20170506

Bring peace to the Middle East! 77: Why was it exhausted ? 15: What happened in Congo ? 3



中東に平和を! 77 なぜ疲弊したのか 15: コンゴで何があったのか 3




< 1. White mercenaries hired by Congo >
< 1. コンゴに雇われた白人傭兵 >


In 1960, although the Congo was able to be independent, it had to go to a road of suffering afterward, too.
I will investigate why the Congo must be exhausted.
That is because the colonial occupation completely destroyed the society.


1960年、コンゴは独立したのですがその後も苦難の道を歩みます。
なぜコンゴが疲弊せざるを得なかったのかを探ります。
それは植民地下の仕打ちが、社会を完全に破壊してしまったからです。





*2


Introduction
Most countries except the West and Japan had become colonies in the last few centuries.
In ancient time, even the West was colonized or was ruled by different ethnic groups.

What of the colonial occupation in these centuries destroyed this society ?
I organize the problems.




はじめに
欧米と日本を除く世界のほとんどの国はこの数世紀の間に植民地になりました。
古くは欧米でさえ異民族に支配されたか植民地になっていました。

ここ数世紀の植民地政策の何が社会を破壊してしまったか。
問題点を整理します。




*3


A.  Monoculture:  colonial master compelled the colony to cultivate only a kind of  crop.

The reason was for importing cheap food and raw materials and exporting own industrial products.
As a result, the colony became impossible to be self-sufficient, and starvation caused by unseasonable weather could occur.
In addition, the industrialization of the colony became underdeveloped, and it became impossible to escape from dependence on the colonial master .
Even after independence, these colonies were exposed to dumping ( by various agricultural protection policies) of agricultural crops of major powers and many farmers were hard hit.

B.  An obscurantist policy: colonial education was kept to a minimum in order to keep costs down and to prevent awakening of indigenous people's political consciousness.

As a result, their literacy rate became lower, a modern political culture did not grow up, and  it became a factor hindering their democratization.

C.  Division policy:  colonial master gave important posts to one side of tribes and sects, and fanned the flames of hatred and distrust against each other, to prevent independence and rebellion by indigenous peoples,

This led to division and conflict after independence.

D.  Puppet regime:  colonial master preserved colonial exploitation regimes and made a puppet of the top or king in the interest of saving time.

The colonial master or multinational enterprise has supported the puppet regime being a dictatorship and prevented all democratic movements in order to securing interests (resource exploitation) even after the independence.





A モノカルチャー: 宗主国は植民地に単一の農作物だけを栽培させた。

理由は安価な食料・原料輸入と工業製品輸出の為でした。
これにより植民地は自給自足が不可能になり、天候不順による飢餓が発生し易くなった。
また植民地は工業化が未発達になり、宗主国からの依存から抜け出せなくなった。
独立後も、植民地は大国の農作物のダンピング(農業保護政策による)に晒され農民は大打撃を受けた。

B 愚民化: 植民地の教育は費用を抑え、先住民の政治意識の覚醒を防止する為に最低限度に留められた。

これにより植民地の識字率が低くなり、近代的な政治風土が育たず、民主化を阻む要因になった。

C 分断政策: 先住民による独立や反乱を防ぐ為に、部族や宗派などの一方だけを重用し、相互不信と憎悪を植え付けた。

これが独立後の分裂と紛争に結びついた。

D 傀儡化: 宗主国は手間を省く為に植民地の搾取体制を温存しトップを傀儡化した。

宗主国やグローバル企業は独立後も利権確保(資源収奪)の為に独裁者の傀儡政権を支え、民主的な動きを封じて来た。




*4


F.  Border determination: the border was determined by the convenience of some colonial masters, and the relation between existing tribes were broken.

Many tribes had been coexisting within the enforced border, and the borders were only an obstacle for nomadic people or farmers of jungle land.
Also during the Great War, many colonial masters added fuel to ethnic independence and eventually betrayed them, but this also became a source of internal conflict later.

The reason why a former colony being independent do not go well can be summarized in these, but it is still not enough.




F 国境決定: 国境は宗主国同士の都合で決まり、既存の部族間の繋がりが断ち切られた。

強制された国境内には多くの部族が共存していた、また遊牧民族や焼き畑農耕民にとって国境は障害だった。
また大戦時、宗主国は民族独立を煽り、最後には裏切ったが、これが後の内紛の火種にもなった。


かつての植民地が独立してもうまく行かない理由はこれらに集約出来るのですが、まだ不十分です。





*5



A deeper reason

"The Western countries that were once invaded are developing.
But the Africa and the Middle East still are exhausted.
Why are there different among these? "

This point is important.

Looking back on the war and domination among Western European countries since the Middle Ages, the aforementioned five problems were not as harsh as against colonies of other areas.
Furthermore, it was a few centuries ago that the Western Europe countries became national states.

So then, why was not it harsh?

They were the same Christians, and also belonged to the same civilization having similar languages and ethnic groups.
And they continued to evolve in the same way, and the military power almost had been held in equilibrium.
This affected ways of the war and domination.

In reverse, this thing resulted in a difference from colonial rule against the Africa and Middle East.

This continues to the next time.




さらに深い理由があります

「 かつて侵略された欧米は発展している。

  しかしアフリカや中東は未だに疲弊している。
  なぜ違うのか?  」

この指摘は重要です。

中世以降の西欧諸国間の戦争と支配を振り返ると、前述の5つの問題は他の地域の植民地ほどには過酷でなかった。
さらに西欧は現在の国民国家の形になって数世紀を経っています。

それでは、なぜ過酷ではなかったのでしょうか?

彼らは同じキリスト教徒で、言語や民族も似通った同じ文明圏に属していました。
そしてはぼ同様に発展し続け、軍事力でもほぼ均衡していた。
このことが戦争や支配の仕方に影響を及ぼした。

逆に、このことがアフリカや中東の植民地支配との違いを生んだのです。


次回に続きます。

20170503

何か変ですよ! 56: 今ある恐怖 1




  

< 1.米財務長官 >


今、私は漠然とした恐怖を感じている。
それは日本だけでなく米国、中国、ヨーロッパなど世界に通じるものです。
これから、この巨大で徐々に姿を現しつつある恐怖について語ります。


はじめに
日々のニュースから、私は日米欧先進国の社会で大きな濁流が起きているように思える。
しかも、それが益々巨大化しているにも関わらず、多くの人々はその兆候と恐ろしさに無頓着のように思える。
私はこの世界の行き着くところを想像すると恐ろしくなる。

歴史を振り返ると、まったく同じ状況は存在しないが、不幸へと突き進む同じメカニズムが働いているように思える。
それは一度、蟻地獄に落ちると、もがけばもがくほど抜け出せなくなる状況と似ている。

それでは幾つかの恐怖の正体を見て行きましょう。


米国で起きていること
如何に大統領が変わろうと、世界最大級の投資銀行ゴールドマン・サックスの幹部が必ずホワイトハウスで経済と金融政策を担当することになる。
クリントン、ブッシュ、オバマ、トランプなどが、選挙戦で如何に綺麗ごと―金持ちの味方ではなく庶民の味方だと、言っていても同じ結果になる。
それはなぜなのか、ゴールドマン・サックスの彼らが、ずば抜けて優秀で強欲だからか、それとも経済運営と選挙資金集めに不可欠だからか。

細かい解説は専門家に任せて、我々は全体を俯瞰することで米国の空恐ろしい状況を知ることが出来るはずです。
これから語ることは厳密さよりも大きな流れを感じることを目指しています。


 
< 2. 米国の大統領選挙費用の推移 >

選挙費用は年を追って巨額になっている。
集金能力の高い人か、はたまた自分のポケットマネーで選挙費用を賄える超金持ちしか大統領になれない。
結局、選挙を制するのは資金の多寡かもしれない。


 
< 3.ゴールドマン・サックスの業績 >

この20年間、この投資銀行の業績はうなぎ登りと言える。
この間、この企業は大きな問題だけでも、1998年のLTCMヘッジファンドの破綻、2007年のサブプライムローン、2010年のゴールドマン・ショックなどに関わって来た。
この手の金融企業大手(ビッグ・シックス)は、米国だけでなくメキシコ、ロシア、アジア、ヨーロッパなど、それこそグローバルに世界経済を危険に陥れる投機に走り、その都度ホワイトハウスに助けられ飛躍し、我が世の春を謳歌している。
尚、クリントン政権の誕生は1993年でした。


例えばヘッジファンドに限て見てみよう。注釈1.
米国のファンドマネージャーが2015年の1年で1700億円を稼ぎました。
これは一つの産業の売り上げではなく一個人の収入なのです。
米国のヘッジファンドの運用総額は300兆円弱あり、毎年の運用益10%、マネージャーの成功報酬20%として6兆円をマネージャーが山分けすることになります。
当然、投資・投機の運用総額はこれの数倍あり、これに釣られて強欲に走るのは無理のないことかもしれない。
誰かが監視すべきだが・・・・。

なぜ毎年運用益の実績が10%近くあるのでしょうか?
通常、莫大な資金を製造業に投資してこれだけの利益を出し続けるのは不可能です。
方法としては、画期的なコンピューター・プログラムで株等の自動取引を行い莫大な利鞘を稼ぐか、はたまた企業買収を繰り返す手があります。
しかし最も稼いだのは一国の為替取引やサブプライムローン(不良債権を紛れ込ました証券)の売買でした。
その売買はレバレッジ(担保なしの高額の借金)を利かせた先物取引等で行われます。

この一見合法的な取引の果てに、毎回、世界各国は金融危機に陥り、多くの失業者と命を縮めた人々を生み出して来たのです。
不思議な事に彼らが成功しても失敗しても、ほぼ同じ結果になります。
言い換えれば、そこには必ず強奪された莫大な資金か、強奪に失敗した莫大な借金があるからです。

彼らは優秀な頭脳によって日々新たな方法を開発し、儲かるとあればどのようなものでも互いに先を競って売買します。
その結果が国家や国民を如何に破綻に追い込むかは、彼らには無縁で、責めを受けることもほとんどありません。
金額が巨額なだけに失敗した時、国は必ず彼らを助け、多少見逃してくれるし、頼めば規制を取り除いてくれる(政治家に見返りが入る)。

しかし彼らが稼ぐ為に最も不可欠なものとは何でしょうか?
それは国が貨幣供給量を増やし続けることです。
一度、貨幣発行をゼロにすればその効果がわかるのですが、他の経済活動も停止してしまうので出来ません(恐慌)。
もっとも中国のように強引に投機資金を制御すれば別ですが。


 
< 4.米国の貨幣供給量 >

Ⅿ2(赤い線):現金通貨と国内銀行等に預けられた預金を合計したもの。
簡単に言えば、景気が良くて経済成長する時は赤線の貨幣供給量が増大します。
しかし増加し過ぎるとバブルが発生しますので、中央銀行は調整します。

現在、世界の多くが貨幣供給量を増やし続ける政策を採っていますが、中でも米国は際立って多い。
日本はアベノミックスの前までは、長らく貨幣供給量を押さえてバブル発生を抑えて来ました。


 
< 5.米国の商業銀行の収益 >

貨幣供給量が増え始める1980年代から、金利以外(投資・投機)による収入が増加しているのがわかる。
最近のデーターはないのだが、その後を予想することは可能です。
これが金融界に富をもたらし、この富によって大統領選挙を通じてホワイトハウスが支配され、さらに富が一部の金融家に集中するようになったと考えられる。
尚、この端緒は1981年のレーガン大統領誕生でしょう。

20世紀の始め、世界は米国発の大恐慌とそれに端を発する世界大戦を経験し、米国は先頭を切って元凶となった無謀な金融行為を禁止する法を制定した。
しかし米国の規制緩和、俗に言う金持ち優先の政策はその後、表面を繕いながら着実に進められて来た。
米国民はなぜこの経済・金融政策の転換を傍観して来たのか?
一つには、ホワイトハウスが「米国の経済・金融がグローバルな競争に生き残る為の規制緩和が必要」と説明して来たからでした(他にも理由はある)。
この1933年に制定されたグラス・スティーガル法(規制法)は、1999年ついに廃止された。


 
< 6.米国政府の債務 >

国民は米国の金融が世界をリードすれば米国経済は復活すると信じ込まされて来た。
国民は確かにバブル絶頂期の度にそれを確信することが出来ただろうが、必ず訪れるバブル崩壊後、また裏切られることになる。

この裏で、国民がおそらく実感していない深刻なことが起こっていた。
世界経済を幾度も破綻寸前まで追い込んだ金融家達を、ホワイトハウスは恐慌にしない為と言い、莫大な公的資金をつぎ込んで救って来た。
それは数百兆円の国債発行となって累積債務が膨らみ続けている。注釈2.
現在、一人で毎年数十億円を越える所得を得る強欲な金融エリート達が蔓延る一方、将来、その後始末として国民はその借金を広く負担することになる。
おそらくインフレか増税で、これは所得の低い人ほど厳しく圧し掛かる。

こうして、危険な博打うち(投機的な金融家)ほど高収入を得て、博打が失敗したら国が助け累積債務を増大させて来た。



 

< 7.米国の所得 >

一方、米国民が選挙で必死に選んだ大統領は何をしてくれたのだろうか。
馬鹿げたことに、1980年代から米国の富がほんの一部の金持ちだけに集まる仕組みをホワイトハウスが作っただけだった(税制と金融政策が大きい)。

これでは溺れるも者は藁をも掴むとの諺通りであって、トランプを選んだ人々を責めるのは酷かもしれない。
別の選択もあったかもしれないが・・・・。



 
*8


問題を要約してみよう
一つの問題は、あたかも地球が強欲な金融資産家らによって牛耳られるようになったことです。

この端緒は20世紀始めの米国に遡るが、1980年代より本格化し、欧米が自由主義経済圏の中で競っている内に、各国がこの泥沼から抜け出すことが出来なくなってしまった。

各国は競争の為に労働者の賃金や法人税、為替で叩き売りをせざるを得なくなった。
またあらゆる企業は巨大化し、規制を外すことで競争に勝たなければならなかった。

さらにインフレ退治と兌換紙幣の制約から逃れる為に、世界各国は自由な貨幣供給体制を選択し、自国の経済成長を自在に制御することを目指した。
この過程で、金融資産家が米国を筆頭に幅を利かせるようになっていった。
そして現在の状況に陥ってしまった。

この状況は、今までになかった新しいタイプの災厄だろう。

歴史を紐解くと、ロ―マの衰亡に似ているかもしれない。
ローマは初期に共和制だったが、軍によって領土拡大と成長を続ける内に軍が実権を掌握し、帝政へと変貌する。
しかし、軍の維持と特権層による富の集中(圧倒的多数になった貧困層)はやがて社会を疲弊させた。
そしてあれほど巨大さを誇ったローマは、いとも簡単に野蛮な民族に打ち破られた。

これからの米国は軍産共同体だけでなく、むしろ自己増殖する金融資産家らに益々支配されていくことだろう。
このメカニズムはまったくローマと一緒と言える。

つまり自己崩壊するか、他者により止めを刺されるまで暴走し続けるしかないのかもしれない。


もう一つ恐れていることがある
上記の状況分析は心ある学者により既に指摘され続けていたことで、私はこのブログで幾度も書いて来た。
一言で言えば、後ろから押されて崖っぷちに追い込まれているのに身動き出来ない恐ろしさです。

問題は、現代文明をリードする国民が、この自明とも言える状況を今まで何ら改善出来ず、むしろ加速させて来たことです。
そしてついにトランプと言う危険なカードを引いてしまった。
無害で済めばよいのだが。
米国の状況は今後、雪だるま式に歪が拡大することになるか、予想外に早く崩壊するかもしれない。
その引き金がトランプでなければ良いのですが。

なぜ人々は、この状況を変えることが出来なかったのか?
考えられるのは米国民がこの事実を知らないからか、またはカモフラージュされて見えていないからか。
それとも例え皆が知っていても、現状の大統領選挙制度等では国民の望む改善が出来ないと諦めているからか。


 

< 9. 米国のGDPと失業率 >

トランプが非難したNAFTA1994年の北米自由貿易協定)は逆に米国の失業を減らしているように見える。
失業を増やしたのはバブル崩壊です。


 
< 10. 米国の人種別失業率 >

このグラフからは、今回、トランプを選んだラストベルトの白人労働者が訴えた、移民によって職を奪われたと言うことを確認出来ません。
むしろ白人の失業率は低く、アジア人を除いてヒスパニックや黒人の失業率が拡大している。

つまりメキシコが悪の元凶だとは言えないのに、スケープゴートすることにより国民を真の問題から遠ざけているように思える。
そして大半の人々がその手に乗せられたと言える。

この状況で思い当たるのは、ナチスの行ったことです。
ヒトラーがドイツ国民を煽動する為に訴えたのは「ユダヤ人排斥、共産主義排除、軍事力による帝国の再興」でした。
この内、ユダヤ人排斥は帝国の再興に最も意味をなさないように思えるが、国民の憎悪を高め、国民を一つにまとめるには有効だった。
これでヒトラーは力を得たが、その一方で無実の人々が多数死んでいった。

歴史上、このような壮絶な例は他にはないだろうが、国内問題や真の問題から目を逸らす為に為政者はスケープゴートを繰り返して来た。
トランプの成功の一つは、この巧みさにあったと言える。
この手のまやかしが上手いことと、国民の為の政治を上手く行えることとは別です。

残念なことに、今、現代文明をリードする先進諸国で、あたかも共鳴するように同じ扇情、スケープゴート、が起こっている。

私はこの扇情に踊らされている状況を恐れています。


実は、世界はこれと関わりながら新たな恐怖に晒されつつあるのです。
そのことについて次回考察します。



注釈1.
「超一極集中社会アメリカの暴走」小林由美著、p76-79.

注釈2.
「大統領を操るバンカーたち」ノミ・プリンス著、p350.







20170501

海外旅行のすすめ 5: 初めてのヨーロッパ 4





< 1. ドイツの鉄道 >
おそらくはニュールンベルグからフランクフルトまでの移動に使った鉄道の駅にて撮影。


今日で、私の初めてのヨーロッパ旅行の紹介を終えます。
当時の写真がありましたので掲載します。


写真について
写真は1984年11月18日から25日までの間に撮影したものです。
記入の撮影場所はおぼろげな記憶にもとづいていますので参考程度です。



< 2.いざヨーロッパへ >

上の写真: アンカレッジ空港。
当時はヨーロッパに行くのにアジア大陸(ロシア)上空を飛べ無かったので、ここに寄り北極海上空を飛んだ。

下の写真: コペンハーゲンの駅。
コペンハーゲンで宿泊したホテルの直ぐ近くにあった。



< 3. コペンハーゲン >

上の写真: コペンハーゲンの河口。
ホテルから4km離れている。

下の写真: 街並み。





< 4. コペンハーゲン >

下の写真: おそらくは宮殿の衛兵の交代前後の行進。




< 5.北欧の郊外 >

おそらくはデンマークかスウェーデンの郊外の集合住宅。





< 6.スウェーデン >

上の写真: おそらくはスウェーデンのガブルの駅構内。
自由に入って撮影。

下の写真: おそらくはストックホルムからガブルへの北上途中。




< 7.ドイツ >

おそらくはニュールンベルグかフランクフルトのバスの車窓から撮影か。







< 8.ニュールンベルグ >

中央に見える円柱の建物はニュールンベルグ旧市街を囲む城壁の正門跡。
この門は旧市街の南東にある。




< 9.ニュールンベルグ >

上の写真: ニュールンベルグのマルクト広場に向かっている。
おそらく遠くに見える二つの尖塔は聖ゼーバルドゥス教会で、その手前に広場がある。

下の写真: おそらくニュールンベルグの通り。
写真を見ると、通りを行きかう人の当時の服装がわかって面白い。


私は初めて、ニュールンベルグでヨーロッパのマルクト広場を見ることになった。
中世の建物や荘厳な教会に囲まれた広い広場、そして溢れる賑やかさに私は興奮した。
時折、今でも当時の新鮮な感動を思い出すことがあります。

そこでは、かって市民が集まり決起する歴史的な事件があったことだろう。
この後、数多くのヨーロッパの都市を訪れ、その歴史に触れる度に胸が熱くなることがある。

私にとって海外旅行は、その都市とそこに生きる人々の葛藤や喜びを感じることが
出来ることです。
そこに立ち、歴史を知ることで、その共感はより深まります。

この都市で大戦後、ニュルンベルク裁判が行われた。
この旧市街が大戦時、連合国軍の空爆で完全に破壊された後の再建だとは当時知らなかった。
他のヨーロッパの旧市街を幾つも訪れたが、人々は諦めることなく、私は素晴らしい再建を行ってことに敬服した。




< 10. フランクフルト >

おそらく帰国時の飛行機からの撮影でしょうか。


これで初めてのヨーロッパ旅行の紹介を終えます。
次回から別の旅行を紹介します。




20170429

Bring peace to the Middle East! 76: Why was it exhausted ? 14: What happened in Congo ? 2

中東に平和を! 76 なぜ疲弊したのか 14: コンゴで何があったのか 2



< 1. Leopold II of Belgium >
< 1.ベルギー国王レオポルト2世 >


A king who didn't look like cruel person left a permanent scar on Congo.

冷酷非情には見えない王が遺したもの。





<2. Belgium and the Congo Free State >
< 2. ベルギーとコンゴ自由国 >

Dawn and the beginning of tragedy
Here was the Kingdom of Congo with a population of 2 - 3 million people since the 14th century.
In 1482, Portugal, a pioneer in the Age of Discovery, discovered this kingdom and the two kingdoms began diplomatic relations.
The king of Congo became Catholic and began to actively adopt Western civilization (the technology and institution).
However, many slave merchants became working behind the scenes, and conflicts of slave hunts among tribes were intensified for obtaining guns.
The next king that felt a sense of crisis about the slave trade appealed to king of Portugal and but it was ignored.
Before long, the kingdom was adding another layer of confusion due to expanding slave hunts, the spread of guns, and repeating throne succession war.

But this was only a beginning of tragedy.
Eventually the Portugal withdrew, and France replaced it in the 17th century, began to trade of slave and ivory with the Kingdom of Congo.
After Western Europe experienced the industrial revolution, in the end of the 19th century when the slave trade declined, each country began competing for obtaining a colony in the last continental Africa. 
In 1884, Western powers decided to divide Africa at the Berlin Conference, this area was divided by France and Belgium, and finally the kingdom of Congo disappeared.


黎明と悲劇の始まり
ここには14世紀から続く人口200~300万人のコンゴ王国があった。
1482年、大航海時代に先鞭をつけたポルトガルがこの王国を発見し、両王国は国交を開始した。
コンゴ王はカトリック教徒となり、西欧文明(技術、制度)を積極的に取り入れ始めた。
しかし奴隷商人が暗躍し、銃入手の為に奴隷狩りによる抗争が部族間で激化した。
次の王は奴隷貿易に危機感を持ちポルトガルに訴えたが無視された。
やがて王国は拡大する奴隷狩りと銃の蔓延、度重なる王位継承戦争で疲弊の度を深めていくことになる。

しかしこれは惨劇の序章に過ぎなかった。
やがてポルトガルは撤退し、17世紀にはいるとフランスが進出し、奴隷と象牙の貿易を行った。
西欧は産業革命を経て、奴隷貿易が衰えた19世紀末になると、各国は最後に残ったアフリカで植民地の獲得競争を始めた。
1884年、欧米列強はベルリン会議でアフリカ分割を決め、この地はフランスとベルギーによって分割され、ついにコンゴ王国は消滅した。




< 3. Atlantic slave trade >
< 3.大西洋奴隷貿易 >

In the centuries, the slaves who were taken away from the Guinea bay in Africa ranged from 1,000 million to 20 million people, perhaps the area was robbed of a half of the population and the society was seriously damaged.

The eastern area that occupied the majority of the Congo became the private estate of Leopold II of Belgium (Congo Freedom Country).
At first, the king advanced modernization of the country, but it turned into tyranny when it became a deficit.
The indigenous peoples were forced to be slaves and were thoroughly forced to work to gather ivory and rubber.
At that time, even in European countries that it was natural to exploit colonies, the tyranny was hard criticized.
Unwillingly Belgian government bought the Congo Freedom Country from the King of Belgium and it became colonial Belgian Congo (1908 - 1960).

On the other hand, small areas on the west side became French territory.
France entrusted the development of the Congo to a white company and it carried out exploitation thoroughly.

These tyrannies laid waste to the society and prepared a path that would become a country where violence and dictatorship occurred frequently even if they would be independent.


この数世紀の間に、アフリカのギニア湾から連れ去れた奴隷は1000~2000万人にのぼり、おそらくは人口の半数が奪われ、社会は大打撃を受けた。

コンゴの大半を占める東側の地はベルギー国王レオポルト2世の私有地(コンゴ自由国)となった。
当初、国王は近代化を推し進めたが、赤字になると暴政へと転換した。
現地住民は奴隷にされ象牙やゴムの採集に徹底的に使役された。
当時、植民地で収奪することが当然の欧州諸国においても、この暴政は非難の的となった。
しかたなくベルギー政府は国王からコンゴを買い取り、植民地ベルギー領コンゴ(1908年 - 1960年)となった。

一方、西側の小さな地はフランス領となった。
フランスはコンゴの開発を白人企業にゆだね、白人企業は徹底した搾取を行った。

これらの暴政が社会を荒廃させ、独立しても暴力と独裁が横行する国家となる道筋を準備した。



*4

The tyranny of the King of Belgium
In the Congo Freedom country (1885-1908), the King monopolized the trade of ivory and rubber, and gained enormous wealth.

At that time, a demand for Congolese natural rubber for automobile tires was robust.
While eight years of its latter half, the rubber production increased by 24 times, but it was due to the harsh a quota system that indigenous people was imposed on.
If the people could not achieve the quota, their hands and feet were cut.
In addition, the population has decreased to 9 million from 30 million of the initial stage.
The number of people killed was comparable to the Jewish massacre (Holocaust).

The army founded by the king was commanded by white officers and the soldiers consisted of indigenous warriors and slaves.
The purpose of this army was not to maintain security, but to overwork the people (indigenous people that became slave).
The army whipped the people, kidnapped the women and children of those who did not comply with the quota, and burned down the village.
The soldiers had to submit to the superior officers a human hand that was cut as a proof of ammunition that they used for the subjugation.
This purpose was only to prevent using wasteful bullets.

In addition, the King aimed to expand own territory.
When a tribal king of the south side (Zambia) partnered with a British national policy concern, he sent the army, shot to kill the king and changed a puppet king.

This continues to the next time.



ベルギー王の暴政
コンゴ自由国(1885-1908)において、王は象牙とゴム取引を独占し巨万の富を得た。

当時、自動車タイヤ用にコンゴの天然ゴムの需要は旺盛であった。
後半の8年間でゴム生産量は24倍になったが、これは先住民の過酷なノルマ制によるものだった。
ノルマを達成出来ない住民は手足を切断された。
また人口は当初の3000万人から900万人にまで減少した。
殺された人数はユダヤ人虐殺(ホロコースト)に匹敵した。

王が創設した軍は白人の将校が指揮し、兵は先住民の戦士や奴隷からなった。
この軍の目的は治安維持ではなく、国民(奴隷にされた先住民)を酷使する為であった。
軍は国民を鞭打ち、従わない者の婦女子を誘拐し、村を焼き払った。
兵は討伐時の弾薬使用の証明として切断した手を上官に提出しなければならかった。
これは銃弾の無駄遣いを防止する為であった。

また王は領土拡大を目指し、南部(ザンビア)の部族長が英国の国策会社と手を結ぶと、軍を送り彼を射殺し、傀儡を据えた。

次回に続きます。


20170426

平成イソップ物語 16: 蜘蛛と花




 
*1


ある所に花々が咲き誇る谷がありました。


 
*2


花たちが悲鳴を上げています。

「キャー、私の体(葉っぱ)が青虫に食べられている。」

花たちが困っていると、隣の木立の中から声が聞こえました。

「私達が助けてあげましょうか?」

「蜘蛛の巣であなた方を覆ってあげれば、青虫が蝶になって飛んで行くとき、捕まえることが出来ます。」

「もうこれで青虫はあなた方に着くことが出来ない。」


 
*3


花たちは言いました。

「蜘蛛さん、ありがたいのですが、一つお願いがあります。」

「蜘蛛の巣の目を大きくして、小さな蝶は通れるようにしてください。」


蜘蛛は答えました。

「それは簡単なことです。それではさっそく蜘蛛の巣を張りましょう。」


 
*4


その後、大きな蝶と大きな青虫の姿が消え、替わって小さな蝶たちが受粉してくれたので花は咲き続けることができました。

しかしさらに月日が経つと、その谷から花は消え、蜘蛛の巣が野原を覆うようになりました。

それは蜘蛛たちが増え、蜘蛛の巣の目を小さくした為に、小さな蝶も捕まえてしまったからだとさ・・・・



 
*5

おわり。


注釈1.
これは日本政府が米国家安全保障局(NSA)に協力して、国民を監視している状況を揶揄したものでは決してありません。
純粋に自然界の摂理を謳いあげたものです。
他意はありません。
どうかこのブログも監視されていないことを切に望みます。