20160510

地中海とカナリヤ諸島クルーズ 13: カサブランカ 1


< 1. ハッサン2世モスク、午後撮影 >

これから、数回に分けてモロッコのカサブランカを紹介します。
人々の暮らしぶりや休日の素顔に焦点を合わします。
今日は、巨大なハッサン2世モスクを紹介します。

観光地の概要
モロッコ王国は北アフリカの東の端にあり、イスラムの国です。
カサブランカは大西洋に面し、モロッコの商業・金融の中心地です。
首都ではありませんが、人口は415万人で最大の都市です。

ハッサン2世モスクは8年がかりで1993年に完成した。
建物内に2万5千人、外の全敷地に8万人が収容可能です。
高さ200mのミナレットは世界最大級です。




< 2. カサブランカ、両方共、上部が北です >

上の地図: 緑マークはクルーズ船で、赤マークが私達の主な訪問地です。
No1はハッサン2世モスク、No2はモロッコモールと海岸、No3は国連広場・旧メディナです。

下の写真: ハッサン2世モスク。
青い矢印は私達の進入方向です。
建物の長軸はメッカ、東方を向いている。

私達は2016年3月6日、日曜日の9:00から16:00まで、カサブランカを楽しみました。
朝は非常に厚い雲で覆われていたが、昼頃には快晴になりました。
午前中はツアーバスで主にNo1とNo3の観光、買い物、昼食です。
午後は、私達二人だけでクルーズ会社のシャトルバスに乗り、No2とNo3を自由散策しました。




 

< 3.港 >
上2枚の写真: 着岸前、朝7時頃のカサブランカ港。
右側にモスクもミナレットが見える。

下3枚の写真: 朝の港周辺。ハッサン2世モスクに向かう途中。




 

< 4.ハッサン2世モスク >
上の写真: モスク境内への入り口から。午後の撮影。
下3枚の写真: 上から順番に境内中央から入り口側、西側の海方向、モスク全景を見ている。



 
  
< 5. ミナレット >
上の写真: 天を貫く塔。
下の写真: 左の入り口前で、順番待ちです。




 
  
< 6. 内部1階 1 >
上の写真: 2階席は女性用です。
下の写真: 奥に窪み、ミフラーブが見える。
この方向にメッカがあり、信者は礼拝する。



 

< 7. 内部1階 2 >
上の写真: 右側の海側からの日差しはモスク内をモノトーンに照らし、厳粛さを醸し出し、中央部はライトで温かみを感じさせる。
白い大理石と天井の木組みが神による安寧と加護を実感させる。

下の写真: 柱の所々にある鍾乳飾りが美しい。
これを見るとスペインのアルハンブラ宮殿を思い出す。



28秒のビデオ映像です。






< 8.内部1階 3 >
2階席の下側を見ている。
この木組みの天井を見ていると、グラナダのアルハンブラ宮殿、バルセロナのグエル邸を思い出す。
ジブラルタル海峡を越えて、スペインと北アフリカに根付く文化、イスラム芸術が今も生きている。



 

< 9. ミナレットの下部 >
ここから地下1階に下りる。




 

< 10. 地下1階のアブルーション >
上2枚の写真: アブルーションは手や体を清めるところです。
このハスの花びらの形をした円形盤の中央から水が出て来ます。
ガイドが清めの実演をしている。
大きいほうが男性用で、小さいほうが女性用です。

下の写真: モスクからでて来た時は、厚い雲が消え、日差しがまぶしくなっていた。


次回に続きます。






20160507

Bring peace to the Middle East! 11: Seeing the Middle East and Arab world in films 4: The Four Feathers

              
中東に平和を! 11: 映画に見る中東とアラブ世界 4: サハラに舞う白い羽根






Today, I introduce action film “The Four Feathers”.
This is the sixth time the British novels "The Four Feathers" in 1902 was made into a film.
The love and friendship of British officer are expressed through adventure and battle in desert.

今日は、冒険映画「サハラに舞う白い羽根」を取り上げます。
これは、1902年の英国の小説「The Four Feathers」の6度目の映画化です。
英国将校の恋愛と友情が砂漠の冒険と戦闘を通じて描かれています。



< 2.  Setting of the film >
< 2.映画の舞台 >

A red arrow shows the main battlefield Khartoum, current capital of Sudan.
赤い矢印が主な戦場ハルツーム、現在のスーダンの首都です。

Summary of the film

Production ―
It is a collaboration of Britain and the United States in 2002.
The director is Shekhar Kapur and Heath Ledger is playing the role of Harry.

Contents ―
This fiction was derived from a colonial war.

The setting is Sudan that was under the control of Egypt in the end of the 19th century.
In those days, the U.K. was the largest empire having maximum colonies, obtained the Suez Canal (1969 completion) in 1975, and ruled over Egypt since 1882.
The U.K. dispatched a British general in 1884 to suppress an independence war that Muslim started in Sudan.

This story revolves around this war.
In the U.K. four young elite officers had enjoyed youth, and Harry had gotten Ethne.
However, they were ordered the troops deployment to Sudan.
Harry was having a suspicion about own country’s imperialism, and decided leaving the military, but his three friends went to the battlefront.
In those days, the economy of the U.K. had begun to get dark, and the profligate colonial policy drew criticism often.

Four white feathers reached him from friends and his fiancé, it meant "a coward", and she left him.
However, when he knew that the friends of the battlefield were numerical inferiority, he went toward the battlefield by oneself.
And He continued struggling as having narrow escape from death often in the battlefield of desert.


映画の概要
―制作―
英米合作、2002年。シェカール・カブール監督、ヒース・レジャー主演(ハリー役)。

―内容―
これは殖民地戦争を題材にしたフィクションです。

舞台は19世紀末、エジプトの支配下にあったスーダンです。
当時、英国は最大の植民地を有する大帝国で、1975年にスエズ運河(1969年完成)を手に入れ、1882年からエジプトを支配していた。
スーダンで起きたイスラム教徒の独立戦争を治める為に、英国は1884年に英国人将軍を派遣した。

この戦争を軸に物語は展開していく。
英国では、4人の若いエリート将校が青春を謳歌し、ハリーは婚約者エフネを得ていた。
しかし、彼らにスーダン出兵が命じられた。
ハリーは自国の帝国主義に疑問を抱き、除隊を決意し、一方3人の友は戦地に向かった。
当時、英国経済は陰り始め、金食い虫の植民地政策に批判もあった。

4枚の白い羽根が友人と婚約者から彼に届く、これは「臆病者」意味し、彼女も去った。
しかし、彼は戦場の友人達が劣勢だと知り、一人戦場に向かう。
彼は、砂漠の戦場で九死に一生を得ながらも奮闘し続ける。

Story

ストーリ



< 3.  While experiencing extremely smooth sailing >
< 3.順風満帆な時 >
Harry and friend Jack.
Harry and his fiancé Ethne.
Ethne comes to be linked to Jack due to his leaving the military.

ハリーと友人ジャック。
ハリーと婚約者。
ハリーの除隊で、婚約者はジャックと結ばれていく。



< 4.  Battlefield 
< 4. 戦場 >

His friends went toward the battlefront to suppress the revolt of Sudan.
スーダンの反乱を鎮圧する為に、友人は戦地に向かった。



< 5.  Harry fights a lonely battle >
< 5.ハリーの孤軍奮闘 >

Harry crosses the desert to fight together friends by oneself, and enters a mercenary force.
Then he gets to know a black Abou.
He entrust the Abou with telling a British military corps about an ambush of the enemy, but the corps was severely defeated due to not believing Abou.

ハリーは友人達と共に戦う為に、一人で砂漠を横断し、傭兵部隊に入る。
そこで黒人アブーと知り合う。
英国部隊に敵の待ち伏せを知らせようとアブーに託すが、信じてもらえず、部隊は壊滅する。



< 6.  Tremendous battle >
< 6.壮絶な戦い >

While the British military is defeated many times by Arabic military of Sudan, Harry rescues friends as being helped by Abou.

Finally, you understand who true brave man was.

英軍はスーダンのアラブ軍に幾度も敗退する中で、ハリーはアブーに助けられながら、友人達を救出していきます。

そして最後に真の勇者は誰だったのかがわかる。


In those days, what was taking place in Egypt and Sudan?

この時代、エジプトとスーダンで何が起きていたのか




< 7.  Arab world in those days >
< 7.当時のアラブ世界 >
Upper map:  The territory of the Ottoman Empire.
Central map:  The territory of the Muhammad Ali dynasty.
Lower map:  Colonies since the end of the 19th century.

上の地図: オスマン帝国の領土。「Acquisition」は獲得を意味する。
真中の地図: ムハンマド・アリー朝の領土。
下の地図: 19世紀末からの植民地。

Egypt was under the control of the Ottoman Empire, but Albanian Muhammad Ali dynasty (1805-1953 years) held real power and conquered Sudan in the early 19th century.
In 1840, Sudan was placed under the protection of the U.K.
The above-mentioned independence war (1883-) of Sudan was suppressed, and Sudan was placed under the rule of the U.K. from 1899.
Egypt had enormous debts from Britain and France by excessive modernization, and was incapable of moving by financial interference of the U.K.
When a national revolution happened in Egypt, the U.K. dispatched the armed forces on the pretext of this, and made Egypt a protected nation in 1882.


エジプトはオスマン帝国の支配下にあったが、アルバニア系のムハンマド・アリー朝(1805-1953年)が実権を握っており、19世紀始めにスーダンを征服した。
1840年、スーダンは英国の保護下に置かれた。
前述のスーダンの独立戦争(1883~)は制圧され、1899年から英国の統治下に置かれた。
エジプトは過度な近代化で英仏からの膨大な負債を抱え、英国の財政干渉で身動きが取れなかった。
エジプトで民族革命が起きると、これを口実に英国は軍隊を派遣し、1882年、エジプトを保護国にした。


As a result, what had happened?
この結果、何がもたらされたのか

When an independence movement broke out again in Sudan in 1924, the U.K. strengthened the north and south division policy.
This restricted all interchange between the northern Muslim area and southern Christian area, and made the united movement difficult.
This is important reason why the domestic warfare of Sudan still has continued today.
Most of domestic warfare, ethnic conflicts, in the world are caused by this.

In Egypt, British Government directly did oppressive taxation for the enormous debt collection, and the life of the people fell into extreme poverty.
In addition, British Government suppressed the education expense so that social awareness does not arise among people, and the literacy rate of them was not above 1% through the 19th century. ( obscurantist policy)
Furthermore, the latifundism system of cotton supply was left unattended, and British Government succeeded on maintaining the politics regime. (monoculture)
These three colonial policies, division policy, obscurantist policy, monoculture, continue obstructing reproduction of democratization and economy, and it is big reason why many former colony in the world cannot regenerate after independence, too.


スーダンで、1924年にまた独立運動が勃発すると、英国は南北分断政策を強化した。
これは北部のムスリム地域と南部のキリスト教徒地域の交流を規制し、統一運動を困難にした。
これが今日に続く、スーダン内戦の重要な契機になっている。
世界の民族紛争は、多くがこれに起因している。

エジプトでは、英国政府が膨大な債権回収の為に直接に苛税し、民衆の生活は困窮を極めた。
また社会意識が芽生えないように教育費を抑え、19世紀を通じて識字率は1%を越えることはなかった。(愚民政策)
さらに綿花供給の大土地所有制度を温存し、体制維持を図った。(モノカルチャー)

これら三つの植民地政策、分断政策、愚民政策、モノカルチャーが、民主化と経済の再生を阻害し続け、世界の旧植民地国が独立後も再生出来ない大きな理由です。

Lesson of the history
歴史の教訓

The white feather symbolizes the fate of a military power.
The military officer who is excellent and elated at the victory is indispensable to maintain the empire.
While the tradition had been built, people came to consider " escaping military draft is great shame deserving of death".
This got up even during continuing military buildup of Japan for about half a century.
Achieving a balance between social justice and patriotism is difficult.

This continues next time.


白い羽根は軍事大国の宿命を象徴している。
帝国を維持するには優秀で意気軒昂な将校が不可欠です。
その伝統が築き上げられる中で、「徴兵拒否は死に値する恥」とされるようになった。
これは日本の高々半世紀ほどの軍事大国化でも起きた。
人類の正義と、愛国心のバランスは難しい。

日本が欧米の力(武力と借金)に頼らず、自力で明治維新を成し遂げようとしたのは、エジプトのお陰だとも言えます。
幕末から明治にかけて、欧州視察の為、福沢諭吉も含めてスエズ運河を経由しエジプトに寄った人々は、英国の仕打ちと惨状を知ることになった。
エジプトが欧州に近く重要拠点で既に虐げられていたことが、日本には救いとなったと言える。


次回に続きます。





20160504

地中海とカナリヤ諸島クルーズ 12: 船内の案内






< 1. デッキ15、16を見下ろす >

今日は、クルーズ船ファンタジアの船内を紹介します。
あらゆる楽しみやサービスが船内に詰め込まれています。
レストランと食事の紹介は別にします。




< 2. デッキ図 >

一般乗客はデッキ5~18を使いますが、ヨットクラブには入れません。
デッキ8~13はすべて客室で、デッキ5だけ一部客室があります。
ほとんどのレストランやバーはデッキ5~7にあり、ブュッフェレストランだけがデッキ14にあります。
デッキ14~18でプールや日光浴が楽しめます。




< 3. 標準的なMSCクルーズ船 >

船内には多数の設備があり広大ですので、早めに下見した方が良いです。



< 4. 各種バーとラウンジ >

15以上のバーやラウンジがデッキ6、7に集中しています。
オープンの時間は様々ですが、注文しなくても利用出来ます。
毎日、5~6箇所で、軽音楽、クラシックの小バンドによる生演奏が夕方から深夜まであります。
ダンス音楽に合わせて、踊ることも出来ます。
ダンスレッスンも毎日、数回行われています。
昼はどこかでクラフトやゲームも行われます。
ほとんどが無料です。






< 5. レセプション >

デッキ5~7のこの中央部に受付、ツアーオフィス、ラウンジがあります。
ここの吹き抜け部が最も華やかで、いつも多くの人がいます。

下の写真: デッキ7のこの通路はフォトショップになっています。




< 6. デッキ15 >
上の写真: 船首側の屋内プールとジャクジー。
中央の写真: 天気の良い日は、ここにデッキチェアが並び日光浴を楽しむ人で一杯になります。
風が強い日は歩くのも困難になります。
中央に、デッキ14の大きな屋外プールとジャクジーがある。

下の写真: 船尾の屋外プールとジャクジー。

写真撮影にはこのデッキが一番です。




< 7. アクティビティー >
上の写真: デッキ16の中央、奥のステージで、ダンスレッスン、体操、ゲームが毎日数回行われます。
中央の写真: デッキ14の船首側、奥にジム(無料)が見えます。
下の写真: デッキ5~7、この2000名収容のシアターで、毎日、夜2回公演があります。
演目は、歌と踊り、アクロバットで構成され、オペラ曲のダイジェスト、物真似ショーなど多彩です。
公演時間は1時間半ほど、自由席で、入退出も自由です。
イタリア語と英語が主で、日本語はありません。




< 8. 客室 >

私達はキャビンに満足しました。
シャワーのみでしたが、快適に過ごせました。
ジャクジーやダンス後、幾度シャワーを使っても、清掃が行われ、バスタオルが交換されます。

客室のデッキでは、部屋を出ると通路だけで、外の景色を見ることが出来ません。

エレベーターは4ヶ所にありますが、中央のエレベーターはいつも込みます。
したがって、デッキ間の移動は前後のエレベーターを使用するのが良いでしょう。


次回に続きます。





20160503

Bring peace to the Middle East! 10: Seeing the Middle East and Arab world in films 3: Schindler’s List

中東に平和を! 10: 映画に見る中東とアラブ世界 3: シンドラーのリスト




    

Today, I introduce the masterpiece “Schindler’s List”.
This describes a Jewish genocide (the Holocaust) that happened during World War II.
You will get a flash of anger and feel tears welling up.

今日は、名作「シンドラーのリスト」を取り上げます。
第二次世界大戦中に起こったユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)を扱っています。
涙と怒りが込み上げてくる映画です。





< 2.  Setting of the film, 1939-1945 >
< 2. 映画の舞台、1939-1945年 >
Upper map:  Beginning the World War II, Germany invaded the east mainly.
Lower map:  A map of the Holocaust during the World War II.
Star mark is city with ghetto, skeleton mark is extermination camp, and black mark is concentration camp (prison or forced-labor camp).
Red arrow shows Krakow where a factory of Schindler was in Poland.
There is Auschwitz extermination camp near that.

For a long time, Jewish people of Europe have emigrated to Eastern Europe and America for escaping from persecution, but the situation turned worse since when Nazi began autocracy in 1933.
Besides, when German military invaded Eastern Europe, Jewish people were forcibly shut in by ghetto and camp, and their escape and emigration became mostly impossible.


上の地図: 第二次世界大戦が始まると、ドイツは主に東方に侵攻した。
下の地図: 大戦中のホロコースト地図。
星印はゲットー(居住地)、ドクロ印は絶滅収容所、黒四角は他の収容所(監獄、強制労働所)です。
赤矢印は、シンドラーの工場があったポーランドのクラクフです。
近くにアウシュヴィッツ絶滅収容所があります。

以前から西欧のユダヤ人は迫害を逃れ東欧や新大陸などに移住していたが、ナチスが独裁を始めた1933年頃から状況は悪化した。
しかもドイツ軍が東欧に侵攻してくると、ユダヤ人は強制的にゲットーや収容所に閉じ込められ、ほとんどが逃亡や移住が不可能になった。

Summary of the film

Production ―
It was made in The U.S.A. in 1993.
The director is Steven Spielberg, and Liam Neeson is playing the role of Schindler.

Contents ―
It is a fictionalization of true-life story.
The setting is Poland under German military occupation during World War II.
A German businessman Schindler aimed at making a profit in the war, and came over here from Germany.
He bought a deceased company and employed Jews from ghetto as cheap laborer and entrusted a Jewish accountant with the management.
Because he was a playboy and a member of Nazi party, he ingratiated himself to Schutzstaffel (SS), and his company accomplished rapid growth as a munitions factory, by being provided with the benefit of the military.

However, since a coldhearted man was assigned a new post of the head chief at near Płaszów Concentration Camp, the massacre and cruelty to Jews became widespread.
When the danger approaches Jewish workers of his factory before long, he has a change of heart, and begins to devote himself to Jewish relief.

Furthermore, he plans harboring Jews as the personnel necessary for his munitions factory, for preventing Jews from being sent to extermination camp.
Therefore, he makes "List", corrupts and deceives the Schutzstaffel (SS) by himself almost, and succeeds in their rescue.
He became penniless at last.

More than 1100 Jews were able to survive after the war in this way.


映画の概要
―制作―
米国、1993年、スティーヴン・スピルバーグ監督、リーアム・ニーソン主演(シンドラー役)。

―内容―
この映画は実話を題材にしています。
舞台は第二次世界大戦中のドイツ軍占領下のポーランドで、ドイツ人実業家シンドラーは戦争で一儲けを狙いドイツからやって来た。
彼は潰れた工場を買い取り、安価な労働力としてゲットーのユダヤ人を雇い、ユダヤ人会計士に経営を任せていた。
彼は遊び人でナチ党員でもあったので、ナチス親衛隊にうまく取り入り、軍需工場として便宜を図ってもらいながら急成長を遂げる。

しかし、近くのプワシュフ強制収容所に冷酷な所長が赴任してくると、ユダヤ人への虐待や殺戮が横行するようになる。
やがて工場に働くユダヤ人にも危険が迫って来ると、彼の心境に変化が現れ、ユダヤ人の救援に心砕くようになる。

さらに、彼はユダヤ人が絶滅収容所に送られるの防ぐ為に、ユダヤ人を軍需工場要員として匿うことを企てる。
その為に「リスト」を作り、ほぼ彼一人で親衛隊員らを買収し騙し、見事救出に成功する。
ついに彼は無一文になった。

こうして、1100人以上のユダヤ人が戦後も生き残ることが出来た。


Story

ストーリー





< 3.  Storm of persecution >
< 3.迫害の嵐 >

Poland occupied by the German military became a hell for Jews.
They were discriminated against by the citizen, too.

ドイツ軍に占領されたポーランドはユダヤ人にとって地獄になった。
彼らは市民からも差別された。



< 4.  Schindler >
< 4. シンドラー >
Central photo:  A Jewish accountant and Schindler.

真中の写真: ユダヤ人会計士とシンドラー。




< 5.  A new head chief of Concentration Camp >
< 5.新しい収容所所長 >

The head chief described by this film despised Jews abnormally and massacred them without hesitating.
He, Amon Göth was actual person and was executed in the war criminals after the war.

映画で描かれている所長は、異常なまでにユダヤ人を蔑視し、殺戮を躊躇せずに行った。
彼、アーモン・ゲートは実在の人物で、戦後、戦争犯罪人で死刑になった。




< 6.  Rescure >
< 6.救出 >

Schindler makes "List" and negotiates with Göth head chief or other soldiers.
The rescue from freight trains protected by many German soldiers is very dramatic.

シンドラーはリストを作成し、ゲート所長ら軍人らと交渉する。
ドイツ兵に守られた貨物列車からの救出劇はハラハラドキドキの連続です。



< 7.  The last >
< 7. ラスト >
Upper photo:  He is presented a gold ring by Jews saved by him.
Lower photo:  By his will, his grave was made in Israel.
The bereaved families of the people he rescued gathered around it.

上の写真: 救ったユダヤ人から、金歯から作った指輪をプレゼントされる。
下の写真: 彼の遺言により、墓はイスラエルに設けられた。
その周りに、彼が救った人々の遺族が集まった。


What was running on in this time?

この時代に何が起きていたのか




< 8.  Jewish emigration before the world war >
< 8.大戦までのユダヤ人の移住 >
From the late 19th century, Jews immigrated to the East Coast (mainly New York) of the American for escaping from persecution.
It was continued after when Hitler began autocracy in Germany in 1933.
Later, they come to have political ability to move the United States and are supporting Israel strongly.

19世紀後半から、ユダヤ人は迫害を逃れ、米国の東海岸(ニューヨーク)へと多くが移住していた。
それはドイツでヒットラーが独裁を始めた1933年以降も続いた。
後に、彼らは米国を動かす政治力を持つようになり、強力にイスラエルを支援することになる。






< 9.  Jewish emigration after the world war  >
< 9.大戦後のユダヤ人の移住 >

Jews who lived in Palestine in 1917 was approximately 50,000 people, but the population was increased by the emigration such as people expelled from Nazis, following the British mandatory administration times,
After the forming of the Israeli state in 1948, the population increased rapidly and became 8 million at the present day.

1917年、パレスチナの地に住むユダヤ人は5万人ほどだったが、英国の委任統治時代を経て、ナチスに追われた人達などの移住で増加した。
1948年のイスラエル建国以降は、その数は急速に膨れ上がり、現在800万人となった。


Lesson of the history

The Jew that was despised so much is a strong people like supporting Israel and the United States now.
At this moment, it is hard to imagine the persecution for 2000 years by Christian in Europe.

The people that had been persecuted seem to have begun new persecution.
It seems to be difficult to cut off the persecuted fear.
The prohibition to the doctrine violation that every religion has may cause justification of persecution.

This continues next time.


歴史の教訓
あれほど蔑視されたユダヤ人は、現在、イスラエルや米国を支える強力な民族となった。
欧州のキリスト教徒による2千年の迫害はまるで嘘のようです。

迫害された人々は新たな迫害を始めたようです。
迫害された恐怖を、断ち切ることは難しいようです。
あらゆる宗教が持つ教義違反への戒めは迫害の正当化を招くことがある。

次回に続きます。




20160501

地中海とカナリヤ諸島クルーズ 11: バルセロナ 2





 




< 1. グエル邸の屋上の煙突 >

今日は、賑わう市場と世界遺産のグエル邸を紹介します。
これらはランブラス通りにあります。





< 2. サン・ジョセップ市場 1 >

この市場はランブラス通りに面している。
なんでも揃っているが青果・鮮魚・菓子類が目立ちました。
果物の多彩でカラフルさに目を奪われました。


< 3. サン・ジョセップ市場 2 >
お菓子の手作りのセットやカラフルさは見ているだけでも楽しくなります。
市民もいるのですが、多くは観光客で大賑わいでした。




< 4. ランブラス通り >
下の写真: 右の建物がオペラのリセウ大劇場です。

街路樹は冬の装いですが、日差しのある所では暖かく気持ちが良かった。
世界中から観光客が来ているようです。




< 5. 通りとゲエル邸 >
上の写真: ランブラス通りと交わる通り。
下の写真: 別の通りに面したグエル邸の正面。
思ったより小さい、これが世界遺産?
ところが中に入って驚き!!




< 6. グエル邸 1 >
上の写真: 地下の厩舎。
下の写真: 地下から1階への階段途中から見上げた。
この建物は地下1階、地上4階です。




< 7. グエル邸 2 >
上の写真: 中2階の玄関。
ちなみに1階は馬車庫で、どおりで暗かった。

真中の写真: 上の写真の階段を昇っているところ。
下の写真: 階段を昇ったところにある部屋で、窓の外が玄関のある通り側です。
この2階がメインフロアで、ここだけでおよそ9つの部屋がある。




< 8. グエル邸 3 >
2階中央にある吹き抜けが圧巻でした。
見たことのないような装飾パターンの数々、さらに抑制の効いた、冷たさを感じる色調には驚かせる。
金色が使われていても派手さはない。
階段や窓のデザインは、それぞれに個性がある。




< 9. グエル邸 4 >
上の写真: 吹き抜けの天井を見上げた。
下の写真: 4階の寝室の一つ。

この建物はアントニ・ガウディが34歳、1886年(-1890年)に建築した個人の邸宅です。
彼が建築家としてデビューして3年目の初期の作品です。

感想
狭い敷地にも関わらず、巧みな構成によって多彩な部屋の数々が生まれている。
また吹き抜けは狭さを感じさせない。
その天井を見たとき、色調は異なるが、サグラダ・ファミリアの天井に通じる有機的なものを感じた。

木組みの天井やあらゆる装飾にヨーロッパの様式、アルハンブラ宮殿に見るイスラム様式、大航海時代のスペインのムデハル様式、ポルトガルのマヌエル様式を感じることが出来た。
私は、ここでもガウディの凄さに感動した。




< 10. バルセロナとの別れ >

これで2度目のバルセロナともお別れです。

次回に続きます。