20170314

海外旅行のすすめ 1: はじめに



< 1.ホーチミンにて >


私は約30年で海外30ヵ国以上を訪れました。
そして様々な感動を得て、多くの事を学びました。
これから皆さんに海外旅行の素晴らしさをお伝えしたいと思います。


はじめに
これからお話することは海外の絶景や観光地の事より、主に私がそこで何を感じ、何を知ったかについてです。

私は周囲の多くの人が海外旅行に興味を持っていないことに驚かされます。
これはこれで良いのですが、それらの人の多くは海外事情に無頓着で、特に欧米先進国の良さに疎い。
海外を知らないと、どうしても井の中の蛙に陥りがちです。

もっとも今の私は好奇心が疼くから海外旅行に行っているようなものですが。

日頃、思索し、本を読み、調査結果をブログに書くようになると、海外旅行で知った生きた知識は本当にありがたい。
また私はある商品開発で海外の見聞がヒットに繋がりました。


私が海外旅行に関心を持ち始めたのは、私の父がプラント設置のためによく長期海外出張したからでした。
その後、私が勤めた会社で、海外へ視察や慰安旅行に度々行くことになりました。
サラ―リマン時代は、暇が無くて海外旅行には行けなかったのですが、早々と定年してからは、毎年、夫婦で海外旅行を楽しんでいます。

これから、私の様々な海外旅行の体験を元に、皆さんに旅行の素晴らしさ、喜び、得たものを紹介したいと思います。



私が訪れた海外
私の訪問先の概略を紹介します。


 
 
< 2AB. 私が訪れた海外 >

赤枠と赤線は、私が旅行や視察で訪れた地域です。
日本に近い所から紹介します。
夫婦で行っていない場合のみ特記します。
ツアーとは旅行会社の企画旅行のことです。
既にブログで紹介している旅行記は「タイトル」を付記します。
ブログサイトによっては上記旅行記を削除している場合があります。


1. 韓国
計3回旅行し、内1回は慰安旅行で3日間のソウル観光で、残り2回は4日間の周遊ツアーで行きました。

1回目のツアーでは夢中になっていた韓国歴史ドラマ「ソドンヨ」「チャングム」と景観が重なり大いに盛り上がりました。
連載「韓国旅行」は2回目のツアーです。


2. 中国
計7回訪問し、内3回は慰安旅行で北京、上海、香港・広州をそれぞれ3日間で観光しました。
工作機見本市の視察の為に、上海に行きました。

厦門(アモイ)を訪ね、中国の友人の案内で4日間の心温まるディープな旅行を楽しみました。
「驚きの要塞住居」。

5日間の西安・洛陽を巡るツアーに私一人が参加しました。
「秦の始皇帝の兵馬俑」。
桂林5日間のツアーで行きました。
連載「桂林を訪れました」。

80年代、大都市広州を深夜一人で街歩きをして、中国の発展を確信することが出来ました。
中国を旅行していて歴史遺産の保存状況が悪いので興覚めすることも多いのですが、それでも日本に深く影響を与えた様々な事跡を見ることは感動的です。
また30年の間、幾度も訪問し、その経済や技術の発展の凄さを見ることは愉しみです。
  

3. 台湾
計2回旅行し、内1回は台北3日間の慰安旅行で、これが私の初めての海外旅行でした。
後に5日間の台湾一周ツアーで行きました。
「台湾旅行1: 太魯閣(タロコ)峡谷」。

1回目当時、台湾は白色テロの末期だったのですが、夜中、一人での街歩きで印象は大きく異なりました。
2回目では、中国本土に比べて短いその歴史と日本の植民地時代の名残に気付かされる旅になりました。


4. ベトナムとタイ
1回だけですが、初めてのタイプの海外旅行をしました。
連載「ベトナム旅行」。
姪の結婚式参加に合わせて、ホーチミンとバンコックを中心に9日間の自由旅行を計画し、ホーチミンではベトナムの友人と久しぶりの再開を果たしました。

現地の友人に案内してもらう旅はこれで2回目になりましたが、その国の文化や生活、社会状況を知るには最高の贅沢でした。


5. トルコとエジプト
トルコ一周とカイロを巡る13日間のツアーで行きました。
連載「トルコ旅行」、「トロイ」、「サッカラのピラミッド」。
夫婦で最初のアジア外の旅行でした。

この旅で、トルコの地方の生活を見てイスラム圏に対する偏見が消え、逆にかつての覇者エジプトの経済低迷に関心を持つようになりました。


6. パリ、スイス(2都市)、ドイツ(3都市)、コペンハーゲン、ストックホルム
これは私の最初の視察旅行で、ヨーロッパを代表する工場の視察と観光も加えた1週間以上の旅行でした。

私はこの旅行で、西欧の労働や生活スタイル、街並み、社会制度の素晴らしさを身をもって知ることになりました。


7. ドイツのハーノーバーメッセ(国際見本市)見学
これは2回目の視察旅行で、パリ観光以外はハンブルグに連泊し、3日間列車で見本市会場に通いました。

私は、この見本市の巨大さに驚き、また機械や機械工具の優れたデザインに感銘を受け、後に製品開発にその発送を生かすことが出来ました。


8. ドイツ、オーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキア
12日間ほどで、ドイツ・中欧・東欧を巡るツアーで行きました。
「ハルシュタット」、連載「チェスキー・クルムロフ」。

この旅を一言でいうと、中世の街にタイムスリップし、ロマンチックに酔いしれた一時でした。


9. スペインとポルトガル
スペインの東北部を除いて主要な観光地を訪れる13日間のツーで行きました。
連載「スペインとポルトガルを巡る旅」。

イスラムとキリスト教文化の対立と融合の歴史、大航海時代の胎動、広大な荒野と少し古びた街並みを味わった旅になりました。


10. ドバイ、クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ
バルカン半島のアドリア海に接する国を巡る9日間のツアーで行きました。
連載「クロアチア・スロベニアを巡って」。

天気に恵まれたせいもあるのですが、アドリア海と共に生きる暮らしと中世海洋都市国家の面影が鮮明に今でも思いだされます。
さらに内陸部の複雑な民族混合の歴史が招いた内戦を深く理解することにもなりました。


11. 地中海とカナリヤ諸島を巡るクルーズ
15日間で、イタリア(3都市)、スペイン(2都市と島)、モロッコ(1都市)、ポルトガル(島のみ)を観光付きクルーズツアーで行きました。
連載「地中海とカナリヤ諸島クルーズ」。
初めてのクルーズでした。

大西洋に浮かべ島々への早朝の着岸、カサブランカとバルセロナの街歩きが楽しい思い出になりました。

12. ロシア、バルト三国、ワルシャワ
9日間のツアーで行きました。
連載「ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅」。

大陸北方の自然の厳しさと黄葉の美しさを見ることが出来ました。
また、この地の歴史と社会状況に興味を持って旅立ったのですが、現地での観察と人々との対話が、大いに私の理解を深めることになりました。



今後、私が行きたい海外
まだまだ行きたい所はあるのですが、旅行資金がそろそろ底をつきそうなので、希望だけを記します。


 

 

< 3AB. 今後、私が行きたい海外 >

青枠は今年と来年中に行きたい優先度の高い国です。

1. フランス一周
南仏、ストラスブール、パリ、モンサンミッシェルなどを2週間ほどで巡りたい。

2. バリ島滞在
海岸リゾートと山間部のウブドにそれぞれ滞在し、じっくり自然と文化に浸りたい。

3. 米国一周
世界のリーダー米国の首都と東海岸、西海岸、南部、中西部の代表的な5都市を2週間ぐらいで見て回りたい。
そこで社会と文化、人々に触れ合いたい。


ピンク枠は出来れば半数は行きたい海外。
東側から順番に紹介します。

4. 南米ペルー
インダス文明の遺跡とイグアスの滝を訪れたい。

5. メキシコ
現代のメキシコ社会、マヤ文明の遺跡とカリブ海を見たい。

6. インド
現代のインド社会を見て、仏教とヒンドゥー教の遺跡を巡りたい。

7. イラン
悪の枢軸と呼ばれながらも内戦の無い強固なイスラム社会、さらに昔ながらのたたずまいを残すイスラム都市とペルシャの遺跡を巡りたい。

8. イスラエル
中東問題の震源地、ユダヤ教とキリスト教の誕生の地、人類農耕の揺籃の地を巡りたい。

9. ギリシャとクレタ島
難民問題で揺れるギリシャを見て、古代ギリシャ文明、エーゲ海文明とビザンチン文化の遺跡、エーゲ海を巡りたい。

10. バルカン半島とブルガリア、ルーマニア
民族大移動の通り道、東西南北の文化が衝突し混淆する地域を訪れたい。
前回はセルビアやマケドニアを旅していない。

11. 南アフリカ
アフリカの南端、動物の王国、アパルトヘイトの国を見たい。

12. ベネルックス三国
オランダ、ベルギーを巡りたい。

13. 英国周遊
西欧史を理解するには英国は省けない。

14. 再び中国
まだ敦煌(シルクロード)、開封、大連(旧満州)、雲南、成都を訪れていないが、
大連と雲南は出来れば行きたい。


補足
利用したツアー会社は、ジャンボツアーズ3回、JTB1回、残りはすべてトラピックスです。
好みの旅行がありクラブツーリズムを予約することはあったのですが、結局はキャンセルしています。
自由旅行ではファイブスタークラブを1回使いました。


次回に続きます。




20170312

Bring peace to the Middle East! 72: Why was it exhausted ? 10: When did the world stand at a crossroad? 1


中東に平和を! 72:  なぜ疲弊したのか 10: 何が岐路になったのか? 1




< 1. Various countries >
< 1. 様々な国 >

A is Japan, H is Bolivia, I is Syria, and C is Switzerland.

Aは日本、Hはボリビア、Iはシリア、Cはスイスです。


Now in the world, there are countries that enjoy prosperity and peace, on the other hand, there are countries that suffer from poverty and conflict.
What was this gap caused by?
There is something we need to learn from it.

今、世界には繁栄と平和を享受している国がある一方で貧困と紛争に喘ぐ国がある。
この落差は何に起因しているのだろうか?
そこには我々が学ぶべきものがある。




< 2.  See the differences in the world >
< 2.世界各国の違いを見る >

Upper map: Gross domestic product, per-capita GNP. The rate is higher as much as the darker blue color.

Lower map: Degree of corrupt politics. the degree is worse as much as the darker red color.

上の図: 一人当たりの国内総生産GDP。濃い青色ほど高い。
下の図: 政府の腐敗度。濃い赤色ほど悪い。


Introduction
We may have accepted this gap as a matter of course.
But, what will you think abut it if this gap is caused by certain common cause?
Let's see the current state of the world easily.

I think that the representative of good countries are A Japan, C Switzerland, D America, and E Australia. Annotation 1.
These countries have the high gross domestic product, are low degree of political corruption, and have not become civil war.

The countries over 180 on other continents are struggling mightily.
In many cases, the economy is stagnant, the public safety is bad, and the politics is corrupt.

Once America and Australia were colonies, but became a white country.
Switzerland has not become a colony.
Japan has never been dominated by other countries at all.

The common point among these is only that it is not a country of people (indigenous people) under colonial rule.
Besides, it is important that these countries have not experienced Communist dictatorship.  Annotation 2.



はじめに
私達はこの落差を当然な事として受け入れている。
しかし、この落差がある共通の原因で起こっているとしたらどうだろうか?
世界の現状を簡単に見てみましょう。

順調な国の代表としてはA日本、Cスイス、Dアメリカ、Eオーストラリアでしょう。注釈1.
これらの国は国内総生産が高く、政治の腐敗度も低く、内戦もない。

他の大陸の180ヵ国を越える国々は悪戦苦闘している。
多くは経済が低迷し、治安が悪く、政治は腐敗している。

かつてアメリカとオーストラリアは植民地だったが、白人の国になった。
スイスは植民地になっていない。
日本はまったく他国に支配されたことがない。

これらに共通しているのは植民地支配を受けた人々(先住民)の国ではないことに尽きる。
他に、共産主義による独裁を経験していないことも重要です。注釈2.





<  3.  a few countries just did not experience colony >
< 3. 植民地を経験していない国 >

The world is almost full of colonized countries except for Europe, Russia and Japan.

植民地になっていない国はヨーロッパ、ロシア、日本を除いてほとんどない。






< 4. 過酷な植民地化を逃れた国々 >


Countries that escaped from harsh colonization
Will a country always be exhausted if it became a colony?
Rare countries could escaped from the difficulty even if these countries were colonized and the indigenous people are a major part.

French Tahiti (annotation 4) in the South Atlantic Ocean and French Guiana in the South America are rather supported because the both are less resource or have harsh natural conditions.

F Botswana in Africa is a relatively smooth country even within harsh colonies.
The Botswana was the poorest country at the time of independence in 1966, but has achieved steady economic growth. Annotation 5.
This was because several kings cooperated and secured independence for own country through a diplomacy at that time.
But it seems an important reason is because there were no products or mineral resources in there.

In other words, a country without resources to rob escaped the difficulties.

B Thailand is only country that has kept up own independence even in colonized Southeast Asia, and has not experienced miserable civil war.  Annotation 6.
This reason was because not only the excellent diplomacy skills of the royal family but also this area was a buffer zone of British forces and French forces.

As in Thailand, C Switzerland and A Japan in a small country could escape the difficulty of colonization by primarily geopolitical reasons.

Also, even if a country was a colony, the circumstances will change if white settlers account for the majority.

At that time, E Australia, was similar to D the U.S., could not make a social system to abuse the indigenous people and to rob the produce because of the barren land, so these settlers had to make an equal society for getting engaged in production by themselves.
In the meantime, the indigenous people were suffering the harsh destiny and reduced the population.

Summarizing the complicated history daringly, the common point among these countries is that a harsh domination structure by colonies did not form in it.
Unfortunately, these were rare cases.

This continues to the next time.



過酷な植民地化を逃れた国々
植民地になれば必ず疲弊すべき国になるのでしょうか。
例え植民地化され、先住民が主体の国でも稀に難を逃れた国はあります。注釈3.

南大西洋に浮かぶフランス領のタヒチ(注釈4)と南米のギアナは、資源が少ないか過酷な自然条件なため、むしろ支援を受けています。

Fボツワナは過酷な植民地となったアフリカにあって、比較的順調な国と言えます。
1966年の独立当時、最貧国でしたが、順調な経済成長を遂げています。
注釈5.
これは当時、複数の王が協力し外交によって自立性を維持したからでした。
しかし、ここでも重要なのは、ここには産物も鉱物資源もなかったからでした。

つまり、搾取すべき資源が無い国は難を逃れたのです。

Bタイは、植民地化された東南アジアにあって唯一独立を通し、内戦の憂き目に合っていない。注釈6.
これは王家の優れた外交手腕のおかげもあったが、実は、英仏勢力の緩衝地帯にあったからです。

このタイと同様に主に地政学的な理由で、小国のCスイスやA日本が植民地化の難を逃れたと言えます。


また、たとえ植民地だったとしても、白人移住者が大半を占めてしまうと状況は変わります。

EオーストラリアはDアメリカと同様なのですが、当時、不毛な大地ゆえに先住民を酷使し産物を奪取する社会体制が成り立たず、入植者達は自ら生産に携わる平等な社会を作るようになったのです。
この間に、先住民は過酷な憂き目に合い、人口を減らしていくことになるのですが。

複雑な歴史を敢えて要約すると、これらの国々の共通点は、植民地による苛烈な支配構造が出来なかったことです。
残念ながら、これらは稀なケースでしかないのですが。


次回に続きます。


注釈1.
他にも、西欧や北欧、北米に良好な国はあります。
西欧は植民地化を行った国なので省きます。

注釈2.
共産主義の独裁を経験した国も疲弊する国家へとなってしまうのですが、ここでは話を簡略化するために割愛します。

注釈3.
植民地になった国の多くは先住民(黒人、インディオなど)が主体です。
しかし、入植者の白人や強制連行された黒人が先住民より多い国もあります。

注釈4.
IMFによる国内総生産額 (一人当り購買力平価)では世界で46位(2012年)です。

注釈5.
世界銀行による国内総生産額 (一人当り購買力平価)では世界で69位(2013年)です。
これは世界の平均75位より高い。

注釈6.
今の王家になってからは内戦や戦争の難を逃れているが、軍部によるクーデターは幾度も起こっている。
その度に、王が仲裁に入り、事態の悪化を逃れている。


20170309

Bring peace to the Middle East! 71: Why was it exhausted ? 9: The mentality of the imperialism 2

中東に平和を! 71:  なぜ疲弊したのか 9: 帝国主義の心性 2





*1

We again look at last part of their real intention, and I sort out the points of it.

前回に続いて事例を数点記し、まとめます。
帝国主義に走った人々の心に迫ります。


Case E
Victor Yugo, a 19th-century French writer of "Les Miserables", said as follows at a celebratory feast of slavery abolition commemoration in 1879.

"Please advance southward!
Africa has no history.
But Africa is important for our world.
If people live in Africa, they are savages.
Invest your excessive desire in Africa!
At the same time, solve all social problems! "

While suing social justice in his own country, he was discriminatory against the non Western world.  Annotation 1.


事例E
19世紀フランスの「レ・ミゼラブル」の著者ヴィクトル・ユーゴは1879年、奴隷制廃止記念の祝宴でこう述べた。

「 南下したまえ! 
アフリカには歴史がない。
しかしアフリカは世界にとって重要だ。
アフリカに人が住んでいれば、それは未開的野蛮だ。
諸君の抱く過剰なものをアフリカにつぎこみ給え!
同時に諸君のもろもろの社会問題を解決し給え! 」

国内で社会的正義を訴える一方で、非西欧世界に対しては差別的でした。注釈1.





<  2.  New Caledonia  >
< 2. ニュー・カレドニア >


Case F
I quote the description of New Caledonia from a book written about the French colonies issued in 1888.  Annotation 2.

"On this vast land, the population of 70 thousand were reduced to 23 thousand people for less than half a century.
The causes of the population decline were various.
.....
British, Spanish, American, Australian hunted indigenous people at the beginning of colonial occupation, but we did not hunt indigenous people.
France treats all barbarian as human, and we will not be criticized as the colonization upon a grave. "


事例F
1888年に発行されたフランスの植民地について書かれた本から、ニュー・カレドニアの記述を引用します。注釈2.

「この広大な土地で半世紀も経ないうちに人口7万が2万3千人になった。
人口減少の原因はさまざまである。
・・・・
イギリス人、スペイン人、アメリカ人、オーストラリア人たちは植民地占領の当初に原住民狩りをしたが、我々は原住民狩りをしていない。
フランスは・・・すべての野蛮な民族に対して人間的であり、『墓場の上に植民化』しようとするといった非難を浴びることはないだろう。」



Case G
In 1905, one Catholic pastor said at a meeting for protection of indigenous people.  Annotation 3.

" In France, people are punished for stealing and thieving, but why are not the same people punished for it in distant area that black people live near the equator in Africa, and Chinese wearing different clothes live in?
One reason of it is egoism.
This is forbidden by good sense and Christian spirit.
There are two types of morality here.
.....
Action that hurts us are forbidden to other person, and the same action is forgiven when we gain the benefit of it.
.....
We are expanding our influential sphere, making a marketing channel for products, doing colonization, and civilizing, etc. "



事例G
1905年、ある原住民保護の集会で一人のカトリック牧師が言った。注釈3.

「フランス本国で泥棒や盗みは罰せられるのに、遠いアフリカの赤道下の黒人や衣服の違う中国人のところでは罰にならないのか。
エゴイズムによるものがある。
それは理性やキリスト教精神によっては禁じられているものだ。
二種類の道徳がある。
・・・
我々を害するものは他の人々には禁じられ、その同じことがわれわれの得になる時は許されている。
・・・我々の影響圏を拡大し、商品の販路をつくり、植民化し、劣った人種を文明化するなどいっているのだ。」




*3


Case H
I quote from an article on imperialism of “Histoirie de l'Europe" published in 1994. Annotation 4.

"The rise in this nationalism did not compromise the sense of solidarity of the entire Europe that had been handed down from generation to generation.
This is because, in large part, this emotion has been fostered by collective superiority consciousness towards other countries in the world.
Adversely, It was also strengthened from the fear of being threatened someday by foreign forces, especially Asian powers. "


事例H
1994年刊行の歴史教科書の帝国主義から引用。注釈4.

「このナショナリズムの高まりは、長らく引き継がれてきたヨーロッパ全体の連帯感を損ないはしなかった。
というのは、この感情は世界の他の国々に対する、集団的な優越意識によって醸成されてきた、という部分が大きかったからである。
またそれは、裏返しに、いつの日か、外国の勢力、特にアジアの勢力によって脅かされるのではないかという恐怖心からも強められていた。」



Why did the West Europeans begin the imperialism?
Why did the people forgive their deprivation, even though people pulling the imperialism had economic and political incentives ?
I think that the people were able to avoid the guilty conscience by the following psychology.

* Superiority of Western European civilization: They considered different culture, social system, or custom as rudeness.

* Superiority of Christian : Anything was permitted for the purpose of missionary work towards heathen.

* Superiority of white folks:  All folks except white folks were regarded as undeveloped.

* Fear of foreign civilization:  They were anxious about invasion from Asia. Annotation 5.

* Competitive spirit within Western Europe: each country feared becoming a loser if lagging the competition.

These were created from the situation of the time, but if we think about it well, we can notice it may happen outside the Western Europe.

The important is that it happens at any time unless we hard control ourself.

This continues to the next time.



西欧人はなぜ帝国主義に走ったのか?
帝国主義を牽引した人々には経済的・政治的な動機があったとしても、なぜ国民はその収奪行為を許したのだろうか?
私は国民が以下の心理によって罪の意識を回避出来たと考える。

* 西欧文明の優越: 異なる文化・社会制度・風習を低俗と見なす。
* キリスト教の優越: 異教徒への宣教の為には何でも許される。
* 白人の優越: 白人以外の人種をすべて未発達と見なす。

* 異文明に対する恐怖: アジア等の侵略を懸念。注釈5.
* 西欧内の競争心: 競争に遅れると敗者になる恐怖。

これらは当時の状況から生まれたものですが、よくよく考えてみると西欧以外でも起こりうるものです。

要は、よほど自制しない限り何時でも起きることなのです。


次回に続きます。



注釈1.
参考文献「ヨーロッパがみた日本・アジア・アフリカ」のp45より.

注釈2.
同上のp174より.

注釈3.
同上のp182より.


注釈4.
同上のp151より.
詳しくは「ヨーロッパの歴史・欧州共通教科書」のp322より。

注釈5.
特に1905年の日露戦争後の日本に対して。


20170302

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 35: ワルシャワ5





*1


今日は、ワジェンキ公園の残りを紹介します。
今日で、この旅行の紹介を終わります。
長らくのお付き合い有難うございました。


 

< 2.ワジェンキ宮殿の2階 >



 

< 3.ワジェンキ宮殿 >



 

< 4.ワジェンキ宮殿 >



 

< 5.公園で見かけた動物たち >

上の写真: 孔雀がいる。
下の写真: 左の木の陰リスが走っている。
この公園内で、他にもリスを見ました。



 

< 6.広々とした公園 >



 

< 7. ホワイトハウス >

18世紀に建てられたかつての王族の住居。



 

< 8.かつての温室 >

下の写真: 18世紀に東方の植物として珍重されたオレンジなどの樹木を寒い季節の間、養成するための温室の原型。
太陽光を取り入れる為に窓が大きくなっている。
現在は劇場になっている。


 

< 9.ショパン像 >

下の写真: 毎年夏に、この像の前でショパンコンサートが行われる。


 

< 10.お別れ >

上の写真: 柳の木の下に座り、故郷の自然を眺めるショパンを表現している。

下の写真: ワジェンキ宮殿横の道路。
ここからバスに乗り、空港まで行って、ポーランドを後にしました。


あとがき
異郷の世界を楽しく巡って来ました。

荒涼とした原野、のどかな田園地帯、鬱蒼とした森林を駆け抜けて来ました。
北の広大なバルト海に接した五つの国が交易と戦争で関わり続け、千年の歴史と文化を築きあげて来ました。
旧市街の街並みから、私はロシアとヨーロッパとの関わりを読み解くことが出来ました。

モスクワやサンクトペテルブルグのロシア帝国時代の有名な建物はイタリアの建築家の手になるものが多い。
バルト三国も、訪問前のイメージとは異なり、特に旧市街が非常にヨーロッパ風でした。
ワルシャワの古い建物は当然、ヨーロッパの影響が強い。
一方で、スターリン様式やタマネギ風の屋根の教会に見られるように、ロシアやソ連時代の影響が残っている。

私はそこに暮らす人々と話をする貴重な機会を得ました。
そして今まで疑問に思っていた幾つかの歴史的事件や社会問題について理解を深めることが出来ました。

色々、各地のスーパーに入り、豊富な生活用品や食品などを見ていると経済は発展しているようでした。

ポーランドは東欧の遅れた国とのイメージがあったのですが、戦火からの再建をやり遂げて発展している。
バルト三国も、かつての苦難を乗り越えて順調に発展している。
ロシアの都市部の発展は良いが、車窓から見た地方の暮らしは遅れているようでした。

この地域の歴史やロシアの様子を知ると、やはり不安がよぎる。
石油安でロシアの景気後退が深まると、世界がナショナリズムに突き進んでいるように、ロシアは容易に道を踏み誤る可能性がある。
それは私は数人のロシア人との会話から、ロシアの偏向報道を感じたからです。
翻って、日本の報道もここ数年、自由度が低下して来ているので不安です。


また、旅行の仲間で面白い人がいました。
高齢の女性が一人でツアーに参加しておられたのですが、非常にお喋りで、好奇心旺盛な人でした。
しかし、話をしているうちに、彼女は苦難にあっても、いつも挑戦し続け、道を切り開いて来ました。
その積極性と能力は人並み外れていました。

そして最後にわかったことは、彼女の息子さんが芥川賞を受賞された作家だったことです。
やはりこれぐらいの女性だからこそと感心したものでした。

やはり旅行は面白く、刺激に満ち溢れたものです。


これで終わります。