20131002

何か変ですよ27: JR福知山脱線事故の根にあるもの 1

 JR福知山脱線事故 

< JR福知山脱線事故 >

9月27日、神戸地裁で被告である歴代社長3人に無罪判決が出た。
不謹慎のそしりを受けるでしょうが、残念ながら予想通りの結果となりました。
私には、被害者は進行している腐敗の犠牲者に思えてならない。
この問題を掘り下げます。

この事故の被害は、死亡106人、負傷562人で、精神的被害者はさらに多い。
民事賠償により、一応、被害者は経済的に救済されるでしょう。
しかし被害者にとって、到底納得出来るものではない。

現在、あまり意識されていないが深く進行している潮流があるのです。
それが今回、吹き出し、その結果に失望することになるかもしれないのです。
その潮流とは、企業責任(組織の責任)を看過する社会の蔓延です。

法の重要な側面、事故・損害の再発防止の役割が放棄されているのです。


裁判中の歴代社長

< 裁判中の歴代社長 >

なぜ裁判所は、これら甚大な事故責任を問えないのか?
この事故は、日勤教育などによって危険回避のフィードバックが正常に機能しなかった為に、事故が起きたと言える。
通常、企業は利益達成の為に、日常的に組織の上下間で情報のやり取りが行われ、適応戦略を更新していくものです。
不思議なことに、国民(企業外)に重大な影響を及ぼす安全確保や危険回避に関して、この組織の欠陥を問うことは出来ないのです。
ましてその欠陥の大半はトップの責任であることは明白です。

しかし安全設備や対策が業界横並びであれば、企業の罪を問うことが出来ないのです。

数万人から数十万人の被害者、数兆円から数十兆円の経済被害をもたらした原発事故、公害、金融破綻を招いた企業の、刑事責任をかつて問えたでしょうか?


福島原発事故、経済損出は約20兆円

< 福島原発事故、経済損出は約20兆円 >

せいぜい企業に賠償を命じるだけで、現場担当者が罰せられることはあってもトップの責任が問われることはないのです。
挙げ句に大企業であればあるほど、国は救済せざるを得ないのです。
これでは大企業(組織)ほどトップ以下の企業倫理は低下し、腐敗は蔓延するばかりです。
このことは国民に降りかかる大事故、公害・薬害、金融破綻などの危険回避を根本で放置していることになるのです。

罰則を厳しくして自動車事故を減らしたのとは大違いです。


次回は、解決策を考えます。





20130930

何か変ですよ26: 憧れだった曾野綾子さま

 曾野綾子

< 曾野綾子 >

私はかつて彼女の美貌と著作に魅せられました。
彼女の作品に溢れる温かさと慧眼に惹かれた。
しかし私は、いつしかむなしさを感じるようになった。
「出産したらお辞めなさい」で、ついにその思いは確定的となりました。
彼女の影響が大きいだけに、何が問題なのかを記します。

私は彼女の紀行文や随筆を読んだことがありました。
若い頃、その著書から安らぎを得たこともありました。
しかしその後、マスコミに散見する彼女の言動には違和感を持ちました。

ある時、彼女の中東を巡る紀行文を読んでいたら、ユダヤ人を小馬鹿にする文に出会いました。
それは、彼女が強固なカトリック信者だと認識した瞬間でした。



笹川良一

< 笹川良一 >


かつて、日本財団の講演を企業の動員で聞かされたことがありました。
その講師は、日本文化を賞賛するあまり、他国の歴史や文化を稚拙に矮小化していた。
彼は立派な学歴があったが、数カ所だけ実にお粗末な内容でした。
もっとも、参加者は、その問題に気づいてはいないようでした。
この財団は右翼のドン、競艇の笹川氏によって創立され、その会長が曾野綾子氏だったのです。

彼女は「日本文化や歴史の尊厳を傷つける者、汚点を指摘する者」に反対する勢力の代表だったのです。


先進国との差は歴然。復職だけでなく待遇、所得、人権の問題もあります。

< 先進国との差は歴然。復職だけでなく待遇、所得、人権の問題もあります。 >

何が問題なのか?
保守と革新、右翼と左翼の両方があってこそ、世の中は釣り合っています。
だからこそ、読者には是非とも注意してもらいたい。
社会を見る目、社会の実情を知る姿勢を放棄してはならない。
往々にして、一方に偏る人は、感情に流され実証的に判断することに弱い。
今回の発言に関わる状況、産休後の復帰困難さ、シングルマザーの困窮、人口減少などの実情を知れば、今回の愚かな発言はなかったでしょう。
私達は、安易、安逸に流されてはならない。
辛口の社会学者上野千鶴子氏の言説を参考にするのも手です。


上野千鶴子

< 上野千鶴子 >

幸い、世論が曾野氏の発言に否定的だったことが救いです。





20130929

Awaji Island, a seashore of this morning of early autumn

 rising sun

In the morning of September 28, I went out to neighbor seashore after a long interval, and took this photograph.
A rising sun, a wave, fishermen, an angler, flowers pleased my eyes.

9月28日朝、久しぶりに海岸に出て写真を撮りました。
朝陽、波、漁師、釣り人、花が目を楽しませてくれました。



rising sun

wave

wave

fishermen are working


< fishermen are working >
If the fishermen attach the seeds of the laver to many white nets, and November comes, they put it on the sea surface of the offing.
The fishermen harvest it on the cold sea during April from January of the next year.

網に海苔の胞子を付着させ、11月になると沖合の海面に、この網を張る。
来年の1月から4月まで、冷たい海上で収穫される。

an angler of holiday

< an angler of holiday    >


Alpine roses blooming on the seashore

< Alpine roses blooming on the seashore    >

Recently, becoming cool in morning and evening, then the sky became complete blue.
It became a comfortable climate.

近頃は朝晩、涼しくなり、空はあくまでも碧く、気持ちの良い気候になりました。







20130927

Go around the world of Buddha statues 1: My favorite Buddha statue. At the beginning of this series.

 the head of Gakkō Bosatsu(Bodhisattva)

< the head of Gakkō Bosatsu(Bodhisattva) >

A series of " Go around the world of Buddha statues " starts.
Each time, I post the photo of Buddha statues and a simple explanation.
We see around the Buddha statues in Japan, China, India, South Korea, Central Asia, and Southeast Asia.

「仏像を巡って」の連載を始めます。
毎回、仏像の写真と簡単な説明を載せます。
日本を中心に中国、インド、韓国、中央アジア、東南アジアを巡ります。


Three statues of a Yakushi Nyorai(Tathāgata) and two Bodhisattvas in Yakushi-ji( Temple), Nara: a bronze casting in the early 8th century 

Three statues of a Yakushi Nyorai(Tathāgata) and two Bodhisattvas in Yakushi-ji( Temple), Nara: a bronze casting in the early 8th century >

My favorite a Buddha statue
These Buddha statues shined in gold at first.
The central statue is a Nyorai(Tathāgata), and indicates Buddha.
The statue of both sides is a Bosatu(Bodhisattva), and a practicing person that is ranked second in importance to Buddha.
This Nyorai(Buddha) and Bosatu(Bodhisattva) have the many names.
These statues were made after about one century since a Buddha statue was handed down to Japan.
Then, making of Buddha statue developed till the Kamakura period, at the 13th century.

I like the Gakkō Bosatsu (bodhisattva) of this left-hand side.
In fact, I do not understand the difference between Bosatsu of right side and left side.
I was charmed by the name of "the moonlight".

私の好きな仏像
この仏像は最初、光背のような金色に輝いていた。
中央の像は如来で、仏陀を現しています。
両側の像は菩薩で、修行中の仏陀に次ぐ人です。
如来や菩薩には幾多の名前があり、大乗仏教の経典により異なります。
この三尊像は日本に仏像が伝わってから約1世紀後に作られたものです。
この後、鎌倉時代、13世紀まで作風は発展して行きます。

私は、この左側の月光菩薩が好きです。
実は、私には左右の月光・日光菩薩の違いはわからないのです。
「月の光」の名前に惹かれたのです。


same as above

< same as above >


Gakkō Bosatsu, 2.5m in height

< Gakkō Bosatsu, 2.5m in height >

It is impressive with burnished black skin, a graceful carriage, refined clothes and accessories, a plump face.
I am attracted by long and narrow eyes, with eyes downcast, and a little smile of the mouth.


黒光りする艶やかな肌、柔らかな身のこなし、洗練された衣装と装身具、ふくよかな顔が印象的です。
私は、伏し目がちで切れ長の目、微かに笑みを湛える口元に惹かれます。

                      
above-mentioned statues were dedicated in this Yakushi-ji

< above-mentioned statues were dedicated in this Yakushi-ji 
This temple was built by Emperor in the 7th century.

この寺は、7世紀に天武天皇の命により造営された。

At the beginning of this series
The Buddha statue was born in India, and spread on Asia.
We watch the change and the development from the birth of the Buddha statue in Asian each place.
I treat a period from B.C. 1500 to A.D. 1200.


連載のはじめに
仏像はインドで誕生し、アジア各地に広まった。
仏像の誕生からアジア各地への展開、変遷を見ていきます。
紀元前1500年頃から紀元1200年頃までを扱います。


The area where Buddha statues are seen in

< The area where Buddha statues are seen in >
At what do I aim in this series?
We investigate what a change of Buddha statues means.
If we understand it, we can understand the meaning of birth of God statue.
We will look at the history of God statue from 30,000 years ago.
By looking at the changes in the Buddha statue and the God statue, we may be able to understand the idolization and the symbolization of supernatural thing.

Coming back to the ancient times, I want to start on the journey for intellectual adventure together with you.




連載で目指すこと
仏像の作風の変化が、何を意味するかを探ります。
このことがわかれば、世界の神像誕生の経緯も理解出来るのではないだろうか。
神像の歴史と彫像の歴史は不可分なので、3万年前からの世界各地も扱うことになる。
仏像や神像の変遷から、超自然的なものの偶像化と象徴化を理解出来るかもしれません。

皆さんと一緒に遙か昔へと知的冒険に旅立ちたいと想います。

















20130926

A solitary walk: Kobe Harborland

 a full view of Kobe Port from “MOSAIC”

< a full view of Kobe Port from “MOSAIC”. No.3 of Arrow >

I introduce a sightseeing spot of new Kobe today.
One of the charms here is to be able to enjoy a meal while viewing of Kobe harbor.
Large shops, and the restaurants of cuisines from all over the world gathered.


今日は、新しい神戸を味わえるスポットを紹介します。
ここの魅力の一つは神戸港を見ながら食事を楽しめることです。
次いで大型のショッピング街、各国の料理が楽しめるレストランが集約されていることです。


Kobe Harborland map

< Kobe Harborland map: The facilities are indicated in pink. Green arrows show my photo. >

There is "Kobe Harborland" in the seaside of JR Kobe Station.
It came into being 20 years ago.
The shopping area, the gourmet, the amusement, the wedding, the cinema, the entertainment, the hall, and the hotel have gathered here.
I shot this photographs around 5:00 p.m.

JR神戸駅の海側に「神戸ハーバーランド」があります。
これは20年前に誕生した多彩なビル群からなります。
幾つかの巨大ビルに、ショッピング、グルメ、アミューズメント、ウエディング、シネマ、エンターテイメント、ホール、ホテルが揃っています。
写真は午後5時頃撮影したものです。


JR Kobe Station side

< JR Kobe Station side. No.1 of Arrow >


a hall

< a hall >


umie

< “umie”: A inside of the shopping building  >


MOSAIC

< “MOSAIC”:  A restaurant street. No.2 of Arrow  >


MOSAIC

MOSAIC

MOSAIC

< Insides of “MOSAIC” >


Twilight from "harbor walk."

< Twilight from "harbor walk."  No.4 of Arrow   >

Please drop in here when you happen to come to Kobe.

神戸に来られた折は、一度お立ち寄り下さい。

























20130923

History of sickness and medical art 10: ancient Mesopotamia 2







myrrh: Painkiller, preservative of the mummy  


< myrrh: Painkiller, preservative of the mummy  >

We look at Mesopotamia from B.C. 3 millennium of the civilization birth to the middle of B.C. 1 millennium.

都市文明誕生の紀元前3千年紀から紀元前1千年紀中頃までのメソポタミアを見ます。


Fertile Crescent    

< Fertile Crescent    >

Great Ziggurat of Ur: a ruin of shrine at about the 21st century BC

< Great Ziggurat of Ur a ruin of shrine at about the 21st century BC

Healer
A nation managed the medical care, and the healer served the royal palace and the nation.
The classes of the healer were three grades, and their assigning tasks were fixed.
The top cleric diagnoses the patient, subsequently the exorcist drives off an evil spirit, and finally the doctor gives medicine.
The healer received education in a shrine and learned medicine from the clay tablet document.


医 師
国家が医療を管理し、治療者は王宮や国家に仕えていた。
治療者は三階級あり、分担が決まっていた。
最上位の聖職者が患者の診断を行い、次いで祈祷師が悪霊を追い払い、最後に医者が薬を与える。
治療者は神殿で教育を受け、粘土板文書から医学を学んだ。


a monster and a sun god of ancient Mesopotamia

< a monster and a sun god of ancient Mesopotamia

The recognition of sickness
Although there was also the empiricism side, it was considered that most causes of sickness were the punishments of God or an evil spirit.
As for the medical treatment, incantations and prayers occupied important role.
People thought that there was a magical power to the medicine.
As for the important sickness, the plague or an epidemic was called by the name of each God.
The devil of epidemic had a form of a fly, because people recognized that the fly carry the sickness that roused violently in summer.


病気の認識
経験主義的な側面もあったが、病因のほとんどは神や悪魔の罰とみなされた。
治療は加持祈祷が重きをなし、薬にも魔力があると考えられていた。
重要な疾病、ペストは「ナムタルウ」、流行病は「ネルガル」などの神の名で呼ばれた。
悪魔ネルガルがハエの形をしていたのは、ハエが夏に猛威を奮う病気を媒介していると認識されていたからです。



< cure >
Cure
The healer used the longtime medicine manual for diagnosis of tuberculosis, jaundice, etc., and was able to do it exactly.
However, in many cases, the healer diagnosed it by internal organs divination of the animal rather than examining a sick person.
The fortune-teller judged the patient's sickness from the appearance of the liver of the slaughtered sheep.
The liver model of this photo is a priest's guidance document.
The liver was full of blood and was considered to be the center of a life or a soul.


A model of the liver divination of the sheep: in Babylonia, the 19th century BC, made of clay

< A model of the liver divination of the sheep: in Babylonia, the 19th century BC, made of clay >

治 療
結核や黄疸等の診断には、古くからの医学便覧を用い的確に出来た。
しかし多くは病人を診るより、動物の内臓占いで診断されていた。
占い師は、屠った羊の肝臓の状態から患者の病気を判断した。
写真の肝臓模型は神官の手引き書である。
肝臓は血液に溢れ、生命や魂の中心と考えられていた。


As general treatment, there were inunction, massage, tub bath, wet pack, enema, etc.
As for the surgical operation, they used it for an injury, a bone fracture, a cataract, a calculus, and an abscess.
Those days, for an operation, there were a scalpel of bronze, a saw, and a drill.
The dental treatment was prosperous; there were tooth extraction, anodyne for a toothache, and false tooth.


一般的な処置として香油塗擦、マッサージ、沐浴、湿布、浣腸などがあった。
外科治療は外傷、骨折、白内障、一部には結石と膿瘍手術も行われた。
当時、青銅のメスや手術用のノコギリ、穿孔ドリルもあった。
歯科治療は盛んで、抜歯や歯痛止めの薬、義歯も行われていた。


a dedication of sacrifice beast: in ruin of a shrine of Mali, about 2500 years BC 


a dedication of sacrifice beast: in ruin of a shrine of Mali, about 2500 years BC >

Medicine
As for medicine, they used 250 kinds of medicinal herbs, such as a decoction, powdered medicine, a fumigant, an enema, and a purgative, and 120 kinds of mineral medicine, such as an alum, copper, clay, and magnetic iron.
In many cases, the medicine was given at each time when was determined by the race of stars.
The best-known drug is a laurel, aloe, cannabis, cinnamon, castor oil, myrrh, mustard, and an olive etc.
The doctor used sulfur for sterilization of a skin disease, and the hemp for depression or neuralgia.

薬 剤
薬は煎じ薬、粉薬、燻蒸剤、浣腸剤、下剤など250種類の薬草と、明礬、銅、粘土、磁鉄など120種の鉱物薬が利用された。
薬剤は多くの場合、星の運行によって決められた時刻に与えらえた。
最もよく知られた薬剤は、月桂樹、アロエ、大麻、シナモン、ヒマシ油、没薬、カラシ、オリーブなどである。
医者は皮膚病の殺菌に硫黄を使い、うつ病や神経痛には大麻を使った。


three wise man devoted myrrh, gold, and frankincense to Jesus.

< three wise man devoted myrrh, gold, and frankincense to Jesus.  >

 Summary
Although the medical art of ancient Mesopotamia still had the limitations of a prayer and magic, there is accumulation of huge knowledge and it had arrived at the practical use region.
It affected the medicine of Egypt and Israel, Greece, India.
However, it will be delayed with the collapse of Assyria and the Babylonia Empire at the 6th century BC.
When the medicine of this ground came under the spotlight again, it was the birth of Arabic medicine after 1,000 years of it.


まとめ
メソポタミアの医術はまだ祈祷・呪術による限界があったが、膨大な知識の蓄積と実用域に達していた。
エジプトやイスラエル、ギリシャ、インドの医術に影響を与えた。
しかし前6世紀のアッシリアとバビロニア帝国の崩壊と共に停滞することになる。
この地の医術が再び脚光を浴びるには1千年後のアラビア医学を待たなければならなかった。