20200407

中国の外縁を一周して 30: 唐へ誘う杜甫草堂




< 1. 杜甫(左?)と李白 >


今回は、唐の詩人杜甫(とほ)にゆかりの地を訪ねます。
杜甫は戦乱を逃れ、成都に4年間暮らしました。
当時の住まいが再現されている杜甫草堂を紹介します。


 
< 2. 杜甫の漢詩「春望」 >

杜甫(712―770年)は詩聖と呼ばれ、詩仙と称された李白と並ぶ唐を代表する詩人でした。
「春望」は、彼が長安で使えていた時、安禄山の乱に巻き込まれ軟禁されていた折に詠ったものです。
唐は誕生から百年が経ち絶頂期を迎えていたが、反乱でいとも簡単に、都の長安(西安)は陥落し、皇帝玄宗は蜀(四川省)に逃げた。
杜甫は妻と離れて暮らさざるを得ず、世の無常をこの詩に込めた。
杜甫は「春望」にも見られるように社会情勢や政治への思いを五言八行に込めました。


 
< 3.杜甫草堂 >

上: 入り口
下: 地図
とても広いので周り切れない。
この杜甫草堂は、木々で覆われた一辺500mの庭園内に数々の建物が散在している歴史テーマパークのようなものです。
杜甫がかつて住んでいた住まいが再現されています。


 
*4

雨がかなり降っていたので、写真を撮るのが難しかった。
広い敷地を、傘とカメラを持ち、多くの観光客を避けながらガイドについて行くのがやっとでした。


 
*5


 
< 6.少陵草堂碑亭  >

上: 中央の三角形屋根が少陵草堂碑亭
少陵は杜甫の号です。

下: 茅屋故居
杜甫の像らしき石像の左奥に見えるあばら家が、杜甫の再現された住まいです。


 
< 7. 茅屋故居  >

この狭い家屋内に多くの観光客が入っていたので、写真を撮るのに苦労しました。
机や台所が有り、他の部屋もありましたが、かなりみすぼらしい感じがした。
もっとも1300年前の話ですから、こんなものかとも思った。

実際、杜甫は科挙に失敗し、仕官も上手くいかず、さらに戦乱に巻き込まれ、流転と貧困に明け暮れた一生でした。
彼が悪いと言うより、隆盛ではあったが腐敗が進んでいた唐王朝において、彼の低い出自では出世が出来なかったのだろう。


 
*8

今回の中国旅行で、盆栽の起源は中国だとの意を強くした。
至る所で鉢植えの木の多いことに驚いた。


 
< 9.万佛楼 >

上: 漢詩の書が展示されている建物。
残念ながら読めないので、通り過ぎるだけでした。

下: 万佛楼が木立の向こうに見える。


 
< 10. 杜甫と唐 >

上: 右から玄宗、楊貴妃、安禄山。
中: 安禄山と唐の行軍。
赤線が安禄山の南下した侵攻経路、青線が唐軍の敗走経路。
玄宗は成都へ敗走し、皇太子は霊武に北伐を行い、後に長安を奪還する。

下: 太い黒線が杜甫の生涯の行路で、ほぼ当時の主要都市を巡っている。
Aは出生地鄭州、Bは長安、Cは成都、Dは逝去の地

私には「国破れて山河在り」は他人事とは思えない。
まさに今の日本を見ているようです。
杜甫の人生は、唐が絶頂期から崩壊に向かう時代と重なりました。

唐誕生から百年、玄宗皇帝の善政で唐は絶頂期を迎えます。
しかし彼は絶世の美女楊貴妃に溺れ、政治をないがしろにした。
政治は悪辣な宰相が握り、その死後、楊貴妃の血縁者が政治を牛耳った。
この血縁者は北辺を任されていた傭兵軍の総指揮官安禄山が反乱を起こす火種を作った。
そして755年、安禄山は蜂起し、1か月後には洛陽を、その半年後には長安も陥落させた。
玄宗は成都に逃げ、楊貴妃に死を命じ、北伐に向かった皇太子が皇位継承を勝手に宣言した。
唐は安禄山側の内紛や異民族の力を得て、どうにか切り抜けることが出来た。
この後、唐は中興の祖によって命脈を保ち、誕生から約300年後、内乱によって滅ぶことになる。

杜甫は、今の鄭州で地方官の子として生まれ、科挙を目指す。
各地を旅し、洛陽では李白と意気投合した後、長安に仕官を求める。
何とか一時、仕官は叶うが、安禄山の乱に巻き込まれ、逃避行を繰り返すことになる。
杜甫は蜀(成都)に逃れ、蜀の有力者が彼を支援した。
この時の住まいが杜甫草堂です。
支援者が死去すると、彼は家族を連れて南下し、かの地で死去した。
才能に恵まれ彼ではあったが放浪、逃避、貧困の内に人生を終えた。


広い庭園の為、1時間以内では、ほんの一部を覗くだけで、じっくり見ることは出来なかった。
それでも歴史的な佇まいを全体的にうまく再現しているので、見る価値は十分にあります。
もっとも時代考証が正しいかは分からないが。


次回に続きます。



20200404

世界が崩壊しない前に 13: コロナ危機対応で見えて来るもの 4





*1

コロナ対応から見える日本の危うさ
問題点を整理します。


主要な問題ではないが、今の日本の危うさを象徴する事例を紹介します。

最近、コロナ新規感染者に外国籍が含まれるグラフが出回っている。

 
< 2. 恐怖心がデマのグラフを作らせた >

これに添えて「病床は日本人の物であって、外国から逃げて来た奴などに与えるな!」と記されている。
また「外国人にコロナの現金給付は問題!」との発言もある。
これらの発言はウヨや与党議員から発せられた。

海外移入が増えているのは、空港での水際対策の不手際です。
実は、厚労省は国籍を区別していないので、これは誤解を基に意図的に作られたグラフです。

どちらにしても、今の政府を熱烈に支援する人々や、コロナ対策の要職を務める人には、この類の人が目立つ。



* 政府の何が問題か *

基本的な問題
² 感染症対策の不備(パンデミックを想定せず、病床を減らし続けた)。
² 上記前提で対策を講じた(検査をせず、一斉休校のみ)。
² この間、感染爆発への対策を怠った(感染症病床などの増設)。

さらに加えて
² 日頃の隣国敵視政策が災いし、中韓の成功例を受け入れられず、中韓の協力も得られず必需品の調達に支障をきたした。
こんな時ほど世界が連携しなければならないのだが。

² 対策は、データーによる論理的な説明もなく検証もない。
これまでの野党による国会追求での逃げと同じ。


* 何が最悪か *

危機を乗り越えるには、科学的で論理的な状況認識と不断の変革が不可欠だが、これが出来ない。

対応の拙さは福島原発事故と同じで、膠着した体制に根源があり、一人首脳の不出来だけに帰することは出来ない。
それは半世紀に及ぶ政治屋・官僚・産業と大半の学者・マスコミによる癒着にある。
この体制は、既得権益の維持と拡大に邁進し、時代の変化には閉じ籠り、危機に対しては想定外と言い放ち、事なかれを繰り返す。

これは日本が大戦に突き進んだパターンとも酷似する。
半世紀に及ぶ軍部による政治掌握、それを支える陸大出の参謀本部、軍令部のエリート、強硬派の陸軍から東条が首相に選ばれ、日米開戦と突き進む。
最優秀な知性と見識を備えた中枢は、いとも簡単に危険を冒し、途中、冷静に省みることなく敗北まで突き進んだ。

結局、日本は、幾度も同じ事を繰り返している。
今回、おそらく壮絶な結果になるでしょう。

日本が再生出来ることを願うばかりです。
今はコロナだが、これからは更にあらゆる世界的な危機が待ち受けている。


次回からは視点を変えて続けます。



20200403

世界が崩壊しない前に 12: コロナ危機対応で見えて来るもの 3








*1

コロナ対応から見えて来る日本の危機管理とは・・・


気になる事項を幾つか挙げます。

1. LINEによる16万人のコロナ症状調査(3/27~3/30)で東京都7.1%、神奈川・埼玉・千葉県6.5~5.7%が該当すると答えた。

これは正確な診断ではないが、現状のPCR検査では感染者を把握出来ていない証だろう。


 
< 2.感染経路 >

2. 政府は、3/2から春休みまで全国の小中学校、高校の一斉休校を要請した。

これは過去にも実施されており一定の効果はあるだろうが、誤ったメッセージを発した。

当時、ニュースを見る限り、感染に関わっていたのは圧倒的に小中高生でなく大人だった。
小中高生に発症者が出ていない段階で、彼らが感染させるとする根拠は薄かった。
(現在は状況が異なるので必要だろう)

本来最初に、一番感染に関わっている大人(大学生も)の外出・密集行動を制限すべきだった。
結局、経済ダメージの少ない安直な一斉休校に頼り、上記の制限を行わず、逆に大人は外出への緊張感を無くしてしまった。
このことが巨大人口を有する都市部で、その2週間後の3月中旬以降の感染増加になった推測できる。


3. 縮小されていた日本の感染症対策

国立感染研の人員や予算は減らされていた。
2009年から2018年の間に60億円から40億円に減額されていた。
既に満杯になりつつある感染症病床は全国で1871に過ぎないが、実は1990年から2009年にかけて、人口10万に対して9.9から1.4と激減していた。



 
< 3. 最近の主要国のインフルエンザ死亡者 >

それでは感染症対策の必要は無くなっていたのだろうか?

近年、エイズ、サーズ、マーズ、デング熱などが世界を騒がせ、インフルエンザはここ十年ほど猛威を振るうようになっている。
当然、世界の疫学者らは警鐘を鳴らしていた。
世界銀行は、2017年にパンデミック債の創設まで踏み込んでいる。

ところが、この2月も政府は大幅な病床削減を進めている。
これは日本の全病床数が先進国トップで、福祉予算切り詰めの為としている。
しかし日本の人口当たりの感染症病床数、長期療養病床数、臨床医数などは先進国では少ない方であり、変化に対応できないでいる。


 
< 4.日本の医療水準のランキング >

これは「防ぎ得る死をどれぐらい防げているか?」を評価したランキングで、珍しく順位は良いが、自慢できるものでもない。


実は、医療予算削減は日本だけではない。

繰り返すバブル崩壊後の超金融緩和策によって各国の累積赤字が増大している。
日本は断トツ最悪で嘆かわしいが。
それに加え、日米首脳に見られるように世界の右傾化が進行し、軍事費が上昇している。
不思議な事に、同時に企業や富裕層への減税も進み、更なる財政圧迫要因となり、日米を筆頭に当然のように国民の福祉予算の削減が進んでいる。

つまり国民の安全保障は、いつの間にか見栄えのするものに偏ってしまった。


次回に続きます。











20200402

世界が崩壊しない前に 11: コロナ危機対応で見えて来るもの 2









前回に続いて、コロナの感染爆発の可能性を探ります。


現在、東京で感染が拡大しているが、これとPCR検査との関係で意見が真っ二つに分かれている。
一方は「検査を少なくし感染を抑制している」、逆に「把握できていない感染者がやがて感染爆発を招く」と対立している。
前者は現状の日本政府と初期の米政府、後者はドイツや韓国の対応です。
残念ながら日本ではデーターによって論証する姿勢がない。

結論から言えば、検査を拡大させ初期に感染者を隔離してこそ感染爆発が防げる。
世界の感染推移のグラフ(前回のグラフ4)を見る限り、多くの国で、始めはゆっくり感染は進行しているが、やがて何らかの切っ掛けで感染爆発を起こしている。

当然、検査拡大時には、感染防止(ドライブスルー方式など)と事前の健康状態チェックによる選別は必要です。
実際、上記対策を講じて検査を拡大した国は、感染者数の割に死者が少ないか、終息を向かえつつある。
しかし日本政府はオリンピック開催と医療システムの不足・不備による医療崩壊を恐れて検査を増やすことが出来ないでいた。

今ままでは低水準だったが、前回説明したように対策の効果と言うよりは偶然の産物に過ぎないと考えて、検査拡大と共に、データーに基づいた抑制策(外出禁止など)が不可欠です。


日本の異常な推移を確認します。

 

< 2. 各国の感染データー >

横軸は累計感染者数、縦軸は1週間当たりの新規感染者数の推移。
横軸と縦軸の両方が対数目盛であることに注意。
上は3月3日、下は3月21日の値。
赤の矢印は、注目すべき米国、日本、韓国、中国を示す。

驚くべきは、世界各国がほとんど直線状に並び、感染の増加率(新規感染者/累計感染者)が一定だと言うことです(同じ病原体なので当然か)。
そして中国と韓国は、ある時点から抜本的な対策を講じたことで一気に終息に向かっている。

一方、米国は感染が発覚した時点で検査拡大を行わなかった為、上図のように平均的な線より下にあったが、感染拡大と共に検査による状況把握が進むと同じ結果になっているようだ。

一方日本は、未だに平均線より低い所でふらついている。
本当に日本だけが感染の増加率が低いのであれば、平均線を下にずらした緑色の線上を進んでも良いはずだが、そうではない。


もう一つ、不穏な状況を示すグラフがある。

 
< 3. 感染経路不明者の数 >

日本政府は感染クラスターを抑えているので問題無いと言うが、上記グラフの感染経路不明者と感染者の増加を見れば、否と言わざるを得ない。

しかし不可解な点もある。
/30現在、コロナの死者数が54名で、これと累計感染者数1420名からすれば比率3.8%は各国の平均より少し高い程度に過ぎない。
つまり死者数から、感染者数は妥当と言うことになる。

ところで日本の毎年の死者数は肺炎で95000人、インフルエンザで3000人(12月から5月が主)ほどいる。
推測でしかないが、死因の判別でコロナが洩れているのではないかと疑っている。

現状の日本の医療体制に、検査を拡大出来ない事情があるようだが、このままズルズルとやっていると取り返しのつかないことになる。


次回もコロナ危機を探ります。







20200401

世界が崩壊しない前に 9: コロナ危機対応で見えて来るもの 1






前回、急所を掴んでこそ危機を察知出来ることを見ました。
これから2回にわけて、全体を見ない狭量さが危機を招く例を見ます。


お粗末なコロナウイルスへの対応


 
< 2.フォックスニュースの虚言「コロナは嘘だ!」の検証ビデオ >


当初、米国ではトランプ大統領と保守系フォックスニュースが「コロナは問題無い」とか「民主党のデマだ」と盛んに言い立てました。
この間、米政府の検査体制は出遅れ、多くの人は危機感を持たず、感染拡大を引き起こした。

当初、日本政府は感染者がいる寄港予定のクルーズ船を寄港させなかった。
結局、船内で感染爆発が起きる状態のまま引き受けた。
この時に、船からの感染者隔離や国内対策に本腰を入れるべきだった。
政府部内の「中国の細菌兵器」「武漢ウイルス」の発言は、米国と根は同じだ。

彼らには稚拙な逃避行動-危機の矮小化と先送り、が見られる。
一番困るのは、両国の首脳が共に非科学的・非論理的だと言うことです。
二人は不安を煽り、目立つパフォーマンスで人気を得ていることでも共通している。

そうは言っても、日本のコロナの感染状況は、今まで世界に類を見ない低水準で推移している。
これは日本政府の感染対応が適切だからだと、多くの人は感じている。
これが正しいなら、今後、感染爆発は行らないだろう。

私は素人だが、いくつかのデーターから今後、さらなる危機が起こると予想している。
要約すれば日本の現状は、ある条件がたまたま幸いし感染のスピードが遅かったが、対策の不備から感染者が知らぬ間に増大しているらしい。


 
< 3.著しく低い日本の感染状況 >

この横這いに近い状態は、世界に類を見ない日本人の衛生意識の高さ、加えて閉ざされた島国、マスコミの危機報道が幸いしたと信じたい。
しかし別の方法で比べると違う状況が見えて来る。


 
< 4. 縦軸を対数目盛りにした >
高橋洋一(嘉悦大)、@YoichiTakahashi

破線の日本、台湾、シンガポールが何故か同じ感染速度が遅い傾向を示している。
最も低い台湾は、確かに素早く画期的な対策を講じたが、実は中国からの旅行客が去年9月以降半減していたことも幸いしている。
(中国は、台湾が香港デモを支援したとして報復措置を取った)

何か共通の要因があるはずだ。
しかし韓国の途中からの急激な拡大も気になる。


 
< 5. 感染者数と致死率、3月26日のデーター >

これを見ると、三角印の国(結核予防のBCG接種が行われている国)は武漢を除いて、すべてで低い。
BCG接種は世界157ヶ国で実施されているが、欧米の15ヶ国だけが停止か限定しており、今回、酷い感染状況になっている。
これが日本、台湾、シンガポールが同じ傾向になった理由の一つだろう。
しかし、同じBCG接種をしていながら韓国も武漢も、突如急拡大した。

つまり日本は、まだ安心してはいけない。
気付かない不安要因があるはずだ。


次回に続きます。





20200331

中国の外縁を一周して 29: 古代へ誘う金沙遺址博物館






< 1. ここで黄金の太陽神鳥が発見された >


これから、数回に分けて四川省の省都成都を紹介します。
今回は、金沙遺址博物館を紹介します。
ここには最古の蜀人の暮らしがあった。


 
< 2. 成都観光地図、上が北 >

上: 成都の位置は赤矢印
成都には蘭州から飛行機で来て、二泊後、同じ空港から飛行機で麗江に移動します。

下: 赤矢印が、成都の観光地です。
A: 金沙遺址博物館、三星堆遺跡の文化を受け継ぐ遺跡の上に建っている。
B: 杜甫草堂(唐の詩人の廟)
C: 陈麻婆酒楼(金沙店)、元祖麻婆豆腐の店
D: 武侯祠(諸葛孔明の廟)
E: 天府广场東側のショッピング街、成都最大の繁華街

黒矢印は地下鉄で直結している成都双流国际机场の方向を示す。

2019年10月23日23:00、私は蘭州から成都双流国际机场に到着し、直ぐ近くのホテルに2泊した。
翌日、朝8:30にホテルのロビーで現地ガイドと待ち合わせし、日本語で1日案内してもらった。
移動はタクシーを利用した。
残念ながら、1日中雨でした。
観光はほぼ予定通り出来たが、写真が思うように撮れなかった。


 
< 3. 金沙遺址博物館 >

上: 金沙遺址博物館の地図、上が北。
600mx500mの広さ。
E: 乌木林
F: 発掘遺跡の展示館
G: 遺跡からの発掘品の展示館

この遺跡は、2001年偶然発見され、発掘調査後、2007年博物館としてオープンした。
私としては有名な三星堆遺跡を見たかったが、成都を1日で観光するには、近くにあるこの博物館見学で時間的に精一杯でした。
三星堆遺跡は北方45kmの位置にある。

この博物館の下には、紀元前1200~500年頃に栄えた蜀人の国が眠っている。
この時期は、黄河中領域の西安から洛陽とその北方で興った商(殷)の後期から、西周、春秋戦国時代の前半に重なる。
ここは蜀人の政治経済商業の中心地であったが城砦はなく、大きな住居址群と祭祀場、墓地からなる。
現在は埋め戻され、祭祀場跡だけが見学できる。


下: 乌木林
この敷地の川底に埋もれていた60本余りの黒檀が立てられている。
かつてこの地は黒檀の森で、今より温暖であった。
この黒檀は祭祀に使われた可能性が高い。
彼らは治水を重視し、河辺で祭祀を行った。
成都には有名な、水利を目的として紀元前3世紀築造が始まった都江堰がある。


 
< 4. 発掘遺跡の展示館 1 >

この展示館は大型の祭祀場跡を覆っている。


 
< 5.建築物跡と発掘品 >

上: 左側のパネルに高い櫓の絵が見える。
パネルの周囲の穴が、柱の跡なのだろう。
出雲大社の太古の復元モデルと似ている。

下: 黄金のマスクなどの金器が発掘された。
写真には他に玉器や青銅器も見える。

 
< 6.石虎と象牙 >

上: 中央右に数本の象牙が白いビニールで覆われている。
また猪の牙も大量に見つかった。
当時、この地には多くの象が生息していた。
右下のパネルを拡大したものが下の写真です。

都江堰が造られた岷江はしばしば氾濫し水害をもたらしていた。
古代の蜀人は、象牙には水の妖怪を殺し、洪水を鎮める神通力があると信じ、川辺のこの祭祀区で、象牙を柱状や円状に並べて供え、祭神を祭ったようだ。

下: 写真の右下に石虎が二つ見える。
崇拝の対象だったのだろう。


 
< 7. 発掘品の展示館 >

上: 二つの展示館の間の通路。
広々とした森林公園になっている。

下: 発掘品の展示館に向かう。


 

< 8. 蜀人の暮らし >

三枚の写真はジオラマを左から右に撮って、上から下へと並べた。
当時のこの地の様子を再現したものです。

森が残る平原に川が流れ、その周辺に多くの住居が建っている。
左には象、犀、鹿が見える。
川には数艘のカヌーのような小舟が見える。
右手前には住居と家畜の囲いが見える。

ここは蜀人の王国の一つだった。
これに遡り、城郭のあった三星堆遺跡が500年間続き、衰退した後にこの王国が興り700年ほど続いた。
蜀人の国は長江上流域の盆地にあったので、永らく黄河中流域の争いに巻き込まれることはなかった。
しかし、秦国がこの地に侵入すると蜀人は敗れ、一部は西側のチベット方面へ、または南下し東南アジアへ去った。


 
< 9.再現された住居と土器 >

上: 再現された住居。
土壁と草ぶきの屋根。

下: 土器
ほとんどの土器の形は他の地域と同じように見える。

下: 玉器
写真の下段に玉琮、割れた玉璧、上段に玉戈などがある。
玉器は殷周のものと似ており黄河中流域と交流があったことを伺わせる。
これらは祭祀用のはずです。
上部の物は、かなり大きい。




 
< 10. 青銅器と埋葬墓 >

上: 青銅器
殷で隆盛を極めた祭祀用の青銅器容器の鼎などをまったく見なかった。
なぜか青銅器は薄いか小さいものがほとんどです。
三星堆遺跡では大きな青銅製人形を作っていたが、こちらでは大きい物は造られていないようだ。
不思議だ。

下: 埋葬墓
一見した感じでは、貧富の差や格式がないようです。
またほとんど副葬品が見られない。
ここには見えていないが、遺体を二つのカヌー形状の棺で上下に被せるようにして埋葬することもしていた。

このような階層の無い社会(王国)で、金器・玉器や象牙を消費する祭祀が盛大に行われていたことに驚いた。


 
< 11. 主要な発掘品 1 >

左上: 玉鉞
右上: 玉琮
この二つは他の中国文明でもよく見られるものです。

左下: 青銅立人像
この人形は、服装や髪型、冠などから見てこの地に特徴的なものです。

右下: 黄金マスク、幅19.5cm、厚0.4mm。
これに遭えて、ここに来た甲斐があった。

三星堆遺跡の青銅人形には、他の中国文明には無い特徴があった。
それは目が異常に大きく、また飛び出していたことです。
このマスクには、その様式が受け継がれている。
もっとも三星堆遺跡の青銅製人形にも金箔が貼られているものはあったが、金沙遺址の方が三星堆遺跡よりも金製の造形品が多い。


 
< 12. 至宝 >

左: 金製の太陽神鳥、外径12.5cm、厚み0.2mm。
12本の火炎をもつ太陽を四羽の鳥がめぐっている(切り抜かれた部分)。
太陽の図案は、三星堆祭祀坑出土の大型神樹などにも取り入れられている。また火炎をもつ太陽は、前述の青銅立人像が頭上に戴く冠の形とも似ている。
金沙遺跡も三星堆と同様に太陽が重要な意味を持っていたようだ。

右: 顔が無い青銅製人形
面白い造形だ。


あとがき

初め、金沙遺址にはあまり期待していなかったが来て良かった。
黄金マスクと金製の太陽神鳥は特に興味深かった
北京の博物館で三星堆遺跡の青銅人形を見ているので、両遺跡を見たことになり、思いを果たした。

この遺跡博物館を見たことにより、漢民族の中心文明から離れた蜀人(羌族の一部?)、そして成都の古代を少しイメージ出来たように思う。
三星堆遺跡に代表される蜀人の祭祀は、祖先と太陽の崇拝だった。
殷の祭祀では、多くの奴隷を生贄に捧げたが、こちらではそのような事はなかったとされている。

今回、中国の外縁を巡る理由の一つは、古代中国の民族移動が後の少数民族の形成にどのように関わったかを知ることだった。
紀元前後以降、漢民族が覇権を広げるに従って、もともと中国大陸に広く散在していた民族は、南部や西部の山岳部に難を避けた。
このことで、各部族の神話が各地に分散し、全体として統一感を欠き、中国神話は纏まりの無いものになったと私は考えている。
今回の蜀人もそうだった。


次回に続きます。






20200330

世界が崩壊しない前に 9: 無視されているものにこそ






世界は良くなっているのに崩壊の危機などあるはずがない。
これが多くの人の気持ちでしょう。


平均寿命が延び、社会保障が向上し、経済成長が続き、大きな戦争もない、そして益々便利になってる。
この半世紀、世界は良くなっている。

* 安逸の陰に隠れているもの *

A. あなたは健康で医者に無縁と自慢している。
たまたま医者に診てもらうと、糖尿病がかなり進行していると分かった。
これからは節制し、薬無しでは生活出来ない。

B. いつも通行している橋が突然崩壊した。
あなたは助かったが多くの死傷者が出た。
古いと気付いてはいたが、そこまで老朽化が進んでいるとは思わなかった。

C. 会社は順調に業績を伸ばしていた。
しかし主力製品でリコールが発生し、その回収、加えて信用の失墜で会社は倒産した。
あなたは路頭に迷うことになった。

D. 株価上昇が続き、企業業績も好調で、国民も潤っていた。
しかし遂にバブルが弾け、世界は金融危機に見舞われ、過大な累積債務を抱える国はデフォルトを起こした。
そして年金支給額などが激減した。

E. 海外の観光客が大幅に増え、観光地は大いに繁盛し、国も潤っていた。
しかしコロナウイルスが伝染し、観光地の客足は途絶え、遂にはあらゆる産業活動が停滞し始めた。
多くの企業が潰れ失業者が増えるだろう。

これらの事例で本人に非があるものはAだけです。
後者になるほど被害が広範囲で甚大なものになる。
多くの人は後者になるほど予測出来るはずがないと思う。

しかし以下の実施で被害は抑えられる。

A 毎年の健康診断

B 定期的な劣化検査

C 開発時の安全検査と製造時の品質検査

D バブルを煽らない、政府財政の健全化(透明性の確保も)

E 感染症対策の拡充、世界との連携。
この10年間、世界の感染症は増加し、警鐘が鳴らされていたにも関わらず、日米も含めて多くの国で関連予算を削減していた。
 ]


 
< 2. 日本の感染研予算と防衛費の推移 >
両予算の金額を見ると、如何に国難が間違った方向に誘導されていたかが分かる。
これは米国も一緒でした。


私達は漫然と社会全体の風潮に惑わされるのではなく、むしろ隠れている危機の芽にこそ注視すべきなのです。


次回に続きます。