20140904

私達の戦争 34: 摩訶不思議な解釈 6




    

前回に続いて、国益を考えます。

Newsweek(日本版)
1.2010年8月、菅の謝罪は日本の国益だ
内容:記者は「菅首相は日本の植民地支配が韓国に与えた苦しみを認めて謝罪した」ことは国益に叶うと記す。

2.2012年5月、鳩山外交バッシングを考える
内容:「日本のマスコミは「訪イランは国益に反する」で大バッシングを行った。この国益とは「米国に怒られない」である」と学者は論じた。

3.2009年10月、超大国中国の貫禄に英高級誌が逆ギレ
内容:「英紙が軍備の近代化を進める中国の無節操を批判するが、何処の大国も同じで、同様に「経済的な国益」を最優先することも同じだ」と学者が皮肉って指摘する。

ポイント
上の二つの記事は外交が相反する国益の板挟みになり、こじれている国際関係を自主的に修復する事と、名誉と日米同盟を守る事が対立していることを意味する。
日本の大半のマスコミは、紛争の火種拡大より、自国の名誉と日米同盟を重視している。

どこの国も大国の行動には敏感で苛立ち、安全保障や経済的な国益で振り回されることになる。


不明瞭な国益
こうも国益は多様で、立場により相反するものなのだろうか。
外交を論じる時、政府やマスコミは国益を多用するが、その真意を汲み取ることは困難です。

国益が唱えられる時、その損出が説明されることは少なく矮小化されるのが常です。
イラク戦争開始時、ホワイトハウスが宣言した戦費は実際の1/100でした。
日本政府も同様で、わざわざ正直に言わないでしょう。
それを解明するのがマスコミの役割でもあるのですが、残念です。


    

一つ例を見てみましょう
「自国や先人の名誉を傷付けることは国益に反する」について

米国は第二次世界大戦終了からベトナム戦争まで、ある国益に囚われていました。
それは、巨大な共産帝国の侵攻を瀬戸際で粉砕することを仮想したドクトリンでした。
さらに、アジアの小国に侮られない為に力で押さえ込もうとする心理が働いていました(ホワイトハウス首脳達)。
これは黄色人種への偏見と表裏をなす白人の名誉意識と言えるかもしれません。
その結果、米国は多くの人命と税金を失った。
それは感情的・観念的な国益のために現実的・具体的な国益を無視したからと言えます。

9.11事件もそうですが、これ以降、米国はイラクやアフガンへの大規模な侵攻、一方で国内のマスコミ締め付けや国民の盗聴を秘密裏に進めるようになった。
名誉や復讐などの観念的・感情的な国益は国民に損出を無視させる強い効果があり、政治家は人気を手に入れ、強行策を打ちやすくなります。


    

今ひとつ、単純な矛盾があります
「日本はいつまで中国や韓国に謝らなければならないのか?」とよく聞きます。

これは、現在の人々には先人の犯罪の責任が無いとする考えです。
通例の法概念に照らせば当然のように思えます。
しかし前述の「自国や先人の名誉を傷付けることは国益に反する」では、一転して先人への名誉毀損は、現在の国民に関わることだと主張しています。
実は、この二つの発言は同じ人々のものなのです。
何処か矛盾していますよね。
しかし、この人々にとって矛盾では無いのです、なぜなら他国の名誉より自国の名誉が遙かに重いからです。

これらの発言の根本的な欠陥は、多国間の国民が法も含めて共通意識が無いことを無視していることです。
遺恨がある国家間で、そのような杓子定規な言動が紛争を触発することは自然の成り行きです。


    

名誉について
私は名誉を無視しろと言っているのではありません。
名誉は文化であり、歴史的にみて種々の役割を担って来ました。
しかし、時代の変化と共にその意味や価値は変わっているのです。
ここで名誉について簡単に説明します。

一つの機能に、侮られないと言う名誉は、かつて他者からの暴力を抑止する効果がありました。
これは日本にもありますが欧米の方で強く働いています。
しかし現代では暴力を抑制する機能が以前に比べ格段に働いています。
その名誉は価値を減じていますが、むしろ多くの喧嘩や紛争の火種になっています。

もう一つに、信頼されると言う名誉があり、個人が社会で安定的な立場を確保するには重要です。
これは欧米にもありますが、アジア、特に日本では重要で、現在も続いています。
国内の名誉毀損ならいざしらず、多国間の場合は判定も難しく、一方的に罵るだけでは本末転倒でしょう。

    

どちらにしても不明瞭な感情論や観念論で訴える国益には、冷静に対応する必要があります。

次回も続きます。






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