20140218

社会と情報 22: 目次と要約 1~21話


これまで21話の記事を書き、約半分が終わりました。
これまでの記事の目次と要約を一覧にします。

目次と要約



 

9話まで、米国の内部後発を振り返り、社会と組織が再生する様子を見ます。
告発が起きる理由、告発者の葛藤、告発の価値について考えます。
国境警備で起きた内部告発を見ます。
 


内部告発に対する色々な見方を検討します。
タバコ産業を敵に回した内部告発を見ます。



タバコの害を訴えた告発が世界に与えた影響を見ます。
告発の経緯を見ます。



この告発事件は映画「インサイダー」で描かれました。
告発者が企業から徹底的に迫害され、最後に勝利する様子を見ます。



告発者のその後の活動を見ます。
内部告発を生みだす米国文化と告発者保護を見ます。



米国において、なぜ内部告発が注目されるようになったのか?
その背景を見ます。



19話まで、ベトナム戦争を振り返ります。
そこには政府と報道機関、国民を結ぶ情報が如何に重要な役割を果たしているかを見ます。
ベトナム戦争を概観し、政府が隠蔽する真実を告発する経緯を見ます。
この告発は米国の反戦ムードに油を注ぐことになった。




この告発事件はドキュンメンタリー映画になった。
巨大な国家を敵に回す孤独な闘い、ついには社会が彼を認める様子を紹介します。



ベトナム戦争へのレールは第二次世界大戦後から敷かれていたのです。
その原動力は情報によって作られた目に見えないイデオロギーでした。

11.       戦争拡大の道のり


ベトナム戦争はジャングルと水田で長い年月繰り広げられた。
5人の大統領に引き継がれ拡大していった様子を見ます。
 
The society and the information 12:  I would be grateful for your understanding in the United States.



この戦争を扱う以上、どうしても米国のミスを取り上げてしまいます。
この戦争を反省材料に扱えることに感謝します。


 

ベトナム戦争を指揮した大統領府の行動パターンを見ます。
告発者エルズバーグの分析を参考にします。
 


大統領府の戦略や判断、行動の問題点を見ます。
そこには情報操作や機密扱いの問題もあります。 
 
15.       真実は如何にして

 

この戦争中、米国では大規模なデモが起こったが、直ぐには終戦とはならなかった。
それは巧みな世論操作と、真実が国民に伝わらなかったことにある。


 

ベトナム戦争で活躍した記者達の記録から、真実が如何に伝わらないかを見て行きます。
戦場の様子と主要な問題点を拾います。

17.       報道特派員の苦悩 2


テレビや新聞は、莫大な量の情報を流すことが出来た。
しかし、政府はあらゆる手段を使い、真実の漏洩防止と情報操作に手を染めた。

18.       報道特派員の苦悩 3


戦場で取材する記者は、現地政府と米軍に目をつけられると仕事が出来ない。
さらに記者も人の子、米国民だった。
  
19.       国民にとって真実とは


報道する側にとって何が真実なのか?
また国民にも知りたい真実とそうでない真実がある。

20.       他者への無知 


当時のベトナム戦争を指揮した二人が30年後に会った。
両国は、この戦争を何処で間違ったかを検証する会談を行った。
それは非常に勇気のいる画期的なことだった

21.       他者への無知 2

 

両国の討議は、たわいない誤解の連続が戦火を拡大したことに気づかせた。

今後もよろしくお願いします














































20140217

Something is strange  30: Wonderful Japanese important person

 

Recently, wonderful important persons have been displaying their competent ability at the center of public broadcasting or nation.
The posture falling forward is splendid so as to be at a loss for words.
It seems that the important persons representing Japan become Galapagos syndrome.
Because I explain the complicated situation short, please watch it easily.


最近、すばらしき要人達が公共放送や国の中枢で辣腕をふるっている。
その前のめり姿勢たるや絶句するほどすばらしい。
どうやら日本を代表する要人達がガラパゴス化しているようだ。
煩雑な状況をはしょって説明しますので、気楽に見て下さい。

Utterance of noble people (they must get noble duty essentially)

Public Broadcasting M chairman
“Because the government says, “we are right-wing”, we cannot say, “ We are left-wing””
“Since Korea say things like that only Japan did the forcible taking away, it become complex”

崇高な人々の発言(本来はそうである職務に就いている)
公共放送M会長
「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」
あのー韓国が日本だけが強制連行したみたいなこと言っているから話がややこしいのですよ。」

**

Public Broadcasting H committee
“The International Military Tribunal for the Far East was a trial fudging the massacre (by American troops)”
“If a foreign country attacks, the believer of Article 9 of the Constitution will be sent out to the front. Then they stand in front of the foreign forces, and cry ”there is Article 9 of the Constitution! Leave!””


公共放送H委員
「東京裁判は大虐殺(米軍の)をごまかすための裁判だった」
「もし他国が攻めてきたら、9条教の信者を前線に送りだす。そして外国の軍隊の前に立ち、『こっちには9条があるぞ!立ち去れ!』と叫んでもらう。」

Public Broadcasting h committee
“It is rational that a woman birth and bring up children at home, and a man supports a wife”
“By his act, emperor of our country again became a living God whether something was written in the Constitution” about suicide of right-wing man

公共放送h委員
「女性が家で子を産み育て男性が妻と子を養うのが合理的」
「彼の行為によって我が国の今上陛下は人間宣言が何と言おうが憲法に何と書かれていようが再び現御神となられた」新右翼家の自決に際して。

Information preservation meeting W chairman

“I am the last dictator” in 2011


情報保全諮問会議W座長
「俺は最後の独裁者」2011年、清武の乱のおり。

Certain prime minister

(As for the constitutional interpretation,) The chief executive is me.


某首相
「(憲法解釈の)最高責任者は私だ」集団的自衛権の答弁で。






Various interpretations
Some people believe that the culture of their country is wonderfully, the country is just right, and it is top priority to win an enemy.
From their side, the above-mentioned utterance will be epoch-making, will be reliable, and will be a very brave utterance.
On the other hand, some people believe that the culture of other country has also a good thing, own country has also wrong, and it is top priority not to make an enemy.
The both thought tended to be opposed to each other, and there was always it.

As for this matter, from the much criticism against NHK, we can say that many people have denied the important persons' utterance.


様々な解釈
ある人々は、自国の文化こそ素晴らしく正しく、敵に勝つことこそが先決だと信じる。
その人々から見れば上記発言は画期的で頼りになり、実に勇ましい発言です。
またある人々は、他国の文化にも良さがあり、自国に否もあり、敵を作らないことが先決だと信じる。
この両者の思いは対立しがちで、いつの世にもありました。

今回の件では、NHKへの批判の多さから、多くの国民は要人達の発言に否定的だと言える。

Japan being seen from world

I extracted it from news of representative information mediums.
.

The New York Times, US, Feb.2
NHK has become a place where it is hard to speak out against authority. This is unhealthy for democracy”, an opinion

BBC, UK, Feb. 5
"In a free and open society, leading figures are free to say whatever they want, but this kind of inane speech is far from productive for long-term regional stability”, an opinion


世界から見た日本
代表的な報道機関のニュースから抜粋しました。

The New York Times(米国)、2月2日「NHKは支配者に対して反対意見を述べることが困難な所になりつつある。これは民主主義にとって不健康である」と意見を紹介。


BBC(英国)25日 「自由で開放的な社会では、要人は望んでいる事は何でも言うことが出来る。しかしこの種の愚かな発言は長期の地域安定にはほど遠い」と意見を紹介。




The Straits Times, Singapore, Jan. 30
“Japan broadcaster NHK's independence at risk with new chief.  Chairman and most of the board of governors known to be pro-Abe”, the title of an article

Korea JoongAng Daily, South Korea, Feb. 15
"The U.S. ambassador in Japan refused an interview of NHK”, the title of an article



The Straits Times(シンガポール),130日 「NHKの独立は新しい会長により危険 親安部で知られている委員長と多くの経営委員」記事のタイトル

中央日報(韓国)、2月15日 「駐日米国大使はNHKのインタビューを拒否」




At the end
About Japanese important person's utterance, it is easy to criticize it as myopia.
The bigger problem is that it will become irreparable sometime if we accept this situation.
This is because it threatens peace and democracy (freedom and right) that are the most important to us.
I want to think that there is not it so, but cannot easily deny it if we know the world and the Japanese history.

I will explain it in detail sometime.


最後に
日本の要人の発言について、短絡的だと批判することは簡単です。
より大きな問題は、この状況を容認すれば、いずれ取り返しのつかないことになるでしょう。
我々にとって最重要な平和と民主主義(自由と権利)を脅かすからです。
そうならないと考えたいのですが、世界や日本の歴史を知れば簡単に否定はできない。

いずれ詳しく説明したいと思います。





20140216

In Kobe: We ate Spanish dish

the entrance of the restaurant 

< 1. the entrance of the restaurant >
There are many foreign restaurants in Kobe, and we are enjoying the taste of a foreign dish as a couple.
This time, we went to the Spanish restaurant that seems to have been built first.

神戸には外国料理店が多くあり、夫婦で外国料理を味わうのが楽しみです。
今回は、自称、一番初めに出来たスペイン料理店「カルメン」に行きました。


the restaurant

< 2. the restaurant >
This restaurant is located in a restaurant district on a mountainside of Hankyu Sannomiya Station.
There are many India, Thailand, Turkey, Russia, and Korean foreign restaurants in this neighborhood.
The restaurant was large although it was on the second floor of narrow stairs.
The lighting of the restaurant tends to dim and we have a meal with the light of a candle.


この店は阪急三宮駅山側の飲食街にあります。
この界隈には、インドやタイ、トルコ、ロシア、韓国の外国料理店が多くあります。
このレストランは狭い階段の2階にありますが、店は広かった。
店の照明は落とし気味で、ろうそくの灯りで食事をします。


Introduction of the menu
This menu was a limited edition seasonal course.


料理の紹介
今回の食事は、季節限定のコースでした。


menu

< 3. menu 1 >
This image is the dishe that came out of the top in turn.
1.       Assortment of hors-d'oeuvre (Tapas)
I am sorry, because I took the photograph after having eaten some.
2.       Seasonal Salad
It wasn’t special as seasonal dish.
3.       Egg dish of Flamenco (a dish of this restaurant tradition)
This blue flame set the mood for the dinner.

上から順番に出て来た料理です。
1.オードブル(タパス)盛り合わせ
 いくらか食べてから写真を撮りましたのであしからず。
2.季節のサラダ
3.フラメンカ・エッグ(この店伝統の料理)
この青い炎の演出は、気分を盛り上げてくれます。


menu

< 4. menu 2 >
4.       Grilled adult yellowtail with red pepper source
5.       Saute of Beef Tenderloin
6.       Paella
We can choose between the dish 5 or 6.
Finally, a dessert and coffee come out.


4.ブリのグリエ 赤ピーマンソース
5.牛ヒレ肉のソテー
6.パエリア
料理5と6は、どちらかを選ぶ事になります。
最後はデザートとコーヒーが出て来ます。

Impression 
Although I didn’t know the Spain dish, the dish was palatable and deliciously.
We tasted Iberian pork, mussel, spice without usually tasting it, and foreign atmosphere.
I was able to taste it calmly.
As the whole impression, it was a restaurant of good atmosphere at a reasonable price.


感想 
本場のスペイン料理を知らないのですが、美味しく、口に合いました。
イベリコ豚やムール貝、日頃味わうことの無い香辛料など、異国の雰囲気を味わいました。
ゆったりと味わうことができました。
全体の印象としては、手頃な値段で雰囲気の良い店でした。









20140215

社会と情報 21: 他者への無知 2



ベトナムの王宮 

< 1.ベトナムの王宮 >

国の指導者達が如何に互いを誤解しながら戦端を開いたかを見ます。
前回に続いて、ベトナムとアメリカとの会談を参考にします。

戦争はどうして始まったのか
ベトナム戦争の始まりは、普通、60年のケネデイによる軍事顧問団派遣と考えられています。
しかし多くの戦争がそうであったように、開戦へと次第に高まる状況があったのです。
最も重要なのは国の指導者の意識で、それが誤解によるものであれば悲劇です。


蒙古がベトナムに襲来

< 2.蒙古がベトナムに襲来 >

幾多の誤解
開戦に向かわせた誤解を会談から拾います。

マクナマラ元国防長官
「我々は、ベトナムと中国の堅い同盟関係を信じて疑わなかった。だからベトナム戦争の終了後、わずか数年の間に中越紛争が勃発して、・・、私は心底びっくりしたんだ」

解説
当時、米政府はベトナムと中国が一枚岩だとし、ベトナムは中国の共産化の橋頭堡であると考えていた。
このことが米国のベトナムに対する、反共勢力への援助開始、南北分断、統一選挙反対、傀儡政権支援へと向かわせた。
不思議なことに、米紙府内に、誰一人としてベトナムが独立を目指して中国と2千年もの間、戦い続けて来たこと指摘する者はいなかった。

元米国務省ベトナム専門官
「私は第二次世界大戦中、中国に行きましたが、・・、自分が中国の何が理解できないのかさえ、わからなかったのです。・・中国にいたというだけで、・・アジアの専門家ですよ!
今ベトナムの出席者から、45年にホー・チ・ミン主席からアメリカに独立を支持してくれるように働きかけた時のことが持ち出されました。・・」

解説
当初、北ベトナムは、米国を反植民地主義の旗手と考え期待もしていた。
そしてホー主席がトールマン大統領宛に先ほどの親書を出した。
しかし米国は、それに対処することなく、ベトナムは失望することになった。
そこで彼はベトナムに理解を求めたのです。
当時、米政府のアジアへの関心は中国と日本だけでした。
その中国すら理解出来ず、ベトナム語も解らない人々が情報分析官であり、当然、ベトナムからの親書の重要性を理解出来るものは居なかったのです。


ホー・チ・ミン主席とボー・グエン・ザップ将軍

< 3.ホー・チ・ミン主席とボー・グエン・ザップ将軍 >

米のベトナム戦史学者
「アメリカは確かにアジアについて無知だったかもしれません。しかし無知の責任の一端はベトナム側にもあるのではないですか。あなた方はアメリカの政策責任者に対して、ベトナムが何を目指しているかということや、平和的解決を望んでいることなどを、全く説明しなかったのではないですか」

解説
米側は、ベトナムは当初から民族独立を目指していたことを会談で確認していた。
当時、なぜベトナムはこの説明努力をしなかったのだろうか。


元北ベトナム外務省対米政策局員
「我々は、アメリカと戦争を始める前に、10年間もジャングルの中でフランスとの独立戦争を続けていたのです。我々は、世界の情勢についてほとんど知るすべはありませんでした。・・・、アメリカというこの新しい敵についてはほとんど何もしらなかったのです。・・、私にはそんなことが可能だったとは到底思えません」


同時多発テロ事件

< 4.同時多発テロ事件 >

まとめ
この誤解は、ほんの一部で、最初の引き金になったものです。
後に、誤解と報復、力による脅し、血を厭わない徹底抗戦へと進んだのです。

実にたわいない話で、当時の指導者達の誤解とミスに呆れてしまいます。
当然、当時は戦意鼓舞のために、政府はこのような疑いに触れず、国民には敵と敵意を断言していた。

この4年後の2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件の報復に、米国はまた戦へと深入りしていきました。

今回で、ベトナム戦争関連は終わります。










20140214

Go around the world of Buddha statues 11: the statues of Korea and Japan 3

 MentuhotepⅡ, Cairo, the 21st century BC 
< 1. Mentuhotep, Cairo, the 21st century BC >
I infer the reason why the Buddha statues of Korea and it of Japan have been different.

A thing I thought firstly
The above figure was the great king who revived Ancient Egypt that had been in disorder.
When I watched it in Cairo museum once, I felt a sense of incongruity to the thickness of the leg.
It was unbecoming in the wonderful statues of Egypt.
According to one of the reasons, the art seemed to have declined by a long-term disorder of the dynasty.
I thought that expression of the face of the Korean Buddha statues would be the same as the above reason.
It is because Joseon Dynasty abolished many temples and oppressed Buddhism.


韓国と日本の仏像が異なる理由を推理します。

私が最初に思ったこと
上図は動乱に陥ったエジプト王朝を再興した偉大な王であった。
かつて私がカイロ博物館でそれを見た時、その足の太さに違和感を覚えた。
それはエジプトの素晴らしい彫像美術に似つかわしくなかった。
その理由の一つに、長期の動乱により芸術が衰退したことがあるらしい。
韓国仏像の顔の表現は、上記理由と同じだろうと考えた。
朝鮮王朝は多くの寺を廃止し、仏教を抑圧したからです。


Another reason
However, while I investigated, I noticed bigger reason of history and geopolitics.

別の理由
しかし調べて行く内に、もっと大きな歴史と地政学的な理由に気づきました。 


Kongorikishi

< 2. Kongorikishi >
A:  Tibet, others are unknown
B:  China, Dun Huang, latter half of the 9th century
C:  China, Beijing, this temple was founded in Yuan Dynasty (the 13~14th century)
D:  Japan, Todai-ji temple, Kamakura period, 1203

I think the expression of the face of Kongorikishi statues is almost the same in all the areas of Mahayana Buddhism.
The crown of C image resembles the thing of Tibet.

A: チベット、年代不明。
B: 中国、敦煌、9世紀後半。
C: 中国、北京碧云寺、寺創建が元時代(13~14世紀)。
D: 日本、東大寺、鎌倉時代、1203年、運慶・快慶作。
金剛力士像の顔の表情は、大乗仏教の全地域でほぼ同じように思える。
Cの宝冠はチベット仏教のものに似ている。



a image that was pictured in a gate of a Buddhist temple in Korea

< 3. a image that was pictured in a gate of a Buddhist temple in Korea >
Although I see this picture as a soldier of Yuan Dynasty (Mongolia), a Kongorikishi image should usually be pictured here.

私には、この絵は元王朝(蒙古)の兵に見えるが、普通、ここには金剛力士が描かれるはずです。

Influence of Yuan Dynasty
The 10-14th century was a period when horseback races of the North rose in the whole land of Asia.
The Korean Peninsula had a border with many nations of horseback races at the north edge.
Yuan Dynasty (12711368) became the Asian greatest empire at last and ruled the Goryeo dynasty (9181392) of Korean Peninsula.
Because this empire recommended Tibetan Buddhism, a common point of the Buddha statues among Tibet, Mongolia, China, and Korean Peninsula was born.
Then the influence remains after the 14th century.

On the other hand, after an extinction of Tang Dynasty (the 10 century), when China came in disorder, Japan entered the closure of the country.
Therefore, Japan of an island country came to develop the different Buddhist art from a continent.


元王朝の影響
10~14世紀は北方騎馬民族がアジア全土に勃興した時代でした。
朝鮮半島は北で幾多の騎馬民族国家と接していました。
ついに元(12711368年)がアジア最大の帝国となり、朝鮮半島の高麗王朝(918~1392年)も支配しました。
この帝国はチベット仏教を奨励したので、チベットからモンゴル、中国、朝鮮半島までの仏像に共通点が生まれ、14世紀以降もその影響が残ったのです。

一方、唐の滅亡後(10世紀)、中国が争乱時代入ると、日本は鎖国状態に入ります。
こうして島国日本は大陸と異なる仏教美術を育むようになりました。

The world before Tang Dynasty
In order to know the influence that the Buddhist art received, I look at the state just before that.

元王朝直前の世界
仏教美術が受けた影響を知るために直前の様子を見ます。


a map in power relationships of Liao and Song Dynasty in 1111.

< 4.  a map in power relationships of Liao and Song Dynasty in 1111. Liao is shown with green, and Song is yellow.
Liao Dynasty(916-1125) had a border with Goryeo Dynasty, and Song Dynasty (960-1276) ) had a border with Liao.
Tang Dynasty was apt to be thought to be the golden age of the Buddhist art.
But, in the times of Song and Liao of horseback races, furthermore the superior arts were made.

To be continued later.

遼(916~1125年)が高麗と接しており、宋(960~1276年)は遼と接していました。
普通、唐が仏教美術の最盛期だと思われがちですが、中央アジアの騎馬民族が支配した遼とそれに接する宋の時代に、さらに優れた作品が作られたのです。

次回に続きます。




20140212

社会と情報 20: 他者への無知

ハノイ紅河の夕陽

< ハノイ紅河の夕陽、Wikipedia より >

米国は圧倒的な軍事力で攻撃することが、早期に解決する手段と信じていた。
一方、米国からみれば北ベトナムは徹底抗戦を続ける無謀な敵でした。
この食い違いの真相は30年後の会談で判明することになった。
それは両指導者が、互いを知らず、憶測と誤解を重ねての結果だった。
このことを見ていきます。


参考文献
「我々はなぜ戦争をしたのか」東大作著、2000年刊。
この本は、1997年、ベトナム戦争の元指導者達が、一同に介して会談した記録の要約です。
この会談はマクナマラ元米国防長官が要請し、北ベトナムと米国の元要人が出席した。
彼らは真摯に戦争の過程を検証し、「機会をなぜ逃したのか?」の答えを探し求めた。


95年、ボー・グエン・ザップ将軍とマクナマラ元国防長官

< 95年、ボー・グエン・ザップ将軍とマクナマラ元国防長官 >

マクナマラの快挙
私が読んだ日本の近代戦争を扱った多くの本は、二度と戦争を起こさない目的には役に立ちませんでした。
右派左派の学者や評論家の書いた本には、戦争を主導した人々の判断や意識に不明瞭さがあります。
たとえ詳細であっても、公的記録の不足(焼却)、さらに発言や記録は一方の立場からだけの論証で正確さに欠けました。

それに比べ、マクナマラの行動は人類初の快挙と言えると思います。
彼は三代の大統領の下で、ベトナム戦争を推進した国防のトップであった。
その彼は、米国が間違いを犯してことを認めた上で、対戦相手の元北ベトナム側と、当時を振り返り、討議を通じて検証しようとした。

この会談の実現には多くの壁があった。
当時、戦った兵士やその遺族、将軍にとって、自国の非を前提に話し合うことは、屈辱に他ならない。
日本では、個の正義よりも社会のメンツ(国益)を優先するので、このようなことは到底困難だろう。



< 著書 >

もう一人の勇者
それは、この会談内容を日本で公開する為に奔走した一人の報道マンです。
彼は、この本の著者であり、このドキュメンタリー番組を製作したNHKのディレクターです。
彼はマクナマラの回顧録から、米とベトナムの対談の可能性を知る。
そして米国のマクナマラに接触し、議事録の公開と番組製作の許可をもらおうと奔走する。
当然、公開については多くの了解(米国とベトナム)が必要で、忍耐と時間を費やした。
最後には快諾され、各出席者へのインタビューも可能になった。
今までのNHKには、このように歴史的事件にとことん食らいつき、事実を深く掘り下げる気迫のあるディレクターがいる。
今後もこの気風が残ってくれると良いのだが。


65年、南ベトナムを訪れたマクナマラ

< 65年、南ベトナムを訪れたマクナマラ >

マクナマラの発言
「ベトナム戦争のベトナム側指導者と直接向かい合って対話をしたい。ベトナム戦争がどうして起きてしまったのか。それぞれの局面で互いにどんな情勢判断と命令を下して戦争に突入したのか、そして戦争を回避するためにはどうすればよかったのかを本気で議論し、後世に残したい」
彼はこのように言って会談の開催を友人に持ちかけ、プロジェクトは始まった。


ベトコン兵士

< ベトコン兵士 >

重要なこと
彼らの歴史に向き合う姿勢、メンツにこだわらず事実を重視する姿勢、他者への無知を潔しとしない姿勢に、米国の良心と偉大さを見る。

次回、幾つかの具体例を通して他者への無知が招く悲劇を見ます。