20141215

Traveling to Spain and Portugal 25: Porto of wine town, on the 9th trip, October 20


スペインとポルトガルを巡る旅 25: ワインの町ポルト、9日目、10月20日



a view of old city in the opposite bank from a winery 

< 1. a view of old city in the opposite bank from a winery >
< 1. ワイナリーから対岸の旧市街を望む >

Today, I introduce the old city of Porto famous for wine.
今日は、ワインで有名なポルトの旧市街を紹介します。



 2.  Ponte D. Luis >
< 2. ドン・ルイス1世橋 >
Our bus ran while we were glancing sideways at many bridges that span Rio Douro.
Finally, the bus approached the bridge that was indispensable to scenery of Porto.
It was none of cloud in the sky, the form was gradually appearing, and my heart beat faster.

About Porto

Porto is a commerce city, an industry city, and is the second city of Portugal.
This place was a port town (Porutus) before Christ, and the name of Portugal originates in it.
In the 11th century, a French aristocrat who played an active part in Reconquista was given the whole of Rio Douro watershed
At this time, seedling of grape was brought.
In the 12th century, they gained this side of Lisbon neighborhood, went independent from Islam power and the neighboring country, and Portuguese kingdom was born.
At this time, Coimbra became capital city, and Porto had become main harbor city.
The southern coast of Rio Douro that is lined with many wineries prospered in the Roman era.

ドウロ川に架かる幾つもの橋を横目にしてバスは走る。
いよいよバスがポルトの景観に欠かせない橋に近づいて来た。
空には雲一つ無く、徐々にその姿を現してくる、私の胸は躍る。

ポルトについて
ポルトはポルトガル第2位の商工業都市です。
ここは紀元前からの港町(ポルトゥス)で、国名ポルトガルはこれに由来する。
11世紀、レコンキスタで活躍したフランス貴族にドウロ川一帯を与えられた。
この時、ブドウの苗が持ち込まれた。
12世紀、彼らはリスボン近くまでを掌中に納め、イスラム勢力と隣国から独立し、ポルトガル王国が誕生した。
この時、コインブラが首都になり、ポルトは主要港湾都市になっていた。
ローマ時代は、現在のワインナリーが並ぶドウロ川南岸が栄えていた。


a view of the old city from the opposite bank of Rio Douro 

< 3.  a view of the old city from the opposite bank of Rio Douro 
< 3. ドウロ川越えに旧市街を望む、180度パノラマ >
It is a view from a winery side.
The right side is in the upper reaches, the east side, and we can see Ponte D. Luis. 
When we go a distance of about 4 km to the left side, I reach the Atlantic.

ワイナリー側からの眺め。
右側が上流、東側で、ドン・ルイス1世橋が見える。
左側に4kmほど行くと大西洋に出る。


 a view of the old city from the opposite bank of Rio Douro

< 4.  a view of the old city from the opposite bank of Rio Douro 
< 4.ドウロ川越えに旧市街を望む >
Se (cathedral) is a gray building in the left side of the big white building on the hill.
丘の上の大きな白い建物の左側にある灰色の建物がカテドラルです。


 Rio Douro and a winery

< 5. Rio Douro and a winery >
< 5. ドウロ川とワイナリー >
The ship that carries wine barrels is moored.
The opposite bank is Cais da Ribeira that was lined with restaurants and shops.
It was the port for the open sea route once.
We visit here with long walking at night.

This place is a winery of Sandeman.
I sampled two kinds of wine, and after all it were delicious.

ワイン樽を運ぶ船が係留されている。
対岸はカイス・ダ・リベイラで、レストランや店が並ぶ。
かつては外洋航路の港だった。
私達は夜の町歩きでここを訪れます。

ここはサンデマンのワイナリーです。
2種類のワインを試飲したが、やはり美味でした。


the old city

< 6.  the old city >
< 6. 旧市街 >
Upper photo:  The monument to Henry the Navigator is in Parca Infante Dom Henrique.
Central photo:  The right side of the photo is Igreja de Sao Francisco (church) that was built in the 14th century.
Lower photo:  There is Igreja dos Congregados(church) in the center, and Estacao de San Bento(train station) in the right side.
Azulejos that decorates the wall inside the station, and the front of the church is beautiful.
We visit here with long walking at night.

上図: エンリケ航海王子広場。青銅像はエンリケ。
中央図: 写真の右側に14世紀に建てられたサン・フランシスコ教会。
下図: 中央にコンクレガドス教会、右にサン・ベント駅。
教会の正面と駅内の壁面を飾るアズレージョが美しい。
夜の町歩きでここを訪れます。


 Se(cathedral) and a view from it

< 7.  Se(cathedral) and a view from it >
< 7. カテドラルと眺望 >

This cathedral was built in the Romanesque style in the 12-13th century, and after that, extension and alteration were accomplished by the Gothic style.
It is the oldest building in this city.
Upper two photos: The appearance of the cathedral.
Lower two photos:  Views from the open space of the cathedral.
The upper photo is a view of the north side, and the spire in the left side is Igreja e Torre dos Clerigos (church).
The lower photo is a view of Rio Douro.

カテドラルは12~13世紀、ロマネスク様式で建てられ、後にゴシック様式による増改築がなされた。
これは市内で最も古い建物。
上図二つ: カテドラルの外観。
下図二つ: カテドラルの広場からの眺望。
上側は、北側の眺望で、左の尖塔はクレリゴス教会。
下側は、ドウロ川の眺め。


Inside of the cathedral 

< 8. Inside of the cathedral >
< 8. カテドラルの内部 >


Inside of the cathedral

< 9.  Inside of the cathedral >
< 9. カテドラルの内部 >
The rose window on the gate of the front is beautiful.
All things are beautifully, and as I am staying in the chapel that reflects dim light, my heart becomes pure.

On the next time, I introduce the walking of Porto at night.

正面の門の上にあるバラ窓が美しい。
すべてが美しく、微かな光りを受けて浮かび上がる堂内に居ると、清廉な気持ちになっていく。

次回は、ポルトの町歩きと夜を紹介します。





20141213

何か変ですよ 36: 困難な選択 4



昨日は、国の累積赤字を検討しました。
今日は、平和と安全を見ます。

Ⅰ 平和と安全
私達にとって最も必要なものだが、今の日本に暮らしていると有り難みは薄い。
人々の生命と生活を危険から守ること、堅い表現をすれば安全保障を向上させることです。
それではどのような問題があるのでしょうか?
戦争やテロ、食料危機、資源枯渇、エネルギー危機、疫病の蔓延、医療や福祉の後退なのです。

Ⅱ 皆さん、以下の状況設定を少しだけ考えて下さい。

A. 収入が3年後に1割増えるが、7年後以降、今までにない恐慌が来るとしたら、あなたは・・
B. 今、大国と軍事同盟を結び安全を図るが、6年後には大国間の争いに巻き込まれるとしたら、あなたは・・
C. 生活水準を1割落とせば、資源枯渇、エネルギー危機、福祉の後退を40年間程遅らすことが出来るとしたら、あなたは・・・

答えは出ましたか?
おそらく明確に態度表明する人はいないでしょう。
多くの人はAとBを受容し、Bを拒否する傾向にあります。
人の心理は、身近に起きる事を重視し、先の事は軽視する傾向にあります。
さらに将来の事は不明瞭で理解が困難であれば、なおさら回答を永久に保留することでしょう。

歴史は、人類が自然や社会の悪化を薄々感じながら総意と協力が生まれず放置したことにより、最後にはしっぺ返しを受けたことを物語っています。
多くの土壌流失、林野消失、耕作地の疲弊、公害汚染、漁獲高激減など自然に関わる事、ハイパーインフレ、財政悪化、恐慌、軍国化、治安悪化などの社会に関わる事は、繰り返し起きました。

Ⅲ 残念な事に
10年後以降、最初に掲げた安全保障の危機はかなりの確率で起こるでしょう。
主要な危機を確認します。

1.資源枯渇 : 一部の鉱物資源は今後10年以内に枯渇の可能性があります。
なかには価格の高騰で使用量が減り、その間に代替物質が出始め、事なきを得るかもしれません。
しかし過去と違うのは化合物ではなく元素物質の枯渇です。
当然、他の資源も限界は見えつつあります。

2.エネルギー危機 : 化石燃料とクリーンエネルギーの普及の兼ね合いが重要です。
化石燃料は使用量が変わらなければ数十年で枯渇するものがあります。
しかし風力発電や太陽光発電などが普及すれば、それを補える可能性があります。
現状は効率(経済、技術)がネックになり、全量代替するまでには行かない。
日本は太陽電池の着手は早かったのだが、原発に傾注している間に欧州に完全に追い抜かれた。

最重要課題は原子力発電の扱いです。
地球温暖化と経済効率を考えれば、現有設備のある原子炉を利用するのが得策です。
しかし地震列島を考えれば、取り返しのつかない放射能災害は不可避です。
またテロの標的としても危険です。
またウラン入手は限定されており、安定供給の面でも問題がある。

3.食料危機 : 人口増を賄う食料は、単位面積当たりの収穫量増と養殖による水産物に依存しています。
既に、地球上の耕作地は増加せず、自然からの水産物は頭打ちです。
地球温暖化が進むと、単に気温の上昇だけではなく、各地で気候変動が起こり、収穫減や疫病・害虫の発生が起きます。
このことは歴史上、平均気温1~3℃の上下でも起きています。
当然、人口増が枯渇に拍車をかけます。

4.戦争の危機 : 日本は危険な状況に一歩一歩近づいています。

社会の右傾化が進んでいます。
ここ数年、国境問題が再燃し、過激な意見が関心を集め、それに乗る政治家やマスコミが人気を博しています。
これは外部要因と言うより、戦争が忘れられ、社会に不満が鬱積すると起きる現象です。
これは世界も日本も、かつて幾度も繰り返して来た戦争への兆候でしょう。

隣国との関係が悪化しています。
これは上記の右傾化に呼応し、互いの歴史認識が不完全な為、悪化し続けています。
これに輪を掛けているのが中国の覇権化と米国の衰退による駆け引きです。
かつての帝国が陥ったように、米国も広大な防御線を維持できず、日本に応分の負担を望んでいます。
一方、中国の急伸に対し、米国は仮想敵国への前線基地として日本を益々手放せません。
こうして集団安全保障の名分のもとに軍事同盟を強化する現政権を米国が歓迎することになります。
かつ日本政府が東アジア(中国)に接近することを嫌い、米国は暗躍することになります。
これは一大統領の問題というより、米国の軍事スタンスが継続されているからです。

世界は今までに経験したことのない状況に突入しようとしています。
既に資源エネルギーや食料問題で触れましたが、地球は限界に達しつつあるので、安易な逃げ道や解決策がない。
つまり放置すれば浪費してしまい、最後には奪い合いに至る。

詳しくは連載「私達の戦争」「戦争の誤謬」「人類の歩みと憲法」で扱っています。


Ⅳ 現在、進行中の世界の変化
直接的に安全を脅かす問題とは言えないが、現在進行中の変化を確認して起きます。
これらのことが間接的に、平和と安全に影響することになる。

1.経済と軍事のバランスが変化している
アジアの東部(インド、東南アジア、東アジア)の経済圏は益々成長し、やがて世界経済を牽引することになる。
ソ連崩壊後、ある時は米国の独走を抑え、EUは米国と共に世界をリードし、世界に貢献したと言える。
今後、それにアジア東部が加わり、より世界が経済的にも軍事的にも民主的な運営に近づく可能性が出てくる。
当然、米国の一強体制は、上記状況に加え自国の経済的、財政的状況から低下していくでしょう。

2.先進国の政治と経済の状況が悪化している
経済問題は既に触れたように、大半の欧米諸国は、ここ30年ほど、金融緩和策に依存したことにより繰り返す金融危機の罠にはまり、喘いでいます。
5~10年毎のバブル崩壊後、バブルの元凶を税金で助け、借金でカンフル剤の大量投与を繰り返し、さらに傷口は深くなっています。
その結果、どこ国も所得格差が拡大しています。

ここで皆さんがあまり気づかない不思議なことが進行しています。
格差拡大の中で累進課税が崩れ、益々、所得格差が広がる結果になっているのです。
普通なら、国民は気が付くはずなのですが・・。
手品の種は簡単なのです。
「法人税や所得税を多くすれば、企業や金持ちが国外に逃げるから・・」
これは間違っていませんね、おそらく・・
しかし、一呼吸おいて、少し考えて下さい。
実は、この元凶は米国なのです。
米国は共和党政権毎に、はた迷惑なのですが、それらの大減税を繰り返しているのです。
するとこのグローバルな世界では、悪貨は良貨を駆逐することになるのです。

こんなに状況が悪化しているのに国民はどう反応しているのでしょうか?
二つの側面があります。
米国で顕著なのですが、マスコミは昔と違って大商売人に牛耳られ、国民に真実が伝わらず、不満が別の方向に煽られるようになっている。
政治も少数の大量資金供給層に左右されるようになって来ている。

その反動か、先進国の国民は政治に失望し無関心になり、政党支持者が減り、無党派層が増えています。
せっかく大戦後、二大政党制を目指し上手くいった時期もありましたが、現在、どこも多党化が進んでいます。
この傾向はここ20年ほど、先進国で確実に進行しています。

Ⅴ 最後に
今回は、問題点を挙げるだけで終わりました。
今回の選挙が唐突だった為、わたしも選挙準備が出来ていませんでした(笑い)。
皆さんに、何か指針になるような記事を書こうと思ったのですが、間に合いませんでした。

安部さんは、はっきり言って、政治手腕が抜群です。
政党や官僚をまとめ、国民の気を惹き、新手の政策を恐れず断行するところなどは群を抜いています。

しかし、気になるところがあります。
今回の選挙などがそうですが、政局を有利する為だけに平気で嘘をつき、その嘘ぶりが並の役者では足下にも及ばない。
さらに国民の中には、解散については嘘を言っても良いのだと、疑うこともしない。
確かに政治家は嘘をつくのが当たりまえとはいえるが。
ここに日本の政治風土の悲しさがあるように思える。

もう一つは、既に解説したように、彼の目指すのはここ数十年の悪弊を踏襲しているだけなのです。
新機軸のように映るかもしれませんが、すべて日本と欧米がやって来たこと、日銀が恐れていたことをやろうとしているだけなのです。
日銀の恐れが妥当かどうかは別にして。
米国の関係もそうです、今、世界は変貌しつつあるのですが。

世界の為替や株に投資している人はわかっているはずですが。
彼が政権に就いた時は、金余りの中で日本の株価だけが出遅れ、円安はその1年前から始まっていたのです。
震災復興が軌道に乗った時に、彼が現れたのも幸運でした。
それらのタイミングを生かす能力は卓越していますが。

皆さんに幸運が訪れますように祈っています。
今回の連載はこれで終わります。



 

20141212

何か変ですよ 35: 困難な選択 3




    

前回、リフレ策を見ました。
今回は、私が最も危機感を持っている国の累積赤字を検討します。
これは増税とリフレ策に関わります。

累積赤字とは
国と地方自治体が長年借金し続けた1000兆円以上の残高で、元金返済と金利を払い続けなければならない。
日本の国民と企業が預けた資金を国が既に使ってしまい、この借金を将来誰かが工面して返済しなければならない。

なぜ累積赤字は増えるのか
今、国が返済すれば問題は無いが、むしろ急激に増加している。
その理由は、主に三つあります。
A.毎年の借金(国債発行)が増えている。
B.毎年の国債利払いが増えている。
C.毎年の税収が少ない。


< 2. 政府債務残高の推移の国債比較、「社会実情データ図録」より >

上記三つの要因を見ます
A.これは政府の体質に起因し、収入以上に浪費する癖がついているからです。
例えば、税収40兆円で80兆円の事業をするからです。
増税出来れば良いのですが、増税する前にすべきこと、増税の方法などに問題があり、進みません。
今回は省きます。

公共工事を例に見てみましょう
例えば、景気浮揚の為と言って、国民から毎年10兆円集金して土木工事をします。
これで税収が毎年1兆円しか増えないとしたら、その差は何で埋めるのでしょうか?
借金を毎年9兆円続けることになる、これで増税とは言えませんから。
減税の場合も同様です。
政府が、そんな詐欺まがいの事をするはずがないと信じたいはずです。
当初、そんな気はなかったはずです。
10兆円の事業で50兆円のGDP増になり、税収が10兆円あると思っていたのでしょう。
しかし、徐々に、その効果が低くなって、やればやるほど赤字が増えたのです。
ここ数十年の実績が、そのことを如実に物語っています。

なかには、国の事業は元を取る必要がないと言われるでしょう。
そうです、収入の範囲でやればよいのであって、景気浮揚の為と言って赤字を増やすのが間違っているのです。
これは景気浮揚に役立たず、何処かが差額の9兆円で潤っているだけなのです。

B.利払いが最悪の事態を招くかもしれない。
国と自治体は長期金利1%で、毎年10兆円返済しても、累積赤字1000兆円の元金が減らない。
住宅ローンを借りた人なら、この恐ろしさは判るはずです。
ここでリフレ策の手元が狂って、実質金利が5%になったらどうでしょう。
5%なら毎年50兆円の利払いになり、その上、元金の返済が必要です。
現在、毎年赤字が積み上がり、リフレ策で将来金利も上昇するでしょうから、問題は急速に大きくなるかもしれません。

それこそ、国の絶対安全神話は簡単に崩れてしまいます。

C.税収が少ないのは構造的です。

なぜ税収が少ないのか? 景気が悪いからだ。なぜ景気が悪いのでしょうか?
この問題は既に見ましたが、経済構造の不適応(陳腐化)が主因です。

2例挙げておきます。
既得権益擁護の為に規制、援助金、輸入規制などで過保護にし、生産性向上意欲が低下した(一部そうでないものもある)。
為替変動に対しても同様ですが、これはあらゆるものに蔓延しています。

もう一つは、国民の貯蓄がかつて企業投資へと循環し、高度経済成長を支えたことがありましたが、現在、その貯蓄は累積赤字に化けたことです。
結局、資金が投資効果の高い企業投資に向かず、投資効果の無い土木工事に食われてしまっている。
こうして経済が上向かず、税収は落ちるばかりなのです。

そこで始めは痛みを伴はないリフレ策に頼ろうとしているわけです。
この危険性は後で説明します


累積赤字は問題でない
大きく四つの指摘があります、これを検討しましょう。

A.国が赤字で破産することは無い
多くの王朝の終焉は、ほとんど赤字(または大増税)に陥ったからと言えるでしょう。
浪費や放漫経営が祟って、王朝は商人に莫大な借金をし、時には踏み倒し、税収権・商業特権を商人に譲り、また改鋳によるインフレ(貨幣増発)を招くことになる。
その結果、この王朝は見限られ、多くは革命か外国の軍隊により、終わりを告げます。
これを倒産とは言わないが、赤字が招いた結末です。

最近、デフォルトを宣言した小国では、世界が救援することにより国家破綻は逃れたが、国民は極端な窮乏生活に耐えなければならない。
大恐慌や終戦時には借金が棒引きされたりするが、一国の放漫経営ではそうはならない。
大国の場合、米国の赤字減らしの為のプラザ合意のように、世界が助けることになるだろう。
日本の場合、どれに該当するかわからないが、国民は甚大な影響を受けるでしょう。

B.景気が良くなれば問題は無くなる
確かに税収が増え続け、数十年返済を続ければ、可能性はあるかもしれないが、現実に成功している国がないのは、上記グラフから明らかです。
欧米の多くも、好況と不況を繰り返しながら、累積赤字を増やしています。
日本は百年でも無理ですが。

C.累積赤字を補う資産が日本にはある
もうすぐその累積赤字総額が資産総額よりも越えるでしょう(数年以内)。
国民や企業、国の資産を合計したところで、不動産はほとんど役に立たず、金融資産のすべてを国債購入に回せるはずもない。
現実に、信用不安が起きそうだから、国民に国債を買ってくれと言われて買うでしょうか?

D.とっておきの手
実は、この手を私は30年程前に予想していました、今回安部首相がそれをやろうとしています。
つまりインフレを起こし、累積赤字を数分の一にしてしまうのです。
年5%のインフレ(GDP成長率込み)が30年続くと、GDPの2倍の累積赤字はGDPの0.5以下に目減りしてしまうのです。
きっと将来、政府はこの巧妙な手(危険な手)を使うだろうと思っていました。

しかしいざ始まってみると、私の読みが間違っていることに気が付いた。
それは、そんな目減りする国債をわざわざ購入する人は誰もいなくなると言うことです。
つまり国は国債の金利を上げざるを得なくなります。
例えば金利5%で元の木阿弥で、もし7%にでもなれば逆に累積赤字は今よりも数倍になります。
インフレ時の金利水準を制御可能と言う学者もいますが、過去の例では難しい。
例えば、本当に景気が良くなれば益々国債離れが進み、金利は上昇します。

むしろ怖いのは、取り付け騒ぎのように、大衆の心理に忍び込む信用不安の広がりです。
これを予測し、抑えるのは難しい、何せ世界最大の累積赤字のだから。

最後に
累積赤字は日本の原発のようなものです。
「国民の為に赤字を増やすしか手はない。」
「日本は絶対安全だ!!」
一部の識者は、以前から原発は危険だと指摘していました。
しかし、政府、産業界、御用学者、マスコミは安全と宣伝してきました。
その裏で、事故が起きても責任や賠償が企業に及ばないように法整備をしていました。

結果、どうなったでしょうか。
欧米の原発対応はフランスを除いて、特にドイツでは、はるか以前から疑い、手を打っていたのです。

その差はどこにあるのでしょうか?



20141211

Traveling to Spain and Portugal 24: Coimbra having a university, Portugal, on the 9th trip, October 20






Latin corridor and clock tower, former school building of the University of Coimbra  

< 1.   Latin corridor and clock tower, former school building of the University of Coimbra  >
< 1. ラテン回廊と時計塔、コインブラ大学旧校舎 >

I introduce the old city of Coimbra being town of the university today.
It is in the middle inland of Lisbon and Porto here.
今日は、コインブラの旧市街、大学の町を紹介します。
ここはリスボンとポルトの中間の内陸部にあります。


a whole view of the Coimbra old city

< 2.  a whole view of the Coimbra old city >
< 2. コインブラ旧市街の全景 >

Upper photo: The old city on the hill that I saw from the opposite bank. A clock tower is seen on the top.
Central photo:  I go cross Ponte de Santa Clara(bridge) and look at the hill from Largo da Portagem(square).
Lower photo:  Largo da Portagem(square).  This main street is the left side of the back.

上図: 対岸から見えた丘の上の旧市街。時計塔がてっぺんに見える。
中央図: サンタ・クララ橋を渡って、ポルタジェン広場から丘を望む。
下図: ポルタジェン広場。大通りが奥の左側へと続く。

Coimbra

It is the third city following Lisbon and Porto.
Strangely, together with 3 cities, the old city spreads out in the hill of the north side of the river flowing through the east and west.
In the middle of the 12th century, from the founding of a nation of Portugal, it was capital city here, and there is the oldest university here.

コインブラ
リスボン、ポルトに次ぐポルトガル第3の都市です。
不思議なことに3都市とも, 東西に流れる川の北側の丘に旧市街が広がる。
ここは12世紀中頃、ポルトガル建国時からの首都で、ポルトガル最古の大学です。


a campus of the university 

< 3.  a campus of the university >
< 3. 大学構内 >

At first we go to the university on the hill by bus, do the sightseeing on foot from there, and go down to Largo da Portagem.

Upper photo: There is main gate of the Manueline style in the center.
If we enter it, there is the former school building.
Central left photo:  A new school building.
Central right photo: Two part-time students who sell the tourist brochure of the university in the former school building.
The black cloth is the school uniform, and the hem of the mantle is ripped apart in large numbers at the time of their graduation.
As there were foreign students from Brazil, I thought of the strong relation between both countries from the colony times.

Lower photo: I overlooked Rio Mondego(river) from the open space of the former school building.

観光は、先ずバスで丘の上の大学に行き、そこから徒歩で観光し、ポルタジェン広場まで下る。
上図: 中央にマニエル様式の「鉄の門」があり、そこを入ると旧校舎です。
中央左図: 新校舎。
中央右図: 旧校舎内で、大学の観光パンフレットを販売しているアルバイト学生。
この黒い服が学生服で、卒業時にはマントの裾が幾重にも引き裂かれる。
ブラジルからの留学生がおり、植民地時代からの強い繋がりを思わせる。

下図: 旧校舎の広場からモンデーゴ川を見下ろす。


a panorama view of the former school building

< 4. a panorama view of the former school building >
< 4.旧校舎全景、パノラマ >

There is a library in the left, next a chapel and a clock tower, and a hall in the back
A gate of the right side in the back is the main gate that we have entered through.
Before, it was a palace.
We did the sightseeing of admission in the library and the chapel.

左から図書館、その次ぎに礼拝堂、奥に時計塔、奥正面にホール「帽子の間」と続く。
右側奥の門が、通って来た「鉄の門」です。
ここは以前、王宮だった。
この観光で入場したのは礼拝堂と図書館です。



the library

< 5.  the library >
< 5.図書館 >
It is a baroque architecture in the 18th century.
Upper photo: The library entrance
Central photo: The side of the library.
Lower photo: The inside. Because its photography was prohibited, I was borrowed from http://www.bookaholic.ro/.

18世紀建築のバロック様式。
上図: 図書館入口。
中央図: 図書館の側面。
下図: 内部。撮影禁止なのでhttp://www.bookaholic.ro/から借用


the new cathedral 

< 6.  the new cathedral >
< 6. 新カテドラル >
It is within sight of the university on the hill.
At the end of the 16th century, the Society of Jesus began to build it, and it was completed 100 years later.
大学新校舎のある丘の上の一角にある。
16世紀末、イエズス会が建設開始し百年後に完成。


old cathedral 

< 7.  old cathedral >
< 7. 旧カテドラル >

We went out of the university premises, went down a little, and we arrived it.
In the twelfth century of the founding of a nation, this church was built and also doubled as a fortress.
The whole appearance and the front gate is a Romanesque style, and the northern gate was rebuilt in a Renaissance style.
Upper photo: A whole view. The right side is the front gate.
Lower right photo: the northern gate.
Lower left photo: The other side of the front gate.

大学構内を出て、少し下るとある。
12世紀の建国時、要塞を兼ねた教会として建築された。
外観全体と正面入口はロマネスク様式、北側の入口はルネッサンス様式に改築された。
上図: 全景、右が正面入口。
右下図: 北側の入口。
左下図: 正面の反対側。


streets

< 8.  streets >
< 8. 街並み >

It is streets that were in the middle of our going down from the hill.
丘の上から下る途中の街並み。


R. Ferreire Borges(streets) 

< 9.  R. Ferreire Borges(streets) >
< 9.フェレイラ・ボルゲス通り >

Upper photo: R. Ferreire Borges(streets).
Lower left photo:  The earthenware in a store window. There are ceramic chickens, Portuguese representative souvenir.
Lower right photo: this gate was one of the gates of a castle wall once.

On the next time, I introduce Porto famed for wine.

上図: 通り。
左下図: ショーウインドーの陶器。ポルトガルの代表的な土産、鶏の置物が見える。
右下図: バルバカ門。かつての城壁の入口の一つ。


次回は、ワインで有名なポルトを紹介します。