20201221

徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 14: 平家落人伝説を追って 1

  


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これから数回に分けて、祖谷の平家落人伝説が残る史跡を紹介します。

今回は、武家屋敷 旧喜多家と鉾杉を紹介します。

訪れたのは2020年6月9日午前9時頃でした。

 

 

 

< 2. ドライブルート、共に上が北 >

 

朝、かずら橋の旅館を出て、祖谷川沿いを10kmほど上流に沿って走りました。

そこから左手の山の急斜面を車で登って行きます。

 

上: 今回の旅で訪れた平家の史跡はこの範囲に限られます。

詳しくは巻末の観光地図を参考にして下さい。

 

右(東)から左に蛇行しているのが祖谷川と祖谷街道です。

左の方の白い点が武家屋敷への登り口で、赤のバルーンが武家屋敷です。

標高は登り口で510m、武家屋敷が850mで、その間4km以上を蛇行した林間の細い道を走ります。

右端に落合集落が見えます。

その手前、左手の山側に安徳天皇の史跡があり、次回紹介します。

 

下: 武家屋敷 旧喜多家までのルートを拡大

赤矢印が旧喜多家、白矢印が登り口です。

 

 

 

< 3. 旅館を出て祖谷街道を行く >

 

この辺りの道は広いが、突如狭くなる所がある。

下の写真では、土木工事の多くの作業者が準備を始めていた。

走っていると幾度も道路工事を見かけた。

道路は整備され、便利になり観光開発の目的もあるだろうが、高額な土木工事費が気になる。

過疎地の開発手法に違和感を覚える。

 

 

 

< 4. 武家屋敷に向かって登り始める >

 

上: 登り口が分からず、行き過ぎてから戻っているところ。

左は祖谷川への断崖、右は切り立つ斜面に挟まれた細い道。

 

中央: 右手に登り口が見えた。

 

下: 登り始めた。

 

 

 

< 5. やがて現れた >

 

急斜面を曲がりくねって進む細い路を行く。

対向車が来ないことを祈るばかりでした。

幸いな事に、まったく出くわすことはなかった。

 

下: もうすぐ峰に届くかもしれないと思ったが、どうやら路は行き止まりで、少し開けた土地に出た。

農家の左側に茅葺の大きな屋敷が見えた。

 

 

 

< 6. 屋敷の敷地へ >

 

上: 石垣の擁壁の右側に階段があり、登った。

 

下: 雨戸はすべて閉まっていたが、大きな屋敷が出現した。

 

 

 

< 7. 屋敷の周囲 >

 

上: 裏手

左下: 凝った雨戸の戸袋。

右下: 雨戸。

 

 

 

< 8.やがて開場 >

 

私が周辺をうろうろしていると、一人の女性が声をかけてくれた。

彼女は他から、車でここに着いたばかりのようでした。

彼女はこの屋敷の管理人で、今から開場するが、中に入りますかと聞いた。

私は時間が無いのでと断り、外から矢継ぎ早に写真だけを撮らせてもらった。

彼女の親切な応対に恐縮した。

 

上外: 玄関の様子。

立派な玄関でした。

 

 

 

< 9. 囲炉裏と鎧 >

 

 

< 10. 屋根裏 >

 

茅葺の裏側がよくわかる。

 

 

* 旧喜多家について

この屋敷は1763年の建築で、祖谷地方では最も大きい上層階級の屋敷です。

安土桃山時代、蜂須賀家の命によりこの地を鎮圧した人物の息子が、この地を任され、後に喜多家と名乗り、明治維新まで続いた。

従って、喜多家は平家の史跡ではありません。

 

屋敷の玄関には式台(階段状)や書院風の座敷があります。

部屋の中央には囲炉裏があり、自害するための部屋「入らずの間」もあります。

 

 

 

< 11. 旧喜多家の前 >

 

絶景が広がる。

しかし納得出来ない。

祖谷に暮らす人の中には、平家を祖先とする家系図を持っている人がおり、位の高かった家格ほど、高い場所にあると聞いていた。

しかし、この高さは尋常ではない。

非常に暮らしにくい、祖谷川に下りるのに途方もない労力がいる。

 

そこで管理人に聞いた。

「いくらなんでもこの高所の屋敷は考えられない」と。

彼女は答えた。

「実は、この屋敷は以前、この下にあったのですが、鉾杉がここにあるので移築しました」と。

移築は1990年のことでした。

 

 

下: 鉾杉に向かって進み、振り返ったところ。

確かに、鉾杉は直ぐ近くでした。

 

 

 

< 12. 鉾杉と鉾神社 >

 

上: 鉾神社

安徳帝の所持していた鉾を納めたと伝えらている神社。

直ぐ左裏側に鉾杉がある。

 

下: 鉾杉

直径2.5mほど、高さ35mの巨木が立っている。

 

壇之浦の合戦で死去したとされる猛将、平経教(たいらののりつね)が、この木の下に、平家再興を願い、平家守護神の鉾を埋めたと言い伝えられている。

彼はこの地で名を国盛と替え、この大枝の地から南の対岸にある阿佐の地に移り住み、阿佐氏として現在に至る。

その地に平家屋敷、阿佐家がある。

 

 

 

< 13. 下り始める >

 

上: 南側、対岸の峰が低く見える。

 

下: 東側、祖谷川の上流側を望む。

山腹に数件の集落が見える。

 

 

 

 

< 14. 下りの路より >

 

 

< 15.祖谷平家伝説 史跡図 左半分 >

 

「祖谷平家伝説」 https://nishi-awa.jp/heike/html/

「パンフレット」 https://nishi-awa.jp/heike/pdf/heikenaka.pdf

 から借用。

 

今回紹介したのは、この図の六と七と喜多家です。

次回は、九と十を紹介します。

 

 

 

< 16.祖谷平家伝説 史跡図 右半分 >

 

この左右の地図の範囲を、概ね今回旅しています。

 

次回に続きます。

 

 

 

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