20201221

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 14: 平家落人伝説を追って 1

  


*1

 

 

これから数回に分けて、祖谷の平家落人伝説が残る史跡を紹介します。

今回は、武家屋敷 旧喜多家と鉾杉を紹介します。

訪れたのは2020年6月9日午前9時頃でした。

 

 

 

< 2. ドライブルート、共に上が北 >

 

朝、かずら橋の旅館を出て、祖谷川沿いを10kmほど上流に沿って走りました。

そこから左手の山の急斜面を車で登って行きます。

 

上: 今回の旅で訪れた平家の史跡はこの範囲に限られます。

詳しくは巻末の観光地図を参考にして下さい。

 

右(東)から左に蛇行しているのが祖谷川と祖谷街道です。

左の方の白い点が武家屋敷への登り口で、赤のバルーンが武家屋敷です。

標高は登り口で510m、武家屋敷が850mで、その間4km以上を蛇行した林間の細い道を走ります。

右端に落合集落が見えます。

その手前、左手の山側に安徳天皇の史跡があり、次回紹介します。

 

下: 武家屋敷 旧喜多家までのルートを拡大

赤矢印が旧喜多家、白矢印が登り口です。

 

 

 

< 3. 旅館を出て祖谷街道を行く >

 

この辺りの道は広いが、突如狭くなる所がある。

下の写真では、土木工事の多くの作業者が準備を始めていた。

走っていると幾度も道路工事を見かけた。

道路は整備され、便利になり観光開発の目的もあるだろうが、高額な土木工事費が気になる。

過疎地の開発手法に違和感を覚える。

 

 

 

< 4. 武家屋敷に向かって登り始める >

 

上: 登り口が分からず、行き過ぎてから戻っているところ。

左は祖谷川への断崖、右は切り立つ斜面に挟まれた細い道。

 

中央: 右手に登り口が見えた。

 

下: 登り始めた。

 

 

 

< 5. やがて現れた >

 

急斜面を曲がりくねって進む細い路を行く。

対向車が来ないことを祈るばかりでした。

幸いな事に、まったく出くわすことはなかった。

 

下: もうすぐ峰に届くかもしれないと思ったが、どうやら路は行き止まりで、少し開けた土地に出た。

農家の左側に茅葺の大きな屋敷が見えた。

 

 

 

< 6. 屋敷の敷地へ >

 

上: 石垣の擁壁の右側に階段があり、登った。

 

下: 雨戸はすべて閉まっていたが、大きな屋敷が出現した。

 

 

 

< 7. 屋敷の周囲 >

 

上: 裏手

左下: 凝った雨戸の戸袋。

右下: 雨戸。

 

 

 

< 8.やがて開場 >

 

私が周辺をうろうろしていると、一人の女性が声をかけてくれた。

彼女は他から、車でここに着いたばかりのようでした。

彼女はこの屋敷の管理人で、今から開場するが、中に入りますかと聞いた。

私は時間が無いのでと断り、外から矢継ぎ早に写真だけを撮らせてもらった。

彼女の親切な応対に恐縮した。

 

上外: 玄関の様子。

立派な玄関でした。

 

 

 

< 9. 囲炉裏と鎧 >

 

 

< 10. 屋根裏 >

 

茅葺の裏側がよくわかる。

 

 

* 旧喜多家について

この屋敷は1763年の建築で、祖谷地方では最も大きい上層階級の屋敷です。

安土桃山時代、蜂須賀家の命によりこの地を鎮圧した人物の息子が、この地を任され、後に喜多家と名乗り、明治維新まで続いた。

従って、喜多家は平家の史跡ではありません。

 

屋敷の玄関には式台(階段状)や書院風の座敷があります。

部屋の中央には囲炉裏があり、自害するための部屋「入らずの間」もあります。

 

 

 

< 11. 旧喜多家の前 >

 

絶景が広がる。

しかし納得出来ない。

祖谷に暮らす人の中には、平家を祖先とする家系図を持っている人がおり、位の高かった家格ほど、高い場所にあると聞いていた。

しかし、この高さは尋常ではない。

非常に暮らしにくい、祖谷川に下りるのに途方もない労力がいる。

 

そこで管理人に聞いた。

「いくらなんでもこの高所の屋敷は考えられない」と。

彼女は答えた。

「実は、この屋敷は以前、この下にあったのですが、鉾杉がここにあるので移築しました」と。

移築は1990年のことでした。

 

 

下: 鉾杉に向かって進み、振り返ったところ。

確かに、鉾杉は直ぐ近くでした。

 

 

 

< 12. 鉾杉と鉾神社 >

 

上: 鉾神社

安徳帝の所持していた鉾を納めたと伝えらている神社。

直ぐ左裏側に鉾杉がある。

 

下: 鉾杉

直径2.5mほど、高さ35mの巨木が立っている。

 

壇之浦の合戦で死去したとされる猛将、平経教(たいらののりつね)が、この木の下に、平家再興を願い、平家守護神の鉾を埋めたと言い伝えられている。

彼はこの地で名を国盛と替え、この大枝の地から南の対岸にある阿佐の地に移り住み、阿佐氏として現在に至る。

その地に平家屋敷、阿佐家がある。

 

 

 

< 13. 下り始める >

 

上: 南側、対岸の峰が低く見える。

 

下: 東側、祖谷川の上流側を望む。

山腹に数件の集落が見える。

 

 

 

 

< 14. 下りの路より >

 

 

< 15.祖谷平家伝説 史跡図 左半分 >

 

「祖谷平家伝説」 https://nishi-awa.jp/heike/html/

「パンフレット」 https://nishi-awa.jp/heike/pdf/heikenaka.pdf

 から借用。

 

今回紹介したのは、この図の六と七と喜多家です。

次回は、九と十を紹介します。

 

 

 

< 16.祖谷平家伝説 史跡図 右半分 >

 

この左右の地図の範囲を、概ね今回旅しています。

 

次回に続きます。

 

 

 

20201211

中国の外縁を一周して 58: 中国と北欧、そして日本 3: 食文化について

  

 

< 1. 成都の麻婆豆腐 >

 

 

今回は、食文化にスポットを当てます。

日々の生活が反映される食文化から、北欧、中国、日本の違いが見えて来ます。

私の北欧旅行は貧乏旅行だったので、残念ながら安い食品の比較に過ぎませんが。

 

 

 

< 2. 定番料理 スモーブロー >

 

上: ストックホルムの中央駅コンコースのレストランにて

 

フロアでは、弁当のような手軽な食事も販売していたのですが、ストックホルムを離れるにあたって、最後にまともなランチを食べることにしました。

一度はバルト海に面した漁師町で海鮮料理を食べる予定でしたが、交通トラブル(線路不通)の為に行けなかった。

 

選んだ料理は、下の写真のようなオープンサンドでした。

このスモーブローは、スウェーデンやデンマークで多く見かけました。

彩が綺麗で、肉や魚介をパンに乗せたものです。

料金はペッボトル飲料込みで約1900円でした。

 

 

下: クロンボー城のある町ヘルシンゲルのレストランで

 

クロンボー城近くのレストランは開いていたが、街で地元の食事を探そうとした。

ところがこの日、街で祭りのイベントがあり、多くのレストランが休んでいた。

たまたま営業していたレストランでは、数種類の料理しかなかった。

それでまたスモーブローを選んだ。

おそらくこれは作り置きが出来るからです。

 

これは美味しいのですが冷たいので、涼しい6月初旬のテラスには合わないかもしれません。

料金はビール込みで約2300円でした

 

 

 

< 3.コペンハーゲンにて >

 

共に屋内マーケット、トーベヘルネKBHの写真です。

ここは地下鉄駅Nørreportの近くのイスラエル広場にあります。

 

この手のマーケットに、ストックホルムでも訪れたのですが、食品が高いので一度も食べずじまいでした。

 

北欧の料理価格は日本の1.5倍以上高いと思った。

このようなマーケットやオスロのレストラン(ウインドウディスプレー)も同様でした。

私の昼食と夕食のほとんどは、結局、コンビニでホットドッグやサンドイッチで済ました。

それでもペッボトル1本と食材で600円から1200円が必要でした。

 

ここで物価を比較します。

 

*4

 

指数の値は異なりますが、食料品が高いことは明かなようです。

 

 

 

< 5. ストックホルムで知った変化 >

 

Hop On Hop Off のバスで、中心部を周遊していた時です。

日本語の説明をイヤホーンで聞いていると、驚きの情報が入って来ました。

それは下の写真、フムレ公園の横を通過した時でした。

最近、近くに夜の飲食街が出来て、賑わっていると言うのです。

 

私が1984年11月にストックホルムを訪れた時、最も大きくカルチャーショックを受けた一つに、男の夜の繁華街が無いことでした。

当時、現地の人から話を聞いたところによると、仕事を5時に終え、家族の待つ家に真直ぐ帰るのだそうです。

彼はスウェーデンでは共稼ぎの妻と子供達と、週末などに一緒に出かけると言っていた。

当然、この地では日本の男性がくだまく赤提灯は必要無いことになります。

 

それが最近出来たようなのです。

2018年、北欧を旅した時、スウェーデンの40歳男性に質問しました。

日本人は北欧に暗いイメージを抱いているが、一言で母国を説明するとしたらと聞くと、以下の答えをくれました。

「税金が高い、娯楽が少ない」

彼が言ったのは、おそらく男だけの娯楽で、家族や友人が自然に触れて楽しむ所は多々あります。

スウェーデンも徐々に軟化しているようです、まだアルコール販売は厳しいようですが。

 

 

* 北欧の暮らしの一端が見えた

 

私は、北欧旅行中、午後6時以降、疲れて町にほとんど出ていないが、日中の様子から察するに、今も変わらず人々は定時で直ぐ退社し、友人や家族と過ごすようです。

当然、夫婦で家事と育児を分担します。

そこには男女共に働く社会が今も根付いていおり、平等意識も定着している。

ちなみに専業主婦率はスウェーデン2%、日本38%です。

 

それでは高い食事をどう理解すればよいのだろうか?

日本とスウェーデンの指数を比較してみよう。

以下、すべて2015年のデーター。

 

 

*6

 

この表からわかるように日本の国民負担率は消費税が低くても、最も高いスウェーデンと比べて遜色がない。

結局、国民所得(GDP)の高い分だけ、重税でもスウェーデン国民は自由に使える金額が多い。

尚、デンマークとノルウェーの一人当たりGDPは日本の1.8~2倍ぐらいです。

 

さらにスウェーデンでは教育費は大学まで含めてすべて無料。

医療は18歳以下は無料、成人も自己負担が年間で約1万3000円、薬代2万5900円までと安く抑えられている。

老人になれば誰でも少ない自己負担、上限が月約2万5600円で、介護サービスを受けられる。

 

結局、町歩きで閉口した高い食事は、一つには消費税の高さがあったのだろう。

 

スウェーデンなど北欧は経済的に豊かで、労働時間が少なく、格差も少ない。

ゆったりと暮らしている人々を見ると幸福度の高いことがうなづける。

私には、北欧が理想の国家に思える。

大戦後に生まれた北欧の高福祉社会の実験は、今も上手く機能しているようです。

 

だが娯楽が少ないとか、格差是正のしわ寄せを負担に感じる高所得の人はいるだろうが。

 

 

 

 

< 7.中国らしい食事 >

 

上: 麗江のフードコート

このような店は古城エリア内には幾つもある。

多くは一皿300円から500円です(観光地値段?)。

料理は変化に富んでおり、温かい料理が直ぐ出来るのが嬉しい。

 

下: 蘭州の牛肉麺の店

この店はチェーン店で蘭州に数ヵ所ある。

凄いのはラーメン一杯が100円から140円で、美味しくてボリュームがあることです。

残念ながら牛肉はほとんど入っていなかったが。

日本語ガイドの話では、牛肉麺と言っても、牛肉は入っていないそうです。

副菜を足しても一人300円もあれば充分です。

 

 

 

< 8. 食文化の今昔 >

 

上: 昆明の老街

古風な趣を残した小さな飲食店が並んでいる。

皆、小綺麗な店舗になっている。

しかし提供している料理は様々で、昔ながらの中華料理ではない。

 

下: 廈門の开禾路

ここは昔ながらの商店街で海鮮市場でした。

廈門では、他にもう一つ商店街を訪れたが、开禾路の方が規模が大きく、店舗も大きく衛生的に優れているようでした。

 

中国には、生鮮食品を扱う大型スーパーが至るところにあり、衛生管理は日本と遜色が無いように思える。

しかし、一方でこのような市場が今もまだ利用されている。

 

 

 

 

< 9. 向上した食文化 >

 

上: 廈門で

 

宿舎の朝食ブッフェ会場の様子。

料理の種類も多く、味も良い。

それにもまして皆さんのマナーが良い。

 

海外旅行先で見るマナーの悪さはなかった。

日本で言う、旅の恥はかき捨てなのだろうか。

 

下2枚: ここは廈門島北部にある海鮮レストラン(海鮮城)

 

私が驚いたのは、水産センターの隣に海鮮城が二十店舗ほど並んでいたことです。

さらに各店舗がまた巨大で、1階に水槽が並び、2階で食事をします。

また水曜日にも拘らず、お客さんは次から次と来て、席は見る間に一杯になった。

 

1階の水槽を見て、魚介類を選び注文します。

私は支払っていないのでよくわからないが、タラバガニに似たカニなどは500gで3000円ぐらいでしょうか。

日本より安いが、私には日頃縁のない食材です。

さらに一料理当たり400円から2000円を支払います。

 

15年前ほど、初めて廈門に来た時、川船で地元料理の海鮮料理を食べたことがありました。

この時は、食べると口に砂が残ったことを思い出します。

 

隔世の感があります。

人々の暮らしが格段に向上していることを思い知らされた。

ちなみに、一人当たりのGDPで、中国は日本の約1/4にまで急伸した(2019年)。

中国では農村部と都市部の所得格差が大きいので、廈門のような大都市の裕福な人々は、あまり日本と差がないのかもしれない。

 

 

 

< 10. 驚きの光景 >

 

上: 麗江の忠义市场にて、生肉を手に取るお客

 

ここは古城の隣にある大きな市場で、あらゆる食材が売られています。

中でも驚いた光景がこれでした。

15年ほど前、中国福建省の田舎を走っていると、道端でこのような肉の販売風景を見て驚いたことがあった。

今回さすがに、どこに行っても道端の屋台で生肉を扱っているのを見なかったが。

 

やはり衛生意識はまだ低いようです。

もっとも中国では、魚と肉を生で食べることは無いので、問題はあまりないのかもしれないが。

 

 

下: 廈門の内海の浜で

 

朝早く、宿舎を出て浜を散歩していると、ハゼ似た魚を獲っている漁師を見た。

この内海には大きな干潟が広がり、そこには一辺20mほどの四角に仕切られた浅い池が無数にあり、そこで漁をしているようでした。

写真に写っている川は、巨大な団地から内海に排出されている水流です。

 

魚は新鮮だろうが、不衛生極まりない(浄化槽を経ているかは不明)。

個人で食べるのなら良いが、状況から判断して彼はおそらく市場に持って行くのだろう。

 

こんなこともありました。

麗江の忠义市场で乾燥椎茸を、蘭州の大型スーパーで乾燥松茸を買った。

その後、半年ぐらい料理で使っていると、忠义市场で買った椎茸からは蛾が湧いたので捨てた。

スーパーで買った松茸は最後まで美味しく食べた。

 

残念ながら中国の食品は、まだ安心出来ないようです。

しかし中国の生活水準が急速に良くなっているので、いつまでも悪い状況が続くとは思えないが。

それにしても現地で食材を買うのが楽しみなだけに残念です。

 

 

 

< 11. 夜の賑わい >

 

上: 北京にて

下: 昆明にて

 

共に大都会の夜は、イルミネーションが輝き、若い人で溢れている。

ビルの中の飲食街の店舗は、料理や運営システムを日々革新させていると感じた。

けっして昔のままの姿ではない。

 

 

* 中国と北欧と日本

 

北欧人が求める暮らしとは、自然の近くで家族や友人と共に過ごすことであり、遅くまで仕事をして会社に滅私奉公をすることではない。

また多くの人は夜遅くまで町中で騒ぐことを楽しみにはしていないようです。

もっとも観光情報によれば、ストックホルムではナイトライフを愉しむレストラン街が増えているようでしたが。

 

中国では、精一杯働いて稼ぎ、夜、町中に出て愉しむことで英気を養っているように見える。

彼らには国が発展すると言う確信がみなぎっているように見えた。

これが活力を生んでいるのだろう、かつての日本もそうでしたが。

 

中国と北欧には似た所がある、それは共稼ぎであり男女平等と言えるかもしれない。

だが中国労働者の生活スタイル、労働と娯楽のパターンが日本と同じように思う。

自由経済と急成長がそうさているのかもしれないが。

 

では日本はどうだろうか?

30年ほど前に経済のピークを終え、豊かにはなったが、さりとて北欧のように、会社人間から家庭第一に切り替わる気配は無い。

また家事分担も含めて職場でも男女平等は大して進まなかった。

むしろ経済が停滞する中で、かつての栄光の余韻に浸り、昔ながらの愉しみを引き摺っているように思える。

 

ただ中国の一部の衛生観念の低さを見るにつけ、東アジアと北欧の違いが目に付く。

推測に過ぎないが、中国の報道機関が適正に働いていないことが、最大要因では無いだろうか。

報道機関が、日々の生活上の問題、例えば公害や衛生問題などを厳しく指摘するようになれば、社会は日常的に是正されて行くはずです。

この点に中国の弱さがあるように思う(将来の日本も)。

 

ちなみに報道の自由度では、北欧4ヵ国が世界トップ1~4位を20年間ほぼ維持し続け、中国は悪化傾向にあり現在177位で、180ヵ国中最悪に近い。

日本も悪化しているがかろうじて66位で、民主党政権時代は11位になったこともあった(政府次第です)。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

20201207

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 13: 祖谷のかずら橋

  

 

*1

 

 

今回は、祖谷渓を代表する祖谷のかずら橋を紹介します。

これは国指定重要有形民俗文化財です。

以前紹介した奥祖谷二重かずら橋と似ていますが、こちらの方が下流にあり観光に便利です。

 

 

 

 

< 2. 散策地図、上が北 >

 

上: 祖谷川と祖谷のかずら橋、落合集落

赤矢印が落合集落、黄矢印が祖谷のかずら橋です。

 

平家落人と安徳帝の伝説の地は、この祖谷のかずら橋から上流の山間に点在し、多くは落合集落までにあります。

 

下: 散策ルート

2020年6月9日、朝5時から6時まで散策しました。

散策ルートはオレンジ線のSで始め、Bまで行き、黄線で河原に降りて、その後、元へ戻りました。

途中の白線は、祖谷川に掛かる鉄骨構造の橋です。

青線は、旅館をチェックアウト後、車で走ったルートで、Cが最後の写真の位置です。

 

 

 

< 3. 旅館を出て、橋の中央まで >

 

上: 祖谷街道から下流側を望む

 

下: 鉄骨構造の橋の上に着いた。

ここから、かずら橋がよく見えます。

 

朝早いこともあるが、季節外れと新コロナもあり、閑散としていた。

朝は曇っていたが、後に晴れた。

 

 

 

< 4. かずら橋と琵琶の滝 >

 

上: かずら橋

渡るのは有料で、営業時間以外は閉めてある。

 

平家落人が源氏追討軍が攻めて来た時、直ちに橋を切り落とす為に、このかずら橋を掛けたと伝えられている。

 

 

下: 琵琶の滝

かずら橋を左に見ながら道を少し行くと、右の崖に滝が見える。

 

平家落人が京都を偲び、この滝で琵琶を奏でいたことから名づけられたらしい。

 

 

 

 

< 5. 河原に降りて >

 

上: 下流側を望むと、谷間を繋ぐかずら橋が見える

 

下: 上流側を望む

 

 

 

< 6. かずら橋 >

 

上: 祖谷川の左岸から

 

下: 鉄骨構造の橋から

 

 

 

*7

 

 

 

< 8. 祖谷街道と宿泊旅館 >

 

上: かずら橋から祖谷街道へ戻る途中

中央に、一泊した祖谷観光旅館が見える。

 

この旅館は民宿の趣があります。

私がここを選んだのは、かずら橋に近く、安さもあるが、さらい良いことがあったからです。

一つは、高齢の女将さんと、祖谷のことについて色々話が聞けたことです。

話好きな人でした。

今一つは、祖谷の素朴な家庭料理を夕飯に出してくれたことです。

アマゴや山菜料理、蕎麦、コンニャク、タケノコが出ました。

 

残念ながら建物が古く、日本客は普通選ばないかもしれません。

コロナ騒動がなければ、この旅館に海外の観光客、中国人などがよく来たそうです。

海外の人には、日本の旅籠と感じられるでしょう。

 

下: 祖谷観光旅館の前の祖谷街道から下り側を望む。

 

 

 

< 9. かずら橋夢舞台 >

 

今回で、祖谷のかずら橋を訪れたのは4度目です。

以前は、このような巨大な駐車場やバイパスが無く、狭い祖谷街道は車の渋滞が延々と続いたものでした。

この「かずら橋夢舞台」は大型駐車場・イベント広場・物産館・食堂「かずら橋亭」からなる大型観光施設です。

 

上: 祖谷街道側から対岸のかずら橋夢舞台を見た

 

下: 左岸を車で通過した際、かずら橋夢舞台を振り返った

 

 

 

< 10. 左岸のバイパスから下流を望む >

 

これから下流の橋を渡り、また上流側に向かって祖谷街道を走り、平家の落人伝説の地を巡ります。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

20201201

デマ、偏見、盲点 31: 嘘は本当か?

  

*1

 

 

ここ10年ほど、日米で絶望的な社会現象が進行している。

それは議論をしようとすると、「それは嘘だ!」と全否定されてしまうことです。

この問題を解き明かします。

 

 

 

*2

 

 

* 「それは嘘だ!」と言った海外の人

 

A: 私がサンクトペテルブルクを旅行している時でした。

若い女性のロシア人通訳に、私はこっそり聞いた。

「プーチン大統領は欧米で評判が悪いが、どう思いますか?」

 

既に彼女とは、ロシアの世情や外交について話していたが、肯定的な答えしか返ってこなかった。

知的で温和だった彼女は一言、「欧米のマスコミは嘘ばかり」と吐き捨てた。

モスクワで会った通訳は、徹底したプーチン信奉者でしたので、まったく噛み合わなかった。

 

 

B: ワルシャワを旅行している時でした。

 

若いポーランド女性の通訳に聞いた。

「私は映画『シンドラーのリスト』を見たが、大戦時、ポーランド側のユダヤ人の扱いも悪かったのではないですか?」

 

既に、私はワルシャワのゲットー跡を観光し、彼女から説明を聞き、更に突っ込んで大戦時の状況を聞いていた。

彼女は、「そんなことは無い。その映画の監督はユダヤ人だから酷く描いている!(嘘だ!)」ときっぱりと言った。

 

私にしてみれば、当時のポーランドが非道に加担していたからと言っても問題にはならないと思うのだが。

 

 

 

*3

 

C: 来日している米国の若い女性と話をした。

 

今年初め、私は彼女に聞いた。

「トランプさんは米国のマスコミの評判が良くないが、どう思われますか?」

 

彼女はトランプ大統領の支持者で、私はトランプ氏の政策や行状について幾つか指摘したが、当然、彼女はトランプ氏を擁護し続けていた。

彼女は、「マスコミは嘘ばかりです!」と言い切り、それ以上、話は出来なかった。

彼女はFox Newsを見ているとのことでした。

 

 

* 日本の状況はどうでしょうか?

 

政府の議会運営や歴史認識などを論じようとすると、決まって「マスコミ、朝日は嘘ばかりだ!」と言われて幕切れとなります。

話がまったく噛み合わない。

 

 

 

* 何処に問題があるのか? 

 

都合の悪い情報を、みな嘘にして無視してしまうと生産的な話が出来ない。

今まさに日米でこの状況が進んでいる。

真偽を確かめる姿勢が完全に失われてしまった。

 

嘘が悪い事は自明ですが、どちらが嘘をついているかが問題です。

「大統領、首相が嘘を言っているとマスコミは報じているが、マスコミが嘘を言っているに過ぎない」

 

この難題を解明する手立てはあるのでしょうか?

 

幾つか真贋を見分けるヒントがあります。

 

順位、  国、   報道の自由度の状況

45位、 米国、   満足できる状況

62位、 ポーランド、顕著な問題

66位、 日本、   顕著な問題

149位、ロシア、  困難な状況

177位、中国、   深刻な問題

 

これは2020年度の世界報道自由度ランキングで、良い方から並べました(各国の弁護士やジャーナリストの意見集約結果)。

下になるほど、その国の報道の自由が侵害されている。

言い換えれば、暴力や権力によって正しい報道が出来ない状況にあります

 

このことから米国の報道は、ロシアや日本よりは、政府に対して堂々と批判出来ていると言えます(完璧ではないが)。

(但し日本と米国はここ10年ほど悪化しています)

 

それでもFox Newsのように、視聴率が2位でも信頼度では、Wall Street JournalABC NewsNew York Times等より落ちて13位に過ぎないマスコミもあります。

このように信頼出来ないが、影響力のあるマスコミも混在します。

(このランキングはReuters Institute Digital News Report 2019のもので、各国のオンラインニュース視聴者の世界的な調査結果です)

 

逆に言えば、日本のマスコミは真実を報道し難いのです。

つまり大半のマスコミは政府に都合の悪い事実を隠蔽し、政府に忖度した虚偽報道している可能性が高い(かつての東欧の放送がそうでした)。

逆に、真実を伝えようとする報道機関は政府から非難され圧力を受けます。

 

これは単純明快な事実です。

太平洋戦争時、日本の民間も政府も虚偽報道を続け、これはナチス時代のドイツも同じで、破局へと突き進みました。

ベトナム戦争時、当初米国の報道機関は真実を伝えることが困難でしたが、やがてテレビによって真実を伝えるようになり、反戦機運が盛り上がりました。

当然、ロシアや中国の体制では、真実の報道は期待出来ない。

 

つまり、「嘘」と簡単に言い切る人は、既に体制側の虚偽報道や発言に洗脳されていると自分を疑ってください。

 

 

 

 

*4

 

* どちらの嘘が深刻か?

 

嘘でも可愛い嘘もあり、悪意が無くても深刻なダメージを与える嘘もある。

政府側や権力側の嘘と、報道機関側の嘘とどちらが深刻かを考えます。

 

歴史を振り返ると、両者の嘘の重みが見えて来ます。

 

報道機関が政府を批判する為に虚偽報道を行って騒乱が起きることはあります。

一方で、政府が虚偽報道によって戦争を正当化し開戦したり、反対勢力を弾圧することは数知れずあります。

大統領の嘘は、独裁の始まりであり、進めば独裁政権誕生です。

これは先日掲載した「連載中 何か変ですよ 219: 恐れろ!怒れ!止めろ!」で事例を挙げています。

 

国民にとって、深刻なのは権力側による虚偽報道・発言です。

なにせ権力によって報道機関や言論を抑圧することが容易で、実力行使出来るのですから。

 

特に、報道の自由度が低い国(日本、ロシア)では、御用新聞が幅を利かし、真実を暴くことはかなり困難が伴うのです。

つまり報道の自由度が低い国ほど、多くのマスコミは政府に都合の良い嘘をつくのです。

 

 

* 嘘を見抜く

 

人間には、嘘をつく人間を注視し遠ざける本能のようなものがあります。

心理学の実験で確かめられています。

そうは言っても、いつの世にも詐欺師は横行しており、多くの人には判別は難しい。

大戦前、ヒトラーの嘘(本性)を見抜けたドイツ人はほんの一握りでした。残念ながら、独ソ戦で優秀な日本政府や軍部首脳も裏切られましたが。

ヒトラーは嘘が上手く、それ以上に大衆を煽動する悪知恵に長けていた(彼は表で清廉潔白を装い、裏で策動を繰り返していた)。

 

少なくと、嘘を平気で繰り返す人物に国を託すことは絶対やってはいけない。

つまり、政府首脳が嘘をついているかどうかを確認することは必須なのです。

 

 

* 結論

 

「嘘」の問題点と見分け方を整理します。

 

証拠を嘘だとして拒否することは簡単だが、賢明ではない。

 

あなたは国の報道統制下に染まっており、何が嘘か見えていない可能性があると疑うべきです。

 

嘘を疑うなら、権力者や政府の発言・報道こそ注視すべきです。彼らの嘘は通り易く、実害が大なのですから。

 

幾ら心地良いことを言っても、嘘をつく人物を信用してはならない。まして国を任すのはもってのほかです。

 

単純な話だが、欲や感情に支配され惑わされる人々は、いつの世にも一定数存在します。

このような人々がナチス時代を先導し、悲劇が繰り返されるのです。

 

 

これで終わります。