20160715

地中海クルーズとカナリヤ諸島クルーズ 22: クルーズ船での愉しみ






< 1. レセプション・ホール >

今日は、クルーズ船内の楽しみ方を紹介します。
私達は初めて経験したのですが、大いに愉しみました。
詳しく奉公します。


 

< 2.エンタテイメント >
上の写真: 2000名収容のシアター。
中央の写真: たくさんのバーやカフェ、レストランで演奏が行われている。
下の写真: レセプション・ホールでのクラシック演奏。

私達夫婦は、ほぼ毎日、シアターで約90分のショーを見ました。
ショーは夜2回あり、夕食の前後で見れるようになっています。
入場は無料で、入退出も自由です。
ショーは歌(オペラのダイジェスト、ポップスなど)とダンス、アクロバットを融合させたもので、人気歌手の物真似もあります。
英語かイタリア語で行われますが、言葉を理解出来なくても楽しめます。
出演者は毎回同じで、新鮮味は欠けますがイタリアのショーを楽しめるのが一番です。

小編成のバンド演奏や歌は、毎夜、船内の6か所以上で無料で行われています。
多くの客が連れだってペッボトル(水)持参で、会話と音楽を楽しんでいました。


 

< 3. ダンスレッスン >
ダンスレッスンの18秒間のビデオです。

毎日数回、何処かで30分以上のダンスレッスンが行われています。
自由に参加出来ます。
私は社交ダンスを期待していたのですが、多くはスピーディーでリズミカルなダンスが多い。
インストラクターは男女二人で、すべてを指導していました。
彼らは、チークダンス、フォークダンス、コミカルなダンス、はては太極拳まで教えてくれました。

私はステップについていくのがやっとでしたが、多くの参加者は楽しんでいました。
ダンスを愉しみにしている日本人客が多かったのには驚いた。
ダンスフロアーのあるバーが数か所あり、夜になるとダンスを楽しむことが出来ます。
外国の方と混じって、ダンスをするのも楽しいものです。


 

< 4. ゲーム >
毎日、何らかのゲームがあり、うまくやれば簡単な賞品がもらえます。
自由に参加できます。
私は一つだけ参加しました。



 

< 5. コンテスト >
コンテストも色々ありますが、これは料理コンテストです。
コックの手本を見聞きしてから、三人の参加者が競いました。
脇でいつも場を盛り上げる若いアシスタント達(メキシカンスタイル)が楽しい。
イタリア語が主で、英語も少し喋れるようです。


 

< 6. クラフト >

これは台紙と紙のリボンを使って作るクラフトです。
私達は3回ほど参加しましたが、直ぐに外国の人と親しくなれます。
日本人は概して器用なようです。
写真はイタリアの親子です。



 

< 7. ちょっと贅沢 >
上の写真: 多くのお客さんは、このようなカフェやバーでくつろいでいます。
中央の写真: 私たちも、フォーマルデイナーにはそれなりの恰好で・・・
下の写真: 船内には常設のショップがあるのですが、クルーズも終わりかけると臨時の売店が並びます。





 

< 8. ジャグジー >
上の写真: 船首側から中央を眺める。
3月中旬なのですが天気が良い日には、デッキは人で一杯になる。
風が無ければ寒くありません。

下2枚の写真: 屋根付きプール。

私たちは終日クルーズの時に、ジャグジーに2回入りました。
湯温は少し低めですが、写真のような屋根付きジャグジーなら寒くはありません。
部屋で水着を着ておき、サンダルを履いてバスタオルを持って行きます。
何人かと一緒に入るのですが、嫌な思いをすることはありませんでした。
むしろ、世界中の人と気安く声をかけるチャンスでした。
イタリア?やドイツ?、シンガポールの人に声かけ、中には大変喜んでくれる人もいました。



 

< 9. デッキを散歩 >
上2枚の写真: 船首側から中央を眺める。

下の写真: 船尾側のプールがあるデッキ。

このデッキで写真撮影や散歩を楽しみました。
船尾側デッキは、船首側と違って広い視界が得られる。


 

< 10. 出会い >
上の写真: 早朝、写真撮影の為にデッキに出ていると、後ろから声をかける人がいました。
彼は、娘さんが日本人と結婚したことを私達に嬉しそうに話してくれました。
彼はイタリア人ですが、我々と片言の英語と日本語で歓談した。

ビュッフェやエレベーターなどでも、幾度が外国の方と言葉をかけ合うことがあった。
概ね気安く応対してくれるのはドイツ人のようです。
これはドイツ人が遠方からクルーズに来ることで客層が異なっているからかもしれません。

下の写真: 彼はレストランのボーイで、家族を残して出稼ぎに来ている。
彼の故郷はモーリシャスで、いつか帰って観光業で働くのが夢のようです。
日本人担当のボーイの多くは、東南アジアや南米の人でした。

クルーズ旅行とバス旅行の大きな違いは、外国の方と何日間も一緒に暮らすことで、思わぬ出会いがあるかもしれません。


感想
今回のツアー参加の動機は、大げさに言えば一生に一度、クルーズ旅行をしておきたかったからです。
初めての経験なので、色々不安があり、充分に準備しました。
結果は、スリに2回あった以外は、すべて予想以上の満足が得られました。

一方で、三つの事に気付きました。
やはり英語の出来ないことは残念でしたが、たとえ英語が出来ても、世界の人達(イタリア、フランス、スペイン、中国)と交流出来ないことを思い知りました。
もっとも遠方からクルーズに来る外国人は英語が話せる人もいるようでしたが。

イタリア人などヨーロッパのクルーズ客の様子を見ていると、寄港地での観光や、船内の楽しみ方に日本人と大きな違いがある。
彼らは日本人のように個人や夫婦がパック旅行で観光を楽しむのではなく、特に地元イタリア人は子連れの家族や親類縁者が大勢一緒に休暇を楽しむようです。
彼らは寄港地でも、徒歩かシャトルバスなどで現地に向かい、自由に街歩きを楽しむようです。
彼らにとってクルーズは贅沢な観光と言うより、皆でのんびり楽しむ船旅のようです。

私達夫婦にとってクルーズ旅行は合わないと感じた。
やはり好奇心を満足させる為には、バスで観光地を巡り、朝夕、ホテル周辺を精一杯歩き回り、探索する旅が私達には必要でした。
クルーズ旅行は異なる自然や国を一度に見れるメリットはあるのですが、バス旅行は地域全体の繋がり、自然や歴史、文化を全体で捉えることが出来る。

人によっては、食事などでツアー参加者との接触時間が長くなり、面倒臭くなるかもしれません。
結局、クルーズは余暇を楽しむ余裕があり、足腰が弱ってから参加すべきだと思った。
日本からのツアー同行者の多くは、私達よりも高齢でクルーズの常連さんでした。

今回は4回の終日クルーズがあり、色々参加して得難い経験をした。
これもまた楽しい旅だった。

次回に続きます。





20160713

Visiting from Tajima shore to Tango Peninsula 8:  the early-morning view

但馬海岸から丹後半島を巡って : 朝の景色




 

< 1.  Sunrise of the lake  >
< 1. 離湖の朝 >

I introduce the early-morning view of Amino town facing the Sea of Japan today.
I took a walk around two beaches, a lake and port early in the morning.
It was cloud in the morning, but there was attractive atmosphere.

今日は、日本海に面した網野町の朝の景色を紹介します。
早朝、池と港、そして二つの海岸を散策しました。
朝は雲が出ていましたが、風情がありました。



 

< 2.  Sunrise of the lake 
< 2. 離湖の朝  >
The circumference of the lake is about 4 km, and it is the largest freshwater lake in North Kyoto.
A small mountain in the center is a peninsula, and is also an ancient burial mound.
An angler fixedly had looked at a surface of the lake.

周囲4kmの京都北部で最大の淡水湖で、海岸まで500mの位置にあります。
中央に見えるのが湖中央に突き出た半島部の小山で、古墳があります。
釣り人がじっと湖面を眺めていました。



 

 

 

< 3.  A beach >
< 3. 八丁浜 >
Upper photo:  view of the west side from a center of the beach.
You can find Amino port in the back of the beach.

Central photo:  view of the east side from the west edge of the beach.
The scenery over the beach is Amino town that is famous for Tango Chirimen (a high-quality silk).

Lower photo: view of the north east side from the west edge of the beach.
Today, we are going to go in this direction and go around Tango Peninsula.

This big sandy beach will be full of swimmers in this summer.

I shot a video of this beach, and the video footage is 25 seconds.

上の写真: 浜の中央から西側を見ている。
奥に網野漁港が見えます。

中央の写真: 浜の西端から東側を見ている。
丹後ちりめんで有名な網野の町が広がっている。

下の写真: 浜の西端から北東を見ている。
今日は、この方向に進み丹後半島を一周します。

ここは大きな砂浜で、夏は海水浴客で賑わうことでしょう。

これはこの浜を映した25秒の映像です。



 

< 4.  Amino fishing port >
< 4. 網野港 >

This port was made in the mouth of a river.
Upper photo:  view of seaside from a place on the breakwater.
Lower photo:  view of the upper stream from same place on the breakwater.

When I took a walk, I looked at a small Shinto shrine.
A signboard standing by the shrine said here is the place of the Legend of Urashima Taro.
The Urashima Taroa is a famous Japanese fable, and behind the story were concepts concerning Taoist immortality of ancient China.
I hit on an idea.
There are many ancient burial mounds in this Amino town.
This area is in an inconvenient location facing the Sea of Japan, and furthermore, the scale of the port is small.
Nevertheless, the scale of this Amino town is large.
I guess this area was a sea gateway to Korean Peninsula and Mainland China since ancient times.
I enjoyed thinking such thoughts. 

On the next time, I introduce a maximum ancient burial mound in this district.

ここは河口に出来た漁港です。
上の写真: 防波堤に立ち海側を見ている。
下の写真: 防波堤に立ち、川の上流を見ている。

散歩していると小さな祠があり、浦島太郎伝説の地と書かれていました。
思い当たることがありました。
この網野町には古墳が多いのです。
さらに日本海に面した不便な地にあって、漁港が小さいにも関わらず、町の規模が大きいのです。
きっと、古来より朝鮮半島や中国大陸との海の玄関口だったのでしょう。
想像しているだけで楽しくなります。

次回、この地方で最大の古墳を紹介します。





 

< 5. Kotohiki Beach >
< 5. 琴引浜 >

This beach is famous for Naki-sunathe sand making sounds when people walk on it), and a beautiful beach surrounded by a nature.

This continues next time.

ここは「鳴き砂」で知られた海岸で、自然に囲まれた美しい海水浴場です。

次回に続きます。




20160712

Bring peace to the Middle East! 20: Israeli-Palestinian conflict 2: voices of the young 2


中東平和を! 20: イスラエルとパレスチナの紛争 : 若者の声 




 
*1

I again introduce the voice of youth living in Palestine and Israel.

回に続いて、パレスチナとイスラエルに住む若者の声を紹介します。


 

< 2.  Separation barrier >
< 2. 分離壁 >

Question,  What dyou think that Israel and Palestine become after 2,000 years?
The answers for it are greatly different between both sides.

Persons answering Independent is 18 cases of the Palestinians, and 4 cases of the Israelis.
The Independent of the Palestinians includes liberation, freedom, and we come back".
It of the Israelis includes liberation, opponent leaves, we rule".

Next, as for the answers of the Palestinians, there are each 3 cases of peace and  indistinctness,  2 cases of "destruction and the worst", and 1 case of continuation .

The Israeli opinions are split.
“destruction, atom bomb, and ruin”, “peace”, “continuation” are each 4 cases of the same number as “Independent”.
Next, there are each 3 cases of “ indistinctness” and coexistence, then each 1 case of Palestine” and which side only remains.

質問 「2000年後のイスラエルとパレスチナはどうなっていると思いますか?」
この回答は、両者で大きく異なる。

「独立」と答えたのは、パレスチナ人で18件、イスラエル人で4件でした。
この「独立」には、パレスチナ人の回答解放、自由、我々が戻る」を含めた。
イスラエル人の解放、相手が去る、支配」を含めた。

パレスチナ人の回答で次いで多いものを挙げると、「平和」と「不明」の各3件、「破滅、最悪」の2件、「継続」の1件です。

イスラエルの意見分かれている。
「破滅、原爆、廃墟」、「平和」、「継続」が「独立」と同数の4件で並ぶ。
次いで「不明」と「共存」が3件で、「パレスチナ」と「どちらの一方」が各1件ある。

There is same answer that means the result depends on God in common between both.
There are 3 cases of the Messiah” in the Israelis, and 2 cases of Allah and Koran in the Palestinians.

The Palestinian youths are stronger than the Israeli youths, as their intention for exclusion and independence.
Israel has expanded the rule area with the overwhelming power, but the youths don’t feel a sense of relief.
I guess it from the total contents that they are pessimistic about the future and cling to a thread of hope.

両者に共通して、成り行きは「神」に依るとする回答がある。
イスラエルでは「救世主」の3件、パレスチナでは「神、コーラン」の2件です。

独立または他を排除の意思はパレスチナの若者の方がイスラエルの若者より強い。
圧倒する力で支配を広げるイスラエルだが、その若者達に安堵感は無い。
全体の文面から推察して共に将来に悲観的で、かすかな希望にすがっているように思える。



 

< 3.  Camp David Accords in 1978 >
< 3.1978年のキャンプ・デービッド合意、平和条約 >

Question, "Please tell me likable countries and hateful countries."
I see the Palestinian answer at first.

As for the likable countries, the most is 12 cases of home country, next, 6 cases of Iraq, and 3 cases of the Arab and Islamic world".
As for the hateful countries, the most is 14 cases of U.S. A., next 13 cases of Israel, next, 3 cases of Europe, and 2 cases of the Arab and Islamic world".
Curiously, Palestinian youths most dislike the United States than opponent Israel.

I see the Israeli answer.
As for the likable countries, the most is 17 cases of home country, next, 5 cases of countries of other continents, and 1 cases of  indistinctness.
As for the hateful countries, the most is each 7 cases of the Arab and Islamic world"and  indistinctness, next, each 3 cases of “anti-Judea” and "Europe and America", and 1 case of home country".

The Israeli youths dislike the Arab and Islamic world" than belligerent Palestine again.
There is person that dislikes home country and criticizes himself, and we can look at this case in other answers.


質問 「好き国と嫌いな国を教えて下さい。」
先ず、パレスチナ人の回答を見る。
「好きな国」最多は、「自国」の12件、次いで「イラク」の6件、「アラブ、イスラム」の3件です。
「嫌いな国」の最多は、「米国」の14件、次いで「イスラエル」の13件、欧州の3件、「アラブ、イスラム」の2件です。
奇妙な事に、パレスチナの若者は交戦国のイスラエルではなく、米国を一番に嫌っている。

イスラエル人の回答を見る。
好きな国」最多は、「自国」の17件、次いで「他の大陸の国」(国名は割愛)の5件、「不明」の2件です。
「嫌いな国」の最多は、「イスラム、アラブ」と「不明」の各7件、次いで「反ユダヤ」「欧米」の各3件、「自国」の1件です。

イスラエルの若者は、ここでも交戦国のパレスチナより周辺のアラブ全体を嫌っている。
イスラエルの若者には、他の回答でも見られたが自国を嫌い、自己批判する者がいる


 

< 4. The Gulf War 
< 4.湾岸戦争 >

further note
I guess that the reason that Palestinian youths have a good feeling toward Iraq is a statement by President Hussein at the Gulf War in 1990.
He criticized President Bush that the United States had permitted Israel to invade Palestine but didnt permit Iraq to invade Kuwait on the other hand. 
In addition, the reason why the United States is disliked were various interference and big military campaigns against the Arab in the last half century, and Arabic people dislike likewise.


補足説明
パレスチナの若者がイラクに好感を持つのは、1990年の湾岸戦争前夜のフセイン大統領の発言にあると思われる。
彼は、米国がイスラエルのパレスチナ侵略を許すのに、クウェート侵攻を非難するのは片手落ちだとブッシュ大統領を批判した。
また米国が嫌われる理由は、ここ半世紀のアラブへの干渉や軍事行動にあり、アラブの民衆も同様に嫌っている。


 

< 5.  The current situation of West Ban. It could be over at any moment  >
< 5.ヨルダン川西岸の現状、パレスチナの自治は風前の灯火 >

Summary
This result shows the intention of the youths in ten years agobut I felt a bit of brightness.
They think that Europe and America, and Arabic countries invited this war, aggravate it, and neglect it. 
What is important is that Palestine and Israel dont press the responsibility of the war only on the belligerent, and dont dislike only it each other.
They love home country, but they seem not to think that they can pull themselves from this war.

handful of a settlement activity that began approximately 70 years ago caused extraordinary numbers of people as the dead and refugees before long.
The youths seem to want to back away from this war on a personal basis, but the both antipathy comes to be deepened as a group.
And the weak seems to be destined to fall before long, and it is just such as a Jew broke up once 2,600 years ago.


This continue the next time.


まとめ
この結果は10年以上前の若者の気持ちを示しているのだが、私は少し明るさを感じた
この若者達は、欧米とアラブ各国が紛争を招きこじらせ、放置していると考えている。
重要なことは、パレスチナとイスラエルが、互いに一方的に交戦国だけに戦争開始の責任を押し付けたり、憎悪の対象にしていないことです
しかし彼らは自国を愛する一方、絶望現状から抜け出せるとは思っていないようです。

70年ほど前に始まった一握りの入植活動が、やがて途方もない死者と難民を生むようになった。
当事者の若者達は、個人として戦争から一歩身を引いているように思えるが、集団として対立は深くなるばかりです。
そして、弱者はやがて滅びる運命のように見える、かつてユダヤ人が2600年前に離散したように

次回に続く。