20171101

何か変ですよ! 80:  何が問題か? 3







*1


前回、日本の失業率低下と賃金上昇の背景を見ました。
しかし、何らかの天井が賃金の上昇を遮っているようでした。
また、今回の景気好転には手放しで喜べない事情があります。


はじめに
前回、今回の失業率低下と賃金上昇はアベノミクスの効果と断定出来ないことを見ました。
また、この二つの指標は単に景気好転で決まるものでないことも見ました。

これから日本の経済状況を規定している三つの政治経済の潮流と、賃金の
上昇を抑えている正体を明らかにします。


景気好転の切っ掛け
前回のNo4のグラフから、失業率は2009年で、就業者数は2010年で底を打ち、その後上昇を始めました。
所定内給与は2010と2011年に上昇したが、2012と2013年に一度低下し、その後また上昇しています。
この背景を簡単に確認します。


 

< 2. 日本の輸出・輸入額の推移、日本貿易会HPより >

グラフ中の番号⑧で示すように、2010年にはリーマンショック後の景気回復が世界的に進んだことにより、貿易が急伸した。
しかし⑨で示すように、2011年から2012年にかけてはEUの金融危機と東北大震災で輸出が減り、金融危機回避による円安と復興需要で輸入額が急増した。

つまり、アベノミクスの効果を否定出来ないが、大きな流れとしては株価上昇や円安と同様に世界経済の立ち直り時期と一致したことが一番でしょう。

しかし実はこれが大きな不安要因でもあるのです。
今回の景気回復は、リ―マンショック後の米欧中による歴史的な巨額の貨幣供給が呼び水となっており、実体経済の10倍を越える資金が投機の為に世界中を駆け巡っています。

おそらく1~3年以内にバブルが破裂し、世界はより深い金融危機に見舞われ、日本は巨大な金融緩和の反動で今までにない倒産規模と大量の失業に見舞われるでしょう。
こうして、次のグラフ「賃金と企業所得の推移」の青の直線の延長が暗示するように労働者の賃金は更に低下することになる。
このことは、過去40年間の米国の所得の推移からも明白です。
この間のメカニズムは連載「日本の問題、世界の問題」で説明しています。

この世界的な不安要因は、三つの内で最も大きな政治経済の潮流、自由放任主義経済がもたらしたものです。



なぜ日本の賃金は天井につかえてしまったのか?
世界経済が好調で、欧米の中央銀行が金融緩和からの出口戦略を取り始めたと言うのに、日本の賃金はなぜほんの少ししか上がらないのだろうか?

何が災いしているのだろうか?
労働者の働きが悪いのか、それとも経営者の財布の口が閉まったままのか?


 

< 3. 日本の賃金はなぜ下がるのか? >

上のグラフ: みずほ総合研究所高田氏のグラフ。
日本と米国、ドイツの賃金の伸び率とその寄与度がわかる。

日本の賃金の伸び率は、2005~2010年に下降から上昇に転じたが、微々たるものです。
米独と大きく異なるのはインフレへの期待が低いことで、これはデフレだから当然です。
かつて世界に誇った日本の労働生産性は低下の一途で、これが問題です。
さらに2010~15年に関しては、労働分配率の低下が賃金を抑制している。


下のグラフ: 内閣府の国民経済計算(GDP統計)より。
左軸は賃金、右軸は民間企業の所得で、単位は共に10億円です。

このグラフから、国民の賃金はバブル崩壊の度に下がり続け、長期低下傾向にあることがわかる。
青の直線は賃金の線形近似で、概ね21年間で10%低下(約23兆円低下)している。
それに比べて、民間企業の所得は21年間で218%上昇(33兆円増加)している。

つまり答えは簡単で、民間企業は法人減税などの優遇策により所得を増やす一方、労働者は非正規などの解雇容易化で賃金を抑えられて来たのです。
(賃金低下のメカニズムはもっと複雑ですが、これが主要な要因でしょう)
更に悲しいことに、労働者は逆累進課税の極みの消費税でも苦しむのです。

この労働者軽視で企業優先の政策、つまり日本の長期政権による政策が二つ目の潮流です。

ところが問題はこれだけでは済まないのです。


次回は、この企業優先の政策がもたらす結果について考察します。






20171030

何か変ですよ! 79:  何が問題か? 2





*1


現在、日本や世界がどんな方向に進んでいるのか?
簡単に言えば、大多数の国民にとって国政は劣化し、生活は苦しくなっているのでしょうか?
これが把握出来ていなければ話にならない。


はじめに
ある人々は、日本は素晴らしい国だと言う。
逆に、このままでは日本は破局を迎えると言う。

また、この軍事的緊張にあって日本は再軍備に向かうべきだと言う。
逆に、このままでは日本は戦争に巻き込まれると言う。

どちらが正しいのか?
この認識の差は、どこから生じているのか?

人々は事実、社会や経済のデーターをどう見ているのか?
人々はそれぞれ保守的な脳や革新的な脳を持っている為なのか?
人々はマスコミや大きな力に洗脳され偏向してしまったのか?

いや、こんな高次元の話ではない。
単に、人々は分からない事、悩ましい事、どうせ政治はよそ事と考えているからこそ判断せず行動しないだけなのか?
いや違う、現状に満足しているからこそ変化を嫌い、政治的判断を保留しているのか?

ここである経済指標から日本経済の真の姿を追ってみましょう。


対立する経済への評価
ここに内閣府作成のグラフがあります。


 
< 2. 如何にアベノミクスは成功しているか! >

このグラフは現政権の成果を高らかに歌い上げています。
A: 失業率はドンドン下がっている。
B: パートの平均時給はドンドン上がっている。
C: 企業収益も少し上がっている。
(実はBとCのグラフは錯覚を利用しています。上昇率はどちらが高いでしょうか?)

ここで疑問が湧いて来ます。
こんなに経済指標が良いのなら、なぜ私達の周囲で景気の良い話が無いのか?
ひょっとしたら私だけが取り残された不運な人間なのかと思いたくもなります。

待てよ!
失業率が下がれば賃金が上昇するはずだが、現実にそうはなっていない。
何か裏がありそうだ!


 
< 3. 少し真実が見え始める >

上のグラフ: 内閣府作成のグラフ。
このグラフから三つの事がわかる。

一つは、人口減少による労働力人口減が効いて、2008年のリーマンショック時の不景気から2012年までの失業率低下を説明できる。
2012年以降は、後に説明する理由により就業者数が増えて失業率の低下を維持している。
もう一つは、団塊の世代の定年延長や働かねばならない女性が増えたことにより、労働力人口が増加し失業率の低下(人手不足)が緩やかになっている。


中央のグラフ: 第一生命経済研究所経済調査部永濱氏のグラフ。
上記の説明を裏付けているグラフです。

下のグラフ: 同上。
青線と緑線の差は非自発的離職者の率を示し、2009年よりその差は縮まっている。
非自発的離職者とは、辞めたくないのに会社を辞めざるを得なくなった失業者を指し、2016年ではまだ55万人以上が存在している。
これが企業が賃金を上げなくても人を採用出来る理由の一つになっている。

 
 
< 4. 失業率と賃金の関係 >

この二つも第一生命経済研究所経済調査部永濱氏のグラフです。

上のグラフ: 働きたくても就業環境が厳しい、適当な仕事がない、または出産や介護などで就職活動をあきらめている人を加算していくと失業率が上がって行く。
やむなく非正規で働き、正規採用への就職活動を諦めている人も加算していくと、広義の失業率は10%近くまで上昇する。

下のグラフ: すべてを加えた広義の失業率が低下してこそ賃金が上昇し、やっと経済学理論と一致することを、このグラフは示している。

また以下のことがわかる。

広義の失業率はここ8年ほどかけて低下し、安倍政権誕生前から始まっていた。
賃金上昇は安倍政権誕生(2012年12月末)の翌年から始まっている。
しかし今回の賃金上昇は前回(2005、2008年)より高い失業率低下にもかかわらず抑制されているように見える。

これらの事実は日本の経済政策のある実態を反映している。
次回、この謎に迫ります。




20171029

何か変ですよ! 78:  何が問題か? 1

 
*1


今回の2017年第48回衆議院選挙を見ていて戸惑うことがある。
議員達の情けない行動やその結果もさることながら、多くの国民が現状をどのように認識しているのかさっぱりわからない。
今回の選挙から見えて来る日本の問題を考えます。


*2


はじめに
獲得した与党の議席数は313で野党は152でした。
結果は与党がほぼ議席を維持した。
あれだけ評判を落とし続けていた首相が再認された。
選挙結果こそが民意のすべてだと豪語する人もいる。

一方、比例と小選挙区の合計得票数は、与党(自民、公明)で5300万票、野党(希望、共産、立憲、維新、他)で5800万票でした。
これが民意だと悔しがる人もいる。
低い投票率53.6%からすれば、棄権が少なくなれば状況は好転したと信じる人もいるだろう。

二つの民意の違いは、選挙制度(小選挙区制)と野党のマネジメントの未熟さ(敵失)の結果だと言える。
しかし私には、さらに深い問題が日本にはあるように思える。
そしてこれが日本を将来取返しのつかいない状況に追い込むことになる。




*3

私が恐れる危険な兆候
私が一番恐れるのは日本や世界が破滅の道を進み、いつかは戦争に巻き込まれることです。

これまで、この連載で見て来ましたが、先進国、特に米英が先導し、そして日本などが追従しているように思う。
ここでは危険な兆候だけについて見ます。



*4

世界について
A 自由放任主義が経済を破綻させる。
B 右翼化やナショナリズムが嵩じて戦端が開く。
C 核兵器が益々拡散し、人類崩壊に繋がる。
C 気候変動と資源の枯渇が紛争を招く。
D 覇権国家の盛衰が混乱を生む。


日本について
E 人口減が衰退を招く。
F 人々の村意識が災いを招く。

幸か不幸か、これら兆候が何年後に現実の災厄となるかは誰にもわかりません。
ただ確実に近づいているとは言える。

人々は破滅の兆候を無視しているのでしょうか?
それは知らないから、または信じたくないからでしょうか?
日々の糧や楽しみに目を奪われ、先の事は考えたくないのでしょうか?


次回に続きます。




20171025

フランスを巡って 42: シュノンソー城 2





*1



今日は、シュノンソー城の内部を紹介します。
こじんまりした女の館で、それぞれの部屋やホールに特徴がありました。
非常にたくさんの観光客で混んでいました。



 
< 2. 城内マップ >

上の写真: 上流から見ている。
下の地図: 城は4階建てで、1階の様子を示す。上が上流。
1番は護衛兵の間、2番は礼拝堂、3番はディアーヌ・ド・ポワティエの部屋。
6番はギャラリー、9番はルイ14世の居室。
7番は階段を下りた所にある厨房。



 
< 3. 代々の女城主 >

この城は外観が美しく、ロワールの古城のなかでも1,2を争うと言われています。
この立役者が上記の7人の女性で、実に様々な女性らしい物語が秘められていました。

この城は16世紀の創建ですが、2番目の城主は国王の寵姫ディアーヌです。
この国王の正妻であったカトリーヌは国王の死後、ディアーヌを追い出し、主となり、橋の上にギャラリーを作り、この城は盛時を迎えた。
庭園にはこの二人の名が付けられている。

5番目のルイーズ・ド・ロレーヌは夫の国王が暗殺された後、白い喪服をまとい、この城の一室で祈りに人生を捧げました。
6番目のルイーズ・デュパンは啓蒙思想の知識人として有名で、モンテスキュー、ヴォルテール、ルソーといった哲学者をサロンに招き、シュノンソー城はかつて
の栄光を取り戻した。
またフランス革命の暴動から、この城を守った。

7番目のマルグリットは資産家の娘で、破産するまで城の修復に資産を投じた。
8番目の実業家の娘シモーヌは、第一次世界大戦中、このギャラリーを病院に改築し、2000人以上の負傷兵を自ら看護した。




 
< 4. ルイ14世の居室 >



 
< 5. ディアーヌ・ド・ポワティエの居室 >


 
< 6. ルイーズ・ド・ロレーヌの居室 >

上の写真: 三階のルイーズ・ド・ロレーヌの居室。
彼女はこの薄暗い一室に籠って、弔い続けた。

左下の写真: 三階のホール。
右下の写真: 一階の護衛兵の間のタペストリー。


 
< 7. ギャラリー >

上の写真: 1階のギャラリー。
下の写真: 2階のホール。



 
< 8.フランソワ一世の居室 >


 
< 9. 厨房 >


 
< 10. 通路など >


次回に続きます。



20171021

フランスを巡って 41: シュノンソー城 1



 
*1


今日は、シュノンソー城の外観と庭園を紹介します。
訪れたのは2017年5月25日、12:30~15:30でした。
雲一つない快晴でした。


 

< 2. シュノンソー城の地図、上が西です >

上の地図: Sが駐車場で、私達は受付をして左側に延びる並木道を通り、庭園に出た。
ここで右に折れてRのレストランに行き、昼食をとった。
Mは帰りに寄った迷路です。

下の写真: お城と庭園を拡大した。

川はロワール川の支流シェール川で、東(地図下)から西(地図上)に流れている。


 

< 3. 並木道を行くと >

庭園と白い城が視界に飛び込んだ。



 

< 4. 昼食を終え >

レストランからディアーヌの庭園を抜け、城に向かう。


 

< 5. 城の正面に出る >

この城は6人の女性が暮らしただけあって威圧的なところがなく、あくまで優美です。

 

< 6. シェール川 >

上の写真: 下流側(西)を望む。
下の写真: 上流側(東)を望む。

 

< 7. 城内から庭園を望む >

上の写真: 城の北西を望む。カトリーヌの庭園。
下の写真: 城の北東を望む。ディアーヌの庭園。


 

< 8. ディアーヌの庭園に向かう >



 

< 9. ディアーヌの庭園から見た城 >


 

< 10. ディアーヌの庭園 >

 

< 11. 生垣を刈り込んで迷路 >

駐車場への帰りは並木道と並行した道を行った。


 

< 12. お花畑 >

帰り道沿いに、野菜やお花を栽培している広い畑があった。


次回は城の内部を紹介します。