20200514

中国の外縁を一周して 37: 木府から万古楼への路







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今回は、木府を出て獅子山公園の万古楼までの路を紹介します。
散策したのは2019年10月26日、この日は曇りでした。



< 2. 散策ルート >

上: 赤線がルート、上が南です。
Sからスタートし、四方街を通り、Eが万古楼の前です。
赤の矢印は、途中休憩した展望の効く喫茶店です。
9時40分に出て、万古楼に到着したのは11時15分でした。




< 3. お土産 >

妻が現地ガイドに食べ物の名物を聞いたら、途中の路に面したこの店を教えてくれた。
ここは水牛の肉の燻製や甘辛煮が主です。
この手の食材は、麗江ではよく見かけた。
試食をしてから買った。
日本人の口に合うと思います。


 
< 4. 四方街で踊り >

ナシ族の民族衣装を着た人と、観光客が一緒に輪になって踊り始めていた。


 

< 5. 踊りのビデオ >


 
< 6. 丘の上の獅子山公園を目指す >

 
*7

 

< 8. 喫茶店 >

上: 右の二階が休憩した喫茶店
ガイドが薦めてくれた所で、眺めが素晴らしい。
麗江の甍が眼下に広がる。
普通にコーヒーがあります。

 
< 9. 屋根の面白い物 >

左の二枚: 魔除けだろうか?


 
< 10. 公園の入り口 >

門をくぐり、階段を登る。

 

< 11. 途中の路 1 >

 
< 12. 途中の路 2 >

次回に続きます。



20200513

連載中 何か変ですよ 216: 「検察庁法改正案に抗議します」を巡って!







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ここ数日盛り上がっている検察庁法改正案について感じたことを記します。
私は当然、検察庁法改正案に反対で、火事場泥棒を許せない。


 
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* 最初に *

先ず、600万人が瞬時に反対を表明したことが素晴らしい(ツイッターで)。
これは野党、弁護士会、知識人、芸能人が声を上げただけでなく、一般の人も大いに危機感を持っている事の現れです。

しかし一方で相変わらず政府や与党のとぼけた国会対応、加えて保守やウヨの猛反撃がある。
態度表明した芸能人が苦渋の果てに表明を取り下げた。

また吉村知事、堀江貴文、高橋洋一氏などは、改正案を当然とし、反対する人は勉強してから文句を言えと吐き捨てる。
三氏の理屈を要約すると、検察を民主的にするためには内閣が関わるべき、分からない人間がマスコミと検察に踊らされている、単に定年延長だけの話と言うことになる。

反対するには、確かに法案に目を通した方が良いだろう。
しかし、家が放火され燃えている時に、放火犯の逮捕を優先し、家が燃え尽きるに任せる人はいない。


* 国民はなぜ検察庁法改正案に反対するのか *

私の見るところ、安倍首相が検事総長を自分の言いなりにし、周辺で起きている不祥事の摘発を妨害しようとしている、と国民は見ているからです。

この推測を裏付ける状況証拠は腐るほどある。

候補とされる黒川検事長は、多くの自民党議員の摘発を握り潰し、野党議員の摘発に暗躍して来たと言われている。小渕議員、甘利議員、森友事件(佐川理財局長)、大阪地検特捜部証拠改ざん事件後の刑事訴訟法改悪、陸山会事件(小沢議員)など。つまり彼は自民党にも安倍首相にも守護神となる。

この改正案は突如として浮上し、経緯が不明瞭。国会で法務大臣が追求されても答えられなかった。

安倍首相が国民の為、つまり民主的で透明性のある官僚制度の改革を行ったと信じる人は少ない。彼が関わったことにより官僚は捏造、隠蔽、証言拒否を繰り返し、官僚の忖度が横行するようになった。つまり、真逆の改悪を行っているのだから。


 
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さらに、安倍首相と自民党が国民の為に官僚改革を行うはずがない理由がある。

堀江氏が指摘する通り、日本の検察は傲慢横暴で判事ともつるんでいる。
既に、検察と裁判所は上級官僚を通じて内閣(長期政権)の意向に沿うようになっている(高等裁判所で必ず原発裁判は覆される)。
この意味では、検察を民主化する必要はあるが、現内閣が関与を深めることは悪化しか起こらない。
民主化なら最高裁判事の国民投票のような方法が必要でしょう。
おそらく三氏はこのことを知った上で言っているのだから質が悪い。

もう一つ、見落としてはならないことがある。
安倍政権は官僚を抱き込むことに力を入れて来たが、決して官僚の聖域には手を付けていない。
特別会計や天下りなど、野党がかつて指摘して来た膨大な無駄にはまったく触れていない。
結局は官僚の特権を護る代わりに、官僚を従わせて来た。

このような性格の政権が、コロナ危機の中で急いで改正案を潜り込ませて、強行しようとするなら、火事場泥棒と思われても仕方がない。
改正案が廃案になっても問題あるとは聞かない。

むしろ国民は危険が迫っているのだがら、改正案に反対することは当然です。
単純に、危険な首相と政府がやるから反対でも正解だ!

日本国民が政治に無関心過ぎることが、こんな災いを招いたのだから、この機会に改めることは良い事だ!


終わります。



20200512

世界が崩壊しない前に 25: 細るエネルギー供給








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今回は、私達の経済活動や生活に不可欠なエネルギーの将来についてみます。


電気・ガス・ガソリンが無くなる生活を想像できるでしょうか。

かつてオイルショックで経験したように、ここ半世紀、石油価格の上昇下降が世界経済を揺さぶるようになった。
米国は石油が狙いで、中東に軍事干渉することが度々あった(イランなど)。
日本が太平洋戦争に突き進む切っ掛けも石油禁輸でした。

現在、エネルギー源のほとんどは地下資源(石油、石炭、天然ガス、ウラン)ですが、いつまで採掘可能なのか?



 
< 2. 石油生産量のピークは過ぎた >

IEA(国際エネルギー機関)は2010年、在来型石油(シェールガス・石油を除く)の世界生産のピークは2006年に越えたと発表した。
これは従来の油田が枯渇して行く中で、新しい油田の発見が少なくなり、採掘コストが高くなっているからです。

益々、採掘コストが上昇している為に、地球奥深くに化石燃料があっても役に立たない。
石油では、20世紀初頭、1単位のエネルギー投資で100単位のエネルギーを得られたが、ここ25年間で35~11単位と急速に低下している。
一時、花形だった北海油田も限界が見えて来た。

これを補ってくれたのが2010年代に始まった米国のシェールガス革命でした。
しかし、ここ数年、採掘会社が急激な赤字に陥っている。
理由は坑井の寿命が短く、次から次への開発にコストが掛かり過ぎているからです。
FRBは低利融資でこれら会社を何とか存続させているが続かないだろう。
さらにコロナ危機で原油先物価格が一時マイナスまでになった。
これで米国のシェールガスは立ち行かなくなるかもしれない。


 
< 3. 低下する世界の原発発電量 >

残念な事に、期待のエネルギー源も様々な副作用を持っている。

原発は大災害、シェールガスは公害を引き起こしている。
日本列島の原発は断念せざるを得ない。
地震と津波が頻発する列島、放射線廃棄物の処理、海洋汚染による漁業資源への悪影響を考慮すれば当然です。

またメタンハイドレートや石炭、バイオ燃料(生産時)は、温暖化ガス(炭酸ガスなど)排出で地球温暖化に悪影響を与えます。


 
< 4. 増え続けるエネルギー消費 >


* 何が問題か? *

上記三つのグラフは危機の到来を示している。

世界のエネルギー消費は増え続けるが、エネルギーになる地下資源は枯渇に向かっている。
もし化石燃料輸出国が、枯渇への不安と自国の消費増を受けて、輸出を絞り、さらには禁止したら・・・。
輸入大国の日本は・・・?
コロナによるマスク入手の困難とはわけが違う。

国民が耐え偲ぶだけで過ごせるとは思えない。
悪くすれば強奪の戦争が勃発するかもしれない。

日々、限界に近いづいている。
打開策を講じなければならない。


次回に続きます。





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20200510

徳島の海岸と漁村を巡って 2: 由岐漁港 1





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これから2回に分けて由岐漁港を紹介します。
今回訪れた漁港の中では最も北にあります。


 
< 2. 散策図、上が北 >

上: 由岐漁港を俯瞰
二つの岬が漁港を挟み、島が港の入口を護っている。
しかも開口部が南を向き、紀伊水道を通る台風の風から守るには最適です。
この形は、京都丹後地方の伊根港に似ている。

下: 由岐漁港拡大
おおよそ港の中央が港町、右が東由岐で、左が西由岐です。
写真右上の隅に、大きな池「大池」があり、後に紹介します。


 
< 3. 港を眺める >

上: 西由岐を望む。

下: 左手に東由岐、遠方中央に箆野島(へらの)が見える。


 
< 4.東由岐の漁協 >

覗いたのが11時だったので、がらんとしていた。
一人の漁師が、今が旬の鰆(さわら)をさばいていた。

下: 蛸が逃げる!
ふと床を見ると、大きな蛸が逃げるように這っていた。
私が「蛸が!」と声を掛けると、漁師が素早く捕まえたところ。


 
< 5. 東由岐の街並みに向かう >

上: 西側を見ている。

下: 防波堤を乗り越えて、東由岐側に入ったところ。
道奥に住吉神社に向かう階段が見える(南側を見ている)。


 
< 6.東由岐の街並み >

昔ながらの漁師町の家が残っていると思って訪れたが、かなり改装が進んでいた。
中でも保存が良いのを撮影しました。
おそらくこの後、20年もすれば消失してしまうでしょう。

下: 赤矢印がミセ造り(蔀帳)、黒矢印が出格子です。

外観の説明を引用します。
「由岐のミセ造り(蔀帳)は、半間幅の腰高、窓につくタイプで、腰をかけるというよりは物を置いたり、作業をするためのものです。
全国的にみても珍しく、貴重な建築様式です。
出格子は取り外しできるものもあり、蔀帳のかわりに「縁台」になります。」

これらは海部郡の他の漁師町でも見られたが、ここが一番保存が良いようです。


 
< 7. 天神社の鳥居 >

この神社は先ほどの街並みの北側にある。

下: 鳥居の右側にハットするものがあった。



 
< 8. 「南海地震津波最高潮位」の碑 >

これは1946年の地震に伴う津波の高さを石碑の横線で示しているのでしょう。

記録によると
「大地震が発生し、約10分後に津波が来襲して大きな被害を受けた。
旧三岐田町分(旧由岐町より狭い)の被害は死者8人、重軽傷者24人、家屋の流失48戸、全壊66戸、半壊220戸、床上浸水618戸、床下浸水70戸、船舶の流出39隻などであった。」


 
< 9. 天神社の階段から望む >

上: 東由岐の街並み越しに日和佐を望む

下: 西由岐の方を望む
中央奥に城山公園の小さな岡が見える。
かつて城があった。


 
< 10.天神社の境内から望む >

上: ほぼ北側を望む。

下: 北東を望む
この右手、この神社のある山沿いに250m行った所に「康暦の碑」が立っている。
写真では建物で見えないが、この碑の前に「大池」がある。

この碑は「古典太平記」に記された康安元年 (1361年)の大地震大津波で亡くなっ た人々のための“供養碑”とされ、現存する日本最古のものです。
この津波で壊滅した「雪湊」の集落が沈んで出来たのが、この「大池」だといわれていて、池の底からは 「土器片」や「古銭」27枚が発見されています。
この時、1700軒も建ち並ぶ「雪湊の町」が海底に沈んだとあり、当時としては大きな港町であったことが窺われる。
次回、この「雪湊の町」について紹介します。

実は、この地方を襲った津波はこれだけではない。
1854年、安政元年の南海地震が襲った。
1944年、熊野灘で起こった東南海地震では2mの津波が日和佐を襲ったが、被害はなかった。
1960年、チリ地震による津波で由岐は30cmほど浸水した。

この地は、津波と共に生きていかなければならない。


 
< 11. 天神社 >

上: 境内

下: 境内から北側に降りた階段
後で気が付いたのですが、これは今後起こる東南海地震津波の非難用の階段でした。


* 感想と説明 *

当初、日本の漁村と歴史などを知りたくて訪れたが、予想外の展開になった。
それは漁村と漁業の衰退、そして津波の恐ろしさを肌で感じたことです。
一方で、日和佐の町を歩いていて少し希望を見出した。

この地域と日本の漁村と漁業について概説します。

美波町について
2006年に旧由岐町と旧日和佐町は合併し美波町になっている。
日和佐町は、海亀の産卵と薬王寺で有名です。
美波町の現在の人口は6400人だが、年々1割ほど減少している。
その内、農業就業者は4.4%、漁業就業者は美波町で5.3%だが県内の15%を占める。
漁獲量の多いものから太刀魚(22%)、カツオ類、海藻類(14%)、鯛類、貝類(37%)、ブリ類、海老類(13%)です。
( )内は徳島県内のシェアで、特産品が鮑、さざえ、伊勢海老なのがうなづける。

由岐漁港
ここは西由岐と東由岐で漁協が分かれている。
古い町並みは東由岐に残っている。
両者を比べると、漁業従事者は東93名、西58名、漁獲高(金額)は東:西で2.2:1です。
東由岐は沖合底びき網漁業が盛んで、インドネシアからの実習生3名を受け入れている。
由岐は、アワビ稚貝やヒラメ等の種苗放流事業を実施している
しかし由岐全体の漁獲高は年々1割ほど低下している。

同様に日本の漁獲量(トン)は1984年から同様に年々減少し、66%減になっているが、実は漁獲高はここ数年増加傾向にあり、54%減に留まっている。
これは遠洋漁業の落ち込みを養殖業でカバーしているからです。
ちなみに日本の水産物自給率は魚介類59%、海藻類68%です。

日本の人口減と高齢化が、この地域ではより急激に進みつつある中で、新しい動きがある。
美波町は、伊座利地区の集落再生、様々な町おこし、サテライトオフィスの誘致などに力を入れて、町の活性化に成果を出しつつある。
このことは後に紹介します。

次回に続きます。




20200509

中国の外縁を一周して 36: 木府を訪れる





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今回は、ナシ族の統治者木氏(モクシ)の館を紹介します。
紫禁城を小振りにしたような立派な宮殿です。

 
< 2. 散策マップ >

上: 麗江古陳の観光地図、上が北
茶色線が前回紹介した散策路、赤線が今回の木府への入場口、紺色線が次に紹介する獅子山公園への散策路です。

中央: 木府の全景、見ている方向は下地図の茶色矢印
入場口は奥の方に見える。

下: 木府の平面図、ほぼ上が北
赤線が入場までのルート。
主要な建物は、右から議事庁、万巻楼、護法殿です。


 
< 3. 忠義坊 >

上: 忠義坊の前から通路を挟んで照壁を見る。
下: 忠義坊、ここを入って行く。


 
< 4. 木府に入る >

上: 入口、平面図の議門に当たるのだろう
ここでパスポートなどを見せる。

下: 議事庁
木氏が政務を執った所。

ナシ族の首領であった木氏は元の時代13世紀より、麗江の統治を委ねられた。
以来、元、明、清の時代を22世代470年にわたって世襲統治した
木府は麗江の政治、経済、文化の中心でした。

1996年の麗江大地震で大きな損傷を受けたが、元通りに再現された。
麗江古陳の街並みも同様に再現されたものです。



 
< 5. 議事庁の前広場 >

上: 広場の両壁に建つ楼。

下: 議事庁の前から、入場口を望む。


 
< 6. 議事庁の中 >

上: 興味をそそる像。
頭の上に抱えるのは銅鼓でしょう。
銅鼓(銅製の片面の太鼓)は雲南からベトナム北部で、紀元前5世紀頃から造られた。
主に雨乞いや祖先祭祀の際、精霊に働きかける目的で作られたとされる。

下: 天井。


 
< 7. 万巻楼 >

曲阜の孔子廟を参考にして建てられた書庫。


 
< 8. 万巻楼の二階 >


 
< 9.万巻楼の二階からの眺め >

上: 北の方を見ると、玉龍雪山の峰が雲間から覗いていた。
本来は主峰が左側にそそり立つているのですが。

下: 北東を望む。


 
< 10. 護法殿 >

上: 護法殿。
木氏の私事的な話し合いがもたれた場所。

下: 万巻楼。


 
< 11. 護法殿の中 >

下: 護法殿の奥に道教が祀られていた。


 

< 12. 木府に特徴的な水路 >

湧水が豊かな麗江らしく、宮殿内には水路がはりめぐらされている。
川縁に立つ柳は中国の歴史舞台を連想させる。


* 感想 *

私は訪れる前、古くて小さな建物を想像していたのですが、敷地の広さ、建物の立派さに驚いた。
思ったより漢民族の宮殿に倣った建物だった。
もっとも漢民族の支配下にあったのだから当然かもしれないが。

麗江古陳も木府も、城壁や城砦が見当たらない。
雲南では小部族による抗争が長らく続き、8世紀以降に統一王国が形成されるようになった。
麗江は奥地だったためか、侵略されることも抗争も少なかったのだろうか?
元(フビライ)はかつて雲南からベトナムまで侵攻したことがあったが。

木府内に、十人ほどの白人観光客がいたので、声を掛けると、彼らはチェコから来ていた。
プラハやチェスキークルムロフが懐かしい。
白人の団体観光客は珍しかった。

次回に続きます。






20200508

世界が崩壊しない前に 24: 掘り尽くす鉱物


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宇宙誕生から138億年間で生まれた元素や地球の鉱物を、人類はこれから数十年ほどで使い切ってしまう。
その先は・・・





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青銅と鉄は文明と強国の象徴でした。
紀元前、もしヒッタイトとケルトが鉄器を持っていなかったら、ガンジス川や黄河流域で鉄の農耕具が普及していなければ、歴史は大きく変わっていた。
金と銀は繁栄の象徴であり、昔から通貨の役割を果たして来た。
建物から自動車、携帯電話、薬品、太陽電池まで鉱物無しでは造れず、生活は不可能だ。

国際環境開発協会が15年ほど前、よく知られた八つの金属(鉄、アルミ、鉛、ニッケル、銅、他)の残りの可採年数は15~81年と発表した。
推定埋蔵量は500~1100年分あるが、採掘には膨大な損失が伴う。
環境省の2009年の資料によると、可採年数は金20年、銀19年、レアメタルのクロム15年、インジウム18年とある。

ここ半世紀、かつて指摘された地下資源の可採年数を越えても、掘り尽くした物はなく、今も採掘は続いている。
しかし確実に可採年数は短くなっている。


* 何が問題か? *

可採年数は、世界経済(消費)の伸び、新規に発見される埋蔵量、リサイクル量、そして採掘コストによって決まる。

だが埋蔵量は増えても、鉱石の品位が下がり続けており、益々採掘にエネルギー(コスト)と水の使用量が増える。
また鉱山から出る鉱さいや処理液はこれまでの数十倍に達し、環境破壊と深刻な公害を招く。
さらに農業や漁業資源を減らすことにもなる。

最大の懸念は、生産と埋蔵している国が大きく偏在していることです。

中国の生産量は金で1位、レアアース(17元素)では世界シェアの96%に達する。
埋蔵量の世界シェアでは、リチウムはチリで75%、プラチナは南アフリカで88%と偏在している。
一方、日本はベースメタル(鉄、銅など)とレアメタル(リチウム、コバルトなど)は100%輸入に頼っている。


* もし枯渇の危機が来れば! *

希少元素や鉱物の枯渇は、コロナ危機のマスクのように2ヶ月ほどの品不足では済まない。
今回の日本政府の対応を見れば、危機管理(体制とシミレーション)が出来ていなかった事と、隣国との協調体制が取れないことで傷口を大きくしてしまうことが理解出来たはずです。

おそらく悲惨な争奪が始まるだろう。
既に石油、ダイヤモンド、ウランのように、アフリカや中東で資源を奪い合う為に、大国から武器が大量に供給され内戦を生んでいる。

放置すれば必ず破局が来ます、甚大な被害を伴う危機が。

将来に備えた危機対応が不可欠です。


次回に続きます。




20200507

徳島の海岸と漁村を巡って 1: はじめに




 




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これから数回に分けて、徳島、東南部の海岸と漁村を紹介します。
素晴らしい海岸の景色、漁港と漁村の風景、その暮らしを紹介します。

* この度の旅行について *

旅行したのは2020年4月23日と24日です。

旅の目的
1. 昔ながらの漁師町の町並を撮る
2. 漁港の景観、歴史、そして今の暮らしを知る
3. 変化に富んだ海岸線と自然を撮る

良かったこと
天気が非常に良かったので、良いが写真が撮れた。
暑くなかったので、町や岬の散策を楽しめた。

各漁港で、魚の荷捌きや競りを見学することが出来た。
散策中、会話を交わし、人々の温かさや漁業の実情を知った。
漁村で大津波の恐ろしさ、また町の地域おこし活動を知った。


 

< 2. 訪問地、上が北 >

私が紹介するのは徳島県海部郡の、地図のAからEまでの漁港と周辺の自然です。
A: 美波町由岐の漁港
B: 美和町の恵比寿浜と日和佐(薬王寺と日和佐城と漁港、岬)
C: 牟岐町の漁港(出羽島に渡りかったが行けなかった)
D: 海部町鞆浦の漁港
E: 海陽町宍喰(漁港と岬、宿泊地)


 
< 3. 恵比寿浜 >


 
< 4. ドライブ >

海岸線と山間を走り、ある時は岬の狭い一本道を走ったこともありました。


 
< 5. 由岐と鞆浦の漁港 >


 
< 6. 由岐と日和佐の古い家並み >


 
< 7. 村の鎮守様とお城 >

下: 右の丘の上に日和佐城の天守閣が見える。


 
< 8. 競りと浜 >

多くの漁協で魚の荷捌きや競りを見学したが、どこも快く受け入れてくれた。
様々な旬の魚を見ることが出来た。


 

< 9. 四季の彩と朝陽 >


 
< 10. 島、岬、浜が連なる海岸線 >


次回に続きます。