20191114

中国の外縁を一周して 5: 廈門を訪ねて 1






< 1.全总休养中心/杏林湾大酒店から南側を望む >

今回は、廈門とその訪問地の概要を紹介します。
訪問はほとんどアモイ島内です。


 

 < 2. 廈門の地図、上が北 >

上: 廈門の位置と歴史

廈門の北、直ぐには泉州、海峡を挟んで台湾、南に下れば香港に至る。
西側は直ぐに山岳地帯になり、奥に入ると円形の集団家屋で有名な客家土楼に至る。

この地帯は紀元前後以降、漢民族が勢力を広げるにつれ、様々な民族が南下し山岳部に住むようになった。
その後、中国の対外交易の主流が海上に移ると、泉州や香港の奥の広州が中心的な役割を果たすようになった。

客家人は華僑で有名だが、この地が華僑を多く生み出したのは山岳地帯で、海上交易で活路を開いた為と言える。

17世紀、鄭成功は明から清を守る為に戦い、またオランダの植民地であった台湾やアモイを解放した。
国姓爺と呼ばれた鄭成功の巨大な像がコロンス島(鼓浪屿)に建っている。
この英雄は長崎県平戸で中国人と日本人女性の間に生まれた。

実は、このことは第二次倭寇の勢力範囲の南端がこの辺りであった事、そして中心地が長崎であった事と関係する。
鄭成功の父は泉州の人でした。

大戦後、台湾が経済成長を遂げると、多くの台湾企業がこの廈門を足掛かり中国大陸に進出していった。
これが廈門を発展させたが、簡単に進んだわけではない。

1958から1979年まで、廈門島から10kmほど離れた台湾領有の金門島に砲撃が繰り返され、緊張が続いたからだ。
その一方、国民党支配以前の台湾人(先住民を除く)は、もともと廈門辺りの人々と繋がりが深い(同じ閩南語/ビン南語を話す)。

結局、鄧小平が行った改革開放の下、廈門が経済特区に指定されたことが契機となった。

こうして今の廈門があり、人々は今でも海外へのチャレンジ精神を失っていないようだ。


下: 私が訪問した所、ほぼ訪問の順番です。
厦門島は半径13kmほどの平坦な島です。

1: 宿泊地、全总休养中心・杏林湾大酒店(労働者の為の巨大保養所)。
2: 中山公園(市民憩いの場)。
3: 新民菜市场(昔ながらの市場)。
4: 廈門大学。
5: 南普陀寺。
6: 开禾路(昔ながらの市場)。
7: 厦门市图书总馆(最大の図書館)。
8: 厦门夏商国际水产交易中心、巨大な海鮮レストラン街にある兴旺海鲜城で夕食。
9: 厦门高崎国际机场、関空からここに着き、ここから2日後に北京へ発った。

今回の訪問は二度目なので、十数年前との違い、特に市民の暮らしや新しく出来たものを見るようにした。
それで前回観光した有名なコロンス島は行かなかった。



*3

上: 全总休养中心・杏林湾大酒店の前の海と干潟。
遠景はアモイ島。

下: 中山公園。
昼間から、ほんとに多くの市民で一杯でした。
そこから中国の大きな変化が見えて来た。


 
< 4. 二つの市場 >

上: 中山公園の隣りにある新民菜市场。

下: 开禾路は新民菜市场より規模が大きく、水産物が豊富でした。

昔ながらの生活も残っていた。


 
< 5. 都市部の景観 >

都市部の景観は10年ほどで様変わりし、新交通システムが次々に生まれていた。


 
*6

上: 広大で緑豊かな廈門大学。
中国では、あまり外国人を見ることはなかったが、この大学キャンバスには東南アジアの学生が多かった。

下: 山の麓にある南普陀寺。
ここは昔と変わらなかった。


 
*7

上: 高層マンションが建つ一角。
このマンションの一室で、ある会社の社長と話すことが出来た。
中国での製造や販売の状況の一端を知ることが出来た。

下: 水槽が並ぶ兴旺海鲜城の1階、2階が海鮮レストラン。
前回、海鮮料理を食べたが、海鮮レストランのスケールが遥かに大きくなっていて驚いた。




 
< 8. 厦门高崎国际机场 >

ここから北京へ発つ時、最初の洗礼を受けた、保安検査で。
事なきを得たが。


次回に続きます。



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