20161007

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 1: はじめに





< 1. 霧に包まれたビルニュス歴史地区 >


私達はバルト海に面する国々を訪れました。
大国ロシアとヨーロッパの端にある小国バルト3国、ポーランドを巡りました。
サンクトペテルブルグの黄葉と黄金に輝く宮殿、世界遺産の中世の街並み、ユーラシア大陸の自然を愉しみました。
今日は、この旅行の概要を紹介します。


旅行の概要
旅行の日程は2016年9月28日から10月5日です。
(株)ジャンボツアーズのツアーに参加しました。
モスクワに飛び、地図の赤丸の各都市に6泊し、黒丸を含めて7箇所を観光し、ワルシャワを発ちました。
添乗員が同行し、各地では現地ガイドの説明を受けました。


 

< 2. 訪問地の地図 >

モスクワとサンクトペテルブルグの間は新幹線で移動しました。
サンクトぺテルブルグからワルシャワまでは観光バスで移動しました。
総距離は2200kmを越えます。


この旅行の目玉
丸印の観光地について
No1: クレムリンを中心にモスクワ観光。
No2: 2つの宮殿とエルミタージュ美術館を含むサンクトペテルブルグ観光。
No3: 国境の河岸に立つナルヴァ城観光。
No4: エストニアの首都タリン、バルト海の交易で栄えた旧市街地を徒歩観光。
No5: ラトビアの首都リガ、ロシアとヨーロッパの中継貿易で栄えた旧市街地を徒歩観光。
No6: リトアニアの首都ビリニュス、苦難の歴史を生き抜いた旧市街地を徒歩観光。
No7: ポーランドの首都ワルシャワ、破壊から蘇った旧市街地を徒歩観光。


秀逸だったこと
至る所で黄葉が見頃を迎えていた。
新幹線と観光バスの車窓から眺めは、ユーラシア大陸の大平原を堪能させてくれた。
5つの都市で、一つの巨大デパート、3つの大型スパー、一つの中央市場を訪問し、買い物をした。
現地ガイドとの説明や対話を通じて、この国の歴史を身近に感じることが出来た。



 


< 3. モスクワ >

上の写真: クレムリン。
下の写真: 赤の広場近くの通り。




 


< 4. サンクトペテルブルグ >

上の写真: エルミタージュ美術館。
下の写真: エカテリーナ宮殿。


 


< 5. ペテルゴーフとナルヴァ >

上の写真: ペテルゴーフにあるピュートル大帝の夏の宮殿。
下の写真: エストニア側のナルヴァ城から見た対岸のロシア側の要塞。


 

< 6. 丘から見下ろしたタリンの旧市街 >

街の向こうにバルト海が広がり、その先にフィンランドの首都ヘルシンキがある。



 

< 7. リガ >

上の写真: アールヌーヴォーの街並み(ユーゲントシュティール建築群)。
下の写真: ブラックヘッドの会館。



 

< 8. ショッピング >

上の写真: サンクトペテルブルグのホテル近くの大型スーパー。 
下の写真: リガの中央市場。


 

< 9. ビリニュスの夜景 >

上の写真: 大聖堂。 
下の写真: 旧市街地への散策の帰り道。




 


< 10. ビリニュス >

上の写真: 聖アンナ教会。
下の写真: 聖ペテロ・パウロ教会。



 


< 11. ワルシャワ 1 > 

上の写真: 旧市街地の王宮広場。
下の写真: ワジェンキ宮殿。



 


< 12. ワルシャワ 2 >

上の写真: ランドマークの文化科学宮殿。
下の写真: 旧市街で出会った笑顔が素敵なグループ。



 

< 13. 車窓からの眺め 1 >

上の写真 : 新幹線から。
中央の写真: 観光バスからペテルゴーフ近郊。
下の写真 : ペテルゴーフとナルヴァの間。



 


< 14. 車窓からの眺め 2 >

上の写真 : ナルヴァからタリンの間。
中央の写真: タリンからリガの間。
下の写真 : ビリニュスからワルシャワの間


思ったこと
バルト3国とポーランドの旧市街の街並みに、かつての繁栄と苦難の歴史が刻まれていた。
それはこの地域がロシアとドイツに挟まれたバルト海沿岸であったことによる。
さらにこの地域の自然とスカンジナビア半島の影響が民族形成を複雑にした。

旧市街を歩き、バスの車窓の景色を眺めながらこれらの国々の成り立ちに思いを巡らした。


次回より、この旅行記の連載を始めます。



20160927

Bring peace to the Middle East! 36: I beg a favor of you.



中東に平和を! 36: お願いがあります



*1

I ask a favor of many people around the world.
Please tell me your opinion about peace of the Middle East. 

世界の皆さんにお願いがあります。
中東の平和について、ご意見を聞かせて下さい。



One thing I ask you to
I began this serialization ”Bring peace to the Middle East!” on this March, and a half year passed since it.
I knew how the present conditions and the history of the Middle East are miserable, but  haven’t hopes for peace yet.

Under the circumstances, I think that the Middle East escapes from the quagmire is impossible.

An important matter I think now is “ problems of your side, or points that your side  should make a compromise”.
Because the problems of your enemy is already known.
Furthermore, in history of conflict around the world, mutual understanding is indispensable to get peace without unilateral complete defeat.

Therefore I want to know how a Muslim and a Jew living in the Middle East have understood this problems.


お願いしたいこと
私はこの連載「中東に平和を!」を3月から始めて半年が過ぎました。
中東の現状と歴史が如何に悲惨であるかを知りましたが、未だに展望が開けません。

今のままでは、中東は泥沼化からの脱出が不可能だと思えます。
現在、私が重要だと感じているのは「自分の側にある問題点、歩み寄るべき点」です。
なぜなら、既に敵対側の問題点はよく知られいる。
さらに世界の紛争史において、一方の完敗以外で平和を得るには相互理解が不可欠です。

そこで、中東に暮らす人々、ムスリマやユダヤ人が問題点をどう見ているかを知りたい。


Please write your thought about the following questions about "conflict and peace of the Middle East".
you answer any one of the questions.
It is also good to be written by person except the Middle East or to write about the topic except these questions.

Question A: What of your side (country, denomination, race, principles) is an obstacle to the peace?

Question B:  What should your side improve to approach peace?

Question C:  What of your side causes a quagmire of the conflict ?

Question D:  What do you want to the rest of the world except the Middle East?



「中東の紛争と平和」に関して以下の質問についてお考えを書いてください。
どれか一つで結構です。
中東以外の人の書き込み、質問以外の話題でも結構です。

質問A: あなたの側(国、宗派、民族、主義)の何が平和の障害になっているか?

質問B: あなたの側の何が改善されれば、平和に近づくのでしょうか? 

質問C: あなたの側の何が紛争を泥沼化させているのか?

質問D: 中東以外の世界に望むことは何でしょうか?


About description
Less than 500 characters, please.
Please write your country, sex, and age if possible.


記入について
500文字以内にしてください。
出来れば、お住まいの国、男女の別、年齢を記入して下さい。

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Japanese blog

私のブログ
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「アクアコンパス 3」 http://blog.goo.ne.jp/aqacompass
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The blog written in Japanese and English.

英語を併記したブログ

“aquacompass 7”          https://aquacompass7.wordpress.com/
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“aquacompass9”           http://yamadamanabu.livejournal.com/

Thanks in advance.

This serialization still continues.


よろしくお願いします。


この連載はまだ続けます。





20160926

南信州を訪ねて 7:  馬の背からの眺望



< 1. 駒ヶ岳を望む >


今日は、阿智村の馬の背からの眺めを紹介します。
今日で、この連載を終えます。

馬の背について
ここは阿智村の南端にある治部坂高原近くにあります。
昼神温泉から車で153号線を行き、治部坂高原から曲がりくねった山道を登ります。
途中の尾根に標高1457mの馬の背があります。

ここを知ったのは、宿泊したホテルのロビーで、ここから撮影した綺麗な写真を見たからです。




< 2. 馬の背に到着 >

蛇峠山を目指して登って行くと、途中で道路がゲートで塞がっています。
それ以上は測候所で侵入禁止です。
その手前が空き地になっていて、駐車出来ました。
そこに馬の背があります。

上の写真: ここを少し下ると駐車場です。南側です。
中央の写真: ここは真ん中で、西側、名古屋方面を見ています。
下の写真: ここを進むと駒ヶ岳を望めます。北側です。




 

< 3.馬の背からの眺め 1 >

上の写真: 西側を望む。
下の写真: 北西を望む。山頂は横岳でしょうか。

まだ暑かったが少し秋の気配を感じた。



 

< 4. 馬の背からの眺め 2 >

ほぼ北側を望む。
一番高い山は南駒ケ岳です。




 

< 5. 馬の背からの眺め 3 >

下の写真: 薄い紫色に霞む山並みが幾重にも重なっている。


 

< 6. 山を下る途中で >

遠方の山は南駒ケ岳です。
眼下の谷間を通る153号線をまた戻る。

この日は曇ってはいたが、時折、晴れ間が見えて、青空と白い雲、緑の山と木々の対比が美しかった。


あとがき
いつも中央自動車道を走りながら、この南信州を一度訪れてみたいと思っていました。
今回、ほんの一部を訪問しただけですが、その自然と歴史を垣間見て、人々の息づかいを感じることが出来ました。
旅は本当にいいものです。


次回から、モスクワ、サンクトぺテルブルグ、エストニア、ラトビア、リトアニア、ワルシャワの旅を紹介します。


20160922

Bring peace to the Middle East! 35: chain of retaliation 5 : Israel and Palestinian 2

中東に平和を! 35: 報復の連鎖 5 : イスラエルとパレスチナ 2




<  1.  A caricature of the intifada (revolt) >

< 1. インティファーダ(蜂起)の風刺画 >


Today,  I confirm the present conditions of Palestine and Israel.

今回は、イスラエルとパレスチナの現状を確認します。





<  2.  The book I extracted this passages from >
< 2. 引用した本 >


The book
“ voices of local people living in Palestine and Israel”

A Middle Eastern specialized journalist interviewed people of every hierarchy of both areas between 1993 and 2003.

I took up interviews of two families in Gaza Strip, and extracted and summarized it.


引用した本
「現地ルポ パレスチナの声、イスラエルの声」
土井敏郎著、岩波書店刊。
中東専門のジャーナリストが1993年から2003年にかけて、両地域のあらゆる階層の人々にインタビューを行った。

私は、ガザ地区の家族の発言を取り上げ、抜粋要約しました。


Gaza Strip
At the time of the interview, Israel promoted people's settling in Gaza, but withdrew from Gaza in 2005.
Gaza became a base of Palestinian radicals, and Israeli military forces was stationed in Gaza in those days.

Presently, the Israel surrounds Gaza with separation barrier, bombs Gaza in retaliation for terrorism, and thoroughly performs to blockade at two checkpoints.

Gaza is one of two autonomous areas of the Palestinians, the land space is small in 6% of the whole, but it occupies 38% of population of the whole.


ガザ地区
インタビュ-当時、イスラエルはガザへの入植を推進していたが、2005年、ガザから撤退した。
ガザはパレスチナ過激派の拠点になっていて、当時はイスラエル軍がガザに駐屯していた。

現在、イスラエルはガザを分離壁で囲み、テロの報復として空爆を行い、2か所の検問所で徹底した封鎖を行っている。
ガザは二つあるパレスチナ自治区の一つで、面積は全体の6%と小さいが人口の38%を占めている。





<  3.  Gaza Strip in 2003 >
< 3. 2003年のガザ地区 >

Blue arias are the Israeli settlements of those days.
Rafah is on a border with Egypt, at lower left-side in Gaza.

青色が当時のイスラエル入植地。
ラファはガザ内の左下エジプトとの国境にある。


Israeli settler
This is a interview in 2002.
This husband of a Israeli family settled in here by the government assistance several years ago.

“This situation has changed really since the autumn of 2000 when the intifada began in.

Rocket bombs come flying at here almost every night.”

“In 1948 when Israel was born, an Arab picked war with us.
Then our Israel did not have a option other than fighting.
And we won the war.

This Israel is land that a Jew was promised for by God, as it is written in the Bible.
The United Nations admitted that this land was our land. “

“I wish that we can coexist sometime.
However, I do not think that we can give a Palestinian an independent nation, their land, and armed forces.
Because they cannot trust them. "


イスラエル入植者
2002年のインタビュー、数年前に政府援助で入植したイスラエル家族の夫。

「インティファーダが始まった2000年秋からまったく状況が変わってしまいました。
ロケット弾や爆弾がほとんど毎晩飛んできます。
それでも私達がここに留まるのは、ここは私達の土地だという信念のためです。」

「イスラエルが誕生した1948年、アラブ人が私達に戦争を仕掛けてきました。
イスラエルは戦う以外に選択肢がなかったのです。
私達はその戦争に勝ちました。
・・・・
イスラエルの土地は聖書に書かれている通り、ユダヤ人が神から約束された土地です。
聖書を信じる全世界が知っています。
国連はここの土地が我々の土地だと認めました。」

「いつの日か、共存出来ればと願っています。
しかしパレスチナ人に独立国家や土地、軍隊を与えることが出来るとは思いません。
彼らは信用できませんから。」


Explanation
The family didn’t receive a damage by terrorism directly, but he explains the position of Israel well.
The points that he points out.
A:  Arab began the war, and Israel won it.
B:  the Israeli settling has been written in the Bible, the United Nations recognizes it.
C:  the intifada that was begun by Palestinian worsened the situation.

Most of them wish Palestinian leave this land.


説明
この家族はテロによる被害を直接受けていないが、イスラエル側の立場をよく代弁している。
彼が指摘するポイント。
A: アラブ人が戦争を始め、イスラエルは勝った。
B: イスラエルの定住は、聖書が定めており、国連が認めている。
C: パレスチナ人が始めたインティファーダが状況を悪くした。

彼らの多くは、パレスチナ人がこの地から去るのを望んでいる。




<  4.  Gaza Strip >
< 4. ガザ >


Palestinian
This is a interview in 2003.
This husband of a Palestinian family who earned money by working away from home, and built a house in Rafah in seven years.

“In September, 2001, we had slept in the house.
We heard an explosion suddenly and woke up.
Israeli military forces soon came over near, and began to blow up neighboring houses.

We evacuated to the neighborhood hastily.
I went to see our house the next morning, it had been approximately completely destroyed.”

“Till the intifada, I had worked in Israel.
Our former livelihood level was around 70% of average livelihood, but the present livelihood is zero.

In here, we were in constant fear of bulldozer, tank, gundown, and massacre.”

“We always heard, “a colloquy,and a colloquy”,and already felt disgust for it.

Since when the Intifada began, our circumstances continue to worsen everyday during two and a half years.
When two or three Palestinians were murdered, the news was spread to all over the world.
However, 15 or 20 people are murdered every day now.”



パレスチナ人
2003年のインタビュー、出稼ぎの金で国境の街ラファに7年かけて家を建てた家族の夫。

「2001年9月、私達は家で寝ていました。
突然、爆発音がして目が覚めました。
まもなくイスラエル軍がやって来て、近所の家々を爆破し始めた。

私達は急いで近所に避難しました。
朝、自分の家を見に行くと、ほぼ完全に破壊されていた。」

「インティファーダ以前は、イスラエルで働いていました。
以前の生活レベルは平均的な生活の70%ぐらいでしたが、今の状況はゼロです。
ここでの生活はブルドーザーや戦車、銃撃、殺戮の恐怖の下にあります。」

「我々がいつも聞くのは『会談、会談』。もううんざりです。

インティファーダが始まってこの二年半、・・・日々悪くなる一方です。
以前はパレスチナ人が2,3人殺されたニュースを聞くと、世界中にその話題が広がりました。
しかし今では毎日15人、20人が殺されている。

また毎日、全体で60軒、100軒の家が破壊されている。」


Explanation
Anyone of his family members didn’t die, but he explains the situation of Gaza well.
A fear of death, hopeless life, and indifference rule them.

The reason why Israel destroys all houses of Rafah is to cut off supporting terrorism from the Egypt.




説明
この家族から死者は出ていないが、ガザの状況をよく説明している。
死の恐怖、絶望的な生活、無気力が支配している。

イスラエルがラファ一帯の住居を破壊し更地にするのは、エジプト国境からのテロ支援を断ち切る為です。


One reality


一つの現実




<   5.  Death toll of both areas by the battle, by visualizingpalestine >
< 5. 両地域の戦闘による死者数 >


Dead persons of Palestinian are much more than Israel, and the killing continues after the Gaza withdrawal in 2005.

This continues the next time.


圧倒的にパレスチナ側の死者が多く、2005年(ガザ撤退)以降も殺戮は続いている。


次回に続きます。





20160920

南信州を訪ねて 6:  昼神温泉と周辺









< 1. 昼神温泉 >


今日は、昼神温泉と朝市、阿智神社の奥宮を紹介します。
のどかな温泉郷と、静寂な神域に浸って来ました。





< 2. 昼神温泉周辺の地図 >
地図の上側は西方向です。

二つの白い矢印は、「ヘブンスそのはら」のロープウェイの上下の駅を指している。
上駅で星空を堪能しました。
赤い矢印は、阿智神社の奥宮を示しています。
青い矢印は、私達が宿泊した「湯本ホテル阿智川」です。
黄色の線は朝市の場所です。
昼神温泉は青い矢印から始まり、黄色の線の辺りが中心部になります。
中央を流れているのが阿智川です。




< 3. 昼神温泉と宿泊したホテル >

上の写真: 橋の上から阿智川上流を望む。
両側に温泉宿がある。

中央の写真: 宿泊した「湯本ホテル阿智川」。

下の写真: このホテルの露天風呂と洞窟風呂。
ホテルの写真を借用。


昼神温泉について
ここは昭和48年、偶然に発見された比較的新しい温泉郷です。
ここは規模が小さいのですが、古い温泉街にあるようなけばけばしさがなく、自然に囲まれた落ち着いた温泉郷です。
温泉宿は20軒ほどですが、全体にゆったりとした感じがします。







< 4. 昼神温泉の朝市 >

写真撮影時はまだ早く、準備中で人出が無かったが、やがてたくさんの宿泊客が来ました。
結構、品揃えが豊富で、私達は野菜と果物をたくさん買いました。







< 5. 阿智神社の奥宮に向かう >

上の写真: 阿智川の上流に向かう。
下の写真: こんもりとした小さな丘の麓に奥宮の鳥居がありました。




< 6. 社殿 >

鳥居をくぐり、参道を少し登ると丘の頂上に来ました。
高い杉の木が神域を包み込み、早朝でもあり周囲は薄暗い。
その奥の平地に、社殿と舞台が見えました。





< 7. 磐座 >

この丘の高みに磐座があり、社殿から道が続いています。
磐座(いわくら)とは、神が降臨する岩で、社殿が常設される以前の古代信仰の場所です。
岩の長軸は東を向いている。





< 8. 阿智神社の奥宮の位置 >

地図の上側が西方向です。
赤の矢印が社殿、黄色の矢印が磐座の位置を示す。
この丘は二つの支流が合流して阿智川になる場所にある。
如何にも、周囲から隔絶した神域を思わせる雰囲気がある。





< 9. 一方の支流 >



< 10. 合流地点の川 >

朝の冷気の中、神域の森といい、清流といい、すべてがすがすがしい気持ちにさせます。

次回に続きます。






20160918

Bring peace to the Middle East! 34: chain of retaliation 4 : Israel and Palestinian 1



中東に平和を! 34: 報復の連鎖 4 : イスラエルとパレスチナ 1





*1


I look back on the endless wars of between Israel and Palestinian from now on.

これから、イスラエルとパレスチナの泥沼の戦いを振り返ります。


Preface
When I see the Middle East conflict, I am surprised there are the composition of many conflicts and these are very complex.
For example, focusing on only large things, there are sectarian struggles, interstate confrontations, and ethnic conflicts.
And then, there are many more conflicts among extremists, between government and anti-government, between the United States and Russia (the Soviet Union), and the West and the Middle East.



はじめに
中東紛争を見る時、実に多くの対立の構図が絡まっていることに驚かされます。
大きなものでも宗派間、国家間、民族間、過激派間、政府と反政府、米国とロシア(ソ連)、欧米と中東などがあります。





*2


Looking at only sectarian struggles, there are main conflicts among Islam, Jewish religion, and Maronite Church of Christianity (Lebanon).
And then, there are in Islam the conflicts among Sunni, Shiah (Iran, Syria), Alawites (the hierarchy of Syria), Wahhabi (Saudi Arabia).
Furthermore, in the USA, evangelical Christian (Republican Party support) and Judaist (Democratic Party support) support Israel and it makes the struggle deep.
Judaist, Christian and Muslim that have worshiped a same God continue being opposed to each other more than 1,000 years.

Looking at only interstate confrontations in the Arab of the Middle East, various conflicts have taken place among autocratic state (military affairs, kingship), Islamic state (Iran, Saudi Arabia), secular nation (socialism, Arab nationalism), non-Arab country (Turkey, Iran), and oil country.
This interstate confrontation stems from racial or borderline problems that resulted from having been a colony, an opposition that resulted from the Cold War, and securing the oil.
For example, nation of absolute monarchy (Saudi Arabia, Persian Gulf countries) which is a rich oil-producing country tries to smash the democratization of the surrounding nations for maintaining own autocracy system, and it is intensified by the financial power, armaments, and a supporting of European and American.



例えば、宗派間の対立にしても、イスラム教のスンナ派、シーア派(イラン、シリア)、アラウイ派(シリア支配層)、ワッハーブ派(サウジアラビア)、キリスト教マロン派(レバノン)、ユダヤ教が対立しています。
さらに米国のキリスト教福音派(共和党支持)とユダヤ教徒(民主党支持)がイスラエルを支援し、対立を深めています。
大きく言えば、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が同じ神を仰ぎながら千年以上も対立し続けている。

中東内の国々に限っても、独裁国家(軍事、王政)、イスラム国家(イラン、サウジアラビア)、他の国家(社会主義、アラブ民族主義)、アラブと非アラブ(トルコ、イラン)、産油国などが対立を招いている。
この国家間の対立には、植民地だったことに端を発する国境と民族問題、また冷戦に由来するもの、そして偶然が生んだ原油が大きく関わっている。
例えば、豊かな産油国である王政国家(サウジアラビア、湾岸諸国)は独裁体制の維持の為に、周辺諸国の民主化勢力を潰そうとし、さらにその財力、軍事力、欧米の支援が一層拍車をかけている。





*3


All these opposition didn't begin as one.
For example, I look at an engagement of the United States.
The United States spent total cost 300 trillion yen on the Iraqi War (2003 - 2011), and Iraq fell into a state of confusion.
Before it, the United States defeated the Iraq in the Gulf War (1991), but had given military assistance to the Iraq to defeat Iran during the Iran-Iraq war (1980 - 1988).
Besides, the United States began assistance to Israel in the middle of the Middle East war (1948 - 1973) between Palestine and Israel.
However, the United States hardly interfered in the Middle East until the early 20th century.

The reason the United States began to interfere to the Middle East was for warning against the Soviet Union, and securing of oil, and then supported Israel afterwards.
To support Israel is due to election circumstances in the United States, and Israel becomes a bridgehead in the Middle East.

In the composition of such opposition that connected with each other complicatedly, it is not easy to find fundamentally cause of these conflicts and the solution.


However, there is one clear thing.
It is said that the incidents that set off a train of these wars happened from the mid-20th century, and the tinderbox spread sequentially afterwards.
It is important to know the background and groundwork that cause conflict easily in the Middle East, but it is also important to know the extended process of the conflict.



これらすべての対立が一斉に始まったわけではない。
例えば、米国を見ます。
米国はイラク戦争(2003~11年)で総費用300兆円を費やし、イラクは混乱状態に陥りました。                                                                                                                                                                           
それ以前、米国は湾岸戦争(1991年)でイラクを叩き、イラン・イラク戦争(1980~88年)ではイランを叩く為にイラクに軍事支援を行いました。
さらには、米国はイスラエルとパレスチナの中東戦争(1948~73年)の途中からイスラエルに加担を始めました。
しかし米国は20世紀前半まで中東にほとんど干渉していなかったのです。

米国が中東に干渉し始めたのはソ連への牽制、石油確保の為で、その後イスラエル支援に舵を切りました。
イスラエルの支援は米国内の選挙事情と中東での橋頭保になるからでした。

このような複雑に絡み合う対立の構図にあって、紛争原因の特定と解決法を見出すことは容易ではありません。

しかし、明らかなことが一つあります。
それは、紛争の発端になった事件が20世紀中頃から起こり始め、その後、紛争の火種が順次広がっていったことです。
中東に紛争を招きやすい背景や素地があることは重要ですが、紛争の拡大過程を知ることも重要です。





*4


We try to see a process of the Middle East war between Israel and Palestine which became the greatest cause in a beginning of the Middle East conflict from now on.

We look back at the history of the Middle East war in reverse, and we want to find "which began the war?"
Later, we will know what this means.

This continues the next tome.


これから、中東紛争の最初で最大の原因になったイスラエルとパレスチナとの中東戦争の過程を見て行きます。

私は両者間の戦争を逆に辿り、「どちらが抗争を始めたのか?」を探って行きます。
これが何を意味するかは、後でわかることになります。


次回に続きます。