20191123

中国の外縁を一周して 6: 廈門を訪ねて 2




*1


今回から廈門の訪問地を紹介します。
訪れたのは2019年10月16日(水曜日)で、
写真は朝7時から10時半に撮ったものです。



 
< 2.全总休养中心・杏林湾大酒店 >

私達はここに2泊しました。
ここは友人が手配してくれました。
この宿舎は普通のホテルと異なり、政府所管の休養センターです。
詳しくは分からないのですが、政府に関わっている人や下の写真の看板にあるように労働模範者の為のようです。


 
< 3. 全总休养中心の前の内海 >

上から順番に北から東、そして南を見ています。

上の写真: 全長8.5kmの杏林大桥が見える。
この橋は大陸と右側の廈門島を結ぶ5本の内の一つです。

中央の写真: 干潟の向こうに廈門島が見える。
島の南部には低い山が有り、廈門大学や南普陀寺がある。

下の写真: 大きな河口を挟んで大陸側が見える。





 
< 4. 干潟の様子 >

広大な干潟を少し歩くと、そこには自然が残っていた。
白鷺やハゼなどの小魚を見ることが出来た。
水は泥を含み濁ってはいるが、悪臭は無く汚水とまでは言えない。
また見渡してもゴミは少なかった。
清掃されているのか、下水処理が進んでいるのか、おそらく後者が大きな理由なのだろう。

干潟には人口の水路や畔のような堤で囲まれた池が無数に広がっていた。
その中で数人が漁をしているようだった。
その一人が大量の小魚を持って帰って行くのが見えた。



 
< 5. 全总休养中心の朝食 >

宿泊所での朝食は敷地内の大きなビュッフェレストランでした。
ビュッフェの料理は、今まで宿泊した中国のホテルでも良い方だと思います。
私の一番のお気に入りは、上の写真のコーナーでの初めて食べた泉州麺ででした。

外国人で食事しているのは私達二人だけで、すべて中国人のようでした。
ここで少し気付いたことがありました。

私はツアーで海外旅行をしていると、中国人観光客の傍若無人さに閉口していたのですが、ここではすべてが落ち着いており、紳士的なふるまいをしていた。
ここの利用者は、どうやら大きな団体客ではなく、家族などの少数のグループらしい。
どちらにしても、違いを感じた。

この後、中国国内を一周するのですが、至る所で「模範工」などの掲示板を見ることになる。
この事と、中国人のマナー向上や親切さは関係しているのだろうか?



 
< 6. 高層ビルが並ぶ中心部 >

十数年前に廈門を訪れた時は、このような高層ビルはほとんどなかったと思う。
当時はせいぜい5階ぐらいまでの建物が並ぶだけで、落ち着いた街並みの印象があった。
それでも眺望の良い所には高層のマンションが出来始め、すでに不動産価格の上昇は始まっていた。


 
< 7. 中山公園にて 1 >

友人に、市民の暮らしぶりがよくわかる所に案内して欲しいと頼んで来たのがこの公園です。
入場したのは平日の9:30頃でした。
公園は無料です。

上の写真: この1枚の写真は私にあることを連想させたが、後に大きく覆されることになった。
それは北欧を旅して知った、男性の育休の多さでした。
男性が平日にベビーカーを押して街中を行く姿を多く見た、女性よりも多いかも。

しかし、この公園を抜け、併設の小さな動物園(無料)に入ると、異様な光景を見ることになった。
そこは数歳の子供一人と、それをあやす老人夫婦で一杯でした。
若い夫婦と子供の姿はほとんどなかった。


下の写真: 予想していたとは言え、音楽に合わせ踊る女性達の如何に多いことか。
至る所で異なるグループに分かれ合わせて踊っていた。
中国に来る度に、踊ると言うか、体操と言うか、その演目に変化が見られる。
昔は太極拳などの古典的な体操が主流だが、今は軽快なダンスと言ったものが多い。




 
< 8. 中山公園にて 2 >

上の写真: 木立の陰では、そこらじゅうで男性が卓上で中国将棋などのゲームを楽しんでいた。


 
 
< 9. 中山公園にて 3 >

上の写真: 池の端の建物から、多くの人による朗々とした歌声が聞こえて来た。

下の写真: 近づいてみると、人々の見ている譜面は西洋式の五線譜ではなかった。

友人がその一人に聞いてみると、彼女は参加して日が浅く、譜面は読めないが聞いて歌っていると出来るようになるとのことでした。
彼女は譜面を買って自由に参加しているそうです。


これは友人に聞いた話ですが、この公園で土日になると集団見合いが始まるそうです。
一人娘や息子の為に、それぞれの親が公園に集まり、互いに情報を交換し、見合いにこぎ着けるそうです。
娘や息子が、このことに同意しているかはお構いなしに進められるようです。



 
< 10. 新民菜市场 >

ここは中山公園の近くにある昔ながらの庶民の市場です。
三十年来、この手の市場を見て来ましたが、その様子は変わっていないように思う。
私には相変わらず不衛生に思えるのだが、多くの生鮮食品が並び、買い物客でごった返していた。
海の近くのせいもあり、魚が多かった。


* 知り得たこと

実は、公園や動物園に居た人々のほとんどは50~60歳以上の男女でした、数歳の子供を除いて。
これは中国の定年が、女性では50~55歳、男性で60歳以上だからです。
定年後は年金を毎月3万円は貰っているそうで、大企業や公務員勤めでは、定年が遅れたり、年金などの上乗せがあるそうです。

この公園に来る人は、昔から廈門の中心部に住む人々です。
住居は既にあり、食費・交通費は非常に安く、衣類も安いのがあります。
従って、月3万円で暮らすことに問題はないようです。
(昔は、公社が従業員に住居を安い家賃で与え、最後には買取も許した。土地は手に入らないが)
そして60~70歳以上の入場料などが無料と優遇もされている。

だから子供夫婦が働きに出た後、その両親が孫を引き取り、公園などで遊ぶことになる。
これで待機児童の問題も解消し、退職した親も余生を孫育てと公園での愉しみに費やすことが出来ると言うわけです。
端で見ていると、両親と子供夫婦と孫は皆、親密なようです。
孫は甘やかされているとも言えるが。

北欧とは異なるシステムだが、人生を優雅に過ごすシステムが中国にあったことに驚いた。

ただ気になる事もある。

一つは、地方からの転入者にとって住居費は今、非常に高いので、この年金で都会暮らしは出来ないだろう。

今一つは、既に中国の生産年齢人口が減りつつある中で、定年が50~60歳なのは不合理だろう。
おそらく定年延長が必要になるだろう。


次回に続きます。






20191114

中国の外縁を一周して 5: 廈門を訪ねて 1






< 1.全总休养中心/杏林湾大酒店から南側を望む >

今回は、廈門とその訪問地の概要を紹介します。
訪問はほとんどアモイ島内です。


 

 < 2. 廈門の地図、上が北 >

上: 廈門の位置と歴史

廈門の北、直ぐには泉州、海峡を挟んで台湾、南に下れば香港に至る。
西側は直ぐに山岳地帯になり、奥に入ると円形の集団家屋で有名な客家土楼に至る。

この地帯は紀元前後以降、漢民族が勢力を広げるにつれ、様々な民族が南下し山岳部に住むようになった。
その後、中国の対外交易の主流が海上に移ると、泉州や香港の奥の広州が中心的な役割を果たすようになった。

客家人は華僑で有名だが、この地が華僑を多く生み出したのは山岳地帯で、海上交易で活路を開いた為と言える。

17世紀、鄭成功は明から清を守る為に戦い、またオランダの植民地であった台湾やアモイを解放した。
国姓爺と呼ばれた鄭成功の巨大な像がコロンス島(鼓浪屿)に建っている。
この英雄は長崎県平戸で中国人と日本人女性の間に生まれた。

実は、このことは第二次倭寇の勢力範囲の南端がこの辺りであった事、そして中心地が長崎であった事と関係する。
鄭成功の父は泉州の人でした。

大戦後、台湾が経済成長を遂げると、多くの台湾企業がこの廈門を足掛かり中国大陸に進出していった。
これが廈門を発展させたが、簡単に進んだわけではない。

1958から1979年まで、廈門島から10kmほど離れた台湾領有の金門島に砲撃が繰り返され、緊張が続いたからだ。
その一方、国民党支配以前の台湾人(先住民を除く)は、もともと廈門辺りの人々と繋がりが深い(同じ閩南語/ビン南語を話す)。

結局、鄧小平が行った改革開放の下、廈門が経済特区に指定されたことが契機となった。

こうして今の廈門があり、人々は今でも海外へのチャレンジ精神を失っていないようだ。


下: 私が訪問した所、ほぼ訪問の順番です。
厦門島は半径13kmほどの平坦な島です。

1: 宿泊地、全总休养中心・杏林湾大酒店(労働者の為の巨大保養所)。
2: 中山公園(市民憩いの場)。
3: 新民菜市场(昔ながらの市場)。
4: 廈門大学。
5: 南普陀寺。
6: 开禾路(昔ながらの市場)。
7: 厦门市图书总馆(最大の図書館)。
8: 厦门夏商国际水产交易中心、巨大な海鮮レストラン街にある兴旺海鲜城で夕食。
9: 厦门高崎国际机场、関空からここに着き、ここから2日後に北京へ発った。

今回の訪問は二度目なので、十数年前との違い、特に市民の暮らしや新しく出来たものを見るようにした。
それで前回観光した有名なコロンス島は行かなかった。



*3

上: 全总休养中心・杏林湾大酒店の前の海と干潟。
遠景はアモイ島。

下: 中山公園。
昼間から、ほんとに多くの市民で一杯でした。
そこから中国の大きな変化が見えて来た。


 
< 4. 二つの市場 >

上: 中山公園の隣りにある新民菜市场。

下: 开禾路は新民菜市场より規模が大きく、水産物が豊富でした。

昔ながらの生活も残っていた。


 
< 5. 都市部の景観 >

都市部の景観は10年ほどで様変わりし、新交通システムが次々に生まれていた。


 
*6

上: 広大で緑豊かな廈門大学。
中国では、あまり外国人を見ることはなかったが、この大学キャンバスには東南アジアの学生が多かった。

下: 山の麓にある南普陀寺。
ここは昔と変わらなかった。


 
*7

上: 高層マンションが建つ一角。
このマンションの一室で、ある会社の社長と話すことが出来た。
中国での製造や販売の状況の一端を知ることが出来た。

下: 水槽が並ぶ兴旺海鲜城の1階、2階が海鮮レストラン。
前回、海鮮料理を食べたが、海鮮レストランのスケールが遥かに大きくなっていて驚いた。




 
< 8. 厦门高崎国际机场 >

ここから北京へ発つ時、最初の洗礼を受けた、保安検査で。
事なきを得たが。


次回に続きます。



20191110

中国の外縁を一周して 4: 中国を旅する方法




*1


今回は中国旅行の良さや、フリーで旅行する場合の注意点を簡単に紹介します。
後に詳しく紹介します。


 
< 2.昆明のホテル、左側に昆明駅が見える >

* 良かったこと

一番は、安く旅行出来ることです。

都市中心部や観光エリア内の立派なホテルが二人一泊6000~7000円で泊まれ、朝食付きです。

また交通機関が安い。
バスの多くが1回1~2元(17~38円)、タクシーが20分乗って20元前後(330円)ぐらいでしょうか。

航空機や新幹線はそこそこしますが、航空機は探せば安いのが見つかります(購入時期が重要)。

現地ガイドも安いと思う。
都市によって異なるが、専属の8時間日本語通訳で500~700元(8000~12000円)です。

予想外に助かったことは、70歳以上と60歳以上で、ほとんどの入場料が無料か半額になったことです。

食事とショッピングは安いと言えるが、微妙で幅があります。


 
*3

* 行った時期が良かった

中国は今年、中国共産党が抗日戦と国共内戦を経て、晴れて建国を成し遂げてから70年になった。
この為か、各地は盛大に花で飾られていた。
ちょうど開封では例年の菊花展と重なった。
また北部や西部の高原地帯では紅葉が始まっていた。

残念なことに本来、黄砂の時期ではないはずだが、北部の都市では青空が見えなかった。


 
< 4. Trip.comのサイト >

* 旅行の手配について

今までホテル探しはExpediaでやっていたが、中国国内ではホテルの掲載数が少なく、コストパフォーマンスの良い所は見つからなかった。
そこで今回初めてTrip.comを恐る恐る使いました。
中国企業運営の日本語版Trip.comは日本人向けで使いやすい。
結果は、予想通りのホテルで満足しています。
だが習慣の違いもあり利用には少し注意が必要です。

航空手配は従来通りskyscannerで行い、中国の幾つかの航空会社のチケットを購入した。
大きな問題はなかったが、中国の航空会社は時間変更や便の取止めが購入後、頻繁に起きるので注意が必要です。
私はある失敗をしてリカバリーを中国の友人に頼んで事なきを得た。

Trip.comで新幹線も手配できるのですが、1ヵ月以上前に予約出来るにも関わらず、席の予約も出来ず、確約できない欠点がある。
中国の新幹線はほとんど1週間ぐらい前には満席になっていた。
それで私は中国の友人に切符手配を依頼し、前もって確実に席の予約を行いました。

三都市の現地ガイドはCHINA8(チャイナエイト)を使いました。
まったく初めてなのですが、事前打ち合わせは日本語のメールで比較的丁寧に対応してくれ、かつほぼ満足出来る内容でした。


* 旅行で気をつけるべきこと

一番は何でも大きいこと、二番は保安検査が厳重なことです。

先ず、新幹線の駅が馬鹿でかく、飛行場が中心部から遠いことが問題です。
前者は迷うとかなり歩きます。
後者は旅程を立てる時に注意が必要です。

すべての鉄道駅、地下鉄駅、そして飛行場への入場は、はじめかなり戸惑います。
慣れて来ると多少時間が掛かる程度ですが、気を使います。


* 心配していたほど問題がなかったこと。

一つは中国語、もう一つはトイレです。

私達の中国語は10個ほどの単語を除いて、ほとんど通じませんでした。
我々は半年以上、NHKのラジオ講座で勉強しましたが、我々の発音は通じず、相手の数字も聞き取るのが難しかった。

だけど何とか旅行が出来ました。
色々な工夫が功を奏したとも言えますが、多くは中国人が親切に粘り強く対応してくれたからです。
例えば、ホテルのフロントでは、互いにタブレットやスマホを使い自動翻訳で意思の疎通を図った。
すべて期待通りではないが。

公共のトイレがかなり設置されていた。
それも昔のようなむき出しのものはなく、和式や洋式の個室タイプです。
但し、紙は便器に流せないが。


* 予想外に困った事

それはタクシーとスマホの扱いです。

タクシーの運転手にホテル名を書いた紙を見せても、北京と蘭州、成都では通じなかった。
私のスマホにホテルを表示させて、やっとわかることがあった。
最後には何とかホテルに着けたが。

もう一つは、中国ではタクシーを呼んだり、色々な支払いをスマホでするのが主流なので、逆に私達にはトラブルになることがあった。


 
< 5.上は百度のルート検索、下は自動翻訳機 >

* 中国旅行に必携なもの

それはスマホと自動翻訳機です。

スマホは中国の地図「百度」を使用し、街歩きで交通機関のルート選択や現在位置を知るために絶対必要です。
スマホを自動翻訳にも使います。

Wi-Fiもレンタルしました。
さらにインターネットが使えないの時の為に、オフラインでも使える自動翻訳機を持って行きました。


次回に続きます。



20191107

中国の外縁を一周して 3: 訪問した所


< 1. 民俗村の大理、崇聖寺三塔のレプリカ >

今回は私が訪問したすべての所を簡単に紹介しておきます。


 
< 2. 訪問都市、赤枠7ヶ所 >
黄線はシルクロード、青線は茶葉街道、オレンジ線は海洋交易ルート。
この三つが訪問都市の中で起源前より交易・文明伝播の重要な役割を果たした。


 
< 3.廈門観光 >
上: 赤枠がおおよその観光範囲で、ほとんどが厦門島内。
下: 宿泊した保養所近くの高層マンション。


*廈門市
福建省の海沿いの人口373万人の大都市で、古くから貿易で発展し、華僑を多く生み出した地でもある。

訪問した所。
中山公園(市民憩いの場)、新民菜市场(庶民の市場)、廈門大学、南普陀寺、开禾路(庶民の市場)、厦门市图书总馆(最大の図書館)、厦门夏商国际水产交易中心(巨大な海鮮レストラン街もある、兴旺海鲜城)、全总休养中心・杏林湾大酒店(労働者の為の巨大保養所)など。


 
< 4. 北京観光 >
上: 二日間で路線バスで回れる範囲を観光。
下: 景山公園から紫禁城を見下ろす。


*北京市
人口2000万の首都で、古いものも多く残っているがITなど第三次産業が成長している。

訪問した所。
故宮(紫禁城)、景山公園、什刹海(今、人気の湖岸の古い町並み)、颐和园(西太后お気に入り)、王府井(ショッピング街)、西单(ショッピング街)、琉璃厂古文化街(書画骨董街)、中国国家博物馆(巨大な歴史博物館)、天安门广场、北京西站など。


 
< 5. 開封観光 >
上: 開封博物館以外の観光地は城壁内を観光。
下: 開封市博物館。

*開封市
黄河のほとりにある人口530万人の河南省の都市。
宋時代の首都として有名で当時世界最大の都市であった。

訪問した所。
開封市博物館(開封の歴史博物館)、开封府(宋時代を再現したテーマパーク)、大相国寺、延庆观(道観)、开封市鼓楼广场(夜市)、铁塔公园(数少ない宋時代の遺跡)、万博时代广场(ショッピングセンター)など。


< 6.蘭州市観光 >
上: 細長い盆地にある蘭州市中心部を観光。
下: 新幹線の車窓から、西安と蘭州の間。


*蘭州市
甘粛省の省都で谷間を流れる黄河に沿って発達した人口310万人の都市で、古くはシルクロードの要衝として発達した。

訪問した所。
白塔山公园(眺めが良い)、中山桥(黄河に掛けた最初の鉄橋)、兰州西关清真大寺(モスク)、五泉山公园、兰州市博物馆(蘭州の歴史博物館、有名なのは甘粛省博物館)、敦煌艺术馆(出来立ての莫高窟の展示館)など。


 
< 7.成都観光 >
上: 1日で回れる都市部を観光。
下: 金沙遺址博物館。

*成都市
四川省の省都で、人口1600万人の大都市だが、多くの歴史的遺産や自然遺産もある。

訪問した所。
金沙遺址博物館(三星堆文化を継承)、武侯祠(諸葛孔明の廟)、杜甫草堂(唐の詩人の廟)、天府广场東側のショッピング街など。





< 8. 麗江観光 >
上: 盆地にある二つの古陳と周辺を観光。
下: 麗江古陳の甍。

*麗江市
雲南省の谷間にある標高2400mの人口110万人の都市で、古くはチベットとの交流で栄え、少数民族ナシ族の王都でした。

訪問した所。
麗江古城(数百年の伝統ある古い町並み、世界遺産)、黑龙潭公园(池に映る玉龍雪山が有名)、束河古镇、普济寺(チベット仏教)、古城忠义市场(庶民の大きな市場)、民主路の地下街(ショッピング街)など。

 
< 9.昆明観光 >
上: 二日間で路線バスなど行ける範囲を観光。
下: 中心部のホテル最上階からの眺め。

*昆明市
雲南省の省都で人口600万人の大都市です。
中国南端にあるが多くの東南アジアと国境を接し、多くの少数民族が住む。

訪問した所。
雲南省民俗村(中国全土の少数民族の巨大なテーマパーク)、雲南省博物館(雲南の歴史博物館)、西山風景区(断崖に掘られた龍門石窟が有名)、滇池海埂公园(琵琶湖の半分ほどの湖)、翠湖公園(市民の憩いの場)、昆明老街~南屏街(飲食・ショッピング街)など。

以上、様々な所を見聞しました。

しかし中国を知ると言う意味では、他にも重要なことがありました。
それはしばしばハプニングが起こり、中国の人々と直に触れ合い、ハット気付かされるのは様々な交通機関、飲食店、ホテルなどを利用した時でした。
これがフリーの醍醐味かもしれません。
また移動中の車窓の景色も、目を凝らして見ていると様々なことに気付かせてくれました。


次回に続きます。







20191105

中国の外縁を一周して 2: 目を見張る変化



< 1. 麗江の巨大な別荘街 >


今日は、中国旅行での驚きを語ります。
私は三十数年前から計8回中国を訪れているので,
幾つかの変化を感じ取ることが出来ました。


 
< 2. どこもかしこも建築ラッシュ >

上の写真は新幹線から見た西安付近で、多くが建築中で、その数がべらぼうに多い。
通常、中国の新幹線駅や空港は都市部から離れているので、これらの建物は交通の便が悪いはずです。
おそらく巨大な町ごと、または新たな交通機関を造ってしまうことで解決しているのでしょう。

下の写真は麗江から昆明までの新幹線で見た大理辺りで、こんな奥地にも規模は小さいが建築中が目立った。


 
< 3.廈門の億ション? >

これは高層マンションの一室から見下ろしたところです。
この持ち主によると一戸は1億円近いそうです。
廈門ではここ十数年ほどで不動産価格が十倍以上になった。


* 私の中国遍歴

1980年代後半に香港と広州を社内旅行で訪れました。
これが初めての中国訪問でした。
この時、広州の街を深夜まで歩き、人々の活気を肌で感じ、身震いしたものでした。
当時、台北よりかなり生活水準が遅れていましたが、遥かにエネルギッシュでした。
成長を確信したのが懐かしい。

その後、上海と北京に視察や社内旅行で訪れています。
次いで、廈門の友人を夫婦で尋ねて、廈門と客家土楼などを見学しました。

後に観光ツアーで西安・洛陽、桂林を訪れた。

そして今回のフリーの一周旅行です。


 
< 4. どこも観光客で一杯 >

上は、夜遅い北京の王府井。
多くの高齢者の団体観光客が通りを闊歩し、飲食店、土産物屋で楽しんでいた。
おそらく地方から来た人々でしょう。

下は、麗江の四方街。
ほんとに多くの観光客で賑わっていた。
団体客もいるが、フリーらしい少数のグループやカップルも多い。
欧米人は数えるほどで、ほとんどが中国人か、稀に隣国の東南アジアからの人でした。

 
< 5. 都市部の道路状況 >

上は北京で、下は蘭州です。
何処も車、車で一杯でした。


* 中国の印象

一言で言えば、大きく変化し続けていることに尽きます。

廈門を十数年ぶりに訪れましたが、町の様子は様変わりし、高層ビルが乱立していました。
中国各地のどんなに奥地に行っても高層住宅の建設ラッシュでした。

どの都市に行っても、普通乗用車がひしめき合い、渋滞が常態化している。昔のように自転車で交差点が埋め尽くされることはなく、せいぜい昆明でバイクが目立つぐらいです。

観光ツアーでは気付かない発見もありました。
路線バスなど様々な交通機関を利用していると、人々の親切やマナーの良さを知ることが出来ました。
当然、日本や先進国と違うところもあるが、どんどん向上しているように思える。

概ね、若い人ほど親切でマナーが良く、高齢になるほど傍若無人なようです。
これは北欧とは逆のようです。
経済発展がそうさせているのか、はたまた教育がそうさせているのか?
生活の余裕が生み出すものなのか?

お願いしたアンケートの回答や数人との会話、街行く人々の様子から、自信のようなものを感じた。
彼らは経済成長や生活の改善は政府だけの力ではなく、中華文明の秘める力によるものが大きく、だからこそ持続出来ると思っているようです。

暮らしの向上を様々な場面で感じることが出来た。
先ず、十数年前に比べると国内旅行者が大幅に増え、それに連れて海外旅行に行く人も増えている。
都市中心部の百貨店、専門店、大型スーパーの商品価格は日本に比べ安いとは言えないが、いつも大賑わいでした。
幾つかの都市で、飲食店の店員募集の給与を見ると月8~12万円ぐらいでした。
三十数年前は都市部で月5千円ほどでした。


私は概ね中国の経済成長が今後も続くと感じました。

日本で出版されている中国経済の本によると、バブルが弾ける要因が幾つも挙げられているが、それよりも開放政策(自由競争)による生産性向上(IT関連など)や旺盛な労働意欲が勝って良好な結果を生み出しているようです。
おそらく中央政府や地方自治体の都市開発(公共投資)が、現在の好循環を生んでいるのでしょう。
欧米の自由主義経済からみると不可解なのですが、税金に頼らない公共投資に鍵があるようです。


 
< 6.蘭州だけは中心部を外れるとバイクが多かった >


これから各地の状況を紹介しながら、中国の発展と変化、歴史、人々の生活などを見て行きます。


次回に続きます。




20191103

中国の外縁を一周して 1: はじめに




*1

これから中国旅行記を連載します。
中国外縁部の7都市をフリーで巡りました。
訪れたのは2019年10月15日から15日間です。


 
< 2. 旅行のルート >
赤線は飛行機、黒線は新幹線です。
訪問都市は1廈門、2北京、3開封、4蘭州、5成都、6麗江、7昆明で、この番号順に訪れました。

 
< 3.上が廈門、下が北京 >

 
< 4.成都の博物館と麗江古陳 >


*旅行の概要

新幹線、ホテル、現地ガイドの手配はすべて旅行会社を通さずインターネットで行いました。
各都市内の移動はタクシー、公共のバス、地下鉄を利用しました。
妻と二人で毎日、2万歩ほど歩いて観光しました。
費用は土産や保険も含めて一人23万円ほどでした。

 
< 5.開封の夜市と蘭州 >

 
< 6. 昆明の観光地と繫華街 >


*訪問地と旅行時期にについて

訪問地を簡単に説明します。

廈門: 台湾企業の進出が進み、華僑を頻出した経済発展が著しい大都市です。

北京: 発展する首都であり、多くの観光地や博物館がある。

開封: 商業と大衆文化が開花した宋時代の首都で、宋時代を再現したテーマパークがある。

蘭州: シルクロードの要衝で、黄河を挟んで漢民族と異民族が境界を争った。
そして回族(イスラム)が多く住んでおり、蘭州ラーメンが有名です。

成都: 紀元前に特色ある青銅器文化が興り、三国志時代には蜀の首都であり、現在は大都市です。

麗江: 5000mを越える峰々を這うように長江が流れ、紀元前よりチベットと中国との交流(茶葉街道)の要衝でした。
現在は、その街並みが世界遺産となっている。

昆明: 漢民族の勃興に伴って幾多の先住民族が南下し、麗江を含む雲南省などに住み着いた。
古くは未開の地と言われたが、現在は多くの少数民族が漢民族と共に暮らし、東南アジアに接する交易の拠点でもある。


私は今回の旅行で、中国の経済発展が本物か、経済発展が外縁部(蘭州、麗江、昆明)まで浸透しているのかを確認したかった。
また歴史的な興味から、中国文化に多大な影響を与えたシルクロードと茶葉街道、蜀と宋時代の首都にも訪れたかった。
さらに中国国内の波乱要因である少数民族の状況も知りたかった。

実際にルートを決めるには、15日間で効率よく回れるように新幹線網と航空便の組み合わせで決めました。



 
< 7. 麗江の玉龍雪山と昆明の公園にて >


 
< 8. 新幹線と駅構内 >


この時期を選んだのは私の仕事の都合もあるが、一番は中国のゴールデンウイーク(建国記念の10月1~7日)を避けるためでした。

私から見れば、北京や麗江などの観光地はどこも国内旅行客で満員でした。
そうは言っても閑散期に入るために、蘭州の炳霊寺(へいれいじ)石窟の交通手段がやり繰り出来ず行けなかった。
また甘粛省博物館が急遽数年ぶりの改修閉館となり、入館出来なかった。

一方で、蘭州や麗江などは紅葉の初期に当たり、また開封や麗江などの観光地は至る所、菊花で埋め尽くされていて綺麗でした。

成都だけは1日中雨に降られたが、他の都市の天候は概ね良好で、温かい廈門を除いて1日の気温は約10℃~20℃でした。


 
< 9.新幹線の車窓からの眺めと郷土料理 >

 
< 10. チベット仏教の寺 >


*この旅行記で示したいこと

・様々な中国の風景、観光地、都市部の喧騒、車窓からの風景を写真と共に紹介します。
訪問したのはガイドブックにある主要な観光地、市民が憩う公園、博物館、仏教と道教の寺院です。

・各都市の社会経済、歴史や人々の暮らしについて語ります。

・中国旅行のアドバイス、交通機関、ホテル、スマホの利用、現地ガイド、食事、土産について紹介します。

・旅行で出会った中国人やエピソード、感動と困惑も紹介します。


次回に続きます。