20190406

北欧3ヵ国を訪ねて 61: フェリー 3



 1


今回は、室内の紹介、そしてクロンボ―城の眺めからコペンハーゲン港への入港までを紹介します。



 
< 2. 船内の紹介 >

中: フロント階の直ぐ下の階。

下: その階の窓側にこのモニターがあったと思います。

4時頃からデッキに出てクロンボ―城の撮影を狙っていたのすが、いつまで経っても見えません。
それで船の位置を示すものは無いかと探していると、モニターを発見した。
モニターを見ると、赤い船の印はまだ海峡に入っていませんでした。
この時刻は6:07で、クロンボ―城に最接近したのは7:57でした。


 
< 3. 船内の様子 >

上: フロント、案内所のある階。

中: 船内の紹介。


 
< 4. 両側に陸地が見えて来た >

上: 前方左舷のスカンジナビア半島。

中: 前方右舷のシェラン島。

下: 前方に微かに海峡らしきものが。


 
< 5. やっと海峡が見えた >

上: 左はスウェーデンのヘルシンボリ、右はデンマークのヘルシンオアです。
この海峡の幅は4kmで、スカンジナビア半島とシェラン島の距離が最も近い。

中: ヘルシンボリ側。

下: ヘルシンオア側の先に、クロンボ―城が見え始めた。
7:50です。


この海峡の狭さが、このクロンボ―城を歴史的に有名にした。
このことがハムレットの舞台になった理由かもしれない。

中世の時代、ドイツを除く西欧諸国は北方交易の為、船で北海からバルト海に行くには、この海峡を通過せざるをえなかった。
ドイツだけはリューベックから直接、バルト海に出ることが出来た。
このことがこの都市をハンザ同盟の中心都市にした。
この頃、バルト海からヴァイキングが去って久しく、ハンザ同盟も盛りを過ぎ、交易は各王国が主導権を担っていた。
中世初期の交易は地中海が注目されていた。

14世紀、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間連合が結ばれた。
この盟主となったデンマーク王は戦争による疲弊した財政を立て直す為に、この地にクロンボ―城を作り、通行税を徴収し始めた。
これが財政を豊かにさせた。

第二次世界大戦時、ドイツがノルウェーに侵攻した大きな理由は、英国海軍のバルト海進出とノルウェーの海運を封じる為でした。

この海域は西欧、北欧、東欧、ロシアにとって非常に重要だったのです。



 
< 6. クロンボ―城 >

下: 最も近くなったところ。



 
< .  離れて行く >



 
< 8. 私のキャビン >

二段ベッドの二人部屋を一人で使ったので、狭くはなかった。
シャワーも使った。
安価なので窓はないが、気にはならない。
静かでよく寝れた。



 
< 9. コペンハーゲン港が見えた >

上: コペンハーゲン港。

下: 中央に要塞島が見える。
これはかって英国との海戦でデンマーク側の守りの要になったことだろう。


次回に続きます。




20190402

平成の哀しみ11: 深まる亀裂 9: 美化される歴史






なぜ美化されるのか





 



日本の歴史は自虐史観によって歪められていると説く人がいる。

彼らは、日本民族は他と異なり特段に優れ、長い歴史を持つ神代の国で、文化は物真似ではなく独創的であるとする。
これを聞いて思い当たるものがある。

これは紀元前後の聖書、史記や日本書紀などの国史に通じる。
これらは民族や国がまとまりつつある時期に、為政者側で作られた。
そこには悲願や正統性が高らかにうたわれている。
面白いことに、他の宗教や民族から見ると眉唾物だとされる。

一方、古代ギリシャのヘロドトスの歴史やトゥキディデスの戦記は、これらと異なる。
この二つは個人が書き上げ、市民に当時の二大戦争を語るものでした。

何が異なるのだろうか?

歴史を見る目、意図が真逆です。
前者は国民に国体を、後者は市民に真実を伝えるものでした。

ある時は自国の歴史を見直すことにより独立機運を高めた、また戦争の歴史を確認し自戒を求めたこともあった(聖書の預言書も)。

一方で、幾たびも現れるホローコースト否定論、これは反ユダヤ主義者を勢いづけて来た。
ヒトラーもゲルマン民族の歴史を美化し、他民族への敵意を煽った。

歴史の美化は曲解をうみ易く危険です。


次回に続く



20190401

平成の哀しみ10: 深まる亀裂 8: 勘違い 2



*1


日本民族には世界に類を見ない崇高な精神がある








世界の歴史家が認める日本の帝国主義を無かったことにし、自虐史観と非難する人々にとっては、これが譲れない。

彼らがこの矛盾に気づかない限り、けっして自国の罪業を認めない。
そして隣国との宥和は遠のくでしょう。

答えは、人類は皆同じ行動パターンを取る事に尽きる。

右翼の雄でさえ「世界は一家、人類は皆兄弟」と言っていた。
これはさておき、人間は極限状態で常軌を逸することは心理学実験や歴史的事実として知らている。

武士道が例証されるが、高々数百年の軍人階級に育まれた文化で、この恥や名誉を重んじる行動パターンは世界中の先住民から英国にもある。
特段優れたものとは言えず歪もある。

日本の精神文化は強い軍隊を生み出すが、人道的な問題を生じやすい。
これは東アジア、特に日本で強い帰属意識が原因です。
これは同胞外への迫害、同胞域外での倫理観放棄、権威への盲従(ドイツも同じ)、同胞の悪事隠蔽、これらが外地の軍隊の非道を招くことになった。

また日本軍の個人無視と無責任な作戦が災いし、兵站無視による飢えで外地では極限状態が頻発した。

こうしてせっかくの崇高な精神は潰えた。


次回に続く








20190331

北欧3ヵ国を訪ねて 60: フェリー 2





*1


今回は、DFDSフェリーの食事とフェリーからの景色を紹介します。
今回でオスロ湾ともお別れです。



 
< 2. 夕食 1 >

写真は予約していた18:00からのブッフェの光景です。
非常に沢山の北欧らしい食材と料理が並んでいます。

乗船客は時間を分けて予約しているので、多くの人が取り合うことは無かった。
下の写真の左、男性が今まさに取ろうとしているのは骨付きリブ肉で、一つが大きい。
私も取ろうとしたのですが、大き過ぎるので止めました。



 
< 3. 夕食 2 >

上: シーフードのコーナー。

下: 最初に取った料理。
ビールは予約していたものです。
ウエイターはしきりにワンランク上の飲料を薦めたが断った。


 
< 4. 夕食 3 >

二度目の料理とデザートです。

今回の北欧旅行で、レストランで食べったのはこれを含めて3回だけでした。
当初はスウェーデンの港町でバルト海のシーフードを食べるつもりでしたが、電車が突如不通になり、叶わなかった。
またデンマークの港町でも食べようとしたのですが、祭りの為か町のレストランの多くは閉まり、簡単なものしか食べられなかった。

どちらにしても北欧の物価は高く、貧乏旅行では高すぎて手が出なかった。
結局、ホテルの朝食を充分食べて、昼と夜はコンビニでサンドイッチのようなものを買って済ませた。


 
< 5. オスロ湾に別れを 1 >

時刻は18:40前後です。
出港から2時間10分が経っていました。
左右の陸地は遠のき、その間を行き交うフェリーが見えます。

上中: 前方を見ている。

下: 後方を見ている。



 

< 6. オスロ湾に別れを 2 >

時刻は18:45頃ですが、ジャグジーを楽しんでいる人々がいる。



 
< 7. 船内 >

上: 免税店。
中: エレベーターホールに出る。
下: キャビンの通路。


 
< 8. 夜明け 1 >

朝4:25、夜明けの瞬間です。
朝陽はスカンジナビア半島、スウェーデン側から昇ります。

この辺りは東側だけで陸地が微かに見える。
他の方向の眺め大洋を行くが如しです。



 
< . 夜明け  >

時刻は4:40~4:55です。

上: 進行方向右側、西、デンマーク側を見ている。
漁船らしいものが数隻見える。
その奥に、ユトランド半島か島らしいものが微かに見える。

中: 進行方向左側、東、スウェーデン側を見ている。
望遠側で撮影すると、陸地に無数の風力発電用の風車が見える。

この手の風車を最初に製造したのはデンマークだった思います。
「持続可能な発展」を提唱したのノルウェーだったと思います。
北欧とは不思議な国です。
小国ながら自然に対して世界に先駆けた発想を持ち、やがて実現し、そして世界はそれを見習うようになった。

下: 前方に微かに島か陸地が見え始めた。






 
< 10. 夜明け 3 >

時刻は5:50頃です。

やっと前方に、陸地が確認できる。
左はスカンジナビア半島、右はデンマークのシェラン島でしょう。
シェラン島にコペンハーゲンがある。

実は、早くから起きて海を見ているのには理由があります。
それはもうすぐ訪れる最も狭い海峡の一方にクロンボ―城が見えるはずだからです。
クロンボ―城はハムレットの舞台になった所です。


次回に続きます。


20190329

平成の哀しみ9: 深まる亀裂 7: 勘違い 1


*1



帝国主義、ああ勘違い



 


日本の大陸侵攻は西欧の帝国主義と異なると信じる人がいる。

その根拠は
A 五族協和、大東亜共栄圏を願った
B アジア各国の独立に貢献した
C 朝鮮や台湾で教育と莫大な投資を行った

D 日本人は善良であり、人畜にも劣ることはしない
  次回検討します。


西欧と比べます
A 未開人にキリスト教を広めることを願った
実際は人種差別と利益優先で現地を虐げた。

結局、スローガンは自己満足。


B 内乱や革命を支援し傀儡政権を作った
私人として革命家を援助した日本人は多数いたが、軍部が行った反乱分子を育てる策は侵略の常套手段。


C 植民地政策は国として儲からなかった。
宗主国は植民地に設備投資と軍隊派遣で莫大な出費をし、多くの人命も失った。
利益を回収するつもりだったが、せいぜい食料を掠め取るぐらいしか出来なかった。
英国では赤字続きの為、国会で植民地放棄が議論された。
結局、先走った自国の企業家と資本家、居留民を保護する為に行わざるをえず、さらには覇権争いに陥ってしまった。

一部に日本の評判が良いのは、日本が西欧や中国の酷い植民地支配から開放することになり、その後、直ぐに撤退する羽目になったことが幸いしている。


次回に続きます



20190328

平成の哀しみ8: 相争う 6: 繰り返す過ち 2



 
*1


なぜ人は過ちを繰り返すのか?



 


1.子ブッシュ米国大統領

彼は2001年同時多発テロ直後の勇ましい発言で史上最高の支持率を得たが、任期終了時は史上最低だった。

外部に敵を作り、罵倒する姿勢は絶大な人気を得ることがある。
人々は愛国心に燃え敵意を高ぶらせ不満を忘れる。
これはヒトラーのような悪辣な為政者の常套手段で多くは悲惨な結果に終わる。

一方で希に敵を正しく捉え世界を救う為政者もいる、ルーズベルトやチャチールのように。


2.繰り返すナショナリズム

日本では負の歴史を自虐史観と罵り、美化する機運が高まっている。

実は、これは世界の潮流でもある。
冷戦などにより後進国で内戦が蔓延し、欧米への難民とテロが頻発し、文明対立が強く意識されるようになった。
一方で欧米は経済が伸び悩み、格差を拡大させ、国民の不満が高まっている。
こうして国内では分断、海外には排他的になった。
しかし、これが安易に受け入れられようになったのは大戦後70年以上経ったからです。

さらに日本では歴史を自省していないことが災いしている。
これは19世紀末に、国内の停滞を植民地に活路を求めた西欧の状況と非常に似ている。
そして第一次世界大戦が始まった。

次回に続く







20190326

北欧3ヵ国を訪ねて 59: フェリー 1 





*1

これから最後の訪問国デンマークを目指します。
今回は、フェリーからのオスロ湾の眺めを紹介します。
晴天に恵まれ、そよ風に吹かれながら広大なフィヨルドを堪能しました。


 
< 2. フェリーの航路 >

左上: 全航路オスロとコペンハーゲン間を黒い線で示す。
赤い矢印はオスカシボルグ要塞で、今回はオスロ出港からここまでを紹介します。

右上: オスロとオスカシボルグ要塞の間を拡大したものです。

フェリー出港は2018年6月6日、16:30です。
そしてオスカシボルグ要塞を過ぎたのは17:40頃です。
 
下: フェリーのフロア図。
かなり大きいですが、クルーズ船ほどには楽しめるスペースは無いようです。






 
< 3. フェリー内 >

上: ここが唯一気楽に過ごせる、カフェでしょうか。
パンなども売られているので軽い朝食に良いでしょう。
奥に免税店が見えますが、高価なものが多いようです。

下: 屋上後部デッキ。
やはりクルーズと言えば、ここで皆、ビールでしょうか?
ところが、わりとジュースが目につきました。



 
< 4. フェリーからオスロ市街を見渡す >

上: 白いのがオペラハウスです。

下: 左の森はアーケシュフース城、写真中央の遠方に見える二つの茶色の塔がオスロ市庁舎です。


 
< 5. フェリーのデッキから 1 >
いよいよ出港です。

中: オスロ市街が遠くに見えます。


 
< 6. フェリーのデッキから 2 >


 
< 7. フェリーのデッキから 3 >

出港から30分ほど経った頃、不思議な光景を目にすることになりました。
それは進行方向右側の港から無数の高速ボートが白波を立て、このフェリーに近づいて来たのです。
そしてフェリーを囲み、追い越したりしていました。

まさか海賊、ヴァイキングとは思いませんでしたが。
どうやら観光のようでした。


 
< 8. フェリーのデッキから 4 >

出港から40分ほど経っと前の海峡が非常に狭くなり、まるで塞がっているように見えました。




 
< 9. フェリーのデッキから 5 >

フェリーは幾度も右左と大きく旋回し、島を避けながら海峡を抜けて行きます。



 
< 10. オスカシボルグ要塞 >

狭い海峡を抜け、振り返ってみると何やら要塞らしきものが見えました。
後でグーグルマップで調べると、ここがオスカシボルグ要塞だと言うことが分かりました。

ひょっとすると、この三枚の写真のいずれかはドイツの戦艦が撃沈されたところかも知れません。


次回に続きます。