20171017

何か変ですよ! 76: 戦いの始まり 3




*1

今の北朝鮮問題で不思議に思うことが幾つかある。
そこには煽動や思い込みがありそうです。





はじめに
既に見たように、核攻撃の不安は三カ国の首脳が交代してから急速に深まった。
前回は、核攻撃に対する防御が不完全であることを指摘しました。
また連載「私達の戦争」で説明したように「核兵器による抑止」も期待出来ない。

少し見方を変えてみましょう。
核兵器を持ち、地下に潜ったテロ組織に対して、経済封鎖は役に立ったない。
それこそ、映画「007」のように、核ミサイルを持つ狂信的な相手に対しては、優秀な諜報部員の破壊に頼るしかない。
3億丁の銃が氾濫している米国で、銃は乱射事件を抑止出来ていない。

こうして見るなら、ヒステリックなテロ組織や国家が核兵器を保有してしまうと、もう手の打ちようが無いことになります。


 
*2

北朝鮮を抑え込む方法
今まで数多くの話し合い(六者協議など)が行われて来ましたが、結局、北朝鮮の核開発は進んでしまいました。

そこで現在、経済封鎖を徹底的に行うことで北朝鮮に開発を諦めさせようと日米は奔走しています。
一般的には、戦争を避ける手段として、世界が一致して行う暴走国家への経済封鎖は効果がある場合が多く、安全な方法だと考えます。

しかし、完璧ではなく、むしろ暴発を招くことがある。

一つは、経済封鎖によって暴走国家が破綻し、逆に暴徒化したり国民の敵意が高まる場合がある。
これは第一次世界大戦後のドイツへの経済制裁、満州事変後の日本や湾岸戦争後のイラクへの経済封鎖が、むしろ戦争に向かわせた事実からもわかります。

もう一つは、経済封鎖が徹底出来ない場合です。
現在、北朝鮮への経済封鎖の徹底に、なぜか中国とロシアは非協力的です。
もし北朝鮮がほんとうに狂信的で、世界を破滅に陥れる国とするなら、中ロはなぜ協力しないのでしょうか?
同じ共産主義体制だから、または国境を接しているからでしょうか?

話は簡単で、その理由は金正恩の敵意が米国と日本だけに向いているからです。
当然ながら、韓国以外の国、特に中ロに対して敵意を示していない。
つまり、中ロは今の状況を米国と北朝鮮だけの罵り合いだが、過熱すると米国と北朝鮮が核ミサイルを発射する危険があると考えているのでしょう。
トランプと金正恩の言動はこの危険性を孕んでいる。

つまり、日米が押し進める対策はヒステリック過ぎると言える。



 
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一番の問題は何か?
それは米国と北朝鮮が暴発することです。

一度ミサイルが飛び交い、運よく核戦争が起きないとしても極地戦争が始まると、大きな痛手を負うのは韓国と日本、次いで中国でしょう。
日本は最悪核攻撃を受け、戦場になり難民が押し寄せることになるからです。

こうして見てくると、核兵器の保有が問題と言うよりも、脅し合いの果てに始まる戦争が一番の問題です。


 
*4

戦争の始まりは、両軍の小競合いから拡大するケースも多い。
また政権掌握を目指す為に、軍権を握るものが軍事的な緊張を作り出しすことがある。
1969年の中ソ国境紛争では軍部トップの林彪が出世した。
2001年の9.11事件ではブッシュ大統領が「テロとの戦い」を発表して人気を得て、イラク戦争へと突き進んだ。
この二つは危機を利用して大失敗した好例でした。

思い出して欲しいことがあります。
イスラエルやパキスタンが核兵器を持った時、世界はどんなに恐怖を味わったことでしょうか?
当時、両国は世界から危険視されていた国でした。

何が真の問題か、何を避けるべきかを皆さんが冷静に考えられることを切に願います。


次回に続きます。




20171015

何か変ですよ! 75: 戦いの始まり 2





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前回、北朝鮮の挑発行為、ミサイル発射は三ヵ国の首脳交代と時を同じくし、彼らが不思議に似た者同士である事も見ました。
しかし更なる深い理由があり、その一つが核兵器とミサイル開発です。



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はじめに
重要なことは核弾頭ミサイル(核兵器とミサイル)は小国でも製作可能で、かつ大国を威圧するには好都合な兵器どと言うことです。

これほど危険な兵器ですが、国のGDPが数兆円でも開発と製造が出来てしまう。
一方、例え一発の核弾頭ミサイルであっても全土を被弾から守る為には膨大な迎撃システムが必要です。
なにせ被弾する国では一発で数十万人が死に、中心部は廃墟と化し、永久に住めなくなります。
一方、攻める方は偽装船や潜水艦で近海から偽装弾と共に発射すれば、すべてを迎撃されることはない。
これでは国土が広い大国は数十兆円かけても完全な迎撃は不可能です。

こうして核弾頭ミサイルはコストパフォーマンスの高い兵器となりました。
この核兵器は今までになかった危険性を持つ厄介な兵器なのです。
それではどうすれば良いのでしょうか?
そのヒントは、現在の核拡散にあります。



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核拡散が示すもの
世界で最初に核兵器を開発し所有したのは米国でした。
その後、ソ連が米国に対抗して保有、次いで英仏もソ連に対抗して保有した。
これに続いて中国が、米ソに対抗して保有した。
遅れてインドがパキスタンに対抗して保有、するとパキスタンも保有した。
イスラエルはアラブに対抗して保有し、これに対抗してイランが一時、開発していたようだがイスラエルの破壊工作で断念したようです。
そして現在、北朝鮮が開発中です。



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ここで注視すべきは、後続の核保有国は米国、ソ連(ロシア、ウクライナ)、フランス、中国のいずれかからの援助か情報により開発を終えていることです。

ミサイルは通常兵器より少し高くなる程度でどこの国でも保有可能です。
核爆弾には濃縮ウランと起爆技術が必要ですが、一発の費用は数億円と高額ではありません。
濃縮ウランは国内に原子炉があれば、後は遠心分離機で作れます。
核兵器に関わる部品や設備、技術は闇市場で出回っている。
これは当然で、世界は膨大な核兵器を保有し、日々、更新の為に核兵器産業を育成しなければならないわけですから。
もし、ソ連のように国の崩壊が起これば、その兵器産業はいとも簡単に技術や部品を売り出すことになる。
こうして、各国は抑止力を高める為と称して、簡単に核兵器を保有することが出来てしまうのです。

核開発を自発的に辞める国も幾つかありましたが、あまり期待できないでしょう。



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何が問題なのか?
お察しの通り、世界に核兵器産業が現存する限り、更には原子力発電所がウランを使い続ける限り、今後も、核兵器は拡散していくでしょう。
やはり、ここは核に関わる闇市場を撲滅し、各国の核査察を徹底する為には、核兵器産業を零にするしかないでしょう。
大国のエゴを許す限り、今回のように必ず痛いしっぺ返しが続くことになる。

米国で銃が蔓延し乱射事件が頻発しているように、これからさらに核兵器が拡散し、テロが恫喝を繰り返し、人類の生き残りは益々望み薄になるでしょう。


次回に続きます。


20171014

何か変ですよ! 74: 戦いの始まり 1



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現在、世界だけでなく日本もキナ臭くなっています。
今回の選挙結果で、日本は明確に軍事国家へと舵を切るでしょう。
実に口惜しい状況です。
 


 

< 2.ミッシーの有名人似顔絵館より >


はじめに
高々5年ほど前まで、多くの国民は北朝鮮からの核攻撃を現実の脅威になるとは思っていなかったでしょう。
当時の対外的な懸念材料は、火がついたばかりの尖閣や竹島問題で、中国や韓国が相手でした。
ところが、いつの間にか状況は様変わりした。

なぜこのような状況になったのでしょうか?
概ね、三つの状況が影響を与えたと考えられます。

一つ目は、北朝鮮や日本、米国の指導者の交代があった。
二つ目は、核兵器の開発が容易になった。
三つ目は、世界の右傾化、つまり強硬派の台頭がある。

この三つが災いして、日本は急激に不安な状況に陥りました。
これから、この状況を分析します。


 
*3

指導者の交代が招いたもの
北朝鮮は、かねてより核実験とミサイル発射実験を行って来たが、ミサイル発射は2012年から新たな局面に入り、2017年からは毎月のように発射され、日米を牽制している。

金正恩が権力を掌握した2012年4月に、一連のミサイル発射が始まった。
この2012年の12月に現在まで続く安倍首相が誕生した。
さらに、この状況を悪化させる事態が起きた。
トランプ氏が米国大統領となって直ぐの4月から毎月数発が発射され続けている。

金正恩とトランプ大統領は互いに口汚く罵り合い、力による脅し合いをエスカレートさせている。

この三人は共通して、タカ派(軍事力重視、虚言癖、喧嘩腰、激昂し易い)です。


 
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安倍首相は拉致問題を強硬に行うことで面目躍如を狙ったが、北朝鮮との対立を煽っただけでした。
さらに中東でもISを刺激し、邦人二人の惨殺に繋がった。
当人には些細なことでも、日本の平和遵守の立場が逆転し始めた。

トランプ氏は、安倍首相以上に強硬で剛腕が売りで大統領に選ばれた。
さらに彼はピュリツァー賞の記者により詐欺まがいの寄付(トランプ財団)を暴かれ、虚言症が明らかになった。


 
*5

当然、二人は非常に気が合う。

さらに不思議な共通点がある。
金正恩と安倍首相は共に、戦犯と言うべき人物の三代目なのです。
金正恩の祖父金日成は、北朝鮮の建国者で朝鮮戦争を始めた人物でした。
安倍首相の祖父岸信介は、官僚として大陸運営と戦時の軍需体制作りに辣腕を振るった。
彼は敗戦でA級戦犯となるが、多くが処刑され自殺する中、無罪放免となり、その後政界に返り咲き、首相になった。

諺に「三代目は身上を潰す」がありますが、二人に共通している不安な点があります。
それは二人の権力基盤は体制からの保護で成り立っていることです。
当然、二人はこの体制に執着し、正当化し、維持を強く望むことになる。
簡単に言えば、独裁国家も世襲議員が多い日本も同じ道を歩むことになる。
その結果、真に国民の求める政治とはならないでしょう。

またトランプ大統領も二代目と言えます。
彼の父は移民の子ではあったが、ニューヨ―クの不動産デベロッパーであり、彼は
これを足掛かりとして不動産王になった。
彼は素行不良の為、陸軍幼年学校に転入させられている。
彼は不動産屋だが、倒産を繰り返す壊し屋と言う意味で、国民に責任を感じない点で似ている。


次回に続きます。






20171011

フランスを巡って 40: モンサンミッシェルからロワールへ






 


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今日は、モンサンミッシェルからロワールまでの車窓からの景色を紹介します。


 

< 2. 走行ルート、上が北です >

移動したのは旅行9日目、5月25日(木)でした。
ノルマンデイーとロワールの地をおよそ300km走り抜けました。
この日も快晴で、太陽がまぶしかった。
地図の青線ルートの中ほどの赤丸で休憩を取りました。
朝8:00にモンサンミッシェルのホテルを出発し、12:00過ぎに目的地シュノンソー城に到着しました。

写真は撮影順に並んでいます。


 

< 3.ノルマンデイーの朝 >


 

< 4. モンサンミッシェルが遥か遠くに見えた >

そろそろノルマンデイーの地とお別れです。
酪農が盛んで、至るところに防風林が見えるなだらかな平野が続きます。
私達がノルマンデイーに来た前日はこのフランス旅行中では珍しく雨模様だった。
それが為か、なぜか物悲しい風景に見えてしまう。

モンサンミッシェルの東側の大きなコタンタン半島とその東側の海外線が、大戦時のノルマンディー上陸作戦の地でした。
ノルマンデイーの地はヴァイキングの移民に始まり、幾度も英国とフランスとの間で血みどろの戦いが繰り返された所でした。



 
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中央の写真: 蜜蜂の巣らしいものが見える。


 
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< 9. 休憩したガスステーション >

上の写真: Aire de service de la Vallée de lErveとの看板がありました。


 
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中央の写真: ここで幹線道路から外れて、郊外や林を抜ける道路を進みます。


 

< 11. ロワール川を渡る >

ロワール川はフランス最長の川で、この中流域は「フランスの庭」と呼ばれ、多くの古城や宮殿が散在しています。
通りから見える家々も、広い庭を持つ洒落た作りでした。



 
< 12. もうすぐ着きます >

久しぶりにブドウ畑を見ました。

次回に続きます。


20171007

フランスを巡って 39: モンサンミッシェル 5





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今日で、モンサンミッシェルの紹介は最後になります。
修道院を出て外周を廻り、村の暮らしを感じさせる裏道を下りました。




 

< 2. 地図 >

今回、紹介する徒歩ルートです。
写真は2017年5月24日、14:00~17:00に撮影しました。
観光している間に、みるみるうちに雲がなくなっていきました。

上の写真: 上が南です。
Sは修道院内部を見学して出て来た所で、黄色線は外周を歩き、正面に出るまでです。

下の写真: 上が北です。
赤線は街を見下ろす道で、真っすぐ進むと下ることが出来ます。
私達は途中で引き返し、青線を降りて出口Eに向かいました。



 

< 3.出口周辺、地図のS >

上の写真: 出口辺りから西側の海岸線を見ている。


 

< 4. 島の西端から >

左上の写真: 出口から人が出て来ている。
右上に鐘楼が見える。

右上の写真: 下を見下ろすと、海岸に突き出した小屋が見える。

下の写真: 大砲が睨みを利かしている展望台。




 

< 5.絶壁 >

上の写真: 出口のある建物を見上げた。

下の写真: 最上階は食事室だろう。
地震が起きたらどうなるのだろうか?
不安がよぎる。



 

< 6. 正面に出た >

黄色線ルートが終わり、赤線ルートの始まり。

右上の写真: 右側の階段を上ると、修道院内部の見学ルートとなり、既に紹介しました。
左の道を進むと、街を見下ろす赤線ルートになります。


 

< 7.  街を見下ろす道から 1 >

赤線ルートを進む。


 

< 8. 街を見下ろす道から 2 >

赤線ルートを進む。


 

< 9. 街の裏側を下る 1 >

青線ルートを降りる。

左上の写真: 墓地が見える。
右上の写真: 墓地から見上げる。
下の写真: ウミネコが煙突に巣を作っていた。




 

< 10. メイン通りを抜けて、城外に出る >

 

< 11. 桟橋から >

これで半日に及ぶモンサンミッシェルの観光が終わりました。


今思うこと
充分に観光時間を割いてくれたツアーでしたが、それでもまだまだ感じたい知りたい事を多く残して来たように思う。

私がモンサンミッシェルに興味を持ち始めたのは1961年の映画「エル・シド」を見てからでした。
チャールストン・ヘストン演じる馬上の騎士エル・シドが海岸に聳える城を遠望している姿が、印象的でした。
これ以降、是非ともいつかはモンサンミッシェルに訪れたいと思うようになりました。
やっと、その望みが叶えられました。

実は旅行間際に調べてみると、この映画の舞台はスペイン、バレンシアの海岸の城だったことを知りました。
それでも遠浅の浜に聳えたつ中世の建築物は見応え充分でした。

ここには1000年にも及ぶ篤き信仰心に支えられ、途方もない労力を注ぎ込み造られた教会があった。
また100年に及ぶ海峡を挟んだ巨大な戦争によって大要塞と化した。
この時は、ジャンヌ・ダルクも救援に駆け付けようとした。
フランス革命後は打ち捨てられていたが、今は貴重な文化財として保存されている。

この島の魅力は、巨大で荘厳な教会と要塞が一体でありながら、その内部に庶民が暮らす街が共存していることかもしれない。
初めは聖地として選ばれた海岸から離れたこの岩山が、それ故に要塞となった。
心の平和を希求するがゆえに選んだ地が血生臭い要塞となってしまった。
実に人間らしい産物と言えるかもしれない。


次回から、ロワール地方を紹介します。