20161222

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 18: タリン 1





*1

今日から、エストニアの首都タリンを紹介します。
2016年10月1日の早朝から昼過ぎまで、主に旧市街を観光しました。
この日は、朝の雨上がりの後、素晴らしい快晴となりました。



< 2. ホテル周辺 1 >
早朝、ホテルの周辺を少し散策しました。
宿泊したホテルはÜlemiste Hotellで、旧市街から数km離れた所にあります。
ホテルの前には大きな湖、後ろにはタリン空港があります。

上の写真: この道を進むと都市の中心部、旧市街、タリン湾の港に行きます。

中央の写真: 上とは逆の方向です。

下の写真: 右側がホテル、左側が大型スーパーです。
当初、このスーパー(オープンAM10:00-PM9:00)に行ってみたかったのですが、前日ホテルで食事を終えたのが遅く、また朝の出発が早かったので行くことが出来ませんでした



< 3. ホテル周辺 2 >

2枚の写真: 少し歩いて電車の高架橋近くまで行きました。
ここを抜けて行くと町の中心部になります。

下の写真: ホテル近くのバス停。



< 4. ホテル周辺 3 >

上の写真: 湖。
中央の写真: 朝焼けの空港。
下の写真: タリン湾の方に虹が架かっている。




< 5. ホテルの最上階からの眺め  >

上の写真: 都市中心部の方。
中央の写真: 湖。
下の写真: 都市から離れる方。



< 6. 車窓からの市内 1  >

バスはホテルを出発し、市内を抜けて最初の観光地に向かいます。




< 7. 市内を行く 2  >

タリンの人口は39万人で、首都とはいえ非常にこじんまりしている。
ビル街は少なく、閑静な住宅街が広がっている感じです。




< 8. 「歌の原」に到着  >

目的の場所に到着した。
ここはエストニア、いやバルト三国にとっても心の叫びが奇跡を生んだ誇り高き場所なのです。

バルト三国では昔から毎4、5年ごとに、国を挙げての音楽祭が開かれていた。
かつてバルト三国は揃って一度、二つの大戦の間だけ独立したことがあった。
しかし第二次世界大戦が始まるとソ連に占領され、国歌や民謡を母国語で歌うことが禁止された。

一方、ゴルバチョフがソ連でペレストロイカを始めると、この地にも変化の兆し現れた。
1986年からバルト三国の各首都で大規模集会が開かれたが、逮捕者が出て終わっていた。
ついに、1988年9月、全エストニアの4分の1に当たる30万人がここに集まり、独立の思いを歌にした。
エストニア政府は連邦の方針に逆らい、抗議行動を許可し、この「歌う革命」は4年以上続くことになった。

1989年5月、タリンでバルト三国の独立の為の会議がもたれた。
こうして9月、バルト三国の首都を結ぶ600kmをそれぞれの国民200万人が手をつなぎ、人間の鎖を作った。
私達のバスは後にこの道を走ることになります。

1991年には、バルト三国のすべてがほぼ平和裏に独立を果たしていた。

「歌の原」で行われた2009年の歌声の祭典の公式ビデオです。
歌が持つ力に感動します。




< 9. 歌の原 1  >

上の写真: この静かな場所で感動がおこりました。

下の写真: タリンの港が見えています。




< 10. 歌の原 2 >

黄葉と朝陽が心を高揚させます。


今回の旅では、これから訪れる各国で自由と独立とは何かを考えることになりました。

次回に続きます。



20161221

Bring peace to the Middle East! 53: when religions were born 1: preface


中東に平和を! 53: 宗教が誕生する時 1: はじめに




<  1.  Salt March by Gandhi >
< 1. ガンジーの塩の行進 >


When I thought about Middle East problems, as for religion, I got worried about a deep religious antagonism and a secularization (secular politics) of Islam.
I examine the secularization (relations among religion, law and politics) by surveying the birth period of each religion from now on.

中東問題を考えた時、宗教に関して、根深い宗教対立とイスラム教の世俗化(政教分離)が気になりました。
これから宗教の誕生期を概観することにより世俗化(宗教と法と政治の関係)を考察します。




<  2. Jewish Diaspora >
< 2. ユダヤのディアスポラ >

Preface
I look back on the birth of Judaism, Christianity, Buddhism, Confucianism and Islam, so the problem become clear through comparison of these.
We already saw religious antagonism and persecution in this serialization.
I examine how each religion was predetermined to be concerned with law and politics.

Firstly I look at the benefits of religion.
The religion brings people a hope, encourages good acts and produced the society which people are helping each other.
In addition, it reduces dissatisfaction of people, increases citizen compliance, and has a effect of reducing conflict from the society.

On the other hand, the believer came to have strongly feelings of slight and hostility against different religions.
In addition, occasionally the law (religious precepts) of the sacred book couldn't respond flexibly to changes in the society, and the strong religious organization brought harm.

The religion inherits the doctrine (law) and role (social system) since the birth.
When there is only sacred book that a founder of the religion talked, it is so especially.
This is one of the reasons that cause a mismatch between modern society and religion.
However, the degree of the mismatch is not decided only with a long duration of the religion.
It changes depending on how each religion was associating with politics and law of the society.

I investigate this difference through looking back on the process of the birth period of each religion.


はじめに
ユダヤ教、キリスト教、仏教、儒教、イスラム教の誕生期を振り返り、比較することにより問題点が明瞭になります。
既に、この連載で宗教対立や迫害を見てきました。
ここでは個々の宗教が法と政治にどのように関わるように運命づけられたかを考察します。

はじめに宗教がもたらす恩恵を見ておきます。
宗教は人々に希望をもたらし、善い行いを奨励し、共に助け合う社会を生みだしました。
また人々の不満を減らし、順法精神を高め、社会から紛争を減らす効用もあった。

一方、信者は異教徒に対して蔑視や敵対の感情を強く持つようになった。
また聖典の法(戒律)が社会の変化に合わなくなったり、強力な教団が災いを生むこともあった。

宗教は誕生期の教義(法)や役割(システム)をそのまま継承し続けます。
宗祖が語ったとされる聖典がある場合はそうです。
このことが現代社会と宗教との間に齟齬をきたす理由の一つです。
しかし、その齟齬の度合いは宗教誕生の古さだけで決まるわけではありません。
それは、個々の宗教が政治や法とどのように関わって来たかで影響を受けます。

この差異を宗教誕生の過程を見ながら探って行きます。




<  3. Confucius lived during the Spring and Autumn and Warring States periods >
< 3.孔子が生きた春秋戦国時代 >

Historical backdrop that is common among the birth period of religions
I look at some common points before talking about the difference of these religions.
All societies where the religion was born were in the reform period, and advanced information had been brought to the society.
The reform period means that the society came to ruin due to a series of war or a natural disaster, and the birth of new rank or the thought had occurred due to the developing of city and economy.
The advanced information means new religion having the advanced doctrine, or civilization to bring new thought and technique.

For example.
The Judaism was born on the way of the national rebuilding from the country destroyed in the period of war.
The time of Jesus was in the period of war, and Hellenism culture had become widespread. 
The time of Buddha was in the period of war, and many freethinkers had been born.
The time of Confucius was in the period of war, and many various thinker groups had been born.
The time of Muhammad was in the period of war, and two monotheistic religions had become widespread. 


宗教の誕生期に共通する時代背景
宗教の差異を語る前に共通点を見ておきます。

宗教が誕生した社会はすべて変革期にあり、さらに先進の情報がその社会にもたらされていた。
この変革期とは、戦争や天災続きで荒廃している場合と、都市や経済が発展し新しい階層や思想の誕生があった場合などです。
また先進の情報とは、進んだ教義を持つ新興宗教や、新しい思想や技術をもたらす文明などです。

例えば以下のようなことです。
ユダヤ教は争乱の世にあって、亡国から国家再建への途上で生まれた。
イエスの時代は争乱の世にあって、ヘレニズム文化が浸透していた。
釈迦の時代は争乱の世にあって、批判的な自由思想家が誕生していた。
孔子の時代は争乱の世にあって、多様な思想家集団が誕生していた。
ムハンマドの争乱の世にあって、一神教が浸透していた。




<  4. The Bible  >
< 4. 聖書 >

The difference of the religion is affected by each society of the time
At the period of the birth, there were religions being close to politics and religions being away from it.
It depended on what the religion intended to change.

The Judaism abandoned old religion, and intended to rebuild formerly nation together.
The Christianity criticized the Judaism associated with authority, but found a way out by associating with the Roman Empire.
The Buddhism criticized the Brahmanism associated with royal families and went away from politics.
The Confucianism hoped to revival of formerly ancient religion, and entrusted royal families with it.
The Islam abandoned old religion, and intended to found an unified country together.


宗教の差異は当時の社会の影響を受けている
その誕生期に、政治に近い宗教と、政治から遠ざかっている宗教がありました。
それはその宗教が何を変革することを目的にしていたかに関わりました。

ユダヤ教は、古い宗教を捨て、一丸となって国家を再建することでした。
キリスト教は権力と結びついたユダヤ教を批判したが、ローマ帝国と結びつくことで活路を開いた。
仏教は王家と結びついたバラモン教を批判し、政治から遠ざかった。
儒教は、いにしえの宗教の再興を願い、それを王家に託した。
イスラム教は、古い宗教を捨て、一丸となって統一国家をつくることでした。




<  5.  Baptism of an emperor of Rome  >
< 5. ローマ皇帝の洗礼 >

This continues the next time.

次回に続きます。




20161218

ドラマ「東京裁判」を見て


 *1



今日は、素晴らしい再現ドラマ「東京裁判」を紹介します。
これはNHKのテレビ番組で、この12月12~15日に放送されたものです。
YouTubeで「東京裁判 NHKドラマ」が見れます。



< 2. 実在の主役達 >

上の写真: 東京裁判の被告席。
中央の写真: 東条内閣。
下の写真: 東京裁判の11人の判事達。



はじめに
東京裁判は、勝者の意趣返し、または戦争否定に繋がったと評価が分かれている。
また私にとって東京裁判はいつか全貌を知らなければならない課題でした。

それは、「日本を戦争へと突き進ませた状況をどう見るか?」でした。
言い換えれば、「戦争の責任は国の指導者、国際状況、国民のいずれがより重いのか?」になる。

今一つは、「国際法(国家間で作った条約など)に期待を託せるのか?」でした。
言い換えれば、「国際法で国家や戦争を裁くことが可能か?」になる。

その答えは先送りになったが、私はドラマに救われた思いがした。
ドラマでは各国から派遣された11人の判事が「日本の戦争」に真剣に取り組み、篤く議論する姿が描かれていた。
彼らは「悲惨な戦争の再発防止」「残虐行為への懲罰」「厳密な法適用」「戦争への根源的な問い」など、それぞれの信条に従い議論し、ぶつかりまた協力して行く。
そして半年で終わるはずの裁判は2年半に及んだ。

超難題を抱える裁判の裏側を、各国の名優が演じ切った。
素晴らしい人間ドラマです。


東京裁判について、マイペディアよりコピー

「極東国際軍事裁判が正称。
1946年1月19日連合国最高司令官マッカーサーの命令で設立された極東国際軍事裁判所が日本の戦争指導者に対して行った裁判。
原告は米・英・中・ソのほか7ヵ国。
同年5月3日より東京市谷で開廷。
裁判長はオーストラリアのウェッブ。
首席検察官は米国のキーナン。
戦争犯罪を〈平和に対する罪〉〈殺人の罪〉〈通常の戦争犯罪と人道に対する罪〉に分けて満州事変以来の日本軍閥の侵略を追及。
19481112日判決。
東条英機ら7名が絞首刑,荒木貞夫ら16名が終身禁錮。
ニュルンベルク裁判とともに二大国際裁判といわれる。」


日本の戦争
満州事変に始まり日中戦争へ、さらに真珠湾攻撃から太平洋戦争へと突き進んだ。
そして、最後は日本全土の空襲と原爆投下で終戦となった。
この第二次世界大戦で世界の人口の2.5%(民間人5500万人、軍人2500万人)が死んだ。



< 3.日本の戦争 >




< 4. ドラマのシーン 1>

上の映像: 判事達が裁判に臨むシーン。
先頭にいるのはオーストラリアのウエッブ裁判長。

下の映像: 判事全員が被告人の罪の有無、量刑について議論するシーン。

初めは、まとまっているように見えたが、やがて亀裂が走り始める。
その一つの論点は「平和に対する罪」で被告を裁けるかどうかでした。

実は、世界はながらく戦争を国家の権利(自衛権)と見なしていたのです。
どう法律家があがいても、戦争する国を止めることが出来なかったからです。
一方、戦闘手段の制限は12世紀頃から国際法として徐々に発展し、戦争犯罪が確定していった。
しかし、世界は第一次世界大戦後の壮絶な殺し合いを経験し、戦争を違法とするパリ不戦条約を発行した。
しかし、これは不完全であり、また戦争を再発させてしまった。
その反省から、第二次世界大戦中の1995年に連合国が中心となり「平和に対する罪」を規定した国際軍事裁判所憲章を急遽作った。

それに加え、様々な論点が波乱を呼んだ。



< 5.ドラマのシーン2 >

一番上の写真: オランダのレ-リンク判事と竹山道雄(「ビルマの竪琴」の著者)との交友。
レ-リンク判事はパール判事に感化され、後に判決に対する反対意見書を提出した。
彼は事後法の問題は逃れえるが、日本の指導者への極刑は過ぎると反対した。
ドラマでは、彼が中心になっているように思える。

二番目の写真: 英国のパトリック判事(中央)が中心となって日本の戦争指導者に断固、極刑を課する多数派を結成する。
アメリカ、中国、フィリピン、ロシア、カナダ、ニュージーランドがこれに同調し、弱腰の裁判長の追い出しや判決文作成を担った。
彼らは国際軍事裁判所憲章の順守とニュルンベルク裁判の成果を損ねないことを盾にした。
そこには各国の事情や個人の偏見や復讐心が垣間見えた。

三番目の写真: インドのパール判事。
彼は当初から、法の恣意的な適用に断固反対し、1235ページに及ぶ別個の判決文を提出した。
日本の行った戦争犯罪を裁くことは可能だが、法のプロが事後法の「平和に対する罪」を適用することがあってはならないとした。
また焦土と化した日本を見て、欧米先進国の身勝手さと思い上がりを痛烈に批判した。
それは原爆投下、また世界に害悪をもたらした帝国主義、日本を軍事大国に追い込んだかもしれない行為を顧みない姿勢です。

四番目の写真: フランスのベルナール判事。
彼も法律家として、東京裁判が正当化出来ないとして、反対の立場から意見書を提出した。



<6.資料 >

上の地図: 第二次世界大戦での日本の最大占領地。
中央の写真: マッカーサーと天皇。
二人は東京裁判での日米の主役でした。

下の写真: 実写フイルム。
東京裁判で日本側弁護人となった米国のブレイクニーの口からから発せらた驚くべき言葉。
「キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。」


あとがき
私はこの手のNHKの活躍を誇り思い感謝します。
これまでもNHKは、ベトナム戦争や日本の戦争について徹底した調査を行い、分かりやすい形で放送して来た。
このドラマはオランダ、カナダとの共同制作で、8年もの歳月をかけたらしい。

ドラマで描かれた赤裸々な葛藤や苦悶、断固意思を貫く人々が絡み合う血の通った論争シーン、どれもが私を魅了した。

一方で残念なこともある。
無理だとは思うが、国際法の今後、「世界が国家の不正義を裁くこと」の意味を語って欲しかった。

残念ながら、現在の状況を見るとパール判事の言った、「世界はまだ未成熟である」が70年後も変わらないようです。
相変わらず、大国は恣意的な戦闘や軍事援助を行い続け、止める算段がないどころか、深みにはまるばかりです。

お読みいただき感謝します。



20161217

ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 17: バスの車窓から見たエストニア 1







*1

今日は、ナルヴァからタリンまでの景色を紹介します。
2016年9月30日の午後、バスは210kmの道のりを走りましたが、1時間ほどで日が暮れたので、写真はナルヴァから50kmぐらいまでになります。


 
< 2.地図、共に上が北 >

上の地図: エストニアを示す。
エストニアは東にロシア、南にラトビアと接し、海を挟んで北にフィンランドがあります。
人口は134万人で、面積は北海道の6割です。

下の地図: バスの走行ルート。
赤丸がナルヴァ、黄丸が首都タリンで、宿泊はタリンです。
矢印がトイレ休憩のガソリンスタンドOlerexi Sillamäe tanklaのある町で、ナルヴァから25kmぐらいです。




 
< 3. ナルヴァの町 1 >

ナルヴァは人口66000人の町で、オイルシェールが産出され、エストニア屈指の工業地帯になっている。



 
< 4. ナルヴァの町 2 >

幹線道路を抜けていく分には、町は古さを感じさせなかった。


 

*5

のどかな景色が続く。
この日、走ったナルヴァまでのロシア側よりも森林が少ないように思うが、
それでも遠方には深い森林が広がっている。
耕作地のようだが、ロシアもエストニア側でも実っている作物をほとんど見ることはなかった。
この辺りの冬の最低気温(夜)は-8℃で、積雪になる。

こちらでもロシアと同様に密集した農家の集落を、幹線道路からほとんど見ることがない。


 
*6


 
< 7. 休憩したガソリンスタンドから 1>


 
< 8. 休憩したガソリンスタンドから 2 >

上の写真: このバスは都市間を走るバスのようで、ガソリンスタンドの横に待合室がある。
今回の旅行で立ち寄ったガソリンスタンドにはトイレだけでなくレストランや売店があった。
これも旅の楽しみの一つです。

下の写真: アパートの団地のようです。



 
*9

上の写真: ガソリンスタンドを横切る地元の人々。


 
*10

上の写真: ガソリンスタンドの町を過ぎた所にある川。
下の写真: 夕日が沈んで行く。
これ以降は闇の中をバスは走り続けることになる。


次回に続きます。




20161216

Bring peace to the Middle East! 52: religion and persecution 6: Persecution of Jewish people 4

中東に平和を! 52: 宗教と迫害 6: ユダヤ人の迫害 4



 
*1

We were looking at the situation of persecution of Jews until now.
This time, I chase why establishment of Christianity provoked the persecution of Jews.
This is the last time.

今まで、ユダヤ人迫害の経緯を見て来ました。
今回は、キリスト教の誕生がユダヤ人迫害に如何に結びついたかを追います。
これで最後となります。


 
*2


Process of the establishment of Christianity 
When Jesus was born, the history of the Judaism was already over one thousand years. 
He criticized decayed Jewish rabbis and the law overemphasis of the Judaism, and the  Jewish believers who sympathized with him increased.
The Jewish ruling class incriminated Jesus as a leader of revolts to the governor-general of the Roman Empire, and he became the crucifixion (about A.D. 30).


キリスト教成立の経緯
イエスが生まれた時は既にユダヤ教の歴史は千年を越えていました。
彼はユダヤ教の腐敗した祭司達や律法偏重を批判し、それに共感するユダヤ人信徒も増えて行きました。
ユダヤ人の支配層はイエスを反乱の指導者としてローマ帝国の総督に訴え、彼は磔刑(紀元30年頃)になった。


 
*3

Jesus' resurrection caused an enthusiastic faith in resurrection in Palestine, and Christianity even extended to the gentile of the Roman Empire by activity of St. Paul etc. before long.
In 66 A.D., the Jewish-Roman wars of aiming for independence arose, but the Jews were defeated.
Therefore the Temple in Jerusalem was destroyed, and Jewish people again had to break up.
The region of the Roman Empire had been an emperor worship in those days, but the Judaism had been allowed, and early Christianity was considered one part of it.
The Christians were often persecuted because they were a heretic for Judaism and doubtful pagans for the people of Rome.
In addition, the Roman Empire also persecuted Christians because having been determined as seditious groups to not obey the emperor worship.
However, in the Rome society in a declining mode, the people who looked at large number of Christianity martyrs were attracted by Christianity.

At last, at the end of fourth century, the Roman Empire certified Christianity as the national religion in order to take in Christians who increased, and prohibited other religion.
After this, the Christianity grew mature in Europe, and extended to the world 


イエスの復活によりパレスチナに熱烈な復活信仰が起こり、やがてパウロなどの活躍によりローマ帝国内の非ユダヤ人にもキリスト教は広まっていった。
しかし、紀元66年、独立を目指したユダヤ戦争の敗北によってエルサレム神殿は破壊され、ユダヤ人はまたも離散することになった。

当時、ローマ帝国は皇帝崇拝であったが、ユダヤ教は認めれらており、初期のキリスト教はその一部と見なされていた。
キリスト教徒はユダヤ教にとって異端者であり、ローマの民衆にとって怪しげな異教徒であったので、度々迫害された。
またローマ帝国はキリスト教徒が皇帝崇拝に従わない不穏分子であったので、これまた迫害した。
しかし、衰退し続けるローマ社会にあって多数のキリスト教殉教者を見た民衆はキリスト教に惹かれていくことになった。

ついに4世紀末、ローマ帝国は増大するキリスト教徒を取り込む為に、これを国教とし他の宗教を禁止した。
この後、キリスト教は西欧で成熟し世界へと広まっていった。


 
*4

During this time, what had happened to Christianity?
After the destruction of the Temple in Jerusalem, in the stream of making the comeback, the Judaism assumed Christianity heresy and Palestinian Christianity fell into a decline.
Along with a progress of missionary work to the Jews (Greek speaker) that broke up and gentile at each place, the doctrine and customs of various paganism came to mix with Christianity. 
In addition, an increasing number of Jewish conversion to Christianity caused regression toward Judaism.

Church fathers of Christianity at each place had to deal with troubles from within and without, made a definite distinction between heresy and orthodoxy, and did explanation for the persecution to the emperor.
They did theorization and unification of the doctrine, then established the confession of faith and the Bible.  Annotation 1.
In this way, an unified church system was completed in the about third century.  Annotation 2.

Syncretism and opposition almost happened among much religion, as if the birth of the Islam, the Buddhism, and the Taoism.
However, the intensity of the heresy was different among each religion.


この間に何が起きたのか
エルサレム神殿の破壊後、ユダヤ教は再起を図る中でキリスト教を異端とし、パレスチナのキリスト教は衰退していった。
各地に離散したユダヤ人(ギリシャ語話者)や非ユダヤ人への布教が進む中で、異教の教義や習俗がキリスト教に混じることになった。
またキリスト教へのユダヤ人の入信は、ユダヤ教への後戻りを招き始めた。


各地のキリスト教の教父達は、異端と正統の区別や、皇帝への迫害の弁明などの内憂外患に対処した。
彼らは教義の理論化と統一を行い、信仰告白と聖書を確立した。注釈1.
こうして3世紀頃には一体化された教会制度が成立した。注釈2.

多くの宗教、仏教、道教、イスラム教の誕生時にも、既存宗教との間で習合や対立が起こった。
しかし、異端への激しさは宗教によって程度の差があった。


 
*5


Peculiar things in Christianity
I think that it is related to "Jesus' resurrection" and "the Catholic Church" that Christianity is strict with the heresy in particular.

The miracle called "Jesus' resurrection" is hard to believe to our pagan, but Christian is  most attracted.
If it becomes the Jew to have murdered Son of God Jesus, the hatred reaches a peak.

Furthermore, the existence of the unified church of the Roman Empire conduced to an succession of the firm doctrine, furthermore, the posture to eliminate heresy was also maintained strongly.
Thus, the persecution continued for 2000.


begin a different theme from the next time.


キリスト教に特有なこと
私は、キリスト教が特に異端に厳しいのは「イエスの復活」と「カトリック教会」に関係すると考える。

異教徒には信じがたいイエスの復活という奇跡は、最もキリスト教徒を魅了する。
その神の子イエスを殺したのがユダヤ人となれば、憎しみは頂点に達する。

さらにローマ帝国の一体化された教会の存在は、ゆるぎない教義の継承と共に、異端を排する姿勢も貫かれた。
こうして、迫害が二千年も続くことになった。


これで「宗教と迫害」は終わり、次回より別のテーマを始めます。


注釈1.
信仰告白は、教会などで自身の信仰を神と人とに告白することです。

カトリック教会の信仰告白の例: 使徒信条

「天地の創造主、全能の父である神を信じます。

父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、
ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、
三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、
生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます

聖霊を信じ、
聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます
アーメン。」

私が太字にしました。

注釈2.
ここで言う教会制度とは、キリスト教圏のすべての教会とそれを監督する司教らが一人の教皇を頂点に一体化されていることを指します。
時には全域から司教以上が集まり公会議を開き、教義・典礼・教会法について話し合うことも行われた。