20140928

私達の戦争 45: 核攻撃 2


広島の原爆ドーム 


< 1. 広島の原爆ドーム >

今日は、米ソの核兵器競争を振り返ります。
この競争には立派な抑止論が唱えられていましたが、常識から外れていました。


キューバ危機
< 2. キューバ危機 >

冷戦時代の核兵器競争とは
大戦前、欧米にとってソ連は脅威で、その抑えを期待してドイツの軍事化を容認していました。
しかし日独伊が牙を剥くと、米国はソ連と手を握りました。
これも大戦が終わるまでで、米国はソ連の通常戦力の優位を恐れ、核兵器武装で対抗し始めた。
遅れて、ソ連も核開発を成功させ、互いに配備競争に突入します。
この競争が一息つくのは、ソ連の崩壊まで待たなければなりませんでした。

米ソの核弾頭備蓄量 
< 3. 米ソの核弾頭備蓄量 >

米国の動き―グラフ3の青線
物理学者アイシュタインがヒトラーの核開発に先んじるように米国に進言した。
こうして米国が核兵器を生みだしヒトラーが去り、世界は救われたように思えた。

米は大戦後、ソ連の工業力を過大評価し、ソ連の通常兵器による欧州侵略が可能とし、核兵器による壊滅的な報復(抑止)が必要と判断した。
1953から61年在任のアイゼンハワー米大統領は、報復手段として核兵器が安上がりで、「全面核戦争に拡大してしまう大量報復の恐怖」は、ソ連や自国も含めた世界の紛争の抑止になると考えた。
これがグラフの急上昇を示す。
やがて60年代に始まる二つの軍事技術により核備蓄は低下する
偵察衛星によりソ連の実情を正確に把握出来るようになった。
潜水艦発射弾道ミサイルは奇襲攻撃を受けることなく反撃出来るので、破壊されることを前提にした核備蓄が不要になった。

ソ連の動き――グラフ3の赤線
米国は60年代にベトナム戦争に介入し、75年まで泥沼へと深入りしていった。
ソ連は、この時期に米国より優位に立とうとし、核兵器を増産した。
しかしこれはGDPに占める軍事費を20%まで高め、経済を大きく圧迫していた。
この状況の打破を期待されてゴルバチョフ大統領が誕生した。
彼は平和外交を目指し、1990年、米ソの合意により冷戦が終結した。

潜水艦発射弾道ミサイル
< 4. 潜水艦発射弾道ミサイル >


核戦略の変遷―しどろもどろの抑止論
54年、米国はソ連大都市への核兵器による大量報復能力を持つことで、ソ連の核攻撃と通常兵器による侵攻を抑止する「大量報復戦略」を唱えた。
57年、ソ連は、米国の爆撃機の核攻撃に対抗して大陸間弾道ミサイルで先制核攻撃上優位に立った。
こうして米ソはミサイル競争に突入した。
60年代始め、米国は、敵から発見され難い潜水艦発射弾道ミサイルを配備した。
62年、キューバ危機が発生し、米国で「核の大量報復は狂気であり、威嚇として通用しない」と批判が起きた。
そこで米国は、いきなり全面核戦争に陥らないように、攻撃を軍事目標に限定する「柔軟反応戦略」を唱えた。
これ以降、米国は対軍事力に絞った小型の「戦術核兵器」を生みだしていく。
65年、急に米国はソ連の人口1/3と産業施設2/3を確実に破壊出来る「確証破壊戦略」を発表した。
この戦略転換は、増大する軍事費への苦肉の策であった。

しかし双方の迎撃体制が進む中、新たな問題が起きた。
互いがあるゆる核攻撃に対して迎撃可能になり、何処か防御に弱点が露わになると、そこを先制攻撃する誘惑に駆られ、むしろ抑止が不安定になるとの考えが出て来た。
そこで米国は、互いの迎撃ミサイルを自制し、先制核攻撃にも生き残れる潜水艦発射弾道ミサイルを保有し合うことで抑止力を残す「相互確証破壊戦略」を唱え、ソ連もこれに同調した。

一方、ソ連が巨大な核爆弾を開発し戦略核戦力を急速に増大させ、70年代半ばに米国を凌ぐようになった。
これで疑心暗鬼に陥った米国は、ソ連へのあらゆる核攻撃で、ソ連が想定するだろう米本土攻撃の損害と相殺させるとした「相殺戦略」を唱えた。
その後、弾道数で勝っていたソ連ではあったが経済が低迷し、軍事技術で劣勢になった。

83年、レーガンが強気のスターウォーズ計画(ミサイル衛星)を発表したことにより、ソ連は核兵器競争を諦めることになった。
こうして85年、米ソは「抑止のための核兵器」の考えで始めて正式に一致し、核兵器削減を始めた。



米国の核兵器総保有数と作戦配備数 
< 5. 米国の核兵器総保有数と作戦配備数 >

現代の状況
今だ、米ソ合わせて16000発の核弾道を保有し、ミサイルや爆撃機により作戦配備されているものはその内、計4000発ある。
核爆弾の威力は人口密度により異なるが300ktの大都市投下で、40~220万人の被害、死者は半数と予想される。
広島に投下された原爆は15ktだった。
したがって米ソ核兵器の2009年の総出力19200Mtが総べて使用されたら、26~140億人が被害を受け、13~70億人が死亡するだろう。

米ソの核兵器競争のジレンマ―不思議な抑止論
大戦後、米ソは互いに抑止力と称して核兵器の製造に血眼になった。
そしてピーク時には、双方合わせて地球人口を7度死滅させるだけの威力を保有するようになった。
「総べてが死滅する恐怖こそが抑止力である」
これこそが冷戦時代、核戦争を逃れた理由だと主張する人々がいる。
この手の軍事研究者は米国で官民学合わせて1万人を超えるのではないか、私にはこれを間違いだと言い切る力は無い。

しかし、単純に考えていただきたい。
抑止と言いながら、自国も自滅する兵器を造り続ける判断は正常だろうか?
増大する軍事費は自国経済の足枷となった、ソ連は特に深刻であった。
その権威ある核抑止理論だが、辻褄が合わなくなり幾度も様変わりした。

抑止で始めた核兵器であったが、やがて先制攻撃が主眼になり、互いに破壊し合い、残った核ミサイルによる反撃を想定するようになった。
その時、既に国民は死滅し、放射能で生命は永久に誕生出来ないにも関わらず。
ある時は、互いに配備の弱点を曝し確認し合うことにより、先制攻撃の誘惑を排除しようと信頼の手を差し伸べた(相互確証破壊戦略)。
ここまで行くなら、後一歩で和平交渉になるのではないだろうか?

もっとも、核開発にばく進した米国もキューバ危機とベトナム戦争の苦さを噛みしめ、それに猛追したソ連も経済悪化に耐えきれず、やっと競争の無駄に気がつき始めた。
それに40年から70年を要し、未だに真の反省に至っていないように見受ける。

何かがおかしい、頭が良すぎて、現実が見えないのか、軍事的職務に忠実なだけなのか。
軍産共同体で生きる人ならいざ知らず、一般人には不合理この上なく、抑止論は言い訳にしか聞こえないだろう。

より深刻な問題
オバマ大統領のがんばりで米ソの核兵器は減るだろうが、まだまだ多い。
それよりも核兵器が拡散し9ヵ国まで広がり、後続を止めるのが困難な状況にある。
銃社会で検討したように、今後、偶発事故やテロ、狂信的な指導者による核戦争の恐怖は増していくだろう。

抑止を単純に信じることの愚かさから抜け出して、新たな平和戦略を生みださないと、それこそ手遅れになる。

もう一つは、原発事故で経験したように、核兵器の廃棄も問題です。
ニュースにはならないが、米国のハンフォード・サイトでは放射能汚染が起きている。

次回は、別のテーマを扱います。







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