20191217

晩秋の北関東をドライブしました 7: 戦場ヶ原まで


今回は、吹割の滝から戦場ヶ原までを紹介します。
高度が上がるに連れ、紅葉は散り、枯れ山になって行きました。
雪がわずかに残る道を走り、峠を越えた時はホットしました。
 
< 2. ドライブルート >

上: 今回のドライブルート、上が北。
赤線がドライブルート、SからスタートしEで終わりです。
矢印のAは「道の駅 尾瀬かたしな」です。
矢印のCは金精トンネルを抜けた標高1840mほどの峠です。
黒の矢印は、山の日陰で道路脇に雪が残っていたところです。

下: 道の駅 尾瀬かたしな。





< 3. 道の駅 尾瀬かたしな >

下: 見晴らしの良いテラスがあります。
左側の谷間を真直ぐ進むと、尾瀬に行きます。
私は右側の谷間を進みます。

写真は撮影順に並んでいます。


 
*4

この辺りまでは紅葉が散っていないい限界で、進むに連れ、無数の白い幹だけが山を覆うようになっていきました。

 
< 5.うら寂しい山 >

高度が上がるにつれ、葉の落ちた白樺だけの森が続き、寂しさが増して行きました。
走っているの私の車だけでした。

そしてついに恐れていた雪が道路脇に見え始め、路面も濡れているようでした。
スタッドレスタイヤに替えて来たとは言え、私には初めての経験でした。スピードを落とし、びくびくしながら通過しました。


 
< 6. トンネルを抜けると >

トンネルを抜けると道路は下り始め、それこそ危険は峠を越えたようで、安堵しました。
遠くに見える山は男体山で、中禅寺湖にその裾野を落としている。
その手前の湖は湯ノ湖で、その少し向こうに戦場ヶ原の平地が微かに見える。


< 7. 戦場ヶ原のパーキング >

上: 男体山が見える。

下: 遊歩道。


 
< 8. 戦場ヶ原の眺め >

ここで歴史的な戦いがあったわけではなく、周りの二つの山が戦ったと言う神話に基づくネーミングだそうです。


 
< 9. 遊歩道を行く >


次回に続きます。



20191216

中国の外縁を一周して 12: 北京、中国国家博物館と北京西駅



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今回は、北京の中国国家博物館と新幹線駅の北京西駅を紹介します。
ここでもハップニングに見舞われ、あたふたしました。
中国を旅行される方の参考に顛末を紹介します。


 

< 2.中国国家博物館 >


 

< 3. 博物館の展示 >

非常に大きな博物館です。
色々な展示があったのですが、一番のお薦めは、中国の歴史を全体通して見れる展示です。
それこそ中国大陸の1万年の歴史、石器、土器、青銅器に始まり、玉器、兵馬俑、唐三彩、仏像、白磁に至るまでが揃っています。
それも各文明、王朝を代表するような国宝級の文物が時代を追って並べられています。

上記の写真は、特に私が気に入ったものです。

左上: 北宋時代の菩薩像。10世紀頃。
この時代の観音像や菩薩像は女性を思わせ、衣のひだがリアルで、身体と表情が実に艶めかしい。

他の三つ: 三星堆遺跡の青銅器。起源前二千年以上前。
今回の旅行で、成都の三星堆に通じる遺跡を訪れるつもりでしたが、ここで現物を見れたことは幸いでした。
大きな目と耳が特徴です。



 

< 4. 天安門広場 >

中国国家博物館を16:30頃出た時の、天安広場の様子です。
広い広場はまだ人々で一杯でした。

上: 天安門広場を挟んで中国国家博物館の向かいにある人民大会堂です。
右側では、中国建国70周年にちなんだ展示が行われていました。

下: 中央に毛沢東記念館、その奥に正阳门、前门も見える。
正阳门はかつての宮城、内城の南側の門でした。


 
< 5. 天安門 >

上: 天安門に向かう観光客がまだ列をなしている。
道路の手前にあるパイプ柵は警備用のもので、人々が天安門広場や博物館に入ろうとすると、ここで長い行列を待ち手荷物とパスポート(身分証)の検査を受けることになる。
威圧されるようなことは無いが、なにせ時間がかかる。


 
< 6. ホテル天安大厦、八角形の屋根が見える建物 >

天安門広場から歩いてホテルに戻って来た。
この後、北京西駅横のホテルに移動する予定でした。
しかし、ここで思わぬトラブルに見舞われることになつた。

結論から言うと車に乗ったは良いが、行先を間違い、現金の支払いを拒否されてしまったことです。

切っ掛けは、ホテルのフロントでタクシーを依頼したことから始まりました。
若いフロントウーマンは、数ヵ所電話したうえで、タクシーは来ませんと答えた。
私は食い下がり、再度お願いした。
地下鉄を乗り継いで行くことは出来たのですが、疲れていたので。

すると彼女は、私のスマホでウィチャットや滴滴出行を使いタクシーを呼べますかと聞いた(そのような感じでした)。
私が使えないと言うと、彼女は自分のスマホを操作し、タクシーを呼んでくれた。

私は心配になり、「現金払いが出来るのですか?」と確認した。
通常、ウィチャット(スマホ)で支払うと聞いていたので。
彼女は「OK」と言った。
やがて車が来たので、手間を掛けた親切な彼女に礼を言って、出発した。

ところが走っていると、車は私がスマホで確認しているホテルへの道から段々外れて来た。
運転手にホテルが違うようだと言ったら、車を止めてくれ、行先を修正して再出発した。

やっとホテルの前に着いたので、皆ホットした。
そこで現金を支払おうとすると、彼はスマホ決済でないとだめだと断る。
私は出来ないと言うと、彼は嘆いて、怒ってまくしたてた。

仕方なく、中国の友人に電話をした。
友人は運転手と話してくれて、支払いは後で何とかすると言うことで話はおさまり、私は支払いをせずに車から降りた。

何が問題だったのか?
推測だが、一つはホテルウーマンが間違ったホテル名を入力した。
次いで途中で行先を変更したことで、支払方法設定でミスが出たのではないか。
現金払いもあるようです。
乗った車はタクシーではなく、普通乗用車でした。

今でも、不思議なのは、運転手が現金の受取を拒否したことです。
運賃は30元ぐらいでした。
これは恐らく、運転手は滴滴出行などによる評価やインセンティブ獲得の為に、スマホ決済を完了させたかったのだろう。

私は、ここに中国のIT利用の神髄を見た気がした(推測)。

つまり、普通のタクシーは大渋滞をしている北京中心部のホテルへの呼び出しを嫌うが、滴滴出行などは、乗客の信頼を得るために運転手にインセンティブを与えて、配車を可能にしている。
滴滴出行などのシェアビジネスはこのようなサービスを積み重ね人気を得ているのだろう。

これもこのトラブルで実感できたことでした。


 
< 7.スマホの配車アプリ >

参考に借用しました。


 
< 8. 北京西駅北側の地下街 >

スペースは広いが、店は多くはない。
上の写真の店で夕食をとりました。
安かった。
鉄道員の女性グループが来ていました。



 
< 9. 北京西駅北側 >

私達のホテルはこの建物の直ぐ左隣、東側にあります。
二日後の朝、ここから初めて新幹線に乗るので下見に来ました。
夜8時を過ぎていました。

この駅前の広場や地下街には荷物を持った多くの人がいました。
30前の中国(広州駅)と60年前の大阪駅の状況を思い出します。
昔抱いた旅の高揚感が思い出されます。


 
< 10. ゲートの確認 >

中国の新幹線は10年以上前に2回ほど乗っているのですが、自分で乗るのは今回が始めてでした。
友人が切符を買ってくれていたので助かりました。
後は、駅舎に入るゲート、待合室、改札、ホームの事が不安でした。
この日は、ゲートだけを確認しに来ました。

ゲートには数が多い「人工」と二ヵ所の「愛心道」がありました。
「人工」の方では、人々は機械にカード(中国の身分証?)をかざして入場していきました。
「愛心道」の方では、係官が身分証をチェックをしていました。

手空きの係員にパスポートを見せて、英語で「どのゲートから入れば良いか」と聞くと、「愛心道」と指差して教えてくれた。
英語を使える人にはほとんど合わなかったが助かった。

このゲートを通過するためには、左側の切符売り場などで切符を買ってからでなければならないようです。
ゲートを通過すると、荷物検査があります。

次回に続きます。





20191214

晩秋の北関東をドライブしました 6: 吹割の滝



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今回は、吹割の滝を紹介します。
渓谷、滝、紅葉が別世界を造り出していました。
訪れたのは2019年11月18日12時でした。

< 2. 散策ルート >

茶色線は渓谷に行き来した道で、Sからスタートしました。
赤線が渓谷に沿った遊歩道で、下流(南側)から上流に向かいました。
遊歩道を歩いた時間は30分ほどでした。

上: 上が北。
下: 右が北。


 
< 3. 鱒飛びの滝 >

上: 下流を望む。

下: 鱒飛びの滝。


 
< 4.鱒飛びの滝から上流へ >



< 5. 吹割の滝 1 >

両側から岩盤が迫って川幅が狭くなった所を進むと、急に視界が開けた。
そして広い川の中央で、まるで川底が抜けたように水が勢いよく吸い込まれていくのが見えた。


 
< 6. 吹割の滝 2 >

 
< 7. 吹割の滝 3 >

渓谷を覆うすべての山肌が赤や黄色に紅葉し、青空を映す川面が緩やかに流れていく、それが急に無数の白い筋となって流れ落ち、水飛沫をあげる。
素晴らしい景観です。
紅葉のピークは過ぎているかもしれないが、素晴らしい景観に出会えたことに感謝します。



 
< 8. 吹割の滝 4 >

上 : 浮島に架かる吊り橋が見える。

下2枚 : 上流から吹割の滝を望む。
滝の直ぐ傍まで行けるので、迫力を感じることも出来るが、危険です。
安全の為にロープが張ってあります。


 
< 9. 浮島と吊り橋 >


 
< 10. 吊り橋からの眺め >

上: 上流側。

下: 下流側。
川の左側に、今やって来た遊歩道が見える。


 
< 11. 渓谷とお別れ >

上の国道に行く坂道から見えた紅葉。


次回に続きます。

20191213

中国の外縁を一周して 11: 北京、景山から什刹海まで





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今回は、紫禁城の北側にある二つの公園を紹介します。
景山の頂上から紫禁城が見下ろせます。
什刹海は古い街並みとお店が並ぶ今流行りの場所です。


 
< 2.散策マップ、上が北 >

上: 今回の散策ルート。
赤線が徒歩、茶色の線がバスです。
この図は下図の青線の範囲になります。

最初、紫禁城を出ると(下のSから)、直ぐに景山を登りました。
次いで、頂上から西側に降り、ここで公共のバスに乗り、什刹海(E)辺りで降車しました。
ここから西側に向かい、湖に沿って歩き、右に折れて烟袋斜街に行きました。
戻って橋のたもとで昼食をとり、橋を渡った後、Rで折り返し、Eに戻り、バスで次の観光に向かいました。

写真は概ね、歩いた順に並んでいます。


下: 昔の宮城の範囲。
南北の長さは9kmほどありました。

紫禁城の始まりは、13世紀、モンゴル帝国が冬の都として大都を建設したことに始まります。
それは図の内城とさらに北側まで延びていました。
14世紀、北京が明の首都になり図のような大きさになり、清朝滅亡まで続きました。

景山は、明の時代、堀の残土で風水に基づいて造られた山です。
昔、什刹海周辺は皇族の住まい、その南にある北海公園は皇族の庭園でした。



 
< 3. 景山公園へ向かう >

上: 明時代の宮城のイメージ(中国サイトから借用)。

下: 紫禁城北口を出て、景山公園に向かう。
頂上の真ん中と左の建物を目指します。


 
< 4. 頂上まで >

上: 急な階段を昇って行きます。

左下: 最初に見える山の裾にある建物。

右下: 頂上の建物:
この日は建物で写真撮影が行われており、入ることが出来ませんでした。



 
< 5. 頂上から >

上: 南側に紫禁城を見下ろす。
残念ながらガスていました。
これは黄砂なのか、スモッグなのか、霧なのか・・・。
黄砂の時期ではないはずなのですが。
この後、南の開封から西安までの間、同じような空模様が続きました。
空気が悪いと感じなかったし、マスクをしている人をほとんど見かけなかった。

下: 中央のオレンジ色の屋根の建物の遥か向こうに鼓楼が見えます。
正に紫禁城、景山と鼓楼は南北の中心線上に並んでいます。


 
< 6. 頂上から下る >

左上: 辑芳亭。
頂上から西に向かって最初に見える建物。

右上: 富览亭。
峰上にある最も西側の建物。

下: 山を下った所、直ぐ西門があります。
鬱蒼とした森林です。
南に少し行くとトイレがあります。



 
< 7. 什刹海に着きました >

上: バス停の鼓楼で降りた。
通りの奥に鼓楼が見えます。

下: 西に向かって進むと湖が見えました。
市民の憩いの場と聞いていたのですが、観光客で一杯でした。
時間帯が違うのでしょう。

 
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< 9. 烟袋斜街 >

私には風情ある街並みと言うより、単に土産物屋街に思えた。
買い物を楽しむ人には良いと思うが。


 
< 10. 胡同(フートン) >

烟袋斜街の隣には、狭い路地に面して元統治時代の名残りの伝統的家屋が続く。
本当は壁の向こうの四合院を覗いて見たかったが、チャンスは無かった。


 
< 11. 昼食のレストラン >

橋のすぐ前にある李记串吧(烟袋斜街店)に入りました。
ここはどうやら羊肉をメインにあらゆる料理(火鍋、麺、串焼きなど)を出している。
私達は麺と肉料理の一皿を頼みました。
味は良く、価格も手頃でした。

右下の写真は常連さんのようで、骨付き肉の火鍋を豪快に食べていました。
普通火鍋はスライスした薄肉を食べるようですが。
それにしても中国何処でも火鍋は人気なようです。

この度の旅行で、中華料理のイメージが変わりました。
昔からの八角などの香辛料だけでなく、味付けは非常に多岐にわたります。そして人々はあらゆる地方の料理を楽しみ、多くの飲食店は新しいアレンジを取り入れていました。
上記の店も、西域のムスリム料理をアレンジしたものでしょう。



 
< 12. 橋の上から >

中国の湖畔や川端には柳が良く似合います。


 
< 13. 風情のある湖 >

ビルが見えなければ、数百年前の風景を連想させます。

水面を覗くと、意外に透明度が高い。
水質向上に取り組んでいるようです。


 
< 14. 人力車の大群 >

当初、人力車に乗って見たいと思ったのですが。
調べてみると、料金でトラブルことがあるみたいなので躊躇していました。

湖畔を歩いていると、二十台ほどの人力車が一団の観光客を乗せて列をなしていました。
風情があると言うより、壮観というか、ご苦労さんと言う感じでした。


次回に続きます。




20191210

晩秋の北関東をドライブしました 5: 草津温泉から吹割まで



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今回は、草津温泉から吹割の滝までの景色を紹介します。
紅葉と谷間の風景を堪能しました。



< 2. ドライブコース、上が北 >

左の草津温泉から右の吹割の滝までのルートです。
赤いダイヤマークが停車し撮影した場所です。
約80km、2時間半のドライブです。

実は途中、沼田を通過している時に、あるミスに気が付きました。
それは、ここに真田家の拠点となった沼田城があったことで、それも近くに。
ここが北関東の要衝の地、上杉・北条・武田氏が争奪戦の地だったとは・・・。

この日は予定が詰まっていましたので寄ることが出来ませんでした。




< 3. 道の駅 六合 >

ここは草津温泉から10km以内の292号線上です。
産地直売所などがありました。

上: 来た道を振返る。

下: 進行方向。




< 4.上沢渡川沿い >

ここは草津温泉から25kmほど来た55号線上です。
旧大岩学校(牧水学校)を過ぎた辺りのはずです。
かつて若山牧水が立ち寄り、詩を読んだことにちなんで、学校に牧水と名付けた。

上: 進行方向(東)、中央に有笠山(標高888m)らしいものが見える。
クライミングやボルダリングで人気があるそうです。
北関東ではこのような岩肌が露出した急峻な山を多く見かけた。

下: 真右横の眼下に上沢渡川が流れる。



< 5. 来た道を振り返る >

上記と同じ場所から。




< 6. 中之条町大字横尾辺り >

草津温泉から35kmほど来た145号線上です。

上: 進行方向

下: 進行方向左に、切り立った嵩山(たけやま、標高798m)らしきものが見える。



< 7. 遠景に榛名山 >

来た道を振り返ると榛名山が見えた。
榛名山は円錐形と思っていたのですが、違うようです。
今回のドライブでは、赤城山と榛名山の麓を遠回りで一周することになりました。



< 8. 吹割の滝に到着 >

走っていると120号線沿いに多くの食堂や駐車場が見えて来た。
呼び込みが賑やかです。
私は沼田方面から来て最初の無料駐車場(進行方向右手)に車を止めました。
ここは道の駅 吹割です。
滝の降り口までは、さらに道路を150mほど進むと左手にあります。

上: この左手の店は、滝を見て道路120号線に戻ってから、昼食を食べた所です。
ここから300m下ると道の駅です。

下: 降りて行くと紅葉が迫って来た。





< 9. 眼下に鱒飛の滝 >



< 10.鱒飛の滝 >

紅葉に期待が膨らむ。


次回に続きます。