20180904

北欧3ヵ国を訪ねて 24: ヴァーサ―号博物館へ







< 1. ヴァーサ―号の模型 >


今回は、ヴァーサ―号博物館と、この巨大な戦艦建造時のスウェーデンを紹介します。
写真の撮影は2018年6月2日(土)10:36~11:00です。




 

< 2. ユールゴーデン島内の観光ルート、上が北 >

訪れた所: オレンジ□印はビジターセンター、黒〇印は北方民族博物館、赤〇印はヴァーサ―号博物館、赤枠はスカンセン(野外博物館)です。

黒線は歩行ルートで、一つは最上端のバス停Djurgårdsbronから、北方民族博物館とヴァーサ―号博物館見学を経て、トラムとバスの停留所Nordiska Museet/Vasamuseetまでを示します。

青線はSkansenまでの7番トラム乗車を示します。
この間は67番のバス で行く事も可能です。
停留所Skansenを降りると、スカンセン(野外博物館)の大きなゲートが見えます。

ヴァーサ―号博物館退出以降は次回紹介します。



 
< 3. 北方民族博物館を出て >

北方民族博物館を出て、南側に進み、西側に曲がるとヨットハーバーが見えました。
今日は土曜日なので市民が芝生広場でくつろいでいました。


 
< 4. ヴァーサ―号博物館が見えた >

上の写真: ヴァーサ―号博物館。

下の写真: 北方民族博物館の裏側。


 
< 5. ヴァーサ―号博物館に入館 >

上の写真: ヴァーサ―号博物館の入り口付近。

下の写真: 博物館に入ると、最初に目に飛び込む光景。

ここも非常に暗い。
逆に、この暗さの中だからこそ輪郭が定かでなく、スポットライトで浮かび上がる戦艦に圧倒されることになる。



* ヴァーサ―号について

これは17世紀に建造された当時スウェーデン最大の戦艦でした。
マストの頂上から竜骨(底)までは52メートル、船首から船尾までは69メートル、そして重量は1200トンもありました。
また64門の大砲が装備されていました。

この戦艦が初航海で沈んだのは、王の命令でより多くの大砲を装備するために甲板を2層式に嵩上げし、バランスが悪くなったためでした。

この船は海中から引き揚げた本物ですが、そのまま展示すると自壊してしまうので全てに樹脂を浸透させています。


 
< 6. 左舷 >

まるでパイレーツ・オブ・カリビアンの世界! 不謹慎だが。
船体表面にこびりついたものがうねりながら光沢を放つ光景は実に生々しい。
この船が沈没したのは、初航海の1628年で、そして引き上げられたのは1961年でした。
まさに400年間の眠りから蘇った。


 
< 7. 船尾と飾り >

上の写真: 船尾部分。

下の写真: このカラフルな彫刻像は、上の船尾に付いている木製像を復元したものです。
この船には700体の彫刻品で飾られていました。


 
< 8. 最上階から眺める >

甲板や帆柱を見ることが出来る。


* ヴァーサ―号建造時のスウェーデン

私は初航海、それも内海を1kmほど帆走して横転沈没したと知って失笑しかけた。
しかしスウェーデン国民はこの戦艦を誇りにしており、確かに来館者も多い。

私にはこんなつまらない結果を招い王、グスタフ2世アドルフが滑稽に思えるのだが?
しかし歴史は面白い、この王こそが強国、最もスウェーデンがヨーロッパで輝いた時代を作り上げたのでした。

私が1年前、フランスのアルザス地方を訪れた時、宗教戦争(三十年戦争)でプロテスタント側のストラスブールはスウェーデンの軍事援助を受けていたと知った。
この時、スウェーデンはヨーロッパの雄、プロテスタントの旗手だったのです。

グスタフ2世アドルフ(在位1611-1632)はデンマークからの独立を果たしたヴァーサ―朝の第6代スウェーデン王でした。
彼が即位した当時、スウェーデンはバルト海の制海権をめぐってロシア・ポーランド・デンマークと交戦中であった。

当時ポーランドはリトアニアと共和国を成し広大な国で、かつスウェーデンと王位継承を巡り仇敵であった。
一方、宗教改革後、カトリック勢と神聖ローマ帝国はプロテスタント勢と熾烈な戦いを続けており、やがて北欧プロテスタントの国々を脅かす最大の敵となっていた。

そこで彼はポーランドとの泥沼の戦いを休戦し、カトリック勢と戦う為に三十年戦争に参戦した。
その嚆矢となったのがデンマークと同盟を組んで戦った1628年のシュトラールズント攻囲戦で、この勝利がスウェーデンの版図拡大をもたらした(この年にヴァーサ―号が沈没)。

残念ながら彼は1632年、38歳で戦死した。
このことがまた彼を宗教改革での殉教者にした。

彼は若くして王になり、生涯、戦場を駆け巡ったが、それだけではなかった。

彼の統治によりその後のスウェーデン国制が出来たと言える。
4つの身分からなる議会制度や司法制度、また地方行政を整えることにより徴兵制度を築いた。
大学やギムナジウムなどの教育機関を創設した。

また軍事教練、戦法、兵器を発展させ、ヨーロッパの軍事大国になった。
このことが巨大砲艦ヴァーサ―号への建造に繋がった。

経済力の貧弱なスウェーデン軍が、強大になれたのはその国家誕生に起因するかもしれない。
1523年、独立を戦ったのはヴァーサ率いる農民達でした。
このことが4つの身分(聖職者、貴族、市民、農民)からなる議会制度を可能にし、徴兵制度を容易にし、大陸のような費用の掛かる傭兵制度を不要にした。

こうしてスウェーデン帝国への道のりと、ヴァーサ号が結びついているのです。






 
< 9. グスタフ2世アドルフ治世の版図 >

白丸がシュトラールズント、黒丸がストックホルムです。
彼が帝国の礎を作った。


 
< 10. グスタフ2世アドルフとシュトラールズント攻囲戦 >

シュトラールズントはハンザ同盟に属する港湾都市で自治都市でした。
ここを神聖ローマ帝国軍(カトリック連盟軍)が攻めると、この都市はデンマークとスウェーデンに救援を求め、形勢は逆転した。




 

< 11. 三十年戦争の変遷 >

番号③がグスタフ2世アドルフが参戦した経路です。
プロテスタント勢は英国と北欧、バルト三国、北ドイツです。

次回に続きます。





20180831

連載中 何か変ですよ 203: 暴露本「炎と怒り」の紹介 4: トランプタワー 2

 
*1


今回で、この暴露本の紹介を終わります。
初期の大統領首席補佐官を巡るドタバタを紹介します。








 
< 2.トランプ政権を去った人々 >

多くの人々-マチュア政治家、経済界の成功者、人気のポピュリストがホワイトハウスを賑わしては、早々と去って行った。
去った多くは政権への爆弾発言(トランプを無能呼ばわり)や暴露、非難を繰り返している。
この混乱は今も続いている。


* 初期の大統領首席補佐官を巡るドタバタ

大統領首席補佐官とは何か?
彼はホワイトハウスとその行政部門、軍人130万人を含む約400万人のトップに立ち、この組織の運営を大統領から任されることになる。
特にトランプ政権では。

しかしトランプの直情径行、専門家嫌い、家族重視、政治への無知が災いして、大統領首席補佐官選びは脱線を繰り返しながら、最後には政権内で差し障りのない人物が選ばれた。

そして初代の大統領首席補佐官プリーバスは半年で更迭された。







 

< 3. 相関図 >


* 「炎と怒り」の読後に思うこと

他国のことではあるが、怒りよりも深い絶望感にとらわれた。
それは今、日本も含めて欧米先進国が米国と同様の凋落の道を進んでいると思うからです。

少なくとも米国は1970年代初期までは、ホワイトハウスの暴走-ベトナム戦争やウォーターゲート事件に対して、マスコミは良識を持って立ち向かい、そして国民も遅ればせながら正しい道へと方向転換させることが出来た。

しかし、欧米先進国は80年代以降の経済金融政策の大転換による格差拡大、さらに戦後から始まっていた後進国での紛争拡大による大量の難民発生と移民の受け入れが相俟って、欧米社会は不満のるつぼと化した。

このことが特に米国では、度重なる規制緩和によって報道の自由度を失わさせ、その上、今のインターネット社会ではヘイト情報が世論を左右するようになった。

こうして容易にポピュリズム、今は右翼の煽情によって、不満を抱く人々は否定と排除の論理で強く結びつき、より強固になりつつある。

このことは全ての金融資本主義国家、欧米先進国を蝕みつつある。
北欧すら逃げることは出来ないだろう、災厄の到来は遅れるだろうが。
それは今の日本にも当てはまる。

欧米から離れた島国日本は、その影響が軽微であったが、アベノミクスによって格差拡大の現況である金融資本主義へと大きく舵を切ったことになる。
西欧の優良国であったドイツも経済格差では同様に蝕まれ始めている。

各国で進んでいる国民の政治不信、右翼ポピュリズム政党の台頭、格差拡大はすべて軌を一にする。

それはここ半世紀にわたる戦争と経済がほぼ規制されず放置され、悪弊が拡大し蔓延してきたからです。

このことが、今の惨めで馬鹿げたトランプ政権を生んでしまったのです。

私には、この先行き世界は着くところまで行ってしまうような気がする。

歴史にその例はいくらでもあった。
ドイツ国民が最初からヒトラーにドイツと世界の壊滅を託したのではない。
始め一部の熱烈な国民がヒトラーの人柄、煽情、政策に共感し、期待していた。
そのうち騙されてか、無謀な計画なゆえに行きがかり上、破滅の道を進むことになった。

いつものことだが、日本のファシズム、大陸進出と同様で、マスコミが沈黙し権力の集中が進み、後戻りが不可能になった。

まさに米国、日本、ドイツなでかつての優良な国で政治の劣化が起こっている。
その一つの現れがトランプ現象です。


これで終わります。

20180829

北欧3ヵ国を訪ねて 23: 北方民族博物館へ



*1



今回は、ストックホルムのユールゴーデン島入口にある北方民族博物館を紹介します。
またストックホルム中央駅でのバス停探しの失敗も紹介します。


* バス停探しの失敗

ユールゴーデン島に行くためにバス停を探す必要がありました。
事前にグーグルマップで調べていたのですが、どうしてもこのバス停の位置が不明瞭でした。
今回、旅行で使う他のバス停はほぼグーグルマップで確認できましたが、ここだけは別でした。
乗るバスの路線は69番で、バス停はCentralen から Djurgårdsbronまでです。

非常に分かり難いので、以下の地図と写真を使って説明します。





 
< 2. 地図、上が北 >

上の衛星写真: ストックホルム中央駅でバス停を探して歩き回った経路。

朝、エルブシェ駅から電車でセントラルシティまで行き、地上に出ました。
黄色の直線の破線が電車、オレンジの破線が地上に出る経路です。

そして駅前の大通りVasagatanが高架道路と交差している所に向かいました(写真3)。
高架下にバス停はあったのですが、No.69の表示はありませんでした。

通りがかりの老婦人に尋ねたところ、高架道路上にあるだろと教えてくれ、さらに途中まで一緒に行きました。
オレンジ色の実線を進んだ。
しかし、道路は工事中でバス停は無くなっていました(写真4と5)。

そこでまた別の夫人に聞くと、中央駅まで戻りなさいと言われた。
そして中央駅に入って、北側のシティターミナル(長距離バス用)の方に向かった。
オレンジ色の破線を進んだ。
しかし、そこにも無かったので、諦めて高架道路の上に出た(写真6)。

この道路沿いにバス停があり、東行きが目的のバス停(中央駅寄り)でした(写真7)。

写真3の地上に出てから、バス停に辿り着くまで35分かかりました。


下の地図: 赤線が69番のバスで、白丸で乗り、黒丸で降りた。
黒の矢印が北方民族博物館です。
路面電車に乗り換えて、さらに近くまで行くことは出来ます。


 
< 3.バス停探し 1 >

上の写真: セントラルシティから地上に出た所。
Vasagatan通り沿いのビルから出た。

下の写真: 高架の右手奥が中央駅。

 
< 4.バス停探し 2 >

上の写真: 高架下のバス停。

下の写真: 右手の階段を昇って高架道路に出た(西向き)。
西側を見ている。


 
< 5.バス停探し 3 >

上の写真: 高架道路上の工事でバス停が無くなっていた(東向き)。

下の写真: 中央駅に戻る。



 
< 6.バス停探し 4 >

高架道路の上から撮影。


 
< 7. 目的のバス停 >

左下の写真: バス停内の上部に3路線の運行状況が表示されている。
バス路線69、バスの行き先Blockhusuddeen、到着時刻の表示が見える。
これに乗ります。

右下の写真: バス停内にバスの時刻表が貼られている。

あまり待つことなく目的のバスに乗れた。


私はバス停の探し方を間違っていた。
私はグーグルマップでバスが東に向かって走るのがわかっていたので、この高架道路上を中央駅の近くから探すべきだった。

ストックホルム中央駅周辺の市内向けバスの停留所は分散しており、非常に探し辛いので、皆さん気を付けてください。
私はバス停のマップを見つけることが出来なかった。



* 北方民族博物館へ

 
< 8. 降車したバス停Djurgårdsbron >

ここまでのバスの乗車時間は9分です。

上の写真: ユールゴーデン島に掛かる橋と北方民族博物館が見える。

下の写真: 今、バスが走って来た道(西側)。


 
< 9. 橋の上から 1 >
上の写真: 西側を見ている。

下の写真: 東側を見ている。


 
< 10. 橋の上から 1 >

下の写真: 橋の東南側、ユールゴーデン島の入り口にあるビジターセンターが見える。


 
< 11. ユールゴーデン島に入った >

上の写真: 今渡って来た橋を振り返る。

下の写真: この道を進むとユールゴーデン島に入っていく。


 
< 12. ビジターセンターと北方民族博物館 >

上の写真: ビジターセンターは最近出来たらしい。

ここでストックホルムパスがやっと購入できる。
前日、訪れた二つの博物館は無料だったので、このパスは不要だった。
しかし今日から訪れる博物館は有料なので、このパスを使います。
このパスで、多くの博物館、クルーズ、Hop on Hop offバスを追加料金なしで利用します。

私の購入したパスは、2日間で845クローナ(10745円)でした。
結構高いのですが、利用したドロットニングホルム宮殿への往復クルーズと入館料だけで340クローナしますので、十分元がとれます。
ただ貪欲に観光せざるを得なくなることが問題と言えました。

またトラベルカードは72時間で240クローナ(3058円)でした。
これも全ての交通機関(地下鉄、路面電車、バス、電車)が使えるので非常に便利です。
渡し舟やフェリーも使えるのですが、使う機会はなかった。

この二つのカードの開始時間は私の使用開始からスタートするので、これも使い勝手が良かった。
ここではスムーズに購入出来たが、他の二ヵ国のカードは開始時間の設定が異なり、少し手こずることになった。

購入する時、担当者が「このパスは交通手段に使えない」との注意があったので、私は「72時間用のトラベルカードを持っている」と答え、納得してくれた。
このようなパスを買う時でも、いくらかの英語が必要になりました。


下の写真: 北方民族博物館Nordiska museet
外観は宮殿のような建物ですが、中は大きな吹き抜けのフロアが占めており、その周囲を囲むように細長い展示室が続いている。
したがって展示規模はそれほど大きくはない。
確か3階建てだったと思う。


 
< 13. いよいよ博物館に入館 >

ここでは荷物をロッカーに入れなければならなかったと思います。
今回の旅行で、入館時のロッカーは全て無料で、コインが必要な場合は館員が貸してくれました。


上の写真: 入館すると巨大な座像が目に入る。
これはスウェーデンがデンマークから独立を果たした時のグスタブ・ヴァーサ王です。

ここでは16世紀以降の北欧の生活様式―室内、衣服、農工具、陶器
などと現代の照明器具、ラップ地方(サーミ人)の暮らしが紹介されている。



< 14. 衣服と家具 >

上の写真: 1860年代の衣服。



 
< 15. 農家と照明具 >


 
< 16. サーミ人 >

上の地図: サーミ人の居住地。


* 感想
この博物館の展示も照明が暗く、さらにセンサーで観客を感知して展示用照明が点くようになっており観客が少なかった為、本当にひっそりとしていた。
おかげでじっくり見れましたが。

何かもう一つ得るものが無かったように思う。
海外から来た人間には、数百年前からの風俗を見ても、北欧を理解することが難しいのかもしれない。

全体の印象は、北欧の文化は西欧とキリスト教の影響を強く受けているらしいことでした。
現代北欧の政治経済社会は素晴らしいので、何か西欧との違いを発見したかったのだが見つけることが出来なかった。

照明器具や椅子などの家具のデザインには北欧らしさ―シンプル、機能性、そして木質を生かした特徴、があるように感じた。

今回、北欧を歩き回って不思議な感覚に囚われたのは、異なる人種(顔)が予想以上に多い事でした。
東欧や中東からの移民が多いこともあるのだろうが、他に理由がありそうです。
北欧三ヵ国の多くは紀元後に移って来たゲルマン人だが、スラブ圏と接しており、また先住民族のサーミ人、隣国のフィンランド人はモンゴロイドなので、元々、人種の交配が進んでいたのだろう。

この博物館の100年前の風俗を見て感じた貧しさは、スウェーデンの自然景観や多くの移民を出した歴史に繋がっている。


次回に続きます。