20140918

達の戦争 42: 質問に答えて「日本の失敗とは・・」4

       

今日が、「日本の失敗」について最後の考察になります。
前日の記事から続いています。

      

軍部の動き
陸海軍が定める方針(国策遂行要領)が、これまた不思議なものだった。
真珠湾攻撃の年、幾度も出される大方針は平和交渉と日米開戦準備の両論併記。
軍の派兵は中国侵攻の続行、満州への大幅増派(対ソ威圧)、日米開戦に備えて南方攻略(資源確保)の3論併記だった。
米国との和平交渉と言えば聞こえは良いが、米国が譲らない中国撤退を無視して妥協の余地なしとし、期限まで決めて進展するはずがない。
絶体絶命の経済封鎖をまったく予想せず、南方攻略で米英を怒らせ、それを自ら招いた。
2年前のノモンハンの惨敗に懲りず、自ら望み日ソ中立条約を結んだ2ヶ月後、裏切られたはずの独ソ戦好調に気分は変わり、満州に演習と称して大量派兵し再度ソ連を威圧した。
ドイツとの同盟が米国を押さえ、米国は交渉で譲歩し経済封鎖などの強気の手段を取らないはずだと確信し、当然手を打つこともなかった。

*3

世界情勢、特に敵である英米情勢を無視し、運を天に任せ情勢変化があっても、誰も決断せずズルズルと成り行きに任せた。
奇襲攻撃で初戦を叩けば、南方の石油を手に入れ勝算ありとしたが、直ぐに制海権と制空権を握られ、タンカーが沈められ最後の頼みの南方からの石油は絶たれた。
これも戦史上繰り返されたことだが、一斉風靡した古き良き戦闘教義―日本の場合は海上で大艦巨砲、陸戦の突撃で島を占拠―に拘り、連敗を重ね、気づいても時既に遅しであった。
それにもまして奇襲攻撃は米国民の敵愾心を煽り、米英首脳は晴れて軍事協同を行えるようになった。
こうして米国は膨大な物量を持って独伊、ソ連と中国も見方につけて日本を追い込むことになった。

*4 

蟻地獄で
日本の首脳は、あがけばあがくほど深みにはまり抜け出せない蟻地獄に落ちたようなものでした。
軍上層部の脳裏にあるのは、「勝てると進言し裁可を頂き続けた天皇や、犠牲にした幾多の英霊(太平洋戦争前で数十万人)、扇情で盛り上がった国民に、いまさらどの面下げて、領土と神国の名誉を捨てろと言えるものか」でした。
とことんやって、国土が焦土と化しても生まれ代わることが大事だ、そんなことを口にする軍人もいた。
政府首脳にしてみれば、自ら無謀な戦端を開くことは避けたいが、精一杯駆け引きをしていると、なぜか戦争になってしまった。
まさにそんな感じだった。

当時、国民は真の情報、必要な情報からは完全に閉ざされ、戦意高揚と国民一丸への教育宣伝が官民一体となって行われていた。
国民は、この政府や軍部首脳の実態を知ることはなかった。
こうして日本は無責任な軍部主導の政府によって戦争へと突き進んだ。

*5

それでも真因は別にある
なぜ、このような政治状況になったかと言う問題が残る。
統帥権干犯、御前会議、軍閥支配の矛盾は目に余るが、なぜこうなったのか?
これら開戦時の政治状況は、明治維新に起因にしたものもあるが、日本が軍拡路線を推し進める過程で、主に軍人達が手に入れて来たものでした。
初期は、大国ロシアを仮想敵国とし、その橋頭堡として朝鮮半島を手に入れるべく日清、日露を戦い、圧勝した。
しかし満州を手に入れ、第一次世界大戦で漁夫の利でドイツから青島を手に入れた頃から、本土防衛より領土欲が増していくことになる。
かつて英国は日露戦争時、助けてくれた同盟国で、ドイツは第一次世界大戦では敵国だった。
やがて軍部は中国政策でうるさく干渉し始めた英米をソ連よりも仮想敵国とするようになった。
この間、幾度もあった冷害や恐慌に喘いだ国民は連戦連勝する内に、領土拡大に希望をつなげ、身内が敵国で殺されるに及んで戦争への抵抗感は消えていった。
当時、子供の出世の最上位は軍人となっていた。

政治制度(旧憲法)や政治文化など日本固有の問題もあるが、国家も国民も上記の歴史上繰り返されて来た「戦争の罠」にはまっていったのでした。

このことを皆さんに少しでも実感していただければ幸いです。
話はわかりやすさを優先し、厳密さを欠いていますのであしからず。

次回から、別のテーマになります。













20140917

私達の戦争 41: 質問に答えて「日本の失敗とは・・」3


    

今日は、日本の失敗について考察します。
狭義には、太平洋戦争による大敗を指します。
だが重要なのは無謀な戦争をなぜ行ったかにあります。


日本の失敗とは何か?
多くの方は、太平洋戦争を失敗と見なすことで異論はないでしょう。

この戦争によって日本は多くの生命と生活、資産を失った。
遡る1世紀の間、国民の血と汗を注いで得た海外権益を一瞬のうちに消失した。
さらに隣国の怨念は消えるどころか、再燃しつつある。
おそらくこれが最も厄介な失敗になるだろう。

しかし、失敗と言われることに憤然とされる方もおられます。
少し、この点を検討しましょう。

    

「もし勝っていれば」
おそらく結果は同じでしょう。
世界に、かつての併合や植民地の後遺症はあるが、現在、植民地を持つ国は無い。
世界は、両大戦を契機に植民地を解放し、無法を粛正する趨勢になったのです。
日独伊は遅れて帝国主義の夢を追ったが、時代は変わり、大量破壊兵器と総力戦による大量殺戮と甚大な被害が世界を襲った。
一方、国民国家と海運の発達は、世界が協力して無法を正すようにもなった。

「大東亜共栄圏、植民地の解放と言う大義名分があった」
これが侵略のカモフラージュだったことは、被支配国の教科書で既に見ました。
もっとも被支配国には先客の侵略者がおり、日本が肩代わりしたとも言えなくもない。
どちらの被害が少なかったかは様々だろうが、残念なことに日本が最後だったのは痛い事実です。

    

「米国にはめられて戦争をしてしまった」
これは一理あるが、並み居る皇軍の将や参謀が、ころっと騙されたとは・・。
日英米の軍縮会議で日本の軍艦は米の6割しか持てず、全量輸入に頼る石油(米から7割輸入)を突如禁輸される中で、勝利への一縷の望みは奇襲攻撃しか無かったと日本は考えた。
同情出来そうですね、しかし、少し待って下さい。
日本の軍艦所有量は国力差を示しており(実際は一桁違う)、日本の戦争意欲を挫く為に英米が石油禁輸に出ることは当然予想出来たはずです(以前から経済封鎖は段階的に進められていた)。
日本は、米国が要求を呑めば勝ち目の無い戦争を止めても良いと戦争準備をしたが、経済封鎖が始まると、後になればなるほど勝ち目は無くなると慌てふためいた。
単純に言えば、読みが甘すぎる、その場しのぎのつけが最後に回って来た。

ざっと見ても、失敗を取り繕うことは難しい。
重要なことは、なぜ無謀な戦争に突き進んだかにあります。

    


太平洋戦争は如何に始まったのか
既に、この連載「当事者が振り返る戦争とは」で見たように、軍中堅層は戦争で沸き立っていた。
満州や中国、仏印などで、現地の参謀などが独断で多くの戦端を開き、軍中央が渋々追認して来た。
しかも、彼らは罰せられることがなかった。
1930年代の相次ぐクーデターにより、軍の政権支配が始まり、血気と銃剣が国を動かすようになったのか。
天皇や政府、軍の首脳が彼らに振り回される、そんなことが考えられるだろうか。

外交では日英同盟破棄(1921年)、国連脱退、日独伊三国同盟締結、日ソ中立条約締結(1941年)が真珠湾攻撃の年まで進められていた。
これら政策は、当時破竹の勢いであったドイツと結び、中国侵攻に反対する米英を押さえ、隣国のソ連を鎮める算段であった。
しかし日本の読みはことごとく逆に作用し最悪の事態へと進んだ。
太平洋では役に立たないドイツとの同盟は、米国をむしろ態度硬化させただけで、さらにヒトラーの裏切りによるソ連侵攻は、米ソによる日本の挟み撃ちを招く結果となった。
しかも真珠湾攻撃の2日前、ドイツは半年前に始めたソ連への快進撃で20万人の死者を出してモスクワを目前に撤退を始め、早くも陰りが生じていた。

真珠湾攻撃を決する御前会議の前日(攻撃の9日前)、天皇は海軍のトップ二人を呼んで質問された。
「ドイツが欧州で戦争をやめたときはどうかね」
嶋田海相は答えた。
「ドイツは真から頼りになる国とは思っていません。ドイツが手を引きましても、差し支えありません」

    

この質疑には、この戦争主導体制の特徴がよく出ている。
海軍は、創設時の経緯で英米寄りであり、英米の情報量が多く、勝ち目のない戦争に反対であった。
陸軍は、これも創設時の経緯によりドイツ信奉で、米英を軽んじていた。
ここ20年ほど、政府と軍部内で、上記の対立を繰り返しながらも、ドイツの威光を借りて英米を黙らせる方向で進んでいた。
その前提が無くなることは国策の根幹が崩れるのであるが、大臣には当然のように対案もなく諦め口調であり、責任感も無い。
天皇も心配になり言葉を交わすが、軍指導部の提案を御前会議で予定通り裁可するのが常であった。
このような事例は枚挙に事欠かない。
国策の最高決定機関となっていた御前会議(天皇と政府首脳)の実態はこのようなものだった。


次回も続きます。







20140916

私達の戦争 40: 質問に答えて「日本の失敗とは・・」2


     


今日は、戦争の失敗について考察します。
奥深い問題なので、要点だけを見ます。

    

戦争の成功と失敗(取り敢えず)

多くの人が成功と認める戦争
A.古代ギリシャが連合してペルシャの侵入を阻止した。
B.高句麗が隋の侵入を阻止した。
C.日本が元(元寇)の侵入を阻止した。
D.米国が連合してナチス・ドイツの侵攻を阻止した。

敵の侵略意図が明確で外交も含めて他に方策が無ければ、侵攻に対する自衛の戦争は当然です。
すべての戦争を否定し、失敗と言うわけではありません。

    

成功とは言えない戦争
E.ペロポネソス戦争:全ギリシャがアテネとスパルタに分かれて70年間戦った。
F.第一次世界大戦:欧州全土で、欧州各国とロシアが二手に分かれて戦った。
G.ベトナム戦争:分断されたベトナムの一方に米国が加担し15年間戦った。
H.イラク戦争:米国と同盟国が武装解除を掲げイラクに侵攻し8年間戦った。

これらの戦争に共通しているのは、大義名分も無く、被害が甚大であったことです。
EとFでは、互いが領土や利権の拡大を狙い対立が深まった末の戦争でした。
互いに相手を悪の枢軸と見なしたが後で勘違いと判ることが多い。
勘違いとは、米国が、Gでベトナム側の戦う意図を民族独立では無く、恐怖視していた共産化と見なし、Hで大量破壊兵器が存在すると見なしたことです。
大抵、戦端は戦争被害の甚大さに思いが至らず開かれることになった。
あれよあれよと始まった戦争が全土を焦土にし、社会が疲弊し、人心が乱れ、悪くすれば次の戦争を招いた。
戦争を牽引した人々は、予想もしなかった被害の甚大さに、おそらく呆然としたことでしょう(私の考え過ぎかも)。

    

これらの戦争を失敗と呼んでよいのではないでしょうか?
それでは何が失敗なのでしょうか。
それは戦った国々、勝者も敗者も互いに損耗し、特に国民のほとんどが辛酸を舐めただけだからです。
唯一ベトナム戦争では、数百万の人命と引き換えに独立と統一を得ることが出来た。
しかし、これも両国の反省の弁によれば、初期の段階で誤解を解く姿勢があれば、無傷に目標を達成出来たはずなのです。

戦争の何が問題なのか
上記の戦争は、真の勝者が無い戦争と言えます。
それでは勝利した戦争は、成功した戦争と言えるのでしょうか?
実は、最初のA・B・C・Dの戦争には後日談があるのです。
おおまかに言うと、これら大勝利した戦争が軍拡路線へと向かわせたのです。

A. 古代ギリシャは、アテネを盟主に軍事同盟化が進み、ギリシャ全土で利権を軍事力で奪い合う戦争と侵略が160年間続き、分裂と衰退を深め、最後はマケドニアに占領された。

B. 朝鮮半島は絶え間なく北方民族と中国から侵入を受け続け、その度に独力で跳ね返して来た。
軍事力は増したのだが、国土と民衆は疲弊していくばかりだった。
しかし2千年間で統一新羅と李朝鮮王朝は上手く侵略を逃れた。
国土の疲弊を救ったのは名誉と戦争を捨てた苦渋の外交にあると言えるだろう。

C. 真剣に受け取ってもらうとまずいのだが、日本はこの時をもって「神風」を大国と戦う時の精神的支柱とした。
不思議なことに、あの巨大な米国と戦ったベトナムにも「神風」信仰はあった。
日本と同じ頃、元寇がベトナムの海岸にも押し寄せ、同様に神風(台風)が吹き、撤退したことがあった。
地政学的に似ているベトナムと朝鮮半島は頑強なまでに侵略者に抵抗した。

D. 長らく孤立主義を任じていた米国は第一次世界大戦の軍需景気と末期の参戦から第二次世界大戦にかけて、一気に軍事超大国に変貌した。
その直後の朝鮮戦争において米国の力無しでは、今の韓国はなかった。
しかしその後、幾たびか世界の警察として貢献したこともあったが、やがてCIAの謀略や身勝手な軍事介入が増えつつある。

おぼろげながら、戦争を体験する事が、更なる恐ろしい悲劇を呼び込む様子を見てとれたと思います。

    

戦争による最大の問題とは何か
必要な派兵もあるし、受けて立たなければならない戦争もあるだろう。
その中にあって、繰り替えされる戦争の罠に国民はいつも注視すべきです。
それは、戦争の勝敗ではなく、戦時体制や軍事国家となって、歯止めが効かなくなる政治状況に陥ることです。

世界史を振り返ると、アッシリア、秦、古代アテネ、ローマ帝国、スペイン、イギリス、ドイツは軍事力により覇者となり、逆にその軍事依存体質により瓦解する宿命にあったと言えるだろう。
個々に見れば、多少事情は異なるだろうが。
要は、一度軍事国家となり戦争を経験すると政府も国民も、やがて戦争の甘い熱情の罠にはまり、抜けだせなくなるのです。
この経緯は、経済・心理・社会・政治・情報文化等のすべてが関わり進行します。
詳しくは連載「戦争の誤謬」「社会と情報」で扱っています。

失敗から学んだつもりでも、民主度が発展しても、時代や武器が変わっても、安心した頃にまた戦争の罠に取り憑かれるのです。

次回は日本を例に見ていきます。





20140914

私達の戦争 39: 質問に答えて「日本の失敗とは・・」


     


前回、「自虐史観は・・」を書いた折、「日本は何を失敗したのですか?」との質問がありました。
今日は、この質問を取り上げます。

コメントに感謝します
この連載を7月中旬から始めて、多くのコメントをいただきました。
賛否両論ありましたが、いずれも熱のこもった御意見をいただき感謝しています。
賛成のコメントは、当然ですが、私の理解と一致しており、安堵を得ます。
一方、反対の立場からの批判は厳しいですが、逆に、発憤することになります。
指摘された有用なポイントは、この連載で取り上げて解説してきました。
その意味でも、批判的な意見をありがたく思っています。
批判のコメントは私を悩ませますが、この連載をより深いものへと導いてくれるような気がします。
どうかこれからもどしどし賛否両論のコメントをお待ちしています。


    

今回の質問
今回の質問はYAHOO!ブログ、アクアコンパス5に記入されたコメントです。
この質問を見た時、私は正直びっくりしました。
この連載で取り上げている戦争―主にアジア・太平洋戦争、を失敗でないと捉えられている人がいたことに驚きました。
しかし、よくよく自問自答してみると、当たり前の指摘でした。
私がこの連載を始めなければならないと思った理由は、まさにそこにあったからでした。
世の風潮が、軍事に頼り戦争を肯定する傾向が強まったからでした。
そこには、過去の戦争を失敗とする気持ちが無いのは当たり前です。
この問題をいつか書かなければならないと思っていましたが、私は避けていました。
それで決心しました、感謝!感謝!

    

失敗について
ここでは質問者への解答も含めて、皆さんに「戦争から学ぶ」について語ります。
一般的な認識から始まり、最後は「日本の失敗」について説明します。
あることを失敗と見なすかは重要ですが、これまた自由です。

失敗の意味
「失敗」とは「人間の行為がもたらした仕損じ、やり損ない、上手く行かなかったこと」と定義しておきます。

例えば、地震が襲ったとしましょう。
皆は、倒壊した家の前で、呆然と立ち尽くしていたが、やがて復興に向けて動き始めました。
ある人は、これは天災であり、天罰だと諦めました。
彼は、悲しんでいても始まらないと考えたに違いありません。
別の人は、これは人災であり、家の強度不足や立地に問題があったと考えました。
彼は、現状復帰ではなく改良の上、再建することにしました。

本来、地震は天災ですが、人はそこからすらも、自らの行為に反省点を見出し、次ぎの行動に生かすものです。
この反省点を失敗と呼んでいいのではないでしょうか(責任はないでしょうが)。


    

歴史から得るもの
この連載への批判の中に、「歴史から学ぶべき事はない」「過去は過去でしかない」「歴史にIfは無い」と言う意見もありました。
これらをすべて否定出来ないことも事実です。

確かに、歴史学者が過去について軽々しく是非を断じるのは問題でしょう。
しかし、一方で実践を旨とする人々、スポーツの監督に始まり軍事戦略家(孫子、トゥキディデス、クラウゼヴィッツ)まで過去から多くを学びます。
この学ぶ対象は、勝因もありますが、重要なのは相手の弱点や敗因(失敗)でしょう。

おそらく「歴史や過去から学ぶ価値」が無いと考える意識の中に、歴史認識と言う体系的な論理と、過去と現在との繋がり(共通する文化・精神の存在)に疑問を抱いていることがあるのでしょう。
これは当然の疑問であり、そうであるからこそ歴史を鵜呑みするのは危険で、歴史外も幅広く読み、確認しながら自問自答する姿勢は不可欠です。

もっともそんな暇はほとんどの人には無いはずです。
結局は、広く受け入れられている良書だけは目を通すことが肝要でしょう。
もう一つ言えることは、批判のコメントを書かれた人も、実は日本の過去に好感を持ち、通じるものを感じておられるはずです。


*5

戦争から学ぶ
今次の戦争を経験された人々はまだ周囲にたくさんおられます。
敗戦を迎え、多くの人は何を思ったのでしょうか。
当時、終戦を受け入れられない軍人はいたはずですが、一部に過ぎない。
「勝てると思っていた」「二度と悲惨な戦争はしたくない」が大勢でしょう。

しかし、戦争を知らない人々にとってそうではありません。
これは米国でも同様で、ベトナム戦争から40年も経つと、若者の多くは肯定するようになりました。
当時、大統領選の最重要な論点は戦争の終結だったにもかかわらず。

どうやら戦争には不思議な魔力が潜んでおり、戦争を生きた人々には筆舌に尽くせない悲惨と不条理があるのですが、戦争を指揮する人々や戦争を始める前の国民にはそうでも無いのです。
これは世界共通のようです。
ここに戦争を学ぶ必要があるのです。
どちらかと言うと、戦争の勝敗やいきさつに関わりなく、大いなる闘志と悲惨のギャップにこそ学ぶ価値はあるようです。

次回も続きます。




20140913

私達の戦争 38: 自衛とは




*1

これから、戦争にまつわる基本的な概念について見ていきます。
例えば、自衛、集団的自衛権、抑止力、核迎撃システムなどです。
私達は、何気なく聞いていますが、これらはかなり不正確で矛盾を含んだ概念です。

    

自衛とは何か
自衛は自分で防衛することで、特に不明瞭さがあるとは思えない。
相手が攻撃してくれば、それを防御し、必要ならば相手を打ち負かすこともあります。
前者は自衛であり、後者は正当防衛と呼ばれるものです。
しかし、正当防衛のつもりが過剰防衛になることもあります。

日本は自衛隊を持っていますが、日本国憲法第9条では陸海空軍の戦力保持が否認されています。
自衛隊が戦力ならば憲法違反になるでしょう。
一方、日本が加盟している国連憲章第7条では、安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間、自衛権の行使は出来るとされる。
国際的には自衛の戦力なら問題は無いことになります。
日本は憲法と国連憲章とどちらに制約されるのだろうか。
取り敢えず、日本の現状を容認する為に国連憲章の立場で話を進めます。
つまり自衛隊の戦力は自衛用であれば良いわけです。

    

自衛の戦力とは
それでは自衛用の戦力とは何を指すのでしょうか?
戦闘機、艦船、ミサイル、核兵器は自衛用でしょうか、それとも攻撃用でしょうか。
それぞれの兵器の能力、例えば航続距離1000km以下なら自衛用でしょうか。
それとも兵器の数量、例えば1万トン以下の艦船で5隻まででしょうか。

仮想敵国の戦力が巨大であれば、それに対抗すべき自衛の範囲は変わるのでしょうか。
そうとするなら、仮想敵国が加盟する軍事同盟の戦力はさらに巨大となるでしょう
当然、逆も真なりで、最小の自衛戦力しか持たない国が、強大な戦力を有する国と軍事同盟を結ぶと、仮想的国から見れば自衛戦力を逸脱したことになるでしょう。
例えば、核兵器を持たない国が核兵器保有国と同盟すれば、仮想敵国からどのように見なされるでしょうか。

何か変ですよね
問題点を整理します。
各国の自衛(防衛)と攻撃の境界は、個別の自衛力に限定しても、あらゆる想定をするなら不定となります。
さらに同盟国全体の自衛力で見るなら、その境界の判定はほとんど絶望的です。
結論は簡単で、各国の戦力を自衛の範囲内と規定することに無理があるのです。

当時、国連憲章第7条に個別的・集団的自衛権を盛り込むかで、大いに紛糾したのです。
国連において、中小国はこの条項にかなり反対したのですが、米ソ大国を署名させるために妥協せざるを得なかったのです。
これを単に言葉の綾ではないかといぶかるかもしれませんが、取り敢えず、憲法や国際条約で自衛権を規定することに矛盾があることに気が付いていただければ幸いです。

    

真の問題とは
当時の各国代表は、法文の矛盾に反対したのではなく、二度の大戦の失敗を繰り返さない為に反対したのです。
歴史が示すように、各国は仮想敵国の戦力と競うように軍拡競争する宿命にあったのです。
その始まりは漠然とした自衛の戦力からでした。
つまり不確定な自衛力を認めてしまうと、暴走し軍拡競争に陥りやすいのです。
このことが最大の反省点だったのです。

防ぐ手はあるのか
一つの例を見ましょう。
日本国内では、銃刀法により自衛出来る武器が大幅に制限されています。
多くの国では、拳銃の所持が認められており、自衛権が擁護されているように見えます。
米国ではさらに、州兵だけでなく民兵組織(小規模な集団的自衛権)まで認められています。
日本は、当然、破防法等により、これは認められていません。
この連載「銃がもたらすもの」でも考察したように、どちらが国民の安全保障に有利だったかは、一目瞭然です。

ポイントは、自衛権の制約と統一した武器の制約にあります。
これが最も成功しているのは、世界広しといえども日本だけです。

*5

しかし自衛の問題はこれだけではない
過去と現実に起きている問題を箇条書きします。

1.軍事衝突時の原因: 満州事変、ベトナム戦争のトンキン湾事件、ドイツ軍のポーランド侵攻のように正当防衛、挑発、虚構かの判定が困難です。紛争当事国が互いに正当防衛(自衛)と称することになる。

2.核ミサイル迎撃: この抑止理論(防衛理論)も千変万化であり、結論としては自衛ではなく攻撃が主になる。後に扱います。

3.諜報活動: 代表的なのが米国の国家安全保障局NSAと中央情報局CIAの暗躍です。これらの行うクーデター幇助、暗殺、情報操作、武器援助などによる他国の政敵排除は何処まで自衛なのでしょうか。CIAのある幹部は自衛の範囲と自著に記しているし、秘密裏に行われるので手の打ちようもない。

これらはどれも放置出来ない問題です。

最後に
少しややこしい話になりましたが、現実の適用や戦史を見る限り、その複雑さは想像を越えます。
大事なことは、当たり前と思っている大前提でも、これほど脆いのです。
それだけに社会の平和を維持することは困難なのです。




20140912

I enjoyed the taste of Japan: 日本の味を楽しむ

  
< 1.  Hankyu Higashi-dori: 阪急東通 >

I introduce a course dish that I ate at a sushi bar of Umeda today.

今日は、梅田の寿司屋で食べたコース料理を紹介します。



< 2.  Uoshin in Umeda: 魚心、梅田店 >

Introduction of the shop   http://r.gnavi.co.jp/k121901/
I watched the introduction of this shop with a newspaper by chance.
This shop is “Uoshin” of sushi bar in Hankyu Higashi-dori of Umeda.
My eating course dish seems to be “ Kuzushi-Kaiseki, Takara-bune”.
This course dish was reasonably priced in proportion as large helping of dish.
This dish needs a reservation.


店の紹介 
新聞広告でたまたまこの店を見ました。
店は梅田の阪急東通にある寿司屋、魚心です。
食べた料理は「くずし懐石 宝船」だと思います。
このコース料理は盛りだくさんの割に値段がお手頃でした。
この料理は予約が必要です。



< 3.  Inside of the shop    >

Introduction of the course dish
I introduce the dish in order of having been served.

料理の紹介
出た料理を順番に紹介します。



< 4.  two food boxes二段重箱and roast beef salad 

Two food boxes: right box is the sliced raw fish of a tuna, etc. left box is assorted small sushi.

二段重箱: 右はマグロと鮮魚の刺身としらす。左は小さな寿司の盛り合わせ



< 5. a hot pot of sharp-toothed eelハモの柳川鍋仕立てand tempura of a lobster 

The hot pot of sharp-toothed eel:  Matsutake mushroom is in it.
The tempura of a lobster: Only this plate is for two people.

ハモの柳川鍋仕立て: 松茸が入っています。
ロブスターの天ぷら: この皿のみ二人分です。

< 6.  steamed egg hotchpotch, assorted sushibean paste soup >

The steamed egg hotchpotch:  Snow crab is in it.
The assorted sushi:  Sushi of an abalone, tuna, green onion, salmon roe, and conger eel.
The bean paste soup.
After this, a sherbet is as a dessert last.

ずわい蟹あんかけ茶碗蒸し: ずわい蟹に入り。
寿司盛り合わせ: 活きアワビ、マグロとろ炙り、芽ネギ、いくら、あなごの寿司。
赤だし味噌汁。
この後、最後にデザートとしてシャーベットが出ます。

After the meal

The cook cooks before the nose of our.
All clerk are amiable, and these dishes were provided timely.
The meal was a lot of kinds of seafood and very colorful.
We were able to enjoy the meal slowly.
Since the sizes of the Sushi and the Sashimi are small, young person may be unsatisfactory.
The taste seems to be equal to the price.

食事を終えて
板前さんが、目の前で料理をしてくれます。
愛想も良く、タイミングよく料理が出て来ます。
出てくる海の幸の種類が多く、彩りもよく、ゆっくり食事を楽しめました。
若い人には、寿司や刺身などの大きさが小さいので、もの足りないかもしれません。
味は、値段相応でしょうか。

< 7. a night view of Umada >

Then, we became a good mood by having alcohol, did shopping in the underground center of Umeda, and left for our home.

この後、アルコールも入り、気を良くして梅田の地下街で買い物をして帰路につきました。