとは言えない。

それでも通りのテラス席は、談笑する市民でほぼ埋まっていた。

 

 

 

 

< 8. G 廈門の公園にて >

 

これから中国を見て行きます。

 

2019年10月16日、水曜日、午前9時台、市内の公園にて撮影。

この公園は昔ながらの街中にあり、古くからの市民が来るところのようです。

 

上二枚: 広い緑豊かな公園の木陰では、高齢者グルーブが至る所に陣取り、仲間と楽しい時間を過ごしている。

一人の人はほとんど見かけなかった。

男性グループは将棋などの盤ゲームをやり、女性グループはそれぞれに異なった踊りや体操を行っている。

以前に比べれば、太極拳などの伝統的なものは減って来た。

 

下: 中国式の譜面を見て集団で詠じている。

西洋音楽ではない。

 

中国では男女別々に集まり興じる事が多い。

体操や太極拳、詠いは一緒にやることはあるが。

また若い人はほとんど居らず、概ね50歳代以上のようです。

 

後に、公園に付属の小さな動物園を訪れたのですが、そこはお爺さんとお婆さんと孫一人の三人連れで一杯でした。

中国では、若い夫婦は、一人っ子を親に預けて共稼ぎをしている。

孫の保育園への通いも親がやるのでしょう。

親は概ね50~55歳から定年となり、年金生活に入る。

都会では、働かなくてもやって行けるようだ。

 

 

 

< 9. 開封と麗江にて >

 

上: H 開封のメインストリートの夜市にて

2019年10月20日、日曜日、午後7時頃撮影。

 

非常に賑やかだが、子供の姿はほとんど見かけなかった。

若いグループと夫婦、年配のグループが多かった。

 

 

下2枚: I 麗江の黑龙潭公园にて

2019年10月25日、金曜日、午後4時頃撮影。

 

公園で盤ゲームや楽器演奏に興じる人々を数組だけ見かけた。

多くは無かった。

この公園内はほとんど観光客が行き交っていました。

 

中国では有料の公園や神社仏閣でも、60歳以上になると、ほとんどで半額から無料になっているので、市民は利用しやすい。

昔に比べると、趣味の範囲が広がり、伝統的なものから新しいものまで多様になっているようだ。

 

 

* 余生と余暇の過ごし方

 

² 中国と北欧で異なること

北欧では、午後4時を過ぎると、多くの人は職場を退出する。

北欧の労働時間は日本より約3割は短く、育児休暇もかなり長い。

北欧の住居は職住接近で、人は平日でも家族や友人と共に家庭や自然の中で過ごすことが多いようです。

 

中国では、定年を迎えれば50歳代の若さで日々、のんびり暮らし、孫と遊び世話をするのが日課となる(定年は男性が女性よりも遅い)。

だが若い夫婦や独身、学童は忙しいようだ。

また都会で暮らす地方出身者には苦しいかもしれない。

 

 

² 中国と北欧に共通していること

共に定年後はのんびり暮らし、共に広場や自然の中で仲間や家族と過ごしている。

北欧の定年は中国より遅いが、日本や中国よりも豊かに過ごしている。

 

共に福祉制度、年金制度が整っているからで、日本人が連想する重税感や社会主義国の重苦しさとは無縁です。

北欧二ヵ国については34年前にも訪れて、現地の人に話を聞いており、今回の訪問で、高福祉社会の豊かさが更に良くなっていることを実感できた。

中国の福祉制度は年々改善されているようで、経済成長に連れて更に良くなるでしょう。

 

 

 次回に続きます。

 

 

 

 

20201112

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 11: 二重かずら橋

  


*1

 

これから数回に分けて祖谷を紹介します。

祖谷には深い渓谷美と日本の原風景が残っています。

この旅では、平家の落人伝説と山村の風景を中心に見て回ります。

今回は、二重かずら橋を紹介します。

 

 

 

< 2. 祖谷の全景 >

 

上: 見越から祖谷を見下ろす

剣山の登山リフトを降りた見越から、西側を見ている。

これから、この祖谷川沿いに下って走る。

 

下: 剣山と奥祖谷(一部)の全景、上が東側です

赤矢印が剣山山頂、白矢印が見越から上の写真の撮影方向、白四角が二重かずら橋の位置です。

ピンク枠は、平家落人伝説が点在する地域です。

剣山山頂付近の草原は平家の馬場として使われたと伝えられている。

他は渓谷の急斜面に張り付くように遺跡が点在する。

 

徳島県三好市の奥祖谷は、写真の下側、祖谷川の下流へと更に続きます。

 

 

 

< 3. 祖谷の位置と平家の落人伝説 >

 

上: 四国の旧街道と奥祖谷

黒矢印が二重かずら橋、赤枠が奥祖谷、上部の赤矢印が屋島です。

奥祖谷は、北は香川県の瀬戸内海岸、東は徳島県の紀伊水道や太平洋岸(海陽町)、南は高知県の太平洋岸の中間点に当たる。

この地は奥深く険しいが故に、行者や山林を生業とする人だけが行き交った。

このことが、源平合戦の後、平家の落人が祖谷川を遡り、この地に住み着いた理由だろう。

 

下: 平家物語で語られている安徳天皇入水のシーン

平家は屋島(香川)、次いで壇之浦(下関)で源平合戦に敗れ、没落する。

安徳天皇は8歳で、壇之浦で清盛の妻に抱かれて入水したとされる。

 

しかし安徳天皇は入水せず、落ち延びたとする伝説が各地に残っている。

東は青森県から、西は九州まで十数カ所知られている。

長崎県対馬にもあり、逃れた安徳帝が対馬の大名、宗氏の祖になったとされている。

四国には二つあり、一つがこの祖谷です。

 

さらに平家の落人伝説は全国に80件ほど知られている。

当然、平家一門の子孫が各地に逃れて住み着いたはずです。

ただ当時は存在が知れると、源氏の追捕が来るので極秘にしたはずです。

 

これら伝説には、集団や家系などの正統性を高める狙いでつくられたものもあるだろう。

それにしても、この祖谷には安徳天皇ら一行が暮らしていたとしても不思議ではない、そんな趣がある。

 

 

 

< 4. かずら橋に到着 >

 

渓谷沿いの細い道に、並行して駐車場がある。

 

上: 上流側を望む

右に料金徴収の小屋、その左にかずら橋に降りる階段が見える。

 

下: かずら橋に降りる階段

 

 

 

< 5. 一番目のかずら橋 >

 

ここにはかずら橋が二つあり、また野猿(やえん)もある。

今から渡ります。

 

 

 

< 6. 一番目のかずら橋を渡る >

 

下: 橋の中央から望む

ここの看板の説明によると

祖谷にはかつてかずら橋が13あり、生活道として使われたが、現在はここの二つ以外、西祖谷の一つしか残っていない。

このかずら橋は約800年前、平家一族がこの地に逃れ、剣山の草原(頂上付近?)を馬場とし、軍馬の調練に、また木こりや漁師などが利用した。

 

 

 

 

< 7. 一番目のかずら橋から下を見る >

 

古くは「シラクチカズラ」と呼ばれるつる植物で造られていたが、今は目立たないようにスチールワイヤーで補強されている。

それでも下を見ると、木材の隙間から十数メートル下の川が迫って来る。

やはり緊張する。

 

 

 

< 8.渡り終えて >

 

川に沿って上流に向かう。

 

 

 

< 9. 野猿(やえん) >

 

左上: 川幅の中央に野猿が見えた

 

右上: 野猿のロープを手繰り寄せ、野猿に乗り、川の中央から二つ目のかずら橋を写した。

 

下: 野猿の内部から反対側の乗り口を見ている。

現在は二本のワイヤーロープで野猿を吊っているが、昔はどうしたのだろうか?

恐らくはこの川を渡る装置は近代に始まったのだろう。

 

 

 

< 10. 二つ目のかずら橋 >

 

 

 

< 11. 二つ目のかずら橋と桟道 >

 

後に、西祖谷のかずら橋も紹介しますが、こちらの方が周囲に人工的な建造物が少なく、趣があります。

見たことはありませんが秋の紅葉は素晴らしいでしょう。

ただここに来るのが不便な事と小さい駐車場(30台ほど)が欠点です。

 

次回に続きます。

 

 

20201106

世界が崩壊しない前に 33: 今、世界は試されている

  



*1

 

 

今まで、人類が如何に地球規模の危機に晒されているかを指摘して来ました。

しかし危機そのものよりも、我々が対処出来ない状況に陥っている事こそが致命的なのです。

今まさに、米国と日本で、その致命的な状況から脱せられるかが試されている。

 

 

 

** 米国で何が起き、何が試されているのか?

 

今、大統領選の開票が進んでおり、トランプかバイデンかはまだ決していません。

私はトランプが再選されれば、世界は危機に対処できず、破滅に限りなく近づくと考えます。

先ずトランプ以外が大統領になり、米国が分断から立ち直る事が必要なのです。

米国民の良識が試されているのです。

 

 

* トランプ大統領の何が問題なのか?

 

トランプ再選を熱望しているのは、共和党、経済重視派、宗教的保守層、白人などに多い。

彼らはトランプに託す夢が本当に叶うかどうかを考慮せず、刹那的にすがっているように思える。

 

例えば、トランプになってから株価も失業率も好調でした。

しかし、これは単に景気の波、さらには大きな副作用を伴う減税と金融緩和策が大きい。

副作用とは、リーマンショックを上回る金融危機やデフォルトなどです。

他の経済・貿易政策や規制緩和、いずれをとっても一時的には良いかもしれないが、禍根を残す。

外交政策も然り、例えば保守的な福音派にイスラエル重視の政策は人気が高いが、これは半世紀以上も米国が中東を混乱に陥れた要因です。

 

いつの間にか、米国は後先を考えず、なりふり構わず、エゴ剥き出しの社会になってしまった。

 

これは40年ほど前、共和党の変質から始まった。

一部の議員が「政治は戦争」と豪語し、対立する議員や党を過激な言説で非難し、またこれが絶大な人気を得た。

従来、自粛して来た異例の議会闘争や大統領弾劾などを行使し始め、やがて両党が泥仕合するようになった。

そして共和党は、ティーパーティーなどのポピュリズムのタカ派に主導されるようになった。

こうして米国は、政治家の撒き散らした害悪によって分断が進んだ。

 

 

* この社会の分断はどんな問題をもたらすのか?

 

最近のトランプ大統領の言動がその危険を如実に示している。

彼自身のあらゆる疑惑捜査を人事権を使いあからさまに妨害し、この大統領選では、暴力や訴訟などにより開票を妨害することも辞さない。

彼は目的の為には多くの嘘を自ら発信し、暴力すら容認し、明らかに規範と社会正義を破り続けている(法律違反ではない)。

それでもトランプ支持者は彼を信奉し、共和党首脳部も沈黙し容認し続けている。

 

このまま進めば、米国は独裁国家になり果てるだろう。

彼の場当たり的で人気取りだけの政策では、やがて米国を破局に追い込むだろう。

ファシズムに走ったドイツや日本、南米やアフリカの独裁国家のように。

 

これは他人事では済まない。

超大国の米国が軍事で暴走したり、現在のように世界の協調体制を崩しにかかると、地球規模の危機への対処は断たれることになる。

私は、このことを最も恐れる。

 

今、一縷の望みを託すのは、対立を煽るトランプを米国民が退場させる選択をすることです。

 

 

 

*2

 

* これは米国だけの問題ではない

 

既に見たように、日本の政治状況と瓜二つです。

 

国会での証拠書類の隠蔽・捏造、証人喚問拒否など、内閣に都合の悪い事はすべて隠された。

また首相は恣意的に日銀総裁、NHK会長、法制局長官を替え、検事総長まで手をつけようとした。

今また、政府に批判的な日本学術会議メンバー6人の任命を拒否した。

 

これはトランプほど極悪ではないが、国会の民主的な運営を破壊し、亀裂を更に深める。

このような規範破りの繰り返しを許していると、日本もまた独裁国家に返り咲くだろう。

 

 

 

*3

 

* これは日本の中央政府だけではない

 

先日の大阪都構想のドタバタにも、不安な兆候があった。

これは維新により、良いイメージだけが刷り込まれ、大阪市廃止に伴う負の側面が住民には知らされていなかった。

しかし大阪市を廃止する案は住民投票でギリギリ否決され、救われた。

この類は、端的に言えばポピュリスト的な人気を背景に、改革と言う名に便乗し、一気呵成に体制転換を図る企てでした(それほど罪深くは無いが)。

 

この状況はトランプ大統領や安倍首相を生み出している社会背景に通じる。

この手の社会が熱烈歓迎する人物がトランプであり、安倍と橋下なのです。

少なくとも、彼ら三人は正に類は友を呼ぶ関係にある。

 

 

* 日本と欧米が陥っている社会状況こそが元凶です

 

今、米国の分断、日本の右傾化、欧州のポピュリスト政党急伸が同時的に起こっている。

個々に見れば、白人と共和党、日本会議と自民党、移民拒否とタカ派政党が結びついたことによる。

そして社会は分断され、民主主義が危機に晒されている。

 

これは、長期の経済低迷と格差拡大、人種差別が激しい国で際立って起きている。

約80%の国民の所得が伸びない、中間層が没落している国々で起きている。

言い換えれば、自由放任で金融重視の経済(新自由主義)が浸透している日米欧の国ほど酷い。

 

つまり、多くの国民(中間層)は徐々に疲弊し、何ら解決が期待できず、マンネリ化した政府に嫌気を差していた。

さらに、欧米では移民と難民が社会問題化し、これに「文明の衝突」の宗教的な対立が加わり、人種差別は激しくなった。

日本では、大戦を引き摺る隣国のいがみ合いが、民族差別を強めた。

 

ここで根源的な問題は経済低迷と格差であり、人種や民族間の差別は付随的なものなのです。

差別はスケープゴートであり、ヒトラーがユダヤ人を悪玉に仕立て上げのと同じ手合いです。

結局、ナチスが台頭した時のように、中間層(米国の白人)が没落を食い止めんが為に、荒療治にすがっているのです。

 

 

** 最後に

 

未だ米国の結果は出ていないが、米国民は恐らく良識ある判断をするだろう。

日本国民も民主主義の破壊に「No」と言わなければならない。

トランプや安倍が去っても、都構想が潰えても、問題は解決しないが、再起の可能性が見えた。

 

根本的な解決には、

一つには、政治に良識と規範が復活し、議員が民主主義を守る為に自粛する時代へと戻ることです(かつて米国にはあった)。

今一つは、社会経済を悪化させている新自由主義の政策から脱却しなければならない(自民党や維新はまだすがっている)。

その為には、国民が政治を監視し、選挙を通じて参加して行くことです。

 

これを成し得てこそ、世界はやっと協力して、地球温暖化やパンデミック、資源枯渇、核拡散などの巨大な危機に立ち向かうことが出来るだろう。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

20201105

中国の外縁を一周して 55: 驚き、感動、そして真実が

 



*1



今回は、かつて私が中国広州を訪れて驚き、悪い噂がデマだったと知った経緯を紹介します。

よく似た例として、長崎県対馬の体験も紹介します。



< 2.当時の広州 >


上: 広州と北京、香港との距離を示す


下の写真: 1980年代の広州のものらしく、借用しました。

広州駅も、通りを往く人々の姿も、このようでした。



* 1980年代後半に広東省広州を訪れて


私は以前から中国の歴史に惹かれ、また共産主義国家の行く末に関心がありました。

当時、中国経済と社会について幾らか本を読んでいました。

多くは中国を不安・危険視するものでした。

恐ろしい監視社会・独裁国家、悪い治安、低い文化水準など・・・


私は会社の慰安旅行で、当時珍しかった広州を1日観光することが出来ました。

そこで私は観光では物足り無くなり探索に出かけました。

広州の中心街を、夜の9時頃から一人で歩き始め、ホテルに戻ったのは朝の2時になりました。


夜が更けると、驚いたことに市民が家族総出で家やアパートから続々と出て来るのです。

この日はたまたま週末だった。

見る見るうちに広い通りは人波で溢れ、公園はアベックで一杯になり、行き交うバスからは人がはみ出しそうでした。

通りに面した料理店や、小さな飲食店の前にはみ出したテーブルは、飲み食いし談笑する市民で一杯になりました。

賑わいは深夜まで続きました。


公園の近くでは、一組の若い男女が街灯に照らされた陸橋の上でキスをしていました。

近くに警察官が居ましたが、彼らは気にしていない様でした。


信号のない大きな交差点を渡ろうとしたら車と自転車が接触事故を起こしました(当時、道路は自転車で埋め尽くされていました)。

多数の市民が、野次馬も含めて、その車を囲み何人かが口論を始めた。

その集団に紛れ込み、様子を見ていると、皆が裁定を下そうとしているようでした(暴力沙汰にはならなかった)。


数時間の町歩きで、私は市民が活力を漲らせ、自由を享受していることに感動し、これなら中国は必ず経済発展すると確信した。


< 3. 開放政策と大躍進 >


上: 鄧小平の視察(南巡)

下: 現在の広州


今の大躍進の画期となった鄧小平の開放政策は、彼が広東省広州などを視察したことで自信を得たと後で知った(1992年の南巡講話)。

この広州の活力は、ひとえに自由貿易の香港に隣接し、北京の監視から遠い事にあると、現地の通訳から聞いて納得した。

これはベルリンの壁崩壊以前から、東ドイツ市民がラジオで西ドイツの状況を熟知していたことに似ている。

そういえば清朝を倒す立役者となった孫文は、この広東の出身です。


結局、日本に閉じ籠って、偏向したメディアや論客の話を鵜呑みにしていると、間違いを犯すことになる。



< 4. 対馬の位置 >


上: 対馬は南北に細長い島で、韓国に非常に近い

赤印は中心都市の厳原、黒印は韓国との行き来が便利な比田勝港です。


下: 島の全体図



* 2020年秋、対馬を訪れて


対馬は、大陸文化の中継地として古代日本、朝鮮半島との交流、元寇、倭寇と密接に関わっています。

やっと念願の長崎県対馬の旅行に、この10月に行ってきました。

後に詳しく紹介しますが、一つだけ上記に関連したことを紹介します。


数年前、対馬は韓国の観光客に荒らされていると報じられていた。

それで現地の商店や案内所、さまざな人に様子を聞きました。

その答えは意外なものでした。


概ね、商店やホテルの人は、韓国人に対して悪いイメージはなく、むしろコロナなどによる訪問客の減少を嘆いていた。

観光案内所に聞くと、対馬を訪れる韓国人の割合は、ピーク時でも国内の訪問者より少なく、影響は大きくないとのことでした。

一般の人に「何か問題はありますか?」と聞くと、韓国人が道端で立ち食いするのが目に付くぐらいだと漏らした。



< 5. 対馬のメインストリート >


上2枚: 厳原


下  : 比田勝


ハングル語を見たのは厳原では稀だったが、比田勝では若干見ることが出来た。



対馬を2日かけてバスで移動してわかったのですが、商店街がハングルの看板で溢れていることはなかった(中心都市の厳原でさえ)。

現地ガイドの一人は韓国人(名前と訛りから)のようでした。


さらに70歳ぐらいのベテランガイドに聞くと、さらに予想外の答えが返って来た。


元々、対馬には戦前から朝鮮半島の人々が多く住んでおり、社会に溶け込み、仲良くしていたそうです。

つまり韓国人の突然の大挙訪問が、対馬を混乱させることはなかったのです。

ただ、釣りを目当てに来る韓国人が、大量の撒き餌で海で荒らしたようです。


「韓国で迷惑している」は、明らかにメディアの煽りだった。

この手の話は、北欧でも沖縄でも経験しました。



このように流布しているデマは、現地を訪れて自ら確認しないと、虚実が分からない。

日本ではメディアが意図的に他国を貶める煽情を行い、また国民も洗脳され易い(日本の体制に反する社会を否定する)。

実に残念です。



次回に続きます。





20201101

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 10: 剣山登山 3

 


 *1

 

今回で、剣山登山の紹介を終わります。

下りは変化に富んだ遊歩道コースを選びました。

 

 

 

*2

 

上: 次郎岌(ジロウギュウ)に向かう稜線から左(東側)を望む。

この位置から、右に折れて遊歩道コースを下ります。

 

下: 遊歩道コースを進み始めた

 

 

 

< 3. ザレ場 >

 

上 : 振り返ると次郎岌が見える

 

この遊歩道コースは緩やかで、視界も開け、変化に富んでいるので良いのですが、一つだけ難点があります。

それはガレ場やザレ場が数ヵ所あることです。

 

下右: ザレ場の一つ

ザレ場は、岩屑がこまかく小石や砂を敷いたような場所で、非常に滑りやすい。

そして下左の写真のように、落ちたらかなり下まで滑り落ちることになりそうです。

 

 

 

< 4. 雄大な眺め >

 

上: 中央、山の斜面に突き出している岩が、登りの時にも見た御塔石です。

 

下: 次郎岌

 

 

 

< 5. 変化に富んだ道 >

 

上: ガレ場

数多くの石が右の山側から崩れ落ち、道に重なっていました。

写真は、右側を写したものです。

 

 

 

< 6. 御塔石 >

 

下: 御塔石

 

 

 

*7

 

 

 

< 8. 変化に富んだ道 >

 

実に様々な表情を見せてくれる登山道です。

遠くの山並みを眺望し、スリルがあるガレ場と森の小道を抜け、涼風を味わいながら、また木陰の道を進むとやがて終わりが来る。

 

 

 

< 9. 登山リフトの駅 >

 

上 : 登りで通過した鳥居に戻って来た。

 

左下: 振り返ると頂上ヒュッテの青い屋根が見える。

 

またチャレンジしたい!

今度は、登りの道を替えて、ヒュッテに泊まり、朝陽を拝んで、次郎岌を越えて行きたい!

 

右下: 登山リフトを降りる

 

 

次回からは、平家の落人伝説を追って、山村を巡ります。

 

 

 

 

 

 

20201029

中国の外縁を一周して 54: 私にとっての中国旅行

  












*1

 

 

これから中国旅行を通して感じたことを記します。

これまでの海外旅行と中国旅行の関わりから始めます。

 

 

 

< 2. 私の海外旅行 >

 

私は、60歳定年を機に、夫婦で海外旅行を始め、10数年が経ちました。

私は、会社勤めの時も会社からの視察や慰安旅行などで海外に行ったことはありましたが、多くは定年後です。

訪問した国は、約30年間で35ヵ国ぐらいです。

 

地図に訪問地を表しました。

多くは緑枠の西ヨーロッパ(ドイツ、フランス、スペインなど)と茶色枠の東アジア(中国、台湾、韓国)です。

他にピンク枠の東欧(チェコ、ハンガリーなど)、バルト三国、バルカン半島、ロシア、中東・アフリカ(トルコ、エジプト、モロッコ)、東南アジア(ベトナム、タイ)に行きました。

 

私にとって旅行は無くてはならないものになりました。

海外旅行は年1~2回、国内の宿泊旅行は2回ほどと、けっして数は多くありません。

しかし、2週間ほど宙に舞うほどの高揚感を味わわせてくれ、さらには好奇心と探求心を十二分に満足させてくれるものとしては、旅行に勝るものはありません。

 

特にヨーロッパを巡る旅、中世の街並みや景観、美術品、食事を味わい、そしてちょっとした人々のふれあいは何物にも代えがたいものでした。

東欧や東南アジア、東アジア、中東・アフリカの旅も、それぞれ刺激的でしたし、満足出来るものでした。

 

しかし数年前から、旅行会社のツアーでは満足できなくなりました。

 

旅慣れして、世界各地の観光地だけでなく、市民の暮らしぶりにも目が行くようになればなるほど、日本の沈滞と心にゆとりのない暮らしぶりを痛感するようになりました。

 

そして3年前、ある決心をしました。

それは世界で最も物心共に豊かな国、隣国であり最も成長著しい大国、そして日本に最も影響力がありながら病める大国を直に見ることでした。

 

最初に紺色枠の北欧(スカンジナビア三国のスウェーデン、ノルウェー、デンマーク)を選び、一人で旅行し、既に紀行文を載せました。

私は30年ほど前に一度視察で訪れ、豊かな自然と落ち着いた町並みだけでなく、企業の経営姿勢と人々の暮らしぶりに大きなカルチャーショックを受けていました。



 

< 3. 北欧の旅で >

 

 

次いで、茶色枠内の中国を夫婦で旅し、現在連載中です。

 

 

 

< 4. 中国の旅で >

 

実は、今年、赤枠のカナダと米国(ハワイも)を3週間かけて夫婦で回る予定でしたが、コロナで行けなくなりました。

来年は一人で旅行する予定です。

 

 

< 5. 米国のイメージ >

 

 

つまり、この三つの地域を旅することで、日本の将来が如何にあるべきかが見えてくるように思えるのです。

 

結論から言えば、北欧の経済と社会、暮らしぶりは予想通りすばらしいものでした。

さらに豊かで多様で持続可能な社会へと変化を遂げているのに脅かされた。

日本が北欧を真似るべきかは別にして、北欧が大戦後の社会変革で、世界トップレベルの国民の幸福を実現したことを知れば、日本国民は改革に向かう必要性と方向性を理解出来るはずです。

 

一言で言えば中国は脱皮し続け、豊かさを享受し始めているように見える。

中国の経済躍進が、けっして統制経済のような押し付けではなく、活力みなぎる全員参加によるものだと知れば、腰砕けになる可能性が少ないことがわかるはずです。

また国民の暮らしの向上や、大多数の少数民族に不満や問題が無いことを知れば、中国への不安も減るでしょう(北欧に似たものを感じた)。

 

一方、まだ見ぬ米国を調べれば調べるほど荒れていることに驚く。

巷に溢れるホームレスや頻発する凶悪犯罪を知れば、怖くて旅を躊躇してしまう。

さらにトランプ大統領によって社会の分断と民主主義の破壊も進んでいる。

これらが著しい格差拡大と人種や移民への差別の結果だとしたら、根は深く、米国に未来は無いかもしれない。

やはり、この目で確認しなければ、今後の日米関係を語れない。

 

ところが隣り合い同じ経済圏・英語圏でもあるカナダは、不思議な事に米国とは違い、国民の幸福度など社会指標はすこぶる良い。

この理由が分かれば、さらに米国の真実に近づけるかもしれない。

 

私が今望んでいることは海外を旅し、世界を知り、日本を振り返ることです。

 

 

 

< 6. 中華圏の旅 >

 

私は、会社と個人の旅行を含めて10回ほど中華圏を訪れています。

最初に訪れたのは1980年代だったでしょう。

従って、社会と経済の変化を身をもって知ることが出来ました。

 

今回の旅行を赤色と水色で示し、赤線は新幹線、赤丸は訪問都市、水色線は空路を示します。

ピンク色は過去の訪問地で、直線は列車と車で、丸は訪問地です。

訪問した都市は、中国で2回行ったのが北京、上海、廈門(客家土楼も)、1回行ったのが桂林、洛陽、西安、蘭州、成都、麗江、昆明、香港、広州です。

台湾は、台北と台湾一周の2回行っています。

訪れた間隔は10年から30年ほど空いているので、生活水準や町の景観の変化がよくわかりました。

 

最も古い訪問は、香港、広州、廈門、台北です。

20年以上経ってから再訪した台北と廈門の著しい発展に目を見張った。

 

私にとって中国は、日本に多大な宗教的・文化的影響を与えた国であり、その歴史を知ることは、日本の精神文化を知る手掛かりとなる。

また中国の歴史は多様で始原的で、興味深いものがある。

 

またここ30年ほどの中国の大躍進は目を見張るものがあり、冷戦後、地に落ちた感がある共産主義にも、何か経済改革のヒントがあるように思えて来た(漠然としているが)。

おそらく20年以内に、GDPで米国を抜き、その後米国を引き離すだろう(韓国も日本を抜くことになる)。

こうなると中国は、日本にとって再重要な経済パートナーになるはずだ。

 

そうは言っても中国の軍事膨張には不安が残る。

この問題を冷静に判断するには、独裁化し軍事行動を頻発している大国との比較が重要です。

また中国の軍事行動の歴史を知る必要もある。

 

私達日本人は、どうしても島に閉じ籠りがちで、小さく自己満足に陥り、納得し、洗脳されしてしまい易い。

これを打破しない限り、世界から取り残され、偏向していることすら気付けず、当然、本当に必要な改革論議は掻き消されてしまう。

 

これこそ日本衰退の遠因だろう。

私が薦める「海外旅行」とは、日本の閉塞状態に気付く旅なのです。

 

 

次回に続きます。