20140906

私達の戦争 35: 摩訶不思議な解釈 7










    

今回で国益は最後になります。


幾つかの注意点
国益に関して幾つかの注意点を記します。

    

政府やマスコミが訴える国益には、真意が隠されていることがある。
既に見た英国首相の発言や鳩山外交バッシングには「米国との同盟堅持」がありました。しかしなぜか日本ではその真意を隠すようです。
昔、左派が共産圏(コミンテル)との密着を隠そうとしたのと同じかもしれません。

    

国益をみる時、時間的な尺度(確実性)を考慮すべきです。
前回、ベトナム戦争介入の米国の動機をトルーマン・ドクトリン(共産主義封じ込め政策)にあると記しました。
これが観念的な国益である理由は、この遙か離れた地点での戦争介入が遠い将来の防衛を意図しており、現実に起こるかは不確実だからです。
つまり不確実な数十年先の恐れに対して現実の損害と比較勘案すべきです。

    

国益を論じる時、多くは自国の国益だけを問題にします。
前述の名誉を重視する人々にとって、他国の名誉は自国の名誉よりもかなり低いものでした。
しかしそれでは外交が成り立たず、まして対立や紛争を予防することは不可能でしょう。
情けない例えですが、いじめを行っている子供の多くは自分の感情や立場だけに囚われ、いじめられる側の子供の心を理解しません。
些細ないじめと思っていても、自殺者が出ているのです。
他国の国益も自国同様に理解する度量が不可欠です。


まとめ
単純化すれば、国益には政府寄りと国民寄りがあります。

例えば、軍事(安全保障)や領土問題で言えば、命や国土があってこその国民の権利だとよく言われます。
これは大局を見ているように思えますが、確かに全部失えばその通りです。
しかし多くの戦争が示すように、ほんの小さな島や地域の奪い合いから、数百から数百万人の命を失う結果に至ります。
かつて、日本の移民60万人が暮らす満州国を国際連盟に移管することに我慢できず、260万人の日本兵の命を失いました。
国益は現実的な損得を勘案しなければ危険です。
そうは言っても、大概、国は戦争が簡単に勝利し終了すると思って始めるのが常なので、こちらの方が問題かもしれませんが。

最重要なこと
結論は、国民の権利保全が先で、その為に国体や政府をどうすればよいかを問うべきです。
そうは言っても、国民の希望や思いは多様なので、国の政策は場合によっては集約された国益を扱わざるを得ません。
この間にあって何が重要かと言うと、国民の権利が守られ、国民の意思で正しく政府を制御出来ることにあります。
これは個々の国益の前提となるものです。
この権利と方法は憲法に規定されおり、最低これが保全されることです。
何らかの国益の為と称して憲法を変え、知ら間に徐々に民主主義が破壊されるようなことが、最も国益を損なう第一歩なのです。

残念ながら、このような不幸な事態は、世界各国で過去も現在も起こっています。
けっして、今の日本に無縁では無いのです。


    

ここで一つ注意が必要です
それでは、なぜ政府よりの国益を唱えるマスコミが力を持つようになるのでしょうか。
大きく二つの理由があり、要点だけを述べます。

領土問題が絡むと、国民も政府もナショナリズムに傾倒し始めます。
この傾向は、日本の国民性、島国、政治風土が変わっていないので、今でも強いでしょう。
いつも政府よりのマスコミは存在しますが、ナショナリズムが勃興すると、それに呼応すれば売上げが伸び、さらに政府はそのマスコミに協力を惜しみません。
こうして国内が次第に熱気を帯びてくると、相手国も刺激され共振を始め、やがて政府は引き下がれなくなります。
当然、反政府側のマスコミは逆に窮地に追い込まれます。
このことは日本のアジア・太平洋戦争への過程、米国の9.11事件後の状況がよく示しています。
現実に、ここ8年間の日中世論調査によると、互いを嫌う度合いが両国呼応するように上昇を続けています。
このまま放置すれば危険な状態になるでしょう。
その時、加担したマスコミも政府も責任は取らないでしょう。
それが現実でした。
詳しくは、後で取り上げるか、連載「社会と情報」で扱う予定です。

次回は、別の事案を扱います。





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