20161103
Bring peace to the Middle East! 41: chain of retaliation 9 : Why the Middle East war began? 2
中東に平和を! 41: 報復の連鎖 9 : なぜ中東戦争は始まったのか? 2
< 1. Jewish immigrant >
< 1.ユダヤ人の入植 >
Today, we approach the background of that Arabic countries deprecated the nation-building of Israel and started the Middle East war.
Non-generosity and egoism had raged through there.
今日は、アラブ人がイスラエル建国に反対し中東戦争を始めた背景に迫ります。
そこには不寛容とエゴイズムが吹き荒れていました。
< 2. Tiberias by the Sea of Galilee in 1936 >
< 2. ガリラヤ湖の都市ティベリア、1936年 >
Preface
The situation that a superior colonization group overwhelms inferior indigenous people has been repeated.
For example, it is relations between British settler and North American Indian, Netherlands settler and South African indigenous people, and began in the 17th century.
In addition, examples which ethnic group gained economic predominance without using military power are Southeast Asian overseas Chinese and European Jew.
For example, farmer parted with his field for the repayment of his debt, and might ruin to helot or peasantry.
And the wealthy favorably performed the trade against a background of financial power and political ability, and furthermore became superior.
When this is left, economic disparity increases, and the dissatisfaction of the people blows up eventually.
As an example, German Peasants' War happened in the early 16th century, and involved whole Europe in storm of Religious war (the Reformation).
はじめに
優勢な植民集団が劣勢な先住民を圧倒する状況は繰り返されて来ました。
その例は、17世紀に始まる英国の植民者と北米インデアン、オランダの植民者と南アフリカの先住民です。
また武力に頼らず経済的優位を獲得した例としては、東南アジアの華僑とヨーロッパのユダヤ人があります。
優勢な階層が劣勢な階層を支配していく状況も、世界中で繰り返されて来ました。
例えば、農民が債務の弁済の為に田畑を手放し、農奴や小作人に没落することがありました。
そして富者は資金力と政治力を背景に、その取引を優位に行い、さらに優勢になった。
これが放置されると、経済格差が亢進し、民衆の不満はいずれ爆発します。
一例として、16世紀初めに起こったドイツ農民戦争があり、これがヨーロッパ全土を宗教戦争(宗教改革)の嵐に巻き込んだ。
< 3. Jewish National Found was founded in 1901, annotation 1 >
< 3.1901年創立のユダヤ国家基金 注釈1 >
In the early 20th century, what was taking place in Palestine?
The situation in Palestine was the same as above-mentioned cases, but there was worse situation.
The Arab was the state of extremely low literacy rate, landowner system, and the capital deficiency due to enormous debts, because the Arab received the longtime colonial rule by other ethnic group (Ottoman Empire and Europe).
Particularly, the Palestinian still had a sense of belonging to the Ottoman Empire, and had not the consciousness of founding of own country.
In addition, the Arab had distrust in Europe that was the ruler of the colony.
On the other hand, the world that were led by the Europe and America promptly approved the Jewish immigrant to Palestine and the founding of a nation (the division of Palestine) during the Great war 1 and 2.
The Jew who came from all over the world aimed at the founding of a nation desperately.
Many countries built close ties with Israel economically and supported it.
Thus, the position of Palestinian and Jew had reversed every day.
20世紀前半、パレスチナで何が起きていたのか
パレスチナで起きていたことも上記と同様なのですが、さらに悪い状況があった。
アラブは異民族(オスマントルコとヨーロッパ)による長年の植民地支配を受けており、極端に低い識字率、地主制、膨大な債務による資本不足の状態にあった。
特に、パレスチナ人はまだオスマンへの帰属意識があり、建国の意識はなかった。
またアラブは植民地の支配者であったヨーロッパに不信感を持っていた。
一方、欧米を中心とする世界は二つの大戦の間に、早々とパレスチナへのユダヤ人の入植と建国(パレスチナ分割)を認めた。
世界中から来たユダヤ人は必死で建国を目指した。
その後も、多くの国々がイスラエルと経済的につながり支援した。
こうして、パレスチナのユダヤ人とアラブ人の立場は日を追って逆転していった。
< 4. Arabic farmer in the end of 19th century >
< 4. 19世紀末のアラブ農民 >
Palestinian was thrust into bad situation day by day until the Middle East war.
The population of Palestine was 5,000 Jews and 260,000 Arab in the early 19th century.
When Zionism (campaign for Jewish national construction) broke out before long, the settlers rapidly increased, and the population became 80,000 Jews and 670,000 Arab in 1922.
Furthermore, since that British Mandate for Palestine had begun and the persecution by Nazis had broke out, it increased to 450,000 Jews and 1,060,000 Arab in 1939.
Land of Palestine was necessary for Jew to settle in.
The most of Palestinian farmland had been owned by absentee landowners of non-Palestine that lived in big cities like Beirut.
The most of the purchase fund consisted of many contributions of Jewish rich persons all over the world, and the Jewish National Found treated it.
The Jew cultivated it by oneself like kibbutz (agriculture community), and drove the previous peasantry out. annotation 1.
In addition, in 1945, the U.K. confiscated the land of districts where many Palestinians had lived in for maintenance of security, and gave Jew them.
And, as for the income per one farmer, Jewish income became 2.3 times of Arab.
This drove the remaining Arabic farming family into a corner again, and they parted with their farmland for repaying debt.
On the other hand, the proportion of industrial production by Jewish factory reached 88% in the general industrial production of 1944.
As for employment structure in 1931, Jew was 53% of industry and commerce, and 19% of agriculture, on the other hand, Arab was 20% of industry and commerce, and 57% of agriculture.
The differences of the illiterate rate and capital intensity between both sides widened the wealth gap between both sides, and it strengthened the rule system. annotation 2.
The Jewish non-generosity also effected it.
The Palestinian was driven into a corner by the Jew who kept increasing every day, and the Europe and America were indifferent to the Arab.
Becoming more and more dissatisfied, while they both had repeated a small collisions, and a big military collision happened.
It was the first Middle East War.
This continues the next time.
パレスチナ人が追い込まれる日々、中東戦争前夜まで
19世紀初めパレスチナの人口はユダヤ人5千人、アラブ人26万人だった。
やがてシオニズム(ユダヤ人の国家建設の運動)が盛り上がると、入植者が増え1922年にはユダヤ人が8万人、アラブ人67万人となった。
さらに英国によるパレスチナの委任統治が始まり、ナチスの迫害が開始されると、1939年には、ユダヤ人45万人、アラブ人106万人になった。
ユダヤ人が入植する為にはパレスチナの土地が必要でした。
パレスチナの農地の多くはベイルートなどの大都市に住む非パレスチナの不在地主が所有していた。
その購入資金は世界に散らばるユダヤ人富裕層らの寄付(ユダヤ国家基金)が元手になった。
ユダヤ人はキブツ(農業共同体)のように自ら耕作し、かつての小作人を追い出した。注釈1.
さらに1945年、英国は治安維持の為にパレスチナ人の多い地区の土地を没収し、ユダヤ人に与えた。
また農民一人当たりの収入は、ユダヤ人がアラブ人の2.3倍になっていた。
これがまたアラブ農家を窮地に追い込み、彼らは借金のかたに農地を手放すことになった。
一方、ユダヤ人の所有する工場は全工業生産に占める比率が1944年に88%に達した。
1931年の就業構造は、ユダヤ人が工業と商業で53%、農業で19%に対し、アラブ人は工業と商業で20%、農業で57%になっていた。
両者の文盲率と資本装備率の差が、格差を拡大させ支配体制を強化した。注釈2.
そこにはユダヤ人の不寛容さも働いている。
パレスチナ人は増加するユダヤ人に日々追い込まれ、また欧米はアラブに冷淡であった。
不満が嵩じて小さな衝突を繰り返す内に大きな武力衝突が起きた。
それが第一次中東戦争でした。
次回に続きます。
注釈1.
世界から寄付を募り、土地購入を進めたのはユダヤ国家基金です。
その契約には、ユダヤ人の所有地になった土地は、ユダヤ人だけによって耕作されねばならないと規定されていた。
また、土地は住民のいない状態で引き渡されなければならないとあった。
注釈2.
1970~80年、イスラエルのユダヤ人の文盲率は、出自集団によって0.7~24%の開きがあった。
文盲率が高いのはアジア・アフリカから流入した第一世代で、欧米から流入した第一世代は8%、両者の第二世代は1%ほどになっていた。
イスラエルの公用語はヘブライ語で、帰還者は世界各地で使っていた言語を捨ている。
現在の識字率(文盲率の逆)は97%です。
一方、パレスチナのアラブ人の文盲率は不明だが、1970年代のエジプト・カイロの文盲率が参考になる。
この文盲率は地域により15~43%で、郊外で60%前後であった。
おそらく地方の農村地帯ではさらに文盲率は高いだろう。
19世紀、エジプトの識字率は1%だったが、現在は66%です。
20161031
ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 6: 新幹線の車窓から
< 1.車窓から >
今日は、モスクワからサンクトぺテルブルグまでの新幹線の車窓からの眺めを紹介します。
< 2. 新幹線の停車駅 >
私達の乗った新幹線サプサンは756号で、モスクワを6:40発、サンクトぺテルブルグ着は10:40です。
(前回紹介した754号は間違いでした。)
途中、地図のAとB駅で停車します。
撮影について
この日、走行中は曇りで、時折、小雨が降りました。
しかし、ロシア大陸を650km横断し、北に行くにしたがって変化する景色を写すことが出来ました。
私は列車の進行方向に向かって左側に座り、西南方向を見ている。
写真は撮影順に並んでいます。
< 3. モスクワから30分以内の景色 >
ここまで来ると、周囲は鬱蒼とした森林になり、その間に民家が散在するようになります。
< 4. 最初の停車駅、地図A >
駅は、モスクワから約1時間後に着きました。
下の写真が停車駅のホームです。
新幹線の駅と言っても、在来線の駅と共用しており古いようです。
< 5. モスクワから1時間半以内の景色 >
上の写真も、A駅のホームです。
中央の写真の民家はみすぼらしく、廃屋かどうか不明です。
木々の黄葉が目立つようになって来ました。
新幹線について
サンプサン(新幹線)の線路は在来線と一緒で、ホームも同じものを使用している。
サンプサンは2009年に、ドイツのシーメンス製車両を購入し運転が始まった。
< 6. 2番目の停車駅、地図B >
ここは距離的に中間点の少し手前になります。
新幹線が止まる駅なのですが、周辺の建物からは大都会のイメージはありません。
大自然に囲まれた小都市の趣です。
この駅は人口56000人の都市、Vyshny Volochyokの中央西端にあります。
この地はバルト海に注ぐ川とカスピ海に注ぐヴォルガ川の結節点になります。
古くはヴァイキングがスカンジナビアとビザンチン帝国を結ぶ毛皮の交易路でした。
< 7. モスクワから2時間以内の景色 >
上の写真は、B駅ホームすぐ横の踏切の様子です。
普段着の雰囲気はよくわかります。
中央の写真はB駅ホームすぐ横の景色で、新幹線の駅と言っても、すぐ森になります。
下の写真は川です。
< 8. モスクワから2時間前後の景色 >
< 9. モスクワから2時間半以内の景色 >
この辺りは、なぜか木々が少なく、草原が増えて来ました。
一番下の写真も左側には、ヤギの飼育が見られます。
< 10. モスクワから2時間半前後の景色 >
今まで車窓から、いくつもの大きな湖を見ました。
ここで始めて、大きな牧草地や丘陵地帯を見たように思います。
こちらでは黄葉が進んでいました。
< 11. モスクワから3時間前後の景色 >
中央の写真は湿地帯のようです。
下の写真は大きな川です。
ほとんどの川は護岸工事がされておらず、いかにも自然のままです。
< 12. モスクワから3時間半以内の景色 >
中央の写真の奥にも民家が見えます。
下の写真は、比較的新しい家屋が並ぶ住宅地のようです。
< 13. サンクトペテルブルグまで30分以内の景色 >
アパート群が目立ち始めました。
ロシアの国土の大半は平地で日本の45倍あり、人口は日本より少し多い。
一人当たりのGDPは日本の60%ほどですが、車窓から見た暮らしぶりはもっと低いように感じます。
大都市部のアパートや家屋は文化的な暮らしが可能だろうが、少し離れれば不便で生活水準が低いようです。
< 14. サンクトペテルブルグまで15分以内の景色 >
上の写真で、遮断機の右側の車止めの装置が凄い。
工場は古いのが多いようです。
< 15. サンクトペテルブルグに到着 >
私達が乗って来たサプサンが下の写真の左側に見えます。
下車した乗客には、集団の観光客がほとんどいないようです。
感じたこと
モスクワと新幹線からの景色を見て、ロシアの広大さと人口密度の低さを実感した。
平野は果てしない森林でおおわれ、北部には湿地帯が多い。
広大ではあるけれど、未耕作地が多く、不毛とまでは言えないが、豊かな恵があるとは言えそうにない。
私が見た地域は、ロシアの起源となるキエフ大公国(9~13世紀)の北半分の領域で、当時の主要都市ノヴゴロド近くも通過した。
この地から生まれた王国は農業や牧畜で経済基盤を築けず、勇猛な遊牧民族が去った後、豊かな実りを求めて中央アジアやヨーロッパへと向かったのだろうか。
次回に続きます。
20161030
Bring peace to the Middle East! 40: chain of retaliation 8 : Why the Middle East war began? 1
中東に平和を! 40: 報復の連鎖 8 : なぜ中東戦争は始まったのか? 1
< 1. Jerusalem mayor which surrendered to the British Army in 1917 >
< 1.1917年、英国軍に降伏するエルサレム市長 >
I looked back on the Middle East war last time.
Why did the Arabic countries deprecate nation-building of Israel and open war with Jew?
Before investigating this reason, I take up a rumor about the Middle East war.
前回、中東戦争を振り返りましたが、なぜアラブ諸国はユダヤ人の建国に反対し戦端を開いたのでしょうか?
この理由を探る前に、中東戦争に関するある風説を取り上げます。
About the rumor
"Arab opened war with Jew, and was defeated, so the present tragic situation of Palestinian is a natural consequence."
This is an excuse that Israelis often use.
Is it really true?
I regard this rumor as malicious false rumor due to the following reasons.
ある風説について
「アラブがユダヤに戦争を仕掛け、負けたことが悲惨な現状を生んだのであり、パレスチナは自業自得である。」
これはイスラエル側でよく語られる風説です。
本当にそうだろうか?
私は以下の理由で、この風説は悪意あるデマと考えます。
< 2. The Middle East of 1920s >
<2.1920年代の中東 >
1. The Arab was not able to defeat Jew.
Around that time, the West and the Soviet Union banished Jew from own country, and gave anything including supply weapons in order to let Jew settle down in other area.
In a twist of irony, it did not need to be Palestine.
The world, particularly Christianity countries gave approval of it with atonement and antipathy in their eyes.
In order to win the war, the Arabic countries might have to have opened the war during 1920s.
But it was impossible in those days because the Arab was under the rule of Britain and France.
2. The conflict continued even if the Arab won.
The Jew must have counterattacked by thorough resistance and terrorism, and I think Israel defeated the Arab in some time or other.
We know the Jew ever practiced radical terrorism in the Middle East.
3.Even if the Arab did not open the war, Palestine could not change the situation.
It is difficult for us to understand this.
This reason is because the Jew had financial power, intellect, and network which had overwhelmed Palestinian Arab.
They connected to the world through the Mediterranean Sea by basing on Israel even if it was small.
This is almost same as the Solomon empire in 3,000 years ago.
Thus, Israel overwhelmed Palestine by economic power, military capability, and political might.
This is a typical pattern of the offensive and defensive battle that have been repeated between advanced colonist and indigenous people.
If left untreated, the result is clear.
In other words, the Middle East war did not cause the present tragic situation of Palestine, and was only one derived phenomenon.
1. アラブはユダヤに勝つことが出来なかった。
当時、欧米やソ連はユダヤ人を自国から追い出し、別の地域に定住させるために、兵器供与など何でも行った。
それはパレスチナでなくても良かったのだが。
世界、特にキリスト教国は罪滅ぼしと同情、そして嫌悪が混じる眼差しで、これに賛同した。
アラブ諸国が勝つには、ユダヤ移民が始まった1920代に開戦すべきだったかもしれないが、当時、アラブは英仏の統治下にあったので不可能だった。
2. もしアラブが勝っていても、紛争は続いた。
今度は、ユダヤ人が徹底抗戦とテロで反撃し、早晩イスラエルはアラブを打ち負かしただろう。
中東におけるユダヤ人の徹底抗戦と過激なテロは実績がある。
< 3. Jewish settlement in 1947 >
< 3. 1947年のユダヤ人入植地 >
3. アラブが開戦しなくても、パレスチナのアラブ人の状況を変えることは出来なかった。
ここが分かり難いところですが、ユダヤ人にはパレスチナのアラブ人を圧倒する資金力と知力、ネットワークがあった。
彼らは小さくてもイスラエルの地を拠点することにより、地中海を通じて世界と繋がった。
これは3000年前のソロモン帝国に通じるものがある。
こうして、イスラエルは経済力、軍事力、政治力によって、パレスチナを圧倒した。
これは繰り返されて来た、先住民と先進の入植者との攻防のパターンです。
これを放置すれば、その結果は明白です。
つまり、中東戦争の有無が今のパレスチナ問題を決定づけたのではなく、中東戦争は派生した一つの現象にすぎないのです。
What! Is there a problem?
My point is, a fact unfortunately has been repeated, that a superior group tried to take in and rule an inferior group, and banished and eliminated if the latter did not the follow.
On the other hand, the Jew has been oppressed even though the Jew was an excellent race.
And, now, they seem to get their revenge for 2500 years.
Ironically, the people that were discriminated have oppressed other people adversely.
Even if there is Jew who recognizes the pain of others from the experience, the group's reaction is different unfortunately.
It is a historical fact that most come to overwhelm an enemy from a sense of fear and a chain of the retaliation happens at last.
On the next time, I will consider the situation the Middle East war began.
何が問題なのか
アラブの人々は、私の指摘に怒るかもしれない。
アラブ人を先住民と一緒にするのは言語道断だと!
私が言いたいのは、優勢な集団が劣勢の集団を取り込み支配し、従わなければ追い出し抹殺することは、残念ながら繰り返されて来た事実だということです。
一方、ユダヤ人は優秀な民族であるにも関わらず、虐げられて来た。
そして、今、2500年間の怨念を晴らしているかのようです。
皮肉なことに、差別され虐げられた人々が、逆にそれを繰り返しているのです。
その経験によって他者の痛みを理解するユダヤ人もいるでしょうが、残念ながら集団となると違うのです。
多くは恐怖心から、身構え敵を圧倒するようになり、ついには報復の連鎖が起きてしまうのが歴史です。
次回、具体的に中東戦争が始まる状況を考察します。
< 1.1917年、英国軍に降伏するエルサレム市長 >
I looked back on the Middle East war last time.
Why did the Arabic countries deprecate nation-building of Israel and open war with Jew?
Before investigating this reason, I take up a rumor about the Middle East war.
前回、中東戦争を振り返りましたが、なぜアラブ諸国はユダヤ人の建国に反対し戦端を開いたのでしょうか?
この理由を探る前に、中東戦争に関するある風説を取り上げます。
About the rumor
"Arab opened war with Jew, and was defeated, so the present tragic situation of Palestinian is a natural consequence."
This is an excuse that Israelis often use.
Is it really true?
I regard this rumor as malicious false rumor due to the following reasons.
ある風説について
「アラブがユダヤに戦争を仕掛け、負けたことが悲惨な現状を生んだのであり、パレスチナは自業自得である。」
これはイスラエル側でよく語られる風説です。
本当にそうだろうか?
私は以下の理由で、この風説は悪意あるデマと考えます。
< 2. The Middle East of 1920s >
<2.1920年代の中東 >
1. The Arab was not able to defeat Jew.
Around that time, the West and the Soviet Union banished Jew from own country, and gave anything including supply weapons in order to let Jew settle down in other area.
In a twist of irony, it did not need to be Palestine.
The world, particularly Christianity countries gave approval of it with atonement and antipathy in their eyes.
In order to win the war, the Arabic countries might have to have opened the war during 1920s.
But it was impossible in those days because the Arab was under the rule of Britain and France.
2. The conflict continued even if the Arab won.
The Jew must have counterattacked by thorough resistance and terrorism, and I think Israel defeated the Arab in some time or other.
We know the Jew ever practiced radical terrorism in the Middle East.
3.Even if the Arab did not open the war, Palestine could not change the situation.
It is difficult for us to understand this.
This reason is because the Jew had financial power, intellect, and network which had overwhelmed Palestinian Arab.
They connected to the world through the Mediterranean Sea by basing on Israel even if it was small.
This is almost same as the Solomon empire in 3,000 years ago.
Thus, Israel overwhelmed Palestine by economic power, military capability, and political might.
This is a typical pattern of the offensive and defensive battle that have been repeated between advanced colonist and indigenous people.
If left untreated, the result is clear.
In other words, the Middle East war did not cause the present tragic situation of Palestine, and was only one derived phenomenon.
1. アラブはユダヤに勝つことが出来なかった。
当時、欧米やソ連はユダヤ人を自国から追い出し、別の地域に定住させるために、兵器供与など何でも行った。
それはパレスチナでなくても良かったのだが。
世界、特にキリスト教国は罪滅ぼしと同情、そして嫌悪が混じる眼差しで、これに賛同した。
アラブ諸国が勝つには、ユダヤ移民が始まった1920代に開戦すべきだったかもしれないが、当時、アラブは英仏の統治下にあったので不可能だった。
2. もしアラブが勝っていても、紛争は続いた。
今度は、ユダヤ人が徹底抗戦とテロで反撃し、早晩イスラエルはアラブを打ち負かしただろう。
中東におけるユダヤ人の徹底抗戦と過激なテロは実績がある。
< 3. Jewish settlement in 1947 >
< 3. 1947年のユダヤ人入植地 >
3. アラブが開戦しなくても、パレスチナのアラブ人の状況を変えることは出来なかった。
ここが分かり難いところですが、ユダヤ人にはパレスチナのアラブ人を圧倒する資金力と知力、ネットワークがあった。
彼らは小さくてもイスラエルの地を拠点することにより、地中海を通じて世界と繋がった。
これは3000年前のソロモン帝国に通じるものがある。
こうして、イスラエルは経済力、軍事力、政治力によって、パレスチナを圧倒した。
これは繰り返されて来た、先住民と先進の入植者との攻防のパターンです。
これを放置すれば、その結果は明白です。
つまり、中東戦争の有無が今のパレスチナ問題を決定づけたのではなく、中東戦争は派生した一つの現象にすぎないのです。
What! Is there a problem?
My point is, a fact unfortunately has been repeated, that a superior group tried to take in and rule an inferior group, and banished and eliminated if the latter did not the follow.
On the other hand, the Jew has been oppressed even though the Jew was an excellent race.
And, now, they seem to get their revenge for 2500 years.
Ironically, the people that were discriminated have oppressed other people adversely.
Even if there is Jew who recognizes the pain of others from the experience, the group's reaction is different unfortunately.
It is a historical fact that most come to overwhelm an enemy from a sense of fear and a chain of the retaliation happens at last.
On the next time, I will consider the situation the Middle East war began.
何が問題なのか
アラブの人々は、私の指摘に怒るかもしれない。
アラブ人を先住民と一緒にするのは言語道断だと!
私が言いたいのは、優勢な集団が劣勢の集団を取り込み支配し、従わなければ追い出し抹殺することは、残念ながら繰り返されて来た事実だということです。
一方、ユダヤ人は優秀な民族であるにも関わらず、虐げられて来た。
そして、今、2500年間の怨念を晴らしているかのようです。
皮肉なことに、差別され虐げられた人々が、逆にそれを繰り返しているのです。
その経験によって他者の痛みを理解するユダヤ人もいるでしょうが、残念ながら集団となると違うのです。
多くは恐怖心から、身構え敵を圧倒するようになり、ついには報復の連鎖が起きてしまうのが歴史です。
次回、具体的に中東戦争が始まる状況を考察します。
20161027
ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 5: モスクワ 4
< 1.レニングラード駅前 >
今日は、早朝、モスクワ発の新幹線に乗るまでを紹介します。
この日の動き
2016年9月29日、朝5時、ホテル近くのモスクワ川沿いまで少し散策しました。
そして5:30にモスクワのホテルをバスで出発し、レニングラード駅に向かいました。
6:30発のサプサン(新幹線)に乗って、3時間45分後にはサンクトぺテルブルグに着きます。
< 2. ホテル周辺 >
上の写真: 私達が宿泊したホテル、KATERINA CITYが運河の左側に見える。
この運河はモスクワ川と並行して流れている。
ここはクレムリンからモスクワ川沿いに東南へ3.5km行ったところです。
撮影は朝の5時頃です。
下の写真: ホテルの前の運河を挟んだ向かいにある建物群。
中央の白いタワーはホテルのSwissotel Krasnye Holmy、右側のドームはコンサートホールです。
周辺の道路はゴミ一つなく、ちょうど散水車が路面に散水していた。
< 3. モスクワ川 >
上の写真: ホテル近くのモスクワ川の河岸から南の方向を撮影。
下の写真: 北の方向、クレムリンの方向を撮影。
橋中央の遠方に微かに見えるのは高さ176mの芸術家アパート、Stalin skyscraper in Moscow(Residential building on the waterfront Tinkers)です。
この建物はスターリンがニューヨークの摩天楼に負けじと1950年代に建てさせたスターリン様式のビルの一つです。
モスクワには7つありますが、かつての共産国の首都ワルシャワやリガにも建っている。
< 4. レニングラード駅周辺 >
上の写真: レニングラード駅の向かいにあるカザンスキー駅。
これは中央アジア方面行きなどの始発駅です。
下の写真: レニングラード駅前からヤロスラフスキー駅の方を見ている。
ヤロスラフスキー駅はシベリア鉄道の起点です。
モスクワ・サンクトぺテルブルグ鉄道の駅はレニングラード駅だが、ここには大きな駅が三つ集まっている。
< 5. レニングラード駅前 >
上の写真: レニングラード駅正面。
下の写真: 朝6時、駅前を行く人々。
< 6. レニングラード駅構内 >
私達が乗るのは6:30発の754便です。
構内は、早朝なのに人で一杯でした。
集団客は少ないのですが、私達も含めて東アジア系の観光客が目につきました。
< 7. いよいよホームへ >
手荷物検査を受けてホームに進みます。
私達が乗るサプサンです。
< 8. いよいよ乗車します >
10両編成の前の方にある4号車に乗るので、ホームの先端に向かって歩きます。
いよいよ乗車です。
何か気ぜわしくもあり、心躍る瞬間でもあります。
< 9.列車内、他から借用 >
私達の4号車は2等座席で、1等座席と違って食事がついていません。
朝食は、ホテルが用意したパンの弁当を車内で食べました。
私達夫婦が座ったのは、地図の赤丸で、テーブルを囲んだ席でした。
車両は綺麗で、シートは狭くなく、音楽が聴けるイヤホーンも付いています。
4時間弱、快適に過ごしました。
チケット料金は1等座席の半分ぐらいでなので、私はこれで満足です。
スーツケースの置き場が車両毎に数か所ありますが、少し狭いようです。
次回に続きます。
20161026
Something is strange! 50: Wonder of the U.S. presidential election
何か変ですよ! 50: 米国大統領選の不思議
*1
There is what I always have wondered about.
Why will people look the other way on future crises?
I look at such example in current the U.S. presidential election.
私は常々、不思議に思うことがあります。
なぜ人々は未来の危機から目を逸らすのでしょうか?
その例を米国大統領選から見ます。
Wonder of the U.S. presidential election
To emerge from current distressed condition, certain people refuse existing politician, and appeal the necessity of Donald Trump being a shrewd manager.
Will they appeal it knowing who invited the current distressed condition?
At every presidential election, they have chosen certain political party which used the dangerous means (reduction tax, favorable treatment of a wealthy class, monetary increase, deregulation) under the pretense of economic revitalization.
As a result, the economy of the U.S. rose, but financial crisis was repeated, and income gap continued to spread.
Some economists always sounded an alarm bell for this crisis.
米国大統領選の不思議
トランプ氏を支持する人々は、今の窮状から抜け出すには、既存の政治家ではだめで、経営者トランプ氏の辣腕が必要と訴える。
彼らは、誰が今の状況悪化を招いたかを知って訴えているのでしょうか?
彼らは大統領選の度に、経済活性化と称して危い手段(減税、富裕層優遇、貨幣増発、規制撤廃)を使う政党を選んだ。
その結果、米国の経済は上昇したが、金融危機は繰り返され所得格差は拡大する一方でした。
以前から、一部の経済学者はこの危機に警鐘を鳴らしていた。
< 2. The U.S. economic growth and a change of income >
< 2.米国の経済成長と所得の推移 >
Upper chart: a green line is the U.S. economic growth.
The economy increased to approximately 2.3 times between 1980 and 2010.
Lower chart: a change of each quintile income.
The highest income class increased to approximately 2 times between 1980 and 2010, but the lowest income class only increased to approximately 1.1 times in the same period.
上のグラフ: 緑線が米国の経済成長。
1980-2010年の間で約2.3倍に経済は拡大した。
下のグラフ: 年収5分位の年収の推移。
1966-2010年の間で、最高所得層は約2倍、最低所得層は約1.1倍に過ぎなかった。
< 3. changes of income differentials and political party approval rating in the U.S. >
< 3.米国の所得格差と政党支持率の推移 >
Upper chart: a dark blue line is a change of Gini coefficient in the U.S.
Three green frames show the political administration by other political party.
The bigger the Gini coefficient, the larger the income differentials.
Lower chart: a black line indicates the approval rating of unaffiliated voters.
The different political party have corrected the income differentials, so the Gini coefficient decreased, but it was like a drop in the ocean.
In addition, the ardent support to the political party decreased, and unaffiliated voters increased, and distrust of politics advanced.
They ignored these clear omen for 20 years, and only demanded near-term economic recovery.
In an extreme case, it may be said that they appealing invited this current distressed condition.
Furthermore, will they jump at the stopgap dangerous policy here?
I think this is mysterious.
上のグラフ: 紺色の線が米国のジニ係数の推移。
緑の枠が別の政党の政権時代。
ジニ係数の高い方が、所得格差が大きい。
下のグラフ: 黒線が無党派層の支持率。
別の政党は逆の手段を講じ格差を是正し、ジニ係数は低下したが、焼け石に水だった。
また政党への熱烈な支持が減り、無党派層が増えて、政治不信が進んでいた。
20年も前から、これら予兆は明らかだったのに、彼らはこれらを無視し目先の景気回復を求めた。
極論すれば、今、訴えている人々が、この窮状を招いたと言える。
さらに、ここで急場しのぎの危い政策に飛びつくのでしょうか?
私は、このことが不思議でならない。
Why will the people ignore omen of crisis?
The reason is mainly three.
1. Person does not notice the omen of the crisis.
This is because the person shows disinterest in it and is a lack of understanding about it.
2. Person can not evaluate which crisis is the most important.
Even if the person interested about future crises, it is difficult to evaluate them because future crises are almost innumerable.
For example, these crises are war, economic ruin, global warming, resource depletion, and refugees.
Furthermore, there is an embarrassing situation.
The huge vested interest group makes full use of political ability and propaganda.
Because of this, it becomes hard to see more and more what is true crisis.
For example, this vested interest group is people profiting from expansion of income gap, war, or oil consumption.
3. Person does not know good measure.
People being amateur cannot but choose opinion of the expert, and this is also difficult.
Thus, it is considerably difficult that person foresees future crisis, takes measures beforehand.
なぜ人々は危機の予兆を無視するのでしょうか?
その理由は大きく三つあります。
1.危機の予兆がわからない。
これは人々の無関心と無理解が一番大きい。
2.どの危機を重視すべきかがわからない。
関心があったとしても、将来の危機はほぼ無数にあるため、何を優先すべきが分からない。
例えば危機には戦争、経済破綻、地球温暖化、資源の枯渇、難民などがあります。
さらに厄介なのが、巨大な既得権益層が政治力とプロパガンダを駆使していることです。
これにより国民は何が真の危機かが益々見え難くなります。
既得権益層とは所得格差や戦争、石油消費などの拡大で利益を得る人々です。
3.対策がわからない。
素人の国民は専門家の説を取捨選択するしかなく、これがまた難しい。
結局、将来の危機を予見し、事前に対策することは、かなり困難なのです。
At the end
But, when I look back on world history, there were many crises that we must prevent the buds of at an early stage.
One of a large number of crises approaches the limit, and the crisis comes out in the open in response to something suddenly.
And the people lose cool, and may take a wrong course to the opposite direction.
This often caused the worst situation.
The typical case is fascism that happened in Germany or Japan after the imperialism era.
The most important is that people deepen understanding about social problem and history, keep monitoring the political developments, and deal with buds of crisis calmly.
最後に
それでも歴史を振り返ると、危機の芽を早めに摘んでよけば良かったと言うことは多い。
多数の危機のいずれかが限界に近づき、何かを切っ掛けにして危機が突然表面化することになります。
そして人々は、冷静さを失い舵を大きく逆方向に切り過ぎることがあります。
これが往々にして最悪の事態を招いて来た。
帝国主義時代の後に起こった、ドイツや日本のファシズムなどがその典型です。
重要なことは、国民が社会問題や歴史について理解を深め、日頃から政治を監視し、冷静に対処し続けることです。
*1
There is what I always have wondered about.
Why will people look the other way on future crises?
I look at such example in current the U.S. presidential election.
私は常々、不思議に思うことがあります。
なぜ人々は未来の危機から目を逸らすのでしょうか?
その例を米国大統領選から見ます。
Wonder of the U.S. presidential election
To emerge from current distressed condition, certain people refuse existing politician, and appeal the necessity of Donald Trump being a shrewd manager.
Will they appeal it knowing who invited the current distressed condition?
At every presidential election, they have chosen certain political party which used the dangerous means (reduction tax, favorable treatment of a wealthy class, monetary increase, deregulation) under the pretense of economic revitalization.
As a result, the economy of the U.S. rose, but financial crisis was repeated, and income gap continued to spread.
Some economists always sounded an alarm bell for this crisis.
米国大統領選の不思議
トランプ氏を支持する人々は、今の窮状から抜け出すには、既存の政治家ではだめで、経営者トランプ氏の辣腕が必要と訴える。
彼らは、誰が今の状況悪化を招いたかを知って訴えているのでしょうか?
彼らは大統領選の度に、経済活性化と称して危い手段(減税、富裕層優遇、貨幣増発、規制撤廃)を使う政党を選んだ。
その結果、米国の経済は上昇したが、金融危機は繰り返され所得格差は拡大する一方でした。
以前から、一部の経済学者はこの危機に警鐘を鳴らしていた。
< 2. The U.S. economic growth and a change of income >
< 2.米国の経済成長と所得の推移 >
Upper chart: a green line is the U.S. economic growth.
The economy increased to approximately 2.3 times between 1980 and 2010.
Lower chart: a change of each quintile income.
The highest income class increased to approximately 2 times between 1980 and 2010, but the lowest income class only increased to approximately 1.1 times in the same period.
上のグラフ: 緑線が米国の経済成長。
1980-2010年の間で約2.3倍に経済は拡大した。
下のグラフ: 年収5分位の年収の推移。
1966-2010年の間で、最高所得層は約2倍、最低所得層は約1.1倍に過ぎなかった。
< 3. changes of income differentials and political party approval rating in the U.S. >
< 3.米国の所得格差と政党支持率の推移 >
Upper chart: a dark blue line is a change of Gini coefficient in the U.S.
Three green frames show the political administration by other political party.
The bigger the Gini coefficient, the larger the income differentials.
Lower chart: a black line indicates the approval rating of unaffiliated voters.
The different political party have corrected the income differentials, so the Gini coefficient decreased, but it was like a drop in the ocean.
In addition, the ardent support to the political party decreased, and unaffiliated voters increased, and distrust of politics advanced.
They ignored these clear omen for 20 years, and only demanded near-term economic recovery.
In an extreme case, it may be said that they appealing invited this current distressed condition.
Furthermore, will they jump at the stopgap dangerous policy here?
I think this is mysterious.
上のグラフ: 紺色の線が米国のジニ係数の推移。
緑の枠が別の政党の政権時代。
ジニ係数の高い方が、所得格差が大きい。
下のグラフ: 黒線が無党派層の支持率。
別の政党は逆の手段を講じ格差を是正し、ジニ係数は低下したが、焼け石に水だった。
また政党への熱烈な支持が減り、無党派層が増えて、政治不信が進んでいた。
20年も前から、これら予兆は明らかだったのに、彼らはこれらを無視し目先の景気回復を求めた。
極論すれば、今、訴えている人々が、この窮状を招いたと言える。
さらに、ここで急場しのぎの危い政策に飛びつくのでしょうか?
私は、このことが不思議でならない。
Why will the people ignore omen of crisis?
The reason is mainly three.
1. Person does not notice the omen of the crisis.
This is because the person shows disinterest in it and is a lack of understanding about it.
2. Person can not evaluate which crisis is the most important.
Even if the person interested about future crises, it is difficult to evaluate them because future crises are almost innumerable.
For example, these crises are war, economic ruin, global warming, resource depletion, and refugees.
Furthermore, there is an embarrassing situation.
The huge vested interest group makes full use of political ability and propaganda.
Because of this, it becomes hard to see more and more what is true crisis.
For example, this vested interest group is people profiting from expansion of income gap, war, or oil consumption.
3. Person does not know good measure.
People being amateur cannot but choose opinion of the expert, and this is also difficult.
Thus, it is considerably difficult that person foresees future crisis, takes measures beforehand.
なぜ人々は危機の予兆を無視するのでしょうか?
その理由は大きく三つあります。
1.危機の予兆がわからない。
これは人々の無関心と無理解が一番大きい。
2.どの危機を重視すべきかがわからない。
関心があったとしても、将来の危機はほぼ無数にあるため、何を優先すべきが分からない。
例えば危機には戦争、経済破綻、地球温暖化、資源の枯渇、難民などがあります。
さらに厄介なのが、巨大な既得権益層が政治力とプロパガンダを駆使していることです。
これにより国民は何が真の危機かが益々見え難くなります。
既得権益層とは所得格差や戦争、石油消費などの拡大で利益を得る人々です。
3.対策がわからない。
素人の国民は専門家の説を取捨選択するしかなく、これがまた難しい。
結局、将来の危機を予見し、事前に対策することは、かなり困難なのです。
At the end
But, when I look back on world history, there were many crises that we must prevent the buds of at an early stage.
One of a large number of crises approaches the limit, and the crisis comes out in the open in response to something suddenly.
And the people lose cool, and may take a wrong course to the opposite direction.
This often caused the worst situation.
The typical case is fascism that happened in Germany or Japan after the imperialism era.
The most important is that people deepen understanding about social problem and history, keep monitoring the political developments, and deal with buds of crisis calmly.
最後に
それでも歴史を振り返ると、危機の芽を早めに摘んでよけば良かったと言うことは多い。
多数の危機のいずれかが限界に近づき、何かを切っ掛けにして危機が突然表面化することになります。
そして人々は、冷静さを失い舵を大きく逆方向に切り過ぎることがあります。
これが往々にして最悪の事態を招いて来た。
帝国主義時代の後に起こった、ドイツや日本のファシズムなどがその典型です。
重要なことは、国民が社会問題や歴史について理解を深め、日頃から政治を監視し、冷静に対処し続けることです。
20161023
ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 4: モスクワ 3
< 1.マネージ広場の電飾 >
今日は、モスクワの赤の広場を紹介します。
< 2. クレムリンと赤の広場の地図、地図の上が南 >
前回に続いて、アレクサンドロフスキー庭園を出た番号5以降を紹介します。
赤線はグム百貨店の自由散策と夕食のレストランEへの道筋です。
< 3. マネージ広場 >
2枚の写真は地図の番号5から写した。
時刻は18:20頃です。
上の写真: 国立歴史博物館。
この後ろが赤の広場です。
下の写真: 国立歴史博物館の前から見たマネージ広場。
たくさんの屋台が出ていた。
< 4.いよいよ赤の広場へ >
上の写真: ヴァスクレセンスキー門。
手前に小さな礼拝堂があり、門を抜けると赤の広場です。
下の写真: 赤の広場に入って最初に出会うのが左側のカザンの聖母聖堂です。
この教会は1612年のポーランド軍の侵攻を防いだことを記念して建設された。
しかし、この聖堂もヴァスクレセンスキー門も共に、スターリンによって破壊されたが、1990年代に再建された。
< 5.赤の広場 >
上の写真: 左がグム百貨店、中央はワシリー寺院、右がクレムリンです。
クレムリンの城壁でライトアップされている塔はスパスカヤ塔で、その手前にレーニン廟がある。
ワシリー寺院はモンゴルとの戦勝を記念してイワン雷帝によって1560年に建てられた。
中央の写真: ワシリー寺院と対峙するように国立歴史博物館がある。
下の写真: レーニン廟。
その左手に並ぶ像の内の一つがスタ-リンの墓です。
スターリンは初めレーニンと並んで安置されたが、1961年、スターリン批判の折に現在の場所に移された。
レーニン廟のひな壇は赤の広場で国家的行事が行われる際、首脳が観閲し演説する場所です。
< 6. グム百貨店 >
広い石畳の広場に電飾で光輝き、夕闇に浮かび上がる堂々としたグム百貨店は感動ものでした。
< 7.グム百貨店の内部 1 >
百貨店は三階建てで、中は三つのアーケードが並び巨大です。
全体にゆったりとしており、清潔で落ち着いた店が並んでいます。
ブランド店、土産物店、食品店などがあります。
< 8.グム百貨店の内部 2 >
様々な店があり商品は豊富ですが、価格は高めです。
飲食出来る店は少ないようです。
< 9. グム百貨店の内部 3 >
私はマンウオッチングをしていました。
訪問したのは水曜日の夜7時頃なので、観光客もいたが、近所の人や通勤帰りの買い物客が多かったようです。
結構、モスクワの人はスタイリッシュでスマートでした。
下の写真のような服装の人達はむしろ珍しい。
西欧と比べて、百貨店内では観光客を除いて黒人やアジア系、中東系の人をほとんど見なかった。
少ない観光客で、多かったのは東アジア、それも中国系(大陸か台湾)でした。
後に困惑することになるのですが。
< 10. 二コリスカヤ通り >
この通りは、地図の番号9です。
上の写真: クレムリンを振り返ったところ。
左がグム百貨店、右がカザンの聖母聖堂です。
下の写真: 上の写真と反対側を見ている。
ここをまっすぐ行くと旧KGB本部ビルがある。
感想
当初想像したいた以上に豊かな生活がそこにはありました。
ソ連崩壊後、テレビで見た品不足で並ぶ市民の姿は嘘のようです。
プーチン大統領になって、生活は良くなっているのでしょう。
訪問前、私はロシアのスラブ人男性は巨体で屈強なイメージを抱いていましたが、そのような人も見かけますが、全体としてはそうではなかった。
次回に続きます。
Subscribe to:
Posts (Atom)