< JR福知山脱線事故 >
9月27日、神戸地裁で被告である歴代社長3人に無罪判決が出た。
不謹慎のそしりを受けるでしょうが、残念ながら予想通りの結果となりました。
私には、被害者は進行している腐敗の犠牲者に思えてならない。
この問題を掘り下げます。
この事故の被害は、死亡106人、負傷562人で、精神的被害者はさらに多い。
民事賠償により、一応、被害者は経済的に救済されるでしょう。
しかし被害者にとって、到底納得出来るものではない。
現在、あまり意識されていないが深く進行している潮流があるのです。
それが今回、吹き出し、その結果に失望することになるかもしれないのです。
その潮流とは、企業責任(組織の責任)を看過する社会の蔓延です。
法の重要な側面、事故・損害の再発防止の役割が放棄されているのです。
< 裁判中の歴代社長 >
なぜ裁判所は、これら甚大な事故責任を問えないのか?
この事故は、日勤教育などによって危険回避のフィードバックが正常に機能しなかった為に、事故が起きたと言える。
通常、企業は利益達成の為に、日常的に組織の上下間で情報のやり取りが行われ、適応戦略を更新していくものです。
不思議なことに、国民(企業外)に重大な影響を及ぼす安全確保や危険回避に関して、この組織の欠陥を問うことは出来ないのです。
ましてその欠陥の大半はトップの責任であることは明白です。
しかし安全設備や対策が業界横並びであれば、企業の罪を問うことが出来ないのです。
数万人から数十万人の被害者、数兆円から数十兆円の経済被害をもたらした原発事故、公害、金融破綻を招いた企業の、刑事責任をかつて問えたでしょうか?
< 福島原発事故、経済損出は約20兆円 >
せいぜい企業に賠償を命じるだけで、現場担当者が罰せられることはあってもトップの責任が問われることはないのです。
挙げ句に大企業であればあるほど、国は救済せざるを得ないのです。
これでは大企業(組織)ほどトップ以下の企業倫理は低下し、腐敗は蔓延するばかりです。
このことは国民に降りかかる大事故、公害・薬害、金融破綻などの危険回避を根本で放置していることになるのです。
罰則を厳しくして自動車事故を減らしたのとは大違いです。
次回は、解決策を考えます。
No comments:
Post a Comment
どうぞご意見をお書き下さい。Please write an opinion.