20191222

中国の外縁を一周して 13: 北京、北京西駅から頤和園





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今回は、北京西駅から頤和園までのバス乗車と、
頤和園の半部ほどを紹介します。
写真は2019年10月19日8時~11時頃の撮影です。


 
< 2. ルート地図、上が北 >

上: 公共バス、394路(韩家川南站方向)による北京西站から西苑站までのルートです。
濃い緑がバス、薄い緑が徒歩です。
地下鉄を乗り継いでも行けるのですが、都市の風景を見たかったのでバスにしました。
バスなら乗り継ぎはありません。


下: 頤和園入場までと頤和園内のルート。
緑線が徒歩のルートで、右側のバス停から入場ゲートを通り、そして西側にある石舫までを示す。
今回の紹介は昆明湖に面した頤和園の南側だけになります。
次回は中央の丘を登り、北側を紹介します。


 
< 3.ホテルの部屋からの眺め >

駅の北側を望む。
大きなバスターミナル、北京西站が真下に見える。

上: ほぼ真北を望む。

下: 少し東寄りを見ている。
並んでいる銀色と青色の屋根がターミナルです。



 
< 4.バスに乗って >

上: バスターミナルとホテル。
バスターミナルへはホテルから直ぐに行くことが出来ず、迂回して大通りまで出なければならない。
予めバスの路線番号を調べていたので、乗車のバス停は直ぐわかった。

ターミナルの後ろが宿泊したホテル瑞爾威飯店(北京西鉄道駅)です。
便利な位置にありながら安かった。
朝食は別料金で、チェックイン時に払った。
特に問題はなかった。
すぐ横の北京西駅から朝9:15の新幹線に乗らなければならなかったのでここを選びました。


旅のヒント
新幹線で北京から開封と開封から蘭州に行く場合、1日の本数は結構あるのですが、朝の1本(9時前半発)を除いてみな巨大駅(鄭州や西安)で乗り換えになります。
乗り換えには不安があり、時間ロスもあるので避けた。

今回、様々な予約に初めてTrip.comを使いました。
中国のホテルのすべてと一部の航空券に使用。
新幹線は、事前に行っても予約を確約出来ないとのことで、友人に依頼しました。
新幹線も、旅程に余裕があるなら日本語で予約できるTrip.comはお薦めです。

航空券の多くは、中国の航空会社で買う方が安かったので直接購入した。
しかし航空会社のサイトは英語や中国語表記であり、トラブルがあると苦労します。
いずれ紹介しますが、結局、中国の友人にトラブルを解消してもらいました。
Trip.comは、日本語で質問を受けるコールセンターがあり、メールや電話でホテルの事などで幾度も確認することが出来た。
但し、オペレーターは日本語を喋る中国人です。

Trip.comでのホテル予約で、実害はないのですが少し違和感がありました。
それは予約完了と同時にクレジットカードで料金を支払っておいたのですが、ホテルチェックイン時にまた支払を請求された。
フロントマンはそれはデポジットだったと言ったが、英語や中国語でのやり取りなので納得できず、異議を唱えたが、結局支払った。

帰国後、調べると私達がホテルチェックインする前にはTrip.comから返金があった。
またすべてのホテルで、このような形で支払ったわけではなく、様々でした。
北京の1泊を除いて数日前までのキャンセルが無料なのは良かった。
鉄道や航空機、観光拠点などの都合で日程を幾度も組み替え、キャンセルをかなりしたので。

結論、Trip.comは中国旅行にはお薦めです。
なお来年、米国を周遊する予定ですが、数は多くは無いが米国でもTrip.comの方が安い場合があります。


下: 乗車したバス。
このバスは2階建てでした。
中国のバスは降車を知らせる押しボタンが無いので、2階に登ってしまうと、降車に間に合わないと思い上がりませんでした。
後に慣れて来て、降車の停留所が事前に分かるようになると、2階に上がりました。

このバスで驚いたのは、警備員が一人、初めから乗車していたことです。
彼はずーと立ったままで、適宜、乗客にマナーを注意しているようでした。
彼はちょうど私の横にいたので、びくびくしたのですが、何も注意されませんでした。
警備員の添乗は北京のこのバスだけでした。


 
< 5. 頤和園までの車窓の眺め >

三日間の滞在中、北京の空はこのような感じでした。
中心部から離れているのか、渋滞は酷くはなかった。

やはりレンタルバイクをよく見かけました。


 
< 6.バス停から頤和園の入場口まで >

上: バス停を降りて西(進行方向)に少し進むと、道路の左側に洒落た飲食街があります。
さらに進み分岐を左に行くと、写真のような広く静かな並木道に出ます。
次いでまた分岐を左に進みます。
この辺りは表示がないし、あまり人が歩いていないので危うく迷うところでした。
途中、人に聞いたのでわかりました。

中央: やがてたくさん人がいる所に着きました。
ほとんどの人は観光バスの団体のようです。
進んで右側が東門で、さらに右側に切符売り場があります。

下: 入場ゲートは人で一杯です。
ゲートの数が多いので、それほど待ちません。

バス停から東門まで1km強でした。



 
< 7. 仁寿殿 >

上: 仁寿殿の庭にて
中央に麒麟の銅像が見える。

下: 玉澜堂の前から浮島の知春亭を望む。
左は文昌阁。
遊覧船が沢山繋がれている。


 
< 8. 乐寿堂 >

上: 先ほどの写真撮影の位置から万寿山を望む。
山の手前の右側に逆さのU字型が見えますが、その向こうに乐寿堂があります。

下: 乐寿堂。
清朝の乾隆帝が母の皇后に建てた住まいです。
ここには頤和園最大の太湖石があり、写真の左側に一部が見える。
重量は20トンを越える。


 
< 9. 長廊 >

上: 長廊と昆明湖の間。
人が多くて、とてもじゃないが散策を楽しむどころではない。

下: 長廊。
全長700mを越える木造の外廊。
梁に桁に14000もの絵が描かれている。
座ることは出来たが、鑑賞出来る雰囲気ではない。



 
< 10. 昆明湖 >

上: 先ほど通って来た文昌阁や玉澜堂が見える。

下: 遠くの島は南湖岛。
この湖は南北と東西にそれぞれ1.7kmほどある。

この湖の名前がなぜ昆明湖なのか?
後に、私は雲南の巨大な湖、滇池を訪れるのですが、なぜこの名前がついたのか。
北京から昆明まで直線で2100kmも離れているのに。

起源前、漢の武帝は雲南征服を果たしたが、この時、長安に滇池に模して昆明池を掘らせ水軍を訓練した。
これにちなんで乾隆帝はそれまでの西湖の名を昆明湖に代えた。
この湖は昔は水運、この時は貯水池として使われた。



 
< 11.>

上: 長廊。

下: 云辉玉宇牌楼。
この門のような建物は、千寿山の中央建築群の中心軸の出発点で昆明湖側にある。


 
< 12. 石舫 >

上: 石舫。
船体部分は石で上部建物は木造。
乾隆帝の建築物が焼失後、光緒帝が外国の遊覧船に真似て再建した。
伯母の西太后は夏になるとここでよく休憩したそうです。


 
< 13.排云殿 >

写真中央の排云殿を抜け、一気に千寿山を上って、頂上の佛香阁を目指す。

次回に続きます。




20191217

晩秋の北関東をドライブしました 7: 戦場ヶ原まで


今回は、吹割の滝から戦場ヶ原までを紹介します。
高度が上がるに連れ、紅葉は散り、枯れ山になって行きました。
雪がわずかに残る道を走り、峠を越えた時はホットしました。
 
< 2. ドライブルート >

上: 今回のドライブルート、上が北。
赤線がドライブルート、SからスタートしEで終わりです。
矢印のAは「道の駅 尾瀬かたしな」です。
矢印のCは金精トンネルを抜けた標高1840mほどの峠です。
黒の矢印は、山の日陰で道路脇に雪が残っていたところです。

下: 道の駅 尾瀬かたしな。





< 3. 道の駅 尾瀬かたしな >

下: 見晴らしの良いテラスがあります。
左側の谷間を真直ぐ進むと、尾瀬に行きます。
私は右側の谷間を進みます。

写真は撮影順に並んでいます。


 
*4

この辺りまでは紅葉が散っていないい限界で、進むに連れ、無数の白い幹だけが山を覆うようになっていきました。

 
< 5.うら寂しい山 >

高度が上がるにつれ、葉の落ちた白樺だけの森が続き、寂しさが増して行きました。
走っているの私の車だけでした。

そしてついに恐れていた雪が道路脇に見え始め、路面も濡れているようでした。
スタッドレスタイヤに替えて来たとは言え、私には初めての経験でした。スピードを落とし、びくびくしながら通過しました。


 
< 6. トンネルを抜けると >

トンネルを抜けると道路は下り始め、それこそ危険は峠を越えたようで、安堵しました。
遠くに見える山は男体山で、中禅寺湖にその裾野を落としている。
その手前の湖は湯ノ湖で、その少し向こうに戦場ヶ原の平地が微かに見える。


< 7. 戦場ヶ原のパーキング >

上: 男体山が見える。

下: 遊歩道。


 
< 8. 戦場ヶ原の眺め >

ここで歴史的な戦いがあったわけではなく、周りの二つの山が戦ったと言う神話に基づくネーミングだそうです。


 
< 9. 遊歩道を行く >


次回に続きます。



20191216

中国の外縁を一周して 12: 北京、中国国家博物館と北京西駅



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今回は、北京の中国国家博物館と新幹線駅の北京西駅を紹介します。
ここでもハップニングに見舞われ、あたふたしました。
中国を旅行される方の参考に顛末を紹介します。


 

< 2.中国国家博物館 >


 

< 3. 博物館の展示 >

非常に大きな博物館です。
色々な展示があったのですが、一番のお薦めは、中国の歴史を全体通して見れる展示です。
それこそ中国大陸の1万年の歴史、石器、土器、青銅器に始まり、玉器、兵馬俑、唐三彩、仏像、白磁に至るまでが揃っています。
それも各文明、王朝を代表するような国宝級の文物が時代を追って並べられています。

上記の写真は、特に私が気に入ったものです。

左上: 北宋時代の菩薩像。10世紀頃。
この時代の観音像や菩薩像は女性を思わせ、衣のひだがリアルで、身体と表情が実に艶めかしい。

他の三つ: 三星堆遺跡の青銅器。起源前二千年以上前。
今回の旅行で、成都の三星堆に通じる遺跡を訪れるつもりでしたが、ここで現物を見れたことは幸いでした。
大きな目と耳が特徴です。



 

< 4. 天安門広場 >

中国国家博物館を16:30頃出た時の、天安広場の様子です。
広い広場はまだ人々で一杯でした。

上: 天安門広場を挟んで中国国家博物館の向かいにある人民大会堂です。
右側では、中国建国70周年にちなんだ展示が行われていました。

下: 中央に毛沢東記念館、その奥に正阳门、前门も見える。
正阳门はかつての宮城、内城の南側の門でした。


 
< 5. 天安門 >

上: 天安門に向かう観光客がまだ列をなしている。
道路の手前にあるパイプ柵は警備用のもので、人々が天安門広場や博物館に入ろうとすると、ここで長い行列を待ち手荷物とパスポート(身分証)の検査を受けることになる。
威圧されるようなことは無いが、なにせ時間がかかる。


 
< 6. ホテル天安大厦、八角形の屋根が見える建物 >

天安門広場から歩いてホテルに戻って来た。
この後、北京西駅横のホテルに移動する予定でした。
しかし、ここで思わぬトラブルに見舞われることになつた。

結論から言うと車に乗ったは良いが、行先を間違い、現金の支払いを拒否されてしまったことです。

切っ掛けは、ホテルのフロントでタクシーを依頼したことから始まりました。
若いフロントウーマンは、数ヵ所電話したうえで、タクシーは来ませんと答えた。
私は食い下がり、再度お願いした。
地下鉄を乗り継いで行くことは出来たのですが、疲れていたので。

すると彼女は、私のスマホでウィチャットや滴滴出行を使いタクシーを呼べますかと聞いた(そのような感じでした)。
私が使えないと言うと、彼女は自分のスマホを操作し、タクシーを呼んでくれた。

私は心配になり、「現金払いが出来るのですか?」と確認した。
通常、ウィチャット(スマホ)で支払うと聞いていたので。
彼女は「OK」と言った。
やがて車が来たので、手間を掛けた親切な彼女に礼を言って、出発した。

ところが走っていると、車は私がスマホで確認しているホテルへの道から段々外れて来た。
運転手にホテルが違うようだと言ったら、車を止めてくれ、行先を修正して再出発した。

やっとホテルの前に着いたので、皆ホットした。
そこで現金を支払おうとすると、彼はスマホ決済でないとだめだと断る。
私は出来ないと言うと、彼は嘆いて、怒ってまくしたてた。

仕方なく、中国の友人に電話をした。
友人は運転手と話してくれて、支払いは後で何とかすると言うことで話はおさまり、私は支払いをせずに車から降りた。

何が問題だったのか?
推測だが、一つはホテルウーマンが間違ったホテル名を入力した。
次いで途中で行先を変更したことで、支払方法設定でミスが出たのではないか。
現金払いもあるようです。
乗った車はタクシーではなく、普通乗用車でした。

今でも、不思議なのは、運転手が現金の受取を拒否したことです。
運賃は30元ぐらいでした。
これは恐らく、運転手は滴滴出行などによる評価やインセンティブ獲得の為に、スマホ決済を完了させたかったのだろう。

私は、ここに中国のIT利用の神髄を見た気がした(推測)。

つまり、普通のタクシーは大渋滞をしている北京中心部のホテルへの呼び出しを嫌うが、滴滴出行などは、乗客の信頼を得るために運転手にインセンティブを与えて、配車を可能にしている。
滴滴出行などのシェアビジネスはこのようなサービスを積み重ね人気を得ているのだろう。

これもこのトラブルで実感できたことでした。


 
< 7.スマホの配車アプリ >

参考に借用しました。


 
< 8. 北京西駅北側の地下街 >

スペースは広いが、店は多くはない。
上の写真の店で夕食をとりました。
安かった。
鉄道員の女性グループが来ていました。



 
< 9. 北京西駅北側 >

私達のホテルはこの建物の直ぐ左隣、東側にあります。
二日後の朝、ここから初めて新幹線に乗るので下見に来ました。
夜8時を過ぎていました。

この駅前の広場や地下街には荷物を持った多くの人がいました。
30前の中国(広州駅)と60年前の大阪駅の状況を思い出します。
昔抱いた旅の高揚感が思い出されます。


 
< 10. ゲートの確認 >

中国の新幹線は10年以上前に2回ほど乗っているのですが、自分で乗るのは今回が始めてでした。
友人が切符を買ってくれていたので助かりました。
後は、駅舎に入るゲート、待合室、改札、ホームの事が不安でした。
この日は、ゲートだけを確認しに来ました。

ゲートには数が多い「人工」と二ヵ所の「愛心道」がありました。
「人工」の方では、人々は機械にカード(中国の身分証?)をかざして入場していきました。
「愛心道」の方では、係官が身分証をチェックをしていました。

手空きの係員にパスポートを見せて、英語で「どのゲートから入れば良いか」と聞くと、「愛心道」と指差して教えてくれた。
英語を使える人にはほとんど合わなかったが助かった。

このゲートを通過するためには、左側の切符売り場などで切符を買ってからでなければならないようです。
ゲートを通過すると、荷物検査があります。

次回に続きます。





20191214

晩秋の北関東をドライブしました 6: 吹割の滝



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今回は、吹割の滝を紹介します。
渓谷、滝、紅葉が別世界を造り出していました。
訪れたのは2019年11月18日12時でした。

< 2. 散策ルート >

茶色線は渓谷に行き来した道で、Sからスタートしました。
赤線が渓谷に沿った遊歩道で、下流(南側)から上流に向かいました。
遊歩道を歩いた時間は30分ほどでした。

上: 上が北。
下: 右が北。


 
< 3. 鱒飛びの滝 >

上: 下流を望む。

下: 鱒飛びの滝。


 
< 4.鱒飛びの滝から上流へ >



< 5. 吹割の滝 1 >

両側から岩盤が迫って川幅が狭くなった所を進むと、急に視界が開けた。
そして広い川の中央で、まるで川底が抜けたように水が勢いよく吸い込まれていくのが見えた。


 
< 6. 吹割の滝 2 >

 
< 7. 吹割の滝 3 >

渓谷を覆うすべての山肌が赤や黄色に紅葉し、青空を映す川面が緩やかに流れていく、それが急に無数の白い筋となって流れ落ち、水飛沫をあげる。
素晴らしい景観です。
紅葉のピークは過ぎているかもしれないが、素晴らしい景観に出会えたことに感謝します。



 
< 8. 吹割の滝 4 >

上 : 浮島に架かる吊り橋が見える。

下2枚 : 上流から吹割の滝を望む。
滝の直ぐ傍まで行けるので、迫力を感じることも出来るが、危険です。
安全の為にロープが張ってあります。


 
< 9. 浮島と吊り橋 >


 
< 10. 吊り橋からの眺め >

上: 上流側。

下: 下流側。
川の左側に、今やって来た遊歩道が見える。


 
< 11. 渓谷とお別れ >

上の国道に行く坂道から見えた紅葉。


次回に続きます。

20191213

中国の外縁を一周して 11: 北京、景山から什刹海まで





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今回は、紫禁城の北側にある二つの公園を紹介します。
景山の頂上から紫禁城が見下ろせます。
什刹海は古い街並みとお店が並ぶ今流行りの場所です。


 
< 2.散策マップ、上が北 >

上: 今回の散策ルート。
赤線が徒歩、茶色の線がバスです。
この図は下図の青線の範囲になります。

最初、紫禁城を出ると(下のSから)、直ぐに景山を登りました。
次いで、頂上から西側に降り、ここで公共のバスに乗り、什刹海(E)辺りで降車しました。
ここから西側に向かい、湖に沿って歩き、右に折れて烟袋斜街に行きました。
戻って橋のたもとで昼食をとり、橋を渡った後、Rで折り返し、Eに戻り、バスで次の観光に向かいました。

写真は概ね、歩いた順に並んでいます。


下: 昔の宮城の範囲。
南北の長さは9kmほどありました。

紫禁城の始まりは、13世紀、モンゴル帝国が冬の都として大都を建設したことに始まります。
それは図の内城とさらに北側まで延びていました。
14世紀、北京が明の首都になり図のような大きさになり、清朝滅亡まで続きました。

景山は、明の時代、堀の残土で風水に基づいて造られた山です。
昔、什刹海周辺は皇族の住まい、その南にある北海公園は皇族の庭園でした。



 
< 3. 景山公園へ向かう >

上: 明時代の宮城のイメージ(中国サイトから借用)。

下: 紫禁城北口を出て、景山公園に向かう。
頂上の真ん中と左の建物を目指します。


 
< 4. 頂上まで >

上: 急な階段を昇って行きます。

左下: 最初に見える山の裾にある建物。

右下: 頂上の建物:
この日は建物で写真撮影が行われており、入ることが出来ませんでした。



 
< 5. 頂上から >

上: 南側に紫禁城を見下ろす。
残念ながらガスていました。
これは黄砂なのか、スモッグなのか、霧なのか・・・。
黄砂の時期ではないはずなのですが。
この後、南の開封から西安までの間、同じような空模様が続きました。
空気が悪いと感じなかったし、マスクをしている人をほとんど見かけなかった。

下: 中央のオレンジ色の屋根の建物の遥か向こうに鼓楼が見えます。
正に紫禁城、景山と鼓楼は南北の中心線上に並んでいます。


 
< 6. 頂上から下る >

左上: 辑芳亭。
頂上から西に向かって最初に見える建物。

右上: 富览亭。
峰上にある最も西側の建物。

下: 山を下った所、直ぐ西門があります。
鬱蒼とした森林です。
南に少し行くとトイレがあります。



 
< 7. 什刹海に着きました >

上: バス停の鼓楼で降りた。
通りの奥に鼓楼が見えます。

下: 西に向かって進むと湖が見えました。
市民の憩いの場と聞いていたのですが、観光客で一杯でした。
時間帯が違うのでしょう。

 
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< 9. 烟袋斜街 >

私には風情ある街並みと言うより、単に土産物屋街に思えた。
買い物を楽しむ人には良いと思うが。


 
< 10. 胡同(フートン) >

烟袋斜街の隣には、狭い路地に面して元統治時代の名残りの伝統的家屋が続く。
本当は壁の向こうの四合院を覗いて見たかったが、チャンスは無かった。


 
< 11. 昼食のレストラン >

橋のすぐ前にある李记串吧(烟袋斜街店)に入りました。
ここはどうやら羊肉をメインにあらゆる料理(火鍋、麺、串焼きなど)を出している。
私達は麺と肉料理の一皿を頼みました。
味は良く、価格も手頃でした。

右下の写真は常連さんのようで、骨付き肉の火鍋を豪快に食べていました。
普通火鍋はスライスした薄肉を食べるようですが。
それにしても中国何処でも火鍋は人気なようです。

この度の旅行で、中華料理のイメージが変わりました。
昔からの八角などの香辛料だけでなく、味付けは非常に多岐にわたります。そして人々はあらゆる地方の料理を楽しみ、多くの飲食店は新しいアレンジを取り入れていました。
上記の店も、西域のムスリム料理をアレンジしたものでしょう。



 
< 12. 橋の上から >

中国の湖畔や川端には柳が良く似合います。


 
< 13. 風情のある湖 >

ビルが見えなければ、数百年前の風景を連想させます。

水面を覗くと、意外に透明度が高い。
水質向上に取り組んでいるようです。


 
< 14. 人力車の大群 >

当初、人力車に乗って見たいと思ったのですが。
調べてみると、料金でトラブルことがあるみたいなので躊躇していました。

湖畔を歩いていると、二十台ほどの人力車が一団の観光客を乗せて列をなしていました。
風情があると言うより、壮観というか、ご苦労さんと言う感じでした。


次回に続きます。