20200421

世界が崩壊しない前に 21: コロナは我々日本の弱点を教えてくれた 6





*1


今回は、大きな視点からコロナ危機を見ます。
歴史的に見れば、この災厄は古い体質を打破する好機です。


 
*2

* ペストと宗教改革 *

人類は誕生以来、病の克服に悪戦苦闘して来た。
病は、人の負の心理に深く作用し、宗教やタブーなどの形成に大きく関わって来た。
そして最悪のペストが、逆に宗教に大打撃を与え社会に転機をもたらした。

ペスト菌による伝染病は14世紀から16世紀にかけて、幾度も猛威を振るい、ヨーロッパの多くの町を全滅させ、全人口の30%以上の命を奪った。

当時、人々はどう対応したのか?

当然、まだ病因が菌だとは知らなかった。
多くは怪しげな行為、毒蛇の肉、香草、便所の悪臭などで避けようとした。
信仰心の篤い人は、これを神の怒りと捉え、身体に鞭打つ行者集団も現れた。
またユダヤ人が毒を撒いたとのデマが流れ、多くが虐殺された。

有効な処置は、発症者の隔離、渡航者の約1ヵ月の隔離、村の通行遮断ぐらいでした。

こうして人々は悲惨な状況が好転しないのを見て、神と教会への信仰に疑いを持ち始めた。

一方、ヨーロッパでは幾つかの要因が引き金となって、聖書を客観的に見る風潮(人文主義)や医学(外科)の萌芽が起きていた。

こうした中、神学者ルターが1517年、ローマ教皇を正面切って批判した。

これが当時、体制に不満を抱いていた農民や諸侯に火を付けた。
農民は一揆を起こし、暴利を貪っていた修道院などを襲い、また諸侯は守旧派(カソリック)の領地を奪った。
こうして百年に及ぶ戦争がヨーロッパに拡大し宗教改革も拡大した。

その結果、キリスト教はプロテスタントとカソリックの二派に分かれた。

プロテスタントの聖書の原点に戻る姿勢は、1500年もの間に巨大で強固になっていた教会制度と信仰形態(ミサ)を拒否し、また皇帝の上に立つ教皇の存在も否定した。
これは人々の意識に大変革をもたらした。

宗教改革後、欧米の人々は、より自由な生き方を求め、さらに理想の政体を求めるようになった。、
これがフランス革命や共産主義思想の誕生などに繋がった。

人々は伝染病に敗れはしたが、何が真実で何が無意味かに気付き、さらなる進歩を手に入れたのです。


一方、日本はどうでしょうか?

実は、日本は大きな変革のチャンスを失ってしまった。
大戦突入と言う大きな失敗に対して真摯に反省しなかった。

問題の要点を例えで説明します。
ブラック企業は勤める人にとっては悪夢ですが、まだ辞める手もあるし、告発することも可能です。
しかし、国の軍事独裁を一端許すと、逃げる手も正す手もありません。

つまり問題は敗戦より、何が独裁化と戦争突入を招いたかを理解することが重要です。
これなくしてはまた悲劇が再来することになる。


私達が力を合わせてコロナ危機を乗り越えた暁には、より良い社会を目指して政治を変えて行きましょう。


次回から、また本来の課題に戻ります。



20200420

世界が崩壊しない前に 20: コロナは我々日本の弱点を教えてくれた 5







*1


今回は、皆さんがニュースを見て感じている日本の大いなる弱点を考えます。


 
 
< 2. 両者の食い違い >


* 政府と自治体首長の心構えと手腕の違い *

今回、政府と自治体首長のやり取りを見ていると、両者の危機意識の違いが目立ち、結局は首長の手腕が事の正否を決めそうです。
政府と東京都はオリンピック開催と経済に目を奪われ、初動から道を誤り、未だに迷走し続けている。
しかし、今や全国の自治体首長の勢いは政府を動かしつつある。

日本は主に税制が原因で、自治体が自ら財政をコントロール出来ず、中央政府(与党議員と官僚)に従属し、自主性と活力を失って来た。
しかし大阪、神奈川、北海道、和歌山、愛知などの首長を見ていると、光明がある。

逆に、一強を良いことに公私の失策を隠蔽・捏造・証言拒否で逃げ、さらにはマスコミとウヨの懐柔で批判を抑え続けて来た政府は、足元の国民の現状を見る気がないようです。
経済対策も、危機終息後の復興策(旅行クーポンや牛肉券)は早々と声高に唱えたが、今まさに迫っている倒産や失業を回避する補償には踏み切れなかった。

これは半世紀に及ぶ自民党政権が招いた政治の弛緩が大きいが、これに加えて、中央政府と地方自治の役割分担が機能していないことも大きい。


北欧では、軍事や外交は中央政府の管轄だが、国民に直結する社会福祉などは自治体が財源を持ち施策する。
日本の今の体制では、中央政府はしどろもどろで決断できず、各首長の施策にブレーキが架かるだけです。
どうしても今回露見したように中央政府は市民目線から外れたのものになる。

例えば、大阪都構想もしかりです。
自治体の二重行政を解消し、大きな都に格上げすることは、理に叶っているように見える。
しかし、国からの交付金支給などの制度を根本的に変えない限り、実はあまりメリットがないのです。

今は米国はロックダウンの解除と継続で対立しています。
トランプ大統領は経済と選挙が優先で、ニューヨーク知事は市民の命を優先し対立している。
従わない州に対して大統領は、ウヨ的な市民を煽り抗議デモで揺さぶりをかけている。
日米共にポピュリズム政権は対立を煽り、目的を達しようとしますが、これが間違いをもたらすことは既に見ました。

今回の教訓から、政府の強制力云々より、自治体と首長が大幅な権限を持てる体制へと転換すべきです。
それが先進国の趨勢であり、日本の再生に不可欠です。



次回に続きます。



20200419

中国の外縁を一周して 31: 麻婆豆腐、武侯祠、その他情報






*1

今回は、老舗中華料理店と武侯祠、夕食のレストランを紹介します。
また成都旅行と空港の情報も記します。
これで成都の紹介は終わります。


 
< 2. 陈麻婆酒楼(金沙店) >

ガイドの説明では元祖麻婆豆腐の店です。
落ち着いた格調ある内装で、ゆったり食事が出来ました。


 
*3


 
< 4. 料理の数々 >

左上が麻婆豆腐です。
辛さはそれほどなくて、山椒が効いて深みのある味でした。
今回の中国旅行で、もっとも中華料理らしいものでした。
フリーでレストランに入り、はらはらドキドキしながら料理を注文し、新しい味を発見した時の喜びも良いが、ガイドの薦めで代表的な料理を食べるのも良いものです。


 
< 5.武侯祠 >

上: 武侯祠の地図。
三国志で有名な諸葛孔明の廟です。
3世紀に孔明が仕えた蜀王の劉備の廟が創建され、後に孔明の廟と一緒にされた。
清代に再建された建物が並んでいる。

この見学時、最も雨が酷くなり、詳しく見ることも写真撮影も出来ませんでした。
感じたのは、諸葛孔明の方が劉備玄徳より圧倒的に人気があり、中心的な配置になっていました。


 
< 6. 孔明を中心に蜀で活躍した人物の像 >


 
*7

 
< 8. 錦里古街 >

上: 武侯祠の中。

下二枚: 錦里古街。
武侯祠のすぐ隣にある、明や清時代の建物が再現された飲食店や土産物店の通りです。
この日は寒く、雨に濡れたせいもあり体調を崩してしまったので、ここは素通りした。


 
< 9.鲍师傅糕点(春熙路店) >

土産と夕食の為に、ガイドに頼んで一番の繁華街、春熙路に連れて行ってもらった。
この店は人気だそうで、日本への土産に買いました。
小さな店内で10種類ほどのお菓子を大量に作って販売していました。
饅頭、パイ、シュークリームのようなもので、新しい味で美味しかった。

一番驚いたのは、雨の中、多くの客が列をなして並び、次から次へと売れて行くのですが、客は無くなりません。
またその間にも、頻繁に様々なバイク便のドライバーが注文品を大量に引き取って行きます。
彼らは店員にスマホを見せ、素早く受取ります。
ここでも中国の新しい業態(バイク便による宅配業)の浸透を見た。


 
< 10. 春熙路の百貨店内のレストラン >

地下鉄駅春熙路の近くには多くの百貨店や大型スーパーがひしめき合っています。
中に、イトーヨーカ堂と伊勢丹もあります。
私達は、この中に入って土産を買い夕食をとりました。


 
< 11. モンゴル料理店 >

なぜかこの百貨店のレストランフロアはすべてが新装開店でした。
珍しいのでモンゴル料理を選びました。

上の写真: 店の前に置かれていた骨付き肉の塊が鍋の蒸気で蒸されており、食欲をそそります。
妻が注文しようとしたら、大きいままで小分けが出来無いと言うことで、諦めました。
結局、普通の中華料理を注文しました。

この後、地下鉄を乗り継いで、空港からタクシーでホテルに帰りました。
次の日は、8:50の飛行機で麗江に飛びます。



* タクシーの利用について *

 
< 12. 金沙遗址博物馆前から >

成都観光では、8時間の日本語ガイドを雇い、蘭州と違って車をチャーターしませんでした。
移動は地下鉄とタクシーを使い、効率よく回れると想定していたのですが、上手くいかなかった。
てっきりガイドは滴滴出行などのライドシェア(配車サービス)を使うと思っていたのですが、まったく使わなかった。
写真のように通りに出て、タクシーを拾うのですが、タクシーが通らなかったり、先に別の客に取られたりと散々でした。

ここで面白いことがありました。
ガイド曰く、最初、タクシーを待った場所には監視カメラがあるので、タクシーは寄って来ないと言い、次へと歩いて移動することになった。

ガイドがライドシェアを使わない理由は分からないが、1日で成都を観光する場合は、車もチャーターする方が良いでしょう。


 
< 13.空港とホテル間の移動について >

上: 成都双流国际机场(赤矢印)と成都空港商务酒店(黒矢印)の地図。
赤矢印は第2ターミナルで私が蘭州(中国東方航空)からと麗江(エアチャイナ)への両方で使いました。
ターミナルは3階建てです。
成都空港商务酒店が宿泊したホテルで便利で問題もなく、高くないので良かった。

中央: ストリートビュー。
上記地図の赤星印、高架道路上から成都双流国际机场(赤矢印)と成都空港商务酒店(黒矢印)を見ている。

下: タクシー乗り場の雰囲気(借用写真)。

蘭州から空港に到着したのは23:00でした。
当初、深夜の到着でタクシーが拾えるかと心配したのですが、無事に乗ることが出来ました。
しかし、嫌な経験をすることになった。

深夜であっても、非常に多くのタクシーが待機しており、配車係の指示でスムーズに乗れます。
タクシー乗り場は第二ターミナル1階を出た所にあるので分かり易いです。
タクシーに乗って行先を伝えるのですが、運転手は困惑し、分からないと繰り返します。
しかたなく、私がスマホを見ながら道案内することになりました。

翌日、成都観光を終えて、空港第2ターミナルの地下鉄駅を降りて、また同じ所からタクシーに乗ったのですが、また運転手がけたたましく抗議する。
無事ホテルには着いたのですが、どうやらホテルまで歩いて行けと言っているらしい。

結局、さらに翌日早朝の出発はホテルから空港まで1km弱を歩きました。
中国で乗車拒否には遭わなかったが、うるさいのにはうんざりした。


* 成都観光の感想 *

丸1日で成都の中心部を観光するのは無理でした。
四川博物院や青羊宮に行くことが出来なかった。
事前の打ち合わせで無理とはわかっていたのですが、残念でした。

もう一つ残念だったのは、劉備玄徳が蜀の国に拠点を置いた理由を実感出来なかったことです。
蜀の国が肥沃な広大な盆地で、かつ険しい山岳に囲まれていることを自分の目で確認したかった。
私は成都の出入りを両方とも飛行機にしたのですが、どちらか一方を列車にしておくと自然の景観が分かった。

もっとも蘭州ー成都ー麗江を鉄道で行くのはかなり遠回りで、それぞれ10時間以上かかり、夜行になるので採用できなかったのですが。
さらに麗江行きの飛行機便が予約後、航空会社より午後発が朝発に変更されたことで成都滞在が短くなったのも痛かった。


次回に続きます。



20200418

桜舞い散る城下町、龍野を散策 3


  *1

今回は、龍野城から古い町並み、お寺を見て、
駐車場に戻るまでを紹介します。
今回で龍野の紹介は終わります。


 
< 2. 龍野城の門 >

上: 城の西側の門。

下: 門の前から西側の山を望む。
山の中腹に野見宿禰神社の鳥居が見える。

 
< 3. 本丸御殿 >

龍野城は戦国時代に赤松氏が鶏籠山頂に築城したのが始まりでした。
鶏籠山は写真の御殿の裏山です。
江戸時代に脇坂氏が、この御殿のある地に政庁を建てた。
当時の物で残っているのは石垣のみで、隅櫓や埋門、御殿は再建されたものです。

*4.


< 5. 御殿を見学 1 >






 
< 6. 御殿を見学 2 >



 
< 7. 埋門 1 >

下: 埋門
この門へ下りず、真直ぐ進むと龍野歴史文化資料館があります。
この館は開館していたのですが、コロナを心配して入りませんでした。

 
< 8. 埋門 2 >

上: 埋門を抜けてから振り返った。

下: 埋門から町の方を望む。
この坂を下って左に曲がる角に三木露風の生家があります。


 
< 9. 三木露風の生家 >

上: 三木露風が6歳まで暮らした家です。
中に入りましたが、庭のある小さな家でした。

下: 醤油工場


< 10. 醤油の郷 大正ロマン館 >

上: 十字路の角にある大正ロマン館。
ここは元醤油会社の研究所跡を展示館やショップにしている。
前述の醤油工場の向かいにある。

下: 如来寺
寺の右側の道を歩いて来ました。
横を流れる疏水に、散った桜の花びらが流れて綺麗でした。


 
< 11. 白壁の通りを行く >

上: この白壁に囲まれた道の奥に如来寺が見える。

下: 龍野御坊 圓光寺。
右側の石碑に「宮本武蔵 修練の地」とありました。
宮本武蔵は一時期、ここの道場で圓明流の師範をしていた。
宮本武蔵は、ここを通る因幡街道を下ったところで生まれている。


 
< 12. 圓光寺 >


 
< 13. 揖保川に戻って来ました >

駐車場を11:00に出て、14:00に戻ってきました。
今回の町歩きは、桜が満開で、天気も良く、素晴らしかった。
歴史的に興味深いものに出会え、楽しみました。

これで終わります。


20200417

世界が崩壊しない前に 19: コロナは我々日本の弱点を教えてくれた 4




*1

今回は、コロナ危機で感じた悲哀について記します。


 
*2


* クラスター班の活躍と苦悩 *

先日、NHKのドキュメンタリーで、日本の新型コロナウイルスのクラスター対策班の奮闘を見ました。

2ヵ月が経ち、これからも続く疲労困憊の中での東北大学押谷教授と北大西浦教授らの熱意と誠意には感動を覚え、感謝してもし切れない。

西浦氏は感染の第一波をクラスター分析と隔離で抑えたが、第二波を防止出来なかったと言い、言外に我々は絶望の淵に立っていることを示唆していた。
確かに、3月中旬までの少ない感染者数と3密を避ける提案は、この班の業績かもしれない。
一方で彼らは、人形浄瑠璃の黒衣(くろご)のようで目立たず、今は非難もされている。


何点か残念に思ったことがある。

彼は、第二波は空港での検閲と隔離が上手くいっていないからだと言葉すくなく指摘していた。
また人員不足で寝る暇も無いクラスター班への増員が無く、政府の無理解に一言嘆いていた。

さらに不思議なのはドキュメンタリーで、NHKが上部機関(新型コロナ対策本部、厚生省、政府)との連携や対応をほとんど描いていなかったことです。

常識で考えて、感染対策の執行機関の協力なしでは彼ら対策班の苦労は報われず、それこそ孤軍奮闘で終わってしまう。
むしろ私には彼らは人身御供として晒されているように思えた。
それでも彼らは実に謙虚で他者をまったく非難しない。


もう一つは、西浦氏はまだCR検査の制限に拘っていることです。

明らかに状況が変わっているのに手法を変えない事には無理がある。
この件の説明では、急に歯切れが悪くなった。

本来なら、第二波の状況悪化に備えて、政府がPCR検査の拡大や空港の検疫体制の強化を行うべきで、西浦氏がその評価を語ってこそ対策班と言える。
ここでも、何か他者への遠慮が働いているように感じた。

結局、コロナ危機に対して、重要な役割(感染対策の立案)を果たすべき班が、協力も支援もなく孤軍奮闘していることが露呈した。

まさに80年前の日本の再現です。
戦況全体を俯瞰し指揮する最高責任者がおらず、各指揮所(天皇、政府、海軍、陸軍、現地派遣軍)がバラバラに行動し、長期視点が無く、遂には補給が途絶え、玉砕で有終の美を飾ることが国民に求められた。


次回に続きます。





20200416

世界が崩壊しない前に 18: コロナは我々日本の弱点を教えてくれた  3





*1

今回は、発想の転嫁が出来ない不幸を見ます


 
< 3.摩訶不思議な批判潰し >

孫氏がTwitter上で休業補償のアンケートを行うと、当初賛成が圧倒的に優勢でしたが、深夜の間に反対票が30万入り、呆気なく反対に逆転した。
ここまで酷い操作を私は知らない。


* 休業補償をしない件 *

今、感染爆発を防ぐには人との接触を80%減らす必要がある。
そこで都道府県の首長は国に休業補償を要求するが、政府は前例が無いとし頑なに拒否している(噂では財務省が許さないらしい)。

国が休業への強制力を持たないことや、補償をやり始めると政府が破綻すると言う論点ずらしもある。
ここでは、この二点への反論と、日本の先進国からの周回遅れについては触れない。

日本で感染爆発が起きれば重篤患者は30万人になる可能性がある。
そうなると医療介護費・経済損失も含めた彼らの生命価値を一人3億円として90兆円の損失が出る。
さらに膨大な数の感染軽症者、失業する非正規や新卒が生涯に亘り、その累計経済損失は数百兆円になるだろう。

ここで休業補償総額20兆円(=GDPの内の年間民間消費300兆/12ヵ月X80%)で全国民に1ヵ月休業してもらい、感染爆発が起きないとする。
すると差し引き70兆円が浮くことになる。
実施は一部の都市で可能だから10兆円で済むかもしれず、前述の失業者の莫大な被害も抑えられるので、さらにメリットは巨大になる。

発想を転換すれば、国民は救われる。

実は、我が国は様々な名目で金をばら撒いて来ている。
農家への米の減反費用、様々な助成金、輸入関税も周り回って同様の結果になる(農産品だけでも年間8兆円)。
箱ものなどの土建投資も然り(年数兆円~十数兆円)。
法人減税は30年間の累計で300兆円になり、消費増税分はほぼ消える。
首相は短期間で諸外国に60兆円をばら撒いた。
日銀はこの10年間で国債を400兆円、ETF(上場投資信託)を30兆円買った(これが政府の財政支出の足枷になるかも)。

これでも国民の命を守る為に微々たる金しか出せないのなら・・・。

こんな試算もあった。
かつての米国の南北戦争で80万人が死亡し、甚大な被害が出た。
後に、南北戦争を回避する方法として、ある経済学者は事前の補償を提案している。
「北部側が、南部の奴隷所有者から奴隷開放による損害補償を提案すべきだったと」

双方で膨大な軍事費を使い、町を破壊し、死傷者を出し、結局、南部は奴隷も失った。
結果から見れば、補償での戦争回避が良策です。

冷静になって先を読むことが出来れば、危機の被害を少なく出来るのです。


次回に続きます。



20200415

世界が崩壊しない前に 17: コロナは我々日本の弱点を教えてくれた 2







*1


今回は、日米首脳に共通する問題を取り上げます。


* 「武漢ウイルス」発言 *

両首脳の他国を毛嫌いする態度が、コロナ危機で失策を招き、国民は大きな災厄を被ることになった。

日本は、マスクの8割をほとんど中国から輸入している。
コロナ危機で中国はマスクを増産し、ここ1ヵ月で38億枚を世界に輸出した。
政府は増産と言いながら、「中国産は使わない」と言う閣僚の発言に忖度した担当官は3月に中国からの追加輸入を断念していた。


米国の疾病対策センター所長は「トランプ政権のメッセージは『中国に協力するな。彼らは敵だ』ということだ」と語っていた。
これで両国間の防疫協力関係は完全に切れてしまった。
米国は中国のコロナの詳細情報を手に入れることが出来ず、感染症対策の初動の遅れに輪をかけることになった。

必需品から医療情報まで、グローバル化社会では一時の断絶が致命傷になる。
将来、中国でほとんど産出されているレアアースの報いは桁違いになる。


* もう一つの厄介な性癖 *

このタイプの首脳は、敵を峻別する傾向にあるので、直ちに国境閉鎖やクルーズ船寄港拒否などで解決を図ろうとする。
これがすべて悪いとは言えないが、問題はその後の対応がお粗末になる事です。

たとえ閉鎖を実施しても、侵入を防げず、感染者は国内に広がって行きます。
米国は閉鎖を素早く行ったが、初動で遅れ、感染爆発を招いた。

このタイプの首脳は、科学的な重要性を理解出来ず、目立たない緻密な政策を疎かにするようです。


 

< 2. 米国の二人の大統領の違い >

現在、米国は国連安保理で「武漢ウイルス」を宣言に入れることに拘り、紛糾し宣言が骨抜きになっている。
これが以前の大統領なら、エイズ対策で国連が一致して対策を執ることが出来た。

トランプの下で国際保健分野は冷遇され、CDCの予算も削減されつつある。
エボラ出血熱時に設けられた国家安全保障会議のパンデミック担当チームは18年に解体された。
さらに米中の通商対立が加速し、米国は防疫情報で孤立するようになった。


 
< 3.2015年、ビルゲイツのTEDでの発表 >

ゲイツは今後、戦争よりもパンデミックで大量の死者が発生するかもしれないと警告していた。

今の両国政府は国家安全保障を歪めている。
安全保障は軍備だけでなく、伝染病、資源の枯渇、災害などから国民の健康と安全を守る事も範疇にあるのです。

不安、不穏な社会ではタカ派的な言動を売りにする首脳は非常に人気を得る。
この態度は、大国が他国から利益を奪う時には有効かもしれないが、伝染病のような世界的な危機に際して国民に大きなダメージを与える。
このような日米の首脳は、百害あって一利なしと言える。

重要な事は、国民が人気だけでトップを選ぶ愚を避けることです。


次回の続きます。



20200414

世界が崩壊しない前に 16: コロナは我々日本の弱点を教えてくれた 1





*1


数回に分けて、コロナ危機への政府の対応を採り上げて、問題点を明らかにします。
そして、来るべき世界的な危機を回避するヒントを探ります。

「全国の医師・看護師・病院、そしてコロナ危機に対応しておられ方々に感謝と敬意を表します」


 

< 2.自民党コロナ対策本部のメンバー >


* 国が布マスク2枚を国民に配布する件 *

無いよりは良いとの意見もあるが、布製なら各自が洗濯と手作りで、不織布なら蒸気消毒(蒸し器)で、難なく解決できる。
まして布マスクは不織布マスクより感染防止能力が低い。

マスク調達を担当した官僚が世間の悪評に耐えらえず、
「医療用マスクの枯渇を防ぐ最良の手段なのに、広報が悪くて国民に理解してもらえない」との嘆きを発信した。

私が驚くのは、2ヵ月半の期間と466億円をかけて、これしか出来ずに平然と他人のせいにしていることです。
(政府は1月28日にマスク増産に動き、2月12日に菅官房長官が来週以降、不足は緩和されると発言した。そして首相が4月1日に「マスク2枚配布」を表明し、4月12日以降順次届けるらしい。)

現場を知る者なら、不織布マスク製造機を35台発注し、1か月後には月産3億枚の生産を開始していただろう。
(製造機は日本製で、設計図もあるので制作費は総額30億円ほど、納期1ヵ月で可能だろう。日本でもマスクと不織布を製造しているから、空き工場を使い生産出来るだろう。)

実際に、既に台湾はマスクを7倍の月産3億枚に増産し、孫正義氏は日本の為に中国に月産3億枚を発注し、アイリスオーヤマは国内増産用の設備を発注している。

マスク配布にどんな意図があるか知らないが、この件は政府や官僚に、「最も必要な事を適切に施す能力が無い」ことを示している。
恐らくは、内閣に危機が無いか、政策立案者ら(官僚や大臣)に広い領域亘る専門家が揃っていないことの表れだろう(現場を知らない)。

残念ながら日本の中枢を占める官僚は法科出が占め、最近は忖度や誤魔化しの能力だけが目立ち、国民目線の欠落が酷い。

さらに加えて自民党コロナ対策本部の議員には、テレビやツイッターでウヨに人気があり、安倍人気を盛り上げた功績で参加した人物が目立つ。

当然、主要なポストに専門性など期待できない。
これでは今後繰り返し訪れる世界的な危機に対処できないだろう。



次回に続きます。

20200413

桜舞い散る城下町、龍野を散策 2





*1

今回は、満開の桜が生み出す日本の風景を楽しんでもらいます。
龍野神社の前から聚遠亭、龍野城の隅櫓までを紹介します。

 
< 2.龍野神社の境内 >

上: 右下に駐車場、遠方に龍野の町が見える。
階段は遥か下まで続いている。

下: 右手に駐車場がある。


 
< 3.聚遠亭に入る >

この庭園は神社のすぐ横、北側にある。
この日は開園していた。
無料です。
ここは脇坂家ゆかりの江戸時代の建物と庭があります。

上: 茶室。


 
< 4. 御涼所 >
上: 御涼所。
龍野藩主脇坂家の武家屋敷。


 
< 5.聚遠亭の全景 >

下: 出口側から見た全景。

 
< 6. 神社の階段にて >

上: 聚遠亭から眼下を見下ろす。

下: 聚遠亭を出て、神社の階段を見上げた。
小学校の入学式を終えた子供を連れた家族が見えた。
実に華やかで希望に満ちた門出だろう。
おめでとう!!


 
< 7.聚遠亭の下の道から >

上: 神社を見上げる。

下: 道の左側の高台が聚遠亭の庭。


 
< 8. 紅葉谷 >

下: 紅葉谷が奥に続く。


 
< 9.三木露風の旧邸跡 >

上: 左の階段を昇ると龍野神社に達する。

下: 右手に三木露風の旧邸跡を示す看板があった。


 
< 10. 龍野城の隅櫓 >


次回に続きます。